【C87】サンプルケース: 龍田 |
加賀にはひとつ悩みがある。
正規空母として与えられた任務に、ではない。
鎮守府の栄えある第一艦隊旗艦の座につき、支配権を失った海原を駆ける日々は悩みとは無縁だ。ひりつくような死と隣り合わせの戦場で、他の娘の鑑となるよう毅然とした振る舞いを努めるうち、いつの間にやらそれが常態となっていた。
また、提督秘書官として、ともすれば上意下達になりかねない命令系統には、中間管理職的な苦労はあるとはいえ、補佐によるサポートもあり、悩みを抱えるほどの行き詰まりは感じていない。
もっとも、秘書官勤務がまったく無関係というわけでもない。正確にいうならば、サポートしてくれている娘におおいに関わりがあった。
「あら、加賀さん、こんにちは」
噂をすれば、ではないが、その悩みの種とちょうど階段で出くわした。
「はい」
内心の動揺をおくびにも出さぬ返答であったはずだが、どうしてだか向き合う相手にはすべて見透かされているように思えてくる。
「ちょうどよかった。これから秘書室でしょう? 何点か確認してもらいたいことがあって」
天龍型軽巡洋艦二番艦龍田、彼女もまた加賀を支えてくれる一人であり、かつまた現体制下の初期提督秘書官経験者として、加賀が最も信頼を寄せる人物でもあった。
「先達ての大規模作戦における損耗量と、以来の回復度、および今後三カ月毎の蓄積見込みです。増産計画といっしょにご覧いただけますか」
姉の天龍ともども自ら資源輸送部隊の長を務め、外洋に出る機会の多い龍田は備蓄の数値に強く、そこから測れる鎮守府戦力を把握している。
「ありがとう、助かるわ」
「いーえ、お礼は読んでからで結構ですよ」
階段の踊り場の窓からさしこむ冬の日を横から受けて、書類封筒を掲げて微笑む表情は穏やかだ。その時に限らず、龍田は大抵物腰やわらかで、仕事に臨む態度は折り目正しく、ほどよい茶目っ気も持ち合わせている。それでも加賀にはどうしても受け容れ難いことがひとつだけあった。
「あらあ、利根ちゃん、こんにちは」
階段を上がり、鎮守府庁舎本館三階についたところで、龍田の甲高い声があがった。
「うむ、こんにちは……って、その呼び方はやめんか!」
階上の提督執務室にでも行っていたのだろう、階段を下りてきたところで丁度行き会う形になったのは利根型重巡洋艦ネームシップの利根だった。
「だって利根ちゃんは利根ちゃんでしょう。利根ちゃんを利根ちゃんと呼ばないで、じゃあ、だれを利根ちゃんて呼ぶの、利根ちゃん」
「そのちゃんをやめろといっておるのじゃ!」
しゃべり方こそ年寄りめいているが、利根は在籍重巡洋艦担当者では妹の筑摩に次ぐ年少者で体格も小柄だ。
だからこそだろうが、自らが子供扱いされることを極度に嫌う。この時のように、ちゃんづけされたばかりか、龍田のたわわな胸に抱きしめられてかいぐりされていればなおさらである。
もっとも、龍田が人を呼ぶ際にちゃんづけするのは、なにも利根に限ったことではない。公的な場でなければ、実姉の天龍をはじめ、軽巡洋艦仲間や直属の部下になることの多い駆逐艦はもとより、戦艦や空母にいたるまで所属する百五十人以上の娘がおおむね等しい扱いを受けている。
龍田自身が戦艦に数人年上がいるくらいな年長組に入っているというのもあるが、それでも最年長の金剛相手でも対応は変わらない。つまるところは人柄によるところが大きいのだろう。
「なら、どう呼べばいいのかしら?」
「そうじゃのう、数々の武勲をものにした吾輩であるから、敬意と思慕、それでいて親しみもこもった……」
「利根お姉ちゃん」
「うむ、それならよいな!」
再び激昂するかと思い、心持ち身構えていたところで、意外にも利根が鷹揚にうなずいてみせたから、さすがに龍田も一瞬対応に窮した。
「んもう、利根ちゃん、かわいいんだから」
そして以前にも増して喜色満面で強く利根を抱きしめた。
「だから、それをやめいといっておるのじゃー!」
ボタンの留められていないネイビーカラーのダッフルコートからのぞく、白いブラウスの下の豊かな胸に埋もれながら、利根は懸命に癇癪を破裂させていた。
だいたいいつもこんな感じだ。
龍田にかかると、わずかな例外を除いて、ペースに巻き込まれてしまう。
