鵬の声を夢みて
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 近隣に人里のない土地を開いて作られた鎮守府には、敷地の一部にも依然むき出しの自然が残されている。特に山際の北西側はそのまま原生林が続いており、昼なお暗いというほどではないにしろ、下草が鬱蒼と茂り覚束ない足元にごつごつと樹木の根が顔を出して、人を寄せつけがたい雰囲気を漂わせている。おかげで鎮守府で暮らす少女達にはあまりよい印象を持たれていない。

 もっともその原因の一端は、植生の不気味さというよりも、すぐ傍に建てられている施設に負うところの方が大きいのだが。

 日の出をやや過ぎ、木漏れ日を受けて寝坊気味のセキレイが塒で身づくろいをしはじめるのと同じ頃、その施設、鎮守府付属の武道場から鋭い一声が響いた。

 驚いた鳥がひと声あげて飛び立つのに合わせるように、直後にはじめのものよりはずっと力弱い叫びが、ただし無数にあがる。

「もっと腹から声を出せ!」

 天龍型軽巡洋艦一番艦天龍の吼声が道場内の空気を引き締める。

 平時でも装備したままの簡易艤装さえ外し、ふくよかな胸元の一層強調される道着姿ではあったが、左の眼を覆う眼帯と、全身から湯気とともに沸き立つ雄々しい気配は艶めかしさ一切を吹き飛ばしている。

「はい!」

 同じく道着を着た駆逐艦の面々が、組み合いながら口々に返す。

 軍の訓練課程に柔道と剣道は正式に組み込まれており、重巡洋艦以上の担当者には弓道も加わる。

 もっとも、いくら訓練とはいえ、日の出直後の早朝から行われることはない。これはすべて希望者のみに行われている自主練だ。だから防具の後片付けに手間のかかる剣道は避けられ、もっぱら柔道のみを行っている。

 きっかけは単純なものだった。駆逐艦担当の数多いる少女達のうちで、武術を得意としない一部が正規の訓練だけでは追いつかない状況を憂えていた。そこで、遠征などでなにかと接触する機会の多い天龍に指導を願い出た。それだけのことだった。

 ところが、やがて少数で行われている練習が噂されるようになり、手を挙げる者が後になって頻出した。来る者は拒まずをモットーにしていたところが、所帯はいつしか三十人を超えていた。

 人数が増えても天龍の指導が散漫になることはない。それどころか、いよいよ厳しさは増し、訓練時間も長くなっていった。

 しかし、それは、当初の気心の知れた仲で行われた、和気藹々としたものとは様相を転じていた。

 

「よし、今日はここまで」

 時計の長針がちょうど一周した頃、天龍の号令でその日の自主練の終わりが宣告される。

「ありがとうございました!」

 金切り声を発して、駆逐艦達は三々五々道場を後にする。

 小さく悲鳴をあげて体のあちこちに手をあてているが、案外足取りはしっかりとしている。

 まずは何より向かう先はシャワー室だ。

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「まったく、天龍隊長ももうちょっと手を抜いてほしいわね」

 両手を前にだらりと下げながら、いかにもくたびれた様子で一人の少女がぼやいた。水雷戦隊を率いていた所以から、朝練に集まった少女達はいつ頃からか天龍を自然と隊長と呼ぶようになっていた。

「まあまあこれも演習の一つだと思ってさ」

 隣にいた少女が苦笑とともになだめる。

「そりゃ私だって正規の訓練ならこぼしたりしないわよ。けどさ、自主的な朝練で、毎度毎度こんなに疲労困憊してたら本末転倒でしょ」

「でも朝練の後のごはんはおいしいよ」

 並んでいた別の少女がぼそりとつぶやく。

「そこがまた問題なの。いいこと、今は戦時下なの。いくら連戦連勝を続けてるからって、油断は禁物。節制できるところはしておかないと。私達がこんなことで貴重な食料を消費するよりも、空母や戦艦に使ってもらった方がいいに決まってるでしょ。だいたい、天龍隊長なんて、そもそも最後に前線に出たのいつだって話で……」

「あっ、それで思い出したけど、第一艦隊の人達、帰投するの今日の午前のはずだよ!」

「ちょっと、なんでそれを早く思い出さないわけ? ほら、さっさとシャワー行かなきゃ! 使えなくなっちゃうわよ!」

「そんな急に走らないで……。あー、待ってよー」

 一陣のつむじ風のように、けたたましい騒ぎの余韻だけを残して、少女達は駆けだしていった。

 一部始終をやや離れた場所で聞いていた人影があるのも知らずに。

 別に聞き耳をたてていたわけではない。毎朝掲示板に張り出される官報の確認にきたところで、たまたま耳に入ってきたのだ。ただでさえよく通る少女達の声は、早朝の澄んだ空気と彼女達自身の高ぶりで、居合わせた者の耳に勝手に飛び込んでいく。

 しばらくその人物は官報の方に目を向けながら、むずかゆい表情をしていた。視線が文字をなぞるものの、まったく内容が頭に入ってこない。やがて、一度頭をかきあげると、大きくため息をついて先ほど駆逐艦の少女達がやって来た方向へと歩きはじめた。

 知らなければ知らないままで済ませただろうが、一旦知ってしまったからには無視をするわけにもいかない。

 そういう性格の娘だったのだ。

 

 朝の陽射しが枝々の間からこぼれるように格子窓にそそがれて、道場に明かりを運んでくる。

 朝練でまい上がったほこりもおさまり、熱気の余韻も失せた静謐に囲まれて、天龍は一人瞑目したまま端座していた。

 撥ね気味の髪も汗にまみれてペタリとへたりこみ、その後ろ姿はどこか雨に打たれる野良犬を思わせた。

「なんだ、ずいぶんとしょぼくれてんな」

 後ろから驚かしてやろうかと考えていたのが、その様を目にしてすっかり気が変わり、木曾はそう憎まれ口を投げ掛けた。

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 球磨型軽巡洋艦五番艦木曾はなにかと天龍と比較されてきた。それは天龍とは逆の右目を覆う眼帯しかり、ぶっきらぼうな言葉遣いにその割に義侠心の厚いところしかり、外見的内面的を問わない特徴の相似はもとより、天龍はブレザー、木曾はセーラー服という対照的な点まで話題にされた。なにかというとやれ似ている、いや似ていないと言われることに嫌気がさして、鎮守府に来たての頃は顔を合わせればなにかと衝突が絶えなかった。けれども縁というのはおかしなもので、そうやって時に取っ組み合いの暴力沙汰まで引き起こしながらも、次第に打ち解けていった。

 けれども天龍はそんな喧嘩友達の呼び掛けにも背を向けたままで、

「なあ、木曾、なんだかんだいって、戦争は数だよな」

 いきなり本題を切り出した。

「そうだな」

 藪から棒という様子もなく、木曾もまた自然に受け答える。

「時々思うんだよ。俺達は遊ばれてるんじゃないかって」

 唐突に会話が飛んだように思えたが、木曾は天龍が言葉を接ぐのを待った。

「この戦いがはじまって以来、大した損害もなく、勝利に次ぐ勝利で進軍は止まらず、人類は確実に自らの海を取り戻しつつある。……けど本当にそうか? いまだにアイツらはこの鎮守府近海にすら顔を出してくる。ここに限りゃしない。どんな狭い海でも深海棲艦を根絶やしにできたって話は聞いたことがねえ。制海権を獲得したっていう海域のどこにいくにしても、出くわさないことがない。そのたびに撃破はしているものの、それで本当に勝ってるっていえんのか。冷静に見れば、圧倒的な武力を有しているのはあっちだ」

