恋姫†無双 八咫烏と恋姫 7話 雑賀人、曹操を待つのこと |
恋姫†無双〜孫市伝〜
曹操の命により、陳留の隣県に咎人として派遣された孫市。彼は他の者たちおよそ五十余人と共に陳留を発った。孫市以外は明確なことを説明されておらず、みな尻を突いてくる兵士たちに促進されるように足を踏み出し隣県に向かう山に向かった。
一日と半日の末に、山に着いた。
この山を越えれば後は好きにしていい、と兵士に言われる孫市たち。牢屋から出され、自分たちは何処かで処刑されると思っていた男たちは、自由にしてもらえるとは思っておらず放置されると狼狽した。この山を越えれば陳留の領地から出られる、とりあえず言われたとおりに孫市たちは山を越えることにした。そう思っていた矢先に事は起きた。彼らは元は超が付くほどの根っからの賊である、新しい旅立ちにこの五十余人を従わせて新地でも賊として生きていこうと考えた一人の男が力ずくで他の者たちを従わせようとした。孫市に負けず劣らずの体格を用いてあっという間に彼は大抵の者たちを従わせることに成功した。もう、彼に従っていない中で腕に覚えがありそうなのは孫市だけであった。
その孫市は呑気に草笛を吹いて事の次第など考えていなかった。赤兎馬は葉の音色に合わせて足踏みしている、もう少しで山の天辺に辿り着こうという時に礼の男が孫市の前に立ちはだかった。
「待てい!」
ドスの効いた声である、孫市は草笛を止めるとその男を見遣る。眼中に無いといった感じである。それは男の神経を逆撫でするものだった。
ばっ、と男は孫市に飛び交った。赤兎馬が孫市を見捨てて一目散に逃げ去るのを尻目に孫市は飛び込んできた男の腕を取ると力一杯に捻り上げた。ボキボキ、と男の腕が鳴る。男は地面に腕を抱きかかえて悶え転がった。
「悪いことはあまりするでないぞ」
孫市は何事も無かったように草笛を吹き始めて山頂に向かうのを再開した。その背に他の男たちが続いていく、もう彼らは自分たちの頭を孫市と決めたようだ。腕が折れた男も涙目になりながら最後尾に続いた。
それから数日が経った。
曹操が孫市にお願いして行かせた隣県のとある村には、許緒という少女が住んでいた。髪を括った二つの尖がりが特徴の許緒は田畑の中を通るあぜ道を駆け抜けていた。どこに向かっているのだろう、その先には古ぼけた小屋しか見当たらない。どうやらそれが許緒の目的らしい、彼女は戸の前に立ち止まり中に向かって叫んだ。中に誰か住人でもいるのだろうか、しかし何の反応も返ってこないので中の住人はいない。彼女は辺りを見渡した。近辺には畑仕事を行う村人たち、どうやらその中には目当ての者はいないようで許緒は元来た道を戻った。
戻る途中で首に赤い布を巻いた小さな馬がいた。なにか上機嫌のようで飛び跳ねるように歩いている、それを許緒は立ちはだかって止めた。
「兄ちゃん何処に行ったか知らない?」
馬は首を振った。
「ありがと、赤兎はお利口だね」
許緒は赤兎馬という馬の頭を撫でた。赤兎馬は気持ちよさそうに目をつぶっっている。
「じゃあね」
赤兎馬に手を振りながら許緒は村の中心の方に向かって走っていた。赤兎馬は飛ぶように畑の中を駆けまわり始めた。
村の中心部では人が集まっていた。許緒は何だろうと遠巻きに眺めていると、人ごみの中から猿独特の声が聞こえた。猿が山から下りてきて捕らえたのだろうかと考えていると人々は爆笑の渦に飲み込まれた。
「ムキ! キーー! ウキーー!!」
また聞こえた。それに合わせて人々が笑う。何だろう、許緒はみんなを笑わしている猿を不思議に感じ、人ごみをかき分けて中に入り込んだ。少し進むと開けた場所に大猿が飛び跳ねていた。
「キーー! ウキキーー!!」
猿顔で跳ねまわり、甲高い声を上げるその猿は利口なのだろう人と同じように服を着ていた。真赤な羽織に真白な革袴を着ている、大猿は許緒の前に来た。
「兄ちゃん!? 何してるの!?」
「ウキーー! ん? 何だ許緒か」
それは猿ではなく、猿舞に興じる孫市であった。上手く猿を演じている孫市を観た村人たちが笑っていた所に許緒が来たのだ。毛繕いの真似をする孫市を許緒は叱る。
「今日は兄ちゃんが当番だよ」
「ウキキ! まぁそう言うな許緒よ。ほれ、お前もおろるか」
孫市の巨体は軽々と飛び上がると宙で一回転して許緒に尻を向けながら着地した。その尻をくいくいと挑発するように動かす辺りわざとなのだろう、許緒はいつもこのように孫市に弄ばれていた。
二人の出会いは些細な事であった。孫市は曹操に言われてこの隣県に来て途方に暮れているところを許緒が見付けた。この村の周辺は賊が偶に出るので忠告しようと声をかけたのだ。
「兄ちゃん、この辺りは悪い奴らが出るから危ないよ」
「なんじゃ、わしはお主の兄ではないぞ」
こう言われたのを許緒は今でも覚えている、そのまま村に案内されて孫市は許緒と同じように用心棒としてこの村に居着いてしまった。
「いい加減にしないとボク怒るよー!」
「許緒が怒るぞ、みな逃げろ」
それまで集まっていた人たちは蜘蛛の子を散らすようにいなくなると、孫市の姿も消えていた。許緒は溜息を漏らして今日も当番を変わることにした。別に仕事が嫌いではないので苦にはならないが孫市にちゃんと働いてほしいと思うのが許緒の心情である、小さいのに良くできた子である。孫市は今日のように用心棒としての仕事をサボりにサボり、許緒にばかり仕事を押し付けているが孫市が来る前から一人で働いていたので仕事量は変わりなしなかった。
孫市は許緒から逃げると、鴉が飛んでいるように上機嫌で踏鞴を踏んでに前に進んでいる。それを見た村人がまた踊ってらぁ、と土を耕しながら呟いた。孫市はこの村で踊りの鍛錬の日々を過ごしていた。
「なんてせわしない男だ」
別の村人が孫市を見てそう言った。
村としては懸念する男であり、あれが用心棒として良いのだろうかとみんな思った。だが、言葉に出来ない魅力を孫市は持っており、村長などは彼のことを格別気に入っていた。許緒もしかり、実はこの村人も孫市のことが好きであった。二日ほど前に畑仕事を手伝ってもらったことがある、地侍だけあって孫市は土を耕すのも上手で逆に耕すコツを教えてもらった程であった。
