宗像教授巷間抄
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 絵から抜け出たような光景というのに、その時初めて出会った。

 カフェテラスなど珍しくもない。むしろ観光客が好奇心むき出しでパシャパシャと写真を撮っている姿や、訳知り顔で座りこんで、その癖コーヒーのつもりで注文したのに出てきたのがエスプレッソだった時に大きく奇声をあげる姿を方々で見ると、すっかり食傷してしまって、できるだけ目を向けないようにしていた。

 けれども、さすがにパリを三〇〇キロも離れたこのあたりでは、パックツアーの観光客の姿もなくなり、ようやくわたしは憧れのフランスの空気を胸一杯に吸い込むことができた。

 ここはアンドル県のデュルドール村。パリからは南、ワインで有名なブルゴーニュ地方からは西の、かつてはベリー地方と呼ばれた一帯の南西に位置する村で、地理的にはフランス全土のほぼ中心にあたる。

 雨よけにも使われる長い庇の下のテラス部分にて、新聞を読んだり談笑しあったりしている場景こそ、ことあるごとに写真や絵のモチーフにされてきた、つまり珍しくはないが、まさに異国情緒の典型として一度は拝みたいと、ぼんやり心の奥で願いつつもかなえられなかった姿だった。

 ここ数日来停滞している低気圧も気にならないほどに、わたしは少女のように胸にわきおこる感動を無邪気に味わっていた。

 だから、少々舞い上がっていたのだろう、店の前で立ちつくしたまま、ちょうど玄関をふさぐ形になっていた。

「ウオッホン」

 後ろに人がいるのも、そんなわざとらしい咳ばらいが聞こえるまで気がつかなかったほどだ。

「わわっ、ごめんなさい!」

 あわててしまって、つい日本語が飛び出る。急いでフランス語でいいなおそうとしたものの、それにはおよばなかった。

「ん、気をつけたまえ」

 返ってきたのも日本語だったからだ。

 おかしな言い方だが、その人は随分と日本人離れした日本人だった。

 年の頃は五十代といったところだろうか。彫りが深いとはお世辞にもいいかねる印象的な丸鼻と一重まぶたは、まちがいなく日本人の特徴を示していた。どことなくその顔は達磨を思い浮かべさせる。一方で、長身と広い肩幅、筋肉質に引き締まった体格は日本人離れしたものだ。そうした目で眺めれば、かぶっていた山高帽子の下から現れた禿頭も、妙に西洋じみた印象を与えてくる。

 しばらく呆気にとられていたところで、ぽつりと鼻の頭に冷たい洗礼が施された。頭上を仰ぎ見ると、石造りの建物の間にのぞく灰色の空から無数の雨滴が迫ろうとしていた。

 たまらず、わたしもカフェの中に避難するよりほかなかった。

 

 雨が降りだしてようやく店内に電灯の橙色の明かりがともされた。とはいえ日本のようにくまなく照らす灯火は望むべくもないし、そもそもだれもそんなものは求めていない。せめて肩がぶつからない程度にお互いをたしかめあえるだけの光があれば十分なのだ。もっとも、輪郭すらとけ合うほどにひしめく群集ですっかりごったがえした店内では、それすらかなえるのは困難ではあったが。

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 テラス、店内のテーブル席、カウンターと飲む場所で料金は異なってくる。腰をおろすことなく立ったままワインやビールを傾けているのは、農業にたずさわっている人々らしかった。

 曇りがちの天候のため早々に作業を切り上げて一杯ひっかけにきたらしい人であふれ、人いきれとパイプを含むタバコの紫煙の充満する店内を、どうにかコーヒーを注文したものの、わたしはあっちへふらふらこっちへふらふらと人波に揺られるままに行きつ戻りつしていた。

 そうしてようやく壁際の一ヶ所へ落ち着いたところで、

「おや」

「あ」

 目の前には先ほどの達磨さんが立っていた。

 

「ほう、絵の勉強をしに、こちらに」

 達磨さんこと宗像教授―休職中とのことだったが、籍を失ったわけでもないし、なによりこちらの方が呼びやすかった―は強面で口をへの字に結んでいる印象から気難しい人を想像していた。もちろん言葉の端々からうかがえる性格はわたしの直観を裏打ちするところも多かったが、案外にユーモアとシャレのきく人でもあった。

 生まれた地を離れた場所で出会う同国人にはつい心を許してしまう。それは教授も同じだったのだろう、ホテルに戻るまでの短い時間つぶしのつもりで入ったカフェで、たまたま居合わせたわたしにずいぶん親しげにいろいろと話してくれた。

「勉強なんてご大層なものとはとても……。まだ一枚も描き上げていない有り様で」

 カフェ・アロンジェに口をつける。薄めたという形容詞のつくカフェで、日本でいうところのコーヒーがこれにあたる。

 テラス越しに街路の様子をうかがえば、石畳に跳ねた雨滴が水煙となってもうもうとたちこめている。通り雨だとは思うけれども、エスプレッソを味わっている間にあがってしまうという雰囲気でもなかった。

「いまどき、絵を描くのにフランスというわけでもないとは思うんですが、昔からの憧れでもあって。それに主人も賛成してくれましたし」

 とうのたった気楽な女一人旅だが、かえってそれが人の目を引くらしく、わたしはフランスについてから何度くりかえしたか自分でもわからなくなった説明を行った。

「ということは、こちらには一人で……」

「あら、演奏がはじまったわ」

 ちょうどホールの隅に置かれていたピアノが鳴りはじめた。

 いわゆる名器とはいえないだろうが、年代物の一品で、一音一音に品があり、よい楽器にありがちな前に前に出ようというところがなく、会話の合間にするりと入り込んできた。実際演奏がはじまったことにも気づかずに談笑しているグループもいくらも見受けられた。

「シャンソンかな」

「あら、シャンソンって、こちらでは歌全般を指すんですよ」

「ふむ……、どちらにしても、こういう方面にはとんと不調法でね」

 鼻の下の髭を何度も撫でて、軽い咳払いを連呼する教授は、もしかすると照れているのかもしれなかった。

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「でも不思議な曲……。明るいような、それでいて、どこか憂いを秘めているような……」

