艦これファンジンSS vol.20「艦娘買出し紀行」
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 かすかに難しい顔をしながら、彼女はガラスのショーウィンドウを見つめていた。

 視線の先にはフリルがたっぷりの桃色のワンピースが収まっている。

 ワンピースと、ガラスに映る自分の姿とを見比べて、彼女は軽くうなった。

「どうかなあ……」

 似合う似合わないでいえば、それなりに着こなせる自信はある。

 長い緑の黒髪、整った顔、いま着ている服はブレザーを模した制服のような形で、可愛いというよりも格好いいという方が近い。とはいえ、こういうコケティッシュな服も、一見したところでは普通のミドルティーンの少女に見える彼女であれば、おそらくは似合うだろう――そう、普通の少女であれば。

 よく見れば彼女の髪が潮風に灼けているのがみてとれたかもしれない。少し事情に通じた人であれば、彼女がただの少女ではないことに気づけただろう。いまショーウィンドウに映っているその姿は、彼女の本来の姿ではない。体の各所に身につけているはずの鋼鉄の艤装、それがいまはない。

 艦娘。人類の脅威、深海棲艦に対抗しえる唯一の存在。

 彼女の頭の中で、フリルのワンピースを着こなしている顔が、不意にすげかわる。のんびりとした笑みを浮かべた、どこか品のよさを感じる、茶色い髪の相方の顔に。

 自分で想像してみて、そちらの方がよりしっくりくるのに、思わず苦笑してしまう。

「――うん、あの子の方が似合うね」

 そうひとりごちると、彼女はショーウィンドウにくるりと背を向けた。

 その姿は、やはり、買物を楽しんでいる普通の少女にしか見えなかった。

 航空巡洋艦、「鈴谷(すずや)」

 それが彼女の艦娘としての名前である。

 

 「深海棲艦」という存在がいつから世界の海に現れたのか、いまでは詳しく知るものはない。それは突如、人類世界に出現し、七つの海を蹂躙していった。シーレーンを寸断されて、なすすべもないように見えた人類に現れた希望にして、唯一の対抗手段。

 それが「艦娘」である。かつての戦争を戦いぬいた艦の記憶を持ち、独特の艤装を身にまとい、深海棲艦を討つ少女たち。

 艦娘は基本的に籠の鳥の存在である。非番でも鎮守府内に留め置かれ、その外に出ることはない。だが、何事も例外というものはある。まれに鎮守府の外へ艦娘が出て行くことがあり、そして籠の鳥としては例外に選ばれるのは羨望してやまないことであった。

 

 話は一昨日の夜にさかのぼる。

 鈴谷は手元のカードを穴があくほどに見つめながら、次のアナウンスを待っていた。

 隣の席には、相方の熊野(くまの)が、カードと壇上とを交互に見つめている。

 鎮守府内の講堂。艦娘全員が収容できるその場所に、鎮守府内の艦娘半数以上が集まっている。皆、それぞれに鈴谷と同じようにカードを手にしながら、壇上に立つ艦娘の次の声を待っている。