孫市、だんっ、と飛び上がて踊りを止めると空を見上げた。雲一つなく、気持ちの良い空である。陽光の刺激に目を逸らすもそれも含めて気持ちが良い。孫市はこんなに元気の良いお天道様の下で生きているだけで何とも幸せな気持ちになった。
暫くはぼんやりと眺めていると、太陽にうっすらと曹操の顔が浮かび上がってきた。
(曹操、お主はなんて女なのだ)
この男の楽天具合にはどんな者も心底参った。孫市がこんな辺鄙な場所にいるのは曹操のせいであるが、どんな女だろうと憎めに憎めないのが孫市という男である。それどころか孫市は曹操のことを心底気に入ってしまった様子で、ただの少女として見るのではなく、一人の女性。愛すべき女性として捉えようとしていた。顔が太陽のように満面の笑みになっており、涎がこぼれそうである。それを見た村人は何ともおかしな男だと心配する。
「許緒には悪いことをしておるのう、明日からきちんと働いてやろう」
孫市は何だか気分が高揚してきた。それに合わせて脚が動きだす、腕が回りだす、孫市独特の踊り方は形容しがたいものである。孫市踊りとでも呼ぼうか、高まっていくにつれて踊りの幅は大きくなっていった。
「また踊りおった。ついに狂ったか?」
それを見ていた村人たちは口々にそう呟く。その前を孫市は踊りながら通り過ぎていった。その前から老人とその付き人たちと見える者たちが孫市に迫ってきた。
「孫市殿、良いお天気ですな」
と、その老人。この村の村長はそう言ったが孫市は、その村長の顔をのぞきこんでニヤニヤしたままである。
「ずいぶんと機嫌がよろしいですな。何か良い事でもありましたか」
「いやいや、なになに」
そうは言うも孫市はニマニマしたままである。伊達に村長をしている訳ではないこの男は察した。
「さては、よいおなごでも見つけましたかな?」
「いたとも、それはもう手を伸ばせど伸ばせど届かぬ処に」
「孫市殿は相変わらずですな」
「難しいつもる恋よ」
「好き者ですな」
「まぁ、そう言うなかれ」
と孫市は狂言の身振りをしておどけ、
「通してくりゃれ、通してくりゃれ」
彼らの間を通り過ぎていった。
孫市、この村では愛すべき馬鹿として通っている。いや馬鹿と言っていいのか村人たちはよく分かっていない。ある日ぶらりと許緒に連れられてやって来たひょうげ者、腕が立つのかさえ分かっていないが仕事を探しているとのことで用心棒として雇ったがこの男働かない。遊んでばかりで許緒ばかり働ているが誰も真面目に咎めることはない、みな彼と居ると楽しくてたまらないのだ。当初は軽く咎めはするものの、孫市は、そう言うなと受け流してしまう。それでも何も言わなくなったのは彼が来た日から賊の目撃証言がぴたりと止んでしまったのだ。賊が来ないのなら用心棒は仕事が無い訳ではないが、孫市に仕事を急かすのは今や許緒だけとなっていた。
孫市、遠くの山を見る。その山は孫市が越えてきた山だ。その向こうには陳留がある、孫市はニヤニヤと笑いながら村の外れにある小屋に向かった。
孫市が許緒に気付いたのは、女を口説いている時であった。
「ほれぼれするほどに綺麗な指じゃな、お前のような者は畑仕事など似合わぬ」
「もう、孫市さん。それ別の人にも言ってたでしょ?」
「いやいや、これほど綺麗な指は見たことがない。どうじゃ・・・」
その背にねっとりとした視線が向けられている。孫市は振り返ってみるとそれは許緒のものであった。目を細めて孫市のことを見ている。
「なんじゃ許緒。仕事はしただろう」
孫市、なんと今日は珍しく用心棒としての仕事を終わらせていた。今日ばかりは許緒に小言を言われないものと思っていたのだが、その予感は見事に外れた。
「兄ちゃん、仕事はしたのはいいけど人の奥さんを口説くのはどうかと思うよ」
許緒が入ってくると口説かれていた女はそそくさと畑仕事に戻っていった。孫市はその尻を眼で追いながら反論した。
「あやつの夫は自分の女房を愛さず働きもせぬ。そればかりか他のおなごに手を出しておる、わしはあの女をかわいそうに思い」
「兄ちゃんも変わらないじゃん」
許緒、相変わらずねっとりとした眼で孫市のことを見ていた。
「わしを愚物とは違うぞ」
「どう違うのさぁ?」
許緒の眼から見れば孫市もその男も違いはないように見える。子どもゆえの真っ直ぐな感想である。孫市は、あのような鼻の垂れ下がった男と一緒にするな、と言う。そして言葉尻に、なにより、と言い、
「わしは働いておる」
と孫市は付け加えた。
「え?」
「働いた後におなごじゃ」
「・・・」
許緒、言葉が見つからない。
「許緒も大きくなれば、わしが色々と教えてやろう」
そんな許緒を知ってか知らずか、孫市は呑気に彼女の頭を撫でながらそう言うと、尻を向けて去っていった。
なんであんないい加減な男がみんなに好かれるかが許緒には分からなかった。村長も他の人に訊いて回っても孫市の悪口など聞いたことがない、許緒の求めている言葉はどの口からも出てこなかった。逆にみんな、あんなにいい男は見たことがない、と答えるのである。その度に許緒は首を傾げてしまう。
「許緒ちゃんも大きくなれば分かるさ」
いつか誰かがそう言った。確か村長の息子だっただろうか、許緒は思った。
大きくなればどうして分かる、まだ子どもの自分ではなぜ分からないのだろう。
「男の魅力ってヤツはな、子どもには分からないんだよ」
そうなのか。
許緒は彼の言っている意味が分からなかった。日頃、仕事をサボって踊るか女を口説くか酒を飲むか以外の姿は見たことがない。あれが男の魅力だというのなら許緒は男と婚姻しないだろう、その様子を見て男は手を振りながら言うのだ。
「うーん。なんて言えばいいんだろうな、男の中の男っていうのか? いや少し違うか、男が憧れる男か? うーーーん・・・・・」
結局のところ彼が何を言いたかったのか許緒は分からなかった。
許緒、孫市の去っていく尻を見る。
(兄ちゃんが働くなんてどういう風の吹き回しなんだろう?)
