Baskerville FAN-TAIL the 12th.
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「ねーねーコーラン。おねーサマは?」

ねぼけまなこを擦りながら、とたとたとダイニングにやってきたセリファ・バンビールは、朝食を作っている同居人のコーランに尋ねた。

「今日はグライダは早いのよ。昨日言ってたでしょ?」

そう言って彼女の分のスクランブルエッグを皿に盛りつけて出す。セリファはそれを受け取ると、黙々と食べ始めた。

「ねーねーコーラン。おねーサマはギルドに行ったの?」

コップに注がれた牛乳をこくんと飲む。

そこへ、朝早くから電話のベルが鳴り響く。コーランが出ようとすると、セリファが猛スピードで電話へかけていく。

「はい、もしもし〜」

にこやかに応対しているところを見ると、どうやら知り合いだったらしい。

(小さい頃って、すぐ電話に出たがるのよね)

ふと昔を思い出していたコーランに、耳を貫かんばかりの絶叫が飛び込んできたのはちょうどそんな時だった。

 

世界で最も不可思議な港町として名高いこのシャーケン。

ここにも、朝はきちんとやってくる。

同時に、面倒な騒動までやってくる。

平穏な日は、一日としてなかった。

この広い町のどこかで、必ず誰かがはた迷惑な騒動を引き起こし、巻き込まれるのだ。

だからこそ、ここへ来れば――どんな職種であれ――仕事にあぶれることはない、とまで云われている。

 

泣き喚くセリファからどうにか事情を聞き出したコーランは、彼女を連れて猛スピードで病院へ向かった。

なんでもギルド行く途中に事故に遭って病院に運ばれたらしい。

受付で部屋番号を聞き、音も立てずに駆けて病室の中に飛び込むと、入り口そばのベッドで上半身を起こしていたグライダ・バンビールと目が合った。やや間があって、

「……あ。捻挫だって」

その脳天気な声に、さしものコーランもその場に力なくへたり込んでいた。

「セリファが『病院に運び込まれた』って泣き喚くから、どんな事故かと思って来てみれば……」

まるで小猫のように襟首掴まれたセリファが、目をうるうるとさせて、

「だって……だっておねーサマがぁ〜」

「この子は大げさなのよ、まったく……」

上半身を起こしたままの体勢で、セリファの手を握ってやる。するとセリファも嬉しそうにニコニコと笑いだした。

聞けば、仕事の打ち合わせに行く途中、階段で足を滑らせただけ。それも症状は軽く、入院する必要すらない。だが、ギルドの責任者が無理に入院させたらしい。

ギルドというのは同じ仕事の組合の事だ。

同じ職業の者が寄り合って情報を交換しあったり、仕事の斡旋をしてもらったり。

職種によっては依頼によってギルドのメンバーを派遣する事もある。現在風に言うのなら人材派遣会社のようなものとも言えるかもしれない。

グライダは傭兵ギルドのメンバーだ。

傭兵といっても戦争をやるだけではない。「武力」が求められる場合、必要に応じて人材が派遣される。内容は何かの護衛からちょっとした魔物退治まで様々だ。

もちろん組織である以上少ないが休暇もある。グライダは「毎日仕事がある訳じゃないし、日曜ちゃんと休めればいいや」という考えで休暇を「熱心には」とっていなかった。

「まぁ、組織って事で、メンバーは年に何日有給休暇をとらなきゃならないとか、色々うるさいらしいのよ。それで、いい機会だから休暇のノルマを消化しろって」

そういった理由で、捻挫したのをいい事にギルド側が健康診断入院の手続きを勝手にしたという。

それのどこをどう聞けば泣き喚くほどの事態に聞こえたのかはわからないが、ともかく大した事がないと安堵する。

「それでさ。今回の仕事はコーランに協力してほしいんだけど」

とグライダは言うが、別にコーランは傭兵ギルドのメンバーではない。その事に異を唱えようとするが、

「今回の仕事、魔界の知識がいるみたいなのよ。魔術師ギルドにも問い合わせたんだけど、詳しい人が出払ってるみたいで……」

言いたい事を何となく察知したコーランは呆れつつも、

「わかったわ。バイト代はきっちり貰うわよ」

と親指立てて答える。

「期待しないでね。ウチ、貧乏だから」

グライダも苦笑いして同じポーズで答え、互いにくすくす笑っていた。

 

