WakeUp,Girls!〜ラフカットジュエル〜21 |
ステージ上ではリーダーの七瀬佳乃がマイクを握ってメンバー紹介などをしていた。佳乃の横に立っていた真夢は自分が紹介されると深々とお辞儀をしてから客席に手を振って歓声に応えたが、その時彼女はチラリと客席を見やった。その視線の先は真夢が母である真理に渡した席だ。だが、今もそこは空席のままだった。
(やっぱり来てくれないのかな……)
ほんの一瞬だけ彼女はそう思ったが、佳乃の話が終わり、メンバーがそれぞれのポジションに就き『極上スマイル』が流れ始めると、もうそのことはすっかり頭の中から消えていた。今はこのステージを成功させることが総て。みんなのために、自分のために、決勝に進むために全力を尽くすこと以外何も考えない。彼女の頭の中から、もう母親のことは消え去っていた。
ステージに立って客席を見た瞬間、林田藍里は自分の膝が僅かに震えるのを感じた。MACANAで何度もライブを重ね、もうステージに立つことにはすっかり慣れたと思っていたけれど、この仙台I−1シアターの客席数はMACANAとは桁が一つ違う。しかも今日は満席だ。その迫力たるや今までのライブとは全然別物だと思わされるものだった。
(まずいなー、どうしよう……また緊張してきちゃった)
控え室でみんなと話していて、もうすっかり緊張は解けていた。舞台袖で円陣を組んだ時も、もう頭の中には頑張ろうという想い以外はなかった。大丈夫だと思っていたのに、それなのにいざステージに立って客席を見た瞬間にアガってしまうなんて……。
(どうしよう……絶対失敗できないのに……)
自分の心臓の鼓動がハッキリとわかる。唇も喉も乾いているのがわかる。膝がまだ震えている。明らかに焦って緊張している。それがハッキリ自分でもわかっているのにどうしたらいいかがわからない。彼女の焦りをよそに時間は容赦なく過ぎていく。
佳乃の話が終わってメンバーがそれぞれ自分のポジションに就いた。その時藍里の耳に「あいちゃん、いつも通りでいいんだよ」という声が聞こえた。声の主は久海菜々美だった。菜々美はステージに上がってからの藍里の変化に気がついていた。そして声をかけた。
菜々美がかけたのはたった一言だが、そのたった一言の威力は絶大だった。藍里は両目を閉じてから大きく一つ深呼吸をした。菜々美の一言が平静を取り戻すきっかけとなった。
(そうだよね。いつも通りでいいんだよね。私だって以前とは違うはずなんだから。あれからいっぱいレッスンしたじゃない。ななみんにも、まゆしぃにも、みんなにもいっぱい教えてもらったじゃない。ライブでだって失敗しなくなったじゃない。大丈夫、私だって前より出来るコになってるはずなんだ。いつも通り、いつも通りでいこう……)
目を開けた。膝の震えが止まった。心臓の鼓動も治まった気がした。もう大丈夫、そう思った。曲が始まった瞬間、もう自然に身体が動いていた。その動きは他のメンバーとピッタリ合っていた。
岡本未夕は藍里とは正反対で全く緊張していなかった。むしろ今こうして仙台I−1シアターのステージに立っていることが嬉しくて仕方が無かった。
アイドル大好きの未夕にとってI−1クラブは憧れの対象であり、仙台I−1シアターは憧れの場所の一つだ。そこに自分が立っているのだから嬉しくないはずがない。楽しまなくちゃ勿体無い、そう思っていた。最初から緊張などするはずもなかった。
彼女は小さい頃からアイドルに憧れていた。チャンスがあれば自分もアイドルに……そう思いながらもそのチャンスに巡り合うことは出来ず、巡って来た数少ないチャンスも掴み損ねてきた。それでも夢を諦めきることはできず、メイド喫茶でお客さん相手のステージを勤めてアイドル気分を味わいながらチャンスを虎視眈々と狙っていた。