加賀の悩みの種はそこにあった。
もちろん龍田自身は時と場合をわきまえている。
だが、かえってそれが気に食わないこともある。
自分では思いつめていたつもりはなかったが、日々積み重なるものもあったのだろう。利根と別れ、廊下を歩くうち、龍田の話しかけるところにも生返事で、ろくに内容が耳に入ってこない有様だった。
やがて目的の秘書官室にたどり着いたことにもほとんど気付いていなかった。
日々作戦を練り、出撃艦、航路などを決する執務室が提督の城ならば、秘書官にとって同じ意味を持つのがこの部屋だった。
提督ばかりでなく軍令部よりの通達、艦娘よりの報告といった各種通信を推敲要約し、実際に皆が目を通す文書の草稿を作成するなど、事務作業を行うことを目的としている。自然部外秘の資料も多く、部屋の扉の鍵は加賀の持つ一本きりだった。
「なんでしたら私が開けましょうか、加賀さん」
ドアノブを前にして動かなくなってしまった加賀の心ここにあらずという体は龍田も見て取っていた。だが、彼女はそれを任務からくるものだとばかり思い、まさか自分が原因だなどとは考えもつかなかった。だから、親切のつもりでかけた声が、引き金になろうとはまったく予想だにしなかった。
「どうして、私は『さん』なのですか?」
思いもよらず大きな声が出た。
唐突な問い掛けに、龍田はつぶらな瞳をめいっぱい見開いて二度瞼をしばたかせた。とっさになにがなんだかわからなかったが、思考停止に陥らなかったのは、胸をつかみそうにまで詰め寄る加賀の顔が自分以上に狼狽していたからだった。
加賀は感情をあらわにするのが苦手だ。しかし、だからといって、それに甘んじているわけではなかった。むしろ人一倍他人の感情の機微に敏感だった。
その加賀からすれば、だれにでもちゃん付けする龍田が、自分だけを対象外としている事実は耐えがたいものがあった。
直前に利根とのやりとりを見せつけられただけに、つい普段からの鬱屈が噴出してしまったのだ。もちろん本意ではない形で。
龍田はかなりの努力を払い、瞬間的にそれをかなり正確に見抜いた。
「そうね、じゃあ、お互いに呼びあいっこしましょ。加賀さんもわたしを龍田ちゃんて呼んでくださいね」
人差し指を口もとにあてつつ龍田が切り出してきた提案に加賀の表情が強張る。
加賀としても親愛の情の表し方は、同一人物でも一通りでないことは承知している。それを改めて指摘された気分だった。すっかり困惑し、珍しく焦りが目に見えたところで龍田が動いた。
「冗談よ、加賀ちゃん」
長身の加賀に合わせて少し背伸びをすると、茜がかったセミロングの髪をかき上げるようにして、ほとんど頬が触れ合うほどの距離からそれだけを耳朶に囁き込んで体を離した。
さほど時を経ず効果は表れた。龍田が満面の笑みを浮かべて待ち構えていると、胸の谷間に忍ばせている懐中時計の秒針が五つ刻むよりも早く、加賀の表情から焦慮が拭い去られた。
「取り乱しました、すいません。すぐに打ち合わせに入りましょう」
加賀は服の隠しから鍵を取り出して部屋の扉を開けた。龍田も何もいわず後に続く。
すっかりもとの調子を取り戻した加賀ではあったが、一か所だけ普段と様相を異にしている部位があった。
それは顔で、首から上が茹であがって、背後からでもうなじと耳がほかほかと真っ赤に色づいているのがわかった。
説明 | ||
サークルAmaranthさんが冬コミで出される天龍×龍田小説アンソロジー『ファンタスマゴリア -走龍灯-』に参加しております。 詳細は http://hpa.red/tenryu-class-cl/ でどうぞ。 以下そのサンプルですが、寄稿した本文とはまったく別物です。 私のなかの龍田というキャラクターがどのようなものか例として描いたつもりです。少しでも興味を持っていただけますと幸いです。 ちなみになんで加賀さんかというと、単に私が彼女も好きだからです。 |
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艦これ 艦隊これくしょん 龍田 加賀 C87 | ||
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