傭兵ギルドのシャーケンの町の本部は、町の中央を通るメインストリート沿いにあった。一階が食堂兼の酒場になっており、そこから上が事務所になっている。

コーランとセリファがその酒場の方に入る。さすがにまだ昼下がり。人影もまばらだ。

コーランは慣れた感じでカウンターで暇そうに煙草を吸っていた初老の男に傭兵ギルドのメンバーの所在を聞いた。

ところが、今は訓練中でここにはいないという。仕方なく待つ事にし、ノンアルコールの飲み物を適当に注文した。

何気なく店内を見回していると、こんな酒場には相応しくない男女がいるのが見えた。

一人はバーナム・ガラモンド。全身黒ずくめの道着の様な服を着た武闘家だ。

女の方は本名は知らないが、通り名はルリール。グライダと親しい盗賊ギルドのメンバーの一人だ。

盗賊ギルドと言っても、別に本当に盗みだけをやる集団ではない(実際にやっている者も多いのだが)。

盗賊技術を活かした特殊技能で様々なサービスを行なっている。

もっとも、やっている事は表沙汰にできない事ばかりだが、盗賊ギルドイコール犯罪人とも言えないのだ。

そのルリールの方が酒場のテーブルに数冊の薄い本を広げて何やらやっている。コーランとセリファはカウンターで飲み物を受け取ると二人のもとへ向かった。

「ルリール。何してるの?」

その声に気づいたルリールがそっけなく、

「来週テストなんすよ。それで今勉強中」

「仕事が忙しくて、テスト勉強してなかったんだとさ」

とバーナムがつけ加える。ルリールは盗賊ギルドに所属してはいるが、まだ高校生だ。学校に通っている以上、そちらの方もおろそかにはできないのだ。

「何の勉強してるの?」

「化学っす。どうも化学とか物理って苦手なんすよ」

もう金輪際関わり合いになりたくない、という雰囲気でルリールが言った。苦手な教科とはそんなものだ。

「だけど、昔ながらの火薬の調合なんかに、こういう知識がいるでしょ?」

コーランが不思議そうに聞くが、

「ああ。あたい、そっちはダメなんすよ。体術とかフィールドワークなら得意なんすけど。あとパソコンとか」

そう言ってルリールは苦笑いする。

確かに誰にでも得手不得手はある。どうも体を動かす方が彼女はお得意らしい。

コーランは飲み物を一口飲んでテーブルを見ると、セリファはテーブルの上に広げっぱなしの参考書や問題集をじーっと見ている。それに気づいたルリールは、

「どうしたの、セリファちゃん?」

「ねーねー。このひょう、数字が間ちがってるよ?」

セリファが指さしたのは『参考書』の方だった。

ルリールはきょとんとしていたが、やがてぷっと噴き出し、

「セリファちゃん。参考書の方が間違ってたら意味ないよ。そんなのあるわけ……」

コーランもその参考書の表をじっと見ているが、彼女にも違いなどわからない。

物理や化学の知識は、魔術を使う上でも必要なものだ。周囲の状況や相手の特性・弱点を見抜いて術を選ぶのは、術士としての基本中の基本である。

もっとも、生まれつき魔法が使える魔族であるコーランは、そういった事を特に意識せず本能的にやっているので、学問的な意味での知識は持ち合わせていない。会話はできても文法となるとまるで判らなくなるのと同じだ。

「本当なの、セリファ?」

セリファは自信満々にうなづく。

「……そう。じゃあ、その参考書が間違ってるのね。たぶん印刷ミスなんじゃない?」

コーランのその台詞を聞いたルリールはさすがに困惑し、

「魔族のコーランさんらしくないっすね」

そう言いながらも、何気なくパラパラと参考書をめくっていた時、本の間からひらりと何かが落ちた。

「何これ? 正誤表?」

コーランがよく見ると、そこには一つの表が書かれていた。セリファが「ちがう」と指さした表である。

よく見ると各数字が一つづつずれて記入されていたのだ。これにはルリールも驚いた。

「なんでセリファちゃんわかったの?」

「けー算したもん。そーしたらすぐわかったよ」

得意そうににっこりと笑顔を浮かべるセリファ。コーランは彼女の頭を撫でながら、

「この子、頭はいいのよ。理数系は得意だし。でも、書くスピードが遅いから、テストの点そのものはあんまり良くなかったんだけど」

感心したようにルリールが惚けている。

「じゃあセリファちゃん。あたいに教えてくれない?」

「いーよー」

セリファは屈託のない笑顔でルリールのとなりに座った。

 