松田がスカウトに訪れ、その後オーディションに合格した時はやっとチャンスを掴めたと思った。少しだけホッともした。地元仙台の地方アイドルだが、そんなことは全然気にしなかった。彼女にしてみればアイドルであることには違いないのだ。
デビューが決まり、CDが出来上がり、とにかく何をするのも楽しくて仕方が無かった。自分がアイドルとして活動していることが嬉しくて嬉しくてどうしようもなかった。
だから社長が行方をくらませてデビューが白紙になった時は心の底から悲しくて涙を流さずにはいられなかった。あの時は何度泣いたかわからない。生まれて初めて本当の絶望感というものを味わった気がした。
頭を切り替えなきゃとわかってはいたが、既に一緒に活動し始めていたこともあり、やはりウェイクアップガールズとして今のメンバーたちと活動したいなという想いも生まれていたので、言葉で言うほど簡単に頭を切り替えて次のチャンスを……とはいかなかった。
あれから色々あって、そして今こうしてみんなと一緒に憧れの場所に立っている。今の自分はお客さんの目にはどう見えているだろうか。キラキラして見えるだろうか、可愛く映っているだろうか、魅力的に思えているだろうか。そんなことを考えているうちに『極上スマイル』が流れ始めた。未夕の楽しい楽しい夢の時間が始まった。
久海菜々美は、もう後悔などしていなかった。確かに光塚を一旦諦めてウェイクアップガールズに専念すると決めた当初は、後悔とまではいかないが複雑な想いも心の奥底にあった。真夢への下克上発言などは自分を追い込むためにわざと言った部分もある。幼い頃からその夢に向けて努力を重ねてきたのだから、やはり簡単に諦められるわけはない。だからその時は本当に一時想いを封印するだけで、いつかまた……という気持ちも少しあった。
それでもアイドルの祭典のためにレッスンを重ねていくうちに、その間藍里に手取り足取り教えながら特訓を重ねていくうちに、そんな毎日がどんどん楽しく思えてきたことに気がついた。今までのウェイクアップガールズとしての活動も楽しかったが、それとはまた別の楽しさなのだ。
藍里は早坂の厳しいレッスンにも菜々美の特訓にも歯を食いしばりながら耐え、その甲斐あってメキメキと上達しつつあった。確かに元々のレベルが低いからこれでようやく人並みとも言えたが、それでももうステージに立って恥ずかしいパフォーマンスを見せないレベルには充分達していた。菜々美自身も何とか藍里をレベルアップさせようと苦労してきただけに、その上達ぶりは自分のことのように嬉しかった。
その藍里が、ステージに立った途端に何やら緊張した面持ちになっていた。ほんのさっきまでは落ち着いていたのに、そう見えたのに、何があったのかわからないが今見るとその顔は明らかに過度に緊張している人間のそれだった。菜々美は思わず小声で「あいちゃん、いつも通りでいいんだよ」と声をかけていた。
藍里は気づいてくれたようで、彼女が大きく深呼吸している光景が菜々美の目に映った。
(私が他の人の心配をするなんてね)
菜々美は自分で自分のことが少し可笑しくなって危うく笑い出しそうになった。ウェイクアップガールズに加入する前は、誰かと一緒にとか誰かのためになどということはあまり考えたことがなかった。とにかく自分をレベルアップさせること、それが総てであって自分以外の人間がどうだろうと正直さほど気には留めてこなかった。それが今は藍里のレッスンに付き合い特訓を課し、その成果が出ていることを自分の事のように喜んでいる。
(そういえば私も、デビューライブの時は緊張でガチガチになってて、かやたんにからかわれたっけ)
菜々美は自分でも、私は変わったなぁと実感していた。アイドルとは誰かのために何かをする人だと、どこかで誰かが言っていた気がする。自分のステージでお客さんに勇気や元気を与える存在だと聞いた気がする。でもそれだけじゃない。きっとその逆もあるよね。そう思った。
(もしかしたら、私もアイドルとして成長できてるのかな?)
