粉砂糖とガトーショコラ
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料理を教えてほしいんだ。しどろもどろに発せられたその内容に意表をつかれたわたしは、え、なんて間抜けた声を上げてしまう。ぽりぽりと頬を掻きながら視線を泳がせていた声の主は、目をしばたたいているわたしを見て、やっぱりだめかな、と首を傾げ、困ったように笑った。

 

「ううん、全然、そんなことない」

 

あわててわたしが答えると、杏子ちゃんの目に安堵の色が浮かんだ。「そうか、よかった」

 

「でも、どうして、突然」

ちょっと顔、貸してくれる。そう呼び止められた時、てっきりまた魔女がらみの用事だろうな、と勝手にアタリをつけていた。こうやって杏子ちゃんに呼び出しをされたのはこれで二回目だけれど、一度目はさやかちゃんがあんなことになった時だったから、また誰かに何かあったのかと肝を冷やしたものだが、どうやら心配のしすぎだったみたいだ。無事さやかちゃんがまた魔法少女に戻れたからよかったものの、やっぱり、あの時の不安や悲しみは、そう簡単には忘れられない。

そういう事もあって、かなり身構えてそれ相応の覚悟をして会いに行っただけに、蓋を開けてみればそうした深刻さとは掛け離れた牧歌的な依頼だったことに、わたしは拍子抜けしてしまったのだ。

まるで、普通の中学生の会話のようで。

 

そんな気持ちから来たわたしの問い掛けを受けて、杏子ちゃんはくしゃっと笑ってみせたあと、軽く息を吐いて、言葉を紡いだ。

「今度のさ、火曜日、バレンタインデーだろ?あたし、さやかになにか、あげたくってさ」

「……杏子ちゃん」

「……あいつとはさ、まぁ、色々あったけどさ。でも、さやかが助かったときはあたし、本当によかったなって、そう思ったんだよ。

生まれてはじめて、魔法少女のこの力も、捨てたもんじゃないって、思えたんだ。

……ほら、あたしたち、こんなご身分だろ?いつ本当に命を落とすかわからない。だから、

 

後悔、したくないんだよ」

 

「杏子ちゃん」

「それにまあ、あいつはその、なんだ、失恋したばっかでチョコなんてあげる相手もいないだろうしさ、あわよくば三倍返しを、なんて、」

「杏子ちゃん!」

 

心にあったかい気持ちがいっぱいに広がって。たまらずその肩に飛びついた。杏子ちゃんは、「おわっ」なんて声を上げて、なんだよ、離せよ、と笑いながら言う。そのまま暫く二人して、溢れる笑いが抑えられなかった。

 

「それで、いいんだよな?」

「うん、手伝いたい、手伝わせてほしい!」

あの時と似たやりとり。だけどまるで違う二人の表情。

相変わらず口角が上がってしまうのを感じながら、あの二人をつなぐことができたなら、それはとっても嬉しいなって。わたしはそんなふうに思ってしまうのだった。

 

 

 

 

「でも、なんだか意外だな」

「ん、何がだよ?」

 

バレンタインデーの前日、わたしの家のキッチンにて。わたしは学校の授業を終えたあと、杏子ちゃんは材料の買い出しを済ませたあと。友達とチョコを作るんだ、そう言うと、パパはとても嬉しそうな顔をして、夕飯のしたくを早めに終わらせてキッチンを空けておいてくれた。

 

「杏子ちゃん、てっきり料理とか、得意なんだと思ってた」

薄力粉とココアパウダー、それらをまとめてふるいながらわたしが答えると、杏子ちゃんは卵を割ろうとする手を止めて、「ああ」とおかしそうに笑った。

「いつも食べてるからだろ? ……ねえ、卵黄と卵白ってどうやって分けんの」

「あはは、うん、そう、…ん、貸して」

ひょいひょいと左右の殻に卵黄を移してみせると、杏子ちゃんは「うまいもんだなぁ」と目を見張って覗き込む。

「杏子ちゃんもやる?」

はい、と卵を手渡すと、杏子ちゃんは何の変哲もない真っ白な卵を手の平の上でためつすがめつしてから、満を持して、という面持ちで、卵をボウルの縁にぶつけた。

「あっ」

ぐしゃり、潰れるような音がして、見ると、卵(だったもの)が、ボウルと杏子ちゃんの手の間で無惨にぺしゃんこになっている。杏子ちゃんは呆けたような顔をして、潰れた卵とわたしの顔を交互に見ていた。

「ええー」

「……ごめん」

「ええー……」

「なんだよっ」

「ごめんごめん、ちょっとびっくりしちゃって」

 

キッチン台の上に飛び散った卵(だったもの)をわたしが拭いている間もずっと、手を開いては閉じながら「なんでだろう……」と呟く杏子ちゃんに、「本当に料理できないんだねぇ」と言うと、「あたしも、自分でももうちょっとはできると思ってた」と首を傾げて笑った。

「やっぱ食べるの好きでも料理の腕には関係ないんだなぁ」と一人ごちる杏子ちゃんの隣で、わたしは、これは思ってたより、と舌を巻いた。これは思ってたより、重症かも。簡単だから、失敗しにくいから、という理由で選んだこのメニューだけれど、これは逆に、どのお菓子でも変わらなかったかもしれない。