セリファのコーチで勉強をしているところに、傭兵ギルドのメンバーが戻ってきた。

「ああ。コーランさん、いらっしゃい」

グライダのつてで何度か会った事のある傭兵ギルドの責任者が声をかけてくる。

「何でも、魔界の知識がいると聞いてきたんですけど……」

すると彼は険しい表情になり、

「ああ。その事でお話があったんです。詳しくは事務所の方で……」

コーランは事務所に連れて行かれた。ギルドの責任者は、自分の机に散らばった書類の中から一枚書類を取ると、それをコーランに見せた。

「……なるほど。イダシェですか」

コーランは書類を見ただけで自分が呼ばれた理由を理解した。

イダシェというのは、魔界に住む大型の肉食獣だ。体長約十メートル。体重は軽く五トンを超える。外見は毛皮に包まれた大トカゲといった感じだ。

そして、この生物の血液(それも新鮮なもの)は魔族専用の風邪ワクチンに加工されるのだ。

基本的に人界の人間より強い肉体を持つ魔族だが、人界の風邪ウィルスにだけは抵抗力がなく、毎年数名の死者が出てしまう。

ワクチンを作るために必要な薬草が人界にしか棲息できない種なので、この生物を人界の製薬会社に運ぶのは、魔族が人界で生きるためにも重要な仕事なのだ。

それに、イダシェは自分の古くなった血液を体内で分解処理する能力がない。そのままでは無理矢理傷つけてでも血を流し、下手をすれば死んでしまう。両者の利害関係は一致しているのだ。

「何のために治安維持隊がいるのやら」

本来、この仕事を受け持つのは魔界治安維持隊だ。いわば魔界から人界に出張している身なのだ。彼らがやるのが筋である。

「治安維持隊で風邪が大流行りしたそうだ」

その返答を聞いてコーランは頭を抱える。

この町にある治安維持隊人界分所の所長はコーランの後輩なのだ。この時期にウィルスへの警戒を怠るなど怠けるにも程がある。

実は、コーランが身につけている金属光沢を放つマントには風邪のウィルスの耐性を高める効果もある。

が、あくまでも高めるだけ。完全に防ぐにはワクチンしかない。しかし二、三日くらいしか持続しないのだ。それでもないよりは遙かにマシだ。

「治安維持隊からの資料ですと、このイダシェという生物は、魔界の住人ならば言う事もよく聞くらしいんです。でも、ウチのギルドに魔人も魔族もいませんし……」

確かに魔界でのイダシェは肉食獣とはいえおとなしい性質だし、知能も高めだ。

狩りの時以外なら結構人なつっこい面もある。もし小さい身体だったら愛玩動物にもなっただろう。

だが、人界へ来ると空気が変わるためか常に狩りの時の凶暴性を剥き出しにしてしまう。

その為、いつも眠らせて運ぶのが通例だ。

イダシェの特性かどうかはまだわかっていないのだが、何故か魔界の者には警戒心が薄いので、麻酔をかけるのは彼らの役目なのだ。

「……それで、運ぶのはいつなんですか?」

コーランが目を通していた書類を返し、返事を待つ。彼は申し訳なさそうな表情のまま、

「明日の昼です」

と短く答えただけだった。

 

次の日。グライダの病室では……。

「セリファ。この手錠、外してくれない?」

「セリファ、かぎもってないよ」

横になるグライダのそばにピタリとくっついて座っているセリファが隣の病人から貰ったお菓子を頬張っている。

グライダは午前中の検査が終わり、軽く寝ている間に両手を手錠でがっしりと固定されていた。しかも後ろ手に。

さらにセリファを置いていかれた。これではうかつに動けない。

「おねーサマ。ごはんはどうするの?」

確かにこのままでは食事すら摂れない。しかし、鍵なしで手錠を外すなどという器用な真似はグライダにはできない。

「そーだ。セリファが『あーん』してあげますぅ」

お菓子を頬張ったままニコニコ笑顔のセリファを見て、更なる脱力感を覚えるグライダだった。

 