 一筆啓上仕り候。ほおじろの特徴的な鳴き声がどこからか響いてくる。

「そりゃ俺らだって人員は増強されてる。けど戦線の拡大に追いついてるとはお世辞にだっていえやしない。こんな感じで戦闘海域ばかり広げていけば、いずれ補給線が伸びきっちまう。アイツらはそれをほくそ笑んで待ってるんじゃないのか」

 さんさんと降る秋の陽光に照らされながら、天龍の口は止まらない。

「そんなところを一斉に攻められたらどうなる。前線部隊は寸断されて孤立、本土は主力を欠いて鍛錬の足りていない兵でも使わざるをえない状態になる。そんな時、まず使い捨てにされるのは若年兵だ。経験のあるやつはいざって時のためにとっておかなきゃならないからな」

 木曾の頭に一人の姉の顔が浮かぶ。いつも気だるげでどこか茫洋としているが、笑みを絶やさない優しい女性だ。だが、時折、ふと見る横顔に物憂げな陰がさすことを知っていた。未実装ではあったとはえ、搭載を予定されていたある兵器がいまだに深く心を抉っているのだ。

「俺はさ、そうなる前に沈んでるだろう。なにせ突っ込むしか能がないしな」

 驚くくらいにあっけらかんとした、明るさすら含んだ物言いだった。

「でも、そうなった後、あいつらを無駄死にの的にさせるようなことはさせたくないんだよ。一人でも巡洋艦の一つくらい落とせる。自分達には価値があるってことをお偉いさんに見せつけてやるだけの何かを備えさせてやりたいんだ。だけど、駄目だな、俺ゃ。せっかちだから、ついつい、馬鹿みたいにあいつらのペースも考えずに突っ走っちまう。せっかくやる気を出してきてくれたっていうのに、それを挫くようなことばっかりだよ」

 頭を掻く仕種はいかにもいつもの武骨な天龍のそれではあったが、その後ろ姿はどこか寂しげでもあった。

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 突如背後でなにか軽いものの打ち合わされる音が甲高く響いた。

 驚いた天龍が咄嗟に後ろを振り返る。

「御高説はおしまいかい?」

 いつの間に艤装を外したものか、上はセーラー服のまま下だけ道着のズボン姿の木曾が笑っていた。

 戸惑う天龍に木曾は手中のものを放ってよこした。細長いシルエットのそれを、思わず抱きかかえるようにして受け止める。

 竹刀だった。

「ごちゃごちゃと慣れない言葉を並べたもんだな。お前、そういうタマじゃないだろ?」

 いかにも年季の入った手垢と汗にまみれた竹刀を右手に握り、その切っ先を天龍の額のあたりに突きつける。

「あー、やだやだ、これだから頭の中が殴り合いでいっぱいのやつは……」

 天龍は慨嘆するように両手で竹刀をもてあそびながらそうつぶやいて、

「お前が、いつまでもとろとろとしてるから、準備する間を作ってやってたんだろ!」

 正座の姿勢から左足を思い切り踏み込ませ、円の軌道で竹刀を振り上げた。

 話しかけるタイミングに合わせた抜き打ちに、木曾は自らの竹刀を両手で握り直す暇もなく、そのまま払われるにまかせるしかなかった。

 小気味よい乾いた竹同士の撃ち合う音が道場内にこだまする。

 得物を手の内から弾き飛ばされる失態だけは防いだものの、姿勢を大きく崩され、もう一度構え直さなければならなくなった。それが屈辱だったのは、再び相まみえる態勢になった鬼気迫る表情からも明らかだった。眼帯のないむき出しの眼は瞳孔が半ば開いて、食いしばった口元からは犬歯がのぞいている。それでも顔に笑みがなお張りついているのはかえって凄絶だった。

 天龍はすっかり腰を上げ、体の正中線をずらして片足を半歩前に出した姿勢でいつでも攻められる姿勢をとっていた。ぴたりと静止して微動だにしない竹刀の先端越しには、やはり笑みが見える。

 木曾が口を開けた。

「どうやら腕はなまってないみたいだな。ほっとしたぜ」

「俺はがっかりだ。こんなにあっさりと形勢逆転しちまったら拍子抜けだ」

「ぬかせ。まぐれ当たりがそんなにうれしいかよ。語尾が上ずってんぞ」

「なんだあ、負け惜しみか? お前こそ声が震えてるぞ」

 挑発が飛び交うものの、言葉ほどには表情に変化はない。

「へ、へへへ……」

「ふ、ふふふ……」

 しかし、二人の笑い声が重なった次の瞬間、

「うおおおおおおおおおおおおおお」

「いやあああああああああああああ」

 木曾が肚の底から振り絞られる胴間声を、天龍が喉を裂く怪鳥音を発して踏み込んだ。

 剣道のルールなどあったものではない。肘や足払いまで飛び出す、竹刀を打ち当てることだけを目的としたぶつかり合いだった。

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 竹刀が触れ合う音や、気合いの掛け声は、道場を震わせ、外にまでもれ出ていた。羽を休めていた野鳥達は、物珍しそうにとまった枝から、格子窓を通して道場内を観察している。

 目の前の相手を打ち負かすことに集中している天龍も木曾も、そんな見学者に気を取られている暇はなかった。だから、その更に奥手に、大樹の幹に半身をひそませて、じっと二人のやり取りを見つめている人物がいることにも、まったく思い至らなかった。

 

「ぷはーっ!」

 空っぽになったグラスを握りしめたまま吠声が轟く。

 鼻の下についたきめの細かな泡は無精髭にも似ている。

「いい飲みっぷりねえ、天龍ちゃん」

「おう、お前もいけ!」

 一日の勤務を終え、すっかり開放的になった天龍は手ずから向かいに座る相手のグラスに瓶を傾ける。琥珀色の液体が泡立ちながら注がれていく様は、それだけで喉を乾かす。

「ありがと」

 縁から泡のあふれないギリギリのところで切り上げて、間髪おかずに口をつける。

「おいしい」

 目を細め、薄く口元をほころばせると、頬はわずかに桜色に染まる。色白な肌には、かすかな色づきも十分に映え、凄艶というべき色気を振りまいている。特に乾ききっていない濡れ髪を下ろした襦袢姿と合わさるとなおさらだ。

「だろ? やっぱり風呂上がりはこいつに限るよな」

 けれども天龍はそんなものを歯牙にもかけはしない。同性だからというのも理由の一つだろう。しかし、それ以上に、対座する相手が実の妹だという方が強い。

 天龍型軽巡洋艦二番艦龍田は天龍にとって唯一の肉親であり、最も気のおけない相手だった。

 自室で互いにビールを差しつ差されつして、晩酌を酌み交わしているところからもわかる。といいたいところだが、実際にはこれはかなり稀な光景だった。

 軍内のもろもろの務めのため、日々を忙殺されている天龍と龍田ではあるが、できる限りいっしょに食事のとれる機会を設けるようにしている。それでも天龍はいつも手酌で、たとえ龍田が申し出ようとも言葉を濁して断ってしまう。あまりしつこく突っつくと、かえって怒りだしてしまうほどだ。