ちらりとリビングの時計を見やると、針の指し示す時刻はそろそろ5時。バレンタインデーは明日だし、下準備で手間取っていられる余裕はない。

 

「よし」静かに息を吸って、短く吐く。ぐっ、と軽く伏せていた顔を上げて、

「杏子ちゃん」

「え?」

「ビシバシいくよ」

「……え」

 

 

 

 

「ふあー……なんとか一段落」

「あはは、お疲れさま」

型に流し込んだ茶色の生地を、ついさっき入れたばかりのオーブンの前で、杏子ちゃんはしゃがんだ体勢のまま、ふわぁと小さく伸びをした。

 

あれからおよそ40分。冷やしておいたチョコレートを杏子ちゃんがこっそり食べちゃったり、電動泡立て器の設定を間違えて、卵の白身をキッチン中に飛び散らせてしまったりと、いくつかのハプニングには見舞われたものの、それでも何とかレシピ通りに大体の工程を終えて、今は焼き上がるのを二人で待っているところだ。

ハートの形をした小さなケーキ型は、まだほとんど火の通っていない生地をたたえて、オーブンの真ん中に座っている。

 

「それにしても」伸びをした腕をそのままに、杏子ちゃんはこちらを見て笑う。「たかがお菓子を一個つくるだけでも、大変なんだな」

「うん、わたしも最初は苦労したよ」

 

「何も考えずに食ってたけどさ、ちゃんといっこいっこ、作ってる人がいるんだよな、当たり前だけど」

杏子ちゃんはからりと笑って、その場から立ち上がり、キッチンの出窓の前に立って、そこから覗く小さな空を眺めるようにした。

 

「…まあ、あたしは魔法少女だしさ。ほかに同類だっていないし、いつも食べてるもんの出所がどこか、なんて気にする気も、ましてや考える余裕もなかったし、きっとこれからもそれは変わらないと思うんだけどさ、」

杏子ちゃんはこちらに背を向けて喋っていて、だからその表情を読み取ることはできない。

 

「これは、さやかに受けとってもらわなきゃ、いけないからさ」

 

いつも何かを食べている杏子ちゃん。その食べ物がどこから来たか、なんて気にしたことはなかったけれど、それでも、レジに並んでお金を払って、そういう所謂正規のルートを踏んでいないであろうことは、鈍いわたしでも、少し考えれば分かることだ。わたしより多く杏子ちゃんに接して、さらに人一倍高い正義感を持つさやかちゃんはきっとそのことを知って、黙っているなんてことはしなかったはずだ。何らかのやり取りが交わされて、その結果杏子ちゃんがどう思ったかは私には分からないし、勝手な憶測を巡らせる資格も、ましてや首をつっこんで干渉する筋合いもどこにもないのだけれど。だけど一つだけ言えるのは、嘘じゃないと断言できるのは、杏子ちゃんのさやかちゃんへの気持ちだ。

 

「…ん、大分焼けてきたんじゃないか?」

不意に振り返り、声を弾ませる杏子ちゃんが指差すオーブンからは、確かに甘いチョコレートの香り。

「わぁ、ほんとだ、もうすぐだよ」

楽しみだね、と手を叩くわたしの横で、杏子ちゃんがぽつりと一言、呟く。

「さやかの奴…喜んでくれるかなあ」

半分伏せられた目はいつになく不安そうに動いていて、わたしはたまらずぎゅっと自身のエプロンの裾を握る杏子ちゃんの手を取り、笑った。

「大丈夫、きっとさやかちゃん、喜ぶよ」

はっとしたように顔を上げた杏子ちゃんは虚をつかれたように目を数回しばたたいて、それから、ゆっくりとはにかむように笑った。

 

キッチンを、甘く優しい香気が包み込んでいる。贈り物の完成を告げるタイマーが鳴るのはきっと、もうすぐだ。

 

 

 

 

?

 

 

 

 

「それで?なんか用?」

白いコートを羽織り、マンションの前まで出てきたさやかはこちらと目を合わせずに、ぶっきらぼうに言い捨てた。もうちょっとマシな言い方できないのかよ、こいつ。

でも許してやるよ。気まずいのは、お互い様だ。

柄にもなく心臓が早鐘を打つ。背後ではまどかが「頑張れ、杏子ちゃん」と囁き背中をとんと押してきて、――ああ、もう。

あたしは後ろ手に隠していた、あたしが生まれてはじめて作ったケーキを入れた紙袋をずいと前に突き出して、半ばヤケクソ気味に、それでも精一杯の感謝と、謝罪と、これから共に戦うであろう戦友への、心ばかりのエールを込めて。

 

「食うかい?」

 

説明
3年前くらいに書いた杏さや小説を諸事情でサルベージしてきました。
百合というより友情です。
もしも魔女になったさやかちゃんを無事救う(ソウルジェムに戻す)事ができたなら、という設定でお楽しみ下さい。どうにかしてみんなを幸せにしたかったのだった…
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杏さや 魔法少女まどか★マギカ 

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