三次元ベクトル |
深行がするりと泉水子の手を取ると、彼女は頬を染め、少し恥ずかしそうにうつむいた。
その顔は嬉しそうで。繋ぐまでは肌寒さを感じていた深行の心がじんわりとあたたかくなった。
もう数え切れないほどのことなのに、いつまでたっても泉水子が慣れる様子はない。それでも付き合い始めの頃に比べれば落ち着いたと思うが、少しは、という程度だ。
そして、その仕草を深行は可愛いと思う。
心を通わせる前だって手を取ることは何度かあったけれど、それはたいてい緊急事態だった。こうして改まって繋ぐと、その時には知らなかった感情が込み上がってくる。
もちろん深行にだって照れはある。だから、こうして手を取るのは理由があることが多い。
「相変わらず冷たいな」
「あ・・・。そろそろ、手袋をしたほうがいいよね」
(・・・そういう意味じゃないんだが)
泉水子が引っ込めようとしたその手を強く握る。指を絡めて握りなおした。
はじめて握った日も冷たかった、などと思い出しながら。
泉水子と訪れたのは、最近できたばかりで話題のショッピングモールだ。
行きたいところを尋ね、泉水子が少し考えて答えた場所がここだった。
数回電車を乗り継ぐがそれほど遠い距離ではない。真響とまだ行っていなかったことを不思議に思ったけど、はじめての場所に誘われて断るなんて選択肢があるわけもなく。
そうして泉水子の希望を叶えるべく訪れたショッピングモールだが、オープンしたてなだけあって、駅を出たときからすごい混雑ぶりだった。
特別セールも開催されているらしく、ましてや今日は日曜日。真っすぐ歩けないほど通路は雑然と賑わっている。
深行は人混みが苦手な泉水子がはぐれないために手を取った。
・・・というていで。自分の心をごまかして。
泉水子の少し冷たい指先。こちらの余りある熱が少しずつ彼女に伝導されていく。
これは、深行だけの特権だと思っている。
到着すると、泉水子はフロアガイドを見て目を丸くした。
「す、すごい数のお店だね・・・!」
一日ではとても回りきれない、と興奮気味に頬を紅潮させた泉水子に、深行は少し視線を外して言った。
「また来ればいいだろう」
泉水子の手はすっかりあたたまっている。
絡めた指に少し力が込められた。横目で見下ろすと、泉水子は深行を見つめて綻ぶように微笑んだ。
この笑顔のためなら、きっとなんだってできそうな気がしてくる。
泉水子はあちこち楽しそうに興味を示した後、ある雑貨屋で足を止めた。
カラフルな小物や食器、インテリア雑貨や家具まで何でもそろっている店だ。実用的なものが多いためか男がいてもおかしくはなく、深行は密かにホッとした。
「わあー・・・。きれい」
泉水子がクリスマスツリーや装飾品などを見て瞳を輝かせる。
(そういや、クリスマス会など参加したことがないと言ってたよな)
昨年の学園のクリスマスパーティーではパニックを起こしてしまったので、泉水子的にはおそらく思い出したくもないだろう。そしてアンジェリカのほうも中山瑞穂のせいで参加できず、これまた彼女の心に傷が残る思い出となってしまった。
深行としては感慨深い日であるけれど。
愛しいと思う相手の気持ちが、同じベクトルで返ってきた日。
今年のクリスマスパーティーは仮装の話も出ていないし、これといった不穏な話も耳にしていない。きっと泉水子にとって楽しいクリスマスパーティーになると思う。
それよりも・・・。問題は彼女へのプレゼントをどうするかだった。クリスマスを1ヶ月後に控え、深行はまだ何も計画できていない。
