死刑好きについてG
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最近死刑が趣味の人が本当にいるのではないかと真剣に考えるようになりました。それはどうしてかと言うと、戦争の動画を見てもそうですが、最初から死ぬと分かっている内容の戦争に次々若者達を先導したり、どう考えてもこのままだと餓死するというのが分かっているのに食料と物資の支援をまともにしないで放置したりが平気な人々が、それがたとえ過去であろうと実際にいるからです。

 

このような状況は本当にただ単に死刑が大好きだとしかどう考えても思えないのですね。つまり常にその大好きな死刑を執行するために死刑ネタを探して見つけるとすぐ実行していたような気がするのです。

 

死刑が嫌いで絶対に人をそういう目に遭わせたくないなら、最初からみすみす最後どうなるか見えているのに敵地に行かせたりしないと思うからです。

 

また以上の状況を現在の人間関係に当てはめると、戦争とは違うけど、あるアクが強いけどものすごい人気があってもてる人のところに自分が気に入っているなら最初から自分が行けばいいのに、関係ない他の人に必死で勧めていかせて、最初は遠慮していいよと言ってもどんどん行け行けとやっていて、だから相手はすっかりその気になって本当に付き合うと今度は駄目だと騒ぐのもおかしいなと思うと言うことです。

 

だったら最初から自分が行けばいいじゃないですか?と思うからです。

 

先に誰かをいかせてから後から他の人がいった場合、絶対に先に行っていた人が傷つくわけだから、そのようなことがハッキリと分かっているのにそういうシチュエーションが大好きだという人間性はとても残酷だなと思ってしまうのです。それはある意味精神死刑を執行しているようなもので、その人等からしたら何の説明もなく前に勝手に客に紹介して説明もなしに合わせたけど断わってしまったからそれが同時に精神死刑のくじを引いたことになってしまうんだよ。と言っているようにしか私には感じられません。

 

何の説明もないのに思った通り動かないと見せしめをする、そうして行くうちに説明なしでも思った通り動くように精神調教しているだけ、どうしてもそのようにしか思えないのです。

 

戦争の時よりはずっとましだろうと、ただそれだけ、みたいなのもからくりが見えてくると何だかとってもがっかりした気持ちになります。

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あと書きたいことは、私横浜にいたあとくらいから友達はいつも派手な子が多かったんですがそれもワザとのような気がするんですね。とくに鶴見のどこぞの空手の道場に体験入学した後はさらに出会うタイプがグレードアップしていつもだいたい水商売の好成績者とばかり知り合っていました。これは絶対に偶然ではないと思っています。

 

私がいつも文章コーナーで書いているとおり、気紛れでも格闘技が好きだと調査の結果知られると、その後はずっとあの手この手でもてるタイプとばかり引き合わされて、斡旋係を無理やりやらされてしまって、本当に好みの性格が良いお友達とは会わせてもらえなくなるのだと悟りました。

 

つまり、勝手に選んだ斡旋係には必ずお客を断らないように美形を威嚇することだけやらせたいからだと思います。

また、そのようなあこぎな活動を協力し続けないと様々な嫌がらせや圧力を続けて行くのだと思います。科空手道場に行って稽古を受けたことがあるという事実は、講談社のフェーマススクールズと同じで、その時は、すぐに辞めてしまったので、すっかり忘れていた過去の記憶だったけど、陰謀者はたぶんそこまで見ていてそのようにしているのだとしか思えません。今となってはそう思います。

説明
死刑が好きな人について、また死刑好きの思想についてちょっと書いてみました。文章練習です。><
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文章練習 自分の考えをまとめる あんなことこんなこと これが本当にすべて正しいかは謎 

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