艦これファンジンSS vol.22「ひな鳥の羽ばたき」
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 風を切って一人の少女が海面を駆けていく。

 きらめく波濤を蹴散らしながら、右へ左へ舵を傾け、浮標の合間を縫ってジグザクの航跡を描いていく。船を操っているのではない。彼女自身が船のようなものなのだ。海面をまるでスケートリンクのように踏みしめて浮いている。およそただの人間では不可能な芸当だ。

 その身にまとう鋼鉄の艤装もまた、彼女がただの女の子ではないことを如実に示している。背中に背負った、煙突のついた機関部。両の手にたずさえた砲。わき腹に装着された魚雷発射管。いずれも、敵と戦うための武器だ。

 艦娘。人類の脅威、深海棲艦に対抗しえる唯一の存在。

 黒い前髪が汗で額にはりつき、どこかあどけないその顔立ちには、張り詰めた緊張感がいっぱいに広がっている。よく観察すれば、海面を駆ける彼女のその体勢が、ややもすればふらつきがちなのが見てとれただろう。

 取り舵に進路を変えた瞬間、海面を深く蹴りすぎたのか、ひときわ波が大きく立ち、その反動で彼女の上半身が大きくぐらついた。転倒すると思ったのか、彼女自身も思わず目を閉じてしまったそのとき、

「――ほらっ! 落ち着きなさいよ!」

「――腰をすえろ」

 岸壁で待つ仲間の声があがり、彼女は、はっと目を見開いた。崩れそうになる姿勢をすんでのところで立て直し、最後の浮標をどうにか曲がりきる。

 規定の訓練コースを終えて、肩で息をつきながら、彼女はゆるゆると仲間たちの待つ岸壁へ引き返していく。口元をほころばせて、やり終えた達成感をにじませながらも、その目にはどこか浮かない色があった。

 駆逐艦、「初霜(はつしも)」。

 それが彼女の艦娘としての名前である。

 

 「深海棲艦」という存在がいつから世界の海に現れたのか、いまでは詳しく知るものはない。それは突如、人類世界に出現し、七つの海を蹂躙していった。シーレーンを寸断され、なすすべもないように見えた人類に現れた希望にして、唯一の対抗手段。

 それが「艦娘」である。かつての戦争を戦いぬいた艦の記憶を持ち、独特の艤装を身にまとい、深海棲艦を討つ少女たち。

 本拠地である鎮守府に所属する艦娘。そのすべてが、第一線に出れるというわけではない。練度の低い艦娘は日々の訓練に追われるほか、鎮守府の雑用――なにしろ人間の職員がいないのだから、掃除洗濯料理も艦娘の仕事だ――に時間を割かれる。

 前線に出られない、予備戦力にも数えられない――およそ控えとさえ呼べない彼女たちは、俗に「留守番組」と呼ばれていた。

 

「よーし、全員整列!」

 左目の眼帯が印象的な艦娘が声を張り上げる。手にした刀で自分の肩を軽くたたきながら、艦娘たちが並ぶのをにらみつけていた。訓練の担当教官、軽巡の天龍(てんりゅう)である。

「おら、もたもたすんな! ちゃきちゃき並べ!」

 天龍の声に、艦娘たちが足早に、しかし、どこかぱっとしない動きで横隊を作る。

 居並んだ艦娘たちに、天龍はきりっとした声で、

「いいか。何度も言うが、艦隊運動についていくにも何にしても、まず自分の艤装を使いこなせてこそだ。機関に振り回されてふらついたり、波に足をとられてつまづいたりは言語道断! 陸の上で歩くのと同じぐらい自然に海を駆けるようになるんだ!」

 天龍の訓示はなめらかで、それだけに何度も繰り返してきたことなのだろう。聞いている艦娘たちも顔つきこそは真剣にしているが、よく見ると目が泳いでいたり、脚をもぞもぞさせたりしている。

 艦娘たちをねめつける天龍の目にもそれは見えているはずだが、気がついていないのかそれともあえて注意しないのか――

 仕方がない、と訓示を聞く艦娘の誰もが思っていた。

 毎日毎日、同じ訓練の繰り返し。

 自分たち留守番組には飽きの来ない千変万化の訓練メニューなど組んでもらえるはずがないのだ。鎮守府の沖でできる訓練には、その海の広さからどうしても限界がある。より高度な艦隊運動や、本格的な砲撃訓練は、沖の外に出ないと行うことはできない。だが、そこは深海棲艦の跳梁する海、すでに敵地なのだ。

 鎮守府近海は定期的な掃討作戦で比較的安全だが、それでも駆逐艦や潜水艦にカテゴライズされる深海棲艦が突然現れることは珍しくない。沖の外に出る「本当の演習」はいつなんどき実戦に変わるかわからない危険なものといえた。

 練度の低い自分達が出て行くには、リスキーと言える。やるなら護衛をつけるなり、不測の事態にそなえて鎮守府側の施設も待機しておくなどの、バックアップが必要不可欠だったが、あいにく鎮守府のリソースには余裕がなく、自分たち留守番組にまで割く余裕はない。

 訓示を聞いている艦娘の中には、航行訓練よりも雑用の方で頭がいっぱいな者も少なくない。おさんどんは自分たちの仕事なのだ。進んで手がける者もいれば、いやいや働く者もいるのだが、留守番組が期待されているのは戦力としてよりも、第一線の艦娘をサポートする役目の方が強い面は否定できない。

「――じゃあ、明日も座学の講義が終わったらここに集まるように。遅れるなよ」

 ようやく話が終わったかと、やれやれという顔の艦娘たちに、天龍はにやりと笑ってみせた。ふところから取り出したチケットのつづりに、一同の目が釘付けとなる。

「日々、訓練に励むお前達に提督から心ばかりの差し入れだ。間宮券、一人につき一枚配るぞ。おら、並べ並べ!」

 その言葉に、艦娘たちがぱあっと顔を輝かせて歓声をあげた。

 その中に初霜も、そして、彼女に声援を送った艦娘もいたのは言うまでもない。

 

