ネアトリア王国記八話「蒼き炎の王」
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 ムール=フス、ネアトリアハイム有数の大都市であり周囲に貧民街が広がる混沌とした街。この街では数多くの事が今まで起こってきた。そしてこれからも起こるのであろう、そんなことを考えながらノインツェーンはムール=フスの宿場町を歩いている。

 この街でノインツェーンは傭兵として生きることを決めた。それもこれもオラウス・ウォルミスと出会ったことが大きいだろう。

 そういえば、あの後一体何が起こったのだろうか。オラウスの依頼でこの街に赴いた時、ノインツェーンは潜在的に魔力が高い人間を連れてくるように言われて実行した。だが、その後のことはよく覚えていない。

 オラウスの元に魔力の高い人間を連れて行った後、騎士と雇われた傭兵が来ておりその傭兵とノインツェーンは戦った。ハルバードを持った傭兵だったがため、魔術はあまり得意で無いだろうと思っていたのだが、意外と魔術も使える人間だったらしく彼の電撃によりノインツェーンは倒されたのだ。

 電撃を食らわされた後、体は痙攣して動けなくはあったが意識はしばらくの間あった。しかし、実際に感じた以上の威力があったのだろうほどなくしてノインツェーンは意識を失い、気が付いた時は宿屋の寝台に寝かされていたのだ。

 その時、部屋の中にはノインツェーン一人だけであり他には誰もいなかった。ノインツェーンの荷物もきちんと部屋の中に置かれており、報酬分の金額が入った巾着袋が部屋に置かれていたのだ。おそらくはオラウスが置いたものであり、部屋に運んでくれたのもオラウスだったと推測している。

 ただ、あくまで推測であり本当のところはわからないが。もしかすると騎士が運んでくれたという可能性もあるのだ。あの時は騎士団と敵対する形になったが、ネアトリアの騎士は傭兵が騎士団と敵対していようと意に介さないらしい。聞いた話によるとネアトリアハイムからすれば傭兵は金で動く人間と思っているので、余程の重罪をおかさないかぎりは罰を与えたりはしないという。

 それが真実かどうかは分からない。あくまでどれもノインツェーンの推測であり、可能性の域を過ぎないのだ。ただ、部屋に報酬が置かれていたことを考えるとオラウスが部屋に運び込んでくれたと考えるのが妥当なところかもしれない。

 それにしても、とノインツェーンは思うのだ。何故、オラウスは潜在的な魔力の高い人間を欲したのだろう。そして地下に消えた後、一体何を行ったのだろうか。ノインツェーンは地上で傭兵と戦い、そして気を失ったために何もかもが分からない。

 何か大掛かりなことをしたのならば風聞となって耳に入っていても良さそうなものである。傭兵にとって情報は命の次に大事なものと言って良い。特に依頼主に関してはある程度の情報を得ておかないと、後になって裏切られる、もしくは予定にない仕事をさせられることだって有り得るのだ。

 ただ、今回の依頼はそういったことはないだろうとノインツェーンは思っている。依頼主はエトルナイト騎士団、ネアトリアハイムに対して反抗の意思を示している反乱勢力の一つではあるが悪いようにはしないはずだ。

 エトルナイト騎士団はネアトリアハイムが建国された時から存在しているようなもので、反乱組織ではあるが三〇〇年もの長きに渡り存続してきた組織である。そのような組織が今更おかしな真似をするとは思えない。

 加えて、依頼内容から考えても裏切るようなことは無いだろう。今回の依頼は、暗殺、だと思って良いのだろうか。全身に黄衣を纏い、加えて蒼白の仮面を付けた魔術師を殺害するというのが今回の依頼である。

 良くある、と決して言ってはならないのだろうが傭兵の仕事にはこの手の仕事が多い。相手は魔術師というが、どのような魔術を使うのだろうか。色々と想像してみるが、答えが出ることは決してない。それでも暇つぶし程度にはなる。

 そんなことを考えながら、傭兵組合を仲介して依頼主から渡された待ち合わせ場所の地図の場所に辿り着いた。そこは一軒の宿屋の前、軒先には<鋼の剣亭>と書かれた看板がぶら下がっている。

 思わずノインツェーンは引き返したい衝動に駆られた。ここは以前にも訪れたことがある。その時はオラウス・ウォルミスの依頼を引き受けたときであり、気を失った時に目覚めたのもこの<鋼の剣亭>だったのだ。

 決して入りづらいというわけではないのだが、どことなく扉を開けるまでに時間を要した。扉を開けると、取り付けられていた鈴が鳴り床を鳴らしながら宿屋の主人が笑顔で出迎えてくれる。しかしそれも一瞬のこと。

