フタリノアイ 後編
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 「それじゃ、母さん行くから。卓をお願いね。」

 「うん、きをつけて。」

 

 出かける母を見送りながら、亜衣は軽くほほ笑んだ、

 

 「あら・・すごい、さっきまで雨だったのにもう雪に変わってるわ。」

  吐く息も白く、空からは小さな花びらのような雪が舞い降りてきている。

 「へえ・・ホワイトクリスマスだね。・・行ってらっしゃい、お母さん。」

  

 部屋に戻ると、案の定うれしそうに弟の卓が窓を開けている。

 

 「わーすごい!雪だ!!まっしろ〜」

 「こら卓、あんまりはしゃぐと落っこちるよ?」

 

  身を乗り出している卓を抑えながらそっと窓を開ける。ひんやりとした風に吹かれて亜衣の長い髪がふわりと舞い上がった。

 

 

 (髪・・伸びたな・・・。そっか。あれから全然切っていないものね・・)

 肩よりも下に伸びている髪の毛は風になびく。榎本愛として生活するようになってから、10か月が過ぎようとしていた。

 

 「ねえ積もるかなあ?」卓はうれしそうに亜衣に尋ねる。

 「・・積もんなくていいよ。」ため息交じりにそっと呟いた。「・・・雪は嫌い。」

 

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 「あら、おはよう亜衣ちゃん。」

 

 榎本愛はカーテン越しにささる日差しを眩しそうに見ながら目覚めた。夕べ降っていた白い雪は、朝になってからもう溶けてしまったようだ。

 

 「・・おはよ。明子さん・・・今日はずいぶん早起きだね・・?」

 

 眠い目をこすりながら愛は明子を見る。居間に行くと、あまり大きくはない、小さなクリスマスツリーが飾ってあった。

 

 「ふふ、それ!かわいいでしょう?昨日買い物に行った時に見つけたの。今はそんな小さなつりーもうってるのねえ。つい買っちゃった。・・・子供っぽいかしら?」

 

 うれしそうにほほ笑む明子。その笑顔を見るのが、愛は好きだった。

 

 「・・いいんじゃない?私、嫌いじゃないよ。こういうの」本当はこういったイベント事が大好きなのだが・・今は「神永亜衣」。本音は笑顔にすり替えた。

 

 「・・そうかしら。そういってくれるならうれしいわ!ねえ亜衣ちゃん、クリスマス・・何か予定ある?もしないのなら・・お父さんにも早く帰ってきてもらって、ちょっとしたパーティーをやらない?!」

 

 「パーティー・・?・・えっと、特に予定はないよ?」愛がそういうと、明子はぱぁっと顔を輝かせる。「本当?!プレゼントちゃんと用意しておくわね!!」

 

 「プ・・プレゼント???」と、言うことは自分も何かあげなければならない。・・愛はなんだか急に心細くなってしまった。

 

 「・・あ、もしよかったら、一弥もいいかしら。・・・多分一人だと思うから。ね?」明子は何やら含み笑いのようなものをこちらに向けているが・・・愛は少しだけ胸がざわついた。

 

 それは、昨日の夜。

 

 あの後、公園をぶらぶらと歩きながら一弥に聞いた話がずっと頭の中でぐるぐる回っているからだった。

 

 「彼女と出会ったのは4年前・・恭司さんと姉さんの再婚話がまとまった時だった。恭司さんの当時の奥さんは、病気がちであまり家から出なかったらしい。・・こういう言い方はよくないかもしれないけど・・恭司さんと姉さんはその前からずっとつきあっていたんだ。」

 

 「え?・・それって不倫・・ていうこと?…今の二人からは想像できない・・」

 愛から見る明子と恭司は、いつも幸せそうだった。愛が亜衣となって生活するようになった頃は、少なからずちぐはぐだった形のものも今となっては違和感のない、はたから見ても「相思相愛」といった雰囲気だろうと思う。

 

 「・・亜衣のお母さん・・そのこと知っていたの?」愛がそういうと、一弥は空を見ながらうなづいた。

 