「あらあら、そろそろリーチも揃ってきたかしら? それじゃ次の番号いくわよ!」

 壇上でマイクを握っているのは、戦艦の陸奥(むつ)である。その傍らには抱えるほどに大きなビンゴマシーンが鎮座している。

 陸奥がガラガラとレバーを回す。転がりだした番号の刻まれたボールを取り上げて、陸奥が高らかに数字を読み上げる。

「――九十七! ビンゴになった人はいるかな?」

 陸奥の声に、あるいは歓声が、あるいは落胆の声がある。

 鈴谷もぱっと顔を輝かせて、数字のひとつを埋めた。

「よっし! これで三つリーチじゃん!」

 ガッツポーズをしてみせると、隣の熊野がうずうずした様子で訊ねてきた。

「行けますかしら? 当たりますかしら? もう、落ち着きませんわ!」

「まあ、ここまで来たら、あとは祈るしかないねえ」

 そう鈴谷は答えてみせたが、彼女もドキドキものである。なにしろこのビンゴには月に一度の大イベントがかかっているのだ。

「それじゃあ次いくわよ――はい、七十三! みんな、どうかしら?」

 陸奥のアナウンスに、歓声と共に「リーチ!」の声が次々あがる。

 だがまだビンゴはいない。

 鈴谷は改めてカードを見たが、今回はどこにもかすってさえいない。

 落胆した顔を浮かべそうになったその時、横の熊野がそれを打ち消すように悩ましい声をあげた。

「あーん、今回は当たりがありませんわ! もっとがんばってくださいな」

 相変わらず天然で的外れな相方の言葉を聞いて、鈴谷は思わず苦笑いを浮かべた。

「いや、ビンゴゲームで何を頑張るのよ……」

「そこはあれですわ! 祈るとか、気合をいれるとか、拝むとか!」

 人差し指を立てて言い立てる熊野の言葉を聞いて、鈴谷は苦笑を浮かべたまま首をかしげてみせる。そんな鈴谷を、熊野がじっと見つめている。

 熱のこもった視線を受けて、彼女は目を閉じて、カードを顔の前に持ってきて、むむむとうなってみせた。どれほど効果があるかは疑わしいが、やってみせないと相方がへそを曲げそうだったからだ。

「そろそろ当たりを出してよ? じゃあ、次の数字――十八!」

 ビンゴマシーンを回した陸奥が数字を読み上げる。

 それを聞いて、鈴谷はそっと目を開ける。

 隣から覗き込んでいた熊野が口をぱくぱくさせながらカードを指差している。

 その指先の数字を見て、鈴谷は目を丸くし、次いで、がたんと立ち上がった。

「はい! はいはい! 鈴谷熊野ペア、ビンゴです!」

 手を挙げて申告すると、陸奥の手伝いをしていた駆逐艦娘が駆け寄ってきて、鈴谷のビンゴカードを回収する。それを受け取った陸奥がカードを確認して大きくうなずき、一段と大きく高らかな声で告げた。

「はい、ビンゴでました! 今月の買出し当番は鈴谷と熊野ペア!」

 その声に、歓声と落胆の声があちこちであがり、次いで拍手が巻き起こる。

 鈴谷の周りの席の艦娘たちが口々におめでとうを言うのを、鈴谷は照れ笑いをうかべながら受け取っていた。

 

「――で、今回の買出し当番は、鈴谷と熊野か」

 ビンゴ大会の翌日、二人は提督執務室に呼ばれていた。

 待ち受けていたのは、白い海軍制服に身を包んだ鎮守府の司令官――提督と、長い黒髪を流し凛とした武人風の面立ちの艦娘――艦隊総旗艦の長門(ながと)である。

「しかし、毎回ビンゴ大会で買出し当番を決めるという仕組みはどうなんだ? 俺としては毎回誰が鎮守府の外に出るか心配でならんのだが」

 提督がやや不満げに言うのを、くすりと笑って長門がなだめる。

「これも娯楽の一環だ。二等や三等には景品が出るということだからな。たまにはこういうお遊びがあってもよいだろう」

 そう言うと、長門は咳払いをして、鈴谷たちに告げた。

「鈴谷は二回目だったが、熊野は初めてだったな――いちおう、注意しておく。今回の買出しは艦娘たちの嗜好品を主体に調達するものだ。各自の希望品はいままとめさせてあるから、リストを忘れずに持っていくように。もちろん数が多いからな、すべて持ち帰る必要はないぞ。宅配で鎮守府宛に送られるように手配すればいい」

 二人の顔を見回しながら、長門は念を押した。

「要は注文しに行くだけで、それなりに暇ができるだろうが、空いた時間は好きに使ってかまわない。だが、くれぐれも羽目をはずしたり、また自分から艦娘だと宣伝するようなことはないようにな」

 その言葉に鈴谷は神妙な顔でうなずいたが、熊野はきょとんとした顔をしてみせた。

 そんな二人に、提督が真面目な顔で言い渡した。

「まあ鈴谷はある程度わかってるだろうから言うまでもないとして――熊野」

「はい、なにかしら?」

「鎮守府は君たちを囲う籠であるが、君たちを守る外套でもある。鎮守府の外は艦娘に対する毀誉褒貶が渦巻いている――息抜きもできるだろうが、自分達への評価に一喜一憂しないようにな」