 決して複雑とはいえないピアノの織りなす旋律は耳朶をくすぐり、心地よくもなんだか胸がしめつけるようでもあった。

「『夜の砧』。このあたりで古くから演奏されている童謡ですよ」

 鍵盤の音色と周囲の喧騒にすっかり聞きいってしまっていたわたしは、そんな声も軽く流してしまっていた。しかし、対面している宗像教授の顔に驚きの色が少なからず浮かぶのを目にして、ようやく覚えるべき違和感に気づいた。

 かけられた言葉は、またも日本語だった。

 

「失礼しました。旅先で日本語を聞きますと、ついうれしくなってしまって」

 声をかけてきたのは、教授と同年代の壮年の男性だった。ただ教授とは好対照に、白髪の目立つ髪を真ん中からわけた、ひとなつこい笑みを絶やさない大きな鼻をした愛嬌のある顔からはどことなく犬っぽい印象を受けた。それでわたしは勝手に心の中でビーグルさんと呼ぶことに決めた。

「いえ、でもこんなに近くにいても、全然気づきませんでしたわ」

 わたしや宗像教授は明らかに浮いていた。別に奇異の目で見られるとか、陰口をたたかれるということもなかったのだが、自分達が異邦人であるということは意識せざるをえなかった。

 ところが、グレーのスーツに革靴を履いた典型的なビジネスマンスタイルのビーグルさんが、ちょこんと小さな椅子に腰かけて、早めの夕飯を前にしている姿は、まったく自然にカフェに溶け込んでいた。

「ぼくは生まれは日本ですが、半分はこちらの人間でもありまして」

「でも、よろしかったんですか? お邪魔しちゃっても」

「いいえ。こちらこそ一人で味気なかったところなんです」

 ビーグルさんはギャルソンに命じて椅子を持ってこさせ、座っていた壁際のテーブル席にわたし達を招待してくれた。

「どちらにしても、助かる。この雑沓はちとこたえるからね」

 遠慮会釈なく、どっかりと宗像教授は腰を下ろす。小さくため息をついたところからして、ほんとうに疲れていたらしい。

「それではいかがです、トリップです。まだ箸をつけておりませんので。……といっても、この人数では少々物足りませんね。ああ、マルゴさん、ブゥーダンとゴドビヨーをお願いします。それとラ・ドヴィニエールの白を」

 箸をつけるといういいまわしのおかしさに笑ってしまいそうになっている間に、看板娘らしい店員を呼びとめていくつか追加オーダーをする。

「袖振り合うも多生の縁といいます。ここはぼくの方がなじみですので、出させてください」

「じゃあ、お言葉に甘えまして」

 わたしがそういう前から、教授はすでに取り皿を勝手にギャルソンに要求してトリップ、牛の胃袋煮込みにぱくついている。リスなどのげっ歯類のように、頬袋でもあるんじゃないかと思わせるほどに、口いっぱいに放りこんでいる。その旺盛な食欲に、わたしは呆れるのも忘れて、ただただ目をみはるしかなかった。

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 ピアノの音は軽快に走っている。変調のあわただしい曲で、一音一音を弾ませるアドリブらしいパートがあったかと思うと、合間にゆるやかな流れる調子の主旋律がはさみ込まれる。

「変わったタイトルですね。『夜の砧』って」

「もともとは歌詞があって、子供たちはよくうたっているんですよ。『洗濯女がおいかけてくる。木槌の音を響かせて。タッカタッタカトットンタッタン』」

 いきなりビーグルさんはピアノ伴奏にあわせてテーブルを叩いてリズムをとりつつ歌いだした。すると、つられたのか、隣にいた男性客がよい心持ちであとをつぎ、そこからまた隣の客へといつの間にやら店内あちらこちらで歌声がわきあがりだした。

「こんな感じで、歌詞は他愛ないもので、気が向けばいつまでも続けていられる。だから、店内の伴奏にはちょうどいいんですよ。もっともずっと歌い続けるのはほねですから、だいたいは演奏だけに終始するんですけどね」

「でも不思議な曲。『夜の』ってつくぐらいだから、時間は昼間ってことはないですよね。あんまり夜更かししていると、お母さんが洗濯に使う木の棒を持って追いかけてくるぞ、っていう感じかしら」

「就眠のための物語ですね。ホフマンはご存知ですか? チャイコフスキーの『くるみ割り人形』の原作を書いた。あの作家の『砂男』という短編にも、子供を寝かしつけるための民話が紹介されています。けれども、この曲はそういうものとは少々趣きが異なります」

「あら。とすると、マザーグースみたいな童謡です?」

「たしかに、人の口から口へと伝わる過程で意味が失われて、ナンセンスな歌詞になることはあります。日本でもかごめの歌なんかがそれに近いですね」

「かごめって、あのかごめかごめかごの中の鳥は……っていうかごめですか?」

「そう、そのかごめです」

「かごめの歌が記録に現れはじめるのは十九世紀の前半だ。浄瑠璃や歌舞伎の演出に用いられたものが多い。『東海道四谷怪談』を書いた鶴屋南北もその利用者の一人だな。多くの場合、子供たちが遊んでいる場景を描くための配置だったのだろうが、当時からしても既に歌の意味が失われていた節がある」

 食べるのに夢中になっているかと思いきや、口にいっぱい胃袋料理をほおばりつつも、器用に宗像教授は話を引き継いだ。

「ほう、さすがにおくわしいですね」

「さすがに? それはどういう……」

「おっと、ちょうど頼んでいた料理がきたようですよ。ああ、マルゴさん、こちらですよ」

 両手いっぱいに皿を運んできた女給仕を誘導して、手際よく ビーグルさんはテーブルに料理を移していく。その手並みに遮られて、宗像教授は会話の接ぎ穂を見失ってしまったようだった。