コーランは集合場所に少々遅れてやってきた。

「申し訳ありません。準備に手間取りました」

そう言って深く頭を下げる。だが向こうは、

「構いませんよ。そんなに固くならないで」

集まっている皆が口々にそう答える。

それからコーラン達はトラックに相乗りして現場に向かった。

一行は、シャーケンの町から十キロ先の、人界と魔界の接点である通称「関所」と呼ばれる場所に来ていた。

この「関所」は文字通りの場所で、こちらでいう飛行場と税関を兼ねたような施設だ。

トラックを運転する責任者が通行許可証を見せると、入口の警備員は人数分の通行証を渡す。トラックから下りた一行はその通行証をつけ、目的の場所まで歩いた。

そこはすぐにわかった。巨大な檻を積んだ専用トレーラーが見えたのだ。もっとも檻はシートで覆われて、中の様子はわからない。

そのトレーラーにクリップボードを持って立っている魔族の男がいた。

「……サイカさん。ご苦労様です」

何度か治安維持隊の分所で会った事のあるバルマーという男だった。表情に乏しく淡々とした雰囲気で、彼女はあまり好きになれないタイプだ。

「みんな風邪ひいたって聞きましたけど?」

「私は魔族と人間の混血ですので。他の方より耐性があります」

あくまで自分の感情を交えずに淡々と語る。

「そう。じゃあ、早速行きましょうか」

バルマーは傭兵ギルドのメンバーにあれこれと指示を出した。

感情を交えずに淡々と話すその態度は愛想のない無礼と取られやしないかと思ったコーランだったが、その心配はなさそうだった。

コーランとバルマーはトレーラーに。その他のメンバーはいくつかのレンタカーに相乗りして周囲を固めた。

「バルマー。イダシェの様子は?」

「現在睡眠中です。あと半日は目を覚ます事はありませんが、油断は禁物です」

そう言ってからトレーラーを発進させた。

一行は「関所」を抜け、ここから二百キロ先の製薬工場へと出発した。

 

シャーケンの町では、神父のオニックス・クーパーブラックと戦闘用特殊工作兵のシャドウが繁華街で聞き込みをしていた。

「グライダさん達は一体何処へ……?」

「この町に居る事は確かだろうが……。昨日傭兵ギルドの酒場にコーランとお嬢ちゃんが居た事は判っているのだが」

二人が彼女達を探しているのは「仕事」のためだった。

対人外生物用特殊秘密戦闘部隊バスカーヴィル・ファンテイルの仕事である。

魔界の遺跡より「貴重な物品」が盗まれたのである。盗まれた物はいくつかあるが、使い方次第では危険な品物が一つあった。

「それにしても……誰にも連絡が取れないというのもおかしいですね」

「……だが、聞いて歩くより他あるまい」

そんなシャドウの目の前にだるそうな顔でとぼとぼと歩く一人の少女の姿が。濃紺と銀のストライプの髪が特徴的なナカゴ・シャーレン。魔界治安維持隊人界分所所長である。

「……あ。シャドウさん。恥ずかしいです、こんなカッコで」

コーランの物と同じ金属光沢のマントを羽織った姿で、照れくさそうにしている。

「ナカゴさん。実は、ボク達コーランさん達を探してるんですが、心当たりは……」

彼女は鼻をかんだ後、熱っぽい顔で少々考え込むと、

「あ。サイカ先輩なら傭兵ギルドのお手伝いで出かけてる筈ですよ。昨日の夜連絡がありました」

もっとも、その時「治安維持隊が風邪で潰れるなんて、何やってたの!」と怒鳴られていたのだが、それは言わないでおく。

「ホントはイダシェの護衛をウチでやる筈だったんですが、みんな風邪でダウンしちゃって……」

言いつつもずるずると鼻をすすっている。

クーパーが心配そうにしているが、ナカゴが言うには、これでも症状は軽い方だそうだ。

「職員全員が風邪とは奇妙だな。ウィルスには随分気をつけていると聞くが」

シャドウがそう言った時、遠くの方が何やら騒がしいのに気がついた。

「……何かが暴れているようだな。少し待て」

シャドウは望遠モードに切り替えた。彼のレンズに写ったものは巨大な大トカゲ。それも全身が厚い毛皮に覆われている。それを説明すると、

「それがイダシェです! きっと逃げ出したんだわ!!」

ナカゴが唖然として叫ぶ。

「私は至急分所に連絡を。皆さんは向こうへ」

ナカゴが携帯を取り出し、登録済の短縮ダイヤルボタンを押した。二人はそれを確認する間もなく一目散に駆け出していく。

 

「皆さん、急いで避難してください。魔物が近づいてきています!」

グライダの入院している病院の中も例外なく大騒ぎだった。

グライダは後ろ手に手錠をされたままセリファと一緒に避難する。

ホントは先陣きって魔物と戦いに行く所だが、両腕を使えない状態では戦いも何もあったものではない。

「セリファ。ホントに鍵持ってないの?」

「うん。もってないよ」

セリファのぬいぐるみを抱きしめたまま済まなそうに呟く。

グライダは好奇心から近くの医者に、

「あの。魔物ってどういう奴なんですか?」

「何でも……全長十メートルはあろうかという毛むくじゃらの奴らしいんだ。今は傭兵ギルドの方々が戦っているみたいだけど」

それを聞いたグライダは後ろを向いて手錠を突き出すと、間髪入れず叫んだ。

「これ切って! 早く!!」

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全身が十メートルもの巨大トカゲ。そんなものがいきなり迫ってきたら恐ろしくて仕方ない。その一角は大パニックに陥っていた。