 「僕と姉さん・・実はほかの身内がなくてね。・・子供のころに両親ともに事故で亡くしてから、いろいろ支援してくれたのが志乃さん・・・つまり彼女の母親だった。うちの母と志乃さんは大学時代の親友だったみたいで・・、僕も子供のころに幾度かあったことがある。・・なんというか儚いというか危ういというか・・そういう印象だった。」

 愛はふと、部屋に飾ってある写真立てを思い出した。亜衣によく似ている・・優しげな女性だった。

 

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 「・・何の・・病気だったの?」聞くべきか聞かざるべきか愛は迷ったが、聞くことにした。

 「病気といっても体のほうじゃない。・・心の病。」

 「心の病・・・どうして?」

 

 「今でこそ大きい神永病院。・・でも昔は、いろいろ大変だったみたいだね。聞いた話だけど、恭司さんも忙しくてほとんど志乃さんの見舞いにも行かず、家族内はバラバラだったらしい。もともと健康じゃない体の志乃さんは・・それに耐えられなかっただろう。」

 

 愛は胸がざわつくのがわかった。亜衣に少なからず母親の話を聞いてはいたものの・・そこまでは聞いてなかった。

 

 「・・ねえ、亜衣のお母さん・・どうして亡くなったの?」愛がそう聞くと・・一弥は足を止めた。

  

 「…五年前。雪の降る日に階段から足を踏み外したらしい。・・もうその頃になると、薬を服用しすぎて体も心のほうも・・ボロボロだったって・・」

 

 一瞬冷たい風が二人とりまく。そのとき愛は初めて雪がちらついてる事に気がついた。

 

 「・・・・それって、もしかして。」

 自殺・・という言葉を飲み込んだ、口ごもった。亜衣はずっとそんな危うい状態の母と一緒にいたということなんだろうか。

 

 「・・そのころ僕も大学に行っていた辺りだったし、あまりその問題に深くかかわろうとしなかった。・・でも、どうしても周りからはまことしやかに囁かれていることがあるんだ。」

 「噂?」

 「そう。志乃さんが亡くなった時、ずっと朝から最後まで一緒にいたのは彼女だった。亡くなるその直前まで。・・とはいえ、子供だし・・・調べようもなくて。結局事故となったわけだけど・・。僕自身、志乃さんに娘がいたことは知っていたけどあったことがなかった。彼女に初めて会ったのは、志乃さんの通夜のとき」

 

 そこで話をいったん切ると、一弥は左手の平を愛に見せる。よく見ると、うっすらとだが何か一筋の傷があった。

 「・・その傷は?」愛が尋ねると、苦笑いを浮かべながら一弥はその傷をじっと眺めてた。

 

 

  むせかえるような線香の香りがするなか、部屋の片隅にたたずむ一人の少女がいた。しかし少女におよそ表情は皆無で、何をするわけでもなくただじっと一弥と明子を見ていた。

 

 「・・姉さん、あの子が亜衣ちゃん?」

 

 「・・・え、ええ。そうよ。」明子はどことなくぎこちなさそうにほほ笑む。見ると、隣の恭司もまた眉間にしわを寄せていた。

 

 

 「・・・?あいさつしてくる」

 「・・あ、一弥くん・・なんというか・・あの子は変わっているから・・」 明らかに様子がおかしい二人だったが、一弥はかまわず亜衣に歩み寄る。

  

 「はじめまして、橋本一弥です。・・亜衣ちゃん・・だよね?よろしく。」

 

 一弥がそう言って手を差し出すと、少女はおもむろに背後からメスを取り出した。

 

 「?!」「一弥!!!!」

 

 そのまま一弥の左の手を切りつける。傷は以外にも深く、一弥の手から赤い血が流れ出した。痛みよりも突然の出来事に一弥よりも周りの人間が小さな悲鳴を上げる。

 

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 「・・・・みんないなくなればいいのに。ママも・・あんたも・・あいつも・・!!とうさまはだれにもあげないんだから!!!」

 

 口元をゆがませながらそう言い放つと、少女は笑いながら走って行ってしまった。

 「かっ一弥・・大丈夫?!」呆然とする一弥に恭司はハンカチを一枚取り出すと、掌に巻いた。

 