 甘味処、『間宮(まみや)』。

 給料艦である艦娘、間宮が運営する店である。菓子や軽食を出す店として、鎮守府では知らないものはいない。その甘味は絶品で、艦娘にとってはまさにオアシス、士気高揚にうってつけの場所であるといえた。甘味処で何でも一品頼めるチケット、通称「間宮券」は鎮守府が発行している、いわばごほうびと言えるものだったが、その重要性から艦娘の間では現金以上に貴重な一種の軍票めいて使われてさえいる。

 いつも繁盛の甘味処だが、訓練を終えてそのままなだれこんできた留守番組の艦娘たちのおかげで、いつにもましてごったがえしていた。

 初霜はというと、友人の艦娘二人とどうにか席を確保することができた。

「はい、満艦飾あんみつ、お待たせです」

 そう言って、間宮が初霜たちの前に、特盛りのあんみつを置いていく。フルーツにクリーム、白玉に最中にあんこ、それらが圧倒的な物量で迫ってくるのを見て、毎度のことながら初霜は思わずごくりと喉を鳴らした。

「いつ見てもすごいですね、これ……」

 そう感想を述べると、向かいに座っていた艦娘がふんと鼻を鳴らしてみせる。

「わたしたち留守番組が正規に間宮券もらえるなんてそうそうないんだから。使えるときはガッツリ食べたいもの。満艦飾になるのは当然よ!」

 ちょっときつめの口調でそう言い放ったのは、駆逐艦の霞(かすみ)である。

「だが毎度これというのもな」

 凪のような静かな口調で霞に応えたのは、初霜の隣に座っている艦娘だ。幼さの残る顔立ちながら、感情の読めないフラットな表情――同じく駆逐艦の若葉(わかば)は、手にしたスプーンであんみつをつんつんとつついてみせた。

「なによ、わたしのチョイスに不満があるっていうの?」

 不機嫌そうに声を荒げた霞に、若葉は無感動に、

「おぼえている限り連続五回でこれだ。なあ、初霜」

 話題を投げられて、初霜は苦笑いを浮かべてみせた。

「えっと、そうかな……わ、わたしは満艦飾でも全然いいですよ? 使える回数少ないから、どうせなら豪華なものが食べたいですし……」

 そう言うと、霞が満足げにふんと鼻息をついて、

「そうよ! シンプルな大福だのわらび餅だのは間宮券に余裕があるブルジョワがやることよ。わたしたちは食べれるときにしっかり食べなきゃ!」

「そのことに異論はない」

 若葉がそう応えてみせると、霞がまなじりをつりあげて、

「じゃあどうして文句つけたのよっ」

「事実を言ったまでだ」

 あくまでも淡々と答える若葉を霞はじとりとにらみつけていたが、

「まあまあ、早く食べましょうよ」

 初霜のその言葉に、霞はふんと鼻を鳴らして決然とスプーンを手に取り、あんみつをすくい始めた。若葉も無感動な表情のまま食べ始めて、初霜は内心でほっと安堵した。

(……いつものことだってわかってるけど)

 きつい口調の霞に、言葉少なな若葉。決して仲が悪いわけではないのだが、二人の間でなかなか会話のキャッチボールが成立しないので、おさまりをつけるのはいつしか初霜の役目になっていた。

 三人でつるみだしたのはいつからだろう、とふと思う。

 最初に響きあったのは艦の記憶があったからなのは否定できない。若葉とは姉妹艦であり、同時に北の海で作戦を共にした仲であるし、霞とはかつての戦いの末期に壮烈な死闘を共にした仲である。それをお互いに話すうちに、なんとなく自然と集まるようになり、いつしか行動を共にするようになっていた。

