WakeUp,Girls!〜ラフカットジュエル〜25 |
洗面台に1人の少女の姿があった。その傍らには何の薬だろうか茶色の小瓶が置いてある。少女はその小瓶から数粒の錠剤を取り出し水と共に飲み込んだ。
「大丈夫。ちょっと胃が痛いだけで大したことない。本番までもう日にちが無いんだから、ここでみんなに心配をかけるわけにはいかないよ。私がしっかりしなくちゃいけないんだから……大丈夫、大丈夫だよ。きっと大丈夫。あとちょっとの辛抱なんだから。大丈夫……大丈夫……大丈夫……」
少女は鏡に映る自分の顔を見つめながら、自分に言い聞かせるように何度も何度も大丈夫と呟いた。アイドルの祭典決勝まで、もう既に2週間を切っていた。
ウェイクアップガールズの日々は過酷を極めていた。彼女たちは全員高校あるいは中学校に通う学生だ。いくら早坂に何もかも忘れて集中しろと言われても、学校に行かないわけにはいかない。
レッスン、仕事、学業、これらを総てキチンとこなすことは実際にやってみると非常に難しい。特に今回は新曲のレッスンに多大な時間が割かれているだけに尚更だ。休憩時間を削り、食事の時間も極力削り、それでも足りなくて睡眠時間すら削る。移動中の車内では全員即座に寝てしまう。それほど疲れているし睡眠が足りないのだ。1ヵ月程度の限定的なものだからまだしも、これが通常の形だったならば全員早晩倒れてしまっていたことだろう。しかしそれでも誰一人として脱落することはなかった。
授業の合間の休み時間、教室で藍里は眠そうな目をしながら後ろの席にいる真夢に話しかけた。
「ねえ、まゆしぃ、ちゃんと眠れてる?」
「ううん、あんまり。睡眠時間が足りないかなぁ」
「だよねぇ……でも、もうちょっとの辛抱だしね。今は眠いなんて言ってられないよね」
「そうだね。決勝が終わったら、今まで不足してる分まとめて寝ちゃえばいいよね」
「私、もしかしたら3日くらいずっと寝ちゃうかも」
2人が笑いながらそんな会話をしていると、彼女たちの元に数人の人影が訪れた。誰だろうと思って顔を見ると、そこには見覚えのある3人の少女の姿があった。
(うわぁ……)
藍里はその少女たちの顔を見た瞬間それが誰であるのかわかり、思わず目を逸らしてしまった。真夢も気がついて表情を強張らせた。2人とも彼女たちの顔には見覚えがある。
それはこの高校に入ってまだ間もない頃だ。彼女たち3人は真夢にこう言った。
「アナタ、本当に元I−1クラブの島田真夢なの? それとも同姓同名なの?」
「どうして辞めたの? やっぱり、あの噂は本当だったわけ?」
「アナタ、いま校内で都落ちアイドルって言われてるの知ってる? ちょっとぐらい弁解しとかないと、噂がどんどんエスカレートするよ?」
「私たちには本当のことを教えてよ。守ってあげるからさ」
そして何も答えない真夢に対しこう言った。
「やっぱり言えないことがあるみたいだね」
「まあ、あの噂が本当なんだったら言えなくてもしょうがないか」
その不躾で無礼な物言いにカチンときた藍里が真夢をかばって反論すると「感じ悪いね」「いいじゃんもう、ほっとこうよ」「別にどうでもいいし」などと散々に悪態をついて引き上げていった、3人はあの時の少女たちだ。
あれから特に絡んでくることもなく何事もなかったのに、今頃何を言いに来たのだろう? 何の用だろう? 不信感を顔いっぱいにありありと浮かべた藍里と真夢の前に、3人の少女たちは黙ってスッと色紙を差し出した。
「え? 何これ?」
藍里が驚いてそう尋ねると、3人のうちの1人がバツの悪そうな照れたような表情で、サイン貰ってもいいかな? と言った。
「アナタたち、アイドルの祭典の決勝に出るんでしょ? だから今のうちにサイン貰っとこうかなって」
過去のことなど全く忘れたかのように少女はそう言った。他の2人も目的は同じだった。
「こういうのなんて言うの? 青田買いってヤツ?」
「実はウチの兄貴もアナタたちにハマっちゃっててさぁ。サイン貰ってきてくれって頼まれちゃってて」
3人は、しれっとした顔と言葉でサインを求めた。藍里も真夢も顔を見合わせて苦笑いするしかなかったが、ファンになってくれたと考えれば無下に断るわけにもいかない。2人は快くサインに応じることにした。
その日の夜、レッスンの休憩時にその話題が真夢と藍里の口から他メンバーたちに話された。
「なんかそれ、手の平返すようでちょっとイラってくるね」
「でもさぁ、ファンになってくれたんだからいいんじゃない?」
「いつまでも昔のことで腹を立ててもいられないしね」
「そうだねぇ。ファンになってくれたんだったら、むしろ喜ばなきゃいけないよね」
そんな流れから話はやがて、各自の最近の生活の変化へと変わった。
「実は私も、最近学校でサインくれって言われることが増えてるんだよねぇ」
「街で声をかけてもらうことも多くなってきた気がしない?」