 

 テラスをながめてみれば、いつの間にやら日は沈んでしまったらしい。テントの先にはすぐ夜の帳が下り、通りをはさんだ向こうさえ見渡せないほどだった。

 テントの下にはいくつかのランプが吊るされ、テラスにいる客を夜の侵入から守っているものの、いかにも力弱く、橙色のまるい明かりがぽつりぽつりとともっている様は、まるで鬼火が宙に浮いているかのようだった。わずかに、まだ尾を引いている雨足だけが、スクリーンとなってきらきらと雫を輝かせている。

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「温かいうちに是非どうぞ。ここの店のゴドビヨーは本物のコワローのもので、冷めてもなかなかのものですが、まずは熱々を堪能していただきませんとね」

 勧められるままに、わたしは自分の取り皿に料理をつまんでいく。コワローとは太らせた肥満牛のことで、ゴドビヨーはその腸を漬けこんだものだ。

 日本にいると馴染みが薄いが、フランスの食卓には動物の内臓がよくのぼる。頼んでいる残りの一品の、ブゥーダンことブゥーダン・ノワールは豚の腸詰め、いわゆるソーセージだが、ただのソーセージではない。中に豚の血脂を入れてある。ラング、セルヴェル、ロニヨン、リー・ド・ヴォー、アンデゥイエット……すべて内蔵だったり、脳みそだったりと、日本では眉をひそめる人も多そうな部位ばかりだが、この国ではポピュラーな食材だ。

 わたしも初めてこれらの食材をいざ目の当たりにした時には、躊躇と戸惑いがあったものだが、いまとなっては特に気にもならなくなってしまった。それどころか、むしろ内蔵系の食材に独特の歯ごたえが、生命を食べているという風に思えるようになってきた。

「それで先ほどのお話の続きですが」

 内蔵料理の多くはもともと保存食として作られていた。ゴドビヨーもその例にもれず、保存用の冷蔵庫などの装置が発達した現在でも、昔ながらの調理法が守られている。おかげで、一品料理として食すなら、少々塩味がききすぎているのだが、甘口の白ワインといっしょだとかえって互いの味わいが引き立てられて、大いにグラスも料理も進んだ。

 ワインの力もあってだと思う。軽くなった口で、そんな風にたずねていた。

「ええと、どこまで話しましたっけ?」

 教授にひとしきり料理の説明をしていたビーグルさんは、頭をかいて逆にたずねてきた。目を細めてにこにこと笑っている顔を見ていると、白髪頭を忘れて、ずっと年若い青年に錯覚してしまいそうになる。

「マザーグースがかごめの歌に近いとか……」

 両手をたたいてポンと大きな音が出る。

「はいはい、思い出しました、思い出しました。かごめの歌もマザーグースも、長い間に口づてで広まるうちに、リズムとテンポが優先されて、最初にあったかもしれない意味が失われて、ナンセンスなものになっているんです。これと『夜の砧』は少々形式が異なります。この曲はですね、民話がもとになっているんです」

「民話、っていいますと、桃太郎やさるかに合戦みたいな」

「そうですね。ただ、この曲の原話は、おとぎ話というよりも、怪談にあたるかもしれません」

「怪談ですか」

「ええ。やあ、すっかりグラスが空いてしまいましたね。ボーヌの赤はいかがです。かつての文豪も愛した一本ですよ」

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 昔、デュルドール村にジルという猟師が住んでいた。周辺一帯を狩り場として、その名前は近郷にも届き、腕前を見込まれて応援を頼まれることもしばしばだった。

 復活祭を間近にひかえたある日というから、四月初旬の頃、来るべき祝いの祭日に向けてジルも備えに余念がなかった。

 イエス・キリストが刑死して後三日目に蘇ったことを記念する復活祭は、同時にその直前の四旬節での禁欲生活が解かれる日でもあり、一ヶ月以上に渡って禁止されていた魚肉がひさしぶりに食卓にお目見えする。デュルドールの近辺では、この日に多産の象徴であるうさぎ料理が出されるのは今も昔も変わらない。

 ところが、その日は朝から調子がよくなかった。前日からしかけていた罠はことごとく不発で、普段なら歩くのに支障をきたすほどにうさぎの耳を結わえつけられている腰まわりも、むなしく留め金が音をたてているばかりで、足跡一つ発見することがかなわなかった。

 猟師をなりわいとして以来、物心ついた頃に見よう見まねでうさぎ追いをはじめてから数えてさえ、こんな経験は初めてのことだった。

 いつも隣につき従う忠実な猟犬も、今日はとぼとぼと足取りが重く、ともすれば主人より遅れがちで、申し訳なさそうに両耳をたらしている。

 なかば意地になって方々を歩きまわっているうちに影法師が長く伸びだし、それを目印になおも足を向けていれば、ついにすっかりあたりは夜の闇に包まれてしまった。

 夜に活動するうさぎや獲物も多いが、いくら腕のよいジルであっても視力は普通の人とかわりがない。結局一羽の収穫を得ることもできず、わが家へと帰ることにした。

 通い慣れた猟場で、空は雲ひとつなく、月が白い光をあますところなく投げ掛けていた。なんなら目をつむってでも村までたどりつけそうだった。

 デュルドール村の周辺は水場が多く、雨の多い時期には洪水を引き起こしたり、それでなくともぬかるみの原因ともなっていたが、恵みもまた多かった。

 他の地域からきた人間には同じように見える水際の光景も、土地の者からすれば十分な目印になるのもその恵みの一つで、トネリコの木立ちがまばらに生える沼の脇を岸辺の形状をたよりにジルは歩いていた。この沼をなかばまで行けば、やがて街道へと続く小道が現れ、村までは目と鼻の先だ。

 成果は思わしくなかったにもかかわらず、むしろ思わしくなかったからこそ、あえて陽気に歩みを進めた。水辺に生えている葦を一本手折り、鼻歌を口ずさんでいれば、一日が終わるという開放感から次第に心も軽くなってきた。