孫市は、手際よく割り当てられた仕事を片付けた。用心棒といって孫市のは名ばかりの何でも屋だ。やれ芝刈り、やれ畑仕事、やれ警邏、なんでもござれである。それを、ちゃちゃっと終わらせたのだ。許緒は当然驚いた。でも、なんで今日に限って働いたのだろう。そういえば今朝から孫市は上機嫌であった。まるで誰かが来るのを楽しみにしているようである。
今日は昼から暇である。許緒は孫市を追いかけてみた。
その尻を追いかけていると孫市は数人の男に話しかけられた。
「孫市、見ろ見ろこの子を」
その内の一人が腕に赤ん坊を抱いている。恐らく男の子であろう、孫市、その子をひょいと抱き上げた。
「おお、ややが産まれたか」
孫市、まるで自分のことのように喜んだ様子である。その小さな目元を指先で撫でながらその親に言う。
「目元がお前に似て、なんとも助平じゃな」
「それはもっとも」
男たちは路上で手を叩いて笑い転げた。
「いやしかし、口元はお主の女房に似て色っぽい。将来は美少年かもしれんな」
「おお、孫市が言うならその子は美しい男に成長するはずだな」
「いやいや、お前の子だぞ。孫市やお前に似て助平になるかもしれん」
「はっはは、その通りやも」
男たちはまたも手を叩いて笑い転げた。
許緒はその様子を何とも言えぬ表情で見ていた。男たちは孫市と話し始めると夏空のようにカラリとなった。孫市はいつも変わらない態度で、誰に対してもあのように応じる。村長にだってそうだ、その態度が良いのだろうか、許緒はまったく分からない。
赤ん坊は男たちの馬鹿騒ぎに驚いたのだろう、大声で泣き始めた。孫市は、ニコニコと笑いながら高く高くその子を天に掲げる。
「うむ。元気に泣く子だな、これは無病息災に育つことじゃろう。良い子を儲けたな」
赤ん坊は、キャッキャ、と孫市の手の中で笑っていた。産まれたてとは思えないほどいい笑い方である。許緒でさえその赤ん坊は将来立派な者になるだろうと思ったほどだ。
(兄ちゃんって子どもをあやすの上手)
思い返してみると、自分は孫市にあやされていたのだろうか。少し頭に来ていた時があったが、孫市と話すとその怒りが軽く消え去ったことがあった。それ以来、その時の出来事は許緒の中では笑い話として変わった。
(うーん、よく分からないや)
孫市がこの事を聞けば、許緒はまだ子どもなのだから別に知る必要ないじゃろう、と答えてくれるだろうと想像した。
(そういえばボクが大きくなったら兄ちゃんが色々と教えてくれるって言ってたな。今はよく分からないからその時に教えてもらおっ)
外は月明り、孫市は大瓢箪と酒杯を手に小屋を抜け出した。自分の影を踏みながら、孫市は村の中心に向かって歩き出した。この時間帯に出歩くは盗人か獣だけであろうが、その前から少女が歩いてきた。許緒だ。
「あ、兄ちゃん」
「許緒か、どうよ酒でも」
孫市、二升入りの大瓢箪を見せるが許緒は首を振った。もう家に帰って寝るところだ。もう夜も深い、良い子は寝る時間だが許緒はこの時間まで村の周辺に目を光らせていた。
「兄ちゃん、サボっちゃだめだよ」
今夜の警備は孫市の当番である。
「ふむ、なんて綺麗な月だ」
許緒の言葉など聞こえていない。空に登る月は欠けた所もない何と見事な満月だ。丸と説明しなければその丸さは伝わらないであろう、孫市は、近くの石に腰を下ろして酒杯に酒を注いだ。真面目に働く気が無いように見えた。許緒は呆れるがこれで何度目だろうと思うと馬鹿々々しくなった。見ると孫市が近くに来いと手で招いていたので許緒は素直に傍に寄った。スッ、と孫市は酒杯を許緒に手渡した。許緒は軽く飲むつもりで杯を傾けた。
酒は許緒でも飲みやすい弱い酒であった。これが曲者、軽いので楽々と飲めてしまう。瞬く間に許緒は二杯、三杯、と数を重ねていった。孫市、その間には五杯は飲んでいたであろうが許緒の方が先に酔いが回り、もう呂律が回るのがやっとだ。
「明日は兄ちゃんがサボらないようにボクが付いててあげるよぉ〜」
赤子に戻ったように舌足らずな言葉に孫市は笑いながら杯を手に頷いた。
「許緒にはまだ早かったか。今夜はもう寝ようかよ」
のどの奥で、ぐぐぐと笑う孫市の腕に許緒は完全にもたれかかっていた。その手から落ちた杯を拾い、孫市は笠のように頭に乗せた。しかし小さく、例えるなら河童の皿である。孫市、酔い潰れた許緒を腕に抱き上げ、月を見ながら杯を平らげた。
大瓢箪の重さは半分ほどに減っただろう。浅い酔いが回り出したころ、孫市の背から男が近づいてきた。背後から襲い掛かるという訳でもなく、殺気など発していない。その八咫烏が飛んでいる背に男は話しかけた。
「孫市さん」
「おう、お主もやるか」
許緒を腕に、上手く重心を操りながら、くるりとそちらを向いた。親しげな者を見る目である、互いに面識があるようだ。そもそも、この男は孫市と共に陳留から山を越えてきた男たちの一人である。野盗崩れの身であり、痩せこけた身にボロ布を巻いた風貌はあまり良い印象を与えないだろう。今は孫市の手下のように働いていた。
孫市は、許緒を草に降ろして頭の杯を男に差し出した。彼は畏まりながら両手で受け取り、注いでもらった酒を大事そうに少しだけ飲んだ。
「どうじゃ」
とは酒の味ではない。
「動きあり」
手短にこう言った。
孫市には秘中があった。この村の周辺に彼に従う五十余人の男たちが方法の手で身を隠していた。この村、隣県の曹操領にほど近く、孫市、この村を枕に曹操の出方を伺っていた。
賊がこの村に近づかないように孫市は男たちと共にこの辺り一の勢力に在籍する形を取っており、この村を襲うというフリで五十余人は賊たちからこの村を守っていた。それも長くはもたないだろう、曹操が早い内に攻め込んでこなければこの村は襲われるだろう。
「いずれじゃ」
孫市、寝息を立てる許緒の頬を優しげに撫でながら男に鋭い眼差しを向けた。曹操が動いた、その一報で孫市の胸は高鳴りを起こす。いくさだ、他国のいくさが観れるのだ。孫市の心中穏やかでない、明日にでも起こるであろう合戦に血が踊りを始めた。
「これこれこうこうです」
と、説明した。要するに明日にでも曹操軍が来るであろう、との事であった。
「そうか」
孫市は、ここまで待たした曹操に怒りもしない。
(曹操、来たか)
孫市は行軍してくる曹操軍の全貌を想像し、興奮冷めやらぬまま許緒を抱きかかえ立ち上がった。その足は自分の泊まる小屋に向かっている、伝えに来た男は大瓢箪と酒杯を手にその後ろに付いていく。
そのまま背に言った。
「曹操とやりますか?」
彼にすれば曹操に捕らえられ、仲間も何人か処されているのだ。賊と共に戦いたいの彼の思いであった。しかし孫市は、その男の方を振り返ると、
「いや、やらぬ」
と男の事情など意に介さずに言う。男は頭を落とした。
「わしらは逃がしてもらったのじゃ、せめて戦わないのが恩であろう」
「そうなのですかね・・・」
男は不満気である。
「みなに伝えておれ、山頂で集合じゃ」
気付くと小屋の前であった。足で戸を開けながら孫市は言った。
「はい」
そうは言うも男の顔は恨めし気である、これは思うようにいかないだろう、と孫市は思いながら小屋の中に許緒を寝かせた。