「そうですね。アイドルの祭典の予選を通過してからますます増えた気がします。だいぶ顔を覚えてもらえたんですかね?」
「やっぱりテレビとかラジオって凄く影響あるよね」
「私たちの番組だけじゃなくて、テレビ局でもラジオ局でも商店街とかでもポスター貼ったり色々してくれてるからね。それで知ってくれる人も多いんじゃないかな?」
「嬉しいよねぇ、そういうの。なんだかすごくあったかい感じがして良いよねぇ」
「一生懸命私たちを応援してくれてるのが伝わってきて、地元って感じがしますよね」
「優勝したいなぁ。優勝して、応援してくれてる人たちみんなに喜んで欲しいなぁ」
「そうだね。優勝して、おっきなトロフィー抱えて、みーんなでお祝いのパーティーとかしたいよねぇ」
今や彼女たちは仙台期待の新星だ。まだまだ地域は限定的とはいえ、様々なメディアに取り上げられるようになって知名度は飛躍的にアップしている。最初は自分たちの番組スタッフや地元商店の人々だけだった彼女たちのファンも、今ではその数を大きく増やしている。大田が組織した親衛隊も発足している。そのファン一人一人の応援総てが彼女たちにとって何よりも励みになる。
もちろん最初はそんな意識も希薄だった。自分たちがアイドルになりたい、有名になりたい、そんな意識が強いまま仕事をしていた。しかし今では自分たちが今あるのは地元仙台あってこそ、ファンの応援あってこそだと自覚している。たとえ今度の決勝で優勝して全国レベルの人気アイドルユニットになったとしても、それを忘れることは決してないだろう。
「よし! じゃあそのためにもレッスン再開しよっか! もっともっと上手くなって絶対優勝しよう!」
佳乃がそう声をかけると、全員が頷いてスッと立ち上がった。その瞳はどれも疲労など感じさせないほど情熱的に燃えていた。
「ねえ、まゆしぃ。ちょっと聞いてもいい?」
レッスンを終えての帰り道、皆の後を少し遅れて歩いていた佳乃は隣りに並んで歩いている真夢に問いかけた。
「え? なに?」
「あのさぁ、まゆしぃが初めてI−1のセンターになった時って、どんな気持ちだった? やっぱりすごいプレッシャーで色々悩んだりしたの?」
突然の質問とその内容に、真夢は直感的に危うさを感じ取り訝しげな表情をみせた。
「よっぴー、もしかして初センターで緊張してるの? 初めてなんだから緊張するのは当たり前だけど、もし悩みがあるなら相談に乗るよ?」
そう尋ね返された佳乃は慌ててそれを否定した。
「え? 違う違う! そういうわけじゃなくて、ほら、まゆしぃはセンターポジションの先輩だしさぁ、実際にセンターをやってみてわかったこともあるし、センターの私がしっかりしなくちゃ話にならないじゃない? だから色々話を聞いて今後の参考にしよっかなーって。ただそれだけだよ、ホントに」
佳乃はそう言って誤魔化した。
「ホントに? 本当は体調崩したりしてるんじゃないの? お腹が痛かったりしない?」
真夢は自分の経験からそう言ったのだが、その指摘に佳乃は内心ドキドキした。心の動揺を隠すため懸命に平静を装った。
実は彼女は真夢の言うように、数日前から時々胃のあたりがキリキリと痛むようになっていたのだ。もちろん原因はハッキリしている。過度なストレス、それ以外に考えられない。
佳乃はウェイクアップガールズのリーダーだ。あの合宿以降メンバー全員が彼女をリーダーとして完全に認めるようになった。同時に彼女自身の責任感も増したし、率先してみんなを引っ張っていかなければという想いも強くなった。このユニットをもっと成長させるにはどうしたらいいかを日々考えるようにもなった。
それに加えて新曲では初めてのセンターポジションに抜擢され、おまけにその新曲がメチャクチャ難しいときている。それを1ヵ月ばかりの短期間で仕上げてアイドルの祭典で優勝しなければならないし、歌のレッスン、ダンスレッスン、仕事に学校にと毎日朝から晩まで多忙を極めている。睡眠時間も足りていないし疲れだって相当に溜まっている。この状況では胃も痛くなろうというものだ。だが佳乃は誰にも一言も愚痴をこぼさなかった。
「ホント、ホント。大丈夫、大丈夫。別に何ともないよ。ホントだってば」
なおも疑いの眼差しを向ける真夢に、佳乃は何度も何もない問題ないと繰り返した。
真夢は疑念が完全に消えたわけではなかったが、佳乃が何を隠しているのかは過去の自分の経験から大体の想像がついていた。隠そうとする佳乃の気持ちもわかるし、本当に深刻な状況であればさすがにみんなに相談するだろうとも思い、佳乃にとっては幸いなことにそれ以上深く追求することを止めた。追及して白状させることもできただろうが、真夢はここはむしろ自分の話をして参考にしてもらったほうが良いだろうと考え自身の経験を話し始めた。