 「・・・・すまない。一弥君・・・・」 

 恭司は目を伏せながらやっと一言つぶやいたのだった。

 

 「・・亜衣ちゃんにとって、姉さんは大切な家族を奪った敵・・だったんだろう。その弟である僕も。」

 

 一弥の話を聞きながら、愛は一弥の傷をじっと眺めた。

 時々、神永亜衣という人間がどこか恐ろしい人間に思えたことがあった。言葉の端に行動に。すべてがどこか破滅的なところがあった。

 別々の人間を入れ替わる・・そんな異常なことを考えて、しかも実行するあたり普通の神経のもちぬしではないとおもうのだけど。けれども・・・

 

 「・・一弥さん。・・・私・・少しだけ亜衣の気持ちがわかる気がする。いやなことがあって、大切なものを亡くして・・誰かを傷つけたくなる気持ち。八つ当たり・・ていうのかな?私もたくさんいろんな人を傷つけた。・・言葉で。」

 

 一弥は何も言わず、愛の話に耳を傾ける。

 

 「私・・ずっと子供のころから父親に無理やり虐待されてた。」

 「・・・!・・愛ちゃん。」

 「でもおかあさんは全然気がつかなくて・・。どうして気づいてくれないのって・・言いたくても言えなくて。・・言えばよかったのかもしれないけど。言えなくて・・・。それで言葉でたくさん傷つけてきた。そうこうしてるうちに、家族はバラバラになってしまった。」

 

  愛には父親を好きだという気持ちは理解出来ない。だが、確かに優しい時期もあったし普通の父親だったはずだった。でも、人はふとしたことで心が歪んでしまうものなのかもしれない。

 

 そして、一度歪んでしまった自分を必死に元に戻すために誰かを傷つけていくんだろう。

 

 「・・ごめん。言わなくてもいいことも・・話させてしまったね。」

 「ううん。・・亜衣のこと聞いてよかった。」愛がそういうと一弥は愛の手を軽く握る。

 「今日はもうかえろうか。・・送って行くよ。」

  一弥と手をつなぎながら歩いて行く。愛の首のネックレスが月明かりにちかちか光った。

 

  「亜衣!!!」

 突然聞こえた声に愛はついびくっとしてしまった。

 「・・あれ??お、おとうさん・・お帰り。」

 「・・?さっきからいたぞ。どうした、ぼーっとして。」

 「あ、ううん・・ちょっと。プレゼントどうしようかな・・って。」言いかけて時計を見ると・・すでにだいぶ時間が過ぎている。・・遅刻圏内だった。

 

 「あ・・!ご、ごめん。行ってきます!!!」ばたばたと用意して家の外へと駆け出す。

 「・・ふふ。なんだか元気になったわね。亜衣ちゃん・・・」

 「・・そうだな。・・・本当に、人が変わったみたいに。」恭司も明子もそれ以上は何も言わなかった。ただ一つ言えることは・・今がとても幸せだということ。それは二人とも同じだった。

 

 

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 パタン!

 亜衣は思い切り携帯のふたを閉じると、静かな部屋にその音が響き渡る。

 「どうかしたの?愛。最近ずいぶん携帯見てるけど・・・」

 「う、うん・・。ちょっと、ね。」最近啓太から連絡がこない。前は一日と開けずメールなり電話なりをくれたのだったが・・。それがないと急にこんなにもさびしくなるものなのか。

 

 「・・ねえ?・・あの、クリスマス・・って何か予定、ある?」 

 敦子は洗濯物をたたみながらやや遠慮がちにたずねる。「・・えっと、用事があるならいいんだけど・・」

 

 「・・?今のところないけど。どうかした?」携帯をカバンに詰めると、卓を抱きあげて今のツリーに星をつけさせてやった。

 「わーいツリー!・・サンタさん来てくれるといーなぁ」

 「サンタクロースかぁ・・。どうだろ、いい子にしてたら来てくれるんじゃない?」

  卓の頭にポン、手を置くとかけてあったコートを羽織る。

 