こうして誰かを励まし誰かに励まされ、誰かに勇気と元気を与え誰かに勇気と元気を与えられ、そうやってアイドルって成長していくのかな、自分1人でいくら頑張ってもダメなのかな、そう思った。それに気がついたのは、紛れも無く菜々美がアイドルとしても1人の人間としても女性としても成長した証拠だ。
そして菜々美は自分の中で考えの基準が、アイドルとして、になっていることに気がついていなかった。光塚に入るためとか、光塚の団員として、ではなくアイドルとしてというのが彼女の考えの基準になっている。自分で思っているほどには光塚にもう未練の無い菜々美だった。
(アタシがこんな大きなステージに立つなんてねぇ……)
菊間夏夜はステージ上で客席を見つめながら、少々感慨深い気持ちになっていた。
合宿の夜に真夢に話した通り、なんとなくオーディションを受けて合格して、なんとなくアイドルを始めて、イヤになったら辞めちゃえばいいやぐらいに軽く考えていたのにいつの間にか熱が入ってしまって、もともと姉御肌な性格であることもあってユニット内では副リーダーのようなポジションになって、周りのことを見ながら自分のことを考えながらリーダーを助けながら、そうやって毎日を過ごしているうちにいつしかウェイクアップガールズというユニットは、夏夜にとってかけがえのない存在となっていた。あの日以降辛いことや苦しいことから逃げてばかりいたけれど、それももう総ては過去のこと、そんな気がした。
(やればやれほど面白くなっていくんだよね。最初はこんな大ごとになるとは思ってなかったんだけどな)
アイドルとして活動を始めたとはいえ、正直言って売れっ子になるなんて考えてはいなかった。彼女は何かキッカケが、自分を変えるキッカケが欲しかっただけで、アイドルとしてビッグになろうなんて考えて始めたわけではなかった。それが今ではこの仕事に夢中になってしまっている。
アルバイトを転々としていた頃には無かった毎日の充実感。自分たちに向けられるお客さんの笑顔と歓声。7人で同じ目標を目指して進んでいく楽しさ。そのどれもが手放すことの出来ない大切なものとなっていた。アイドルの楽しさを知ってしまった今、もう辞めるつもりなどサラサラ無い。それどころか、もっともっとという上昇志向まで生まれている。
(ここまで来たら、アタシたちがどこまで行けるのか試してみたいよね)
後はこのステージに自分の力の総てをぶつけるだけ。夏夜の頭の中にも、もうそれ以外のことは何もなかった。こうなったら行ける所まで行ってやれ、そんな気持ちだった。
片山実波はシンプルに毎日を楽しんでいた。もともと物事をあまり深く考えない彼女がアイドルになった動機は、美味しいものを食べたいということ、そしてもっと大きな動機は民謡クラブの老人たちに喜んでもらいたいというものだ。
情報テレビのバラエティ番組でグルメコーナーを担当させてもらっているおかげで、美味しいものは仕事で色々と食べることができている。その食べっぷりが評判になっていることもあって、最初は仙台市内のグルメレポートだったものが今は宮城県内にまで広がり、更に隣接県にまで足を伸ばす話が出てきている。そうなれば実波にとってますます美味しいものに出会うチャンスが広がるというものだ。
民謡クラブの老人たちの方も、みんな実波の活躍を喜んでくれているし楽しみにしてくれている。もともと民謡クラブに入ったのも、自分が歌うことでみんなが笑顔になって喜んでくれるのが嬉しかったからだし、喉自慢大会に出たりしたのも同じ理由からだ。大会で優勝したりすると本当にみんな心から祝福してくれる。それが彼女には嬉しくて仕方が無かった。
当初は1番仲の良い磯川と他数人で密かに活動していた実波の民謡クラブ内の私設ファンクラブも、今では全員に知れ渡ってしまって民謡クラブの全員がクラブ員となって実波を応援してくれている。今日も何人かが応援に来てくれていて横断幕を掲げてくれている。
老人たちの掲げる手作りの横断幕はステージ上からもハッキリと見えていたが、実波はその横断幕に気づいた時に内心驚いた。
(磯川のおばあちゃんたち、また新しい横断幕作ってくれたんだ)
彼女が思った通りその日掲げられていた横断幕は、片山実波私設ファンクラブの老人たちが今日のために手作りで、しかも実波に隠れてコッソリと仕上げた新たな横断幕だ。
みんな高齢なので、手分けしたとはいっても横断幕を作る作業は簡単ではないはずだ。それは実波にも充分わかっている。だからこそ老人たちの応援は、他の何よりも彼女の励みになる。老人たちが自分のためにわざわざ作ってくれたのだ。嬉しくないわけがない。励まされないわけがない。
民謡クラブの老人たちに喜んでもらいたい。それがアイドル片山実波の本当の意味での原点だ。そのために彼女は歌う。老人たちのために踊る。それが恩返しでもあり、彼女自身の幸せでもあるから。
七瀬佳乃にとって匂当台公園でのデビューライブが初めてのMC経験だった。MC、もともとはテレビなどの番組の進行役や司会者を指すが、現在ではそこから転じてコンサートなどで曲の繋ぎに話をすること、あるいはその時間を指す意味の言葉となっている。
ファッションモデルは魅せることが仕事であって話すことが仕事ではない。だから彼女も自分を魅力的に見せるための立ち方や歩き方やポージングの練習をしたことはあるが、トークの練習なんて今までしたことはなかった。あの時はリーダーだからという理由で彼女がMC担当となって歌う前に簡単なおしゃべりをしたわけだが、僅かな時間であったにも関わらず途中で咳き込んだりしてしまって、いま思い出しても恥ずかしくなるような出来だった。