 龍田はそれが面白くて、時折からかうこともあったが、照れがそもそもの原因だと知っているため、あまり深追いをすることはない。

「今日はずいぶんとご機嫌ね」

「あ? そんなことねえだろ」

 努めてつっけんどんな口調を装うとするが、龍田にはその努力も粉飾もつつぬけだ。

「うそ。だって、天龍ちゃん、帰ってきてからずっとニコニコしっぱなしだもの」

 あわてて顔をまさぐるが、おそらくその行為自体が肯定につながっていることを、天龍は気付いていない。

「悔しいなあ、天龍ちゃんにそんな顔させるなんて。ねえ、どんなことがあったの?」

「お前には教えてやんねえ」

「もー、意地悪」

 龍田が拗ねた風に頬を膨らませる。もちろん演技だ。それでも、天龍はその演技の裏に、幾分かの本音がまざっていることを知っている。普段はゆとりを見せて、生半可な事態では動揺も見せない妹が、こんなことで感情を揺さぶられている様を目にすると、天龍はつい愉快になってますます晩酌が進み、比例していよいよ顔も綻びっぱなしになるのだった。

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 明けて次の日、いつもの面子でいつもの朝練がくり広げられていた。

 ただ違うところといえば、その日の天龍がいつもと異なる異様な雰囲気を発していたことくらいだった。

 礼へのこだわりが強く、入場の挨拶のしかた一つからないがしろにしない天龍が、この日は寡黙といっていいほど口数も少なく、要所要所で指示を出すに留まっていた。

 普段は努めて厳めしくしている顔つきも、一文字に口を結んだまま、眉間に皺を寄せてはいるものの、どこか違和感が漂っている。

 それが駆逐艦の面々からすると不気味でしかたがなかった。

 自由組手で天龍と当たることとなった白露型駆逐艦四番艦夕立は、特にそれを目の当たりにしていた。

 そもそも夕立は天龍があまり得意ではない。

 軍規にうるさく、年功序列を重んじ、なにかというと居丈高に上から大声をがなりたててくる。もちろん命のかかった務めだから、厳粛にしなければならないところがあるのは重々承知だ。けれどもそれ一辺倒ではメリハリもなにもあったものではないじゃないか。

 そんなことを思っていたし、今でも頓珍漢な考えではないという自負はある。

 それでも目の前でそのメリハリを決められると気味が悪い。

 近くに寄ってわかったが、天龍は明らかに心ここにあらずという状態だった。ぼんやりとしているばかりでなく、時折、普段よりも鋭い眼光を発することもあり、それが決まってあらぬ方に向けられている。

 にもかかわらず、乱取り稽古の反応だけはしっかりしているあたりは流石というべきなのかもしれない。

 朝練の間、天龍は型を教える時以外、自分から攻め手にまわることはなかった。それでもまだだれ一人として、まともに天龍から一本を取った駆逐艦の少女はいなかった。

 並みいる軽巡洋艦勢の中でも、決して体格に秀でているというわけでもなく、また目立った武勲の持ち主というわけでもない天龍が、いざ相手となると驚くほどの強敵に変貌した。投げようとすれば足から根の生えたように持ち上がらず、崩そうとすればしなやかに体がどこまでも追ってくる。強引に攻めようとすれば鋼となって立ちはだかり、意表を突こうとすれば先回りをされる。

 打てば響く天龍が今日に限っては、まるで手応えなく、別人と組み合っている感すら受けた。

 こうした相手の思惑を計れない時がいちばん不気味だった。

「た、隊長?」

 だから、つい厳禁されている訓練中の私語が口をついた。

「へ、へへ……」

 しかし返ってきたのは叱責でもなければ、夕立への応答でもなく、小さな笑い声だった。

 とうとう背が粟立った。状況としてなんら笑うべき事情もないのにほくそ笑むというのは、これまでの天龍像からかけ離れていた。

 恐怖を感じる前に体が動いていた。

「ぽ、ぽぽ、ぽいっ!」

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 この時、天龍はただ昨日の木曾との立ち合いを思い出していただけだった。同程度の力量の相手とやり合った充足感だけでなく、気の置けない同士で過ごした時間の精神的な満足が、つい天龍の心をゆるめさせていた。

 結果的にそこを突かれる形となった。

 全身が総毛立つ感覚が襲い掛かる。天龍は武芸の達人ではない。スマートさからは縁遠い、動作も大袈裟で無駄も多い、泥臭い所作の目立つ武人だった。けれども、だからこそ、これまで積んできた何百何千という地を這う経験が、自分の打ち倒される感覚を鋭敏にしていた。

 懐深くに入り込まれて、片足が浮き掛けたところで正気に引き戻された。普段ならこの状態では既に手遅れで、受け身の準備に態勢を移行させるところだった。

 だが、この時は、まだ経験の薄い夕立がおっかなびっくりしていることもあり、速度、キレともに不十分なところが多かった。おかげで夕立の支えとなっている軸足に浮きかけた足をからませることができた。

 たまらないのは夕立だった。遮二無二かけた技だけに、阻まれては返し方もわからない。

「むぎゃっ」

 危ういバランスで体を支えていたのも束の間、盛大に頭から転倒したところでそのまま組み伏されてしまった。

 天龍からすれば咄嗟にほとんど体が勝手に反応した返しだった。寝技に持ち込んで締めに入ろうとしているところで、あわてて体を解いた。

「ちょっと、夕立、大丈夫? ねえ!」

 指導者である天龍の奇異な振る舞いと、夕立の意外な奮闘は皆の注目を集めており、二人の体が離れた途端、夕立達白露型のリーダーを務める白露が駆け寄ってきた。

 けれども、天龍の目にはそんな姿は映らない。

 油断していたとはいえ、体格の異なる相手を振り払うすんでのところまでいったことに、指導者としてただ彼女は驚き、そして感動していた。

 自分の襟元に掛けられた夕立の引き手の力と、腹の下にもぐりこんできた体捌きを何度か反芻すると、天龍は喜色満面輝かせて振り返った。

「おい、夕立! お前凄えよ! お前なら、絶対強くなれ……る……」

 だが、その興奮した口舌も最後までは続かなかった。

 ようやくこの時になって、天龍は倒れたままぐったりと身動きしない夕立と、涙を浮かべて睨みつけてくる白露の姿を目にしたのだった。

 他の面々も手を止めて、固唾をのんで状況を見つめている。

「あ……」

 そんな中、天龍はそれ以上継ぐ言葉を持たなかった。

 

「困ったことをしでかしてくれたね」

 鎮守府庁舎の最も高い階に設えられた執務室。窓からは距離のあるはずの工廠や港の様子も一望できる。形式的ではあるが、鎮守府の様子を俯瞰できるこの部屋こそが、艦娘含め施設管理の全責任と権限を一手に引き受ける提督の居城であった。

「本当に困ったことだよ」

 同じような言葉を反復した部屋の主は、わざとらしくため息をついてみせる。

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 憂いに眉をひそめさせているその顔は以外に若い。また体つきも決して引き締まっているとはいえず、海軍の白い制服がなければ、とても軍籍に身を置く人物には見受けられない。どちらかといえば、制服も着ているというよりは着られているという観を否めない。