 宿屋の主人は笑顔を一転させて驚きに変えた。

「おや、あなたは確か傭兵さんの……え〜と、お名前は確か……」

 どうやら主人はノインツェーンの顔を覚えていてくれたらしい。必死で名前を思い出そうとして首を傾げながら唸っているが、彼の口から名前が出てくることは決してないだろう。

なぜならノインツェーンはこの宿屋で世話になったことはあるが、主人に名前を名乗ったことはない。

「ノインツェーン、ノインツェーン・グラウヘンネと言います。今日もお世話になります」

 一礼すると、主人も頭を下げる。

「あぁ、これはどうもどうもノインツェーンさんでしたか。いやぁ、すみません……どうも歳のせいか最近物忘れが酷いようでして」

 彼は後頭部を掻きながら苦笑してみせるが決して彼の物忘れが酷いわけではない。ノインツェーンは名乗っていないのだから彼が名前を覚えていなくて当然なのだ。だからといってこの事実をノインツェーンは言うつもりは無いのだが。

「ささ、どうぞこちらへ」

 腰を低くして先を歩く主人に続いて二階へと階段を上った。案内された先は階段を上ってすぐに部屋で、中に入ると寝台が二つ置かれている。二名用の寝室なのだろう。

どうせここで一泊する予定は無いのだから二名用の部屋を用意しなくとも良いのでは、とノインツェーンは思ったがこれも依頼主の計らいなのだろう。国に対して敵対の意思を示している割には妙に律儀な組織である。

「もうすぐお供の方もいらっしゃると思いますので、それでは失礼します」

 それだけ述べて主人は扉を閉めた。続いて階段を下りる足音が聞こえる。前にここに来た時は気付かなかったが、この建物は意外と年代ものらしく主人が階段を下りる時ギシギシと音を鳴らしていた。

「さて、どうしましょうかね」

 と、意味のない独り言を呟いて持参している荷物を寝台の上に置き、自分も寝台に腰掛ける。荷物の中から得物である鉤爪を取り出し、具合を確認するがどこにもおかしなところはない。

 出立する前に研ぎなおしているため、いつもより刃の輝きは良いぐらいだ。問題は鉤爪にぬる毒薬の方である。家にいるときに痺れ薬を調合し、小瓶に入れて持ってきているのだが劣化していないか、それだけが心配だった。

 戦いは常に一瞬で終わり。以前、この街でハルバードを手にした傭兵と戦った時もそうだった。あの時も戦いは一瞬で終わっている。その一瞬のために痺れ薬は以前と調合を少しだけ変えて、より即効性を高くしているのだが果たして効果のほどは分からない。

 鼠や兎、鳥などの小動物に対して試してみたところ予想通りの効果は得られている。だからといって人間に対して使った時に同じ効果が得られるとは分からないのだ。加えて、小動物相手に試した時に使用した薬は出来立てのものであるが、今回は移動時間の分だけ劣化しているということもある。おそらくその分だけ効果は下がっているだろう。

 それでも以前まで使用していたものよりか効果は上がっていることは間違いない、そうノインツェーンは思いたかった。そうでなければやっていられないし、あの調合の日々は無駄になってしまう。

 だが、可能性からしてみれば調合に明け暮れていた日々は徒労に終わってしまう可能性が高い。本来ならば痺れ薬と言わずに殺人を目的とした劇薬を作れば言いだけの話なのだが、これはこれで難しいものである。

 まず材料の調達が難しいし、無いこととは思うが弟妹達が誤ってそれら材料を口にしてしまわないとは限らない。在宅中はともかくとして、今のように留守にしている場合が心配だった。

 寝台に横たわる。どうにも思考が暗い方向に向かってしまう。今回の依頼は魔術師の殺害だというが、相手はどのような魔術を使うというのだろうか。魔術師と呼ばれるからには強力な魔術を使ってくるに違いない。

 世界に普及している魔術は各人の生まれ持つ属性を活かすことにより、簡単に魔術の習得を可能としているが属性に縛られるという欠点がある。そのため、魔術師と呼ばれようと思えばかなりの修練に加えて才能が必要となるだろう。

 色々な想像が脳内を駆け巡り、自分自身の生み出した想像だというのにノインツェーンは思わず肩をぶるりと震わせた。どうにもこうにも考え事をしてはいけない、依頼人か今回の相棒となる傭兵が来るまで横になっていよう。そうするのが一番良いだろう、ここに来るまでに使ってしまった体力を回復する必要もあるのだ。

 寝台の上に放り出した荷物と並ぶようにして横になると、思わずふぅと溜息が出る。それと一緒に疲労までもが飛んでいったような気分になった。仕事の前は神経が過敏になっているせいか、どうにも疲れがちな傾向にあるらしい。