 一緒に訓練。

 一緒に雑用。

 一緒に――ずっと、留守番組だ。

「うーん、やっぱり間宮さんはあんこの甘さ加減が絶妙ね……どうしたの、初霜。スプーンが止まってるわよ?」

 ふと気づくと、霞が怪訝そうな顔でこちらを見つめていた。

「食欲ないの? どこか具合がわるいのかしら?」

 気遣わしげな霞に、初霜はふるふるとかぶりをふってみせた。

「ううん。毎日訓練して、毎日おさんどんして、たまに満艦飾あんみつ食べて。こういうのがいつまで続くのかなあ、って」

 その言葉に思いのほか、ため息の色がまじってしまう。

「平和でいいじゃないか」

 若葉が黙々とスプーンを動かしながら、ぼそりと言う。

 霞はというと、まなじりをきりりとつり上げて、

「そうよ。平和が一番よ。それとも、あんたはなにか不満があるの?」

 その言葉に、初霜はあんみつをぐるぐるとかきまぜながら答えた。

「不満じゃないけど……たまに思うんです。なんのためにここにいるんだろう、って」

「そりゃあ、決まってるじゃない。艦娘である以上――」

 霞が言いかけようとして、口をつぐんでしまう。

 艦娘。人類の脅威、深海棲艦と互角に戦える存在。

 自分達はただの人間ではない。あるいは、選ばれた――あるいは、運命を決められた存在なのだ。敵である深海棲艦と戦う、それが存在意義であるはずなのだ。

「前線で戦うだけが役割じゃない」

 若葉がぼそりと無感動に言葉を発した。

「そうよ、わたしたちだって鎮守府の一員。わたしたちは、わたしたちにできることで戦いに貢献できればいいのよっ」

 こくこくとうなずきながら霞が言ったが、初霜がなおも浮かない顔なのを見て、

「もう! 考えても仕方がないじゃないの! わたしたちは留守番組なんだからっ」

 ぴしゃりと言い放つと、霞は憤懣やるかたないといった様子でスプーンでクリームをすくった。初霜はしゅんとしょげて、顔をうつむけ、

「ごめんなさい。霞を怒らせるつもりはなかったんです」

「なによっ。これしきのことでわたしが怒るもんですかっ」

 初霜の言葉に霞は顔をかすかに赤らめた。

 しばらく、三人ともあんみつを黙々と食べていたが、ややあって、若葉が、

「……特待生になれば、あるいは違うのだろうがな」

 と、ぽつりと言った。その言葉に、霞がふんと鼻を鳴らす。

「特待生って、この前、吹雪(ふぶき)が選ばれたあれ?」

 霞が挙げた名前はかつて留守番組にいた艦娘である。

「そうだ」

「あんなもの、よほどのことがないと選ばれないじゃないの」

「どうだろうか。吹雪の前は潮(うしお)だった」

 若葉の指摘に、初霜が目を丸くした。

「そっか……このところ、多いですね」

「上の方で育成方針の見直しがあったのかもしれない」

 そう言って、若葉がうなずいてみせる。

 特待生。正式には「重点強化艦娘」というらしいのだが、誰もそんな書類上の正式名称は使わずに、俗にそう呼んでいた。

 その名の通り、それこそ練度ゼロからでも第一線級の練度まで育て上げることを望まれた艦娘である。実戦経験豊富な先輩のもと、特別メニューの訓練が組まれ、沖合いの特別演習に参加はもとより、それこそ実際に前線に出て戦闘経験を積むことまでするという。訓練が終わった暁には、一気にトップクラスの戦力として数えられ、たまに行われる「限定作戦」への参加さえありえる。いわば、艦娘のシンデレラコースといえた。

「潮の前は綾波(あやなみ)だったか。駆逐艦が続いている」

 若葉がそう言うと、

「言われてみればそうね……前線で駆逐艦の頭数でも足りないのかしら」

 霞が肩をすくめてみせた。

「提督は大艦巨乳主義だってもっぱらの噂だけど、宗旨替えしたの?」

「どうでしょう……」

 初霜が苦笑いを浮かべてみせると、若葉が、

「宗旨替えしたのなら、選ばれる可能性はあるさ」

「特待生かあ……」

 初霜は宙を見上げながらつぶやいた。

「でも選ばれるなら、霞か若葉のどっちかですよね」

 その言葉に、二人がそろってスプーンを持った手を止め、じっと初霜を見つめた。

 やや沈黙の間があって、どちらからともなく、ため息がこぼれる。

「な、なんですか。なんなんですか」

「初霜、あんた、その奥ゆかしいところどうにかしたほうがいいよ」

「まったくだ」

 二人の指摘に、初霜は困った顔でうつむいてみせた。

「だって……訓練じゃ二人ともわたしより上手いじゃないですか。若葉はいつも落ち着いていて冷静で、水上姿勢だって綺麗だし。霞はいつだって戦意充分で、訓練がいつものメニューだからって手を抜くことないし」

 その言葉に、霞がやれやれといった顔をしてみせる。

「あんた、もうちょっと自信を持ちなさいよ。そんなだから水上航行でいつもバランス崩しちゃうのよ」

 若葉がうなずき、初霜の頭をそっとなでた。

「海に出ると緊張で身体がこわばるのがお前の悪い癖だ」

 なんだかんだで気遣ってくれる――ぎくしゃくしがちな二人が、こと初霜のことになるとまるでお姉さんのように振舞うのが、こそばゆくて心地いい。

 訓練して、雑用やって、そしてこの二人とおしゃべりする毎日。

 慣れてしまえば、こんな毎日もわるくない――

 そう感じて、初霜は、そっとはにかんでみせた。

 

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 甘味処『間宮』が昼のオアシスといえば、さしずめここは夜のオアシスか。

 小料理屋『鳳翔(ほうしょう)』。あるいは居酒屋と呼ぶものもいるが、なんにせよ鎮守府で酒が飲める場所といえばここだけである。

 軽空母の艦娘で半ば現役を引退している鳳翔が趣味で始めた店だが、提督も入れない艦娘の命の洗濯場として、今夜も繁盛している。

 昼の訓練監督を終えた天龍は、いまひとりと連れ立って、ここへ来ていた。

「はい、天龍ちゃん。今日もお疲れ様〜」

 のびやかな声でお酌が注がれるのを、天龍は笑みを浮かべながら受けた。

「おおっと。すまねえな、龍田(たつた)。お前もほら、飲めよ」

 天龍の言葉に龍田と呼ばれた艦娘がほんのりと笑みを浮かべてみせる。

「うふふ、じゃあ、軽くいただくわね」

 穏やかな表情に優しげな顔立ち。天龍とはまるきり印象が異なる艦娘だが、れっきとした姉妹艦である。しかも、留守番組の監督役というところも同じだった。天龍が実地の訓練担当なら、龍田は座学の講義担当である。つまりは、姉妹にして同僚であった。

 天龍が一息におちょこを呷り、ふうっと息をついた。

「はーっ、やっぱり一週間がんばった後の一杯はうめえな」

「あら、おかわりどうぞ」

「おお、たのまあ。ほら、どうだ」

「わたしはマイペースでいただくわ〜」

 にこにこと龍田は答えてみせたが、天龍の顔を見て眉をひそめてみせた。

「お疲れみたいねえ。だいじょうぶ?」

 龍田の言葉に天龍が自分で自分の肩を揉みながら深いため息をつき、

「いや、訓練教官は性にあってるし、やってて疲れるってことはないんだけどさ」

 疲れてない、といいつつ、しかし、天龍の目はやや生彩を欠いていた。

「なんというか、あいつら見てるとだんだんしんどくなってくるんだよ」

「あいつらって、駆逐艦の子たち?」

 龍田の問いに、天龍がうなずいてみせる。

「嫌いってわけじゃないぜ。面倒見るのがしんどいわけじゃない。あいつらがしおれていくのが見ててたまんねえや」

 そう言うと、天龍はもう一杯酒を呷った。

 大きく吐く息が熱を帯びているのは、酔っているだけではないのだろう。

「最初はさ、みんなキラキラした目で鎮守府に来るんだよ。人類のために戦うんだ、自分は選ばれた存在で、世界の役に立つんだってな。でもさあ、来る日も来る日も訓練と雑用に追われているうちに、だんだんそのキラキラが消えていくのな。んで、気がついたら、なんかノルマこなしているみたいに訓練するようになる」

 里芋の煮っころがしを口の中にほうりこんで咀嚼しながら、天龍は言った。

「もちろん、やる気を残しているやつがいないわけじゃないぜ? でもなあ、いつまで経っても自分達は留守番組なんだーって意識が染み付いちまって、あれは本当にどうにかしたい――龍田も講義していてそう感じねえか?」