「はい。ただ、お言葉ですが、駆逐艦夕立の負傷は大きなものではなく、意識の回復次第、明日からでも再び任務に参加可能だという医師の所見も……」

 応対しているのは秘書官にあたる正規空母加賀だ。感情の起伏の薄い彼女は、まるで提督の愁眉など気にも留めていないようだ。

「そういうことじゃないんだよ。わかっているだろう」

 もう一度、先ほどよりもさらに大仰なため息がもれる。

 事故の報告は天龍自身よりなされていた。訓練中の負傷は珍しいことでもない。けれども、今回の件は、正式に申告されていない自主的なものであったことが問題視され、ひとまず天龍は別命あるまで待機、接見は例外なく誰も認めないという措置がとられた。

 その処遇を決定すべく、提督は加賀を呼びつけたのだった。

「全体、隊員のスケジュールは月単位で決定されている。それは隙なく、効率的にだ。余暇も単に入れるべき作業がなかったからじゃない。やらなきゃならない仕事はいくらだってあるんだよ。しかし、人間はそんなに根を詰めて働き通せるものじゃない。短期間は無理がきいても、無理は無理だ。やがて祟る時がくるさ。そうならないために、休むべき時にはしっかり休んで次の勤務に備える。そのための余暇なんだ。それをわざわざ潰してまで勝手に隊員をしごいて、あまつさえ怪我を負わせるなんて……」

「勝手に、ではなかったと記憶しております。少なくともこれまで三度、開始前と定期的な経過報告が上がってきていたはずですが。提督もご覧になられたでしょう」

 提督の長広舌に加賀が割って入る。

「ああ、見たよ。けど、あの報告には、こんな危険性は指摘されていなかったじゃないか。いいかい、プレゼンテーションでメリットだけをあげるなんてのは最もやっちゃいけないことだよ。デメリットもあわせて、初めて判断を仰ぐことができるだろ。だから、ぼくは、あの時、肯定も否定もしなかったんだ。覚えてるだろ? ぼくはいったよね、やりたいならやればいいじゃないか、と。ところが、その結果がこのざまだ。これまでは向上心の自主的な現れということで大目に見ていたが、こういう事態を起こしてもらったら、私としても立場がなくなるんだよ。わかるだろ?」

 苛立たしげに机を指で叩くが、加賀は眉ひとつ動かすでもなく涼しい顔をしている。

「それではどのようになさいますか。天龍型軽巡洋艦一番艦天龍の任を、当時刻をもって解きますか」

「そういうわけにもいかないだろう。なんだかんだいって、彼女も長い。その培ったノウハウを無にできるほど余裕はない」

「なら謹慎を解き、速やかに復隊を命じますか」

「そうもいかない。そんなことをしてしまっては、他の隊員の手前示しがつかないよ」

「では?」

 それきり会話は途切れた。

 加賀は直立不動の態勢で返答を待ち構えている。筋繊維一筋動かすことのない完全な静止状態で、まるで空間ごと切り取って時間を止めたようにさえ見える。

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 執務机に座した提督は、両肘をつき手を組んでそこに額を乗せたままだんまりを決め込んでいる。注がれる加賀の視線にもこたえず、ただ柱時計の振子の音に合わせるかのように、机の下で足を小刻みに痙攣させている。

 沈黙の時間はいつ果てるとも知れず続いたが、唐突に響いた時報の音でそれは破られた。

 ボーンボーンというウズボン打ちの深い余韻が部屋中に満ち、やがて静かにそれが引いた頃、

「では秘書官である私の判断で、今回の件は収めさせていただきたいと存じます」

「本当にまかせて問題ないだろうね?」

 この期に及んで尚そう言い募る提督に加賀はただ「御迷惑はおかけいたしません」とこたえるばかりで、踵を返してしまった。

「待ちたまえ」

 執務室を退出する際、再び振り向いた加賀を提督は呼び止めた。

「ぼくは鎮守府のみんなのことを第一に考えているんだよ。そのあたり勘違いしないで……」

 加賀は言い終えるのを待たず、扉を閉ざしてしまった。

 

 天龍の謹慎処分が解かれ、かわりに提督の名による呼び出しを受けたのは夕刻近くになってのことだった。

 鎮守府に暮らすものにとって最優先されるべき緊急性を伴う命令であり、覚悟を決め足早に指定の場所へ急いだ。しかしその行く先にやや不可解の念も抱いてはいた。

 朝練にも使っている原生林に面した道場。訓告を行うにはあまりにも場違いだ。

 上がり框から道場に続く敷居で一つ礼をして、中に足を踏み入れると、

「待っていたわ」

 頭を上げるより先にそんな言葉を投げ掛けられた。

「加賀……さん」

「そんなに畏まらなくとも、いつも通り呼び捨てで結構」

 加賀は着衣こそ白い胴衣に紺の袴という普段通りの出で立ちながら、胸当てなどの艤装を全て取り外していた。特徴的な左で結んだサイドテールは後ろで束ねているのと合わせて、動きやすさに重点を置いた格好をしている意味を天龍は瞬時に理解した。

「あんたが範を示しにきたってわけかい」

 既に場内に他の人間の気配のないことは察している。窓や戸は開かれこそしているものの、閉鎖的な空間に階級の異なる人間が、ただならぬ様子で対峙しているとくれば、制裁の二文字が浮かぶのはいたしかたない。

「いいえ。そうね、ケジメをつけるという方が正確かしら」

 所作のひとつひとつが凛と響くようで、研ぎ澄まされた鋭刃の透徹さを誇る加賀には似つかわしくない単語が出てきた。

「どっちにしろ、やることはいっしょだろ」

 おかげで天龍の緊張も幾分かほぐれた。

「誤解のないようにいっておくけれども、ケジメをつけるのは私よ」

「はあ?」

 今度こそ予想もしなかった言に、つい声がもれた。

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「今朝の夕立の件については、訓練中ならまだしも、就業時間外に私用に兵を駆り出し、あまつさえ負傷させるなど言語道断」

 ピシャリと小気味よさすら感じさせるほどの断言だ。ところが加賀の言葉はさらに続く。

「というのが提督の見解よ。綱紀に則った適切な認識であり、組織の長として尊重されるべき意見でしょう。でも、幸い提督は計画作戦を立案する参謀本部と、現実にそれを行動に移す兵との間では、必ずしも理屈が合致しないことも御承知です。そこで、私が権限を委譲され、貴女の処遇を決することになったの」

 もってまわったいい方をしたところで、結局さして変わりはない。それでも加賀の話は終わらない。

「昨日の木曾さんとの会話を聞きました」

 たちまちこれまでとは異なる動揺が天龍の内を駆ける。あれは喧嘩仲間の木曾の前だからこそ表に出せたもので、青臭く思慮に乏しいことを自ら理解しているだけに、恥部を見られるような恥じらいを伴った。

「我が意を得たりというのは、ああいう時に使うのでしょうね」

 思わず耳を疑う。

「私の考えは、貴女が口にしていたことと大差ありません。私達先達は、先達としての責務を、あらゆる点で果たすべきです。その意味で、私は貴女の行いを一切咎めるつもりはありません。ただ……」