 もっと余裕を持たなければ、と思うのだがなかなか上手くいかないのがノインツェーンにとって目下の悩みの種であった。それが出来てこそ一人前の傭兵であろうとノインツェーンは思う。

 とにかく今は何も考えないこと。そう決めて腕で目を多い、瞼を閉じると疲れのせいかうつらうつらと意識が曖昧になってくる。それを叩き起こしたのは扉が叩かれる音だった。

 慌てて寝台から身を起すと、宿の主人に連れられて一人の青年が入ってくる。いや、本当に青年だろうか。顔立ちにはどこか幼いところが残っており、少年のようにも見える。おそらくは一〇代後半といったところだろうか。

 その割りに顔つきは妙に険しいところがあり、鉄の仮面でも被っているかのようだ。主人に案内され部屋に入ってきたときも一度ノインツェーンの方を見ると、すぐに視線を空いている寝台の方へと向ける。

 彼は大層な荷物を担いでおり、それだけでなく顔に似合わずバルディッシュをも担いでいた。見た目は子供じみたところがあるにせよ、膂力でいえばそこらの大人よりもあるに違いない。これはどうも頼もしい相棒が来た、と思いたいのだがそうは思えなかった。

 主人が部屋を後にすると彼はまずバルディッシュを壁に立てかけ、担いでいた荷物袋を床に降ろす。その時に金属音がしたのは中に鎧が入っているからかもしれない。その後、彼もノインツェーンと同じように寝台に腰掛けてノインツェーンと相対する形になったのだが一言も喋る気配を見せなかった。

 普通は後からはいってきた方が挨拶するものではないだろうか、とノインツェーンは思ったのだが無口なだけなのかもしれない。良いように考えるよう努めてこちらから声を掛けてみた。

「はじめまして、あなたも今回の依頼を受けた方ですか?」

 質問に対して彼は言葉で返さず首を縦に振って答える。

「私はノインツェーン・グラウヘンネという名です。呼びづらい名だと思いますので、ノインという風に略して呼んでくださって結構です。それで、そちらのお名前は」

「シグマだ……」

 聞き取れるか聞き取れないか曖昧な小さな声で彼、シグマは答えた。

 シグマの持ってきた荷物袋はかなり大きく、先ほどの音から察するに甲冑一式が入っているのだろう。それに加えてバルディッシュである。心強いと最初は思ったのだが、こうやって直に言葉を交わしてみると不安を覚えてしまう。

「どちらの生まれなんですか?」

 とりあえず当たり障りの無さそうなことを聞いておいて話をはずませようとしたのだが彼は答えない。沈黙が場を支配し重たい空気が部屋に漂い始める。

「あ〜、私はですね――」

「そんなことはどうでもいい」

 話を膨らませるためにもまずは自分のことから、と思ったのだが彼、シグマにそんな気はないらしくいとも簡単に打ち切られてしまう。彼には何を話しかけても駄目なのかもしれない。

「依頼主は、どこだ?」

「依頼主、ですか?」

 シグマは頷いた。だが、これには答えようが無い。依頼主が今現在どこでどうしているのかノインツェーンには知らされていないのだ。おそらくシグマもそうだろう。

「さぁ、どこにいるんでしょうね。私はただここで待っておくようにとしか聞いていませんが……そのうち来るんじゃないですか?」

 この言葉に相槌ぐらいは返ってくるだろうと期待したのだが、そんなことはなかった。どこまでも話す気が無いらしい。こんな無口な青年とも少年とも言える彼と共に依頼を果たせるのだろうかと少し不安に思い始めた。

 エトルナイト騎士団も腕に覚えのある人間を寄越してくれる、そう約束してくれてはいるが果たしてどの程度のものなのだろうか。不安に思っていると何かが近づいてくる気配がする。

 耳を澄ましてみるが廊下から足音は聞こえない。窓の外に目をやってみるが、何か近づいてくるものもない。小鳥が一羽、鳴きながら窓の側を羽ばたいていったがそんなものではなかった。何か、こうもっと大きなものが接近してくるような気がするのだ。

 あくまでそんな気がするだけであって、目に何かが見えているわけでもないし音が聞こえるわけでもない。これはもしや殺害される魔術師が先手を打ってきたのかもしれない、そう思ったノインツェーンは両手に鉤爪を嵌める。

 シグマも気配を感じ取っていたのだろうか、ノインツェーンの動きに呼応するようにして寝台から立ち上がるとバルディッシュを握り扉の前に立った。

 彼が扉の前にいるのならば自分は窓を見張ろうと、ノインツェーンは周囲に意識を集中させながら窓の外の景色を見るが何もおかしなところはない。しかし、気配は先ほどまでより強くなってきているようだ。