「はあ、そうなんですの?」

 いまいち理解できない様子の熊野の肩を、鈴谷がぽんとたたく。

「まあまあ、わたしがいるからだいじょうぶだって――熊野のお守りはまかせてよ。提督もそれなら安心っしょ?」

「まあ! わたくしのお守りってどういうことですの?」

 不満そうに頬をふくらませる熊野。それをにやにや笑いながらあしらう鈴谷。

 提督が長門に向かって指で“ちょっと来てくれ”と合図する。長門は顔を寄せると、提督が心配そうな声でそっとささやいた。

「……俺としては正直、鈴谷もあぶなっかしいんだがな」

 そのささやきに長門が苦笑いを浮かべてささやきかえす。

「無用な懸念だぞ。鈴谷はなかなかの常識人だ。艤装をはずせば女子学生と見分けがつかんだろう」

「それは――そうかもしれんが」

 あらためて二人を見やる提督の眼差しは、いまいち不安が隠せない様子だった。

 

「鈴谷ー! こちら終わりましたわよ!」

 どこか気の抜けた、明るい相方の声を聞いて、鈴谷は振りかえった。

 熊野が満面の笑みを浮かべて、ぱたぱたとこちらに駆けてくる。

 どうやらちゃんとやれたらしい――鈴谷はほっと胸をなでおろした。

「言われたとおり、駆逐艦の子たちのお菓子、きちんと注文して鎮守府へ送ってもらうようにお願いできましたわ!」

「うん、ご苦労さま。簡単っしょ?」

「当然ですわ、このわたくしにかかればこれぐらい造作もないこと……」

 胸を張ってみせる熊野に、鈴谷は内心苦笑いを浮かべた。

 実際のところ、簡単な仕事なのである。艦娘たちの注文は多岐に渡る。いちいち自力で探していては時間がいくらあっても足りない。そこでやることといえば、頼まれた品を扱っている店へ行き、注文を書いたメモを渡し、鎮守府への配送を頼む――それだけのことである。

 つまりは目当ての店にたどりつくまでがこの買出しの重要なポイントなのである。店にさえたどりつけば後は子供の使いでもできる仕事だ。

 ところが買出しが今回初めて――というよりも、こういう些末事には全般で疎い面がある熊野はその“子供の使い”さえも、最初はおろおろしながら鈴谷のやることを見ているだけで自分から手出しをしようとしなかった。

 鈴谷としては別に構わないのだが、今後を考えると熊野が買出しに出る可能性はなくはない。そこで店にまでたどりついたところで、メモだけ渡して「あとは行っといで!」と背中を押して送り出してみせたのだ。

 店に入る前は不安で泣き出しそうな顔をしていた熊野だが、こうして一件こなしてみるとそんなことがまるでなかったかのように自慢げである。

 鈴谷にしてみれば、そんな熊野がおかしくて仕方がないし、また可愛いと思うのだ。

「さあ、次行きますわよ! 早く済ませて二人でお買物ですわ!」

 きゅっと握った拳をつきあげて、熊野が元気いっぱいに言う。

「次ねえ――お茶屋さん、お菓子屋さんは終わったし――次は本屋さんかな?」

 鈴谷がそう答えると、熊野がふんと息をついて、鈴谷の手を引っ張る。

「ささ、急いで行きますわよ!」

「急いで行くのはいいんだけどさ」

 鈴谷は口の端に笑みを浮かべて、じとっとした目で熊野を見つめた。

「熊野、あんた、本屋さんがどこにあるのか分かってるの?」

 その言葉に熊野がきょとんとした顔をして、次いで、目を空へ泳がせ、指で頬をぽりぽりと書いて、そうしてからおそるおそるといった声で、

「――どこにあるんですの?」

 熊野の表情はあくまでも笑顔――多少ひきつってはいるが。

 鈴谷はにまっと笑ってみせると、熊野の手を引いて、歩き出す。

「こっちだよ。熊野も場所おぼえておくといい」

 引っ張られながら、「そうですわこっちの方向な気がしたんですの」と熊野がつぶやくのを耳にしながら、鈴谷はおなかの底から笑い声が出てきそうになるのをこらえるのに大変だった。

 