 そう言い換えようとしたところで、加賀と天龍の間の、それどころか道場内の空気が一変した。

「それには一つの疑問を質さなくてはなりません。夕立の負傷はある問いを生まないわけにはいきませんでした。結局、小さな者はどう研鑽や工夫を重ねても、大きな者にかなわないのではないか。私の考えというのは、所詮は希望的な、現実性の乏しい夢想なのではないのか」

 天龍のこめかみのあたりから汗が一筋流れた。

「ですから、天龍さん、貴女が証明してみせてください」

 加賀の言葉は、常に気負いや衒いというものから最も縁遠い。にもかかわらず、耳にする者に聞き流すことのできない切実さをもって迫ってくる。

「貴女がただの軽量艦でないことを。駆逐艦で巡洋艦がいなせるのならば、貴女でしたら戦艦や空母、つまり私を打ち倒すことができるということを。額面に収まらないという貴女の価値を私に示してください。それが私のケジメです」

 身長こそ高いものの、加賀の外観は筋骨隆々からは程遠い。現在の軍において最大の攻撃力を保持する戦艦を担当している娘はもちろん、重巡洋艦ですら加賀に勝る体格の持ち主はいる。

 だが天龍は知っている。数百人いる艦娘のなかでも、ほんの一握りが到達し得る正規空母という地位が伊達で務まるものではないことを。おまけに加賀は、その数少ない正規空母のうちでも最大の艦裁機を有している。所有数が多いということは、発進可能数もそれに従うということだ。

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 空母の艦載機の発進方法は、個々で異なる。ある者は式神というこの世ならざるものの力を借りて、ある者はボウガンなどの機構を利用して推進力を確保している。ところが、そうして他者の力を用いるよりも、加賀の手ずから引いた弓から発せられる機体の方が多いのが現実だ。

 これは加賀の膂力が尋常ならざるものであることを示して余りある。単に腕力が強いだけではない。背筋、脚力もろもろも発達していなければ強弩は引けない。

 冷静に見積もってみて、運動能力で天龍の勝っているところは何一つなかった。

 とはいえ、

「どうしたの? 上役を大っぴらにやっつけられるチャンスでしょう」

 わざわざ加賀から発破をかけてもらわなくとも、選択肢は定まっていた。

 両の掌を思い切り頬に打ち付ける。

「よっしゃあ!」

 一つ大きく息を吸って、肚の底からしぼり出した気合いの一声は、道場を揺さぶって、初秋の空を駆けていった。

 

「っぽい!」

 奇声をあげながら、胸にかけられたタオルケットを吹き飛ばして夕立は跳ね起きた。

「あ、目を覚ました」

 傍らのパイプ椅子に座っていた白露がまずそれに反応した。

「よかったー。先生は軽い脳震盪だって言ってたけど、いつまでたっても起きないし、心配したんだよー」

 そんな声も届かないかのように、夕立はまずきょろきょろとあたりを見回す。白塗りの壁にリノリウム張りの床、二十畳はあろうかという室内には、自分が横たえられていたのと同じ規格のパイプ製のベッドがずらりと並べられている。天井にはカーテンレールが張り巡らされ、ベッドを一台ずつ区切れるようになっているが、他に相部屋の人間のいない今は白いレースのカーテンはしまわれ、束ね忘れた一枚だけが換気のために開かれた窓から吹き込む風で鷹揚とはためいている。

「医務室? あ、そっか」

 ようやく自分のいる場所と、運ばれてきた経緯に思い至る。

「大丈夫? どこか痛むところはない?」

 マットに置いた夕立の手に、白露が心配げに自身の手を重ねる。温もりとともに白露の思いやりも伝わってくるようで心地よい。

「大丈夫、だいじょうぶ。むしろぐっすり休んで調子がいいっぽい?」

 実際、自己申告通り、夕立ははじめこそ気絶していたものの、途中からすっかり熟睡してしまっていた。

「もう馬鹿、心配かけて」

 白露は拍子抜けして、笑っていいやら怒っていいやらわからない表情をしている。

「そうだ、わたしどのくらい寝てたっぽい? 今日はお昼から演習の予定入ってたでしょ?」

 黙って白露が腕時計を示すと、夕立は目を丸くして声も出せなかった。昼どころか、もう夕方に掛かっている。

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 軍隊というところは時間厳守が絶対原則だ。たとえよんどころない事情であっても、一分でも遅刻しようものなら、斟酌されることなく厳しい指導を受けなくてはならない。まして無断欠勤などもってのほかだ。

「ぽ、ぽぽぽ、ぽぽぽぽぽぽぽぽぽ……」

 壊れた蓄音機のようになってしまった夕立の反応が、その苛烈さを示している。

「なんちゃって。びっくりした? そんなにびくびくしなさんなって」

「ぽい?」

「だいたい、本当に無断欠勤なんてことになったら、私がこんなところでのんびりしてるわけないでしょ。ちゃんと許可がおりてるんだって」

 そこまで聞かされて、安堵のため息がもれた。

「もー、びっくりさせないでよー。心臓が止まるかと思ったっぽい?」

「さっきのお返しよ。これでおあいこよ、おあいこ」

 悪びれた様子もなく、白露は舌を出してみせる。

「でも、本当の本当? もし白露まで怒られちゃったら……」

「心配性なんだから。でも、それもご無用よ。なにせ今回の件は、加賀さんのお墨付きだから」

「加賀さん?」

 つい素っ頓狂な声が出たが、夕立からすれば白露の口から出た名前もずいぶんと突拍子もなかった。

 同じ鎮守府に寝起きしているから、無論夕立も秘書官を務める加賀と面識はある。けれども、正規空母と駆逐艦では、担当する任務や海域も異なるため、夕立と加賀は演習でさえ同じ隊列に加わった経験がなかった。

 そんな人がわざわざ出張ってくる理由が皆目見当もつかなかった。

「ほら書付も届けてくれてるし」

 見せられたのは、夕立と付き添い一名の任務免除を許可する書面だった。正規の通知書に発行番号が付され、几帳面な文字で加賀の署名と捺印まで施された、正式に有効な一通だった。

 だが夕立の混乱は深まるばかりだ。一介の駆逐艦の、しかも勤務時間外の事故に、過分といってもいい厚遇だ。

「提督がずいぶんおかんむりなんだって」

 書付を届けた人物からのまた聞きだと断ったうえで、白露はいきさつの説明を行った。それは人物の名前こそ出されなかったものの、先刻、提督執務室で交わされた会話の概要をほぼ伝え、天龍に相応の罰が下されるだろうと結ばれた。

「でもそれっておかしくないっぽい?」

 事情を聞かされた夕立の顔は浮かばなかった。

「おかしいって、なにが」

「だって天龍隊長は、もともとわたし達に頼まれて指導を引き受けてくれたんだよ。だったら、監督不行届きで責を問われたとしても、それならわたし達にもおとがめがないと不公平じゃない」

 白露は返答に窮してしまった。まさか当事者の夕立から天龍を擁護する発言が出されるとは思ってもみなかったからだ。

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「わたしはこんな形で自主練が終わってしまうのはいやだな。だって、まだ天龍隊長から一本とってないんだもの。もうちょっとなの、もうちょっとでこの手が届くっぽ……」