 いい加減、音なりなんなり、もっと明確な感覚として感じ取れるようになったとしてもおかしくないはずなのだがそんな様子はまったく無く気配だけが近づいてくる。時間が経ち、その気配はどうやら隣室の壁の向こうから近づいてくるらしいことが分かった。

 シグマとノインツェーンは壁に向けて構えを取る。一体何が出てくるのか分からない、それこそ敵の魔術師がやって来たのかもしれないのだ。

 呼吸を整えて、僅かに姿勢を低くする。気配は近づき、ついに壁をすり抜けた。だが姿が見えない。これは驚かざるを得ない、移動している気配だけの存在は部屋の中心で動くのを辞めた。

 バルディッシュと鉤爪の矛先が気配だけの存在に向けられる。心臓の鼓動が早鐘を打ち始めた。

 そのうちに部屋の床から霧が立ち込め始める。どうして良いものか分からず、いつでも飛び出せるよう窓のすぐ側まで移動した。シグマはどうしているか分からない。なにせ霧のせいで部屋の何もかもが見えなくなっているのだ。

 どう動くべきか悩んでいる間に立ち込めている霧は部屋の中心へと集まっていく。その霧の中に門のような輪郭が見えた。いつの間に、と思う間もなく霧は無くなり部屋の中心は上部が天井にまで達する巨大な門が姿を現している。

 門には海洋生物を象った意匠が施されているが、どれも邪悪さを感じさせる奇妙な姿形をしていた。その圧倒的な存在感にノインツェーンは押されてしまい、戦意は喪失し思わず両手を垂らしてしまう。

 一体、これは何なのだ。敵の魔術師の寄越したものなのだろうか。色々な憶測を巡らせているうちに門が開き始める。その向こうに見えたのはこの部屋のものではなく、虹色に輝く平面だった。

 もう何がなんだか分けが分からない。ただその圧倒さに気圧されてしまい、ノインツェーンは後ろに下がってしまっており、背中に窓枠がぶつかった。この虹色の平面から何かが飛び出してくるのだろうか、もしかしたら門に施されているような海洋生物に似た異形の怪物が現れてくるのかもしれない。

 恐ろしくはあったがノインツェーンは鉤爪を構える。門を挟んで反対側にいるシグマの動向が気になったが、間に門が存在している以上はシグマの様子を見ることはできない。

 何が出てくるか恐ろしくて仕方が無く、全身から汗が噴出し始めたが何とか腕を上げて臨戦態勢を整える。心臓の音がやけに大きく聞こえた。

 そのうちに虹色の平面に波紋が起こり、その中から一本の腕が突き出る。それは紛れも無く人間の腕であり、そのことにノインツェーンは僅かながら安堵した。もし異形の怪物であれば対処のしようがわからないが、人間ならば何とかなる。

 次の瞬間、一人の人間が飛び出してきた。その瞬間に門は消える。出てきたのは男で、整えられた身なりをしており簡素なものではあったが鎧を着けている。ただし頭には何もつけておらず、切れ長の目がノインツェーンを睨み付けた。その眼力に思わず押されてしまう。

 その男の背後でシグマは彼を敵と判断したのかバルディッシュを大きく振りかぶっており、一歩踏み込んで振り下ろそうとした。だがそれより早く、門より現れた男は一歩だけ後ろに下がると鞘から剣を抜き放つと同時に反転しシグマの首に切っ先を突きつけている。

「傭兵というのはこのような無粋な輩しかおらんのか? 手練を用意してくれるよう組合には頼んだはずなんだがな、依頼主と敵との区別もつかん馬鹿が来よったわ」

 この言葉でシグマは振りかぶっていたバルディッシュを下ろしたが、相変わらず無表情であり謝罪する様子は見受けられない。そしてノインツェーンはといえば慌てて手にはめていた鉤爪を外していた。

 今の言葉からするに間違いなくこの高圧的な雰囲気を纏っている男が、今回の依頼主であるエトルナイト騎士団から派遣された腕利きなのだろう。

「いや、これは非礼を致してしまい申し訳ありません。私はノインツェーン・グラウヘンネ、そして彼はシグマと言います」

 シグマに叱責が飛ぶより早くノインツェーンはシグマの分も含めて挨拶をするが、男はふんと鼻で鳴らしてから剣を鞘に収めるとそのまま床に腰を下ろした。なんとも大きな態度ではあるが、依頼主から送られてきた戦士である。言葉遣いには気を使わねばならないだろう。

「ノインツェーンにシグマか、貴様らそれなりに腕は確かなんだろうな? でないと金を払う気は無いし、この場で契約を解消させてもらうぞ?」

 何とも横柄な態度ではあるが依頼主から送られてきた男であり、下手な言葉を返すわけにはいかなかった。だというのにシグマは再びバルディッシュを構えている。

「試して、みるか?」

 男は頭上にバルディッシュの刃が煌いているというのに目を細めて笑い、背後にシグマへと振り向いた。

「戦意だけはあるようだな。この私を敵と間違えて襲おうとする辺り、貴様らには戦意が有り余っていると受け取っておくことにしよう。シグマだけでなく、ノインツェーンだったか。貴様も私に向けて刃を向けておったようだしな」