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「対象、移動します」

『了解、引き続き監視を続行せよ』

「――だそうです、少尉殿」

「……なあ、軍曹。この光景、傍から見るとどう映るんだろうな」

「申し上げてよろしいので?」

「正直に言ってみて構わないぞ」

「はっ、どう見ても女子学生をつけまわす変質者であります」

「だよなあ。あれが艦娘ねえ。ああしていると本当に娘っ子にしか見えんな」

「自分としては疑問であります。大本営が心配するほどの何かがあるのでしょうか?」

「さあな、俺達としては中佐殿の命令どおりにやるしかないさ」

「対象はあちらの本屋に入るようであります」

「やれやれ。女の子の買物を覗いているようでいささか心地わるいな」

「任務でありますから」

「任務だよなあ。そうだよなあ」

 

 鎮守府は海に面しているが、街とは隣接していない。

 艦娘の拠点である鎮守府はそれ自体で完結した生活環境を整備しており、市街地とは離れた場所に設けられている。これは深海棲艦の攻撃があった際に市街地への被害を防ぐためであるが、同時に艦娘たちを一般人から遠ざけておく理由にもよる。人間と同じような姿で人間と同じように喜怒哀楽を持ち、それでいて人間とは隔絶した戦力を持つ艦娘が一般人と交流することを大本営は恐れているのか――鎮守府において艦娘は籠の中の鳥となっている。

 艦娘の側にはそれで格段の不満があるわけではない。艦娘となった時点で受け継いだ艦の記憶の方に強く影響され、彼女たちにとって休暇や非番といえば鎮守府内で羽根を伸ばすことを意味している。幸い、鎮守府には艦娘自身の手で様々な施設が作られており、外に出なくても娯楽は充分にあるのだ。

 とはいえ、ラジオなどから聞く“外の世界”に憧れがないかというと、そういうわけでもなく、ただそれは自由な空気を吸いに行くと言うよりも、艦娘にとってはテーマパークに行くような一種の非日常の体験を楽しみたいという意味合いが強い。

 いま鈴谷と熊野が来ている本屋もある意味でアトラクションなのである。

「何してますの? 鈴谷」

 てっきりレジへまっすぐ向かうものだと思っていた熊野は、雑誌コーナーで足を止めている鈴谷に声をかけた。

 鈴谷はというと、やや真剣な顔をしながら棚を見回していたが、

「よし、これがいいかな」

 そうひとりごちると、ジャンルもバラバラな雑誌をいくつも手にとりカゴへと放り込んでいく。

「あら、それは頼まれものではないでしょう?」

 熊野が首をかしげて訊くと、鈴谷は微笑んで答えた。

「半分は自分用。ちょっと気になったのをちょちょいとね」

「半分は?」

「読み終わったら、みんなで回し読みするんだよ」

「ふーん……わたくしも何か探そうかしら」

 熊野がそう言って、棚を覗き込む。しばし目を泳がせて眺めていたが、

「あら――なにかしら、これ?」

 そう言い、熊野が手にとった雑誌は。

「『フォトかんむす』――ちょっと、ちょっと鈴谷」

「なあに?」

「これ、わたくしたちが載ってますわよ!」

 ささやき声で、しかし興奮した様子で熊野が言う。

 鈴谷は怪訝そうな目をして、熊野からくだんの雑誌を受け取り、開いた。

「ちょっ――なによ、これ……」

 中身を見るや、鈴谷は目を丸くした。

 “人類を守る艦娘のすべてをここに!”という煽り文句の薄めの雑誌である。

 そこに載っている写真に、真っ当な形で撮影したものは一枚もない。

 かなりの望遠で演習光景を隠し撮りしたものか、さもなければ外洋で深海棲艦から救助された船の乗組員が艦娘を撮影したものを投稿したものか――少なくとも鎮守府か、そのさらに上の大本営が了承したものではないことは確かだ。

「あちゃー、こんな本があるんだ」

 鈴谷は渋い顔をしてみせたが、熊野は声を弾ませて、

「すごいですわね、こんな形でわたくしたちが注目されてるなんて」

「あのさ、熊野。これ、あまりうれしい注目のされ方じゃないよ……」

 投稿写真の中には戦闘直後の艦娘を写したものもある。艤装がゆがんでいるのはまだしも、身につけた服が破れて素肌が見えているのはどうにもよろしくない。他にも、波をかぶって全身濡れて服が素肌に張り付いているのもある。