 言いかけたところで、夕立の流れるように伸びた髪のうち、頭頂部近くで左右にはねた一部の癖毛がまるで犬の耳のようにピクリと揺らいだ。

「な、なに今の……。叫び声?」

 それは白露の耳にも届いていた。しかし、キョロキョロとあたりを見渡したところで、既に音の兆候は影も形もなく、ただ名残のように相変わらず窓際のカーテンがゆらいでいるばかりだった。

「て、夕立!」

 目を離したのはほんの数秒だった。だが、その隙に夕立はベッドから飛び下りて、ドアに駆け寄ろうとしていた。

 白露の呼び掛けにも聞く耳持たず、廊下にまろび出てからも、足は自然に動いた。考えるよりも先に、体が行くべき場所を伝えてくれているみたいだった。

「ちょっと、夕立! そんな体でどこ行くのよ!」

 問われても答えられない。それでも、今の自分を突き動かしている直感を信頼することができた。

 やがて下は道着のズボンに上はアンダーを一枚着たきりの夕立が、自分の向かっていた先に思い至ったのは、武道場の前で足が止まったまさにその時だった。

 

 眼前に畳が近づいてくる。目のひとつひとつまで数えることができそうだ。

 天龍は何度目かもんどり打ってその場に倒れた。派手な音をたててはいたものの、受身が間に合っているから衝撃はさほどでもない。

 とはいえ、まったく無傷というわけにもいかず、息は上がり頭からまるで滝にでも打たれたような汗が流れ落ちている。

 目の前で対峙する加賀とは対照的だった。

『やっぱりな』

 荒い息を吐きながら天龍は、汗をかくどころか顔色ひとつ変えることなく、じっとこちらが起きるのを待ち構えている加賀を見上げていた。

「はじめに言っておきますが、私から攻めることはありません」

 天龍が咆哮をあげ、いざ取っ組み合おうという間際、加賀がそんなことを言いだした。

「貴女達の得手は先制と奇襲でしょう。それを無視して真価を測っても益ないことよ。存分に仕掛けてらっしゃい。反則を言うつもりはありません。もちろん、私も受け捌きくらいはさせてもらいますが」

 普段なら天龍の性格からして馬鹿にするなと食ってかかっていたところだろう。ところが、この時は何も言わずそれを飲んだ。

 その結果がこれだった。

 右の襟をつかもうと腕を伸ばす。指先がもう少しで綿製の胴衣に触れようかというところで加賀の姿が消えた。より正確を期すなら、目の前にあったはずの加賀を見失った。それから一秒に満たないわずかの間に、視界が負えないほどに二転三転し、気がつけば床が迫っている。

「合気……」

「ええ」

 半ばかすれつつもしぼり出した天龍のつぶやきに、加賀は変わらぬ声で律儀にこたえた。

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 夕立が到着した時、既に道場の前には人だかりができつつあった。

「みんな、こんなところでどうしたの?」

「それはこっちのセリフよ」

「夕立さんは大丈夫なのです?」

 暁型駆逐艦の雷電姉妹は突然薄着で現れた夕立にすっかり面食らっていた。

「わたしなら、もう全然。それよりみんな……」

 あたりにいるのは、まだ面貌に幼さをたたえた駆逐艦担当の、それも天龍の朝練に参加している娘ばかりだった。

「電とわたしは使い終えた資材を運ぶように指示されてきたのよ」

 再利用可能な材木や鉄鋼をまとめて収蔵する倉庫は道場からもほど近い。

「そうしたら声が聞こえてきたのです」

 電が言い終えるのとほぼ時を同じくして、奇声が施設内からあがった。直接鼓膜に響く甲高い声で、鳥のあげる威嚇のような、はたまた小動物のたてる悲鳴のようでもあった。

 途端、少女達の間から、道場前に来るにいたった経緯が口々にあがった。もっとも、それらはどれも雷や電と大同小異で、あくまでたまたま居合わせただけだった。

「私らはあんたを追いかけてきたんだしね」

 わざとどすを利かせた調子で、白露が背後から肩をつかんできた。朝倒れたまま意識が戻らないという夕立の状況は、ほうぼうに巡っていた。その当の本人が、アンダー一丁の姿で駆けていたのだから、何事かと思って後についてきた者も少なくなかった。

 要するに、積極的な理由があってやって来たのは夕立ただ一人だった。

 自然、皆の視線が集中する。とはいえ、夕立にも具体的な説明ができるわけでもない。

 その時、またあの叫び声が聞こえた。心なしか、前のものよりも小さくなっているようだった。

 それに後押しされる形で、夕立は意を決して、建物内に足を踏み入れた。

 

 敷居をまたいで道場内の様子を一目見るなり、駆逐艦達は言葉を失った。

 ちょうどまさに天龍が床に叩きつけられる場面に遭遇したからだ。

 額のあたりからもんどりうって倒れた天龍は、それでも一つ前転をして、勢いを殺さないように起き上がると、そのまま振り返ってむしゃぶりついていった。

 道場にいたのが天龍だったのも驚きだったが、その相手をしているのが正規空母加賀であるのはさらに大きな驚きだった。そしてその加賀の、まるで手品でも見るような手際こそ、驚きの域を超えた出来事だった。

 体重を乗せた前傾姿勢で殺到する天龍を、加賀はただ左右のどちらかに身をそらして回避する。駆逐艦の少女達の目に映ったのはそこまでだった。ところが、次の瞬間には、何故か天龍の体が宙を舞っていた。

 自分達の目ながら、見たものを見たまま理解するのは難しかった。

 パチパチと瞬きをして、眼前でくり広げられたことを整理しようとすれば、その前に天龍はつかみかかっていって、また飛んでいくのだった。

 ようやく何度目かにして、天龍が加賀の足元にも及んでいない事実を思い知らされるばかりだった。

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 合気道の存在はもちろん駆逐艦の面々も知っている。しかし、ほとんどの少女がそれを目の当たりにするのは初めてだったし、かつて観戦経験のある者にしても、ここまで鮮やかに使いこなす様を見たことはなかった。

 相手の襲い掛かる勢いを、そのまま投げや組み伏せに利用する。駆ける人間の足を引っ掛けるのに似たと言えば理屈は簡単だが、余程人体構造と人間の行動原理に深い造詣がなければそもそも技として成立しない。それを加賀はいとも容易い素振りで使用していた。

 天龍は格闘においても駆逐艦達より場数を踏んでいる。相手が合気道を使うと知れば、それに即した戦法に変える。ただそれがまったく通用しなかった。右に左に攻め手をせわしなく変化させてみても、思い切って腰のさらに下に飛び掛かってみても、結果は同じで、まるで互いに示し合わせたかのように返された。

 いつも厳しく口やかましい天龍が、なすすべなく地を舐めさせられるのを見て、溜飲を下げた娘がいたのも事実だ。しかし、その痛快も時を経るにしたがって、痛ましさだけになっていった。

 十人以上の少女がいるというのに、道場内は静まりかえっていて、ただ天龍の打ち付けられる音と、その際に肺からもれるうめき声だけが例外だった。

 何度かに一度天龍が発する掛け声は、技の先鋒というよりは自ら奮い立たせる気合いにしか聞こえなかった。

 駆逐艦の少女達は、おぼろげに、自分達と他の艦種の娘達との差を、艤装によるものと考えていた。だが、武装解除した加賀と天龍の圧倒的な力量の違いを見せつけられると、根本的な能力の差が横たわっていることを認めないわけにはいかなかった。それでも、埋められない溝を前にした悲壮感が薄かったのは、天龍の動きにやけっぱちと映るところが少なかったからだろう。