山頂に孫市、彼は陳留の方を男たちと観察していた。朝にでも来るであろうが、孫市はもう待てない様子で落ち着きがない。
男たちはみな先の男よろしく、風貌からして良い印象を与えない。誰かに見られれば間違いなく賊と思われるだろう。その中に例の陣羽織を着た孫市が不自然に混ざり込んでいる。
鳥の鳴き声さえ聞こえない静かな山に五十余人が焚火を囲ってうなだれている。
「まだかまだか」
中で孫市は、はつらつと踊っている。それを男たちが不貞腐れたように観ていた。孫市、賊とは無縁の男である。ましてや完全に賊になれるような男でもない、今は形ばかりの賊である。そんな孫市には周りから少なからずの不満が出ていたが、そんなことは意に介さず、嫌ならどこへとも行けというのが孫市の答えだ。
その踊る隣では赤兎馬が例の布を巻いて寝ていた。孫市に無理矢理連れてこられたのである、その背には鉄砲が備えられていた。火薬も玉も、その背に大事に乗せられている。
「曹操はどれほどの兵を連れてくるじゃろうか」
孫市の中で曹操の軍隊が創造されていくのを尻目に周りの男たちは孫市に聞こえない声で囁き合っていた。
「いつまであの男の下にいる気だ」
「腕っ節は強いんだがな」
「さっさと離れて本隊の方に合流しようぜ」
みな好き放題言っている。全員、孫市を自分たちの頭とはもう思っていない。最初の頃は誰も彼の強さに引かれて付いていったのだが、なんとも賊らしくない振る舞いにもう見捨て始めていた。
「ホタ、ホタ」
独特の笑みをこぼしながら孫市は踊り続けている。その時だった。ガサッ、と男たちの背の茂みが動いた。みな、警戒する様子はない。賊を討伐する軍はここ一帯にはおらず、動物か何かだと考えたのだ。
「たれぞ」
そう茂みに向かって喚いたのは孫市である。再び、大きな音を立てて一人の人間が飛び出してきた。
遅れてやって来た者かと思ったが明らかに違う、女であった。しかし孫市にしては珍しく好き者の目で見るのではなく、眼を見開き、奇矯なものを見る目であった。恐らく切傷、服の隙間から見える彼女の身体は、至る所に戦傷が見受けられる。
(これが女か)
日ノ本にこれほどの傷を負う女、ましてや男でも少ないだろう。
「ん、お前たちは」
女はそう言った。意外と普通な感じだ。
「賊か!?」
いや、普通の様子ではなく手甲を付けた手で独特の構えをとると敵意を露わにしてきた。孫市、辺りの男たちは面倒なことになると察した。彼女のかもし出す雰囲気は武人そのものだ。並の者なら相手にもならないのが分かる。
孫市は誤解を解くべきかと一瞬思ったが、周りがそうではなかった。
「なんだこの女ぁ!!」
「俺たちとやるのかぁ?」
迎え討つ態勢を取り始めた。もう孫市の制止も聞こえない、男たちがわっと吠えて飛びかかる。孫市、赤兎馬の背から鉄砲を取って女の方を助けようとしたがその必要はなかった。
「はああぁぁぁぁ!!」
彼女は口から気合を発した。それと同時に彼女の手が眩く煌めくと光が飛んだ。それは焚火を消し飛ばし、男たちをなぎ払い、地面に強く叩き付けた。次の脚の二撃目で男たちの士気は崩壊した。敵わないと判断すると賊というのは我先に逃げ始める、今回もそれであった。残ったのは孫市と赤兎馬だけだった。
「貴様が賊の頭か!」
女が孫市を睨む。
「そう怖い顔をするな、わしは賊ではない。ただの村人よ」
「お前のようなただの村人がいるか」
孫市、笑った。
「おお、お主見る目があるのう。わしのようにいい男は他におらんじゃろうな」
あくまでひょうげて通すつもりだ。しかし内心、驚きで一杯であった。眼の前にいるのは全身傷だらけの女である、孫市のような男が驚かずいられなかった。その柔らかな肌には似合わむものが沢山刻まれている、消そうと思っても消せないほど深いものばかりだ。
孫市、悲しくなった。
どうして彼女はその身に無数の傷を宿してしまったのだろうか、考えれば考えるほど孫市の心は悲しさで溢れてしまう。だが彼女は孫市の悲しみをよそに殴りかかってくる。それを孫市、ひょいと右にかわした。次に飛んできた脚は上体を反らした。一つ一つの攻撃が鋭く、確かな殺気が込められている。十分に戦いをこなしてきた者の攻撃であることが分かった。実力ならば並大抵の者など相手にもならないだろうが今の孫市は呂布にすっかり眼が慣れてしまっており、さほど危ういとは思わなかった。
宙で身体を捻りながら蹴りを放つ、それは孫市の顔面を狙ったものであったがこれも反らすだけで難なくかわせた。その際、後頭部で編み込んでいた彼女の長い銀髪が孫市の鼻先を掠めていった。
(確かなおなごの香りじゃ)
少し汗と泥の匂いが混ざっていたが確かな女人独特の香りが孫市の鼻をくすぐった。
(やはりおなごはおなごじゃな)
孫市は、純粋に喜んだ。いかに顔も身体は傷だらけでも女は女なのが分かったからだ。しかし彼女は醜悪ではない、見れば見るほど美しいではないか。
悲しんでいた鴉が喜ぶのと同時に、彼女の手中に光が集まり始めた。男共を吹っ飛ばしたあれである、孫市、傍にいるであろう赤兎馬に逃げるように言おうとそちらを向くともうそこにはいなかった。すでに十間先に逃げていた。
「はあぁぁぁぁぁ!!」
気合の咆哮と共に光が孫市に向かって飛んできた。これは何か妖術のようなものなのだろうか、それが格闘術とは微塵も思いもしなかった。
それは一つではない、二つ、三つ、合わせて飛んできた。孫市、一度拝見した技に当たるような勘の悪い男じゃない。かわしにくさはあったが孫市、それを読んだ。そして喚いた。
「どうした傷面のおなごよ! そんなものがこの孫市が喰らうかよ!」
女は傷だらけで鋭くなった面をさらに鋭くする、孫市は苦笑した。
「そう睨むな。どうじゃ、平和的に話し合いでも」
彼女は答えない。また立て続けに光の弾が飛んできた。それを踊るようい孫市は避け、飛びながら彼女の方に尻を向けた。
「わが尻啖え!!」
と、尻を突き出しながら言うと赤兎馬を追うように孫市は駆けた。それをされた女は顔を真赤に追いかける。戦いの最中に相手に尻を向けることは挑発としてはもっとも効果がある、なによりも相手を侮辱するのにもってこいの行為であることは間違いないだろう。孫市、若い頃は癖のように毎度行っていた。孫市の面、なんとも嬉しそうである。
しかし、相手は憤怒して孫市を追いかける。手から光の弾を撃つ、孫市、それをひらりとかわす。
「どうしたおなごよ。この孫市の尻に当てれぬか!」
孫市、速い。車輪のようにすねを回すともう暗い森の中に消えてしまった。
「くそ、逃がしたか」
傷が走る面をしかめ、女は悔しそうに呟いた。
「わしは逃げてなぞおらぬ、こっちじゃ」
暗い森の奥から孫市の声がする、しかし山の中で反響し合ってどこから声が聞こえてくるのか分からない。女は臨戦態勢を崩さず、不意打ちをかけてくるであろう孫市に待ち構えた。
その姿を孫市は木の陰からそっと見ていた。隣には赤兎馬がいる、どうやら追いついてひっ捕らえたのだろう。その手には鉄砲が握られていた。もう火薬も弾も込められている。あとは火縄を付けるだけだが、点火した時の明かりで場所がばれてしまう恐れがあった。孫市、うかつに火縄を付けなかった。