あれから一年近い時が経った。早坂のスパルタ教育のおかげでMACANAで数多くのライブを行い、その都度MCをこなしていったことで彼女の経験値はその方面でも飛躍的に上がっていた。
その日もメンバー紹介やユニット紹介といったところを軽妙にこなし、会場の関心を自分たちに向けられたと手応えを感じられた。テレビのバラエティ番組などでよく言う、ツカミはオッケーというヤツだ。
そうして曲が始まるやいなや、早々に佳乃の気分は最高潮へと登りつめていった。自分でも信じられないくらい思い通りに身体が動く。とにかく動く。神経が頭の先から爪の先まで通っているような、もう何でもできるような、それぐらい思い通りに身体が動いた。
そしてそれはどうやら彼女だけではないようだった。みんなが今までに見た事のないようなキレのある動きを見せていた。ミスをするなんて考えられないほど自信に満ち溢れていた。
最初はあれほど難しく感じた『極上スマイル』の歌と振り付けが、未夕が嫌がらせと評したほどのこの曲が、今はなんて簡単な曲なんだろうと思えた。まるで何年も歌い踊ってきたように、スムーズにこなすことができた。
スポットライトが眩しく熱い。歓声が波のように押し寄せてくる。観客の熱気がヒシヒシと伝わってくる。その熱気に煽られて自分のテンションがどんどん高くなっていくのがわかる。心臓の鼓動は高まり、アドレナリンが全身を駆け巡っているような気がした。今ならどんなに難しい曲でもこなせそうな、そんな気がした。
(ダメだ私……楽し過ぎてどうしようもないよ)
今までのどのステージよりも楽しくて気持ちがよかった。ファッションモデルもたしかに楽しい仕事だったけれど、でもアイドルには敵わない。この快感には敵わない。私はこっちの方が好きだと思った。
もう辞められない。この気持ち良さを知ってしまったら、もう戻ることなんてできない。ずっとみんなとこうしていたい。心からそう思った。
既にステージを終えたユニットの少女たちは、それぞれ控え室や舞台袖などで最後の演者であるウェイクアップガールズを注視していた。中でもこのイベント開催前の時点でランキングトップの『クレッセント・ムーン』と2位の『男鹿なまはげーず』は、とりわけ真剣な眼差しを舞台袖からステージ上へと向けていた。
クレッセント・ムーンはトップを死守した手応えを、男鹿なまはげーずは逆転の手応えをそれぞれ掴んでいる。怖いのは最後にステージに立ったこのウェイクアップガールズだけなのだ。ウェイクアップガールズが自分たちを上回るパフォーマンスを披露しない限り優勝するのは自分たちだ。彼女たちはどちらもそう思っていた。
それぞれ自分たちの力は総て出し切っていた。その点での悔いは全く無い。後は相手次第。相手のステージの出来次第。運を天に任せる、神に祈る、まさにそんな心境だった。
どちらのユニットもウェイクアップガールズのステージを実際に見たことはないが、噂は聞いているしネットの動画でなら見たことがある。しかし所詮ネット動画はネット動画であり、それで実力の総ては測れない。ライブでウェイクアップガールズがどれほどのパフォーマンスを見せるのか。彼女たちが気にならないわけがない。
そうはいっても自分たちには敵わないだろう、そんな妙な自信も彼女たちにはあった。だがその自信はウェイクアップガールズのステージが始まるまでの話だった。
「凄い……」」
誰かがポツリとそう呟いた。
「……これはちょっと敵わないかな……まいったね」
誰かがそう言った。反論する者はいなかった。それほどウェイクアップガールズが見せているパフォーマンスは圧倒的だった。
どちらのユニットも自分たちのステージに悔いはないし最高のものを披露できたと自負している。それでもいま目の前で繰り広げられているものが彼女たちのそれを遥かに上回るものであることも理解していた。拳を握り締める者、唇を噛み締める者、肩を震わせる者。それぞれがそれぞれの反応を見せた。
「悔しいな……」
搾り出すように呟かれたその一言が今の彼女たちの心境を総て表していた。彼女たちも必死の努力を積み重ねてきたのだ。涙を流したことも1度や2度ではない。オーディションに落ちて、チャンスを掴みそこねて、なかなか結果を出せなくて悔しくて悲しくて辛くて、それでも挫けず耐えてきた。逃げ出しそうになったことだってある。辞めようと思ったことだってある。それでもそのたびに歯を食いしばって自分たちの夢のために今日まで頑張ってきたのだ。けれど、それでも敵わない相手がいることを非情にも気づかされた。それが現実だった。
もちろんまだ結果はわからない。彼女たちはこのステージが始まるまではウェイクアップガールズよりも順位は上位であり、その貯金で逃げ切ることが出来るかもしれない。しかしそれは実力が上回っての結果ではない。実力では向こうの方が上、何より彼女たち自身がそう自覚していた。
(まだまだ努力が足りないってことかぁ)
(負けられない。このまま負けたままじゃいられないよ)
(今に見てなさいよ。次に会う時には絶対に実力でも上回ってやるんだから)
たとえこの予選を勝ち抜いたとしても、自分たちよりもウェイクアップガールズの方が実力は上だという事実は変わらない。既に次を見据えている彼女たちは、明日からまた今まで以上にレッスンに精を出すだろう。次の機会があった時には絶対にウェイクアップガールズよりも凄いステージを披露するために。
間奏が終わり曲も終わりに近づいた頃、真夢の視線がコンマ何秒か一瞬客席をハッキリと捉えた。そう、彼女が母に送った席だ。曲が始まる時には空席だったあの席だ。そこに確かに人が座っていた。間違いなく座っていた。
(あれは……お母さん?)