逃げ惑う人と人とが押し合いへし合い、肝心の「逃げる」事すらままならない。

「皆さん、焦らないで! こちらへ!」

声を枯らして大声で怒鳴りながら市民を誘導しているのは傭兵ギルドのメンバーだ。

実は、眠っていた筈のイダシェが突然暴れて檻を叩き壊したのだった。コーランが止めに入ったが、そんなものを聞く事なく巨体に似合わぬ素早さで一直線に町の方へ。

皆はそれを追ってここまで来たという訳である。

しかし、イダシェの新鮮な血液が目的である以上、下手な応戦して余計な血を流させるのはご法度。魔法で眠らせる方法もあるが、その為には相手の動きを止める必要がある。他のメンバーは誘導で手一杯でそんな余裕がない。

一同はイダシェを遠巻きにして被害が少なくなるよう誘導し続けるしかなかった。

「一体どーすりゃいいんですか!?」

ギルドメンバーの誰かが怒鳴る。コーランは苦々しく舌打ちすると、

「今は威嚇して誘導。せめて人気のないところに……」

そこまで言った時、イダシェの尻尾がうなりを上げてコーランに迫っていた。

「ファンラン!」

彼女はとっさに自分の左脚に向かって叫んでいた。

ドガァァァン!!

コーランの立っていた辺りからものすごい音が響く。イダシェの尻尾がうなりを上げて襲いかかった結果だった。

そばの建物の一階部分の一角が完全に破壊され、見る陰もない。

「コーランさんがやられた……?」

魔族でも吹き飛ばされたイダシェの攻撃に、傭兵ギルドのメンバーは一瞬唖然としていた。

「ちょっと、勝手に殺さないでよ」

ふと、上の方からそのコーランの声が聞こえる。皆がそちらを見ると、細身の男が彼女を抱きかかえた格好で屋根の上に立っていた。

彼はコーランを屋根の上に下ろす。よく見るとコーランの左脚が消えていた。

「……ありがと、ファンラン」

コーランはその男に優しく声をかける。男の方はむすっとしたまま「気にするな」と、冷たく言い放つのみ。

でも、魔界最速を誇るこの男の事はよく心得ているので、特に気を悪くした様子もない。

彼の姿がかき消えると、コーランの左脚はいつのまにか元通りになっていた。

そう。ファンランは魔術によって、喪われた彼女の脚を補っているのだ。

「コーランさん! ご無事で!!」

不意に下からクーパーの声が聞こえた。隣にはシャドウも一緒にいる。

「……あれが魔界の生物イダシェか。イダシェの新鮮な血液は薬になると聞くからな。おちおち反撃も出来ないか」

ゆっくりとした足取りで歩き去るイダシェの後ろ姿を見たシャドウが言った。

「わかってるなら話は早いわ。手伝って」

屋根の上から飛び降りたコーランが二人に言った。

そこに傭兵ギルドの一人が近寄ってきた。

「コーランさん。ちょっといいですか?」

「何なの?」

「さっき、イダシェの頭に変なモノがついてるのを見たんですけど」

「変なモノ?」

詳しく話を聞いてみると、人間でいう額の辺りに見慣れないモノがついていたらしい。

それを聞いたシャドウが望遠レンズで見てみると、大きめのサークレットの様なモノが張りついているのが判った。

「遺跡から盗まれたと云う『貴重な物品』の一つに間違いはなさそうだな」

「それが原因で操られているに違いないですね。一度寝たらなかなか起きないイダシェがいきなり暴れたんですから。何か裏があるとは思ってましたが……」

シャドウとクーパーが簡単に今回の仕事の内容を説明する。コーランは、

「なるほど。操ってる奴を探す方が早そうね。だけど、イダシェの事もあるし、誰が行くにせよ……」

傭兵ギルドのメンバーに頼むわけにもいかない。しかし、イダシェを取り押さえるのに人手が足りない今、自分が抜けるわけにもいかない。

そんな時、なぜかイダシェは急に止まってしまった。だが、またいつ動き出すかは判らない。今のうちに何か妙案でも浮かべば良いのだが、なかなか浮かんでこない。

苛立ったコーランは転がっていた小石を蹴っていた。

「それにしても、バーナムはこんな時に何してんのよ!」

 

