鬼の人と血と月と 第10話 「開幕」 |
第10話 開幕
…文化祭から二日後、休日明けの平日
午前中は授業が無く、代わりとして文化祭の完全な片付けに取りかかる事になっていた
やがて午後の授業も終わり放課後へと移る、学生たちは祭の空気感を惜しみながらも、今までと変わらぬ日々を送り続ける
授業終了のチャイムが鳴り響き その後のSHR(ショートホームルーム)を終えるや否や、統司は足早に部室へと向かって行った
部室の扉に立つと中から話し声が聞こえる、どうやら既に人がいるようだ
統司は扉に手を掛け、ガラリと扉を開く
そこにはキャッキャと騒ぐ月雨の姿と、変わらぬ様子で月雨の会話に相槌を打っている詩月の様子があった
「や!皆おっはよう!放課後だけど!」
無邪気な様子の月雨は、統司と恵に挨拶を交わす
「あ、おはようございます、…詩月先輩もう大丈夫なんですか?」
恵は月雨の挨拶を返し、すぐに詩月の様子を気にかける
「ああ、何ともない、しかし募る話は全員集まってからにしようか」
後ろから蒼依、魁魅の順に現れ、最後に水内が現れた
…横には、今朝から姿が無かった藤盛がいた
「皆集まっているか、…ちゃんと誰も欠けてないな」
水内の声かけに応じるよりも先に、統司は藤盛へ声を上げた
「藤盛!お前大丈夫なのか!」
しかし当の本人は首を傾げる
『へ?何が?』
人の心配をよそに、藤盛の第一声はそれであった
「ああ、目が覚めたら今日になっててさ、いやマジビビったわー、いきなり休みがぶっ飛んでんだから、そんで先生に連れられてさっきまでずっと検査してたって訳だが…」
いつもの調子で藤盛は話し続け、肩をすくめ、辺りを見回す
「ここって、鬼焚部だよな?俺なんでこんな状況でここに連れられてんの?」
口を閉じない藤盛に、水内は呆れて軽く頭を叩く
「あっ、暴力教師、髪傷んだらどうするんだよ」
反省の色の無い藤盛は相変わらず口を開いたままで、水内は ほとほと呆れる、しかし気持ちを切り替えて、鬼焚部の面々に向かって話し始める
「ではこれから、前回の活動の報告会を始める、まずは一連の状況を掻い摘んで説明を…そうだな、北空に頼むとしよう」
その水内の様子は相当に真剣な時の雰囲気・口調であり、言葉の一つ一つに細心の注意を払っているように感じた、…恐らくはすぐ隣に藤盛がいるからであろう
先程まで口を開き続けていた藤盛は、その今までに知らない水内の様子に無意識に口を閉じており、蒼依や統司にアイコンタクトを諮(はか)っていたが、二人とも目を逸らして藤盛の行動を無視していた
普段ならば説明等の役は魁魅が行っていた為、今回の突然の指名に恵と他の2年生は内心驚いていた
「え?わ、私ですか?」
恵は動揺しつつ水内に確認を取る
「曖昧な点や 答え辛い部分は省略して構わない、状況を把握している中で今回はお前が適任だ、では活動開始の指示をした所から頼む」
そう言い水内は口を閉じ、恵は深呼吸してから説明を始めた…
「えっと活動の指示を聞いてから…、まず私たちは非常口を通って校舎から出て、そこからそれぞれ違う方向へ索敵を始めました、少し経ってガラスが割れる音が聞こえ、その方向に多分皆向かっていたと思います、その際 篠森さんが校舎内で負傷者を発見していました、…私は音の方向へ向かうと、そこには倒れた統司君の姿と、…更生対象の姿を発見しました、その後に魁魅君、詩月先輩、蒼依君の順で合流しましたが、その直後に対象は逃亡し、他の3人が対象を追尾しました、逃亡した対象を追う前に月雨先輩から連絡が届き、対象が粛清対象となった事を知りました、…私はその場に残って気を失っていた統司君に付いてました、息はありましたが完全に意識がなかった為、目覚めるまで時間はかかりましたが、特に目立った被害は無く無事に目覚めました、…その後 統司君に対象の状況を教えると、血相を変えて対象の場所に向かって行きました、この時既に詩月先輩が対象と接触していたと思われます、私は統司君を追って向かう際に、彼の木刀を回収してから向かいました、しかしその途中で誰かの声を聞き、同時に力と共に意識が微かに遠のきました、少しふらつきながら統司君と合流すると、その場には対象と共に詩月先輩が気を失っていました、またその場には魁魅君と蒼依君、篠森さんが合流しており、魁魅君が詩月先輩の意識を確認していました、しかし呼吸はあるものの意識は戻らず、同様に意識の無い対象と共に、篠森さんを除いた私たち4人で保健室に運び、部室へと戻ってきました」
説明している際、時折 恵は“対象”の事を藤盛と言いそうになり、言い直していた
説明を終えると再び恵は深く深呼吸をし、少し不安な表情で水内に確認を取る
「…以上です、これでよろしいでしょうか、水内先生?」
水内は腕を組んだまま軽く頷き、部員の方を向いて声を掛ける
「…ふむ、他に話す事、間違った点はあるか?」
しかし部員は皆一つ返事で異論は無く、水内は再び恵に向き直る
「そうか、概ね正しいようだな、では適切な解説ありがとう」
恵は頭を下げ、ふぅと一息つく
解説の間 立ったままで、この場に不適切な存在でないかと、もじもじと落ち着きの無い様子の藤盛が 好機だと遂に口を開く
「あ、あのー?俺って何でいるんすかねぇ…?関係無い気がするんじゃ…」
そう声を漏らす藤盛を、水内は横目でちらりと見て、部員に向かって言う
「…では、話し合う前に少し情報を聞こうと思う」
そして水内は藤盛と向き合う
真剣な様子の水内に向かいあい、藤盛は「え、ええ!?」と少々挙動不審に驚く
「藤盛、お前気を失ったんだよな?じゃあ意識が失う前の事を、何でもいいから話してくれ」
『え?いや…何でもと言ったって、何から話せばいいのやら…」
気まずい調子で頭を抑えながら藤盛はそう言い、水内は溜息を吐いた後、話しやすい様に例えを話す
「…そうだな、例えば文化祭終了のアナウンスとかはどうだ」
その例えに藤盛はすんなりと乗る
「え?ああ、そのアナウンスなら聞いた!…聞きましたけど…?」