 そうしていよいよ街道が近くなってきたところで、やにわに飼い犬がうなりはじめた。猟犬として育てられた犬だから、獲物を前にして声をだすことはない。まして、前脚を伸ばして今にも飛びかからんばかりの姿勢で、歯をくいしばって地の底から響くような吠え声を出すなどというのはただごとではない。

 ジルの顔にもたちまち緊張がみなぎり、長年使い慣れた銃をにぎりなおして周囲を見渡してみた。真っ先に思い浮かんだのは狼だが、そんな気配はない。熊の可能性も考えてみたものの、近在でそんなものが出たという噂をついぞ耳にしたことはなかった。それに犬は沼に向けてしきりに吠えたてている。

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 水辺で蛇がとぐろを巻いていることもある。油断することなく高い葦をかきわけるうち、なにやら物音が聞こえてきた。

 それは硬いもの同士を叩き合わせるもので、絶えることなく同じ間隔で鳴り続けている。

 いよいよジルも身を固くして歩を進めていった。足もとはぬかるみ、葦を踏みしめれば泥の跳ねる音がたって、ひやりと総身に冷たい汗が流れ出してきた。

 目が血走りだした犬をなだめるのに十分過ぎるほどの手間をとり、身の丈に達する葦をかきわけて、あと一歩で水際に抜け出るというところまで来ると、いよいよ物音ははっきり大きくなった。

 大きく息を吸い込み、無意識に胸の前で十字を切って口の中で小さくアーメンとつぶやくと、気を引き締め、ジルは思い切って足を踏み出した。

 途端、口を放された犬が、これまでのはずみとばかりに大きく吠えだした。春先の夜空に犬の声が高らかに響き渡る。

 吼声を背負い、銃口を突きつけたその先にジルが見たのは、意に反して一人の女性だった。

 年の頃なら二十歳前後というところだろう。水際にかがみこんで、その足もとには布のようなものが広げられている。よほど驚いたものだろう、右手は高くあげられたまま、洗濯用の木の棒が握られている。この水辺で洗濯をしていたのは明らかだった。

 極度の緊張に身構えていた力が一気に抜けた。同時におかしさすらこみあげてきて、ジルは薄く自嘲の笑いを浮かべながら、突然現れたことの非を詫びた。

 娘はそれに返事をせず、黙って洗濯にもどった。

 砧の音が先ほどと同じように断続的にくりかえされる。それにあわせるかのように、相棒の犬はヒステリーをおこしたような吠え声を止めようとしなかった。

 そもそも洗濯をするにはあまりにも不似合いな時間だし、あまりにこちらに無関心に過ぎる娘の態度に不審なものを覚えはじめた頃、それまでたいして注意も払わなかった洗濯物に目がいった。

 厚さが不均整で、あちこちに穴が空いた、ずいぶんと縫製のずさんな衣服だとはじめのうちは思っていた。けれども、月の光に目を凝らしているうちに、それが衣服どころか布ですらないことに気づいた。

 それは子供の死体だった。すっかり血の気を失い、土気色になった小さな体に、娘はしきりに洗濯棒を打ちつけていたのだった。

「おい、なにをしているんだ!」

 怖気を覚えるよりも早く、娘の手をつかんで、そう声をたてていたのは、屈強の猟師であったからだろう。

 けれども、娘はいともたやすくジルの手を振り払い、おもむろに立ち上がったかと思うと、ずいと近寄って見上げるようにして顔を覗きこんできた。

 野の獣を相手に長年ひけをとることなかったジルが、思わず息を飲んだ。

 近在の村を行ったり来たりするジルが初めて見る顔だった。いや、こんな顔は、この世のどこにもありえないと断言すらできた。娘の顔は蒼白で、髪は伸びるにまかせて額を覆い、その奥にある目には多少なりとも輝きをたたえているはずの眼球はなく、ただぽっかりと口を開けた真っ黒な眼窩があるばかりだった。

 もし、何事もなければ、身も世もない悲鳴をあげていたのはジルの方だっただろう。しかし、それよりも早く、娘の口が大きく開かれ、二つの眼窩と同じく歯の一本も見当たらない深淵につづくかのような暗がりを見せつけたかと思うと、しきりに吠える犬の声をも凌駕する耳を聾する金切り声が発せられたのだった。

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 赤ワインを傾けながらビーグルさんが語ってくれたのは、そんな内容の話だった。

「夜の洗濯女といいまして、フランス全土で類話の見られる妖怪です。子供を死なせてしまった女性の化けたものとされ、細部は各地で異なるのですが、共通するのは、夜に水辺近くに現れること、洗濯をしていること、その洗濯物が子供の死体であるということ。場所によりましては、この洗濯女は怪力の持ち主ともいわれており、直接的な恐怖の対象でもあったわけですが、そんなことをしなくとも夜中に水際で洗濯をしている光景というのは、想像するだにぞっとさせられます。『夜の砧』はそういう洗濯女の恐怖を、子供に語りかけているシチュエーションをコミカルに歌ったものなのですよ」

 それで話はおしまい。食事のおともにふさわしいかは疑問だったが、怪談話は比較的人の興味をひきやすく、その場限りの話題とするには適していた。

 だから、わたしがなにかそれらしい感想でもいっていれば、話はおさまるはずだった。

「どうしてそんなことをするんでしょう」

 けれども、それができなかった。

「ほう」

「どうしてそんなことができるんです。自分の血を分けた子供じゃないですか。たった一度、たった一度死なせてしまっただけでも、どれだけ苦しく哀しいことか。それを、どうして、何度もくりかえすなんてことができるんでしょう」

 一度口をきった言葉を止めることはかなわなかった。それがいかに理不尽な質問であるかを理解したうえでもだ。

「残念ながら、ぼくは洗濯女ではありませんから、それに答えを出すことはできません」

 だからビーグルの返答は、実に真っ当なものと思えた。

「でも、考えることはできます」

 しかし続く言葉は、少々紋切り型からはずれていた。

「何故、どうしてを考えることは、必ずしも答えを導きだすにはいたらないかもしれませんが、気持ちを豊かにすることができます。例えば、この赤ワイン一つにしてもそうです。ブドウ果汁を発酵させるのに皮をいっしょに用いたらどうなるか。そんな疑問の結果が、こうしてぼくらの喉をうるおしてくれるのですから」