もちろん泉水子を喜ばせたい。だけど、こうして付き合っている彼女のためにクリスマスのことを考えるなんて、はじめてのことだった。やけにプレッシャーを感じてしまう。
(・・・なんか自分でハードルを上げてないか? 俺)
額にじわりと汗をかいた。気を紛らわせるために陳列棚に見ると、色とりどりのマグカップに目がとまった。
部屋で使っているマグカップを先日落として割ってしまったことを思い出す。
買いなおすのも面倒で缶を買ったり紙コップで代用しているのだが、いい機会だから購入して帰ろうか。
そう思って棚からひとつ手に取ると、先ほどまでツリーに夢中になっていた泉水子が、もの言いたげに深行の持つブラウンのマグカップを見つめていた。
* * * * *
朝から快晴で、少しひんやりしているけれど、気持ちのいい秋晴れだった。
空には雲ひとつなく、空気がとても澄んでいる。たくさん深呼吸をしたくなるような気持ちよさ。
深行にどこへ行きたいかと聞かれて泉水子がチャンスとばかりに答えたのは、最近話題になっているオープンしたばかりのショッピングモール。
1ヶ月後にクリスマスを控え、当然心を悩ませるのは彼へのプレゼントなわけで。泉水子はここ最近、このことばかりを考えていた。
昨年遅ればせながらも渡せた手袋は喜んでもらえた。深行はその冬中いつも着用してくれて、多分・・・今年も使ってもらえると思う。
だから今年も深行が喜んでくれて、彼の役に立つものをプレゼントしたい。
真響に相談をすると、彼女が提案してくれたのは、さりげなくリサーチをすることだった。
一緒にショッピングに行って、深行が興味を示したものにすればいい。そう言われて泉水子の目から鱗が落ちた。
感激してお礼を述べる泉水子に、真響は微笑を浮かべながらも心配そうに苦言を呈した。
「相手はあの相楽なんだから、くれぐれもばれないようにね」
泉水子は力強くうなずいたのだった。
電車を何本か乗り継いで駅を出ると、深行はすぐに泉水子の手を握った。
黄色く燃え立つような銀杏並木は、ショッピングモールへ向かう人で溢れかえっている。恐ろしく混むはずだと真響に聞いていて覚悟をしていたけれど、予想をはるかに上回る混雑ぶりだった。
深行は普段人前ではあまり触れてこないが、混雑時は別だった。おそらく泉水子がはぐれることを心配しているのだろう。
人には本来、障害物を避ける無意識のセンサーが働いているはずなのに、確かに泉水子は人の多い所を歩くのがどうも苦手だった。気をつけていてもすぐ人にぶつかりそうになってしまう。
深行は泉水子がぶつからないよう、さりげなく誘導してくれる。
子ども扱いは正直複雑だけど、でも手を繋げることは嬉しかった。
大きくてあたたかい手。深行のぬくもりが流れ込んでくる。この手がどれほど泉水子に安心感を与えてくれているかなんて、きっと深行は分かっていない。
フロアガイドを見て、あまりのお店の多さに泉水子は目を丸くした。とても一日では見て回れない数だ。
思わずそう呟くと、深行はまた来ればいいと言う。
その言葉がとても嬉しくて、そっぽを向いている姿に胸がぎゅうっとなる。当たり前に『今度』の話ができるのは、なんて嬉しいことなのだろうかといつも思う。
泉水子が幸せを噛みしながら見上げると、深行はちらりと横目で視線を返した。
目移りしながらあちこち堪能し、泉水子は店頭にある可愛らしいツリーに誘われて足を止めた。
カラフルに空間を彩るインテリアショップ。日用雑貨や食器、バスグッズや家具まで、全ての生活雑貨がそろっている素敵なお店だ。
憧れのクリスマス用品に心を奪われていると、今までどれにも興味を示さなかった深行が、ある陳列棚に注目している。
(マグカップ・・・?)