そのバーナム――バーナム・ガラモンドは、ただいま戦闘の真っ最中だった。悲鳴と怒号がかすかに響いてくるこのビルの屋上で。

「貴様、そいつを返せ!」

相手の男は鋭く短剣を突き出してくる。が、簡単にそれを見切ったバーナムは余裕を見せてかわすと、わざと大きなモーションで相手を殴りつけた。

「返せって言われてもなぁ。それに、そこはオレのお気に入りの昼寝スポットなんだ。お前がどけよ」

高い場所で邪魔が入らない上に、この時間帯は隣の高いビルの影が下りてきて涼しいのである。

だが来てみると、この男が「お昼寝スポット」に立ったまま巨大トカゲを見つめ、腕輪をさすっていたのだ。

その男が腕輪をさすりながら何やらぶつぶつ言う度に、遠くの巨大トカゲが暴れ出すのだ。まるでリモートコントロールのように。

このまま暴れられたらおちおち昼寝もできやしない。そう思って背後から蹴り飛ばして腕輪を奪い取ったのだ。

「訳の判らない事を言ってんじゃねえ!」

相手のナイフ捌きはなかなかのものなのだが、相手が悪すぎた。バーナムは腕輪をひらひらさせながら、

「この腕輪か? こいつであの化物操ってんだろ? 自分の住んでる町をぶっ壊されんのはゴメンなんでな」

口ではそう言うものの、昼寝の邪魔をされたくないのが本音である。

細かな細工が施された豪華な腕輪を片手でもてあそびながら、次々と繰り出される攻撃をかわす。

「く、くそっ!」

男は躍起になって短剣を振り回すが、かすりもしていない。見切られているどころか舐められてすらいる。

「……悪い。時間がないんでな」

そう言ったバーナムは膝を鋭く相手の腹に叩きつける。くぐもったうめき声を上げ、男は気を失った。

バーナムの手には豪華な腕輪が一つ残るのみ。それを無関心な目で見つめていた。

「……さて。どーすっかな、こいつは」

 

「……だめだ〜。何でできてるんです、この手錠は?」

グライダの手錠を外そうといろいろやっていた医者だが、ついに音を上げた。彼の足元には借りてきた鋸やら錠前を切るカッターやらが転がっている。それらの刃はもう二度と使い物にならなくなっていた。

「知らないわよ」

グライダもその手錠のあまりの硬度に呆れていた。しかし、そこでふと思いついた事があった。

彼女の右手には、総てを焼き尽くす炎の魔剣・レーヴァテインが宿っている。彼女の意志で自在に姿を現わすのだ。

だが、もう「剣」という形はなく、「レーヴァテイン」という力そのものの存在である、とコーランが言っていた。

グライダ自身はそういったコーランの説明にもピンと来なかったのだが、重さのない粘土のようなものと思えという注釈を受けてはいる。使う時に「剣」の形を思い浮かべろ、とも。

つまり、彼女がその気になれば「槍」にもなり「弓」にもなる。まさしく変幻自在の究極の武器となるのだ。

実際にやった事はなかったが、これを「塊」として呼び出し、その熱で手錠を溶かすつもりだった。

幸いグライダはあらゆる魔法が効かない特異体質。魔法的な力であれば熱とて熱くはない。

そうと決まれば話は早い。彼女は目を閉じ、自分の右手に意識を集中させる。

右の掌に黒い光の塊が出現し、手錠を一瞬で蒸発させる……筈だった。

「いっっっっだぁぁぁぁぁぁぁぁあっっ!!」

グライダはものすごい悲鳴を上げてその場にくずおれた。そばにいたセリファがその大ボリュームの悲鳴で目を回しそうになったほどだ。

グライダは涙をボロボロと流し、あうあうと声にならない声を上げていた。その衝撃で思い出した事が、一つ。

グライダの左手には、総てを清める光の聖剣・エクスカリバーが宿っている。これも彼女の意志次第で自在に姿を現わすのだ。

だが、こちらもレーヴァテイン同様「剣」という形ではなく、「エクスカリバー」という力そのものの存在である、とコーランが言っていた。

その為、互いの手が近い距離で剣を出そうとすると、もう一方の力が反発して打ち消しあおうとする。その衝撃が彼女に「痛み」を与えてしまうのだ。

コーランの言っていた事を痛みと共に思い出し、歯噛みする。

「これじゃ剣が出せないじゃない!」

 

