紺野夢叶 短編小説【ジーニアス・オン・ア・ジーニアス!】7 |
「エクレア!!」
「えっ、うん」
「食べましょう!」
「……いらない」
「だめ!!」
夢叶は目を点にした。
「だって、ワタシ、夢叶様のカレー、もらいっぱなしです!? これで、おあいこなのですよ!」
「……昨日の、カレーだもん」
目を背ける夢叶の、視界に入り直すように、キャロルは、夢叶の隣へ行った。キャロルは座り込み、夢叶と同じ目線の高さになると、夢叶の口元へ、半ば無理矢理エクレアを突きつけた。
「はい!」
「……」
チョコレートの香りが、鼻をつつく。
「はい!!」
夢叶は少し頬を赤らめながら、恐る恐る口を開いた。初めてのチョコつきシュークリーム。しかもなんだ、ばにらびーんずだったか、何か凄いものが入っているやつ。緊張の一瞬だった。夢叶の胸が、とくとくと脈打つのが、全身で感じられた。
「……はああ……」
夢叶は目を輝かせた。なんだ、なんだこれは。この世にこんなにも美味しい甘いものがあったのか。いつも食しているシュークリームとはわけが違う。甘さが直に来るのではない。奥ゆかしい甘味の中に、今まで感じたことの無かった香りが隠れているのだ。口の中にねっとりとまとわりつく甘味ではない。あの、食後にもう一つ、二つと口寂しくなるような、残留感というものがまるでない。一夜の夢のように、ほんのり、じんわりと、美味しさが消えていく。いや、これはむしろ、もう一つ、二つと食べたくなるのは、こちらではないのか。一瞬で消え去っていくこの至福の瞬間。これは、もう一つ、いや、いくらでも、食べられる。夢叶は、目を、輝かせた。
「……はい!!」
とろんととろけている夢叶の前に、もう一つ、手つかずのエクレアが突きつけられた。
「い、いいの?」
「ハイ!実はワタシ、あの後、夢叶様のぶんまで、カレーを食べちゃったのですよ」
屈託の無い笑みでキャロルは言った。
「美味しかったから我慢できなくって、えへへ」
「うん」
「だから、これ。夢叶様がもっと食べたかったら」
夢叶は、エクレアを手に取った。なんだこれは。指にあたったところのチョコレートが、一瞬で溶けていく。こんなにもチョコレートとはとろりとしたものだったろうか。手に持った感じも、いつものくったりとした皮とはまるで違う。ぐっと芯のある、まるでクッキーのような皮だ。今度は皮を気にして、一口頬張ってみる。するとなんだ、この皮、ほんのり甘い。何というか、皮だけでも行ける。しかし、皮、クリーム、そしてチョコレート。総てが口の中で合わさったときこそが、まさに極上のひとときなのだ。それぞれがこんなにも美味しいのに、組み合わさることで、ものすごいことになるだなんて。
「……美味しい」
ぼそり、と、夢叶は呟いた。キャロルはにやにやと嬉しそうに夢叶を見ていると、突然、夢叶の目から、大粒の涙が溢れだしてきた。
「美味しい。美味しい。アタシの家には、こんなもの、ない。あんなカレーと、どうしょうもない、半額の、やっすい、シュークリーム。チョコなんて、掛かってない。アタシには、お母さんも居ない、お父さんも、あんなにかっこよくない。天才じゃない。天才じゃない」
キャロルは、何も言わない。
「……帰って」
夢叶は背を向けたまま、キャロルに言った。
「帰ってよ!!」
夢叶がキャロルのほうへと、思い切り牙を剥いた。すると、夢叶の目の前に、言葉無く大泣きをしているキャロルの姿が飛び込んできた。
「な、なんで、泣いてんの」
何故キャロルは、こんな大泣きをしているんだ。言い過ぎたのか、でも……。焦る夢叶は、妙な罪悪感に襲われていた。その時だった。
「わかりますうう〜」
キャロルは、大声で、謎の一言を放った。
「わか、る?」
「ワタシも、みんなと違って、日本人じゃないから、何しても、すごいねとか、さすがだねとか、違うねとか、言われ続けてきて。ホントは、ワタシも日本人がいいんです。パパの子がいいけど、パパの子だけど日本人で居たいんです。みんなと一緒がいいんです。夢叶様も、ワタシと、同じコト思ってたぁ――」