「私がI−1のセンターになったのは中学生の時だったけど、やっぱり最初はすっごい緊張したしプレッシャーはあったよ。凄く責任が重いポジションだし、センターってお客さんの視線を一身に集めるわけだし、実際ステージに上がってるメンバーも私を見て動いてる部分もあるわけだし、扇の要ってよく言うけど総てがまず自分を中心にして始まるわけじゃない? とにかくユニットの中心として絶対に失敗できないって思ったら一瞬も気が抜けなくって、最初の頃はステージを終えるたびにクタクタになってたし、今日はステージに上がりたくないなぁって思ったこともあったよ。よく眠れないし食欲は湧かないし胃はキリキリ痛むし、ホントに慣れるまでは大変だったから」
「へぇー、やっぱりまゆしぃでもそうだったんだ」
「もちろんだよ。でもね、少しずつ慣れてきたら今度はセンターの楽しさとか喜びとかが段々とわかり始めてきて、そうしたらもう毎回ステージに立つのが楽しみになってきたの」
「ふうーん、そういうものかぁ。やっぱり慣れると見えてくる景色も変わるもの?」
「変わるよ。もう全然変わってくるから。それまでがウソみたいに楽しくなってくるし、今まで自分がツライと思ってたのが不思議に思えてくるよ、きっと。お客さんの表情や反応の変化もハッキリ感じられるようになるし、何だか声援が全部自分に向けられてるような感覚になるし、もちろんそんなわけじゃないんだけど、とにかく何もかもが今まで以上に楽しくて嬉しくて面白くて……私はそうだったなぁ。とにかくセンターとそれ以外のポジションは全然違うから」
佳乃は真剣な表情で話に聞き入った。完璧に見える真夢も最初はそうだったのかと少し意外な気もした。真夢は真夢で、そんな佳乃の様子を見て彼女が何を隠しているのか確信を持った。
(よっぴーもあの頃の私と同じように今キツイ思いをしてるんだね)
しかしそれはそのポジションを任された者にとって絶対に避けては通れない道であり、彼女自身も通ってきた道だ。倒れて身体を壊すところまで追い込まれても困るが、胃が痛かったり精神的にキツイぐらいだったら自力で乗り越えてもらうしかない。それができないようではセンターなど務まらない。なにしろセンターでいる限りこれからもずっとそうしたプレッシャーが続くのだから。
「実は私もね、よっぴーみたいに尋ねたことがあるんだ。他のアイドルユニットのセンターの人たちに」
「そうなの? それで、その人たちはなんて言ってた?」
「やっぱりみんな同じようなことを言ってたよ。最初は辛かったけど、慣れて楽しくなってきたら、もうこのポジションは絶対誰にも渡さないって思うんだって。私もそう思ってたから、みんなそうなんだなって思ってちょっと安心したのを覚えてるよ」
経験者として真夢はせめて精神的に少しは楽になるようにしてあげたいと思い、遠まわしながらアドバイスを与えられるように話をしていった。アナタだけじゃなくみんなそうなんだよと。
想いが伝わったのか、その言葉で佳乃は少し安心することができた。みんなそうなんだ、だったら自分も乗り越えるしかないなと頭を切り替えることができそうだった。そんな彼女に真夢が予想外の一言を投げかけた。
「でもね、ホントに辛かったら無理しなくてもいいと思うよ。私がいつでも代わってあげるから」
真夢はそう言うと悪戯っぽく笑った。もちろんバックアップは任せてという意味で言った言葉だが、その裏には彼女の隠れた本心も見え隠れしていた。少なくとも佳乃はその言葉を完全な冗談だとは受け取らなかった。なぜなら真夢が自分で言ったからだ。みんなこのポジションは誰にも渡さないと思うようになる、私もそうだったと。誰にも渡したくないのならセンターの座をもう一度奪い返そうと考えているに決まっている。
(負けられないよ。まだ何もしてないし何も掴んでないのに、弱音を吐いて代わってもらうなんて絶対できない)
真夢の一言は佳乃を奮い立たせた。真夢に挑戦状を叩きつけたのは佳乃の方なのに、少しくらいキツイ状況に陥っているからといってせっかく手にしたものを簡単に手放すわけにはいかない。そんなことをしたら真夢だって期待外れとガッカリするだろう。そう考えたらなおさら弱音を吐くわけにはいかなかった。
「そうねぇ、それは気持ちだけ受け取っとこうかなぁ。まゆしぃから見たら歯がゆいセンターかもしれないけど、そこは大先輩として長い目で見て欲しいかな」
佳乃はそう言って真夢の申し出を笑いながら冗談めかして、しかしキッパリと断った。佳乃の胃が、その時またキリリと痛んだ。
説明 | ||
シリーズ25話、アニメ本編では引き続き11話にあたります。今回も本編にはほとんどなかった無かったオリジナルの描写ですので賛否両論だと思いますが、自分はこの辺りの描写も物足りなかったので書いてみました。次回以降もオリジナル部分が多くなると思いますが、よかったらまた読んでください。 | ||
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