見間違えるはずがない。そこに座っているのは間違いなく真夢の母、真理だった。
(お母さん……来て……くれたんだ……)
泣くつもりなどなかったけれど自分の目に涙が滲んでいるのがわかった。けれどその嬉し涙を止めることはできなかった。彼女が泣いていることは、おそらく観客には全くわからない。彼女はうっすらと涙を浮かべながら、はちきれんばかりの笑顔で歌い踊り続けた。
真夢がステージ上で母を確認した丁度同じ頃、松田と社長も彼女の存在に気づいていた。
先に気がついたのは松田だった。ステージをジッと見つめていた彼は、ふと何の気なしに視線を客席の方に向けた。その客席は真夢が母のためにと確保した席だ。そこはつい先ほどまで確かに空席だった。
真夢から事情を聞いていた松田は、そこが空席であることに密かに心を痛めていた。真夢と母親の確執の件は松田も聞いて知っている。だからこの予選が始まってからもずっと気にして何度もその席に視線を向けてはいた。しかし真夢の母は来なかった。ところが今はその席に誰かが座っている。
「社長! 社長!」
松田は小声で隣りにいる社長に囁いた。
「何よ、うるさいわね」
「真夢が取ってた席に誰か座ってるんですけど、あれ、あの女性、真夢のお母さんですかね?」
松田が指で示す方を社長が見やると、そこには確かに見覚えのある女性が座っていた。社長は真夢がグリーンリーヴスに所属する際、一度母親に会いに出向き挨拶をしていたので面識はあった。もっともその時は酷く事務的な対処をされ、この人は娘のやることに内心は大反対なのだな、と思ったという印象しかなかったが。ちなみに松田は別の日にマネージャーとして挨拶に出向いたが会ってはもらえなかった。
「本当だわ。あの人は真夢のお母さんよ」
「やっぱりそうですか」
「そう……来てもらえたのね……よかったわね、真夢」
先ほどまでステージを凝視していた社長の厳しく険しい表情が、スゥッと優しげなものに変わっていくのが松田にもわかった。松田は、きっと自分も社長と同じような顔をしているのだろうなと思いながら再びステージを見つめた。
総てのステージが終わり審査結果を集計している間、アイドルたちは一度控え室へ戻った。
「終わりましたね……」
未夕が精魂尽き果てたといった表情でそう言った。
「うん。やれることは精一杯やったよ。今までで最高のステージだったと思う」
リーダーの佳乃がキッパリとそう言い切った。
「そうだね。あれ以上のことをやれって言われても、ちょっと無理かも」
菜々美がそう言って佳乃に同意した。彼女も自身の総てを出し切ったという手応えを感じていた。
「私、途中で鳥肌立ってきちゃった」
実波はそう言って衣装の袖をまくって皆に見せた。もちろんもう今は鳥肌など立ってはいない。
「うん、わかるよ。私も途中で感動しちゃって泣きそうになっちゃったもん」
そう言ったのは藍里だった。彼女は興奮冷めやらぬといった表情で顔を上気させていた。
「アタシも、どんな結果が出ても悔いは無いかな。楽しかったし、ダメならダメでまたやり直せばいいかなって」
夏夜があっけらかんとそう言うと、実波が、ダメだよそんなこと言っちゃ、とたしなめるように言った。
「予選通過するのは私たちなんだから、ダメならダメでとか言ったらダメなんだよ?」
別に諦めたという意味で言ったわけではないのだが、そう実波に怒られて夏夜は苦笑いをして首をすくめた。それを見て少女たちの間に笑いが起きた。その後も少女たちははしゃぎ続け笑い続けた。
真夢はたった今終わったステージの感想を話し合うメンバーたちをよそに、一人だけ別のことを考えていた。母が見に来てくれていた、それは彼女にとって長い間重荷となっていたものが外れたことを意味する。真夢はようやくかつての自分を、I−1でセンターを張っていた頃の自分を取り戻すことができたのだ。
「まゆしぃ、どうかした?」
真夢が一人だけ会話に参加しようとしないので、藍里が心配して声をかけた。
「ううん。なんでもないよ。ちょっと興奮したのかな。ボーッとしちゃったみたい」
真夢は笑いながらそう言った。
「そう? それだったらいいけど」
「ねえねえ、まゆしぃも今のステージで興奮しちゃったの? もしかして私みたいに鳥肌立っちゃった?」