"同じ”の一言に、夢叶は、はっとした。
「ごめんなさい。わかるんです。ワタシ、ヤなコでした。特別じゃないんです。みんな一緒なんです。夢叶様も、ワタシも、みんな、みんな……。でも、ごめんなさい、夢叶様、かっこいいんです。ホントに憧れてたんです。ごめんなさい、ごめん、ごめんね」
キャロルは、大泣きをしながら、夢叶に抱き付いた。夢叶も、つられて大泣きをした。二人はお互いのことを守るように、ぎゅっと強く寄り合った。
一しきり泣ききった二人は、紺野家でお馴染みの、ほとんど水並に薄められたポカリスエットを飲んでいた。二人は、隣り合わせになって、お互いの家のことを話していた。
「だからワタシも、家に人を呼びたくなくって。もっと違うコ扱いされちゃうの、怖くって」
「でも、さっき家においでよって、アタシに……」
「そうなんです〜! 一度、勇気を出してお友達を呼んでみたら、みんなお菓子を喜んでくれて〜……えへへへ」
夢叶は、ちょっぴりむくれた顔をして、目を逸らした。
「キャロルはさ、イイ家だから……。アタシは、こんな」
「こんなに、ふっかふかのお布団!」
キャロルが、夢叶の部屋の隅に敷かれた布団に飛び込んだ。
「あとは、お父さんもお兄さんも、すっごく優しくって、夢叶様の、美味しいご飯! だからね、とっても素敵なお家なのです!」
夢叶は、ただぼうっとキャロルのほうを眺めた。家の外では、父と兄が協力して、「紺野ふとん店」の看板を、綺麗に立て付けなおしていた。
「また来きますから〜!!」
「ちょ、ちょっと、勝手に」
「あ! 今度は、ワタシの家に来ますか〜?」
キャロルは、夢叶の布団に、ごろごろと甘えながら言った。
「一緒に、エクレアつくりましょう! 実はね〜と〜っても簡単なんですよぉ〜」
「そうなの?」
「夢叶様だったら、すぐに、エクレアマスターです! だって天才……」
言葉の途中でキャロルは、申し訳なさそうな顔をした。対する夢叶はというと、満面の笑みを浮かべていた。
「……天才、だもんね。出来るに決まってるでしょ」
キャロルは、一瞬呆気にとられたが、すぐに、お日様のような笑顔になった。
「もちろん、です!」
「調理実習でもアタシ凄い褒められたし」
「何よりご飯がとっても美味しい〜!」
「当たり前でしょ」
「えへへ〜」
キャロルは、少し顔を伏せた。
「……あのあの、ワタシは、頑張ったコトが身になるのも、身になるまで頑張れちゃうのも、どっちでも凄いなぁ〜って思っちゃうんです。だから、きっとなんですけど、ワタシにとっては、夢叶様は天才なんです。やっぱり、それは変わらないんです」
そのまま、ゆっくりと顔を夢叶の方へと向けるキャロルは、機微を気にして恐る恐るになっているようにも、なんとなく愛の告白のようにも見て取れた。事実、この時キャロルは、とある欲求と妄想が、頭の中で始まっている。
「嫌、ですか?」
「ううん。何かね、今はそうでもないかな」
二人は、顔を見合わせて笑った。
「あのあの、夢叶様、……"アイドル部”、興味ありませんか?」
「アイドル部」
キャロルの突然の言葉に、夢叶は一瞬戸惑った。流れとして突然だったこともあるのだが、それ以上に、兄のアイドルオタクっぷりに、身内ながら僻々としている節もあったからだ。
「どうして?」
「いや、……夢叶様でしたら、すっごいアイドルに成れる気がして」
キャロルは、いやに遠い目をしている。夢叶は、この話が唐突のものであったかのように感じている。しかし、キャロルの中では、この話題が出るにあたって、確かな繋がりがあった。お互いのハグ。夢叶が見せた笑顔。つんとしながらも、可愛げのあるリアクション。・・・アイドルだ。天然の、"アイドルの天才”がここに居る。キャロルは確信していた。夢叶は未だ知らない。キャロルが、兄よりも"危険”な具合のアイドルオタクだということを。そして、彼女の"お眼鏡”に、適ったということを――。