「そ、それは……」

 ノインツェーンが言いよどんでいると男は僅かに目を伏せて「まぁ良い」と静かに呟く。

「さて、自己紹介と今回の依頼の詳細を話さねばならないな。我が名はシャーセル・エトルナイト二世。エトルナイト騎士団のいわゆる王だ、そしてかつてエトルナイト王族の末裔でも在る」

 この言葉にはノインツェーンだけでなく、流石のシグマも目を丸くして驚くしかなかった。腕利きの戦士が来るとは聞いていたが、まさか組織の長が来るとは思いもしていない。ましてやエトルナイト騎士団の長といえば、貴族としての地位を剥奪されているとはいえ元王家なのである。

 これには対応に困り、シグマだけでなくノインツェーンもなんと言ってよいか分からない。少なくとも彼と話す時は最上級の敬語を使わねばならないだろう。

「そう固くならずとも良い。エトルナイト王家の血を引いているとはいえ、別に私は貴族でもなんでもない。貴様らが我が騎士団の人間ならばともかく、一介の傭兵ならば普通に接してくれて構わんよ。但し、貴様らに言っておきたいことがある」

「何でしょうか?」

「なんだ?」

 ノインツェーンとシグマの二人が同時に尋ねると、シャーセルは二人の顔を順番に見てから大きく息を吸って、吐いた。

「この契約が続いている間、貴様らは私の部下だ。一時的に、ではあるがな。そして貴様らには私の部下としての義務が発生し、私は貴様らの長としての義務がまた発生する。要約するとだな、貴様らは私の命令を遂行しなければならない。そして私は貴様らに、家族がいるのかどうか知らんが五体満足で返す義務が発生する」

「よく、わからん……」

「何がよくわからんのだシグマ? 組織の長、というよりもこれは王が戦いに望むのに対して当然のことだ。兵は必ず生かして返す、基本中の基本だ」

「騎士は、主君のためならば死すら厭わぬ、俺はそう学んだ」

「それは間違いではない。騎士としては当然の心得だ、だが騎士を動かす王は騎士が死なぬようにせねばならない。というよりもシグマ、貴様騎士だったのか?」

 小さくシグマが頷いた。

「そうか、我が騎士団と似たようなニオイを感じたのはそのせいか。まぁ良い、それよりも貴様ら。早く身支度を整えろ、日が暮れる前にイロウ=キーグを見つけて抹殺したい」

「わかりました」

 ノインツェーンは言ってから、シグマは無言で身支度に入る。といってもノインツェーンの身支度といっても簡単なものだ。鉤爪に薬を塗りこみ、それを手にはめるだけである。鉤爪の間合いは非常に短い、そのためにも速度を落としてしまうような鎧を身に着けることは出来ないのだ。

 それとは対照的にシグマは荷物袋から甲冑一式を取り出し、それを一人で身に着けていく。途中でシャーセルが「手伝ってやろうか?」と尋ねたがシグマは「主君にさせるわけにはいかない」と断った。この答えを聞いたシャーセルは嬉しそうに笑う。

 シグマは手馴れているのか一人でも上手に甲冑を身に着けていき、全身を甲冑で覆うのにさして時間は掛からなかった。彼が甲冑を着込むとシャーセルは座っていた床から立ち上がり、無言で部屋の扉を開けて出て行く。

 ノインツェーンもシグマも無言でその後に続いていった。

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 シャーセルは二人の傭兵を連れて貧民街へと向けて歩きながら、この国は暢気なものだと思っていた。道中で談笑しながら警邏している二人の騎士とすれ違ったのだが、彼らはシャーセルのことを見ようともしない。代わりに彼らが注目したのは街中だというのに、全身を甲冑に包み込んだシグマの方だった。

 だがとがめだてされる事は無い。シグマの姿は奇異なものとして映ったには違いないが、ここはムール=フス。しかも貧民街に近い場所とあればそのような人物がいたとしても彼らにとってはおかしくないのだろうか、何も言わずに通り過ぎていってしまった。

 シャーセルが騎士だったのならばまず確実に問い詰めているだろう。暢気すぎる、この国は改革されなければならない。そうシャーセルは思っている。だが自らが王になろうとは考えていなかった。

 シャーセルはエトルハイム王族の末裔であり、この国の王位を簒奪しても良いのだろう。だがそんなことをする必要など無いとシャーセルは考えている。ただエトルナイトの血族が貴族としての地位を奪われ、政治にすら参加できない状況は嘆かわしいばかりだった。