「お主の光る弾とわしの鉛弾、どちらが強いか比べてみぬか!」
「卑怯者! 顔を見せろ!!」
「はっはっはっはっ! いくさに卑怯などあるかよ。いざ行かん!!」
孫市、素早く火縄に点火した。それを女は見逃さなかった。
「そこか!」
明るく光った木陰目掛けて自慢の光る弾を飛ばした。孫市、身を出すと向かってくる光弾に狙いを定め、引金をしぼるように落とした。
だあぁぁん。
銃口内の火薬が爆発、詰められていた鉛弾が勢いよく飛び出した。孫市目掛けて飛んでくる光弾に一直線、一瞬の内に両方はぶつかり合い、鉛弾は消え失せた。勝った女の弾が孫市の脇を通って後方の木をへし折る。バキバキ、と大きな音が森に響き渡った。赤兎馬は恐怖で逃走。
「こりゃいかんわ」
情けない声をこぼし、役に立たなくなった鉄砲をぽんと捨てると孫市は女の方に向かって歩いていく。向こうは孫市が近づいてくることに気付いたみたいだ。
普段は女に手をかけない孫市であったが今夜は少し違っていた。曹操の件を聴いてから今までの間、孫市はずっと血が高ぶっていたのだ。いつもよりとても好戦的になっていた。
「わしは雑賀孫市、お前は?」
「楽進だ。観念しろ賊め」
楽進はまだ少女の面影があった。孫市、希有な物を見る表情で楽進に近寄って行く。まるで警戒していない、もう腕を伸ばせば届いてしまう距離まで来ていた。
「ほほう・・・」
唾をのんだ。見れば見るほど楽進の身体は眼を覆いたくなる。孫市、未だに信じられないでいた。
(奇妙じゃな)
恐らく、この傷は何かを守るために付いたと孫市は考えた。守るものがなければここまでの傷は負うはずがない。
(なんだ。良いおなごではないか)
孫市、好色漢の顔になった。楽進の背中にぞくぞくと悪寒が走る。
楽進は、今すぐにこのニタニタとした顔を殴りたかったが動けずにいた。構えも何もしていない孫市であったが隙をまるで無かった。どこをどう攻撃しても捌かれる映像しか見えてこない。
(来ないのならこっちから行くか)
今夜の孫市は自分でもおかしいと思うほど好戦的であった。いや、この国来てから何もかもが初めからおかしかった。身体は若返るは、君主が女だったりと何もかもがおかしい。そっと手を楽進の方に伸ばした。
「ッ!?」
楽進の腕が孫市の顔面目掛けて飛んだ。腕と腕が交差する瞬間、孫市は彼女の肘を鷲掴みにするとそのままぶっきら棒に放り投げた。
楽進の攻撃が打撃とすれば孫市は投げや組みを駆使した柔の技である。これは戦場で鍛え上げられた徒手空拳の戦い方だ。いくさ場で鎧を着けた相手に殴りや蹴りが有効だろうか、孫市は殴りや蹴りよりも投げが組討を重視していた。
「ほれっ」
なんとも軽く人を放り投げる。そこには言い言えぬ武骨な美しさがあった。
楽進は驚いたが慣れた風に受け身をとり、孫市から距離をとった。楽進にしてみれば何とも戦いにくい相手である。殴れば腕を掴まれて投げられ、蹴ろうとすれば組まれて押し倒されるのが予想できる。
「どうした、あれは撃たんのか?」
孫市、笑っている。女と組めるのが楽しいように見えた。武器を持っていない楽進は孫市にしてみれば所詮は女だ。まちがっても死にはしないだろう。
「はあぁぁぁぁ!!」
楽進の突き出す拳は淡く光っていた。おそらく飛ばす弾と同じような原理なのだろう、それでいてとても鋭い突きであるが孫市はいとも簡単に捌く。右手を内側に回し、拳を受け流し隙が生じた足下を軽く払った。楽進はバランスを崩してこけそうになるが堪え、払われた方の足で蹴り上げる。それを孫市は手を添えるようにして受け止めた。
(まるで猪だな)
いつかの翠、馬超のように楽進の攻撃は真っ直ぐであった。しかし孫市の言う猪という例えは間違っているといえよう、楽進は真面目すぎるのだ。彼女は型にはまっている。多彩な技を仕掛けるが、それ故に孫市にはどれも予測できて、かわせてしまうのだ。孫市自体、常人の枠から外れているような男だ。そんな男に徒手空拳で勝つのはまず不可能だろう。
しかし、楽進にはこれがあった。己を気を集めて撃ち放つ、気弾が。楽進は右手に気を集めた。が、楽進は孫市の手の届く範囲に立っているのである、気が溜まるよりも速く、孫市の長い腕が蛇のように楽進の右手に絡みついた。
「その術は鉄砲と同じく接近戦にはむかんようじゃな」
「くっ!」
楽進、逆の手で孫市の掴んできた手首を掴み返した。そのまま力一杯に捻って逃れようとしたが、孫市も逆の手で楽進のその手を握るとそのまま頭上まで持ち上げてしまった。
「やはりおなごは軽いのう」
「離せ!」
「よかろう」
言われたとおりに孫市は楽進を前方の茂みに放り投げた。これはできるだけ怪我をしないように配慮したものである、バキバキと茂みを押しつぶし、楽進は茂みに埋もれたがすぐさま立ち上がり追撃に備えたが、あくまでも孫市は楽進を倒そうとは思ってはいない。楽進が身構えたものの、孫市は元の位置から一歩を動いておらず額をぽりぽりと掻いていた。
楽進はそれに対して舐められているようにしか思えなかった。まるで本気を出している雰囲気ではない。
自分を相手に手加減をした者など見たことがなかった。楽進は味わったことのない憤怒が湧き上がって来た。武人に対して手加減は最低の侮辱である、楽進の手中に今まで以上の力が集まり始めた。
孫市、その様子を見て申し訳なさそうになっていた。
(すまぬな、わしはわしのやり方しか知らぬ)
自分が女に対して本気で腕を振るうことなど知らず、女に対して戦いで勝つことなど諦めている。それが孫市の信条である、だが自分の信条がこの国で酷く邪魔なのは百も承知であった。
(わしはおなごに殺されるだろう)
そう思う。思わざるをえない、そう信じた。だが、それはそれでいいのではないのか。最近、孫市は、女が自分を殺すところを想像することがあった。その時、感じたことない良い気分がするのである。なぜかそんな気がするのである。まったくおかしな話だ。孫市は、自分でそう思って笑った。
楽進の怒りはちらりと見ただけでわかった。怒っている顔は傷面も相まって何とも恐ろしげである。
(あれは不味いな)
楽進の気の光が先ほどの物よりも強力である。あれを食らえばひとたまりもないだろう。離れた距離を縮めるために孫市は駆けた。
「もう遅い! てやぁぁぁぁぁ!!」
手遅れだった。深い闇に包まれていた森が爛々と輝いた。すっかり闇になれた眼を覆いたくなるほどの燦爛さ、怯みながらも孫市は跳んだ。楽進の憤怒の塊は孫市の足下を通り、木々をなぎ倒しながら見えなくなった。
呆然とするとはまさにこのこと、孫市は背後にぽっかりと拓けた地を見て硬直した。危うく死ぬところであった。
孫市の、隙だらけの背、後頭部に楽進の鋭い跳び蹴りが炸裂する。一瞬、眼の前が歪んだが無理矢理にも持ち堪えた。孫市、飛び跳ねて後ろを振り返った。すかさず楽進の連撃が飛んで来る。胸元から鉄扇を引っ張り出すと孫市はその攻撃を打ち落としていく、それでも楽進は怯まず孫市の命を取ろうと拳を突き上げた。
「読めるぞ、読めるぞ」
