真恋姫無双幻夢伝 第五章4話『蓮華の激怒』 |
真恋姫無双 幻夢伝 第五章 4話 『蓮華の激怒』
穏が汝南に来たのは、年が明けて間もなくのことだった。
「お久しぶりです、賈駆殿」
「どうも」
二人はもう初対面では無かったので、同じ身分でもあったから敬語は不要としていたが、穏はあくまでも敬語を使っていた。一方で、ぶっきらぼうに聞こえる詠の話しぶりを、穏は気にしてはいない。同年代の軍師同士として、2人の関係は良好であった。
「李靖様がいらっしゃるはずですが、お会いできませぬか?」
「……病で床に伏せているわ」
「あらあら、お加減はいかがですか?」
「心配ないわよ。あと一週間もすれば、回復するでしょう」
腫れがね、と詠は心の中で呟いた。
あの時、悲鳴と怒号を上げながら暴れまわった華琳につけられた傷が、アキラの顔などに鮮やかに残り、今は人前に出てこられる状態になかった。その後、秋蘭の必死のとりなしのおかげもあり、かろうじて華琳との同盟は保たれたが、文字通り大きな傷跡をアキラに残した。
秋蘭も疲れ切った様子で、フラフラと帰っていった。ただし、彼女にはまだ華琳のご機嫌取りという大きな仕事が残っており、帰る日の前夜には、同じ苦労人である詠にさんざん愚痴っていたという。
とにかくアキラが人前に出られない以上、孫権の求婚を断る役割は、詠に押し付けられたのだった。
「あの、婚儀の話だけど……」
「その話ですが、こちらからお断りできますでしょうか」
「はあ?」
「誠に申し訳ありません」
頭を下げる穏に、詠は首を傾げる。
事情を話すと、婚儀を無断で進められた孫権は断固反対した他にも、重臣たちにも孫権への同情論が持ち上がり、雪蓮はこの話を断念することになった。それほど妹の怒り方は凄まじかった。
頭を上げて、あははは、と愛想笑いを浮かべる穏も、この騒動に巻き込まれ、うんざりしていたところであった。
しかし、詠にとっては好都合である。心の中でガッツポーズを作りながらも、平静を保って返答した。
「こちらとしても断るつもりだったから、構わないわ。気にしないで」
「本当ですか?!ありがとうございます」
「いいのよ、本当に……今回はそれだけ?」
「いえ、その他にも頼みごとが」
頼みごとと聞いて、詠は片眉を挙げた。現在、汝南は詠の主導の元で政治改革を行っており、あまり兵を出せる余裕はなかった。
そんな詠の心情をなんとなく察していたものの、穏は無視してこう言った。
「この度、我々は黄祖を攻めます」
「黄祖?江夏の太守の?」
黄祖とは、今は亡き劉表によって江夏に封じられた太守である。孫堅が亡くなった後、彼女の長江西部の勢力圏を奪い取って伸張した有力者であり、孫策とは長年、対立している関係にあった。
また、劉備が荊州北部を継承したことに反対していた。ところが、関羽が戻った一刀・劉備勢力によって荊州南部がほぼ制圧された今、彼は孤立していた。この機会を狙ったのであった。
「その戦いに李靖様に参陣してほしく、その依頼に参りました」
「本人を?」
「はい。曹操軍には度々赴かれたと聞きます。こちらにも、是非」
暗に言えば、まさか贔屓なんかしないでしょうね、こっちにも協力しなさい、ということである。詠はうーむと悩んだ。
「とりあえず伝えてからにしましょう」
「では、そのお返事が来てから帰国いたします。良いお返事を」
ニコニコと穏は笑う。了承しなければ帰らないつもりか。
詠は仕方なく、横になっているアキラの元へと急いだ。
一か月後、柴桑の地にアキラは降り立った。
「ようこそ!呉の地へ」