 何度倒されても、天龍は加賀に立ち向かっていく。惰性とか義務によるものではない。ましてやふて腐れてなるようになれと身を投じるというのは、その姿から最も遠いものだった。

 天龍は相変わらず、眼を爛々と輝かせながら、格上の相手に挑みかかっていた。

 体が追いつかずとも、意識だけは純粋に正面から加賀を見据えている。この時、既に天龍の頭の中から、組み合いに至ることになったあれやこれやは消えていた。ただ目の前の相手を倒すことに徹する一個の武人がいるだけだった。

 だから、何十度目かの転倒を味わった際、まともに顔から畳に落ちて鼻の両穴から出血させても、ひるみもせず即座に立ち上がった。

 見守る少女達の息を飲む声にまじって、短い悲鳴があがる。鼻血は、垂れるというなまやさしいものではなく、壊れた蛇口のように続けざまにしたたり落ちて畳に薄赤い模様を刻んでいた。

 夕立の口も、周囲の友人と同じく開く。けれども、そこから発せられたのは、嘆声でも悲鳴でもなかった。

「天龍隊長負けないで!」

 自分でも意識しないうちに口をついたのは激励だった。

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「もうちょっと、もうちょっとでわたしも隊長から一本取れるんだよ。なのに、こんなところで、その隊長に負けられちゃったら、今までの努力が水の泡っぽくない?」

 はたから聞けば勝手な言い草だ。しかし、その口吻は心からのもので、並みいる駆逐艦にも共鳴していった。

「そうよ! これまで好き勝手に投げてくれた隊長がそんな有り様だったら、これから何を目標にしたらいいのよ!」

「立てなくても、動けなくても気力を振り絞れは隊長の口癖です。それを見せてください!」

「いよいよとなったらひっかいて噛みついてでも諦めないんじゃなかったんですか!」

 夕立も、雷も電も、そして白露までも、口々に少女達は言葉を吐きつける。それは幾分かの怨嗟を含んだ叱咤ではあったが、

「だから負けないで!」

 紛うことなき激励だった。

 これに動かされたのは、意外と加賀だった。

 朴念仁やひどい時には鉄面皮などと揶揄される加賀だが、実際には情に厚い女性である。ただ少しばかりそれを表現する手段に疎いだけだ。

 それだけに駆逐艦の面々が一心に天龍を応援する様は、感動を呼ぶのに十分だった。

 その声援を一身に背負っている当の天龍は、ところが微塵も耳に入っていなかった。それどころか教え子である駆逐艦がやって来ていることにそもそも気がついてすらいない。この時、天龍の世界は、ただ加賀が一人いるだけだった。

 それは加賀も同じだった。同じはずだった。合気とは、文字通り異なる他者と気持ちを合致させることだ。寸分違わず合わさっているからこそ、相手の動きを利用して自由に受け流すことができた。

 ところが、今、加賀は取り巻く少女達の言動に心動かされていた。これがほころびの第一だった。

「があっ!」

 声というよりは喉の奥のきしりをほとばしらせて、天龍がまたも仕掛けてきた。

 飽くことなく何十遍とくり返されてきた直線的な攻撃だった。執拗に襟を狙う手を、体のひねりと腕の引き込みであしらう。ところが、その最中で、思いもよらなかった手ごたえが返ってきた。

 天龍の手というよりも指が、加賀の胴衣の袖をつかんでいたのだ。

 狙っての行為というよりは、数え切れないほどのやりとりを反復するうち、起こった一度の偶然であった。だが、その偶然が引き起こされた原因は、加賀の計算違いにあった。天龍をはじめとした軽巡洋艦のスタミナは、他の艦種をしのぐ。だからこそ外洋を含む、各地域への派遣作業に彼女らが積極的に配置されている。それは加賀もわかっているつもりだったが、実際の耐力を見くびっていた。ほころびの二つ目だ。

 突っかかってきた勢いのまま捌かれ、転倒するはずのところが、加賀の袖をつかんでいたためにすんでのところでこらえられた。けれども、既に一時間以上も経過していた立ち合いのため、天龍の全身は汗で浸され、足元までしとどに濡れそぼっていた。そこに無理な制止がかかったため、自身の汗のおかげで畳の目に沿って大きく足を滑らせた。

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 袖をつかまれた動揺もあったのだろう、加賀は咄嗟に腕を引き、天龍の横転を救った。

 短い間隔で何十という矢を射る腕の力をもってすれば、天龍一人の体を支えることは難しいことではなかった。

 しかし、それがほころびの最後で、最大のものとなった。

 二人分の体重をまかなうため、足が踏み込まれる。それは、この立ち合いで初めて見せた加賀の力みだった。

 計算はなかった。ただ本能的ながむしゃらで、天龍は腕一つで宙吊りにされた態勢から、加賀の体に組みついた。両腕は脇を通して肩にまわり、両脚は加賀の自由な左の脚に絡みついた。

「え? ちょ、ちょっと!」

 足を滑らせての横転も、しがみついたのも、意識しての行動ではなかった。だから、加賀もまったく不意をつかれ、それを受け流すタイミングを完全に失った。おまけに無理な姿勢のところで力んだ脚だけが残されては、崩れたバランスを立て直すこともかなわず、例のない動転した悲鳴をあげながら後ろに傾いていくしかなかった。

 次の瞬間、天龍はこれまでとは全く異なる衝撃を全身で受け止めた。

 なにが起こったかはわからなかった。けれども、気がつけば、水を打ったような静寂のなかで、馬乗りの体勢で加賀を組み伏せていた。

 汗とようやくおさまりかけた鼻血が、ぽつりぽつりと加賀の白い胴衣に水玉を描いていく。

「お見事」

 小さく微笑みながら加賀がそうつぶやくやいなや、道場内は割れんばかりの喝采で埋め尽くされた。

 

 秋の日は釣瓶落とし、傾いた太陽は間もなく没し、山際の鎮守府はすぐ夜に包まれる。工廠の灯が落ちるにはまだ早く、作業員は戻った少女達の艤装の点検や、明日に控えた任務のための調整に余念がないものの、小高い丘にあたる庁舎はそれを見下ろすばかりで、わずかに一部の部屋の窓が輝くのを除いて、他に明かりらしい明かりはない。

 渡り廊下はわずかに中庭に掲げられた常夜灯から伸びる光が射すばかりだ。昼間には激しい人の往来もすっかり途絶えて、蛍光灯の白い明かりを横から受けている人影もぽつりと一つあるばかりだった。

 その人影の足取りは軽く、よほどよいことでもあったのだろうか鼻歌をわずかにもらしながら、本棟からいくつかの建物を経て敷地内を横断していく。やがて目的の施設に到着しても、特に手間取ることもなく中に入る。

 室内は星月の輝きがかろうじて入り込んでくる程度の明かりしかなかったが、もともと調度の類がないため、特に不便はない。それでもろくに視界のきかないはずの夜闇を、些かも気に留めず、歩幅もそのままでステップでも踏むみたいな軽やかさで滑るように進んでいく。