水内の気迫に怯え、すっかり大人しくなってしまう藤盛
「…そのアナウンスは聞いたのか、ではそこから頼む」
『え?ええ…、そこからっつっても、その後は何も覚えてないからなぁ…気付いたら病院のベッドで起きたし…、アナウンス……、あ、そうだ!」
藤盛は何かを思い出した様で、それに水内は静かに食いつく
「何?思い出したのか?何でもいい、話してみろ」
『ちょ、先生、顔怖いって!」
思わず藤盛は今の感情を素直に吐露するが、水内は構う事は無かった
「…えっと……、確か…そうだ、誰かに呼ばれたんだった、そのアナウンスの前に校舎の裏通りに呼ばれて………、あー思い出せねぇ、多分ここで“ぶっ飛んだ”んだと思う、まぁあんまり関係無いかもしれないけどなぁ…」
藤盛のその情報の一部分に、水内は食い入った
「何?誰か…だと?誰なんだ、思い出せないか?」
しかし藤盛はそんなに考えもせずに、手を振って断る
「いや、ダメダメ、全然思い出せねぇもん、そっから頭空っぽだし、誰かなんて知らねぇよ」
しかし水内に諭され、渋々藤盛は考える
「ん〜、誰だっけ………?男…かもしれないし女かもしれない、…呼ばれてそこに行った後の記憶無いし、殴られたのかもしれないし…、薬を嗅がされたのかもしれないし…、何か囁かれたのかもしれないし…、あー全然分からん!」
水内は俯きつつ藤盛の言葉を聞いて少し考えるが、すぐに顔を上げた
「…まぁええわ、藤盛ご苦労さん、付き合わせて悪かったな、もう帰ってもええで?」
その普段の調子の水内を見て、藤盛は安堵した
「あ、そっすか…、……じゃあ俺帰るわ、蒼依と霧海、そんでもって北空さんもじゃあなー!」
いつも通りの、いや反動の所為かいつも以上に明るい調子で 藤盛は部室を去って行った…
部室が静まり返った瞬間、水内は声を上げる
「北空、本人が目の前にいるのに関わらず、ホンマにありがとうな」
礼を言う水内の様子は、真面目な様子に戻っていた
「い、いえ…、先生の指示でしたので…」
水内の様子に少し気圧され、水内の礼に恵は素直に喜べないでいた
そこに今まで黙っていた魁魅が口を開いた
「…なぜ北空だったのですか?いつもこの役回りは 私がやっていたと思うのですが」
その質問に、水内は冷たい目つきのままに、軽口で答えた
「魁魅、お前は余計に正直なところがあるからなぁ、今回はその点 気の回る北空に頼んだってわけや」
その裏のある様子に、魁魅は食ってかかった
「なぜですか、本来は粛清対象であったのにも拘らず、未だに生存しているのはおかしいではないですか、そんな奴を庇う理由を答えて下さい」
いつもより強い口調で魁魅は問いただすが、水内は一息ついてから口を開いた
「今回は少々特殊でな、大抵の奴は暴走した時の様子を、何となくで覚えているもんや、…だが今回はさっぱり覚えとらんわけや、いくら個人差があるといっても、暴走するきっかけとなる直前の記憶もないってのは、一体どういうことやろなぁ?」
謎掛けの様に話す水内に、魁魅は辛抱できずに声を上げる
「それならさっき話していたではないですか!」
『だが、今まで以上に曖昧な答えだ』
珍しく感情を露わにする魁魅に、水内は即答で切り捨てた
「言ったやろ、暴走するに至る“強い感情”を覚えてないんや、それは今までに無かった不明確な状況、そんな奴を簡単に消してしまう訳にはいかない」
改めて水内は、暴走する経緯を説明し始めた
「我々鬼人、特にお前ら思春期に当たる子供は、感受性が高く精神が不安定である事が多い、そこに我々の特有の影響“月の満ち欠け”だ、只でさえ不安定であるにも拘らず、力や感情が最大に高まっている満月の日に、何らかの心理的ショックで感情が一線を越えてしまったら…、それが暴走の状態であり、暴走の原因よ」
水内は一息つける為に 煙草を取り出し咥えようとするが、屋内でしかも皆の前である事を思い出し、再びしまった
「せやかて今までの奴はその一線を越える感情を覚えておった、しかしアイツにはそれが見当たらない、そんな状況を調べずに粛清するとは、それこそ問題…大問題や」
水内は冷たい目つきで魁魅を見つめる、それに魁魅は怖気づくが引かなかった
「し、しかし…」
あくまでも引かない魁魅の態度に、少年は立ち上がった
…それは蒼依ではなく、統司の姿だった
「いい加減にしろ!!…魁魅、お前はどうしてそこまでアイツを消したがるんだ!」
激昂する統司は、手を叩けつけながら立ち上がる、その様子は掴み掛らんといった様子だが、統司はその線を越えずに耐えている
「それは…、問題があった者に相応の処罰を与えるのは当然だろう…」
いつもより自信を感じぬ魁魅の言葉に、感情が高まったままの統司が呆れたように声を上げる
「嗚呼、ああ分かったよ…!それなら俺がずっと藤森を見張っててやるよ!いつまた暴走しても俺がまた止めてやる…!それなら問題はないだろうよ…!」
激昂していた統司は、魁魅に向かって意見をぶつけ終えると、静かに椅子に座った
統司の意見に、魁魅は反論しようとするが…
「よさないか!」
詩月の一言で魁魅は口を紡いだ
「今回の一件、彼の処遇は既に決まっているのですよね、水内先生」
魁魅を引き留める様に 詩月は魁魅の前に手を出しつつ、水内に確認を求めた
「…ああ、…今回の件 審議の結果…保留、いや不問となった」
その答えに魁魅は食い入ろうとするが、周囲の空気感に遮られた
皆が魁魅を無言で見つめていたからである
「何か…問題でもあるんか?」
止めに水内は鋭い言葉を放った
「…何でもありません、少し反省します」
魁魅は頭を下げ、眼鏡の位置を直し普段の表情に戻る
しかし魁魅本人は、なんだか煮え切らない思いを感じていた
…間もなく報告会は終了し、各々部室を去ってゆく
部室を去る直前、詩月は魁魅を引き留めた
「?…なんでしょうか部長」
穏やかであるが 真面目な口調で、詩月は魁魅に話しかける
「お前は恐らく 規律を第一に考えている様だが、…そうじゃない、人がルールを定める以上、ある程度ルールは柔軟に考えなければいけないんだ」