船を降りたアキラたちを待ち構えていたのは、雪蓮本人だった。晴れ渡る空の下に、大勢の兵士を後ろに控えさせている風景は小覇王の名にふさわしく、壮観である。
「久々だな、雪蓮。活躍のほどは伝え聞いているぞ。先ごろは交州(ベトナム北部)の士燮を降伏させたと聞いた」
「あら、耳が早いわね。そっちも官渡では大活躍だったそうじゃないの」
「ふむ?その情報は伏せていたはずだが、どこからもれたのか」
この情報は、アキラの魏国内での評判を上げるために、華琳が流したものであったが、婚儀が破綻した今はもう関係無い。
と、ここで冥琳が向こうからやってきた。
「まだここにいたのか。屋敷に案内する。そこで今回の作戦を説明しよう」
作戦室に通されたアキラは早速、窓側の席に座った。部屋の中央の机には、大きな地図がすでに広げられている。机の向こう側に雪蓮と冥琳も着席し、おそらく進行役を務める亜莎が緊張した面持ちで、アキラから見て左側に立っていた。
「これは呂蒙という。元々武官だったが、今は参謀として育てている」
「呂蒙と申します!字は子明です!よ、よろしくお願いします!」
「ああ、よろしく」
地図の上には赤と黒に塗り分けられた四角い木の角材が置かれている。配置からして、赤が呉で、黒が黄祖らしい。
「アキラ。どのくらい引き連れてきた」
「2000ってところだ。兵士は少ないが、呂布、陳宮、于禁を連れてきた。ただ、水軍の練度は低いから、そちらでは当てにしないでくれ」
亜莎は赤い角材を二つ置いた。一つが兵士1000人と考えると、15個あるから、総勢で15000人になるらしい。
置き終わった彼女は、今回の作戦の説明に移った。長い棒で器用に角材を動かしていく。「江夏」と書かれた場所に、赤い角材が集まる。
「このように江夏までは、船で長江を上っていきます。水軍が強い我々としては、江夏外港から攻めたいと考えています」
「なるほど。しかし、黄祖もそれを予測していると思うが」
「その通りだ。かなり苦戦することは間違いない。そうなった場合に戦局を立て直せる人物が必要になる。アキラ、お前には後詰めになってもらって、いざとなったらその役割を頼もうと考えている」
アキラは冥琳の言葉を奇妙に感じた。妙に弱気だ。彼女たちらしくも無い。
「雪蓮や冥琳はどこにいる?先陣か?」
「あら、わたしたちは戦わないわよ」
驚いて雪蓮の方を振り向いた。相変わらず飄々とした顔がそこにあった。
「今回、我々の大将は孫権さまだ。軍師は呂蒙。従軍するのは甘寧と周泰らだ」
「おいおい、孫権は戦いが苦手だと聞くぞ。大丈夫か?」
「そこなのよ」
と言うと、雪蓮は立ち上がり、机をぐるりと回ってアキラの隣に歩み寄ってきた。窓から入る光が、彼女の横顔を明るく照らす。アキラは尋ねた。
「そことは?」
「今回の目的は、蓮華に自信をつけさせることよ」
「自信を?ずいぶんと親心に溢れている姉様だな」
「ちゃかさないで。その“戦いが苦手”というのは不当な評判だって言いたいのよ。その評判を変えることが出来たなら、蓮華は私の代理も務まるほどの実力は兼ね備えているわ」
「ふむ?ただ、黄祖はお前自身が倒したい奴ではないのか?お前自身が斬り捨てたいはずだ。それを譲ってもいいのか?」
黄祖は孫堅の死の一因となり、さらに孫策たちを窮乏に追いやった張本人である。孫策の独立後も数々の妨害工作を企てたと聞く。孫策にとって黄祖は、憎んでも憎み切れない、仇敵に違いない。確かに、黄祖のそうした因縁や実力を考慮すると、孫権に自信をつけさせるにはちょうど良い敵ではあるが、それで雪蓮の気が収まるのであろうか。
雪蓮はアキラの言葉に頷くも、次にはこう述べた。
