貧乏くじの引き方-終編之壱- |
暗闇。近く、遠くに、砲火が煌めき、着弾により水面が荒れる。怒号や悲鳴、咆哮を子守唄に、長門はたゆたう。
「……さん、長門さん……かった、生きてますのね……」
薄れる視界の中、金色の髪が光を受けて煌めくのが微かに見える。声の主が同一艦隊であった熊野だと気付いたのは、一部を失った脇腹に海水を満遍なく浴び、痛みに跳ね起きてからだった。
「ぐうっ!?……く、熊野か、ひとまずは、生きているようで何よりだ。戦況は?」
「……芳しくありませんわ。私は見ての通り。増援は到着しましたが、曙さんと衣笠さんがレ級に当たっている状況ですわね」
それに、と辺りを見回す。
「何とか持ちこたえましたけど、まだ私達は安全圏まで到達できてませんの」
激痛を堪え闇に目を凝らせば、赤、黄金色、そして蒼白い光が点々と光を放っている。
「……それはまた随分と嬉しくない情報だな」
脇腹を抱え、ゆっくりと体を起こす。曙、衣笠、そして援護の艦隊に気を取られているのか、近くの光が此方に気付いた様子はない。
「熊野は動けそうか?」
「ええ、私は右腕以外戦闘に影響しそうな負傷も有りませんし、少し肋骨が悲鳴を上げてますけど、敵の数を減らしながら後退する位は出来ますわね」
「なら後退して援護の艦隊に曙達の座標を伝えてくれ、私は二人の支援に向かう」
「ですが」
「二人を死なせるわけにはいかないだろう?」
それに、曙は今回の作戦のもう一つの目標だからな。呟いた言葉は熊野には聞こえなかったらしく、渋々といった様子で後退を始めた。血の滲む口角を拭い、再び両足に力を込める。通信越しに聞こえる二人の声、砲火、そしてレ級の纏う炎を頼りに索敵、そして呼吸を整える。真っ直ぐに伸ばした右腕に意識を集中すれば、数秒とないうちに巨大な砲塔がその姿を顕す。
「搭載艤装で駄目なら、こちらはどうだ……!」
付かず離れず、何とか殺されないように、とレ級を攻撃していた曙、衣笠に向けて長門からの弾道データが送られる。慌てて射線を離れたのと、砲弾が空を裂くのはほぼ同時であった。
「あっぶなっ……殺す気かっての!?」
「曙着弾! 余所見しないで!!」
「分かってる!」
悪態をつく間もなく、爆炎に向けて魚雷を放つ。既に主砲の弾薬は尽き、副砲はさして損害を与えられないことが分かってしまっていた。
水柱が起こり水面をまた揺らす。暗闇に目を凝らし、敵を探す。次の行動まで数秒となかった。黄金色の火が揺らめくのを視界に捉えた直後、大きな爆炎が横殴りにその姿を隠す。弾道を此方に知らせていたのは、遅れて支援に駆け付けた榛名等であった。
「榛名さん?!」
『二人とも生きてますね! 最上さんと電さんが間もなくそちらに到着します、後退してください! それから、』
榛名の声が一瞬途切れる。小さく息を吸い込む音が聞こえ、そして。
『作戦本部より入電! 味方の攻撃により利島以南の奪還に成功、残すはこの大島近海のみです!!』
その声は喜色に彩られ、最前線に立つ者の指揮を高める。もうすぐ勝てる、その事実が艦隊を、艦娘を浮き足立たせた。そしてそれは、曙達と合流した二人も同様に。
「曙、平気?」
「見ての通り生きてるわよ、私より衣笠さんの援護を、あっちは右腕をやられてる」
「最上さん、レ級の状態がまだ……」
「わかってるよ、追撃する。電、援護して。衣笠と曙は後退、弾薬も補給しなきゃ」
「つつ……ごめん最上、任せるわね」
軽く掌を合わせ、後退を始める二人を見る間もなく主砲を構える。長門や榛名の砲撃を受けて生きている以上、一発たりとも無駄にはできない。電と視線を交わし、砲撃開始。弾幕を張った中を続けて電が駆け出した。大きな錨をその手に提げて。
「電!」
「此処で食い止めるのです……二人が後退する時間を……!」
『電逃げてぇッ!!』
耳を裂いたのは悲鳴。眼前に舞うのは血に彩られた花弁。少女の着ていた白の衣服が瞬く間に赤に染まる様を、最上はただ見ているだけだった。
「い……なず、ま?」
答えはない。見えた砲火は二つ、その両方に腕を、脚を根本から吹き飛ばされ、四肢の半分を失った少女を抱える。生死を確かめる余裕はなかった。
「……ぁ、あ」
目の前には、傷だらけの身体を晒し此方を嘲笑うかのように立つ化物の姿があったのだから。
「……紫子。今の、何?」
イージス艦ブリッジ。通信機を鷲掴みにし、涙声で息を吐く少女に問い掛ける。最上等の声は聞こえていたし、電が不用意に前に出ようとした事にも気付いた。だがしかし、司令官である彼女よりも速く、何故か紫子はマイクを取ったのだ。
「……聞こえたんです、『お前だけは殺してやる』って。深雪ちゃんの、声が……」