 「あ、あの!・・ちょっとお祝いっていうか・・・ケーキとか、ごちそう作るから・・・」

 突然の敦子の申し出に、亜衣は少しだけ戸惑ったが・・視線を外していいよ、と小さくつぶやいた。

 「ほ、本当?!・・・ずっと、こんなことやってなかったもんね。・・・ごめん。」敦子はそう言うと、目にはうっすらと光るものがあった。

 「か・・かあ・・さん。」亜衣自身・・実を言うとこの女性を母と呼ぶには最初は抵抗があった。だが今は母と呼ぶことがうれしくもあり、同時に悲しくもある。・・どうやらそれはこの母親も同様らしく、やっと最近「親子らしく」なれたのだと思う。

 

 (・・愛。あの子はあっちの明子さんとどうしてるんだろう。・・・どうして、他人のことのほうがうまくできるんだろう・・)

 

 以前は自分がいかに榎本愛をうまく演じるか。ゲーム感覚で物事を進めていたのに、最近はなぜかそれがうしろめたくかんじてしまうのだった。そしてなによりも、すべてが露見したあと敦子・・卓は。・・・そして啓太は。いったいどうするのだろうか。それを考えると急に不安にもなった。

 ・・亜衣はやっと、自分がしていることが怖ろしく感じるようになったのだった。

 

 街ではいたるところでクリスマスソングが流れ、もう少しで冬休みだという期待感とクリスマスだからなのか・・街全体が華やかだった。

 愛はその雰囲気を楽しみながら街を歩いて行く。毎年憂鬱だったこの季節も、今年はひとりではないのだ。

 

 (・・プレゼント・・か。)愛は首に輝くネックレスを見やる。(はあ・・プレゼントなんてここ数年買ってないからな・・何買ったらいいんだろう・・・・)

 すると、突然後ろから手をつかまれた。驚いて振り向くと・・そこには。

 

 「・・・・あ、あの。・・俺!俺のこと・・わかる?前、店で・・愛と一緒にいたよね?」

  はにかんだように微笑む啓太。愛は名前を呼びそうになったのを必死でこらえた。

 「・・あ、の・・なんで・・ここに?」

  懐かしい啓太の声。でも今は顔すらまともに見ることができなかった。まともに顔を見ると、また泣いてしまいそうだったから。

 

 「いや・・あの、聞きたいことが・・あって。じつは・・愛にプレゼントを買おうって思って・・セ、制服が有名なとこだったし・・・もう一度、逢ってみたかったから・・・」

 

 啓太は掴んだ愛の手を離すまいと力を込めた。ぐだぐだ悩むよりも、会って直接確かめたほうがすっきりするから・・・そのためにここに来たのだ。もし本当に自分が考えている異常な事態なのだとしたら、そこには必ず理由があるはずだ。誰かの口でもない・・彼女から聞きたかった。

 

 「・・・愛のプレゼントなら、あの子に直接聞けばいいでしょう・・わたし、用事があるんで。」なるべく落ち着いて。悟られるぬよう慎重にこの場から逃げ出す方法を考える。

 (・・私がそうだって。・・啓太にばれるわけにはいかないの・・!)

 

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 「まって!・・あ」啓太がそう言いかけると、愛は握りしめられた手をするりと抜けて走り出した。「まって!!待てって!!!」

 

 はしって逃げるのはいいことかどうかはわからない。でもとにかく、一刻も早くここから逃げ出さないとならない。

 

 「あい・・愛なのか?!榎本愛!!!!!」

 啓太は力の限り叫んだ。愛は追いすがる啓太の声が聞こえぬよう耳をふさいで走り出した。今は夕暮れ時。しかもクリスマス・・人は多いから逃げるのはたやすいはずだ。

 

 (どうしよう・・!どうしようどうしよう・・・!!!)人混みをかきわけて愛は走った。彼に追いつかれてしまうわけにはいかない。追いつかれたらそれですべてが終わってしまう。だが・・

 