 艦娘は普通の女の子ではないが、それでも年頃の少女並みの羞恥心はある。

 雑誌をめくりながら鈴谷は怒りと恥じらいがないまぜになって自分でも顔が赤くなっていくのを感じた。

 振り切るように咳払いをしてみせると、鈴谷は『フォトかんむす』をカゴに入れた。

「あら、それも買うんですの?」

「提督への報告用よ。これちょっと問題ありだわー」

 そう答えると、鈴谷はレジへと足を運ぶ。ついていく熊野は何か言いたげだったが、ひとまずは黙って鈴谷に続く。

 カゴいっぱいの雑誌とメモを店員に手渡し、鈴谷は言った。

「この雑誌と――あと、ここにある本を買いたいんだけど」

 応対したのは大学生くらいの若い店員である。

「はい、こちらでございますね。ええと、いま探してまいりますので――」

「ああ、いいです。請求と配送先を鎮守府につけておいてください」

 鈴谷がそういうと、店員は最初きょとんとした顔をして、次いで顔いっぱいに驚きの表情を浮かべて、

「鎮守府って――あの鎮守府ですか?」

「ええ、そう」

 鈴谷は答えながら、ちょっと嫌な予感を感じていた。

 店員は目を丸くしながら、鈴谷と熊野の顔を交互に見比べていた。口をぱくぱくさせると、ごくりと唾を飲み込み、おそるおそるといった感じで訊いた。

「あの、もしかして――お二人とも、艦娘?」

「――そ……」

 元気よく「そうですわ」と答えそうになる熊野を素早く手でさえぎって、鈴谷はにっこりと笑みを浮かべて言った。

「ノーコメントでお願いしまーっす」

 その言葉に、店員は感極まった顔で息を吸い込むと、懐からメモ帳を取り出し、

「あの、あの……もしよかったら、サイン頂けませんか!?」

 そう言って、ペンを突き出してくる。それを横から受け取ろうとする熊野を、またしても鈴谷は手でさえぎって、表向きはにこやかな笑みを浮かべて鈴谷は再度、

「あのー、そういうのは、おことわりしてますので」

「――ちょっと鈴谷、それぐらいいいじゃありませんの!」

「熊野は黙っておきなって」

 頬をふくらませる熊野をちらと見やった後、あくまでも笑みを顔に貼り付けて、

「店員さん、すみませんけど、そういうことで」

 頑として譲らない鈴谷に、店員はやや落胆した様子で、軽く頭を下げて注文を受け付ける手続きを始める。

 それを見て鈴谷はふうっとため息と共に安堵の表情を浮かべたが、熊野はと言うとじとりとした目で相方をにらんで不満いっぱいといった顔だった。

 

「軍曹、あくまでも興味で聞くんだが」

「任務中でありますよ。私語は慎んだほうが」

「君は艦娘が戦うところを見たことがあるか」

「いえ。大本営の観艦式で大和(やまと)とやらを遠目にみたことはありますが」

「俺はあるんだよ。南西海域の外洋任務で深海棲艦に襲われてな」

「本当でありますか」

「艤装を身に着けて波間を駆ける彼女らはまさに天使だったよ」

「まあ――通常兵器では深海棲艦に対抗できませんからな」

「ただ、彼女らがもう少し早ければ僚艦は沈まずにすんだかもしれない」

「……それは言っても仕方がないことではありますまいか」

「俺もそう思うし、俺は割り切っているんだがな」

「――少尉どの?」

「きっと、割り切れないやつもいるんだろうな」

 

