過信と驕りと見当違いについて? |
ある問題についての過信と驕り、見当違いについて書きます。
まず、ある問題についてですが、その問題は、多岐に渡って色々ありますけれど、今回の場合は、出会いに関してのケースです。自分の理想のタイプと出会うために必要な成り行きや経過を無視して、何もかもが順調に行き出して時間や期間が長期に渡って行くと次第に、最初は、頭の中に、自分が理想と出会えるのには何かきっと訳がある、多分、誰かがお世話をしてくれているに違いない、くらいは頭の中を過ったり、空想が湧いてきたと思うのですが、時の流れと共にその考えは次第に薄れて行き、気づいた時にはいつの間にか、今のこの満足の状態は全て自分の実力、とスッカリ驕り高ぶってしまい、徐々にその考えがエスカレートして行き、終いには、せっかくある二人が上手く出会ってその後順調に付き合えるようにと頑張ってお膳立てしたり、そういうシステム作りのために見えない部分で役立っていた人を、すっかりそんなことなど忘れた顔―あるいはどうしてもそこまで気づけなかったなどで―で、「あいつさえいなければ!、あいつが邪魔している!このまま放っておいたら俺の私のお気に入りをとられてしまう!何とか処分しないと!そうだいっそのことあの野郎を閉じ込めてやる!」と勝手に一人妄想と空想で慢心状態に陥ってしまうようです。今までの経過と出来事を見ているとそうとしか私には思えません。
そして、本当に一度は必ず閉じ込めてしまうようなのですが、―この状態は有名な小説マノン・レスコーにも似たようなシーンはありました―閉じ込めた後、徐々に本気で狙っていたり交際をしていた相手の態度が冷めて行ったり、離れて行ったり、他のタイプと交際をしてばかりいるのを見てガッカリしたり、悔しくなるらしいのですが、そうなったからと言って、まんまと陰謀の犠牲になって一時は「知恵が足りなさ過ぎて文章もろくにかけないからどうしようもないから閉じ込めて強制学習してやる!」と行った勢いで閉じ込めた相手を、ダンダンと、時間や年数が経つと、自分だけで行ってもやはり無理なのかと焦り出してまたやはり同じことを繰り返してもらわないと自分らに二度と前と同じようなランクの相手が巡ってくることはないと悟るのだと思います。
その繰り返しだと思うのです。人類は、その際、いつも絶対に邪魔だと思ったり、邪魔な人を閉じ込める際や、せっかく邪魔な奴らを閉じ込めたのにやはり思った通りことが運ばないからまた同じことを繰り返してもらいたいと思った時、そのたびごとに不気味な意味不明の威嚇天災や事件の連打の依頼―だいぶ昔ならそれは戦争の場合でもあったでしょう―を引き起こしているとしか私には考えられないのです。
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ある問題に対しての過信と驕り、そして見当違いについて書いて見ました。文章訓練中です。>< | ||
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