 そう問われて龍田はおとがいに指をそえて考えながら、

「そうねえ……講義中に居眠りしてる子なら何人かいるわね」

「おいおい、それは起こしてやれよ。つか注意しろよ」

「だって〜、教わる気がない子に教えるつもりはないもの」

 さらりと答えてみせる龍田に、天龍はがくっと肩を落として、

「お前……けっこーシビアだな」

「天龍ちゃんが言うことはわかるし、なんとかしたくはあるけど」

 脂の乗ったほっけの塩焼きを器用にほぐしながら、龍田は言った。

「駆逐艦の子は戦艦や空母とは違うもの。一山いくらになっちゃうのは仕方ないわ。そこで埋もれるか、這い上がってこれるかは本人次第じゃないの?」

「いや、でもあの提督だぞ、駆逐艦育てるっていう気になるか?」

 天龍の問いに、龍田が人差し指を立てて、くるりと回してみせる。

「そのための特待生じゃないの。艦隊総旗艦の長門(ながと)さんから聞いたけど、いまの鎮守府の育成方針は水雷戦隊の強化よ。軽巡も頭数足りてないけど、駆逐艦はもっと足りないから、第一線に出せる有望な子をそれこそ血眼で捜しているわ」

 龍田の言葉に、天龍は目を丸くしてみせた。

「マジか……ひょっとして、最近、あいつらに間宮券の支給が増えてるのもそのへんが関係してるのか」

「そうよ〜、ちょっとでも励みにしてもらおうって、提督の苦肉の策」

 龍田はそう言うと、ふうと息をついてみせた。

「まあ、それでも全員いっぺんに育てられないから、どうしてもピンポイントで育成して一人ずつになっちゃうんだけどね」

「いつからそんな話になってるんだ? てっきり提督は火力の高い艦娘しか目に入っていないのかと思っていた」

「天龍ちゃん……」

 龍田が気の毒そうな目で姉にあたる艦娘を見つめた。

「細かいことにこだわらないのは天龍ちゃんのいいところだけど、もう少し上の空気とか事情とかは意識しておいたほうがいいわよ〜」

 そう言って、龍田は人差し指をもう一度くるりと回して説明しだした。

 鎮守府の育成方針が変わってきたのは、夏の限定作戦が行われて以降である。

 二個艦隊を束ねて運用する連合艦隊システム。空母あるいは戦艦からなる主力部隊に、随伴の護衛戦隊をつけるのがその構成だが、実のところ連合艦隊での戦いにおいて、決定打となるのが、実は護衛戦隊の働きいかんというところが運用しだして判明した。

 護衛戦隊は一隻の軽巡と、複数隻の駆逐艦から成るのだが、それまでの鎮守府で第一線級の駆逐艦というのが数えるほどしかいなかったのである。深海棲艦との戦いが激しくなる中で、大規模化そして多方面化する作戦に対応しえる駆逐艦の頭数を揃えようとするととても足りず、やむなくそこそこの練度がそろっている、海上護衛などの任に就いている駆逐艦を一時的に動員せざるをえなくなっていた。

 これでは今後に支障をきたす、と危機感をおぼえた提督が、艦隊随伴の駆逐艦を慌てて育成しだしたのが現下の鎮守府の状況であった。

「潮ちゃんがようやくものになって……天津風(あまつかぜ)ちゃんと時津風(ときつかぜ)ちゃんが控えに入ったけど……あと三、四人はほしいって言ってたわね。理想は遠征組の駆逐艦にいっさい手をつけずに連合艦隊を二編成は作れる数がほしいんだって」

 龍田の説明を聞いていた天龍が、うなずきつつ、

「なるほど。それでこないだ吹雪が特待生で選ばれたわけか」

「いま神通さんが鬼の特訓してるんだって。演習だけじゃなくてリランカ沖の前線にも連れて行ってるみたい」

 龍田はそう言うと、空になっていた天龍のおちょこにお代わりを注いだ。

「まあ、でも、特待生の選び方がいかにも提督らしいんだけどね〜」

「なんだよ、それ」

「二段階の改装よ」

 龍田は人差し指と中指を立てて、くるりと回してみせた。

「駆逐艦の子たちは比較的早めに改装できるけど、一部の子はかなり高い練度で二段階めの改装ができるでしょう? そういう子を優先して選んでいるんだって」

 それを聞いて、天龍がため息をついてみせる。

「まあスペック重視の提督らしいっちゃらしいけど……それじゃあ本人の頑張りだけじゃどうにもならないよなあ」

「まあ、選考基準はそれだけじゃないけど、それでも改二の予定があると、優先されるのは間違いないわね――ああ、そうだ」

 そう言うと、龍田は手元の鞄をがさごそとまさぐった。

「そういえば長門さんから次の特待生候補を教えられてたんだわ」

「おまっ、それ大事じゃんか、先に言えよ」

「ごめんなさ〜い……ああ、この子ね」

 取り出してみせた書類に目をやった天龍は、口をすぼめてみせた。

「へえ……こいつがねえ」

「あら、よく知ってる子?」

「航行訓練の最後の浮標でいつもミスするやつさ。成績は中の下かな」

 天龍はそう言うと、おちょこの酒をくいっと呷った。

「――そっか、こいつは留守番組を卒業か」

 そうつぶやいた声は、どこか感慨深げであった。

 

 数日後のことである。

 その日は、天龍の訓練の後に、龍田の座学があった。

 身体が疲労困憊したところに眠気を誘う講義である。勢い、普段よりも居眠りの艦娘が多くなる。龍田も居眠りをとがめることはなかったので、起きてようと心に決めた者もまわりにつられて、ついうつらうつらしてしまう。

 初霜も、その日は眠かった。霞と若葉が砲撃練習で共に良い点数を出し、自分も続けとばかりに踏ん張ったのだが、気合が空回りしたのか砲弾はなかなか思ったところへ飛ばなかった。このところ天龍は手加減してくれなくて、的をはずすたびに航行演習を課すのが常であったため、初霜も砲を撃ってるよりも海面を駆けている方が長かった。終わってから霞にはけんけんと説教され、若葉には痛い寸言を耳に入れられ、講義に入る前に初霜はすっかり疲れきっていた。