「今の呉にとって、私自身の復讐はどうでもいい話だわ。妹に自信をつけさせる。それが今後の呉にとって、どれほど利益になることか。それを考えてのことよ」
彼女の眼はどこまでも真っ直ぐであった。自国の長久の繁栄しか考えていない。窓から流れ込む光に当てられた彼女は、まさしく輝いていた。
その姿に眩しさを感じると同時に、アキラの心には“劣等感”が込みあげてきた。
(雪蓮に比べて自分はどうだ。死んでいったあいつらは、これで喜んでくれたのか)
自分の復讐のために数々の犠牲を強いて、十常侍を殺害し、そして袁紹・袁術を倒した。しかしそれは本当に必要なことであっただろうか。もしかしたら他の未来もあったかもしれない。一刀が考えていたような未来があったのかもしれない。
復讐を終えた今、彼は自らの方向性を迷っていることは事実である。
「さすがだな、雪蓮」
素直に褒めたのも、彼女の澄んだ瞳に、澱んだ自分が見えたからであった。
彼の思いは誰も知らない。内心で落ち込んでいた彼に気が付くことも無く、冥琳は話を進めた。
「今回の報酬の件だが」
「ああ」
「曹操側と同じように、こちらの町の市に、汝南商人の場所を提供しよう。すべての町にだ」
馬騰を討伐した際に華琳がアキラに与えた報酬と同じ内容である。しかし華北と南海では、町の規模は違う。内容は同じでも、獲得できる利益の桁が異なる。
「えー?それは少ないんじゃない?」
「お前が言うな」
アキラが言いにくいことを、雪蓮がズバリと指摘する。思わぬ裏切りに冥琳はガクリと肩を落とす。
「雪蓮、それなら他にどんな報酬をくれる?」
「う〜ん、そうねぇ……」
そう言いながら、彼女はアキラの後ろまで歩いた。そして彼が振り返る前に、彼の首を抱えるように腕を伸ばし、ぎゅっと抱きつく。彼女の体温が、背中から伝わってきた。
雪蓮はアキラの耳にささやく。
「小覇王の身体を一晩、好きにしていい、っていうのはどう?」
「雪蓮!」
冥琳が椅子を蹴飛ばすように立ち上がり、彼女に叱責する。初心な亜莎は、リンゴのように赤くなった顔を手で押さえている。でも、その指の隙間から、アキラたちを見ていた。
アキラの頬に彼女の吐息がかかる。その顔を見つめながら、彼は答えた。
「交渉成立だな」
「ふふ、楽しみにしているわよ」
「アキラ!雪蓮!」
二度目の叱責が飛ぶものの、彼らには通用しない。自分の席に戻ってきた雪蓮にため息がもれた。いつものように頭が痛くなってきた冥琳は、さっさと切り上げようとした。
「……とにかく、これで説明は以上だ。質問は無いか」
「ある」
アキラが手を挙げる。
「孫権がそういう評判になった理由が知りたい。あとは、彼女が俺を嫌う理由も」
「気づいていた?」
「当たり前だ。子供でも分かる」
雪蓮と冥琳はお互いに目で頷いた。話しても良い、ということらしい。冥琳が口を開く。
「その理由は同じなんだ、アキラ」
「同じ?」
困ったというような顔の雪蓮が、そのわけを語り始めた。
「実はね……」
翌朝、出陣前に主要な武将を招いて、昨日と同じ作戦室で、作戦の確認を行った。
「……では、このように進めます。士官たちにも連絡をお願いします」
締めの言葉を述べた亜莎はどっと息を吐いた。昨日と同じように晴天の日差しが窓から注いでいるというのに、部屋の空気は暗い。亜莎はこの緊張感に押しつぶされそうだった。
部屋の扉が開き、武将たちが次々と出て行く中、アキラは蓮華に声をかけた。
「ちょっといいか」
蓮華が振り向く。アキラを見るその眼には、険があった。一応、アキラの方が身分が上のため、蓮華は敬語を使う。
「なんでしょうか」
「話がしたい。出来ることなら、余人を交えず」