詩月の言葉に、魁魅は冷静に切り返す
「…ですが、規律が無くては 社会は成り立たない、ルールは人を守る物であり、ルールは何より守らなければならない、規律はそういうモノだと、…先輩もそうお考えではないですか?」
魁魅の意見に、詩月は答える
「お前の意見に対しては…間違ってはいない、…だが正しい訳でもない、…お前はその事をよく理解するべきだ」
そして間を空けずに詩月は続けた
「それと少し違う、俺は規律を考えている訳ではない、人の“理性”に重点を置いているだけだ」
その表情はニヤッと笑っており、そう告げると詩月は「引き留めて悪かったな」と部室を去って行った…
下駄箱に着いた統司は下足を取り出していると、どこからか呼ぶ気配を感じた
「おーい!霧海ぃー!」
統司が振り向くと、それは校舎から現れた藤森の姿だった
「藤森、お前まだいたのか」
統司は既に普段の表情に戻っており、藤森に声を返した
「いやちょっと忘れ物があってさあ、…ん?なんかお前、随分妙な機嫌みたいだな」
都会で慣れた様に、統司が変わらぬ表情を装っていたのにも関わらず、藤森は統司の空気を微かに察知していた
“コイツ”は妙に察しが良く、普段の様子から「コイツは都会でも十分にやっていけそうだと」統司は内心思っていたが、ここまでとは思わなかった
「そういやさぁ、なんだか妙に皆の空気がピリピリしてたみたいなんだけどさ、何かあったのか?…ま、別に何でもいいけどさ!」
…そして、この都合良く鈍感な部分を見て「十二分にやっていける」と統司は確信する
「いや、特に何もなかったと思うけど…」
そう平静を装って統司は返すが、内心暴走していた時の事を脳裏に重ねていた
そして先程 部室で放った自分の言葉を意識する
表には出さない複雑な心境の中、統司は藤森と共に帰路に着いた…
…11月を迎えて最初の休日、
統司がゲームをしていると 不意に携帯が着信する
すぐに携帯を取らなかったものの、キリの良いところでゲームを中断し、統司は携帯を開く
それは何の気まぐれか、篠森から突然のメールであった
件名:明日
大した用事がないのであれば、メール下部に記載する住所の屋敷に来て下さい、理由は訪問後に説明します。
約束の時間は午後、未の刻。
嗚呼、説明が面倒になるので、単独で来る事を心掛けて下さい。
…以下 住所
淡々と用件だけ書かれたその文章は、篠森の普段の性格を含めて察するに 拒否することは容易ではなさそうだ
あまり人と関わるイメージの無い篠森が、理由を伏せ 単独で呼び出してくるとは、もしかすると余程の事があるのかもしれない
幸い 統司に翌日の予定は無く、精々授業中に出された 1週間以上提出期限が先の宿題に手をつける程度であろう
本文にも書かれた住所は 意外な事に地図も添付されており、念の為に住所を調べ直しても 目的地に誤差は無かった
尚、“未の刻”とは大体“午後二時前後”の事の様だ
統司は内心呆れつつもメールを返信する、その際の文章も 妙に疑念を抱かせない為にあっさりとした文章でまとめた
…日頃 蒼依が突っ掛かられてる様子を見ている為、標的にされるのは少々面倒であるからだ
元都会育ちの統司には、その辺りの関わり方を心得ているのである
件名:Re:明日
了解、特に予定は無かったから問題は無い。
あっさりと一言、最低限の返事はこれで十分である
すぐに返信が来ることも想定し、ゲームを再開させることなく、喉の渇きを癒しに一旦休憩することにした
案の定 返信が無い事を確認すると、統司はゲームを再開させるのであった…
…翌日、約束の時間は少々アバウトな指定であったが、“時間の範囲”で早めに着くように統司は、バスに乗り 街側にある目的地に向かっていた
目的地への通り道の一つに、川と林の間に挟まれた砂利道を通っていた
統司はその道を歩き、ふと懐かしさを感じる
それは今から半年程前、5月の夕暮れの日
統司が鬼焚部で初めての活動を行った、あの時に通りかかった道である
そしてその道には、偶然通りかかっていた篠森の姿もあった
しかし改めて考えても、只それだけの事でもあるのだが
強いて状況が変わった点は、鬼焚部としてこの町に慣れている事と、
今日は薄く雲がかかった昼間であるという事だ
段々と、四季の変化により気候が変わった為、少々肌寒い
あまりゆっくり歩かずに、適度な速さで目的地に向かうことにした
…目的地は、メールに書かれてあったとおりに、見事な屋敷であった
家屋までに敷き詰められた砂利に、玄関までを辿って配置された足場の石
敷地の大きさは“詩月邸”に負けてはいるが、その純和風の住居は様式美を感じざるをえなかった
統司が屋敷に見惚れ 気圧されていると、屋敷の中から静かな鍵盤を叩く音色が聞こえてきた
そもそも統司はクラシックを全くといって知らないのだが、本当にそんな曲があるのかと問いたい程に、その旋律は今までに聞いた事のない曲調であった
しかし自然に流れ込んでくるその旋律に、統司はとても気が安らぎ 懐かしさを感じてさえいた
数分程聞き惚れていると、鍵盤は止まってしまう
知らない曲であるが、なんだか中断したかのような不良感を感じていた
だがその不良感に統司は本来の目的を思い出す、統司はまだ門の横に立っており、まだ訪ねてすらいないのであった
統司の安らいだ気分は、その後の不良感によって引き締められ、意を決して玄関へと向かう
統司の足音は、砂利を踏みしめる音を強く発し、物静かな屋敷に響いてゆく
やがて玄関に着き 統司がインターホンを押そうとすると、中から人の気配を感じ、その手を止める
擦りガラス越しに人影が見えると、ガラリと音を立てて玄関が開かれる
……扉を開けた本人は、和服姿に背中まである艶やかな長髪の、とても綺麗な少女であった
雪の様に白い肌、素朴ながらに整った顔立ちの少女は、こちらを無言でじっと見据えている
僅かの間 見惚れてしまった統司だが、気持ちを切り替え 照れた表情を巧みに隠しつつ、用件を告げた