 そうして武道場奥の控室の扉をやはりなんの躊躇いもなく引き開けた。

「軽巡洋艦龍田、失礼いたします」

 途端、白熱灯の明かりがもれ出して体を包んでくる。夜目に慣れた視界に突然の光の奔流が襲い掛かるが、龍田は眉一つ動かすこともなく、微笑をたたえたまま静かに敬礼を解いた。

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「いらっしゃーい」

 道場奥はそれまでの建物の造作と異なり、洋間形式になっている。フローリングの上には毛の長い絨毯が敷かれ、洋机と椅子にロッカーと書類棚が壁に面して設置されている。部屋の中央には多人数用のソファと来客用の机が置かれており、出迎えの返事はそのソファから発せられた。

「あらー、赤城ちゃん、こんばんはー」

 戸を背にした姿勢から振り向いたのは、正規空母赤城だった。

「ごめんなさいね、こんな格好で。ちょっと今手が離せないの」

 後ろ手に戸を閉めなおし、赤城のもとにまわり込むと、龍田もその言葉の意味を知った。

「あらあら、加賀さんもすっかりお疲れなのね」

 階級に関係なく、相手をちゃん付けで呼ぶ龍田にとって、加賀や伊勢は数少ない例外だった。ただし、それは相手をたててというよりは、単に口にした際の違和感の有無にかかっているようではあった。

 そしてその数少ない一人である加賀は、ソファに身を横たえて赤城のふとももをまくら代わりにして寝息をたてていた。

「そうなの。だらしない寝顔でしょ。今だったら、ちょっとくらい落書きしたってかまわないわよ」

 赤城は快活にそういって含み笑いをして見せるが、龍田はそれにただ笑みを重ねて黙っているばかりだった。

 普段はきりっと引き締まった加賀の容貌も、寝ている時ばかりはゆるまり、あどけなさすら浮かぶ安らかなものになっている。

「天龍ちゃんもよ。本人は強がってたけど、駆逐艦のみんなにまわりから支えられないと一人で歩けないくらいだったんだから。今は医務室で湿布のミイラみたいになって寝ちゃってるわ」

「ああ、それでたっちゃんも、ここがわかったのね」

「ええ、雷ちゃん達が教えてくれたの。加賀さんから、今回の件の顛末をまとめるために控室にいるから、誰も入っちゃいけないって言われたって」

「かっこつけちゃって、馬鹿でしょう。みんな出ていった後で、一人倒れてたのよ」

 からから笑いながら、赤城は加賀の頬を両手ではさみ込む。しかし、その笑い声の消えきらないうちに、

「ほんとバカ」

 そう付け足した顔は慈しみに満ちていた。

「それで、たっちゃんは、こんな時間に何をしに来たのかな? 闇討ちじゃないわよね」

 言いながら上げた顔には、変わらぬ笑みが浮かんでいるものの、明らかに発散する空気が硬質に変化していた。

「いやだ、赤城ちゃん、私をそんな目で見ていたの? ショックねえ」

「もちろん、普段はそんなことないわよ。でも、天龍がからむと、たっちゃんは人が変わるじゃない」

「それは赤城ちゃんもいっしょよね。だから加賀さんを心配して、飛んできたんでしょ」

「ふふふ、そうね」

 龍田も赤城も笑顔に裏はない。二人とも屈託なく笑いながら互いを警戒しているのだ。

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「はいはい、この空気おしまい。私は天龍ちゃんの仇打ちに来たんじゃないんだもの。それどころか、加賀さんにお礼を言いに来たのよ」

 両手を宙で大きく振って、周囲の空気をはらいのけるようにして龍田は言う。

「お礼?」

「そうよ、今朝の夕立ちゃんの件を、大きくしないように取り計らってくれたのは加賀さんでしょう。だから、そのお礼」

 そう言うと龍田は加賀の寝顔に深々と頭を下げた。

「どういたしまして。結局のところ、自分を納得させたかっただけよ。だから、あてが外れてた時には自分も辞めるつもりだったなんて言うのよ。聞いてあきれてしまったもの。天龍の力に説得力があるかどうかを見届けないといかないのは、加賀じゃないでしょうに」

「だから、夕立ちゃんと白露ちゃんを医務室で待機できるように計らってくれたんでしょ。駆逐艦の寮だと、武道場からは遠いものね。おかげで、当事者が納得いってくれたわ」

「提督の意向を伝えるのと、加賀の任務免除の書付を届けるついでにね。もしかしたらうまく働くかと思っただけだったけど、想像以上だったわ。たっちゃんこそ、八方手を尽くしてギャラリーを増やしてくれたじゃない」

「天龍ちゃんは不器用なの。だから、うまくごめんなさいできないのよね。だからそういう場を作るつもりだったんだけど。あははは」

 再びお互いで笑みを交わし合う。不穏な空気は薄れたが、なんとなく二人を取り巻く夜気の濃度が上がったかのようだ。

 それにあてられたのか、加賀がかすかにうめき声をあげた。赤城は顔をそちらに向け、頭を軽くなでてやる。

「でも、たっちゃんは、もし天龍が負けたらどうするつもりだったの?」

 いかにも何気ない質問だった。だから龍田も自然体でそれにこたえた。

「どうもこうもなかったわ。だって、そもそもあれは勝負ではなかったもの」

「勝負じゃなかった?」

「そうじゃない。加賀さんは天龍ちゃんを助けたかったし、天龍ちゃんはそれにこたえたかった。二人の思惑はいっしょでしょ。だからあれはテンポを合わせる練習みたいなものだもの。勝ちも負けもないでしょう」

「だったら、もし失敗していたら?」

「そのために私や赤城ちゃんが、色々と縁の下の力持ちをやったんじゃない。でも、どちらにしろ、余計なお世話だったと思うな」

「あら、どうして?」

「だって、天龍ちゃんと加賀さんだもの」

「それもそうね」

「でしょー」

 再度上がった赤城の顔はやはり笑っていた。

「じゃあ、いつまでもお邪魔してもなんですから、私はそろそろ戻ります。失礼しますね」

「あ、龍田さん」

 体を反転させたところで、赤城が呼びかける。その声は完全によそ行きのものに変わっていた。

「天龍に言っておいてちょうだい。あなたの気持ちはよくわかりました。けど、私達空母や戦艦勢が健在なうちから、自分が轟沈する心配をするなんて百年早い。以上よ」

「はあい、今度やったら、東京急行二十本だって伝えておきます」

 赤城に背を向けた姿勢のまま敬礼をしてそうこたえる。

「三十本」

 不意に赤城の腰元からそんな声があがった。

「え?」

「三十本です」

 いつ目を覚ましたものか、加賀が態勢はそのままで、しかしきっぱりとそう言い切った。

「あらあら、そんなにお土産いっぱい頼めるかしら」

「人形焼きなんていいんじゃない。あれならみんな好きでしょうし」

「じゃあドラム缶を増やしておかないといけないわねえ」

 夜の林間に時ならぬ笑い声が湧き起こった。けれども、寝床に入った鳥達は、さして騒ぎたてもせず、緩慢に首を明かりのもれる窓に向けただけだった。

 やがてその笑い声も闇に溶け込み、みみずくの鳴き声にとってかわられた。

 

説明
天龍のキャラをつかむのに苦労しました
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艦これ 艦隊これくしょん 天龍 加賀 木曾/龍田/夕立/赤城 

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