 「愛!!!!」愛の手を啓太は再度捕まえた。呼吸を整えながら腕をがっちりつかむ。

 「なんでっ・・なんで俺に何にも言わなかったんだよ・・!!どうして一人で勝手にいなくなるんだ・・!」そのまま体ごと愛を後ろから抱きしめた。

 「・・やめて・・っ離して・・見ないで!!」懐かしい香り。それはずっと昔からよく知っている。だからこそ今は哀しいだけだった。

 

 「辛かったんなら・・苦しかったんなら!!!なんでいってくれなかったんだよ・・!」

  啓太は自分が許せなかった。気付けなかった自分を。何より、愛が頼れる様な自分になれなかったことを・・。最近の愛に不審な点がいくつかあるのは幾度か気にはなったものの、なんだかんだとはぐらかされていた。その違和感に自分はどうして気づくことができなかったのか。

  

 愛は、啓太の気持ちが・・言葉が。何よりもうれしかった。だからこそ、覚悟を決めた。

 

 「・・私は神永亜衣。 あなたの知ってる愛はもういない。・・だから、私にとってあなたは全くの他人なのよ。・・だからもう帰って。」

 そっと啓太の体を離すと、愛はこれ以上泣かないように、悲しい顔にならないように。できるだけの笑顔で振り返る。啓太は一瞬ためらった。だが、その笑顔は変わらない。

 

 

 「・・さよなら。」愛の口から切り出された言葉に、啓太は何も言えなかった。その笑顔は、必死に泣くのをこらえているときに見せるものだとわかっていても。ただ呆然とその場に立ち尽くすしかなかったのだ。

 「・・あ・・い・・っ」啓太の瞳から涙がこぼれる。雪が降っていない代わりに、空には美しい月が出ていた。

 

 「え?明日?」 

 一弥は歩きながら電話の向こうで何やらやたら張り切っている姉の声を聞いていた。吐く息も白い。コートの襟をあげていそいそと自宅に戻る最中のことだった。

 『そうなの!!今年はパーティーをするの。恭司さんも早く帰ってきてくれるみたいだし、亜衣ちゃんも!』

 「んー・・一応仕事だけど・・19時くらいにはいけるかもしれない。それでもいいかい?」

 『もちろん!!ああなんだかわくわくしてきちゃった!ちゃんと来てね!!」

 

  と、嵐のようにまくし立てるとそのまま電話は切れてしまった。相当張り切っているなぁ・・と半ば苦笑気味に携帯をしまった。ふと、道路の向こう側に見なれた人影を見つけた。点滅している信号を小走りで渡りきると、下を向いて歩くその人に声をかけた。

 

 「愛ちゃん!」一弥が声をかけると、少女は一瞬びくっと肩をすくめてこちらを見た。

 「あ・・・。こ、こんばんは・・」うつむきがちに答える愛の眼は赤い。すると見る見るうちに涙がぼろぼろこぼれだした。

 「…いったい、どうしたんだ?」

 「・・さっき・・啓太に会ったの。・・・全部、おわっちゃった・・・。・・もう・・」愛の言葉で、大体の事態は予想することができた。・・こうなることがわかっていたからこそ、啓太に自分の番号を渡したのだから。

 「・・とにかく、一度僕の家においで。家に・・帰りにくいんだろう?」一弥がそういうと、愛は声をあげて泣き出してしまった。

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(・・結局。おれは・・あいつに何もできなかったんだな。)

 

 啓太は愛の言葉を何度も何度もリフレインした。・・本当は絶対に聞きたくない言葉なのだ。生きているのにもう二度と会うこともできないのは哀しすぎる。

 何かしないと気が済まないから、歩いて職場に向かっていた。余計なことも考えないくらい思いきり体を動かさないと、頭がおかしくなりそうなのだ。

 

 「啓太!」名前を呼ばれてのろのろと顔を上げると・・そこには啓太の知っているもう一人の「愛」が笑顔で立っていた。

 

 「・・!・・」名前を呼べず口ごもる。久しぶりに見る「愛」の姿。・・なのに、全くの別人。

 「最近全然連絡してくれないんだもの。・・驚かそうと思って逢いに来ちゃった。」

 どうして姿はあいつなのに、中身が違うんだろう。そう考えると、目の前に居るこの人物がとても気味の悪い人間に見えてきた。

 