 さすがに机につっぷしては眠らなかったが、時折、意識が飛んだりして、講義が終わってからノートを見返すと半分がた読めないミミズ文字が並んでいた。

 だから、講義が終わってから、龍田に呼び止められた時はびっくりしたものである。

「ちょっといいかしら〜?」

 と声をかけられ、他の艦娘たちが出払っていくまで教室で待たされた。

 先にあがる艦娘たちが不思議そうにこちらを見やるのが妙に居心地が悪い。霞と若葉が廊下で顔を見合わせてこちらに目くばせしたのが見えたが、あれはどこかで聞き耳を立てているに違いない。

「ごめんなさいね〜。待たせちゃって」

 穏やかな笑みのまま無言だった龍田がようやく口を開いた。

「いえ、だいじょうぶです。ご用はなんでしょうか?」

「気を楽にしてちょうだい。悪い話じゃないから」

 龍田はにこにこしながら言った。怒るときも笑顔の龍田なので初霜には正直怖い。

「特待生の仕組みは知ってるわよね?」

「はい」

 初霜は答えて、それがどうしたのだろうと思った。

 だから、龍田の次の言葉を聞いた時は、思わず我が耳を疑った。

「初霜ちゃん、あなたが次の特待生に選ばれました――おめでとう」

 ぽん、と龍田の手が肩に置かれる。初霜は目を白黒させた。

「あの、えっと――特待生? わたしが?」

「そう、あなたが」

 言われて実感が持てず、頭の中が真っ白になった。

 そんな初霜には構わず、龍田は続けて言った。

「初霜ちゃんには来週から特別メニューの訓練を受けてもらうわ。限定作戦にも参加した前線帰りの艦娘がしっかり指導してくれますから、すぐに練度があがるわよ〜。実際に外洋に出て、実戦経験を積む機会もあるそうですから、くれぐれも気をつけてね」

 龍田の説明が、真っ白な頭にじわじわと染み込んでくるようだった。

「初霜ちゃんはきちんと講義を聞いてくれていたから、わたしの教えたことが役に立つととてもうれしいわ。あっちに行っても、しっかりがんばってね」

 “あっち”。その言葉を聞いた瞬間、初霜は思わず背筋に寒気が走るのを感じた。

「あの、ひとつ、質問してもいいですか?」

 おずおずと、初霜は龍田に問いかけた。

「いいわよ、なにかしら?」

「特待生って……わたしだけですか?」

「そうよ、今回は初霜ちゃんだけよ」

 わたしだけ、あっち――じゃあ、あの二人は、“こっち”に残るということだ。

「……どうして」

 その言葉は、初霜自身も思いもよらないところから出てきた。

「どうして、わたしなんですか?」

「どうして、って言われても……提督のご意向だもの」

 龍田の言葉に、初霜はぶんぶんとかぶりを振ってみせた。

「わたしじゃなくても、もっとできる子は他にいます。どうしてわたしなんですか?」

 初霜の声は自分でも思ったよりも低く、そして思った以上に何かが張り詰めていた。

「あなたがふさわしい、と判断されたからよ――ねえ、どうしたの?」

 龍田が初霜の顔を覗き込む。初霜は、唇をぐっと噛みながら、言った。

「ちょっと……考えさせてもらえないでしょうか」

 その言葉に、龍田が目を丸くする。

「まあ、いいけど……どうして?」

「どうしても、です」

 喉の奥からそう声を絞り出すと、初霜は逃げるようにして教室から出て行った。

 

「ちょっと待ちなさいよ、初霜っ!」

「待つんだ」

 教室から走り出してきた背中を、二人の声がおいかけてきた。

 初霜の走る足が、早足になり、やがて、とぼとぼという足取りになる。

 その後、息を弾ませながら霞と若葉がやってきて、初霜の前に回りこむ。

「どうした」

 若葉が声をかけるのに、初霜は顔をうつむけたままだった。

「ほら、しゃんとこっち見なさいよっ」

 霞が苛立った声で、初霜の頬に手を当てて、顔をあげさせる。

 その初霜の顔を見て、霞も若葉も思わず息を呑む。

 ――初霜の目には、うっすらと涙が浮かんでいたのだ。

 顔が苦しげにゆがみ、針の一突きで洪水があふれだしそうに見えた。

 霞が何かを口にしようとして、しかし、ためらい、それでも、

「――特待生なのよ? すごいことなのよ?」

 あえて、霞はその言葉を口にした。若葉がそれにうなずいてみせる。

「そうだ。これで第一線に出れるだろう」

 それを聞いて、初霜がへの字に結んだ口を開き、言った。

「二人は……それでいいの?」

 その言葉に、霞と若葉が顔を見合わせた。初霜はうめくように続けた。

「二人じゃなくて、わたしなんですよ。どうしてわたしなの?」

「どうして、って……あんた、何言ってるのよ?」

「何のためにいるのか。そう言ってたのはお前じゃないか」

 霞と若葉がそう問うと、初霜はふるふるとかぶりを振ってみせた。

「二人を置いてわたしだけ特待生だなんて、納得できません……」

 そう初霜がつぶやくや、霞がきっとまなじりをつり上げた。

 若葉があっと声をあげ、止める間もなく、次の瞬間には霞が初霜の頬を張っていた。

「はあ!? なによ、それ! 自慢してるの? 選ばれたからって何様のつもり?」

「やめろ、霞」

 若葉が初霜をかばうように割って入る。

 初霜が赤くなった頬に手を当てて、うつむくと、言った。

「そんなのじゃないんです……ただ、ただ――」

 その先を言えないまま、初霜は二人を振り切って走り去って言った。

 残された霞は頬を張った自分の手を見つめ、若葉はそんな彼女を見ていた。

「たたくことはなかっただろう」

 ぽつり、とつぶやいた若葉の言葉に、霞がしおれそうな声で答えた。

「たたくつもりじゃなかったわよ。でもあの子の顔見てると、急に――」

 霞の声はそこで喉の奥に消えた。

 若葉はひとつため息をつくと、ぽんと霞の肩に手を置いた。

 程なく、霞の目から、一筋、涙が頬を伝って流れ落ちた。

 