「お。何やってるんだよ、お前ら」

動かなくなってしまったイダシェの前で「どうしたものか」と手をこまねいている一行の前にバーナムがやってきた。

「バーナム! どこに行ってたんですか!」

思わずクーパーが声を荒げてしまう。バーナムはそんな彼を無視して、

「コーラン。この腕輪、何だかわかるか?」

そう言って、さっき手に入れた腕輪を放ってよこす。

「この腕輪を何処で手に入れた?」

シャドウがバーナムに尋ねる。彼が先程の男の事を説明すると、

「わかった。じゃあその男はこっちで捕まえましょう」

話を聞いていた傭兵ギルドのメンバー数名がそのビルの屋上に走っていく。

それを何気なく見送ったあと、一同は動かなくなったイダシェを見上げつつ、

「……いつまでもここにこうしてる訳にゃいかねぇぜ、どーすんだよ、コーラン」

「そうね……。とりあえず、その腕輪を使って誘導しちゃいましょう」

イダシェの額に張りついているサークレットのような飾り物。それをつけられた者は、この腕輪の力で操られてしまうのだ。

コーランはすっと腕輪をはめた。その途端、身動きしなかったイダシェが突如動きだし、一目散に走り出したのだ。それこそ止める隙もなかった、素早い動きだった。

おまけに何故か腕輪の魔力も受けつけない。まるで何かに引き寄せられるように一直線に駆けて行く。

実は、病院内でレーヴァテインとエクスカリバーのエネルギーがぶつかりあったのを感じたからなのだが、そんな事はコーラン達には判らない。

「あの方向には病院があります!」

追いつけないとわかっていても追いかけながらクーパーが叫ぶ。

「まずいわ。あそこにグライダが入院してるのよ」

「入院? 身体の具合でも悪いのか?」

「……検査入院なんだけどね。いや。健康診断かな」

コーランとシャドウの会話の間にも一行はスピードを一気に上げる。しかし、所詮は人間レベル。イダシェには追いつける筈もなし。

ついにイダシェは病院にたどり着いてしまった。急に止まれなかったので遠慮なく壁をぶち割ってしまっていた。

「……遅かったですか」

荒い息を吐きながら肩で息するクーパー。その顔には食い止める事ができなかった悲しさと悔しさがにじんでいる。

イダシェは首を建物に突っ込んでいた。おまけに外に残された手足や尻尾をばたばたとやって暴れている。これではうかつに近寄れない。

そんな時だった。いきなりイダシェがじたばたと逃げるように後退して首を抜いたのは。

 

コーラン達が到着する少し前。

グライダはどうやっても切れない手錠に。そして、こんな手錠をしていったコーランに苛立ちすら感じていた。

「セリファ、コーランの携帯に電話かけて、大至急こっちに来てもらって!」

それを聞いた医者は「最初からそうすればいいのに……」と小声で言っていたが、全く聞こえていないようだった。

セリファはぱたぱたと小走りで公衆電話に走っていく。

だが、それから数秒もたたないうちにセリファが走っていった先でものすごい轟音が響き、建物がぐらぐらと揺れた。腕が使えないグライダはバランスを崩して転んでしまう。

医者に支えられてどうにか立ち上がったグライダが見たものは、病院の通路で倒れているセリファの姿だった。

さっきの轟音は、何かが建物の壁を突き破ったものらしい。その破片がセリファを打ちのめしたようだ。

「セリファ!?」

転びそうになりながらも慌てて彼女の元に駆け寄る。

「セリファ、しっかりして! セリファ!?」

大声で呼びかけるが返事はない。

セリファの全身には細かな破片が叩きつけられたようで、顔や手足のあちこちから血が滲んでいる。

医者がグライダを押し退け、セリファの様子を見る。単に気を失っただけとわかり、それをグライダに知らせるが、彼女の耳には入っていなかった。

「……この子をお願い」

グライダは押し殺した声でそう言うと、建物に首だけ突っ込んでもがいている巨大トカゲを睨みつけた。頭だけでも彼女より大きい。

建物が揺れた原因は、こいつに間違いない。

今の彼女の頭には剣が出せない事も相手との体格差も何もなかった。あったのは、

「こいつは絶対に許さない」

という澄んだ闘気と鋭い殺気だけだった。

そんな雰囲気をまき散らしたまま仁王立ちになる。

そのまま、今度は両手に意識を集中させる。

右手からレーヴァテインの黒い光の塊が浮かび上がる。

左手からエクスカリバーの白い光の塊が浮かび上がる。

二つの力が反発しあい、さっきとは比べものにならない激痛がグライダの全身を容赦なく駆け抜け、痛めつける。

それでも、無言で歯を食いしばって耐えていた。ともすればそれだけで意識がなくなりそうな程だ。だが、グライダは耐えていた。

今し方のセリファの顔が。血まみれになった身体が、彼女の脳裏に焼きついて離れないのだ。

(あんたのせいで……セリファが。セリファが……!!)

ギリギリと音がするくらい歯を食いしばり、吹っ飛んでいきそうな意識を繋ぎ止める。

黒い光と白い光が彼女の手の内で激しく火花を散らし、スパークする。

そんな時だった。急に激痛が消し飛び、右手にずしりとした棒状の物体と重さを感じたのは。

同時に戒めていた手錠の感触も消え失せた。

グライダはそこで初めて棒状の物体を見た。

それは、琥珀色に輝く刀身を持った長剣だった。普段グライダが使っているレーヴァテインやエクスカリバーの数倍はあろうかという長さであり、刃幅の剣である。

剣の柄もその長い刀身を支える為にかなり長い。

とても片手では支えきれずに両手で持つと、剣というよりも槍という感じがした。

グライダは向こうに見える大トカゲをギロリと睨みつけると剣の切っ先を相手に向ける。

「くたばれぇぇぇぇぇぇええっ!!」

グライダは何も考えずに、その大トカゲめがけ突進していった。その鬼気迫る殺気と迫力。そして何より剣から発する膨大な魔力に気圧された大トカゲがじたばたともがきながら首を引っこ抜いた。