 でも、わたしには、その破調が少なからずうれしく思えた。

 

「なにかを考えるのに大切なのは、似たような例を集めることです。先ほども申上げましたように、この夜の洗濯女はフランス全土で言い伝えられている比較的ポピュラーな民話です。では、視点をフランス以外に向けてみればどうなるでしょう」

 フォークを取り上げて、くるくると宙空をかきまわすしぐさは、まるで話の行き先を決定する指揮棒のようだった。

「お隣のイギリス、フランスとはなにかと因縁浅からぬ国ですが、そのスコットランドの高原地方とアイルランドには、そのものずばり『浅瀬の洗濯女』という名前の妖精が伝わっています」

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「浅瀬の」

「ええ、我が子を亡くした女の人が姿を変えたという点は同じで、夜中になにかを洗っているところも等しいです。ただ、洗っているものは、血に染まった衣服で、その持ち主の死を伝えるのだといわれています」

「似ていますね」

「はい、話のエッセンスの相似と、フランスとイギリスの距離的な近さから考えて、単なる類似とはいえないでしょう。おそらく、原話となるような伝承があって、その国ごとに物語が変えられていったのでしょう。ある部分は削られ、ある部分はつけ加えられて。イギリスといいますか、グレートブリテン島とアイルランド島の場合、ケルト文明との融合があったと思われますね。バンシーをご存知ですか?」

 酔いもずいぶんとまわってきたらしい、ビーグルさんの身ぶり手ぶりはますます大きなものとなってきて、最後の質問などかなり顔を近寄せて発せられたのだった。

「い、いえ」

「アイルランドに古くから伝わる妖精でして、人の死をあらかじめ告げるといわれています。先ほど、ぼくが浅瀬の洗濯女を妖精といったのは、このバンシーという語がもともと女の妖精を意味して、洗濯女のルーツの一つになっているらしいからなんです」

 ずいぶん前にピアノ曲は終わり、いまは専属の歌手らしい、ゆったりとしたドレスに身を包んだ女性が、湿り気を帯びた口吻でバラードをつむいでいた。

 ビーグルさんの声はその歌声に押されることなく、かといって邪魔するでもなかった。

「バンシーは、時に地面につくほどの長い髪を持つ女の妖精で、泣きはらしたような赤い目を持っています。彼女が出現すると、あたり一帯に響き渡るような高い嗚咽をもらすそうです。すると、近いうちに人が亡くなるといわれています。目撃例は近世に入っても多くあり、直接見聞した人の文書は少なくとも十八世紀半ばのものまで残されていますが、起源はずっと古いものらしく、アイルランドの農村で葬儀の際に行われるキーン、弔いのために涙を流して行う哀歌は、バンシーの泣く声をまねたものだともいわれています。そして、バンシーの出現もまた、川のほとりや雨の中など、水にかかわることが多いのです」

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 ソプラノの難しい個所にさしかかったらしい、歌手の声がひときわ高く、熱のこめられたものに変わる。金切り声すれすれの歌唱は、わたしの背筋に冷たいものを走らせた。

「こうは考えられないでしょうか。まずは人の死の予兆となる怪異の話と、わが子を失った人が化けて現れる話の二つがあり、それが組み合わされて、洗濯女の話へと変わっていった、と」

「なるほど。なんとなくわかった気がします……」

「あまり、納得いった風にも見えませんね」

「いえ……、そんなことはないのですが……」

 実際、民話などの知識はわたしにはないため、ビーグルさんの語りにまちがいがあるのか、見当すらつけられなかった。ただ、それで心のわだかまりが解消されたわけでもないのも、事実ではあった。

「大丈夫ですよ、はっきりおっしゃっていただきましても」

 目を細めてにこにこと笑みを絶やさないその顔を見ていると、なんとなくそれ以上話を求めるのが悪いような気になってきて、言葉に詰まってしまった。

「バンシーといえば」

 そこに、横から口をはさんできたのは宗像教授だった。

「たしかに川などの水に縁の深い場所に現れるのも一つの特徴だが、もう一つ、家に憑いているというのもあるとうかがっているが」

「おっしゃる通り、旧家の人が亡くなる直前に、バンシーが現れて泣き声を発するという話もたくさん残っております」

「どうも、わしは以前からこの妖精の話を耳にするにつけ、日本の妖怪を思い出していたんだが、今日いろいろとご高説拝聴して、一つ思いつくところがあった、そちらも聞いてもらえんかね」

「もちろんですとも、是非ともおうかがいしたいですね」

 聞いてもらいたいという割には、なかば有無をいわせぬ態度の教授であったが、ビーグルさんもまるで意に介するところがないように、するりと受け流してしまう。

「わしが引っかかっていたというのは、ウブメという妖怪だ。各地でウーメ、ウグメ、オボなどとも呼ばれ、産女や姑獲鳥などの漢字をあてることもある。このウブメが最も早い時期に日本の文献に現れるのは今昔物語集だ」

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 今は昔、源頼光が美濃国にあった時のこと、とある川にウブメが出るという話が郎党中に持ち上がったことがあった。

 夜になればその川にウブメが現れて、泣きじゃくる赤ん坊を抱いてくれないかとしきりに頼んでくるというのである。おかげで、夜間はだれもその川を渡れない。

「ならば、今から渡りに行こうではないか」

 声をあげたのは、後に源頼光四天王の一人に数えられることとなる卜部季武だった。

「やめておけ、どういう後難があるかわからんぞ」

「いや行く」

「ほんとうに行くのか」

「もちろんだ」

「賭けるか?」

「賭けいでか」

 まわりにいた兵士達がおもしろがったり、親身になって心配したりしているうちに、話はやがて賭けに変わっていく。頃は九月の末も近づいた秋の盛り、夜長にだれもが飽いていたのだ。