「ほら、重心が高い! もっと脚と腰に気を使えー!」

 翌日。天龍の声が曇り空に響いていた。

 いつもの航行訓練、いつものジグザク運動。

 留守番組にとってはもう何十回と繰り返してきたメニューである。

 繰り返してきただけに、いつもと違う空気はすぐに分かる。

 いまいちいつもの切れがない霞の動きを見て、天龍は頭をかいた。

「……ありゃあ、ひと悶着あったな」

 そうぼそりとつぶやいた時である。

「――ふむ、いまいち動きがよくないな」

 凛とした声を背後からかけられ、天龍は振り返った。

 そこに立っていた人物を認めるや、あわてて敬礼をする。

「これは……わざわざこんなところに来るなんて思いませんでした」

 長い黒髪、凛とした武人風の面立ち。

 艦娘の総元締め、提督の代理人。

 世界のビッグセブンにして、この鎮守府のビッグスリー。

 艦隊総旗艦の長門であった。

 敬礼を返すと、長門はふっと笑みを浮かべて言った。

「楽にしてもらっていいぞ。口調も改めなくて良い。あなたの方が古参だ」

 その言葉に、天龍が肩をすくめてみせる。

「じゃあ、遠慮なく……古参といってもロートルだよ。昔は艦隊出撃も遠征引率もやったけど、今じゃ留守番組の監督なんてやってる」

「あなたと龍田だから、彼女たちを任せていられるんだ――提督が常々すまないと言ってたよ。押し付けるような真似をしてしまって、と」

 長門がそう言うのに、天龍は目をすっと目を細めた。

「はーん、そういう自覚は提督も持ってたのか。だったら、もうちょっと待遇改善してやってくれないかねえ。前線に出せとは言わないけど、もっとこう、あの子達の励みになるようなことをさ」

「それもあって、今日ここに来たんだ」

 航行練習に励む艦娘たちを見ながら、長門は言った。

「駆逐艦の訓練を見直す施策をいま検討しているところだ。海上護衛の遠征組もいまのメンバーで固定したままというのはよくない。いざという時のために入れ替えが効くようにはしたいからな」

 海上で艦娘が転倒し、波しぶきがあがる。それを見て長門は顔をしかめた。

「だがこの様子では多少なりとも底上げが必要だな。戦艦の随伴としてでも、オリョール海最深部に到達できるだけの練度は持たせてやりたい」

「そりゃまた……ずいぶんと大がかりな仕込みになるな」

「――戦線が拡大しているんだ」

 長門の目は訓練している艦娘を見ているようで、その実、はるか水平線の彼方を見ているようでもあった。

「これまでの体制ではシーレーンを維持できない。狭い海域を重い火力の艦娘で力任せに突破する時期は過ぎて、これからは広い海域を無理なくカバーしていけるようにならねばいけない――駆逐艦も、軽巡も、そのために多くの戦力化が必要だ」

 そう言って、長門は天龍に目を向けて、言った。

「特待生の仕組みは過渡的なものだ。限定作戦に対応できる艦娘がそろったら、そのときは天龍も忙しくなるぞ。この艦娘たちを一斉にたたき上げねばならんからな」

 その言葉に、天龍はにっかりと笑った。

「それは、こんな狭いとこじゃなくて、もっと広い場所で訓練できるって意味かい?」

「無論だ」

 即答した長門に、天龍は満足げにうなずいてみせた。

「そいつはありがたい。正直、同じメニューだけじゃオレもこいつらも飽きが来ていたところだからさ」

 そう言うと、天龍はふと首をかしげて、

「それより長門。別の用事があったんじゃないのか?」

「うむ。次の特待生の様子を見に来た。個人的に気になってな」

 その言葉に、天龍が顔をしかめた。

「龍田から話があがってきてるかー……ほら、いま始めた子がそうだ」

 天龍があごをしゃくった先には、初霜の姿があった。

 長門が目を細めて、彼女を見つめる。

 初霜の生真面目な顔は、今日はいつにもまして白かった。

「……特待生の件をすぐに引き受けなかったそうだな」

「意外かい?」

「提督にとっては、そうだろうな」

 長門の答えに、天龍が口をすぼめる。

「あんたにはわかる、と?」

「――ひとつところにいると、いつしかその空気が心地よくなってしまって、変化それ自体を恐れるようになってしまうものだよ」

 浮標の間を縫って海面を駆ける初霜を見つめながら、長門は言った。

「初霜の本来の力はあんなものじゃない――受け継いだ艦の記憶がたしかなら、あの雪風(ゆきかぜ)に匹敵するほどのポテンシャルを秘めているはずだ。ただ、初期の力があまりに目立たなかったので、埋もれさせてしまっていたな……そのことが、初霜の鋭気さえも鈍らせることになってしまったのかもしれない」

 最後の浮標を曲がるところで、初霜がいつものように体勢を崩した。

 それを見て、長門はすっと目を細めて、言った。

「最終的には本人の意思を尊重するが、このままにしておくのは惜しい。なんとか、彼女の背中を押してやれないだろうか」

「――それなんだけどさ」

 天龍が腕組みをしながらうなってみせた。

「友人に遠慮している節があるんじゃないか、って龍田が言ってたな」

「なら、その友人から背中を押してもらうのが一番だろう」

 長門はうなずくと、天龍に言った。

「頼めるか」

「構わないけど、ちょっと都合してほしい場所があるんだ」

「わたしの決裁で出せるものか」

「もちろん」

 天龍がにっかりと笑う。長門は再びうなずいて、言った。

「いいだろう」

 

-3ページ-

 

 その日も訓練の後に座学があり、初霜は懸命にノートを取っていた。

 霞や若葉とは、あれから口を利いていない。

 訓練で集まったときに挨拶ぐらいはと思ったが、強張った顔の霞と、いつもと変わらない顔の若葉を見て、逆に距離をとってしまった。

 違うのに。こんなはずじゃないのに。

 じゃあ、どんなはずなのか――それは、初霜自身にも分からなかった。

 昨夜も寮に戻ってベッドにもぐりこんで考え込んでみたが、自分がどうしたいのかが分からないまま――そして、二人の言葉に何と返せばいいのかわからないまま、いつしか寝入ってしまった。