 「・・あの、啓太・・?」自分に触れようと、その人間は手を伸ばしてきた。啓太はその手を思い切り振りはらうと、その反動で亜衣は地面に転んでしまった。

 

 「・・な・なにを・・・」

 「・・れだよ・・っ。おまえはどこの誰なんだよっ!!なんで違うんだよ!!!!」

  彼女の首にひかるペンダント。それは、かつて自分が愛にプレゼントしたものだった。たまらずそれを引きちぎる。

 

 「返せよ・・!返せよ!!!俺の愛を返せよ!!!!おまえなんか知らない・・!!おまえなんていらないんだ!!!!」

 

 亜衣は啓太の血を吐くような言葉にただただ呆然とするほかなかった。彼の言葉に、態度に・・亜衣の頬に一筋涙が落ちる。

 (・・何で泣いてるの、わたし・・・どうして・・・・悲しいから?)亜衣の中でいろいろなものが音をたてて崩れていく気がした。どうしてこうなったのか。何もわからない。自分が悲しいのか苦しいのか・・それすらも。ただ痛かった。苦しかった。

 

 「・・どうして。何がダメなの・・?私は・・・どれ?」ふと、もう一人の自分の姿をおもいだす。過去の自分、そして母親。・・そして。

 

 「ああ・・そうだ。全部あいつが悪いんだ。・・全部。全部、全部・・・あの人のせいなんだ。」

 

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 「あれー?先生。今日は早上がりなんですねー!!」

  恭司は白衣を脱ぎ、すでにコートを羽織っている。

 「ああ。済まないね。・・今日は・・その、娘にプレゼントを買おうと思ってね・・」

 「へえ!いいなあ。なんか先生最近穏やかになりましたねー。前はどっちかっつーと近寄りがたかったです。」若い医師に交じって年配の医師もそういった。・・確かに以前に比べて彼らとも話す機会が増えたような気もするのだが・・やはり、あの子のおかげだろうか。

 

 「・・そうか?・・おお、そろそろ急がないと・・デパートやらがしまってしまう。」なんとなく照れくさくなり、そそくさと部屋を出る。「気をつけてー!何買ったかきかせてくださいねー!」

 

 そのようなやり取りを他の医師とも繰り返しながら、恭司は帰りを急いだ。

 (・・そんなに私が早く帰ると珍しいのだろうか・・)そんなことを考えながら病院を出ていく。地下鉄までの道を少し早歩きで進んでいくと、人気のない道の真ん中に一人の女子高生が立ちはだかった。

 

 「・・?」少女はうつむいていて、顔はわからない。髪は長く、風になびいている。雲に隠れていた月が顔を出すと、少女の顔が浮かび上がった。口元は笑みをたたえている。

 

 「・・・・・今から帰るんだ。ずいぶんはやいのね?仕事馬鹿で家庭からいつも逃げていたくせに・・ねぇ?」

 「・・・?何を言ってるんだ?君は・・・」少女はそのままこちらに向かって歩いてくる。

 「だからママも待ちきれなくなって死んじゃったのよ。・・自分の親友の娘に夫をとられて・・失意の中・・・ママは死んじゃった。」

 

  「・・ぁっ・・ぐ・・・」自分の腹部が熱い。次いでじわじわと赤いものがにじみだし、恭司はその場に崩れ落ちた。「・・ぜんぶ、とうさまのせい。」少女はそういうと、手に持っていたナイフを抜いた。 

 

 「お・・ま・・えは・・・っあ・・」知らない顔の少女は、笑っているのに、泣いていた。薄れゆく意識の中、耳の奥で笑い声が響き続けた。

 

説明
変化した日常に満ち足りた日々を送る愛。自分がしていることに恐れを抱き始めた亜衣。そして迎えたクリスマスの前夜・・
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コメント
愛も亜衣も二人とも幸せを求めた。間違った方向にいくら進んでも正しくはならない。でも一時の幸せは味わえるそう言う事なんでしょうかな。やっぱり難しいです。(華詩)
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ふたり  入れ替わり サスペンス 

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