 結局、対岸の木に矢を立てるのを証拠とすることで話が決まり、それが早いか季武は馬にまたがると件の川にまで赴いた。

 到着するなり、大股で水量の乏しい川をじゃぶじゃぶと渡っていく、あっというまもなく季武は対岸にたどりつき、約束の木に矢を突き立てた。そうして帰りも同じ歩幅で、まるで気負いも達成感も見せず川を渡っていると、その途中にやにわに現れたものがあった。

 子供を抱いた一人の女だった。歴戦の武者である季武をしても、その女がいつからそこに立っていたものか、まるで気取らせなかった。それでも季武は驚いたそぶりも見せず、気にも留めずにそのまま歩み去ろうとする。

「……てください」

 蚊の鳴くような声だった。川の中ほどには季武と女以外だれもいない。そこで季武もようやく立ち止まった。

「どうぞこの子を抱いてやってくださいませ」

 蚊の鳴くような声で、目を伏せたまま、女はいってきた。その間も、産着に包まれた子供は火のついたように泣きどおしだった。

「たやすいことだ」

 ためらう暇などいささかもなく、季武はほとんどひったくるようにして女から子供を受け取ると、小脇に抱えてそのまままたも同じ歩幅で馬のつないでいる岸に向けて歩きだした。

「子供をお返しください」

 背後から女のそんな声が聞こえてきたが、まるで聞く耳を持たず季武は愛馬のかたわらに戻ると、来た時同様その背に乗って郎党達のいる陣へ戻ったのだった。

 兵士達はみな驚嘆の声をあげ、賭けに負けたことも忘れて、季武の豪胆をたたえた。

「川を渡ってもどってきただけのことだ。なにも褒められるようなことじゃない」

 いいつつも、不敵な笑みは満面に浮かんでいる。

 行動に疑問を投げかけるひねくれ者もいないではなかったが、実はこっそりとあとをつけていた若侍の一団があり、彼らが口をそろえて季武の渡河を保証した。もちろん、最前のウブメと思わしき女との遭遇譚も忘れずに。

「おお、そういえば、もう一つの証拠を忘れておったわ」

 季武はそこまできて、ようやく抱えていたものの存在を思い出し、それを皆に見せつけるように差し出した。

 ところが、ウブメから奪ったはずの子供は懐にはなく、かわりに数枚の木の葉がひらりと舞い落ちた。

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「と、これが今昔物語集の巻二十七『頼光の郎党平季武の産女にあえる語』だ。話の中ではウブメは狐の化けたものとも、お産の際に死んだ女の霊とも書かれている。なかなか興味深く先ほどの洗濯女と似ていると思わんかね」

 フランス料理というと皿の上にちょこんと一品一品が乗せられているイメージがあるかもしれないが、こと大衆料理となると話は別だ。頼んだ内臓料理の数々も、それぞれ山盛りになっていたのだが、宗像教授はそれをひょいひょいと話のつまみに、口にほうりこんでいく。そのたびに、達磨さんはリスになった。

「たしかに、子供を失った女のオバケというところと、水際に女性が立っているというところは似ているかしら」

「いえいえ、それだけじゃありません。洗濯物がわりにされている子供はウブメの抱いている子供と、子供が泣くのは洗濯女の嘆きと、それぞれ対応しています。非常に類似点の多い話ですよ、これは」

 ビーグルさんの口調は穏やかではあったが、内に熱い興奮が潜んでいるのが傍からでもわかった。

「さらに、江戸期の随筆では、ウブメの衣服は血にまみれているとも書かれている。これなどは、イギリスの洗濯女が洗っている衣服と考え合わせるとおもしろい。どちらも不気味さは似たりよったり、ウブメは通行を妨げ、洗濯女も怪力をふるうことがあるという。しかし、だ。両者には決定的に異なる点がある。それは、ウブメには怪異ばかりでなくその回避方法が示されているにもかかわらず、洗濯女にはそれがないという点だ」

「けど、十字を切ったり、アーメンと唱えたりしているんじゃないですか」

「それはなににでも付属する定型句みたいなものだ。日本の説話にも怪異と出くわした際に経文を唱えてことなきを得る話は多い。だが、症状が異なれば療法も変わるように、怪異にもそれぞれ対処法がある。吸血鬼には木の杭、狼男には銀の弾丸。仮に万病に効く万能薬ができれば、それはめでたかろうが、個々の療法は失われてしまうだろう。先ほどの話に出たバンシーは、ケルト民話として知られるものだが、ケルト文化がアイルランドやスコットランドに伝わったのは紀元前四世紀とも五世紀ともいわれている。まさか、イエス・キリストの出現まで怪異を野放しにしていたわけではなかろう」

「つまり、宗像教授は、洗濯女にもなんらかの回避方法があったけど、それが伝えられなかったと考えているということなんですか?」

「それもあるのだが、問題はもう少し先だ」

「先?」

 宗像教授の話術には妙に人を引きつける力があった。わたしなどまったくついていけない話題であったのに、気がつけば聞きこんでしまっていた。

「バンシーが家につく妖精だとさっきたしかめたが、あれは実は座敷童子を思い出していたからだ。柳田國男の『遠野物語』で紹介されて、すっかり有名になった座敷童子は、知っていると思うが家につく妖怪で、家の権勢の盛衰をその去就で司るとされている。座敷童子はわかりやすい例だが、多くの妖怪や怪異も利益と災厄を表裏一体となしている。ウブメも人に赤ん坊を抱いてくれと頼み、気軽にそれを受けると赤ん坊がどんどんと重くなっていき、なおも放さずにこらえていると、やがて人の力を越えた大力をさずかるという伝承もある。ウブメは不吉な存在ではあるが、きちんとした対処法を知っていれば、逆に利益を生むこともある。ところが、洗濯女やバンシーの伝承からはそれが抜け落ちている。あれらの物語は、ただ妖怪の不気味さを際立たせているだけだ」