 ひとたび考えると、意識がそっちに引きずり込まれてしまう。

 考えないように、講座に意識を集中していたのだが。

 気がつくと、終了のチャイムが教室に響いていた。

「はい、今日はこれまでよ〜。皆さん、また明日ね」

 龍田がそう言い、教室を後にするのを見て、初霜はほっと息をついた。

 昨日の続きを、などと言われたら当惑するのが目に見えていたからだ。

 ノートと筆箱を鞄にしまいこみ、席を立とうとしたとき。

 誰かと、誰かが、初霜の机の前に立った。

 うつむいたままで、しかし、彼女には誰が来たのか分かった。

 顔をあげると、そっぽを向いた霞と、いつもどおりの顔の若葉がそこにいた。

「――行くわよ」

 霞がぼそりとそう言うと、初霜の手をむんずとつかんだ。

 

 霞に手を引かれ、若葉に押されるように後ろにつかれ、初霜がついたのは、はたして甘味処『間宮』だった。もう日も暮れて、閉店時間のはずで、現にのれんがしまいこまれ、閉まった扉には「準備中」の札が出ている。

 しかし、霞はものともせずに、扉を開けた。

「いらっしゃいませ――話は聞いてますよ」

 中に入ると、間宮は出迎えてくれた。

 照明の落ちた店内は、一角だけ明かりがつけられている。

 霞はうなずくと、そちらへ初霜の手を引いていった。テーブルにつくや、

「ほら、座りなさいよ」

 そう言って、あごで椅子を示してみせる。

 初霜がためらいがちに席につくと、いつものように、向かいに霞が、隣に若葉が座った――普段と違うところは、三人を取り巻く空気だ。

 間宮も注文を取りに来ない。

 しばらく黙ったままの空気を破ったのは、若葉だった。

「霞があやまりたいそうだ」

 その言葉に、初霜は目をしばたたかせ、霞はというは見る見るうちに頬を染めた。

 そっぽを向いていた霞がちらちらと初霜を見て、口を開きかけ、また閉じ、

「――殴りなさいよ」

 しばらくして、彼女の口から出た言葉がそれだった。

「え……」

「だーかーら。昨日、あんたの顔をはたいたのはわるかったから、お返しにわたしを殴っていいわよ。それであいこよ、あいこ。ほら、早くしなさいよっ」

「霞、それじゃ謝罪になっていない」

 若葉がつっこみを入れると、霞は朱に染めた頬をさらに赤くして、

「いいのよっ、これがわたしの最大級の謝罪なのよっ」

「ちゃんとごめんなさいするんだ」

 若葉の声は淡々としていて、それだけに有無を言わさぬ気迫があった。

 霞は口元をきゅっと結ぶと、やおら席を立ち、初霜に向かって頭を下げた。

「……ごめんなさい」

 消え入りそうな声で霞がそう言うと、若葉が満足げにうなずいてみせた。

「じゃあ殴られないとな」

「あやまったじゃないのよ!」

「おまえがいいだしたことだ」

「……わかったわよ」

 若葉の言葉に、霞は再び席に就くと、初霜に向けて右の頬を差し出してみせた。

「本当にいいんですか……?」

 おそるおそる初霜が訊ねると、霞がじろとにらみながらもうなずいた。

 初霜は目を閉じ、手を振り上げ、そして。

 ぺちん、と音をさせて、軽く霞の頬を張った。

 ――目を開けると、霞がこちらをにらんでいたが、ややあって、ふうっと息をつき、彼女は言った。

「はい、これでぎくしゃく終了! 仕切りなおしっ!」

 そう言うや、霞はぐいっと身を乗り出して、初霜に訊ねてきた。

「で、よ。あんた、本当のところはどう思ってるのよ」

「本当のところ、って……?」

 初霜がおそるおそる聞き返すと、霞がそっと手を伸ばしてきた。

 霞は、優しいまなざしで、初霜の髪をくしゃくしゃとさわりながら、言った。

「特待生のことに決まってるじゃない。本当はどうなのよ」

 初霜は答えられなかった。

 答えようとすると、胸が詰まって何かがあふれだしそうだった。

 そんな初霜の頭を、そっと霞がなでながら、

「答えられないなら、代わりに若葉が答えるわ」

 その言葉に、若葉がうなずいてみせた。

「初霜は――」

 続く言葉は、まるで頭上から降ってくるようだった。

「――うれしい。こわい」

 若葉の“答え”に、初霜は目を見開いた。

 ぐるぐるしていた感情が、たった二つの言葉で、見る間に透んでいくようだった。

「わたし……わ、わたし……嬉しい、の……?」

 つぶやく初霜の言葉に、霞がうなずいてみせる。

「そうよ。だけど怖い。だから、わからなくなっちゃったのよ」

 

 特別な訓練を受けて、艦娘として第一線で戦えるのは嬉しい。

 この変わり映えのしない毎日から抜け出せるのが嬉しい。

 他の誰でもなく、自分が選ばれたことが嬉しい。

 だけど――

 前線に出て戦うのは怖い。

 平穏なこの毎日がすごせなくなるのが怖い。

 この二人じゃなくて、自分が選ばれてしまったことが怖い。

 そう――

 この二人から離れるのが怖い。

 いまの自分の居場所を離れるのが怖い。

 ここではないどこかへ行ってしまうのが――嬉しくて、怖かったのだ。

 二人を置いてけぼりにして、今までの自分ではない何かになるのが。

 

 初霜の目に涙があふれて、やがてぽろぽろと頬を伝い始めた。

 くしゃくしゃとその髪をかきまわしながら、霞が言った。

「あんたは特待生になるべきよ。そう認められたんだから、艦娘としてチャンスは最大限に活かさないと。それであんたがどんなふうになっても、今日この場でべそかいてたあんたのことはわたしがちゃんと覚えていてあげる。あんたがどんなに偉くなって戦果をあげてきても、ことあるごとに『前線に行くのが怖くて泣いてた艦娘だ』って、まぜっかえしてやるんだから」