 ネアトリアハイムを起したフィーリー・ヨアキム一世はお人好しといっても過言ではない人物だったと伝えられている。だというのにヨアキム一世はエトルナイト王家を滅ぼし、一般身分へと追いやったのだ。

 もちろんそれにはわけがある。シャーセル一世が狂っていたからだ。もし彼が狂っておらず、正常な王であったのならばフィーリーは王位簒奪を企てようとはしなかったのだろう。

 歴史にもしはありなどしない、シャーセルはそう思っているのだがつい思ってしまうのだ。もしシャーセル一世が正常な王だったのならば、今の王は自分だったのではないのかと。そうすればこの国をもっとよりよく出来るのではないのかと考えてしまう。

 もちろん一般身分の人間が貴族になりあがることだって出来るだろう。そのためには騎士団に入団するのが一番手っ取り早い。騎士団に入って功績を挙げれば貴族の令嬢と結婚し、晴れて貴族の仲間入りが可能だ。

 だが、シャーセルにはそれが出来ない。シャーセルが騎士団に入ろうとすれば、間違いなく反乱分子として捉えられ公開処刑となるのは目に見えている。騎士たちはシャーセルの顔を知らないからこそ、すれ違っても気付かないだけであり、もしシャーセルだと知ったのならばただではおかないはずだ。

 くそっ、と内心でシャーセルは罵声を吐いた。エトルナイト騎士団に何故か協力してくれているナイアールはこう言った「あなたは王となる人物ですよ」と。果たしてそれは本当なのだろうか、現状を鑑みるとそれはありそうに思えないのだ。

「何か考え事ですか陛下?」

 胸中が顔に出てしまっていたのだろうか、ノインツェーンがシャーセルに尋ねてくる。

「気にするな。貴様が気にするほどではない瑣末ごとだ」

 ノインツェーンを一瞥しながら言った。すると彼は「なら良いのですが」と言って一歩引き下がる。良い家臣ぶりだとシャーセルは思う。今のエトルナイト騎士団もこんな連中ばかりなら良いのに、と思うばかりだ。

 エトルナイト騎士団の当初はどうだったのだろうか、最近、シャーセルはそういったことをよく考えてしまう。今のエトルナイト騎士団ははっきり言って野盗の集団でしかない。それがシャーセルの心を痛ませるのだ。

 どうすれば良いものか、何も喋らずに歩いているとどうしても留処なく色んな考えが頭に浮かんでは消えていく。かといって後ろについてきている二人と話をする気は無かった。だがそうするうちにも貧民街は近づいてきている。

 ナイアールの話によると貧民街の中にイロウ=キーグはいるという。貧民街は広大で、無秩序に広がったために内部は迷路のような構造をしていると聞く。イロウ=キーグの手がかりはといえば、黄衣と蒼白の仮面の二つだけなのだがナイアールはあるものをくれたのだ。

 それをシャーセルは取り出して掌に載せる。ナイアールがくれたあるものとは宝石だった。彼に言わせてみれば、これは一種の魔力探知機であり魔力の高いものがいる方向が光り輝くのだと言う。真偽のほどは定かでないにせよ、今シャーセルが持っている中でイロウ=キーグを探すのに役立ちそうなものはこれしかない。

 やれやれ、と胸中で呟きながらあたりをざっと見渡してから宝石に目をやった。宝石は太陽の光を反射こそすれど、光り輝くようには到底見えない。この近くにイロウ=キーグはいないということなのだろうか。

「それは、なんだ?」

「ん? これか?」

 シグマが尋ねてきたのでシャーセルは宝石を掌に載せたまま振り返った。別に彼らに対してこの宝石の存在を隠す必要などどこにもありはしない。

「我々に協力してくれる組織があってな、そこがくれたものだ。魔力の高い人間を探すのにはちょうど良いらしい。何でも魔力の高い人間のいる方向が光るという、どのように光るのかはまだ見ていないのでなんとも言えんがな」

 言いながら彼らにもよく見えるように掌の宝石を差し出すとノインツェーンは目を丸くし、やや肩を震わせている。それとは対照的にシグマは興味深そうな視線を宝石に送ってはいたが、ノインツェーンほどの驚きを見せるわけではなかった。