グライダは構わずそのまま駆け抜けて間合いを詰め、体当たりするように剣の切っ先を叩きつけた。

だが、いつもの剣ではないために加減が上手くいかなかったのか、額に張りついていた妙な飾りを壊したのみだった。

「このぉっ!!」

彼女がふらふらとしながらも剣を振り上げて止めを差そうとした時、コーランがいきなり割って入った。

「グライダ、止めなさい!」

鋭く制止するがまるで聞こえていないらしく、剣を振りかざして突進しようとする。

「グライダ! 自分を見失っちゃダメ!」

その声ではっと我に返る。同時に手にしていた剣がすぅっとかき消えていく。

自分を羽交い締めにしているコーランにようやく気づき、

「何なの、こいつは……」

はぁはぁと肩で息をし、気絶して再び動かなくなった大トカゲ――イダシェの姿を見ている。

「とにかく、こいつを止めてくれて有難う、グライダ」

急に疲れが押し寄せ、コーランはグライダにしなだれかかった。

 

グライダが退院した日、一行は魔界の治安維持隊の所に呼び出され、所長のナカゴから事情の説明を受けた。

ただ、そのナカゴは頭に氷嚢を乗せたままだった。風邪がぶり返したのに無理して出勤していたのである。

説明によると、バーナムが倒したという男が総ての発端だった。

トレジャーハンターを気取って魔界の遺跡に侵入し、いくつかの宝を「無断で」持ち出した罪で魔界で手配中の男だそうだ。

手に入れたお宝を換金しようとしたが手配が回っていたので、せめて使ってみようとしたのだろう、というのが魔界の治安維持隊の見解で、マスコミにもそう発表された。

「今回は、グライダさんのおかげですね。暴れていたイダシェを一発で黙らせてしまったんですから」

クーパーがしみじみと感心したように呟く。これで彼女の武勇伝に新たな物語が加わったわけだ。

「人界の人間が魔界の生き物を黙らせるなんて前代未聞よ」

コーランは感心というより呆れている。

「結局、ろくろく出番なかったぜ」

目立てなかったバーナムが悪態をつく。

「だが、彼女があの時持っていた剣は何だったのだ? あれは彼女の持つ二つの剣ではないぞ」

シャドウがあの時の琥珀色の剣を思い出していた。グライダ自身も「いつの間にか出てた」としか言わないし覚えていない。だが、クーパーが、

「そうですねぇ。まるで神が使うと云われている神剣『オルタネイト』のようです」

何かを思い出したようなその口振りに、一同の視線が集中する。

「それって、確か二つの力を合わせた魔法剣の事よね?」

コーランが自身の記憶にあった単語の説明文をそのまま話す。

普通の剣に魔法をかける剣法は、魔界では割とポピュラーである。

自分が生まれつき持っている、詠唱のいらない魔法を使う古式剣法。

生まれつきのものではない、詠唱のいる魔法を使う新式剣法と、大きく二通りに分けられる。

それでも実戦での実用面を考えると、二つ以上の魔法をかける程の余裕はなかなかないし、ほとんどは後からかけた魔法が優先されて、先にかけた魔法の効果が打ち消されてしまうので意味がないのだ。

だから、理論上は二つの魔法を同時に剣にかける。もしくは魔法の力を融合させて剣の姿へと変えるのだが、人界魔界含めても「人」のレベルでそういった事ができる者はごく少数だろう。

「ええ。またの名を『聖魔剣』。二つの異なる力を融合させた魔法剣と云われています」

クーパーはグライダの方を見ると、

「グライダさんの『炎の魔剣』と『光の聖剣』のいわば融合ですから。『オルタネイト』と称してもいいのではないでしょうか」

その説明に皆が納得する。しかし、当のグライダは、

「威力は強そうだけど、毎回毎回あんな痛い思いするのはゴメンだわ」

もうこりごりといった感じでソファの背に身体を預けた。

そして、疲れたように小さな声で呟いた。

「もう一回できるかどうか、わかんないしね」

説明
「剣と魔法と科学と神秘」が混在する世界。そんな世界にいる通常の人間には対処しきれない様々な存在──猛獣・魔獣・妖魔などと闘う為に作られた秘密部隊「Baskerville FAN-TAIL」。そんな秘密部隊に所属する6人の闘いと日常とドタバタを描いたお気楽ノリの物語。
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