実波が無邪気な顔をして2人の会話に割って入ってきた。
「うん。鳥肌立ってたかもしれないね。なんかゾクゾクしちゃったし。今までで1番のステージかもって、そう思ったよ」
「それってI−1の時よりもってこと?」
「うん。そうかもしれない。とにかく、こんなに楽しくて思う通りに身体の動いたステージは初めてな気がするんだ。もっとずっとこうしていたいって思うくらい、それくらい楽しかったの」
「あ、それ私も同じ」
「アタシもそうだったかも」
「実は私も……かな」
「なぁんだ、みんな同じ気持ちだったんだね」
少女たちの間にまた笑いが起きた。その時アナウンスが流れた。
「まもなく審査結果が発表となります。アイドルの皆さんはステージにお集まりください」
一気に全員が現実に引き戻され真顔に戻った。いよいよ運命の時を迎えるのだ。
「勝ちたいね。これだけやれたんだから、次はもっとやれると思うんだ。本選でもっと凄いステージをお客さんに見せたいよ」
「うん。これで終わりにはしたくないよね……」
「もうじき結果が出るんですよね。勝てたでしょうか、私たち?」
「わかんないよ、そんなの。でもなんか今は、力を出し切ったから満足、なんて言いたくない気分だよ。アタシは」
「なんかわかるかも。ここまで来たら先に進みたいよ。負けて満足なんてできない気がする」
「そうだよね……これでもし負けたら悔しくて仕方ないかもね……」
会話はそこで終わり、それからみんな黙り込んでしまった。まもなく総ての結果が出る。その時は刻一刻と迫りつつあった。
「皆様、長らくお待たせいたしました。それでは、アイドルの祭典東北ブロック予選の審査結果を発表します」
司会者のその言葉に、ステージ上へと戻っていた総てのアイドルたちは身震いした。天国か地獄か。彼女たちの運命を決める時がついに訪れた。
「事前に行われた投票、会場での得票、ネットでの得票、それに審査員の採点を加え集計した結果、総合得点トップに輝いたアイドルが東京での本選に出場できます。東北ブロック、決勝進出のアイドルは……」
ドラムロールが始まる中、アイドルたちは全員が目を閉じて祈るような気持ちになった。
(実力では劣ってるかもしれないけど、この予選に限っては勝ったのは私たちよ)
(勝ちたい……勝ってもっと上に行きたい)
(大丈夫。私たちが勝ってるハズ……大丈夫。きっと大丈夫)
(神様お願い! 勝たせてください! お願いします!)
(東京行きたい! 東京行きたい! 東京行きたい! 東京行きたい! 東京行きたい!)
(勝てたかな? 手応えは有ったけど……勝ちたいな……勝ちたいよ)
(勝てる、私たちは勝てる、私たちが勝ってる、絶対に勝ってる)
(負けたくない、負けたくない、負けたくない)
夢に向かって駆ける少女たちの様々な想いが交錯する。当然その内容は置かれた立場・状況によって異なるが、ハッキリしているのはこのイベントに参加している少女たちの誰一人として自分たちが負けるとは思っていないことだ。おそらくダメであろうと思われるユニットのメンバーたちですら決して諦めてはいない。
だが現実は厳しい。多くの少女たちの希望を打ち砕くかのように、司会者の口から予選通過を果たした唯一のアイドルユニット名が告げられた。
「予選通過を果たしたのは、仙台のウェイクアップガールズです!!」
予選が始まる時点では3番手だったウェイクアップガールズが大逆転で予選通過を果たしたことで、その名が告げられた時に場内から歓声とどよめきが同時に起こった。そしてそれはすぐに割れんばかりの拍手へと変わっていった。その場にいた誰もが彼女たちのステージを見ている。大きな拍手は素晴らしいパフォーマンスを、優勝するにふさわしいパフォーマンスを魅せてくれた彼女たちに対する最大級の賛辞だった。
当の本人たちは自分たちの名が呼ばれたことに一瞬気がつかなかった。いや、気がつかなかったと言うよりも一瞬頭の中が真っ白になってしまってすぐに反応できなかったと言う方が正しいかもしれない。彼女たちはお互いに顔を見合わせながら、目配せするようにしてお互いの反応を探り合った。
(今……私たちの名前が呼ばれた気がするんだけど?)