「ノインツェーン、君はこの宝石と何かあるのか?」

「いえ、何かあるというわけではないのですが……もっとよく見せてもらっても構わないですか?」

「あぁ、良いとも。別に誰が持っていようと関係は無いからな、君が持ちたければ持っていたまえ」

「いえ、見せていただくだけで結構です」

 ノインツェーンはおそるおそるシャーセルの手から宝石を取ると、それを太陽に透かしてみたり色んな角度から眺めはじめる。そして「同じだ」と何度も呟いていた。

「何が同じなんだノインツェーン?」

「いえ、実は黒のオラウスから魔力の高い人間を探すという依頼を受けたことがありまして。その時にこれとまったく同じ宝石が渡されたのです」

 そう言いながらゆっくりとした動作でノインツェーンはシャーセルの掌に宝石を置いた。このノインツェーンの言葉にはどこか興味惹かれるものがある。ナイアールの言ったところによれば、イロウ=キーグとオラウスには何らかの繋がりがあるらしい。

 だがオラウスもこれと同じ宝石を所持していたとなると、もしかするとナイアール自身もオラウスと繋がりがあるのではないだろうか。ナイアールは積極的にエトルナイト騎士団の活動を支援してくれており、有能な人材を貸し出してくれたりもするし資金面での協力もしてくれる。

 それがなぜなのかシャーセルの知るところではないが、こういった些細な接点をより多く見つけていくことでナイアールの謎が解けるかもしれない。

「なるほど」

 うんうん、と頷いてから進行方向に向き直った。すると宝石の上部が光り始める。それ以外の場所は逆に光を吸収でもしてしまったかのように黒ずみ始めた。

 不思議な石だ、そんなことを思いながらもシャーセルは正面に視線を向ける。そこには全身を黄衣で覆い、蒼白の仮面を着けた男が立っていた。距離は僅かに五歩分といったところだろうか。

 いつの間にこんな至近距離に現れたのだろうか。シャーセルは背を向けていたとはいっても、シグマとノインツェーンの視線はシャーセルの後ろに向けられていたのだ。ノインツェーンは宝石に魅入っていたから仕方が無いとしても、シグマが気付かないはずは無い。

 もっとも地味な色の服を着ているのならばともかく、イロウ=キーグが身に着けているのは黄色の衣なのである。そんな目立つ色の服を着ていれば、多少シグマの視線が違うところを向いていたとしても視界の中にさえ入っていれば気付いたはずだ。

 それとなく背後、シグマの表情を確認してみるが本当に気が付いていなかったらしい。兜の隙間から見える表情は強張っていた。やれやれ、と思いながらシャーセルは宝石を懐にしまい剣を抜き放つ。

 呼応するようにしてシグマはバルディッシュの穂先に巻きつかせていた布を取り払い、ぎらつく刃を白昼の元に晒し、ノインツェーンも両手に鉤爪を嵌める。

「お話しする気はないのですか?」

 イロウ=キーグの蒼白の仮面の向こうからくぐもった声が聞こえた。返答せずにシャーセルは己の剣を地面に突き立てる。

「おや、私と会話してくれるのですか?」

 顎を僅かに動かして後ろの二人に「行け」と命じた。その瞬間にノインツェーンはとても常人では出せない速度でイロウ=キーグに飛び掛る。きっと魔術を行使して速度を上げたのだろう。

 イロウ=キーグはただ突っ立っているだけであった。シャーセルがイロウ=キーグと同じ立場であったなら、きっとノインツェーンの鉤爪に深々と体に傷を付けられていたであろう。

 だがイロウ=キーグはそうはならなかった。ノインツェーンが驚嘆すべき速さで鉤爪を振るったというのに、イロウ=キーグに身に傷一つ付けることはおろか彼が身に纏っている衣を切り裂くことすら出来なかったのである。

 いつの間に、一体どうやって。シャーセルの目にはイロウ=キーグが動いたようには見えなかった。だがイロウ=キーグはちょうど二歩分後ろに下がっていたのだ。思わず瞬きをして状況を確認しようと努めたが、イロウ=キーグはただ立っているだけでありノインツェーンは驚きのためか動きを止めてしまっていた。

 そこにシグマが切り込む。彼のバルディッシュの刃先は完全にイロウ=キーグを捉えている。だというのにまたしてもイロウ=キーグは瞬間移動でもしたのか、いつの間にやら後ろに下がっているのだ。

 そしてイロウ=キーグが手袋をはめた手で宙を払ったかと思うと、ノインツェーンとシグマの二人の体がふわりと浮き、次の瞬間にはシャーセルの遥か後方へと吹き飛ばされている。いかなり魔術を行使しているのか具体的には判別できていないが、属性でいえばおそらくは風になるのだろう。

「あなたは向かってこないのですか?」

 やはりシャーセルは返答しない。変わりに地面に突き立てていた剣を抜いて構え、呪文を唱えイロウ=キーグの真後ろに炎の壁を発生させる。こうすれば後ろに逃げることは出来ない。