楽進の拳を見切り、顎を軽く反らすだけ、それだけで孫市は彼女の拳をかわした。楽進の拳はそのまま上に突き抜ける、勢いよく突き抜けた拳を戻すことは瞬時には出来ない。孫市の腕が自分の足に伸びでいることを認識しながら楽進は歯を食いしばった。
急に天地がひっくり返った。突然のことで楽進は甲高い声を出して驚き、どうやら孫市が自分の足を掴んで引っ張り上げたのだと分かった。孫市の顔を見上げると笑っていた。
「かわいい声を上げるではないか、どうじゃこれで手打ちにせぬか? わしは賊ではないし、怪しい者ではない。どうか怒りを鎮めてくれぬかのう」
楽進は茫然自失、今まで自分が鍛えてきた事はなんであったのか。過去を思い返しながら気鬱になった。強い沈痛の表情で孫市を見詰めた。傷だらけになりながらも会得した技が、本気を出していない賊に通用しなかった。心が折れかけた。
「のう、わしに教えてくれぬかあのどーんと飛び出す弾」
「・・・へ?」
天地が元に戻った。優しい手際である、手を滑らさないように注意を払っていた。
「こうか、こうか」
孫市は楽進を真似ているのか、自分の腰の横に両手を持ち、手首を合わせると犬のように唸り始めた。
気を溜めているのだろうか、楽進はその様子を見て思った。まるでなっていない。
「ふぅ〜〜〜・・・」
少し間を置いて孫市は吠えた。
「はあぁぁぁぁ!」
それと同時に手を突き出した。
何も起らない。先ほどまでの戦いが嘘のように静かである、楽進は呆気にとられた。
「できぬな。どういう種じゃあれは? 何の術じゃ?」
「あれは術ではありません、私の気です。長い修行の末に会得した・・・」
「・・・落ち込んでおるのかお主?」
楽進は無意識の内に両手に拳を作り、身体が小刻みに震えていた。噛みしめて顔も俯いている。
「ふむ。わが頭を見てみろ」
孫市は楽進に後頭部を見せた。髷を上げると頭皮が真赤に腫れ上がっている、それをさすりながら、くるりと振り返って楽進を見た。
「わしの石頭にこぶを作らせるとは、お主の技は鎧さえ打ち砕くであろうな」
「・・・」
楽進、何も言えない。何を言えばいいのか分からない。先ほどまで敵対していたと思ったら急に相手が友好的な表情をしてきた。いや、思い返すと最初からしていた気がする。もしかして本当に賊ではないのかもしれない。
自分だけに非があるとすればどうしようと考えながら、楽進はそれとなく訊いてみた。
「じゃからわしは賊ではないて最初から言っていただろう、聞こえていなかったのならわしのせいだ。堪忍せよ楽進とやら」
「で、では貴方は?」
「わしは雑賀孫市。今は陳留刺史曹孟徳の命により、この地にて賊の真似事をしておった。・・・いやわしは賊じゃ、賊じゃった。賊だから退治されても仕方がない、うむ」
「曹孟徳・・・」
楽進も曹操の名は知っていた。とても有能な者で善策に取り込んでいることは有名である。この近辺で知らない者はいないほどだ。
「いやいや曹操など知らん。わしはただの賊よ、ほれほれ悪い面じゃろ」
そう言いながら孫市は面を釣り上げ、髷を結っている紐を解いてぼさぼさ頭を揺らした。悪人面と言うよりも人を笑わそうとしている変顔である。楽進は堪えながら膝を付いた。
「す、すみませんでした。そうと知らずに賊と決め付けて襲い掛かってしまい。非は自分にあります、どんな罰でも受けます」
「分からん奴じゃなぁ。ただの賊だと言うておろうに、しかしそこまで言うのならわしの言う事を一つ聴いてもらおうかのう」
しゃくした顎を擦りながら孫市は楽進の身体を舐め回すように見た。楽進、もう何でも黙って聴くつもりである。
「腹が空いているだろ、わしと飯でもどうじゃ?」
この男の言うことが何でも以外だった。変なことでもされるかと思っていたが、一緒に飯を食べろと言う。
そういえば今夜は綺麗な満月である、もうかなり傾いていた。気も体力も消耗した楽進の腹が鳴った。くるるるる、と可愛い音である。孫市は、ニコニコと微笑んだ。
「お言葉に甘えて・・・」
顔を赤らめて楽進は小さく呟いた。
孫市を見上げると、先ほどまでニコニコと微笑んでいた孫市の顔が楽進の方を睨んでいた。その顔のまま膝を曲げると楽進と目が合った。何とも力の籠った眼である、楽進は後ろに倒れそうになった。それほどの迫力がにじみ出ていた。しかし、どうやらその視線は楽進の後ろに注がれている。なぜだろう、楽進は疑問に思い、立ち上がろうとすると、
「動くな」
冷たい一言を孫市が吐いた。
「そのまま、動くな」
そっと孫市の右手が上がった。楽進の顔の方に近づいていく、ゆっくりとゆっくりとだがその手には確実に相手を握りつぶす気がある。
(殺られる)
孫市の腕が素早く伸びた。瞼が潰れるそうなほど力強く目を瞑った。が、孫市の腕は楽進の顔の傍を通り過ぎていた。自分の背後で何かがにょろにょろと動いた気配がした。
「今日の朝食じゃ」
孫市の握られた手の中にはにょろにょろと暴れる蛇が握られていた。楽進は、卒倒した。
朝、雲でさえ目をつぶりたくなるほどの眩しさであった。孫市は山から地上を見渡していた。
「やーやー。見えるぞ、見えるぞ」
眼下に見える軍勢、それは曹操軍であろう。およそ千人。一人一人精強なのが容易に想像できた。孫市は、猿のように木にぶら下がりながら小躍りする勢いである。その根元には楽進と騒ぎが終わった途端に帰って来た赤兎馬。逃げた男たちの気配も感じなかった。
孫市、脚で幹を挟みながら手で踊りだした。するっ、と幹から脚が滑り、頭から落ちた。赤兎馬の背を間に勢いを落とし、孫市、背をさすりながら起き上った。
「曹操は千人、賊は三千ほどだが策を使えば勝てるじゃろう」
赤兎馬の不満の意を無視して思慮深い面影をつくる。
この辺りの賊はおよそ三千人おり、土地勘の無い者には見つけることすら難しい場所に建てられた砦を根城にしている。岩山の間を進んだ先の裏にある、おそらく何年も前に捨てられた古砦だ。攻め手側の方が数が少ないとなると勝つのはまず不可能である。自分ならばどう落とすか、噛み付こうとする赤兎馬を足の裏で抑えながら考えていると、
「曹操様の軍勢は山を越えずに街道を通る進路ですね」
その隣に佇んでいる楽進が気付いたことを言った。千人で山を越えるより、街道を伝っていく方がよっぽど速いだろう。
孫市は、
「そうだな」
と言いながら、楽進との戦いで使用した鉄砲の汚れを磨きながら大あぐらをかき始めた。曹操に協力して戦うのだろうか、楽進は手伝う気でいる。まだ孫市との戦いで身体が滾っているので準備運動は必要ないだろう。
「孫市様。それは・・・」
それとは、鉄砲のことである。
「これはのう鉄砲といってな、お主の出す気の弾を鉄に変えたような物じゃ」
いや、全くと言っていいほど違う物である。
「からくり、のような物ですか?」
「そうよ、構造は単純じゃ。火薬を用いて弾を飛ばすのよ」
「火薬で物が飛ぶのですか?」
「ああ、飛ぶのよ」
鉄砲のことを楽進に話しても疑問がどんどん湧いて出てくるだけであろう。せめて火薬の効能を知っておかねば理解は難しいだろう。この国でこれを生産するのはまず不可能なはず、と孫市は考えている。この国の技術力では無理と断言できる、ネジを作れる者が何人いるだろうか。この国で得れるとすれば弾と火薬ぐらいか、黒色火薬の作り方なら孫市は熟知している。弾は鍛冶屋に頼めば大丈夫だろう。