(確かに呼ばれた……よね? 聞き間違いじゃないよね?)
(ホントに? ホントに私たちの名前、呼ばれた? ウソじゃない?)
それはほんの数秒のことだが、彼女たちには物凄く長い時間に感じた。やがて隣りにいた他のユニットの少女が「おめでとう」と言って握手を求めた。それでようやく夢でもウソでもないとわかった。間違いなく自分たちが予選を通過したのだとわかった。一気に喜びが全身を駆け巡った。
「やったぁ!!!!!」
現実のことだと確信できたその時、7人の少女たちは自然と互いに抱き合って喜んでいた。
「やった、やったよ、みんな! 決勝だよ!」
「嬉しいよぉ」
「よかった。ホントによかった」
「凄いよ! 私たち、勝ったんだよ! 私たちが勝ったんだよ!」
3番手評価を逆転した喜び。最高のステージを披露できた達成感。予選通過を果たせた安堵感。嬉し涙が流れて止まらなかった。
ひとしきり大喜びが終わると、次に彼女たちを待っていたのは他のアイドルたちからの握手攻めだった。誰もが、おめでとう、と健闘を称え優勝を祝した。私たちの分も決勝で頑張って、と励まされもした。
どのアイドルたちも力を出し尽くした上での負けだったので、素直にウェイクアップガールズを称え自らの力不足を受け止めることができた。
だがもちろん内心は違う。敗れた彼女たちが悔しくないはずはない。この悔しさを必ず糧にする、次は絶対に負けない、アイドルたちは誰もがそう心に誓っていた。彼女たちの目は既に次を見据えている。ここで負けたからといって終わりではないのだから。
着替えを終え、控え室から出てきた7人を待っていたのは丹下社長と松田、そして真夢の母だった。
「おめでとう、みんな! よくやったわね! 本当におめでとう!」
社長は開口一番そう言って彼女たちをねぎらった。
「今日は私のオゴリよ! 予選通過を祝してパーッとみんなで美味しいもの食べに行くわよ!」
その言葉に実波の表情がパーッと輝いた。それを見た佳乃が、からかうような口調で社長に言った。
「社長、そんなこと言って、後で後悔しても知りませんよ? みにゃみの顔が輝いちゃってますよ?」
だが社長はそんなことなど全く意に介さなかった。
「アナタたちの頑張りに比べればどうってことないわよ。アタシはお金を使うときには使う主義なの。後悔なんてしないから安心なさい。みんな、好きなもの思いっきり食べていいわよ」
社長にそう言われて、どこに行こうか、何を食べようか、そんなことを相談しながらはしゃぐメンバーたちの横で、真夢はじっと母の真理を見つめていた。その視線に気づいた真理は娘のもとへと歩み寄った。彼女が真夢の母親だと知らない他のメンバーたちは、誰だろう? と思いながらすこし怪訝そうな目でその光景を見つめた。
「真夢、おめでとう。よかったわね」
「絶対来てくれるって思ってた……」
真夢はそう言ってまた瞳を潤ませた。
「えっ? まゆしぃのお母さん?」
その女性が真夢の母親だとわかって実波が驚きの声をあげた。真夢は微笑みながら実波にそっと頷いた。
「ごめんね、真夢。お母さん、自分が考え違いをしているってやっとわかったわ。私は母親なのに真夢のことを苦しめてしまっていたのね。もっと早く気づいてあげるべきだったのに……」
「そんなこと……もういいよ、お母さん」
「でもね、もう私のことは気にしなくてもいいわ。アナタはアナタの思うように、好きなように、アナタの理想のアイドルを目指してちょうだい。お母さんはその方が嬉しいわ」
真夢はそう言われて、ニッコリと満面の笑みを浮かべながら母に言った。
「お母さん……私はお母さんを今度こそ幸せにしたい、お母さんに喜んで欲しいって言ったでしょ? 私はもう、せめて自分だけでも幸せになりたいなんて思ってないよ。メンバーのみんなも、社長も松田さんも、お母さんもお父さんもお祖母ちゃんもお祖父ちゃんも、ファンの人たちも、みんな幸せにできるようなアイドルに私はなるよ。もっともっとたくさんの人たちを幸せにする、そんなアイドルにみんなとなるって決めたの。だからお母さんのことだって気にするよ。お母さん1人を幸せにできないなら、もっとたくさんの人を幸せになんて出来っこないもん」