 イロウ=キーグは背後の地面から噴出す青い炎を見ながら「おやおや」とワザとらしく言った後に、さも面白いと言わんばかりに笑ってみせる。

「今の、私を直接狙うことも出来たんじゃないんですか?」

 イロウ=キーグの言うことは真実だった。シャーセルは直接イロウ=キーグの足元から炎を噴出すことも可能だったのだが、あえてそれはしない。理由はただ一つ、敵の不意をつくというのは戦闘においては常識だがこちらの手を知らない相手に対してそれを行うのは憚られたからだ。騎士道精神と言っても良い。

「あなたも面白い方だ――」

 イロウ=キーグは二の句を続けようとしたが彼にそんな暇を与えるつもりはなかった。一気に踏み込んでイロウ=キーグに飛び掛り切りつける。しかし、距離が遠かったせいもありイロウ=キーグは後ろに一歩下がるだけでそれを避けた。

 そこに追撃として喉を目掛けて突きを繰り出す。後ろに逃げたとしても充分届くほど深い一撃を。それをイロウ=キーグは後ろに避けた。だが彼の足は動いていない、地面の上を僅かに浮いており滑るようにして後ろに下がる。シャーセルの繰り出した一撃は、届かなかった。

 一体全体、どのような魔術を使っているというのだろうか。見当が付かないがシャーセルに打つ手が無いわけではない。シャーセルの魔術は炎を操るもの、範囲内ならば自由自在なのである。点や線での攻撃が通用しないならば面で行ってやれば良いだけのこと。

 剣を右手で構えながら左手を突き出して呪文を唱える。イロウ=キーグは首を傾げた。仮面の向こうに隠されている瞳から興味深げなものを感じたのは気のせいだろうか。

 詠唱が終わる。

「王の炎をその身で持って味わうが良い!」

 魔術を発動させた。シャーセルを起点として扇状に青い炎が広がる、後ろに逃げても横に逃げても上に逃げてもイロウ=キーグに逃げ場は無い。今度ばかりはイロウ=キーグも避けようがなかった。

 青い炎がイロウ=キーグの体を嘗め回し、蹂躙する。黄衣は燃え上がり、灼熱の地獄の中でイロウ=キーグはもだえ苦しむはずだった。だが黄衣の男はそれを意に介した風もなく、燃え上がりながら両手を大きく横に広げて高らかに笑っている。

「ハハハハ! 流石、流石です。ナイアールが見込むだけのことはあります! この遊戯は実に楽しい! 三〇〇年前のものよりも楽しくなりそうだ!」

 イロウ=キーグが笑いながらそう言うと、黄衣を嘗め回していた炎がイロウ=キーグの体の中心へと収束していく。そうして炎は消え去った、イロウ=キーグが纏っている衣には焦げ目一つとして付いていない。

「そんな馬鹿な……」

「いやはや、人の身でありながら良くぞここまで練り上げたものだと賞賛に値しますよこれは。それでは、またの機会に会うことに致しましょう。シャーセル・エトルナイト閣下」

 黄衣の男は恭しく頭を垂れるとくるりと後ろへと振り返り、歩き始める。彼が一歩歩むたびにその後姿は薄れ始め、透明に近くなりそのうちに消え去ってしまった。何が起こったのかシャーセルには理解できない。

 ただ言えることは、シャーセルの炎が通用しなかったこと、彼とナイアールが何らかの関係にあることである。今回、エトルナイト騎士団にイロウ=キーグを抹殺して欲しいと言ってきたのは、エトルナイト騎士団と協力関係にある真実の教団の教祖であるナイアールその人からだ。

 そうでなければエトルナイト騎士団の長であるシャーセル自らが動こうとはしなかっただろう。しかし、イロウ=キーグとナイアールには何らかの関係があるらしい。これは後々、ナイアールに問い詰めねばならないと思いながらも、今のシャーセルにはしなければならないことがある。

 剣を鞘に収めて振り返るやいなや地面に倒れている二人の傭兵の下へと駆け寄った。

 彼ら二人は傭兵で、金銭による契約関係だけがシャーセルとの繋がりである。とはいえ彼らがシャーセルの指揮下に置かれている以上、シャーセルには彼らを生かす義務があるのだ。少なくともシャーセルはそう考えている。

 見たところ二人とも外傷は無いようであった。ノインツェーンは鎧を着けていないため、外傷があればすぐにわかるだろう。だからといって安心は出来ない、最悪、内臓が破裂している可能性もあるのだ。

 どう思われようと構わない、そう思いながらシャーセルはノインツェーンの上衣を捲り上げた。露になった肌に痣は浮かんでいない、そのことに安堵する。となると彼らは吹き飛ばされただけであるらしい。

 しかしそれだけであるなら何故彼らは気を失っているのか。おそらくはイロウ=キーグの魔術によるものだろうが、考えてみても答えは出てこない。

 シャーセルはイロウ=キーグが消えた地点に目をやったが、そこには何も残されてはいなかった。

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