王四公国物語−双剣のアディルと死神エデル− |
王四公国物語−双剣のアディルと死神エデル−
作者:浅水 静
第06話 エチケットを剥された血脈
「お父様、お願いが有りますっ!」
「いや、それは聞いたから。……エデル、そんなに興奮して。
もう少しで書類の確認が一段落付くので、それまでに少し落ち着いきなさい。」
ディングフェルダー辺境伯フェリクスは、愛娘に諭すようにつぶやいた。
その隣にはディングフェルダー家代々の家臣であり、前領主から現フェリクスの代になっても引き続き政務の補佐として仕えているブルメスター騎士爵ルーカスが立っていた。ソーサーごとティーカップをその手に持ち、主人と一緒に覗き込んでいた書類から目を上げたままの姿勢で一瞬、固まっていたが直ぐに気を取り直して呼び鈴を鳴らした。
「エデル様、お座りになってお待ちください。お茶をお持ちします。
少し蜂蜜を入れるのがお好みでしたよね」
ルーカスに促され、応接用の長椅子に腰掛けた。
「あっ、蜂蜜は、たっぷりとお願いします」
「はい、蜂蜜をたっぷり」
ルーカスもフェリクスと同様に愛娘にかけるように優しく答え、侍女に申し付けた。
王国の南に位置するディングフェルダー領は、気候的に年中暖かく北部と違って雪は降らない。その為、僅かな期間を除いて養蜂ができ、開拓が進まず思うように奮わない農産物と比べて、蜂蜜が特産品として重要な地位を占め、また生産量の一部を年貢として供出する事が義務付けられてる程だった。
そしてエデルガルドの大好物である。
元々、王国の平民家庭の蜂蜜の用途と言えば、パン用の酵母を培養する最初の“タネ”に少量づつ使われるのが主流で、甘味料として使うには高価すぎる貴族の贅沢品というのが一般的な認識であった。ディングフェルダー領内で出回る蜂蜜は値段が低くなるとはいえ、最近、エデルガルドは流通の中心である領庁都市から離れていたのもあって、地理的問題のせいで量的に自由に使えなかった。
エデルガルドは、長椅子に深く腰掛けて両足を床から浮かせ交互に前後させながら、「ハチミツ〜、ハチミツ〜」と小声で歌っている。
フェリクスは、書類の間から愛娘の子供っぽい仕草を微笑ましくも思ったが、行き詰って目処さえ立たない嫁ぎ先の事を思うと頭が痛かった。
「それで、どうしたんだい?
生家の方へ帰っていると思ったが」
仕事に一区切りつけてフェリクスは、応接用の一人掛けの椅子に腰掛けると問いかけた。その傍らにはルーカスも控える様に立っている。
「はい……そこで平民から侮辱を受けましたわ」
「なにっ!?エデルガルド、それは事実なのかっ!?」
由々しき事態にフェリクスの声も表情も硬くなる。
これにはカップに口に持って行っていたルーカスも思わず顔を顰めた。今では領庁都市での生活が殆どとは言え、元々ディングフェルダー家、ブルメスター家ともに王四公国成立ずっと以前より生家のある場所、その領地を治める領主の子女がそこで領民から侮辱を受ける。事実とすれば、看過しがたい事である。
「事実ですわっ!