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 本屋を出てから、熊野はずっと不満そうな顔をしていた。

 幸い、頼まれた買出しはあらかた済ませていたので、

「ちょっと休憩しよっか」

 鈴谷はそう提案し、二人して近くの公園に来ていた。

 途中でみかけたスタンドでクレープを買い、ベンチに並んで座って食べる。

 鈴谷はチョコバナナ。熊野はストロベリークリーム。甘いスイーツをぱくつきながらも熊野の機嫌は直る様子がなく、鈴谷は内心でどうしたもんかと頭を悩ませていた。

 公園に目をやると、子供たちが遊んでいる。

 段ボールで作った何か砲塔らしいものを持った女の子グループが、男の子グループを追い回している。

「かんむすだぞー! しんかいせいかんをやっつけろー!」

 きゃっきゃ騒ぎながら女の子が男の子を追い回す。

 男の子の方は追い回されながら、ときどき手を振り回して抵抗してみせる。

「ちょっと、しんかいせいかんはかんむすにやられなきゃだめなの!」

 女の子の一人が不満そうに声をあげると、男の子がむすっとした声で、

「ぼく、いっつもやられやくじゃん! ぼくもかんむすがいい!」

 その言葉に、女の子たちがそろって笑い声をあげる。

「なにいってんのー。かんむすは女の子しかいないんだよー!」

「そんなあ」

 言われた男の子の方は情けない顔をしてみせる。

 それを見ながら、熊野がぽそっとつぶやいた。

「あんな子たちでも艦娘は知られてるんですのね」

「そりゃそうじゃん。いま深海棲艦と戦えているのは艦娘だけだもの」

「ねえ、どうしてサインをお断りになったの?」

 熊野がじとりとした目で鈴谷を見る。

「いいじゃないのですの。それぐらい。わたくしたちの言わばファンじゃありませんか。わたくしたちが艦娘ってことぐらい明かしたってどうということは――提督も特にそんな注意していなかったでしょう?」

「……まあ熊野は初めてだから、仕方ないかもだけど」

 鈴谷はややうんざりした声で言った。

「あまり艦娘ってことをおおっぴらにしない方がいいのよ。わたしは前回それをイヤってほど思い知ったからさ」

「……なにかあったんですの?」

「提督が言ってたじゃん。『毀誉褒貶が渦巻いている』って。そういうこと」

「そんなことありませんわ!」

 熊野がばっと立ち上がり、声を荒げた。

「わたくしたちは人類の盾として、深海棲艦から皆を守っているんじゃありませんこと!? そのことを褒められこそすれ、貶されるいわれはありませんわ!」

「ちょっと、熊野、落ち着きなって」

「落ち着いていますわ! わたくしたち艦娘は――」

「――なんだぁ? おまえら、本当に艦娘なのか」

 熊野の声にかぶせて、不穏な感じの男の声がかぶさった。

 鈴谷が目を向けると、まだ若い男たちが四人ほど、二人を囲むように近づいてきた。

「間違いないぜ。本屋の店員に聞きだしたんだ」

「へえ、見た目は本当にそのへんの女と変わらないんだな」

 その口調に、挑戦的な、攻撃的な、嫌な感じがこもっている。

 鈴谷はまなじりをつり上げると、熊野をかばうようにして男たちの前に立った。

「何のよう?」

 言いながら、鈴谷は男達の様子を素早くうかがう。だらしなく着崩した服装。カレンダーでいえば平日で午後のこの時間、普通なら学校なり仕事なりがあるはずだ。男たちの無精ひげを見て鈴谷は不快感をおさえきれない。

「艦娘がよ、こんなところをぷらぷらしてていいのかよ」

 男の一人が口をとがらせて言った。

「お前らは深海棲艦と戦うのが役目だろうよ。さっさと戦場へ行けよ」

 男達の声には、不平不満がこもっていた。それは艦娘に向けられた敵意というよりも、別のかたちで蓄積したものが、いまこの場で噴出しているようだった。

「そうだ、お前らが深海棲艦をとっとと退治しねえからよ」

「世の中回らねえし、俺達も職にありつけねえんだよ」

 自分の背後で熊野が息を呑むのが聞こえる。鈴谷は歯噛みした。できれば熊野にはこんなのは見せたくなかった。艦娘が人間から信頼され、評価され、認められていると思っていた熊野には。

 自分を奮い立たせるように、すうっと息を吸い込むと、鈴谷は言い放った。

「あたしたちが艦娘かどうかはともかくとして」

 本当ならこんなやつら無視して逃げるべきかもしれない。

 だが、言ってやらねば、鈴谷自身もまた気がすまなかった。

「戦場で命張っている子たちに対して『おまえらのせいだ』はないんじゃないの? だいたい、あんたたちがプーなのは艦娘と関係ないじゃん。海の道が断たれていても、この国はそれなりに回っている。みんなで頑張って回しているんじゃん。それを人のせいにしてグダグダしてるのは、それはあんたたちがダメなだけじゃない」