「えっと、魁魅高等学校2年の霧海統司です、後輩の篠森月裏にここに来るよう指示されたのですが…」
そう統司が言い終わるな否や、少女は扉をそのままに無言で屋内へと歩き出した
統司は困惑していたが、少女は統司が付いてくる気配を感じなかったのか、静かに立ち止まり、統司に聞こえるかどうかの声で「どうぞ」と一言放ち、再び歩き出す
はっきりとは聞こえなかったものの 統司は少女の言葉の意味をようやく理解し、「おじゃまします」と扉を閉めながら挨拶して、急いで少女の後を付いて行った
少女の後を付いて行きながらも統司は、少女の声にどこか聞き覚えを感じており、少女の顔も見覚えがあった気がした
やがて少女は一室の前にやってくると、静かに戸を開け「ここで待っていて」と統司に言う
統司は頭を下げつつ部屋に入り、卓の前に静かに正座する
統司は詩月邸と無意識に比べていたが、和風の客室というのはどこも同じような間取りなのだろうか、そんな事を考えている内に 再びさっきの少女が現れる
そして無言のままに、卓を挟んで統司の向かいに静かに座った
……和室を静寂が支配し、少女は無言のまま表情一つ変えず じっと統司を見つめている、その状況はとてつもなく気まずいものであった
統司は静寂に耐えられなかった事もあり、先程から気になっていた事を口にした
「……もしかして、君とはどっかで会ったことある?」
その言葉を聞いて、表情を変えず 少女は静かに問い返す
「…気付きませんか?」
その口調に聞き覚えはあるものの、統司の脳裏にはピンとこないでいた
統司の様子を見て、不意に少女は立ち上がり 少女の背後にある棚へと歩く
急に立ち上がった事に、統司は少女の事を不快にさせてしまったかと思ったが、何やらそういった訳ではないらしい
少女は棚の引き出しから何かを取り出すと、その一つを顔に掛け、もう一つを使い髪を結え始めた
やがて少女がこちらを振り向くと、統司は先程から感じる違和感から解放され、思わず「ああっ!」と声を上げた
「…ようやくお気付きですか、霧海先輩」
その淡々とした口調、そして大きな丸眼鏡越しの眠そうに虚ろな目付き、長髪の結え方はポニーテール
和服を除いて、その先程と打って変わった容姿は、紛れもなく篠森であった
…屋敷に到着して早々、屋敷の趣や 中から聞こえてきた鍵盤の旋律に気を取られ、表札の名字を確認していなかったのである
この見事な屋敷は篠森の家であった、屋敷の大きさからみて 篠森はそれなりのお嬢様なのだろうか
そして統司の思考は急速に活動し、見覚えのあった理由を突き止める
…それは神魅町に引っ越してから翌日の事、転校の準備で町内を回っていた時、大型の本屋にてすれ違った時である
「…それにしても、意外と先輩も気付かないものなんですね」
怪しげにクスクスと微笑する篠森のその姿は、完全に統司を小馬鹿にしていた
先程から統司は正体に気づくことなく、初対面として接していた事を思い出し、非常に気恥しくなったが、その点はいっその事忘れてしまうことにした
…この程度の失敗は些細なことである、……多分。
「嗚呼、驚いたよ色々と」
『…ところで先輩、ここが客室とはいえ、女の子の部屋をジロジロ眺めるのはあまりいただけない行為だと思うのですが』
その篠森の意見に、とうじは苦笑しつつ同意する
「ははっ確かにそうだな、…所で、ここに呼んだ用件って何?」
そう統司が言い終える前に 外から砂利を踏む音に気付き、「…少し失礼するわ」と篠森は一言告げると、どこかへと言ってしまった
大した時間を待っていた訳ではないが、統司は気まぐれに 篠森を探しに玄関へ向かった
会話を遮る程に 来客の対応を重視するとは、そこまで大事な来客なのか、それとも“お嬢様”としての身の振り方なのか、どちらにせよ“好奇心”には変わりなかった、ただそれだけの行動原理であった
…しかしその行動に、統司は少しだけ後悔したのであった
「…静(しずか)お姉ちゃ〜〜〜ん!!」
甘い声を放ちながら、やってきた女性に満面の笑みで、無邪気に飛び込む姿
それは普段から隙を見せず、先程まで変わらぬ様子を見せていたとは思えない、……紛れもなく篠森の姿であった
そして“静お姉ちゃん”と呼ばれていた来客の女性は、統司の知っている顔であった
「久しぶり月裏ちゃん!……あら?そこにいるのは統司君じゃないの!」
それは白衣姿で無く、私服姿の咲(さき)森(もり)静(しずか)だった
「……あ、こんにちは、お久しぶりです先生」
思わず硬直していたが、咲森の言葉に気づき統司は返事を返した
キャッキャと幼い子供の様に 戯れていた篠森は、統司がいる事に気づくと、統司に向かってニコッと笑顔を返す
その思わぬ状況に、統司は心が揺らぐと共に、ゾクッと恐怖心の様なものも微かに感じていた
「…あら、他にお客さんがいるんだったら、私は先に用事の方を済ませておこうかしら?」
『ねえねえ、お姉ちゃんは今晩 お夕飯は一緒に食べるんだよね!?』
「ええ、そのつもりよ、それじゃあいつもの部屋に入ってもいい?」
篠森でなかったら微笑ましい光景だが、いかんせん物珍しい印象しか統司は受け取れなかった
「うん良いよ!…それじゃあ先輩!私は先に客室に戻ってますね!」
そう篠森は言うな否や、篠森はパタパタと小走りで戻って行った…
統司は「嗚呼」と篠森に返事を返すが、このおかしな状況に、統司は違和感と動揺しか感じられなかった
硬直している統司に、咲森は声を掛けた
「統司君、せっかくだから少し話をしましょうか?」
咲森の言葉に統司は反応し、統司は咲森へ向き直る
「その様子だと、彼女の“あの姿”を見るのは初めての様ね」
統司は未だに状況に適応できず、上手く口が回らないでいた
「あ、ああ…うん」
その様子に咲森はクスッと笑い、話し始める
「私は月裏ちゃんと御近所同士でね、小さい頃からよく一緒に過ごしていたのよ?」
笑顔で話していた咲森は、一度目を伏せると 少し表情を変えて話し続けた
「……ところで、彼女の生い立ちは知っているのよね?」