証人もいます。ルーカスの子息であるニコラウスと婚約者のロミルダさんですわ」
ルーカスは噴き出していた。
「あのバカ共は一体……」
そう呟きながら口元を拭うルーカスにフェリクスは一瞬、目をやったが見なかった事にして改めてエルデガルドに問うた。
「その平民、お前が誰かを知らぬという事では無かったのか?」
「いえ、その平民のガーゲルンと申す者とは初対面だったので、こちらの方から先に名乗りました。
……日頃、お父様は『民に近くあれ』と標榜されております。私もそれを心掛け、その者にはエデルと呼ぶ事を許しましたのに、それを無視して“ディングフェルダーお嬢様”などと呼んだのです事よっ!」
「……ん?」
「……はい?」
領主と家臣は困惑の表情でお互い目線を交わし、エデルガルドの方に向き直り口を開いた。
「それは“アリ”だろう」
「“アリ”ですな」
「……え?」
エデルガルドには二人の言っている意味が理解できなかった。
「それは、お前の好意に軽々しく甘えず、身分の差を弁えてくれたようにしか聞こえんが……」
事実であった。アーダベルトがエルデガルドを呼ぶ時に使った敬称は、“ミーティエン”というように子供扱いでも、逆に“イルタフター”というような遜ったものの言い方でも無かった。“フロイライン”、つまり一人の成人女性として扱ったものであった。
「……………………あら?
……そ、それだけでは有りませんのよっ!
狩りへの同行を求めた際に私の服が汚れるとか、半日も歩かなければならないから足を痛めるなどと申しますのよっ!」
「“当然”だな、私でもお前にそう言う」
「“当然”ですね」
二人は徐々に呆れ顔になってきていた。
「……………………あれ?」
エルデガルドは、期待した反応と違う様子の二人から、自分のこめかみに人指し指をグリグリと押し当てながら、うーんと唸り始めた。
「もしかして、その某という者は慇懃無礼な物言いだったりしたのか?」
「ガーゲルンですわ、お父様。アーダベルト・ガーゲルン。
慇懃無礼……いえ……どちらかと言うとそのまったく逆でしたわ。
身のこなしも含め洗練され過ぎていたというか……それでいてヤボったさが微塵も感じられませんでしたわ」
エデルガルドの言葉に論理性が無いのは仕方が無い事であった。それは、言葉で侮辱を受けた訳ではなかったからだ。その内なる感性、つまり彼女の持つ“女の勘”がアーダベルトが彼女にぶつけた嫌悪感を敏感にそして強烈に感じ取ったのに他ならなかったからだ。
この点については、アーダベルトの女性に対しての成熟度の足りなさ故に女の勘というものを軽んじたと言うより、年のせいもあり身近に女性と接する機会がなかった故にのものだったのだろう。
一方、エデルガルドの方は、下々の者より下誹される経験がない為、自分でもその不快感の正体がはっきりと分からず感性だけで突出してしまったのである。
だが、彼女が相談を向けているフェリクスは、どう言う訳か心此処に在らずという顔になっていた。
「……今、なんと申した?」
「へ?」
父からの問いに少々、間の抜けた声で聞き返す。
「ヤボったさが微塵も――」
「そうではないっ!
名だっ!その者の名をなんと申した!?」
身を乗り出すように勢いのフェリクスに驚き、混乱しながらエデルガルドは、アーダベルト・ガーゲルンの名をもう一度告げた。
その名を聞くとフェリクスは、思案するように視線を落とし、顎を抓むような姿勢のまま沈黙した。
「お嬢様、そのアーダベルト・ガーゲルンなる者の事を何でも良いのでお話し頂けますか?
服装、体格、出来る限り詳しく、正確に」
それまで黙って聞いていたルーカスも険しい表情で聞いてくる。
「……何なのです?まさか手配されている咎人とかですの?」
「良いから話すのだ」
エデルガルドは、二人の迫力に気圧されてポツリポツリと話し始めた。
「……髪は艶の有る薄茶色でしたわ、目の色も同じ。背丈は私と同じくらいか、ほんの少し上。……年は、ハンターなのですから見習いとしても最低でも十四歳ですが、少し幼く見える顔立ちでしたわ。
服装は、上はフレックス(亜麻地)の淡い草木染、下は…ブラーミー(イラクサ地)かしら?厚手で同じ草木染でももっと濃い色でしたわ。腕と脛には皮製の防具。腰の後ろには、反りの大きな此処ら辺りでは見ない双剣――」
「双剣だとっ!?」
「双剣ですとっ!?」
二人の勢いにエデルガルドは、ひっ!?、と声をもらしてのけぞった。
「……keine Bezeichnung Jahrgangswein(カイン ビィツァイヒノ ヤーガンズヴァイン)……」
(“ラベルの無いヴィンテージワイン”?どういう意味ですの?)