心がときめいた。マグカップならばお手頃だし、いつも使ってもらえる。
・・・こっそり色違いでお揃いのものを買ってもいいだろうか。
ドキドキしながらさりげなく窺っていると、こちらの視線に気がついた深行がブラウンのマグカップを手に小首をかしげた。
「なんだよ」
「う、ううん。深行くん、マグカップがほしいの?」
はやる心を抑えて遠慮がちに尋ねた。すると深行は苦笑いをして、
「この間うっかり割ってしまったんだ。別に困っているわけじゃないが、ついでだから」
レジに持って行こうとする。泉水子は慌てて深行の腕を掴んだ。
「えっ ま、待って。もう、買ってしまうの?」
半ば必死になって言い募ると、深行は眉をひそめた。
「さっきからなんなんだよ。買っちゃ悪いのか」
「ち、違うの。・・・ええと、私が・・・」
口が滑りそうになり両手で押さえた。これ以上言えば、深行のほしいものが知りたいと墓穴を掘ってしまいそうだ。
(どうしよう・・・)
口元を押さえながらぎゅっと目を閉じていると、しばしの重い沈黙の後、目の前の空気が動いたような気がした。
そろりと目を開けてみれば、深行が再び陳列棚に手を伸ばしている。そして、深行が持っているマグカップと色違いの赤いものを手に取った。
もうひとつほしいのだろうか。泉水子が呆然と見ているうちにも深行はレジに向かい会計を済ませてしまった。
深行は袋を二つ手に持ち戻って来ると、その一方を泉水子に差し出した。
「こういうことか?」
「えっ」
意味が分からずに、ただ立ち尽くす。深行は気まずげに目をそらしながら、泉水子の手を掴んで袋を握らせた。
耳をほんのり赤くした深行はこちらを見ない。滅多にお目にかかることのできない彼の照れた様子に、泉水子の顔から血の気が引いた。
まさか、と思って素早く袋を覗き込むと、マグカップの箱が入っている。カラーコードは『RED』。
「ち、違うよ・・・!!」
大急ぎで否定すると深行は表情を変えた。それを見て、泉水子は言葉を間違えたのだと手に汗をかいた。
「違うというか、わ、私が買おうと思っていたの。深行くんのマグカップ・・・、と、おそろいのものを」
誤解はされたくないけれど、深行のマグカップを泉水子がプレゼントしたかったなんて言うことはできない。それに、色違いのものを欲しいと思ったのは本当だ。
泉水子は恥ずかしくて情けなくて顔を赤らめた。よほど物欲しそうな顔で見ていたのだろう。
「気を使わせてしまってごめんね。自分の分はちゃんと払うから」
お財布を取り出すべくわたわたとカバンを探ると、深行は泉水子の手を掴んで止めた。
「いい。やるよ」
「ええっ でも・・・」
「俺がやりたいと思ったんだ。・・・いらないなら、別に・・・」
泉水子は急いで首をぶんぶん振った。紙袋の持ち手をぎゅうっと力強く握る。
「そんなわけない! 嬉しい・・・すごく嬉しい。どうもありがとう」
深行は軽く息をつき、それから相好を崩した。
申し訳ない気持ちでいっぱいになったけれど、深行のやわらかい微笑みを見れば何も言えなかった。
それより何より、深行の気持ちが本当に嬉しかった。
部屋に帰ってきて、早速泉水子は深行が買ってくれた赤いマグカップでココアを飲んだ。
今頃彼も色違いのマグカップでコーヒーでも飲んでいるだろうか。そう思い浮かべると、嬉しくて嬉しくて頬が緩んでしまう。
深行のことがとても好きだと思う。
一方通行じゃない。好きだという気持ちを同じ方向で返してくれること。こうしておそろいのマグカップを使っている時には、泉水子のことを思い出してくれるのではないかと想像するだけで、心が例えようもない幸福感で満たされる。
胸を熱くしながら、そろそろとマグカップに口をつけてハッとなった。
(・・・これは、もしかしてペアカップと言うのでは)
認識した途端、顔に火がついたように熱くなった。
その時ドアが開いて真響が戻ってきた。ドキッと飛び上がりそうになったけれど、泉水子はココアにふうふうと息を吹きかけて赤い顔をごまかした。
「あっ 可愛い。そのマグカップ買ってきたの? 泉水子ちゃんにぴったり」
にこにこしながら真響も自分のマグカップを取り出した。ティーバッグを入れ、ポットのお湯を注ぎながら、
「ところで相楽のほしいもの、リサーチできた?」
戦果を尋ねてくる。泉水子は肩をすくめて眉を下げた。
「それが、分からなかったの。相楽くん、なかなか興味を示さなくて。唯一気にとめたマグカップは自分で買ってしまったし」
「マグカップ?」
真響が泉水子の手元を注視する。それから、ふーんとにんまり笑って、
「そう言えば今日は11月22日だったか。知ってか知らずか、きちんと押さえてくる男だねー。これは突っつくのが楽しみだな」
(・・・? 11月22日がどうしたというのだろう)
真響の言葉に泉水子は首をひねったのだった。
終わり
「いい夫婦の日」ということで、夫婦茶碗ならぬペアマグ話。真響さんにかかれば、深行くんはペロッといらんことを言っちゃいそうです。
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RDG6巻後。 いい夫婦の日にちなんで書いたお話です。 |
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