-13ページ-

 軽く赤ワインを口に湿らせるほど含む。食べる量にくらべて、教授の酒量は極端に少ない。その割には顔は真っ赤に紅潮していよいよもって達磨さんだ。もしかすると、あまりアルコールに強くないのかもしれない。

「科学技術が現在のような発達を見せていなかった時代において、怪異は恐怖でもあったが、なにか厄災のおとずれる前兆でもあった。多くの場合、それとの接触は、大きな被害をもたらしたが、まれにそれを逃れる者もあった。民話はそれらの体験を形に残したもので、異変を知り回避するためのデータベースでもありマニュアルでもあるのだ」

「それでは、あなたのお見立てでは、洗濯女やバンシーにはどのような寓意がこめられていることになるんでしょう」

 ビーグルさんが話の先をうながす。ランプの光に当てられて、きらきらと瞳は輝いている。

「それには洗濯女という妖怪の異様さにまず触れなければならん」

「異様? でも、それは妖怪なら、あたりまえじゃないのかしら」

「そういう異様さではない。いうなれば、洗濯女という存在そのものの持つ据わりの悪さだ。子供を殺してしまった女が化けた妖怪だという。しかし、殺された子供が恨みを持ってというのならばまだしも、どうして殺した側が化けるのか。安達ヶ原の鬼婆の話は日本にもあるが、あれは生きた人間が鬼となった話で、死後に怪物に変じたわけではない。ところが、こちらは子供を殺した母親が死んだ後に、妖怪となることになっている。この時間的なズレが、居心地の悪さを形成している。ところがまた、洗濯女という存在の持つ恐怖、これはかなり強烈で人に迫ってくるものをはらんでいる。つまり、洗濯女という表象がまずあり、それに対して転倒した形で因果話めいた発端が作られたと考えるべきだろう。もっと単純に、母と子が同じ時に妖怪になるような状況を想像すべきだ」

「母と子が同時に亡くなるような状況。死産でしょうか」

「日本でも大正年間ですら、零歳児の十人に一人は亡くなっていたという統計もある。近代以前は子供の生命ももちろん、母体の危険性も現在では計り知れないほどに高かっただろう。母子ともに亡くした無念を、妖怪の形として残したというのは自然な考え方だ。実際、ウブメについてはそれで説明がつくところも多い。だが、一方で洗濯女にはあてはまらない個所も残る……」

「どうして、子供だけがぶたれなければならないの」

「そこだ。逆にそこが糸口とはならないだろうか。中世以前のヨーロッパの抱えていた重大な問題の一つに伝染病がある。十四世紀に二千万人以上の犠牲者を出したといわれているペストをはじめとして、天然痘に発疹チフスなど数え上げていけばきりがない。こうした病に最初に感染するおそれの高かったのは、どうしても乳幼児ということになるだろう、それと産後日をおいていない母親だ。治療法のない時代、病気にかかった人々に施される療法には、追放という形をとったことも少なからずあっただろう。援助の手はあったかもしれないが、過酷な環境のなか母子だけで病を抱えながら生き抜くことは難しい。遅かれ早かれ運命は決まっていた。その亡くなったあとに、洗濯女の言い伝えだけが残された。仮に追放されなかったとしても、伝染病によって村一つが滅びるという例は珍しいものではない。ルネサンス以降においても、戦乱や病のために打ち捨てられた村や町の残骸が方々に残されていたという。普段人の訪れることのない水辺に、洗濯女が現れるというのは、病の境界を示すものではなかったかというのが、わしの考えだ」

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「なるほど、洗濯女にかかわると怪力でひどい目にあわされるというのは、病に感染するという意味を指し、見知らぬ顔であったという点はコミュニティから外された人であることを示すというわけですか」

「うむ、そうすることで、病の拡散を防いだのだ」

「だとすると、子供がぶたれるのは、はじめに病にかかった罰を与えるというために……」

 なんてことだろう。わたしが聞きたかったのは、そんな答えじゃなかった。目の前がくらくらとすらしてきそうだった。

「ちがう」

 けれども、意外なことに宗像教授は一言のもとに、力強くそれを否定した。

「中世以前、人の犯す罪は病と同じく、共同体をおびやかすものとして恐れられてもいた。だが、それはなんらかの手段を用いることで解消されるとも信じられていた。中世の多くの刑罰が、必ずしも人の身を傷つけるものを目的とするものではなく、神意を問う偶然刑の形をとられたのもそのためだ」

「例えばドイツでは犯罪に手を染めた女性を罰するのに、川や海に突き落とすという刑が千年以上も処されていましたが、これもルネサンスまでは岸辺にたどり着いた場合は速やかに救助の手を施すようにと命じられてもいました。神の采配によって命を助けられたのだから、もうそれ以上は追及されないわけです。文字通り罪が水に流されたのですね」

 話を引き取るようにして口を開いたビーグルさんに、教授のひと睨みが放たれる。

「これは失礼。こちらの方面も専門だったもので」

 ビーグルさんが軽く頭を下げると、再度宗像教授が続ける。

「罰はあくまでも手段であって目的ではなかった。目的は罪を消し去ってしまうことにあったのだ。病もその犠牲者が亡くなった時点で、体から離れて、それに罹患したという点は解消される。けれども、感染力の強い伝染病は、死後も感染源となることがある。それでは、いつまでたっても死者の名誉が回復されることがない。だから、そのために洗うのだ。一日も、一刻でも早く、子供の体から病が取り除かれ、普通の死者として敬われるように」

「またドイツの話になりますが、罪を犯して処刑された人の指を、ビールの樽の中に漬けておくという風習があったそうです。こうすれば味がよくなるとされていたのですが、これも伝承が転倒した結果かもしれませんね。ある村で死をもって償わなければならないような罪を犯した人間が出た場合、近隣の村々にもその罪が解消されたことを示さなければなりません。さもなければ、罪が伝播し他の村をもおびやかすおそれがあるからです。そこで、その人の指をビールに漬けこみ、味が悪くならなければ、既に罪が浄められていることが実証されるわけです」