意味不明な呟きと共にルーカスに頷く父をエデルガルドは、頭の上にいくつもの疑問符を浮かばせながら怪訝な表情で見つめた。
「エデル、良くやった」
何故、褒められたか分からないエデルガルドは、はぁ、とだけ返した。
「……ところで……先ほどの話の中で『お前が狩りに同行する』などと戯けた事を申したように聞き取れたのだが……もしかして“アレ”をやろうとしたのでは有るまいな?」
フェリクスは、エデルガルドの頭を鷲掴みにして力を込める。
「ホホホホホッ、イヤデスワ、オトウサマ。ワタクシニハ、ナンノコトヤラワカリマセ……イタッ!痛いっ、お父様、凄く痛いですっ!?」
フェリクスは、ふんっ、と鼻で笑って娘を解放すると一旦、思案した後に今回の出来事を初めから洗い浚い出来る限り詳細に娘に話すように促した。
それを一通り、聞き終えた後に思いがけない事を口にした。
「良いだろう。馬三頭と馬を任せる側付きの者も二人付けよう。
そして、今回一度だけに限り、“アレ”を使う事を許そう。但し、その狩りに赴く三名、ニコラウス、ロミルダ嬢、そしてガーゲルン殿の前でだけだ、良いね?
その三人には、私から依頼としての書状を認めて、早馬で届けさせる事にしよう」
エデルガルドは一瞬、何故、アーダベルトに敬称を付けるのか引っかかったが、いつも以上に気前と機嫌の良い父に意趣を返されぬように、うんうんと何度も頷いて早々に退出していった。
「……御館様、お嬢様の“アレ”の事、よろしかったのですか?」
「うむ、どうも我らと関わる事を極力、避けているようにだからの。ならば、こちらから強引につながりを持つとするさ。
もし、……他に漏らすような者なら、それまでの事、此処で静かに朽ち果てるのも運命だろう。ヴィルフリートの話では、そのような事にはならんと思うがな」
「秘密を共有させる事で……ですか……。
それにしても、てっきり、この領庁都市であるディングフェルドベルクを拠点に住まうものと思い、端まで目を届かせていなかったのは失敗でした。元ディッタースドルフの家名を使って、こちらを頼るような事もせず、自立を目指すとは……なかなか気骨のある若者のようですな」
「それでこそ、グレイフ(翼獅子)の紋章を王家から下賜された血脈に相応しい。
何はともあれ、ヴィルフリートにやっと報告が出来るというものだ」
「……本当に“グレイフの書”なるものがあるのでしょうか?俄かには信じがたいですが」
「さぁな。
無ければ道理が合わん、さりとて信じがたい……か……。
どの道、ディッタースドルフ伯が亡くなった折に、宮では異例とも云える家名家財の没収の沙汰まで出して全てを差し押さえたのだ。既に宮廷の手にあるだろうな」
(『知識』と『王国の財の守護』の象徴であるグレイフを継ぎし者よ。
簡単には逃がさぬぞ。
その力を試させてもらう)
次回 第07話 駆け引き につづく
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初出 2014/12/11 に『小説家になろう』 http://ncode.syosetu.com/n4997cj/ にうpしたものです。
エデルパパの回。
解説:ドイツ語多用で分かりづらいなら、申し訳ないかなぁーと思いながら……。
ミーティエンは「お嬢ちゃん」、
イルタフターは「〜家のご令嬢様」、
グレイフは「グリフォン」とそれぞれドイツ語の意味です。
ディングフェルドベルクの「ベルク」は、城を意味します。この場合、城壁を持つ城塞都市を意味します。
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