しかし、当の夢叶は、アイドルになる気など毛頭も無かった。
「ふーん、まあアタシは別にアイドルとかは良いから」
「そっかあ……」
キャロルは、本気で残念そうな顔をした。
「夢叶様なら、SKZ88のセンターも目指せそうだし、芦屋ナマちゃんよりイイ役とかやれちゃいそうなのに……」
これは本心だった。キャロルは本気で、アイドルとしての夢叶の姿に期待してしまったのだ。しかし、夢叶にその気が無いなら仕方がない。むしろそうなるだろうと思っていた。あくまで、ほろりと零れ落ちただけの、世間話の一角に過ぎなかったのだ――。
「え?」
夢叶が、ぽかんとした顔をしている。
「芦屋ナマ? SKZ88? センター?」
そんな夢叶に、キャロルも、ぽかんとさせられてしまった。
「え? ハイ」
「どういうこと?」
「え? 夢叶様なら、それくらいの"大物アイドル”に成れるんじゃないかなって」
夢叶は、身を乗り出して言った。
「芦屋ナマって、幾つだっけ?」
その表情は、どこか鬼気迫るものがある。急に、どうしたのだろうかと、戸惑いながらもキャロルは答えた。
「……たしか、一つ年上」
「……」
夢叶は、何かを考えているようだった。その表情は、曇っているようにも、何かをたくらんでいるようにも見て取れる。
「ゆ、夢叶様〜?」
「なる」
夢叶は、凄い勢いで、キャロルのほうへと向きながら言った。
「え?」
「アタシ、アイドル部、入る」
余りに唐突で、余りに意外な、その答えを。
「え、えええええ〜!?」
さっきまでの、アイドルへの興味が皆無だった夢叶は何処へと行ったのか。流石のキャロルも、驚きが隠せない様子だった。夢叶はというと、どことなく野心に満ちた笑みを浮かべている。
「何? アタシなら、大物になれちゃうんでしょ?」
「ハ、ハイ。それはホントにそうだと思います」
「どうしたの?」
「いや、ご興味無さそうだったので、びっくりしてるといいますか」
キャロルは、素直に今の心情を伝えると、夢叶は、とっても悪戯そうに微笑み、キャロルに食って掛かった。
「芦屋ナマって、年収凄いって知ってる?」
「え」
瞬間、キャロルの空気が固まった。
「お父さんの一生で稼ぐお金より、一年で稼いじゃってるって、お父さん言ってたの、覚えてるんだ。アタシが本当にそれ以上に成れるなら……。それに、これは年は関係無いし!」
何と、真っ黒い動機でのアイドル志願だろうと、キャロルは度胆を抜かれてしまった。しかし、とキャロルは思った。どんな理由であれ、夢叶ちゃんのアイドル姿が見られるのならば。先ほどの欲求が、またぶり返してくるのを、キャロル自身の身体が感じていた。
「キャロル、ありがと」
「夢叶様……! ワタシこそ! 夢叶様のアイドル姿、楽しみです〜!」
「うん、絶対成功する」
「絶対、ですよ〜!!」
夢叶とキャロルは手を取り合ってはしゃぎあった。境遇は違えど、同じような悩みを分かち合えた二人は、この日をきっかけに、共に夢叶のアイドルへの道を全力で支援していくこととなる。お互い、夢叶がアイドルとして成功した姿を浮かべている傍ら。その裏で、お互いが全く違う妄想、それもどうしようもない妄想を抱えていることは、知ってか知らずか――。
それから数日が経ってのこと。
「入部希望です」
"天才”は、己の才能を開花させるステージへの一歩を、あくまで涼しげに、踏み出した。
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桜学園☆初等部の短編小説です。 ・公式サイト http://www.sakutyuu.com/ ・作家 田島聖也 |
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