『…ええ、長老からお聞きしました』
…それは今の長老の一つ前、前長老によって実験がされていた事
その実験は生まれる前の事である為、篠森自身がその実験台となっていたという事だ
無論それは統司や恵、未だ関わりの無い生徒会長「陽(ひ)村(むら)緋乃女(ひのめ)」もそうなのだが、三人は巫女の遺伝子が流れているに対し、篠森に流れるのは“鬼の遺伝子”である
「そう、彼女の生い立ちは秘密にされていた筈だけど、やはり周囲には“そういう”雰囲気を感じていたようで、昔から付き合っている私にしか 気の許した姿は見せなかったんだけどね…」
咲森は物寂しげな表情でそう語っていたが、自身の言葉に疑問点を抱き、すこし真面目な表情をする
「気を許している…というより、“任せられる”と言った方が、月裏ちゃんにとっては正しい表現かしら?」
そして穏やかな表情で咲森は話を続けた
「恐らく 月裏ちゃんが本当に現したい本性はあの姿なんでしょうね、彼女的にはどちらの性格も、上手く住み分けさせているのでしょうけど」
そして微笑しつつ統司に話しかける
「…どちらにせよ、彼女は君にそこまでの信頼をしているという事よ、…ふふっ、随分とこの町に慣れてきたみたいで 先生は一安心かしら?」
咲森のちょっとした冗談に、統司は安心感を抱く
「信頼している以上 彼女の力になってあげて?…まぁ力になれず裏切るような事になったとして 彼女は恨む事は無いでしょうけど、第一に彼女は“同情”される事を最も好ましく思っていないわ、その点も注意してあげてね」
咲森の言葉に統司は静かに返事をして、客室へと歩いてゆく…
統司が客室へ戻ると、篠森はおもむろに掛けていた眼鏡を外し、髪も解いた
少々目は開き気味ではあるが、篠森のその目付きは虚ろであり、普段と変わらぬ表情であった
「…少々ミステイクであったにしろ、こうなる事は予定済みでした、…気にしないで下さいな」
その口調は普段通りの性格であり、少し統司は安心する
「…まぁ先輩は分をわきまえているでしょうけど 一応釘を刺しておきます、今回の事は他言しないで下さい、立ち位置が変わる事は非常に面倒ですので」
続けざまに放った篠森の言葉に「へいへい」と軽く返した
再び客室に静寂が訪れる、そして統司は思い出して声を出す
「…そういや用事って何だったんだ?理由を教えてくれ」
統司の言葉に篠森は少しの間考え込んでから、返答した
「…そうね、正直用事なんて無いわ」
思わぬ答えに統司は「…はあ!?」と声を上げるが、すぐに篠森は口を開いた
「…いえ、少し撤回させて下さい、……理由は 家に招いて私の姿を見せる事かしら…?」
恐らくその目的に対して、半分は冗談のつもりだったのだろうか、…そしてもう半分は己の本心に気付いていなかったのであろう
統司に改めて聞かれた事で、ようやくその事に篠森は気付いたのだ
「…ところで、こんな大きい屋敷だけど、今 親は出かけているのか?」
統司のその言葉を聞いて、篠森は待ってましたと言わんばかりの不敵な笑みを零す
「…ふふふふふ、その事を聞くのかしらぁ?」
いつも以上に乗り気の篠森に、統司は「…おう!」と返してやる
すると篠森は卓の前に座り、嬉々とした様子で口を開く
「…先輩、私が鬼の遺伝子を受け継いでいる事はご存知ですよね?では何故その話を既に知っていたかを説明しましょう、……両親は既に亡くなっているのです、それも私が生まれたときに……いや、私が生まれたことで両親共に亡くなったという方が正しいわね」
……篠森の話の続きはこんなものであった
元長老…いや、もと長老に関わる一部の人間によって、篠森の母に“鬼となった巫鬼の血”を流された
その血の影響で、篠森を出産した直後に篠森の母は暴走状態になってしまった
篠森の母を静めようと篠森の父は行動したのだが、不運にも深く傷を負ってしまった
結局、篠森の母は自然に静まったが、反動の様に生命も尽きてしまい、篠森の父も傷が原因で、間もなく亡くなってしまったのだ
…先程席を外していた間に 卓にはお茶が用意されており、篠森の話を聞くには有難かった
篠森が過去を説明し終えると、一度お茶に口を付け、再び口を開いた
「…私が今も問題無く生活しているのは、私の親代わりとしてやってきてくれた“家政夫”のおかげです、…彼がそうよ」
統司が後ろを振り向くと、初老の男性が立っていた
“家政夫”は穏やかな表情でこちらにお辞儀をすると、無言でどこかへと去って行った
統司は篠森に向き直ると、篠森はお茶を飲んですっかりくつろいでいる、彼女には過去など何でもない様だ
「…以上が私の生い立ちよ、…フフッ、どうかしら先輩?」
前言撤回、篠森は微笑しつつそう問いかけている、彼女は寧ろこの状況を楽しんでいるのだった
統司は返答に戸惑いつつも、咲森の言葉を思い出し、統司は口を開く
「…へぇ、そりゃ随分な過去ですね」
何でもない様なあっさりとした統司の様子に、篠森は静かに返す
「…そう、どうやら私との関わり方を随分心得ている様ね、流石は霧海先輩と言った事かしら」
その口調は統司の事を試していたようにも捉えられる
「…さて、次はどうしようかしら…?」
篠森は考え続け、やがて口を開く
「…そうね、せっかくだから私の地下室を見せましょうか、先輩なら問題も無いでしょうし」
篠森はそう言うと、客室を後にし「ついてきて」と統司に告げ、廊下を静かに歩きだす
やがて廊下の途中で立ち止まり 急にしゃがみ込むと、廊下の板を外し始めた
露わとなった不気味な扉を見て、どうやら本当に地下室があるようだと察した
扉をくぐると、非常に狭いが整備され電灯の灯った、階段の一本通路があった
「…先輩も知っての通り ここは元々片田舎、こう言った地下室はそれなりの大きさの屋敷には意外とあるものよ?」
篠森は階段を下りながら、そう語っていた篠森は普段より活き活きとしていた
黙々と階段を降りながら、統司は何気なく考えていた
……どうして篠森は、素の自分が見られていたにも拘らず、平然と普段の様子を保つ事が出来るのであろうか