そこには母が知らない間に人間的に大きく成長した娘がいた。初めて見る、眩しく輝く娘がいた。
「……そうね。その通りね」
真理はそう言って笑みを返した。I−1にいた頃に真夢がそんなことを言ったことはなかった。娘はきっと、ここでしか得られないものを手にしたのだろう。結果的にはこれで良かったのだ。心からそう思えた。I−1に居ることが娘の幸せだなんて、自分はなんてバカな思い違いをしていたのだろうとあらためて思った。今、ようやくずっと深く大きな溝に隔てられていた母と娘はお互いへの信頼を取り戻した。かつての仲が良かった親子関係を取り戻すことができた。
真夢と母との話が終わると、メンバーたちは興味津々といった表情で真夢のもとへと集まってきた。
「お母さんと仲直りできたんだね。よかったね、まゆしぃ」
佳乃がそう言うと、真夢は彼女の手をギュッと握った。突然のことに驚く佳乃だったが、真夢はかまわず彼女に感謝の言葉を述べた。
「よっぴーのおかげだよ。よっぴーが、冷静になってキチンと本当の気持ちを訴えればちゃんと聞いてもらえると思うって言ってくれたから、正直にぶつかっていけばきっと気持ちは伝わるって言ってくれたから、だから勇気を出してお母さんと話し合えたの。ありがとう、よっぴー」
思わぬ形で感謝されたので佳乃は戸惑って赤面してしまった。2人の間でどんなやり取りがあったのか知らない他の5人は、口々に何があったの? と真夢に質問した。真夢はそんなメンバーたちに、佳乃が自分に言ってくれたことを話して聞かせた。
「さっすがリーダー」
「やっぱりよっぴー以外に私たちのリーダーは考えられないね」
「よっ! リーダー! かっこいいよ!」
「もう! やめてよ〜!」
みんながどこまで本気でどこまでからかっているのかわからないが、それでも佳乃は照れくさい反面嬉しくも思った。真剣に助言した真夢に感謝されたことが、真夢がその助言を覚えて心の支えにしてくれていたことが、それによって真夢と真夢の母親が仲直りできたことが、そのどれもが本当に嬉しかった。
「あのコ、いつの間にかあんな風に笑えるようになっていたんですね……いえ、違いますね。あのコはもともとあんな風に笑える娘でした。あのコから笑顔を奪っていたのは、私だったんです。本当に恥ずかしいわ」
自分の娘が同僚の女の子たちと笑いながらじゃれあっている姿を見て真理はそう言った。自らの過ちを心から悔いている。そんな口調だった。
「……真夢さんが最初ウチに来た時は、やっぱりオーラがありましたよ。さすがI−1でセンターを務めていただけはあるなと私も思いました。でもお母様のおっしゃる通り、真夢さんには笑顔がありませんでした。いつも儚げで悲しそうで寂しそうで、そんな表情でした。でももう今は違いますよ。真夢さんはきっと、ようやく手に入れることができたんですよ。自分にとって本当に大切なモノを。もちろん私たちも手に入れたわけですけどね。島田真夢という、ウェイクアップガールズにとっても私たちにとってもかけがえのないメンバーを」
その言葉を聞いて真理は、娘がグリーンリーヴスに入って良かったと言っていた理由がわかった。娘の言葉にウソはなかったのだなとわかった。
「丹下社長。娘を、どうかよろしくお願いします」
真理はそう言って、丹下に深々と頭を下げた。
「もちろんですわ。真夢さんを、責任を持ってお預かりします。真夢さんが仲間たちと一緒に日本一のアイドルへ返り咲くのを、どうか応援してあげてください」
2人は7人の少女たちを再び見やった。キャアキャア言いながらまだはしゃいでいる彼女たちのその姿は、同年代の中学生・高校生と全く変らないものだった。
説明 | ||
シリーズ21話、アニメ本編では10話にあたります。今回で10話分は終了。いよいよ残すところ2話分となりました。最後の11話と12話分に関しては小まめに投稿を、目標としては週1の投稿をするつもりで書き溜めているところです。残りわずかですがお付き合いいただければ幸いです。 | ||
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