王四公国物語−双剣のアディルと死神エデル−
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王四公国物語−双剣のアディルと死神エデル−

 

 

 

 

 

作者:浅水 静

 

 

第09話 害獣襲来

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 当初、エデルガルドに襲い掛かった虎、シュタイン・ティーガーは、彼女を庇ったアーダベルトの左肩をその爪で一閃させ、皮製の軽装備とは云えそれを吹き飛ばした上に今、その勢いのまま彼を地面に押さえ込んでいる。

 

 なんとか瞬間的に抜きざまに放った左の双剣のおかげで、そのまま喉を咬み破られる事は無かったが、刃はその顎門に咥えられた上に、左胸に圧力を掛けている虎の右前足が邪魔になって動きが制限されてしまっている。

 

 不運はそれだけでは無く、抜き遅れて右手用の双剣がそのままアーダベルトに下になり、自重と押さえ込まれている加重で皮の鞘から抜き放てない状態になっていた。

 

 虎は咥えた刃を噛み砕けない事に苛立ったかの様に、まるでアーダベルトから引き千切ろうとするかの如く、狂おしく頭部を振るう。アーダベルトの方も抉られた左肩の痛みに堪えながら、そのまま咥えられている剣を滑り込ませ虎の下顎ごと切り落とすか、喉の奥まで突き入れたかったが、シュタイン・ティーガーの下顎の奥歯に構成されている長い牙がそれを阻んでいた。

 

 鬩ぎ合いの中、その均衡を破ったのはニコラウスだった。

 

盾に体を預け、助走から全体重を乗せるように虎の上体部辺りに猛烈な体当たりを見舞った。それは虎を横倒しにするどころか僅かに横ずれを起こさせるだけに止まったが、虎の右前足をアーダベルトの胸から摺り下ろすには充分だった。

 

 加重から開放されたアーダベルトの腰裏から引き抜かれた逆手に握られた双剣は、滑らかな軌道を奔る。拳を突き出す動きで刃を虎の喉元に薙ぐように突き当てた。

 

 しかし、シュタイン、すなわち石とその名に冠した虎の体毛と皮膚は、刃物を通しにくく、且つ振りかぶりが制限され威力の半減した状態では、いかに鍛えたブルーメタルの誇る切れ味でも僅かに傷をつけただけだった。

 

 そんな状態でありながらアーダベルトは、酷く冷静だった。

 

 手首を返すように刃の位置を調整して、わずかに開いた傷口を広げるように、ゆっくりとそして力強くその奥の脂肪を、そして筋肉を切り裂いた。刃が虎から弾けるごとく離れた時、アーダベルトの顔に大量の血が降り注ぐ。アーダベルトの剣の切っ先は、虎の頚動脈を辛うじて切断していた。

 

 その血の雨と同時にニコラウスの剣が虎の首横へ突き入れられる。切っ先を僅かに食い込ませただけだったが、ニコラウスは空に駆け上がるかのような動きで全体重を使って、突き立った長剣のガードを蹴り込み、虎の首の内部へと刃をめり込ませた。

 

 シュタイン・ティーガーは、そのまま動きを止め、横倒しに倒れ絶命した。

 

 静寂がその場を包んだ。

 

 聞こえてくるのは、肩で息をするアーダベルトの荒い呼吸音。

 

 恐怖から開放され感情が顕になったエデルガルドは、啜り泣きを始める。

 

「……何よ、これ……。

 虎なんて此処いらじゃ、聞いた事、無かったわよっ!!」

 

 ロミルダは、背中にエデルガルドを庇うように位置し、握り締めていた槍をゆっくりと降ろしながら吐き捨てるように呟いた。その感情の発露は誰に向けられたものでもなく、どこにも行きようの無い憤りと不条理さに対する不満を吐き出している事をこの場の誰もが理解していた。

 

「虎は気配を消して獲物に近づくとは聞いた事が有りましたが……これ程とは」

 

 倒れこんだ姿勢から今、やっと上体だけ起こして、アーダベルトが呟いた。それなりの手練であり、ある程度、狩りにも慣れたこの場の三人が襲われるまで全くその存在に気付く事が出来なかったのだ。当然の感想といえた。

 

「ごめんなさい、ごめんなさい、私のせいで……ごめんなさい、ごめんなさい……」

 

 エデルガルドは、泣きながらロミルダを押し退けて、駆け寄るとまだ出血している抉られたアーダベルトの肩に血で汚れるのも構わずに手を置いた。

 

(ちょっと痛いが止血のつもりなのだろうか?このお嬢様も性根はそれほど悪くはないのかも知れ……!?)