統司は篠森に対して、寂しさと不思議さを感じていた、…それは彼女が好く事の無い“同情”に変わりないであろうに…
階段の長さは大した距離ではなく、階段の行き着く先には、とてつもなく禍々しい、オカルトに溢れ返った祭壇がそこにあった
「…凄いと思わないかしら、ここまでの物品を揃えるのは、今の世では中々いないでしょう?」
不敵な笑みで笑う篠森に、呆れつつも統司は少々引いていた
「…で、何で篠森は、ここまでオカルトに魅入られているんだ?」
『…その質問に対しては、まず先輩から先に答える方が良いと思うのですが…?』
篠森の返事に、統司は少々バツが悪そうに答える
「あー…、スマン、俺はただの興味本位だろうな…」
統司の言葉に嘘がないと篠森は判断し、口を開いた
「…そう、少し残念だけど 答えは答え、ちゃんと答えましょうか、……私は無知である事に罪、無力だと思っているの、知ることで得られる力があるのならば、力が及ばぬ事態にその力を得ずにいたなら、それは私は在ってはならないと そう思うの、…私は今までの経験からそう判断し、世の裏側に位置するオカルトを探し求めたの」
篠森の表情は真面目なものであり、統司はその事に否定など思い浮かばなかった
彼女の意思は強いものであり、統司は意を決してある事を聞いた
「…それで話は変わるんだが、篠森はどうして同情されたくないんだ」
統司の発言に 篠森は一瞬目を丸くしたが、篠森は不敵に微笑して口を開いた
「…いいわ、わきまえた その無神経な発言、先輩の質問に答えましょうか」
篠森はゆっくりと、床に描かれた魔法陣の上に立ち、静かに振り返る
「…両親を失って、望まぬ遺伝子を受け、それが不幸…って?実に愚かしい単純な考えね、……私はただ、神に定められし運が悪かっただけ、私はそれをただ黙って受けいれた、ただそれだけの事よ?」
篠森は深く息を吸い、強めの口調で統司に声を放つ
「…苦難を受け入れて乗り越える事に、“力”という意義が生まれる、そうして私は 望まぬ運命を乗り越える為にこの性格を築いた、……本当に、ただ それだけの事、同情する者達はそれを分かっていないの」
首を傾げながら微笑浮かべ、篠森は統司に告げる
「…私の意思は分かったかしら?…でしたら同情は避けて下さい、貴方も無駄に下には見られたくないでしょう?」
間を開けて、呟くように篠森は言葉にする
「…悪い定めがあるならば、それを乗り越える力を培うのみ、…私が負ける事など想像できないわ、私の心は揺らぐ事無くそこに在り続ける、ただ私は対等である事を示し続けるの……」
非情にも強い意志を持った篠森、それは彼女が“鬼”だからだろうか
だが 紛れもなく彼女はただ、己の人生を生き残る為に 強くあろうとしているだけであった
その事に気付くと、統司は何故だか 自分の事の様に誇らしいと思えてきた
「そうか、全く大した奴だなお前は」
そう言いながら、統司は篠森の頭をサラリと撫でる
「ちょっ!頭を撫でるのはやめて下さい!…まぁ髪が痛まないようにすれば別に構わないのですが…」
素直な仕草を見せる篠森に、統司は脈絡なく嫌な予感を感じたのだった
「ところで…、こんなに本格的な状況だけど、実際に効果はあったのか?」
統司の質問に、篠森は真面目な表情で答え始める
「…さてどうかしら、…結論から言うと効果はあった、しかしそれほど強い力は無かったわ、特に気にしなければ無かったといっても過言ではない程、非常に微量の力ね、……もしかすると、この地域の空気や、私の血が原因という線も考えられなく無いけど…」
篠森は本気で思考していたが、そこで口を閉じ 再び口を開いた
「…この位にしておこうかしら、地下室から出ましょう、密室に二人は少々息苦しいし、先輩が妙な考えを起こすのは堪らないので…」
冗談交じりで言うが、篠森の目は冷たい目つきであった
篠森の後に付いて地下室を出る前に、何となく部屋を見渡す
魔法陣の横に無造作に分厚い本が転がっていた、それは四月に始めてすれ違った際に抱えていた本であった…
地下室を出て二人は客室に戻ってゆく
「そういえば、屋敷の前でピアノの音が聞こえたけど、もしかして…」
『…ええ、先輩のお察しの通り、私が弾いていたのだけれど、…何か問題でもあるかしら?』
篠森の鋭い口調に、統司は思わず苦笑する
しかし篠森は少し考えると、口を開いた
「……そうね、貴方も聞いておいた方が良い、…いや、知っておくべきだわ」
篠森はそう統司に告げると、客室を通り過ぎ一つ後の部屋を開いた
その和室の中央に、グランドピアノが佇んでいた
ピアノの下にのみフローリングが敷かれ、囲う様に畳が敷き詰められ、純和風な屋敷には少し浮いた部屋であった
篠森はピアノの前に座り、鍵盤の蓋を開く
「これから弾く演奏は、古くから巫女が妖怪や鬼を静める為に歌っていた旋律、いずれ知ることになるのならば、少しでも覚えておいた方が良いわ」
何やら篠森は未来を予見して統司に言っているようであった
やがて篠森は、目をつぶり息を整えると、静かに鍵盤を弾き始める
先程と同じ特徴的な旋律、その音は屋敷中に響き、屋敷を越えて周囲へと漏れだす
一室で古い本を読みふけっていた咲森も、旋律を耳にすると読書を止め、流れる旋律に耳を傾けていた
次第に旋律は、先程中断した箇所からその先を奏でていた
流れる旋律に統司は静かに聞き惚れていた
安らぎを感じる音階に思わず足の力が抜け落ち、統司は畳の上にストンと座り込む
何故だか懐かしさを感じる旋律に心が揺さぶられ、統司の涙腺は緩みだし静かに涙滴が頬を伝う
やがて旋律は止み、篠森はピアノを片づけると統司の横に座る
「…これが、古くから伝わる巫女の歌の旋律よ、……情けない姿だけど 仕方がないわ、この旋律は静める為の力を持つから、先輩の身体の中にも巫鬼の血が流れるのだから、旋律を聞いて 力が抜け、懐かしさを感じているの」
そう静かに告げる篠森の瞳も、涙で輝いていた
統司は手で涙を拭うと、「ありがとな」と篠森に一言礼を言う