 霞がにやにやと笑ってみせる。

 若葉がうなずき、初霜の肩をぽんとたたく。

「それに安心しないほうがいい。すぐに追いつく」

 若葉のその言葉に、霞が満面の笑みを浮かべてみせる。

「そうよ、すぐに追いついて、追い越してやるんだから。そしたらまた三人一緒どころじゃないわ。ぼやぼやしてるとあんたなんかすぐにおいてけぼりよっ」

 霞の言葉に、初霜は涙を流しながらも笑ってみせた。

「ほんとうですか?」

「ええ、もちろん――でもまあ、先に行っても、置いてかれても、あんたは不安がるだろうから――」

 霞がそう言うと、若葉がうなずいてみせる。

「――だから、三人の間で変わらないものを作っておこう」

 若葉の言葉と同時に、時機を見計らっていたように、間宮がお盆をささげて持ってきた――はたして、上に乗っているのは、いつも注文するものより大きな器に入った、特大の満艦飾あんみつである。

「これは……いったい?」

 目を丸くする初霜に、霞が得意げに言ってみせた。

「間宮券三枚で作ってもらえる特製の超弩級満艦飾あんみつよ」

「三人で分け合って食べるんだ」

 若葉の言葉に、霞がうなずいた。

「そう! 月に一回はこうして集まって、このあんみつを分けっこするの! 間宮券出すのはその時の一番の出世頭よ。これをわたしたち三人のルールにするの」

 霞が高らかにそう宣言する。

 そうして、初霜に向かって、ウィンクしてみせた。

 初霜は、どこか得意げな霞の顔と、いつもと変わらない若葉の顔と――

 それから、テーブルに鎮座した超弩級満艦飾あんみつを見比べ――

 ――そして、涙をぬぐうと、くつくつと笑い出した。

「なんだか、バカみたいです……」

 そう感想を漏らすと、霞がまなじりをつりあげて、

「あーっ、バカって言ったわね! せっかくの練りに練ったアイデアを!」

「練ってないだろ。思い付きじゃないか」

 若葉がそう言い、スプーンを手にとる。

「でも今日からこれがルールだ。さあ、食べよう」

「いまから?」

 初霜が訊ねると、若葉は大真面目に答えた。

「今から。晩御飯が入らなくなっても仕方ない」

 その返事がまたおかしくて、初霜は笑いをこらえつつ、自分もスプーンを手にした。

「あ、ちょっと待ちなさいよ。わたしも食べるんだから」

 霞がそう言い、自分のスプーンを構える。

 三人は顔を見合わせると、お互いに笑みを浮かべ。

 そして同時にスプーンをあんみつにつっこんだ。

 

「そろそろ出発しマース! 主機、最終点検ヨロシク!」

 外洋演習の引率を任された艦娘、戦艦の金剛(こんごう)の声が響く。

 同じ編成の艦娘たちが口々に「問題なし」の声をあげるなか、初霜も自分の主機の調子を確かめた。音に異状はないし、不審な振動もない。

「ヘーイ、新入り! どうですカ?」

 金剛が、そして新しい仲間たちがそろって自分を見つめている。

 すうっと息を深く吸い、そして大きな声で答える。

「――はい、初霜、問題ありません!」

「オーケー! 良い返事ネ!」

 金剛が、そして他の艦娘が笑顔を向けてくる。その顔に、初霜は笑顔で応えた。

 両舷微速前進、と号令がかかり、そろそろと桟橋を離れる。

 やがて主機増速の号令がかかり、一行は素晴らしい速度で海原を駆け始めた。

 前方を――外洋を見ていた初霜が、ふと岸壁に目をやると。

 待ち受けていたのだろう、霞と若葉がそろって手を振っているのが見えた。

 その後ろにいるのは天龍だろうか。

 初霜は三人に向かって、大きく手を振ってみせると、再び外洋へと目を向けた。

 がんばらないといけない。

 なにしろ当分は、あの特製あんみつは自分持ちになるだろうから。

 

「本当のところは、ちょっと悔しかったのかも」

 初霜を見送って、ぽつりと霞がそう漏らした。

 若葉は何も答えず、しかし、うなずいてみせた。

 そんな二人の肩を、天龍は、軽くぽんぽんとたたいてみせた。

「ありがとな。あいつの背中を押してくれて」

 霞と若葉が、天龍に向かって振り返る。

「いいえ。天龍さんがわたしたちの背中を押してくれたからよ――あの日の訓練の後、呼び止めて言ってくれなかったら、わたしたちはずっとあの子に声をかけてあげられなかったかもしれないわ」

 霞がそう言うと、若葉が続けて、

「だから、初霜の背中を押したのはあなただ」

 二人の言葉に、天龍は頬をかきながら笑ってみせた。

「まあ、オレは留守番組の教官だから。これぐらいは、な」

 そうして、天龍は、初霜の駆けていった水平線の向こうへと目を向けた。

 霞が、若葉が、それに続く。

 巣立っていったひな鳥の航跡を、三人のまなざしがやさしく見守っていた。

 

〔了〕

説明
こふこふして書いた。やっぱり反省していない。

この土曜で書けたよ! ということで、艦これファンジンSS vol.22をお送りします。

きっかけになったのは、「次のエピソードどうするかなー」とツイートしたところ、
フォロワーさんから「天龍と龍田の話が読みたいです」とリクエストを受けた次第。

「でも天龍と龍田ってうちの鎮守府じゃロートルでレベル一桁ズの監督やってますよたぶん」
「だから、注文したんですよ」

そういう需要もあるのか、と思ったところで、いわゆるレベル1のまま放置している、
待機組というか留守番組の艦娘について書いてみるのも面白いかなと思ったところへ、
初霜改二の情報が耳に入ってきて、今回のエピソードとなりました。

なお、いつものお約束として、艦これファンジンSS「うちの鎮守府」シリーズは
どのエピソードから読んでも楽しめるように気を使っております。
このお話単品でもお楽しみいただけますし、気が向いた方は他のお話もぜひどうぞ。

それでは皆様、ご笑覧ください。
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艦これ 艦隊これくしょん 初霜  若葉 天龍 

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