 

 諦め顔のアーダベルトの表情が、見る見る驚愕の色に染められていく。

 

 肩に置かれたエデルガルドの手から光が盛れ溢れると同時に痛みが引いていくのだった。あっという間と言って過言では無いほどの時間で痛みが完全に消えていた。その痛みが消えたと同時に光が収束し消滅いくとエデルガルドは、血で汚れたままの手をそっと離しながら、「貴方の驚いた顔、初めて見ましたわ」と何故か、照れくさそうな表情を浮かべながら言った。

 

(前言撤回、やっぱり性格が悪い。それにしても……)

 

アーダベルトは、シャツの大きく破れた部分を広げるようにして傷を負ったであろう場所を確認したが、それがどこであったか分からないほど完全に修復された肌が覗けるだけだった。これにはニコラウスも「凄いな」と洩らした。

 

「此処だけの話にしてくださいね。他の方に知られるとお父様に叱られてしまいます」

 

 エデルガルドは、人差し指を口元に当てながら、片目をつぶっておどけて見せた。

 

「それにしても魔術とは……。我々は首輪をかけられたようですね」

 

「首輪?」

 

 アーダベルトの言葉の意味が理解できずにエデルガルドは首を傾げた。首輪とは秘密を共有させる事に他ならなかった。この事を他に漏らせば、只では済まされず、行動の自由も制限が掛かるだろう。

 

(自分の娘を盾にするとは、やってくれる。領主殿もなかなか貴族的……いや、だからこそと云うべきかな)

 

「その力を手に入れようと考える輩も現れるでしょうね。どんな手を使ってでもね。

 そして領主様は、それらから貴方を守る為に、その秘密を知ってしまった我々を野放しにするとは思えませんから……。首輪、つまり囲うか、他所に軽々しく話すようなら処分するかの二択しかありません。

 先に鹿を昏倒させた魔術だけなら、使いどころが限定されるものだからまだ良いとして、これほどの治癒の魔術となればトンデモナイ話です。

 ところでそれとは別に、何故、昏倒の魔術を虎に使わなかったのですか?」

 

 アーダベルトの視線がその話題の主である、今は腹を見せて横屍している虎に何の気なしに注がれて――止まった。

 

「それは……その……あんな大きな獣など初めて見ましたのよっ!動揺するなと言う方がおかしいですわ。一瞬、頭が真っ白に……って、どうしましたの?」

 

 エデルガルドもアーダベルトの表情の変化に気付いた。

 

「ニコラウス!周りを警戒してくれっ!

 ロミルダ!これを使って虎の腹を割いてくれ。

 お嬢様はそのまま動かず魔術の用意を!」

 

 アーダベルトは、急に勢い良く立ち上がって三人に指示を出した。この時、初めてニコラウスとロミルダを姓ではなく名で呼んだ。本人は双剣の片方をロミルダの方に差し出しながら、もう一本を前に出してピリピリとした緊張感を漂わせながら構えを崩さない。

 

「一体、なんなのですの?」

 

 エデルガルドだけ状況を理解していない中、ニコラウスは「まさか……」と呟いて剣と盾を構えなおし、ロミルダは双剣を受け取り「冗談は、もう御仕舞にして」と言いながら慌てて作業にかかった。虎の腹側の体毛と皮膚は、背中から側面のそれと違って、ある程度刃が通った。それもアーダベルトの双剣だからこそといえるのだが。

 

 腹を裂いた瞬間、特有の臭気が溢れ出し、近くにいたエデルガルドは腕で鼻と口を覆って顔を顰めさせたが、ロミルダの方は気にも留めず、腹膜を破らないように慣れた手付きで進めていく。掛け声と共に一気に内臓を掻き出した後、地面に置かれた大きな一個の塊と化した物体を覆っている薄い皮を裂いて中身をばらすように探っていく。

 

 そして、それはそこに有った。

 