楽進が唸っていると何か思いついたのか孫市の言った。
「私の知り合いにからくりに強い者がおります。彼女ならその鉄砲とやらも作れるかもしれません」
元から鉄砲を生産するつもりなどない孫市は興味薄くに呟くように訊いた。
「・・・そいつはおなごか?」
「はい、まぁ。女では駄目でしょうか?」
「いやいや、名は何というよ」
「李典です」
「李典と・・・」
孫市は、頭の中でメモをしているように顔を軽く揺らした。そして変わらぬ表情で言った。
「胸はでかいか?」
「はぁ・・・?」
「そやつ、胸はでかいのか?」
「何か関係あるのですか?」
「ああ、大ありよ。職人という者は身体が大きくなくてはな、鉄など打てぬよ」
腕を組んで唸る孫市であるが楽進は合点などいかない。しかし、嘘は付けない楽進である。真面目に答えた。
「すごく大きいです」
「どれほどよ、お主の手で教えよ」
「こ、こう」
楽進は自分の胸の前でその李典という女性の胸の大きさを作った。楽進の見た目、三倍以上はあろう。楽進は作ってから恥かしくなり、真赤に照れ上がった。自分で何をやっているのだろうと冷静になって考えると馬鹿らしくなってさらに照れた。
「他に何か特徴はあるか?」
鼻の下でも伸ばすかと思ったが笑いさえすれど好色の笑みではない。だが、真面目という訳でもなく、ただ好きな事を探究する学者のように好奇心を含む顔付きをしている。
「え、えーと。上着が虎柄の下着です」
「虎柄の下着!?」
「はい」
「肉付きがよい上に着物が下着だけと、しかも虎柄。よほどかぶたおのごのようだな」
笑った。良い笑いである。孫市という男を体現するような好色の笑いだ。楽進はこの男の手伝いをして本当に良かったのだろうかと考えたが、彼方へと葬った。
その李典と申す女は楽進の友人で、故郷の村の幼馴染だそうである。もう一人、共通の友人の于禁という者もいるようだが、身体的特徴以外の事は深く孫市は訊かなかった。遠くに見える曹操軍を眼で追う。
「合流しなくてもよいのですか?」
「わしは賊じゃぞ。今から賊の砦に行こうかよ」
勿論、冗談である。
「さすが孫市様。曹操様の命令ならばどこまででも従う、勉強になります」
「・・・」
このは楽進。孫市にしてみれば何とも真面目すぎる女である、孫市の冗談がどこまでが本当か嘘かも考えない。
しかし、女というのは真面目すぎて駄目というものではない。真面目すぎるのが女の特徴であろう。孫市は、楽進はこのままの方が良いだろうと笑い、跳ねるように立ち上がった。
「よし、行くぞ」
「はい、賊たちの砦にですね」
二人と一匹はその場を後にして立ち去った。向かうは賊の根城となっている砦である、そこには三千という数の非道の者たちがいる。
孫市を先頭に山を下る。後ろからは赤兎馬を引っ張る楽進が続く形になっている。楽進は孫市が砦の中に侵入して混乱を起こす気なのだろうと勝手に考えているが、孫市にしてみれば何もする気はない。どちらに付いて戦う気など毛頭無かったのである。彼にしてみれば戦場を良く見渡せる特等席に行こうかという、そんな心意気である。
「申せば楽進。お主はこの辺り出身じゃったな」
「はい。もう少し先の村ですが」
蛇を食べた時に孫市は楽進について軽く訪ねていた。彼女は武者修行から帰ってきたところを偶々、孫市と遭遇したのだ。武者修行を終えて意気揚々と帰ってきた矢先、孫市に完敗した。楽進にしてみれば伸びた鼻をへし折ってくれてありがたいと逆に思っていた。孫市と腕を交えて自分の弱点が分かった、これを克服すれば自分は更なる武の頂に登れることだろう。
「久しぶりに会うダチというのはよいぞ、楽進」
「孫市様は友人が多そうですね」
「いやいや、言われるほどではない。ダチというのは多ければよいというものではないからな」
孫市は日ノ本に居た時のことを懐かしそうに思い出しながら語った。雑賀の地に居たのがまるで遠い過去のように思える、そして彼の一番と言える友人の顔が浮かんできた。
(藤吉郎)
孫市と藤吉郎、豊臣秀吉とは若い頃の仲であった。木下藤吉郎時代のころからの仲である、だから孫市は秀吉を、
「藤吉郎」
と深い親しみを込めて呼ぶ。秀吉の方も孫市のことを愛情を込めて呼んでくるのだ。孫市は天下一の色男と自称するほどの男前、対する秀吉は猿や禿げ鼠と呼ばれる容姿の醜い男であった。そんな二人の仲は、はたから見れば何とも不思議なものに違いなかったであろう。
「孫市様?」
楽進が上の空になっている孫市を怪訝に思い、声をかけていた。孫市、気付くのに遅れたが軽く取り繕うと何事も無かったように下山した。
山の麓から砦までなら歩けば昼前には着くだろう、気を付けるのは曹操軍とばったりと会ってしまう事だ。そこだけには気を付けなくては下手をすると首を跳ねられるかもしれない。こそこそと頻りに辺りを見回す孫市を楽進が妙に思いながらその後を付いていくが、彼女の引く赤兎馬が彼女の肌を舐めてきた。馬の舌というのはなめらかで思っているほど固い物ではない、甘く温かい感触である。そんな物が楽進の露わになっている太腿を傷痕に添うように走らせてくる、楽進、狼狽する。だが楽進は強い娘だ。声を出したりしない。もしも、相手が人であったのなら彼女の鉄拳で伸されるところだが相手は動物、眼の前を歩く人の馬なのだ。無礼な事はできない。
「孫市様」
楽進は、むず痒い感じに耐えられなくなり、孫市に助けを求めた。孫市が歩を止めて、いつもの調子でくるりと振り返った。そして眼で訴える。何かを察した孫市が彼女の下でもぞもぞと動いている赤兎馬を見るが止めようとはしない。そして何かが解ったように掌を打った。
「よせよせ赤兎よ、その傷は消えぬ。舐めても治らんのだ」
孫市は赤兎馬と会話をしているようだ。その光景は楽進には異様に思えた。
「馬と話せるのですか?」
「分かるかよ」
孫市は否定して頭を振った。でも楽進には言葉が通じ合っているようにしか思えない、赤兎馬も孫市にそう言われてから舐めるのを止めている。そして楽進に対して申し訳なさそうにうな垂れているのである。これは叱られたから落ち込んでいる雰囲気ではなかった。
孫市がしゃがみ込んで赤兎馬を頭を撫でた。
「この馬はわしに似ておなごが好きなのよ。とくにお前のような若い娘はとくにな」
「そうなんですか・・・」
馬が人間の女が好きとは変としか言えない。楽進はこう言われて何と答えてよいのか分からず、こうとしか言えなかった。
「お主の傷を見ているのが辛かったのじゃろう。この馬は変なところが人間臭いのよ。お主の傷を消そうと舐めてしまっただろう」
そう言われ、楽進はありがたいのか迷惑なのか判断が着かなかった。
「気にするでない楽進。お主はおなごである前に武人なのじゃろう、誇りに思え」
「そう言われるとなんだか嬉しいです」
と、楽進はにこりと笑った。
楽進は堅物に見えて、一見そんなことは気にしていないように見えるが全身の傷のことをとても気にしていた。それも恥ずかしくて誰にも相談できないほど女の子女の子している。孫市の嘘偽りのない言葉が単純に嬉しかった。