再び客室に戻るが、陽は傾き薄暗くなっていた
「…もう用は全て済んだし、さっさと帰って下さいな、先輩?」
冷たく言い放つ篠森に、統司は「そうかい」と投げやりに言い返した
帰ろうとする統司の背に、篠森は再び口を開いた
「…なんて、私が怒っているとでも思いましたか?……まぁ用が済んだのは確かですが、気が済むまでいても構いませんよ?」
篠森の言葉に 統司は少し考えるものの、頭を横に振り言い返す
「いや、用もないのに長居する気は無いな、…大人しく帰るとするよ、じゃあな篠森」
篠森宅を後にする統司を、篠森は無言で見送っていた
今日来るまでは知らなかったが、彼女はやはり“お嬢様”だったのだなと、統司は何気なく思い返した
…その日、統司は久しぶりに夢を見る
巫女の夢ではなかったものの、とても懐かしい記憶
統司がまだ幼かった頃、母である霧海癒(ゆ)唯(い)が子守歌を歌っていた
その歌の音程がいくつか違う所があったが、その歌はあのピアノの旋律によく似たものであった…
…次の満月の日
本来 祝日であったが水内の指示により部員は招集され、私服姿で各々待機していた
夏休み中の満月の日には何もなかったこともあり、「休みには暴走しないんじゃねぇの?」と蒼依は軽率に喋ったものの、すぐに魁魅に咎められていた
以前の召集で不仲となった関係は、自然に解消されていたようだった
だらだらと過ごしているうちに時間は過ぎていったが…
「対象が現れた」
…と、水内の指示により休日は活動に変わった
時間は過ぎたといっても、ほんの小一時間の事であり、今回の活動は昼間に行う事となった
「場所は住宅地 外れの廃工場、暴走した状況を発見した為、まだ被害者はいない、至急準備し活動開始だ」
廃工場という言葉を聞いて、恵の手が一瞬止まる
九月の活動で危険な目にあった事を思い出したのだろう
「大丈夫?恵ちゃん」
一瞬の不安を察した月雨は、恵に声を掛けた
「いえ、大丈夫ですよ先輩!あれ位じゃ私は挫けません!」
…横目で見ていた統司は、恵のその笑顔が 微かに抱いた不安を断ち切る為のものだとそう過った
各々に手早く準備を済ますと、部室を出ていき 発見位置を目掛け走り出した
…廃れた建物の暗がりに 一人の少女が佇む
その手には携帯が握られ、通話が終えた直後の携帯を閉じると懐にしまう
少女の外見は、フレームの薄い四角い眼鏡を掛け、長髪を後ろに束ねており、休みにも拘らずセーラー服であった…
昼間の祝日と言う事もあり、外には多くの人が歩いていた
無用な混乱は避けるためと、固まって走らずに、散会して目的地へと走っていた
やがて統司は人込みに通りかかり、あまり木刀が目に付かぬよう下の方へ降ろし、ゆっくり歩いてゆく
…すると突然、暴走した鬼とは異なった、非常に不快な気配を感じた
その人物は統司の真横を通り過ぎるが、統司はそれを目で追う事が出来なかった
完全に通り過ぎると、統司は首だけ振り向き後方を見たが、気配は人込みに紛れ、正体を捉える事が出来なかった
そして、部員はそれぞれに 不快な雰囲気を纏う人影とすれ違う
立ち止まって振り返るが、その雰囲気は多くの人に紛れてしまい、騒動も起こってはいなかった
やがて各々に裏路地を通って目的地に向かってゆく
そして統司は、“黒い人影の様なもの”が佇んでいる事を察知する
その気配は暴走しているにも関わらず、ただ立ち尽くしており、暴れる気配もなかった
統司はとりあえず、今の場所を月雨に連絡しようと電話を掛けるが、通話中になっており、連絡は取れなかった
そして対象は統司の姿に気が付くと、ゆっくりと背を向け走り出した
その方向は発見された廃工場の方角であり、統司は見失わぬように対象を追いかけた…
やがて後を追って走っていた統司は、廃工場への道に差し掛かり、対象を目前まで追いつめていた
廃工場が見えた矢先、統司の周囲に不快な気配を感じて、思わず急ブレーキを掛ける
突然の気配に気を取られていると、追いかけていた対象を見逃してしまっていた
再び連絡を取ろうと、携帯に手を掛けた瞬間、背後に不快な気配を強く感じた
「マズイッ…!」
振り向きつつ 統司は木刀で防ぐように構えると、背後から対象が迫り、対象は強い蹴撃を放っていた
攻撃は木刀の中心を捉えており、急な状況に上手くバランスを取れず、統司は吹っ飛び木へ叩きつけられた
木刀が攻撃を捉えた瞬間、統司の木刀が不穏な音を立てていた…
「痛ってぇ……、待てよテメェ!」
再び廃工場へ向かう対象を、すぐに立て直した統司が追いかける
廃工場への道を抜けると、途端に先程感じていた気配を強く感じた
それは左右から放たれており、統司はふと振り向くと驚愕する
…右にも左にも、暴走した者が廃工場へ向かって走っており、それぞれを部員一人一人が追っていた
その予想だにしない状況に、走っていた足を止めてしまう
「…どう言う事だこれは!!一体どういう状況だ!」
一旦集まってゆく部員と、思わず声を上げる魁魅がいた
五体の“対象”は廃工場の前に佇んでおり、異様な気配を保ちながらも、その動向はまるで「何もしない」といったものだった
対象の性別はばらついており、その姿も私服、一目では関連性を感じなかった
少しずつ近づく部員に 対象たちは後ずさり、廃工場の入り口に差し掛かった途端、動きを止めた
廃工場の中から人の気配を感じたのだ
「…やあ、鬼焚部の諸君、こんな辺鄙なところで会うとは奇遇だな」
棘のある女の声が、廃工場の中から反響して聞こえてくる
女性の声に反応して、恵は声を上げる
「彼らに気をつけて下さい!まだ鬼焚部は活動中です!彼等はその対象です!不用意に動かないで!」
棘のある女の声は、まるで何とも思っていないように話を続けた
「…ふむ彼等はそうなのか、……ところでまともに関わるのは一部の者を除いて初めてではないだろうか、特に霧海統司君は」
随分と余裕のある発言に、蒼依が低姿勢に釘を刺す
「あのー、随分と落ち着いていますが、会話はまた後にした方がいいんじゃないですか?」