 ぐうの音も出ない正論。それだけに男達を怒らせるには充分だった。

「ンだとコラ」

「ちょっと痛い目みたいのか」

 男達が額に青筋を立てながらじりっと近寄ってくる。

「ちょっと鈴谷……」

「……言いすぎたかな」

 ささやき声で言葉を交わして、鈴谷は苦笑いを浮かべた。

 艤装があればこんなやつらオーバーキルだ。

 そして艤装がなくても艦娘の身体能力は高い。

 乱暴されても返り討ちにする自信はある。鈴谷と熊野は重巡ベースの航巡なのだ。

 まれにだが、深海棲艦との戦いで肉弾戦になることもある。単純な喧嘩なら、たぶん二対四でも普通の人間相手には遅れをとることはない。

 鈴谷が懸念していたのは、提督になんと申し開きをするか、だった。

 買出しにでかけた艦娘が、仮にも一般人に暴力を振るう。

 艦娘は人間ではない。艦娘は艦娘ではあり、戦力であり、兵器だ。

 ここで仮に鈴谷が男を殴ってノックアウトすると、たとえて言うなら街中に出た戦車が通行人を轢きましたという話になってしまう。そうすると提督の監督責任にもなるだろうし自分達も始末書どころではないだろうし――

 ――それは面倒だなあ、と鈴谷が思いつつも、覚悟を決めたとき。

 不意に、どこからともなくダークグレーのスーツを着た男が二人、

「君たち、なにをしているのかね!」

 よく通る、しかし空気を圧する声で言い放った。

 鈴谷に絡んでいた男達がスーツの男達に目を向ける。

「なんだコラ、おまえら」

「あんたらには関係ねーよ」

 注意がスーツの男達に向き、鈴谷と熊野を囲んでいた輪がすこし緩む。

 スーツの男が鈴谷に目配せした。

 それにすぐ気づいた鈴谷は軽くうなずくと、熊野の手を取って駆け出した。

「あ、コラ、待て!」

「待つのは君たちだ。相手がほしいなら我々がうけあおう」

「ンだとコラ!」

 乱闘が始まりだした音を背後に聞きながら、鈴谷と熊野は走り去っていった。

 

「やっちゃったな、軍曹」

「やっちゃいましたね、少尉」

「まあ、あれだ。義を見てせざるは勇なきなりというからな」

「わたしは少尉の指示に従ったまでです。始末書はあなたが書いてください」

「……中佐からは監視するだけと言われていたんだがな」

「――少尉どの」

「なんだ」

「軍人としては失格ですが、男としては正しい判断であります」

「……とりあえず、こいつらどうしようか」

「のびてるだけです。転がしておきましょう」

 

 しばらく走って、息が切れてきたところで、鈴谷と熊野は立ち止まった。

 お互いに肩で息をして、しばらく声が出ない。そんなに走ったわけではない。走った疲労よりも、騒動に巻き込まれたというストレスが響いている。

「だいじょうぶ? 熊野?」

 先に息を整えた鈴谷が、相方の肩をぽんとたたく。

 熊野はというと、げんなりした顔で落ち込んだ様子だった。

「あんな方たちがいるなんて……」

「――あたしのときはさ、軍備反対のデモ行進だったんだよね」

 鈴谷は空をあおぎながら、思い出しながら話した。

「かなりめちゃくちゃな主張でさ。艦娘なんて訳のわからないものを配備するから、深海棲艦が襲ってくるんだ、とか。艦娘は戦意高揚のために軍がでっちあげたもので、本当はそんなものはいないんだ、とか」