「近代以前において罪というのは概念上のものではなく、共同体の存続に危機をもたらしかねない実体をともなうものだった。だからこそ、それは跡形もなく消えうせるものでもあったのだ。たしかに亡骸を鞭打ち続ける光景は残酷きわまりないものだ。けれども、それもまた、一日もはやく自らの子供を覆った不名誉な烙印を打ち払うための、苦渋に満ちた選択の結果の行動であったとはとらえられないだろうか」

 わたしはなにもいえなかった。なにかをいわなければならないという焦燥感はあったのだが、それが言葉にならなかった。

-15ページ-

 そんな窮状を見かねてだろう、一本の救いの手が差し伸べられた。

「これは以前にスコットランドへ行った際に撮った写真なのですが」

 ビーグルさんの手には一枚の写真があった。おそらく教会の内部だろう、厳かな雰囲気のただよう空間がおさめられている。

「古いステンドグラスで、妙に気になりましてね、写真に残しておいたんです。もう由来を覚えている人もいなかったのですが。どうでしょう、どこかいまのお話に通じるところがあるとは思いませんか」

 わたしは言葉に詰まった。

 つい先ほどまでの探しあぐねではなく、今度はあふれる言葉をどこから口にすればわからなかったのだ。

 写真の中には、薄汚れた子供が女性から棒のようなものでぶたれている光景があった。普通に見れば母親が子供を罰しているようにしか見えなかったかもしれない。けれども、かたわらに描かれた川らしき青いガラスのうねりから、それがこれまで話題にのぼっていた洗濯女の画であることがわかった。

 わたしが見入ったのはその隣だった。同一の画面にもう一組の親子が描かれているが、これは同一の人々を時間経過をもって表したものだろう。母親はあいかわらず汚れた衣服を着ているものの、子供は純白の衣に身をまとい、天に向かって舞いあがっている。その顔は安堵と喜びに満ちている。そして、棒を振り上げた方では口をへの字に曲げて厳めしい顔をしていた母親も、昇天する子供を見送る場面では口元をほころばせ、まなじりには一粒の涙がそえられていた。

 

 店を出るとあたりはすっかり暗くなってしまっていた。夜中というには早いものの、宵の口というには遅すぎる。雨はいつの間にかあがり、あたりにはほこりやスモッグの洗い流されたさわやかな空気がみなぎっていた。

 見上げれば、建物と建物の間から星空がのぞいている。

「今日はどうもありがとうございました」

 わたしがぺこりと頭を下げると、宗像教授は軽く手を振って会釈を返した。

「いやいや、こちらこそ、すっかりつきあわせてしまったようだ」

 帽子の上から後頭部のあたりをかいているのは、もしかすると照れ隠しかもしれない。

 その姿を見ていると、どうしてもいっておかなければ気がすまなかった。

「わたし、三年前に子供を亡くしたんです」

 それは他人から指摘されることはあっても、ついぞ自分から語ったことのない話だった。

「昼間にコンコンとせきこみはじめて、なんてことない風邪だと思っていたのが、夜中になって急に熱が上がって、病院に着いたときにはもう手の施しようがない状態だったそうです。それから、夫婦の間もぎくしゃくしてきて、別れるって話を何度も切りだしました。けど、旦那が納得しなくて。かわりに提案してきたのが、この留学だったんです」

 一度なにもかも忘れてくるといい、と見送りの場で夫の口から出た言葉は、彼なりのやさしさだったのかもしれないが、ひどく他人事でひどく無責任に思え、ひどくののしって背を向けて搭乗ゲートをくぐった覚えがある。

-16ページ-

「結果からいえば、それは必ずしも芳しいものではありませんが、おかげでこうしてお二人に出会うことができました。今日のお話は、とてもためになったんです。少し、ほんの少しですが気が軽くなりました」

 わたしは死なせてしまった子供の重さに耐えあぐねていた。もちろん、だからといって、捨ててしまえるわけもなく、そのままだれかに手渡すことばかりを考えてきた気がする。

「とんでもない。ぼくらは勝手に話をしていただけですよ」

「ですから、そのお話のおかげなんです。えっと……」

 目をまんまるに見開いてうろたえるところに、改めてお礼をいおうとしたが、考えてみればまだ名前すらうかがっていないことに思い至った。まさか、ビーグルさんと呼ぶわけにもいかない。

「そういえば、自己紹介がまだでしたね」

 察しのいいビーグルさんは、またも先回りをしてくれた。

「ぼくの名前は平賀=キートン・太一といいます」

「キートン?」

「ええ、母親がコーンウォール出身のイギリス人でして、おかげで多少ケルト文化には詳しくなってしまいました」

 そんな話をしていると、突然わたしの背後で鋭い音が響いた。

 驚いてふりかえると、宗像教授がステッキを石畳に突いて、険しい顔をしてこちらを見据えていた。しかし、それは憤りのためというよりは、驚きが先にたってのことらしかった。

「キートン……。たしかドナウ川流域に古代文明があったという突飛な奇説を持ち出した考古学者の……」

「奇説の宝庫といわれた宗像教授からです。お褒めの言葉として受け取っておきますよ」

「何故だまっとった!」

「聞かれませんでしたので」

 どうやらビーグルさんことキートンさんはその方面では有名人らしい。

 正体を見抜けなかったのが教授はよほど悔しかったようだ。猛然と喰ってかかているが、キートンさんは涼しい顔で受け流している。それをカフェの人々がいかにおもしろそうに、ジョッキやグラス片手に見物している。その後ろではカフェのマルゴさんが、困った顔でよっぱらい達に視線をそそいでいる。

 ランプの明かりが喜怒哀楽様々な表情を照らし出している。

 それはとても絵になる光景に思えた。

 

説明
とある作品のリマスターに触発されまして、過去作を推敲しました。もう4年以上も前になるんですねえ。
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