しかし少女は蒼依の意見に耳を貸さず、静かに言い返した
「…嗚呼、私は大丈夫、彼らも何ら問題はあるまい」
そう言いながら少女は歩き出し、廃工場の入り口へと、対象の元へと近づく
棘のある声の少女は何かを呟く、すると突風の様に妙な気配が立ち上る
統司達は身を屈めて風の様な気配を凌ぐが、五人の対象は崩れ落ちる様に意識を失って言った
「何故なら、私が起こした事だからな」
廃工場から現れたセーラー服姿の少女は、棘のある声でそう言った
陽の下に現れたその人物は…
「陽村…どう言う事だ?」
詩月は少女の事をそう呼んだ
…“陽村(ひむら)緋乃女(ひのめ)”、それは魁魅高等学校の生徒会長である少女の名である
「君達はこの状況に驚いているだろうが、回りくどい話は抜きにしようか」
淡々とそう言い放つ陽村の目は、眼鏡越しに 非常な程に冷徹な目付きである
陽村は「はぁ」と一息つくと、再び口を開く
「諸君たちはこんな名前を聞いているのではないか?…“魔(ま)鬼(き)”と」
その言葉を聞いて、魁魅は固唾を呑み込み問いただす
「何故、この場でその名が出てくるのだ」
魁魅の言葉に首を振り、陽村は見下すように話を続けた
「…言ったであろう 回りくどい話は抜きだと、……単刀直入に告げる、この状況を仕組んだのは私であり、私は“魔鬼”の中心に位置している」
予想外の出来事と、仲間である筈の人物からの“敵”宣告に、恵は声を漏らす
「…そんな、どうして…?」
統司と恵には特殊な共通点があり、彼女もその共通点、“巫鬼の遺伝子”を受け継いでるものである
「…残念だが、君達とは相容れる事は出来ない、……私は外れ者だからな」
『外れ者?一体どういう事だ?』
詩月は事情知るものだが、知るが故に 陽村の発言に強い疑問が浮かんでいた
そしてその言葉を言う陽村の瞳に、統司は呆れと孤独を感じた
彼女は一体どういう境遇で、こんな事を起こしたのであろう…
「嗚呼 私の話など差程どうでもいい、今日は君達に“宣戦布告”と“注意喚起”に来たのだ」
そう言い 彼女は続け様に、鬼焚部部員へこう告げた
「これより我ら魔鬼は、君達鬼焚部にその存在を公言すると共に、暴走した存在を持って君達の大いなる障害となる事をここに宣言する、尚この話は鬼焚部顧問、魁魅高等学校職員を含め、神魅町に存在する全ての他者に話してはならない事、…君達にとって不要な混乱は何の利益も出さないからな、もし話が漏れた場合 我らは強行策に出る事を肝によく銘じておく事だ」
その棘のある声は、文化祭の時に聞いた 強い意志を感じる声であった
一つ違うとするならば、その言葉の意味は誰かを守るものではなく、誰かを傷つけるものである事だった
口を紡いでいる鬼焚部員を見て、陽村は一息つけて再び声を出す
「嗚呼、ここにいない月雨にも この話を伝えておくように、私達は鬼焚部部員と敵対するのだからな」
陽村はそう告げると、ゆっくり歩き出し 部員の横を通り抜ける、そこで思い出したように立ち止まり、再び口を開く
「…それと妙な行動もしない事だ、不審な動きをすれば私達は相応の対処として活動を始める、学校で会っても疑いの目は向けぬ事を心掛けるが良い、思わぬことで人を傷つけたくは無いだろう?」
事細かに注意し人を守らせている陽村の姿に、統司は強い疑念が浮かぶ、何故魔鬼の側に立つのだろうかと、まるで無理にその位置に立っているようにも思える
「どうしてその様な行動を起こす、お前達魔鬼の目的は?」
詩月は背を向けたまま陽村に問いかけるが、陽村は鼻で笑って言い返した
「…言ったであろう、私は宣戦布告と注意喚起に来ただけだ、我らの目的など関係あるまい」
『関係は有るはずだ、何故…』
陽村の返答に食い入った詩月の言葉を遮るように、陽村は吐き捨てるように言った
「問題があれば私達を全て止めれば良い、…ただそれだけだ、いずれ答えは出る、今はその時では無いのだ」
陽村がそう告げると、彼女は何かを呟く
瞬きするようにふと気が付くと、陽村を除いた皆が 学校の玄関に立ち尽くしていた
傍には気を失っている五人の少年少女が転がっており、不思議な状況の中 それぞれ一人ずつ保健室へと担ぎ込んで行った…
「何や、対象ってこんなにいたんかい、…確かに人数は聞いとらんかったけど、被害状況も無いみたいやし、まぁ活動終了って事にしとこか」
詩月の浮かない表情を見て、水内は問いかける
「何かあったんか?あの蒼依も含めて随分妙な顔つきやけど」
はっと我に返り、詩月は水内に返答する
「いえ、特にありません、これほどの人数が同時に暴走した事を考えてただけです」
詩月の言葉に「せやなー」と軽い調子で水内は言葉を返していた
やがて水内は皆に活動終了の指示をすると、各々支度して帰路について行った…
皆が帰宅した後、水内は一人部室に座り 火のない煙草を咥えて呟いていた
「……、私が何も見抜けないと思うかね、…しかしそれを言わないという事は、それだけの事情なのだろう、……変に勘繰らず 無かった事にするか」
水内の その目付きや口調は、未だかつて誰にも見せた事無い程に、非常に鋭いものであり、まるで狩人の様であった
やがて立ち上がり部室の鍵を閉めると、学校であるにもかかわらず、廊下を歩きながら煙草に火を付けた…
「……もしもし、…水内です、恐らく魔鬼が活動を始めた模様、しかし子供達は何も打ち明けず、…ええ、恐らく相応の事態があったのでしょう、今後 不穏な要素が起こっても気にせずに行動するつもりです、…やはり統司の意思に従うと…、…ええ、…はい、不用意に混乱が起きないようにお願いします、…了解、鬼流(きりゅう)様」
夜の暗闇、煙草の火と携帯の微かな明かりの中、水内は通話を終えた…。
第10話 終
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鬼の人と血と月と 第10話 です。 | ||
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