「有ったわ。胎児よ」

 

 天を見上げるようにロミルダの報告にニコラウスは「クソッ!」と吐き捨てるように言った。エデルガルドは訳が分からずキョロキョロしていたがアーダベルトから衝撃的な結論を聞かされる。

 

「番です。雄が近くにいます。多分、番になって新しい縄張りを求めて移動してきたのでしょう」

 

「……倒せます……よね?」

 

「この雌の全長は、ニコラウスより二周りほど大きいですよね?体重はお嬢様やロミルダさんの二倍ほどでしょうか。

 ですが雄は通常、全長がお嬢様の二倍、体重は五倍から六倍くらいですね」

 

「え?

 …………え?」

 

「害獣指定されて、どこの領地でも諸侯軍が討伐に当たりますね」

 

 引きつった顔のエデルガルドを尻目にアーダベルトは、来た道のほうに向かって大きく手を振り「すいませーん、手伝ってくださーい」と叫んだ。

 

 他の三人は何事かと思いアーダベルトの手を振る方に目をやると、草陰から一人、ふいに姿を現した。それは待たせていたはずのリュディガーであった。

 

「全然、分からなかった。何時から気付いてた?」

 

「いえ、さっぱり。

 もしかしてと思って大声を上げてみただけです。この状況ですから人手はいくらでも欲しいですから」

 

 リュディガーがこちらに向かってくる間に掛けたニコラウスの問いかけに、アーダベルトは悪びれもせずに答えた。ニコラウスは、静に笑って軽く首を左右に振った事でアーダベルトに対する返答に代えた。

 

 リュディガーは、「いやー凄いものを狩ったじゃないか。一応、心配になって来て見て良かったな」と聞かれてもいない理由を自分から述べたが、アーダベルトはその件には一切触れず、オスがまだいるだろう事やこの後の手順を説明した。

 

 虎の四肢に縄を架け、またロミルダの槍に吊るす形を取った。今度は前はニコラウスが、後ろはリュディガーに担いでもらい、吊られた虎とロミルダの間にエデルガルドを守るように配して、アーダベルトは殿で後方の警戒に付いた。全員が剣を抜き身のままで移動する事にし、いつでも虎を捨てて迎撃の態勢が取れる形での行軍だった。

 

 行きと然程違わない時間のはずだったが、戦いなれていないエデルガルドにとっては、酷く長く感じられる時間で、帰りを待っていたギルベルタと三頭の馬をその目に収めた時は、そのままへたり込みそうになった程である。

 

 ギルベルタは、獲物の虎と血まみれのアーダベルトを見ると顔色を変えて「大丈夫かっ!」と聞いてきたが、血は虎から流れ出たもので裂かれたのは服のみで、傷を負っていない事を告げた。

 

 ギルベルタは、少々訝しげにアーダベルトを見やっていたが「なかなか強運の持ち主のようだな」と一言だけ感想を洩らした後はその話題に一切、触れなくなった。

 

 二頭の馬を並べて渡すように虎を吊るし、残りの馬はリュディガーとエデルガルドで一足先に村に戻って事情を説明するよう頼んで先に送り出した。今度は武器が弓しかないロミルダに並べた馬を引いて先頭に進んでもらい、その左右と後方を残りの三人で守りながら帰路に着いた。

 

 夕刻、周りにが西日に染められてきた頃、村へとたどり着いた全員が緊張感から来る疲れをそれぞれの顔に映し出していた。

 

 その村の入り口で一同を待っていた者がいた。

 

 一人はニコラウスの父、ルーカス・フォン・ブルメスターであり、もう一人はエデルガルドの父親でありこの領地を治めるフェリクス・フォン・ディングフェルダーその人であった。

 

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初出 2014/12/20 に『小説家になろう』 http://ncode.syosetu.com/n4997cj/ にうpしたものです。

 

解説:トラの挙動、捕食時の行動習性、形態などはベンガルトラに準拠させています。

今回、登場したメスの個体は、小さめのもの(それでも全長2m体重110kg程度)を設定しました。オスの個体は、通常3m体重300kgが目安とお考え下さい。

体毛や皮膚の刃の通り難いというのは、独自の設定です。

 

次回は、新展開に向けての幕間的なお話となります。

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第09話 害獣襲来 

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