 鈴谷は、ふうっと息をついた。

「鎮守府にいる頃は自分達が人類すべてから必要とされていて、人間すべてから認められていると思ってたからさ。ちょっとショックだったなあ」

「――あんな人たちを」

 熊野は肩を震わせながら、言った。怒っているような、泣いているような声。

「あんな人たちを守るためにわたくしたちは命をかけているんですの?」

「おんなじことを提督に聞いたなあ」

 鈴谷は苦笑いを浮かべながら言った。

「――提督はなんとおっしゃってましたの?」

「提督は『悔しいけど、あんな人たちもいる人間を守るのが艦娘の役目だ』って」

 その言葉に熊野はぎりっと歯噛みした。

「納得いきませんわ」

「だからさ、買出しに出たときはあまり艦娘だってことを明かさないほうがいいんだよ。ああいうことがあるから――?」

 そう言って、鈴谷はふと言葉を切った。

 ぱたぱたと小さな足音が駆けてくる。

 熊野が顔を上げ、鈴谷が目を向けると、公園で“かんむすごっこ”をしていた女の子と男の子が駆け寄ってくるのが見えた。

 目を丸くしてると、子供達は頬を上気させながら、息を切らしながら、言った。

「あの、さっきの、見てました」

「おねえさん、たち、かんむすなの?」

 鈴谷と熊野は顔を見合わせた。しばし考え込んでから、鈴谷が咳払いをして、

「あー。あのね、そのあたりはちょっと言えないんだわ」

「かんむすのおねえさんだったら、いいたいことがあります!」

 男の子の方が目を輝かせながら、

「あのね、ぼくのおとうさん、船乗りなんだ。海でしんかいせいかんにおそわれて、もうだめだってときに、かんむすのおねえさんが来てくれて、船がしずめられそうなところをたすけたもらったんだ、って」

 その言葉に、鈴谷と熊野はそろって目を丸くした。

「まえにちんじゅふにお礼のてがみかいたんですけど、もしおねえさんたちが、かんむすのおねえさんだったら、きちんとおれいがいいたくて!」

「わたしはニュースでかんむすのおねえさんたちががんばっているのを見て、もし会うことがあれば、わたしもおれいがいいたかったの!」

 女の子も続けて言う。

 二人はそろって顔を見合わせると、にこりと笑って、鈴谷たちに頭を下げた。

「ありがとう、かんむすのおねえさん!」

 その言葉を聞いて、熊野がくすりと笑みを浮かべ、鈴谷が照れくさそうな顔をする。

 鈴谷は手を伸ばして、子供達の頭をなでた。

「わざわざ追いかけてきてくれたんだね――ありがとう」

 その鈴谷の言葉に、熊野が続けて微笑んで、

「あなたたちの言葉で勇気百倍ですわ」

 それを聞いて、子供達が、にぱっと笑みを浮かべた。

 手を振って、「ばいばい」と言いながら、鈴谷たちの元を駆け去っていく。

 鈴谷たちはしばらく子供達を見送っていたが、やがて、熊野がぼそっと言った。

「提督の言葉を借りるなら」

 熊野の声は穏やかで、暖かさに満ちていた。

「『あんな子たちもいる人間を守るのが艦娘の役目だ』ということなのかしら」

「……そだね。ああいう子もいるなら、ちょっと頑張ろうって気になるじゃん?」

「あら、ちょっとじゃありませんわ」

 熊野はすっと背を伸ばして、胸を張ってみせた。

「たくさん、ですわよ」

 そう言って、熊野が微笑む。

「買出しって大変ですのね。色々あって」

 その言葉に、鈴谷が微笑み返す。

「でも色々あるから面白いんだよ」

「ちょっとイヤな思いもしましたけれど、また機会があれば来たいですわ」

「そのためにはビンゴ大会で勝たなきゃね」

「帰りに神社に寄りませんこと? 願掛けに」

「いいじゃん、それ。行こう行こう!」

 微笑みあう二人の顔が、やがて満面の笑みとなる。

 鈴谷が熊野の手を取り、熊野が鈴谷の手を握りかえし。

 二人は手をつないで次なる目的地へと歩いていくのだった。

 

〔了〕

説明
もしゅもしゅして書いた。やっぱり反省していない。

というわけで艦これSSvol.20をお届けします。今回もネタに困っていたところ、フォロワーさんから「航巡の話とか読んでみたいですねえ」と言われて、前から題材にしたかった鈴谷と熊野を取り上げねばなるまいと思った次第です。

鈴谷と熊野はどうも艦娘というよりも女子学生というイメージが強くて、二人を書くなら街中のショッピングだと前から思っていたのですが
蓋をあけると意外な方向にプロットが転がりまして、どうしてこうなった。

最後にお約束の文言として、艦これファンジンSS「うちの鎮守府」シリーズはそれぞれ個別に楽しめるように書いております。気になったお品書きから読んで頂いて構いません。

それでは皆様、ご笑覧くださいませ。
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艦隊これくしょん 艦これ 鈴谷 熊野 

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