『電』の姿を見て殺意を顕にした事が余程堪えたか、その声はか弱く細い。
「……日向、今の聞いてたわよね、今一部の連中にだけ通信を繋いでる」
『……最悪のパターンという事か』
『つーことはアレか、俺があの時連れて帰り損ねた深雪が今やりあってるレ級なのかよ』
『まあ、そうなるな』
「……」
胸糞悪い話だ、天龍の呟く声が聞こえる。
「二人とも、そっちの状況は?」
『龍田と木曽は金剛姐さん達の方に居るよ、残党に対して警戒中。伊号連中は先行してるぜ』
『赤城の後退支援を鈴谷に継がせた、それから今しがた伊勢と合流。翔鶴以下三名は後方より航空支援、及びその護衛だな』
「了解。最上達の方はモニターしてるけど正直かなりマズイ。急いで」
『了解した』
『任せろ』
ブツリ、という音を立てて通信が途切れる。
「……紫子、電の状態か、レ級の様子は分かる?」
「意識を失ってるみたいなので……みゆ、レ級なら……電には、興味を無くしたみたいです」
「……別人って気付いたって事かしら」
「……わ、判りません。ただ、別の駆逐艦を探してるような……」
紫子の言葉に慌ててレーダーを確認する。敵味方入り乱れている状態が続くなか、戦線を離脱し後退する艦娘を示す光点を確認できる。潮は赤城を連れて後退、叢雲は後方で翔鶴の護衛、吹雪は川内達と共に帰投し補給中。レ級が向かおうとする先にいたのは曙だった。
「長門、聞こえる!? レ級が後退する艦娘を狙ってる! ルートの先にはこの船、さっきの通信聞いてたんだから意味は解るわよね!!?」
『いったい何の冗談だ!! くそっ、榛名にこちらの場所を伝えてくれ! それに最上が戦意を失ってる、あのままだと電ごと海の藻屑だ!!』
「チッ……! 榛名、今送った座標に長門が居る、合流してレ級に当たって! 曙が衣笠と離れて孤立してる!! それから阿武隈と夜戦バカ、補給が済んだら最上、電の回収と長門達の援護、雑魚が居なくなってもあんな化物残したままじゃ制海権もクソもないわ!!」
未だ艦娘達の声が飛び交う通信機を置き、提督はゆっくりと振り返った。
「紫子、腹括りなさい。……アンタの親友は『向こう側』にいるの」
握り込むには少し大きな通信機を手に取り、クルーに声を掛け、少女はブリッジを後にした。通路を抜けて、甲板に出れば、血と潮の香りが鼻を刺す。
「……勝たなきゃ、意味がないのよ」
「この馬鹿、何時までへたり込んでるつもりなのよ?」
ぐ、と腕を引かれる。此方への興味を失ったレ級を見送り、最上はただ恐怖に身体を抱え込むしかなかった。
「……あ、伊勢、さん? 電、が……」
「……辛うじて生きてるわよ。この子は阿武隈達と合流して回収させる。先ずはそこまで戻らなきゃね」
「……はい。あの」
「?」
重傷の電を抱え、速度を落とすことなく、伊勢は此方に視線を向ける。
「アイツ、変な事言ってたんです、『コイツじゃなかった』って」
「……ゴメン最上、合流地点は送ったから、そこまで電をお願い!」
理由を問い掛けてしまった。知らなければ、あんなことにはならなかったかもしれないのに。
「アイツは特型駆逐艦を、『電だった』子を狙ってる!」
「っ!?」
身体が勝手に動いていた。身体を捻り、曙の位置を示す情報を頼りに速力を上げる。この暗闇で、砲撃が届く遠距離で、奴等は個体を識別できない。『特型駆逐艦の背部艤装』を見て電かそうでないかなど判らないのだ。
「ボクの方が速いから、だから!」
「ちょっと最上!? 日向聞こえる? 最上が曙の方に行った、そっちは?」
『衣笠を回収して川内達と合流した。衣笠の燃料は問題ないそうだ、阿武隈に任せて補給と応急手当を受けに後退させる』
「了解。川内をこっちにお願い、電が危険な状態なの」
『分かった』
日向の声が聞こえなくなると、小さくため息をつき、速度を上げた。
「はぁ……はぁっ……クソ、やっと全滅させられたわ……衣笠さん、合流できたなら良いんだけど」
深海棲艦の亡骸が浮かぶ海。艤装をがちゃりと鳴らし、曙は小さく息を吐いた。そして、踵を返し、後退しようとした脚が不意に止まる。
「え……嘘、燃料切れ?」
軽く叩いてみたところで、うんともすんともいわず、速度は一向に上がらない。
「……最悪。弾も残り少ないし、あんまり長居したくないんだけど……」
言い掛けた言葉は轟音に掻き消され、直後、少女の身体は大きく弾き飛ばされた。
説明 | ||
最終局面、これと次パートで本編は完結となります。 |
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