それを見て孫市がニコニコしている。好色の笑みである。
「それにおなごの身体だけを見るやつはあほうよ。わしはおなごの心も愛す。身も心も同時に愛し、溶けさせる。それが孫市の女子道よ」
孫市は胸元から例の鉄扇を取り出し、頭の後ろで大きく広げた。その姿は何とも小気味よい様であった。
「お前の心はとても美しく、綺麗じゃ。さすがに見た時は驚いたが見れば見るほど愛い面に見えて仕方がなかったぞ」
鉄扇を襟元に挟んで立たせ、孫市は躍った。何とも気持ちよく踊っている。
孫市の女子道は茶道よく似ている。
茶道とは茶を愛し、それを淹れる茶器も愛す。茶人とは茶を啜りつつ、全身全霊で茶器を愛撫するものである。孫市は、男というものはおなごの眼も耳も、指も肌も、胃も腸も、血脈も腱も、心もそれに肌に残った傷痕も全て愛撫してやってこそ真の男だと考えている。女の秘所しか愛撫しないのは孫市してみれば邪道なのだ。茶碗の中の茶を飲むだけと同じなのだ。女の身体も心も全身全霊で愛撫し、愛撫する己も愛撫される女もほたほた、ほたほたと共に宇宙に溶けていく。それが境地である。
孫市にしてみれば楽進の傷など関係なかった。ただ愛撫する箇所が増えただけなのである。
二人と一匹は賊の砦に着いた。
「新入り!」
賊たちは彼らを快く歓迎した。普段は愉快な者たちなのである。孫市と楽進は砦の奥へ奥へと進んでいった。砦の中は酷いものである。雨風を凌げる場所は少なく、頭か幹部位でなければ唯一の屋内には入れない。他の者たちは布を張ってその下で寝そべるしかないのだ。砦の壁は一部が崩壊しており、攻めれば簡単に落ちそうである。しかし三千人もいるのだ。曹操の千で砦に直接攻撃をしかけてくるとは孫市は思わなかった。
「孫市様。戦うんですか?」
楽進は手甲をはめて拳を撫でている。彼女はやる気満々だ。妙に機嫌が良さそうに見える。
「いややらぬ」
と、孫市は言って寝転がった。
「眠いゆえ、寝る」
そう言って孫市は寝てしまった。昨日から寝ていなかったのだ。
孫市が起こされたのは昼を過ぎたころ、楽進が彼の大きな肩を揺すって起こした。孫市は容易に起きて、何も言わずに防壁の方へと向かっていった。何が起きているのか分かっているようだ。砦内で賊たちが騒いでいる。曹操軍が来たのである。全員、それぞれの武器を持ち、正門の方へと駆けている。孫市は、ゆったりと手踊りしながら亀のように遅い。
すると、ジャーンジャーンと外の方で銅鑼が鳴った。曹操軍が鳴らしたのだろう、それと同時に賊三千人が躍り出た。出撃の合図と勘違いしたのだろう。孫市たちはその後ろを通り抜け、防壁の上へと登った。ここからならば戦場全体が見渡せる。
(され、曹操は)
と、孫市が陣を敷いているであろう方を見るとおよそ三百人ほどしかいなかった。そこに向かって三千の賊が突撃をしている。
「何かの策でしょうか?」
隣の楽進が少し不安気に訊いてきた。孫市は軽く相槌を打った。
その三百人に曹の一字が書かれた牙門旗が堂々と立っている。狙って下さいとと言わんばかりに立っている。恐らく牙門旗の下には大将の曹操がいるのだろう。孫市は、なんて大胆不敵な娘だと思った。大将自ら囮になるとは面妖な策である。そんな策にも関わらず、賊たちは我先に突撃していく。孫市はもうどちらが勝つか予想できた。
「あの兵は囮。本命は恐らく、あの崖の上よ。わしならあそこに鉄砲を置く」
曹操のいる後ろの後方には両方を緩い崖に挟まれた場所があった。
「ん? あれは許緒ではないか」
孫市の眼には確かに見えていた。その一団の中に小さな少女、許緒が大きな鉄球を持って曹操の傍に立っているのを。驚くよりも、喜んだ。許緒は簡単に申せば公務員嫌いであった。そんな許緒が陳留刺史である曹操の傍に居るという事は何かしらあったのだろう。とても良い顔付きをしていた。眼の前から進んで来る三千の賊に恐れている様子な無かった。
「許緒はよい居場所を見つけたようじゃな」
事は動いた。孫市の思った通りに、曹操率いる囮部隊は戦いつつも上手く後退していく。押されている演技が何とも上手い、数の有利も相まって賊たちは誘われているなど微塵も思っていなかった。曹操が後方の崖を少し通り過ぎると、崖の上から矢と馬が続いて襲い掛かった。見事にはめた。
孫市は膝を打って大笑いした。これほど上手く釣りあげた戦いなど見たことがなかった。賊が面白いように混乱して次々に倒されていく。先ほどまでの戦いは何だったのだろう、あっという間に決着がついた。曹操の圧勝である。
「楽進よ。曹操という娘、やはり仕える価値はあると思うか?」
楽進、曹操の戦いぶりに感激しているようだ。少し興奮気味に答えた。
「はい。私もいつか曹操様のような方に仕えてみたいです」
「そうか。わしもいいと思うぞ」
孫市は曹操が英傑であると認めてた。自分ならば曹操の下にいても力を持て余さないであろう。
「孫市様はこの後どうするのですか?」
「はて、どうしようか。楽進はどうじゃ」
「私は村に戻って、義勇軍を作ろうと思っています」
「ほう義勇軍と、そんなもの作ってどうするのじゃ。たれぞと戦うのか?」
「黄巾党をご存知でしょうか?」
「黄巾党? いや、聞いたことがないな」
「黄巾党は以前より騒ぎを起こしていた者たちでして、恐らくですが。そろそろ朝廷より討伐の命が出ると噂されています。私はその討伐に義勇軍を率いて参加しようと思っています」
「なかなか」
孫市は、楽進の行動力を評価した。孫市はそもそも義勇軍という言葉に聞き慣れていない、無償で戦いに参加するなど孫市にとっては考えられないものであった。
「今や黄巾党の軍勢は二十万と言われています。それを率いるのは張角という人物です」
孫市、耳を疑った。張角とはまさかあの張角だろうか。そんな馬鹿なことがあるか、あんな娘がそんな大軍を率いる訳がない。名前が被っただけだろう。
「どうかしましたか?」
孫市の顔が別人のように思慮深げなった。がらりと変わった顔付きに楽進は驚いたであろう。
「その黄巾党とやらはどこにいる」
「あ、冀州だそうです」
「そうか」
孫市の足が動いていた。階段を滑るように下り、下で待っていた赤兎馬がその背中を追う。自分の主人が遠い所に行こうとしているのに気付いていた。
「孫市様。どこへ」
楽進が壁の上から孫市に声を張り上げて訊ねた。孫市、後ろ手に手を振りながら裏門の方に向かい、
「ちょっと冀州へ」
と、言って歩いていった。
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天下一の色男にて戦国最大の鉄砲集団、紀州雑賀衆を率いる雑賀孫市は無類の女好きにして鉄砲の達人。彼は八咫烏の神孫と称して戦国の世を駆け抜けた末に鉄砲を置いたが、由緒正しき勝利の神を欲する世界が彼に第二の人生を歩ませた。 作者自身、自分の作品を良くしたいと思っておりますので厳しい感想お待ちしております。 Arcadia、小説家になろうでも投稿しています。 |
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