思春が心配になって間に割って入ろうとしたが、蓮華がそれを止めた。彼女は思春にひそひそと耳打ちする。
その時、アキラは袖口を引かれていることに気が付いた。振り返ると、こちらも心配そうな目つきの恋がそこに立っている。
「…アキラ……」
「大丈夫だ、すぐに行く。ねね」
「分かっているのです」
一緒に行きたいとしぶる恋を、音々音がずるずると引きずって行った。その間に話は終わったらしく、思春はもういなくなっていた。蓮華が部屋を指定する。
「隣の部屋が空いています。付いてきて」
作戦室の隣の小さな部屋に入った二人は、距離を開けた状態で、話し始めた。
「話ならさっさと済ませてください」
「ああ」
怪訝な視線を送る彼女に、アキラは言い放った。
「孫権。水関のことは忘れろ」
「っ!!」
一瞬、驚いて、目を大きく開く彼女であったが、次の瞬間には、殺意さえ感じられる強い視線をアキラに突き刺している。
「……どこで、その話を」
「隠しても仕方ないだろう。雪蓮から聞いた」
水関の戦いで初陣を飾るはずであった蓮華だが、華雄を助けた謎の武将に一撃を食らい、不覚にも昏倒してしまった(十一話参照)。ただでさえ孫策と比べられている上に、そうした不覚を取った。呉の武将の中には、彼女の命令で戦うことを嫌がる者もいる。
そして、その謎の武将こそ、アキラであった。その事実を酔っぱらった姉からポロリと聞いて以来、蓮華はアキラのことを恨み続けている。
しかし今回、2人は共闘する。以前に劉備・袁術連合軍と戦った時のように(第三章9話参照)、その恨みが戦況に響いてはどうしようもなかった。
「俺は回りくどい話は正直、苦手だ。はっきり言って、その感情は邪魔だ」
「……黙れ」
「黄祖は味方同士がいがみ合って勝てる相手では無い。許せとは言わない。割り切れ」
「黙れ」
「戦場でやったやられたは、珍しい話では無い。お前も雪蓮の妹なら」
「黙れと言っている!!」
孫権の怒号が部屋中に響く。その途端、天井から二つの影が落ちてきた。思春と明命だ。
二人は容赦なくアキラに攻撃を仕掛ける。
ガチ!キン!
鈍い金属音が響く。
しかしその剣がアキラに届くことはなかった。それを防いだのは、扉を突き破って入ってきた恋と沙和だった。
「どけ」
「どくわけがないの!」
「……守る…」
蓮華とアキラの前にそれぞれ立って、4人は睨み合う。小さなこの部屋に殺気が立ち込める。
その空気をアキラは振り払った。
「やめろ、やめろ!味方同士だぞ!」
「2人とも、剣をおさめなさい」
それぞれの主君の言葉に、両方とも引き下がった。しかし、まだお互いを睨み合っている。
ともかく、言うことは言った。部屋を出ようとするアキラに、蓮華から冷えた声がかかる。
「李靖。この戦いにお前たちの出番はない」
半身だけ振り返ったアキラは、無表情の孫権の顔を見る。
「ほう。大した自信だ」
「水軍のすの字も知らない連中に、出来ることなどない。後方で指をくわえて見ているといい」
アキラはなにも言葉を返さず、部屋を出た。
3人は怖い顔で歩く。屋敷の入り口では音々音が待っていた。
「大丈夫でしたか?」
「ああ」
そう言ったアキラだったが、音々音には大丈夫なようには見えない。彼はかなり厳しい顔つきをしていた。
(難しい戦いになるな)
アキラが向かう船は、すでに帆を張る準備が出来ている。江夏はここから近い。
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雪蓮や蓮華との共闘が始まります。 | ||
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