艦これファンジンSS vol.25「初陣・秋月の戦い」 |
碧い海。蒼い空。白い雲。
天空と海面が織り成す一筋の水平線の彼方を、彼女はじっと見つめていた。
敵が、来る。ついに、来るのだ。
その予感が胸の高ぶりとなって鼓動を速くする。
とくんとくんと脈打つ拍動が自分自身の身体から、その身にまとった鋼鉄の艤装にまで伝わっていくように感じた。
その証拠に、手にした砲はかすかに震えているではないか。
彼女は、海面に立っていた。
身にまとうはセーラー服にも似た衣装、そして冷たい鋼の艤装。
年の頃は十四、五に見えたが、そのありようからしてただの女の子ではない。
艦娘。人類の脅威、深海棲艦に対抗しえる唯一の存在。
いずれ水平線の彼方に敵影を見出し、それに立ち向かうときが来る。
そのときに彼女に期待される役割は大きい。
蒼空の果てから飛来する雲霞の群れを蹴散らすことこそ、その役目。
自分は、そのための、特別な艦娘なのだ。
砲を、構えてみる。通常の駆逐艦よりも長く、そして仰角の大きい連装砲。
空に狙いをつけたその砲が震えているのを見てとって、彼女は息を吸った。
ようやく震えが止まり、安堵する。
だいじょうぶ。これは武者震いだ――そう、彼女は思うことにした。
訓練どおりにやれば、きっとうまくいく。
そのために練成を積んできたのではないか。
自分に言い聞かせるその言葉は、しかし、どこか頼りなげだった。
駆逐艦、「秋月(あきづき)」。
それが彼女の艦娘としての名前である。
「深海棲艦」という存在がいつから世界の海に現れたのか、いまでは詳しく知るものはない。それは突如、人類世界に出現し、七つの海を蹂躙していった。シーレーンを寸断されて、なすすべもないように見えた人類に現れた希望にして、唯一の対抗手段。
それが「艦娘」である。かつての戦争を戦いぬいた艦の記憶を持ち、独特の艤装を身にまとい、深海棲艦を討つ少女たち。
艦娘であろうと、人間であろうと、初めての体験というものは存在する。それにうまく対処できるか、あるいは何を学び何を得るかは、本人の心の持ちよう次第だろう。どれだけ練習を重ねても、本番では何が起こるかは分からず、それゆえに実地の経験というものは後々の助けになるのだ。
とはいえ、その初めてを迎える者にとっては、一大事には違いなかった。
彼女が歩くと艦娘たちの視線が一斉に集まる。
それだけの実力と、そしてなにより、それだけの華を彼女は持ち合わせていた。
すらりとした長身、身体にぴったりと張りついた優美な衣装、整った面立ち。
そして、その身の艤装から張り出した巨砲、四十六センチ三連装砲。
過去の作戦で鎮守府本土近海での迎撃戦を戦い抜き、見事、艦娘たちの帰る場所を守った実績もある。それだけに、同行してきた艦娘たちの視線は俄然、熱くなる。
彼女――大和(やまと)がいれば、この戦いもきっと勝てる、と。
(くすぐったいですし、おもはゆいですし――正直、期待が重いです)
大和自身はというと、そんなことを考えながら歩いている。
この場所――トラック泊地にすべての艦娘が集まっているわけではない。
鎮守府から派遣されたのは半数に満たない。
選りすぐりの精鋭であるとはいえ、全戦力というわけではないのだ。
勝つこと、生き残ることを考えれば、もっと戦える艦娘がほしい。
大和は最強の艦娘だといえる。その火力も、装甲も、耐久度も、他の何者もの追随を許さないだろう――たとえ、あの艦隊総旗艦であったとしても。彼女がこの作戦に投入されたのも、トラック泊地をなんとしても守りきるという提督の強い意志の表れだし、それには応えたいと思う。
とはいえ、いかに鎮守府最強戦力とはいえ、艦隊一個分の働きをするわけではない。
大和単独で敵である深海棲艦を蹴散らせるわけでもなかった。
なにしろ、敵は海の底から、それこそ湧いてくるように現れるのだから。
記憶にある、あのとき、戦艦としての大和を沈めたあの相手のように――
――敵の数は常にこちらよりも圧倒的なのだ。
(いけない、いけない。弱気になっちゃ)
大和はかぶりを振って、己の中の怯懦を追い払った。
艦娘は、元になった軍艦の記憶を受け継ぐ。
大和のそれは、あまりにも悲劇的だったがために、艦娘である自身もしばしば引きずりこまれそうになる。それは悪い癖だと、あの人に指摘されるところだった。
(わたしが担う期待の重さよりも、あの人が背負うものの方がずっと重い)
それを考えると、彼女は、まだ自分が艦隊総旗艦に遠く及ばないことを自覚する。
その艦隊総旗艦に、伝えなくてはならないことがある。
大和は軽く息を吸うと、臨時司令室の扉をノックした。
扉をノックすると、「入れ」と短く、凛とした声が返ってきた。
自信と気力に満ち充ちた声。威厳さえ感じさせる声だ。
「失礼します」
大和がそう声をかけて、扉を開けると、室内にいたのは長い黒髪の艦娘だった。
端整な顔立ちだが、大和のような華よりも、鍛え上げた刀を連想させる。
声と同じように、いずまい、表情からは、どこか武人の面持ちが感じられた。
艦隊総旗艦、長門(ながと)。艦娘たちのまとめ役であり、精神的支柱である、そしてこのトラック泊地防衛戦では、この場にいない提督の代理でもあった。
机に広げた図面を見ていた長門は、大和の表情を見るや、ふっと笑みを見せて、
「良い知らせのようだな」
そう、言葉を発した。それに大和もこくりとうなずいてみせる。
「はい。那珂(なか)の率いる水雷戦隊がトラック諸島を封鎖していた敵潜水部隊の排除に成功しました。敵部隊の中枢は完全沈黙、残存の部隊も引き上げていきます」
てきぱきと報告をした大和は、少し表情をやわらげて、付け加えた。
「あと、那珂から伝言です。『この役目をくれてありがとう』、と」
その言葉に、長門がふうっと大きく息をついて言った。
「礼なら提督に伝えるのだな。那珂を序盤の作戦に投入するのは、提督自身も強く望まれていたことだ」
長門が図面に目を落とす。そこに描かれたトラック諸島をこつこつと指で叩きながら、彼女は言った。
「軍艦としての那珂はここで沈んでいる――MI作戦がそうだったように、提督は艦娘たちが背負った悲しみの記憶を乗り越える機会を与えてくださっているのだよ。だが、それはおのれの記憶と向き合うつらい覚悟がいる」
長門の声は淡々としながらも、どこか沈痛な色が混じっていた。
「しかし、そうか――那珂は打ち勝ったんだな」
「ええ。あの子、ちょっと泣いてましたよ」
大和がそう伝えると、長門は薄く口元で笑んでみせた。
「『アイドルはいつも笑顔だよ』、と広言してはばからないあの子が、か」
そう言うと、長門はきりと表情を引き締めた。
「まだ空襲は始まっていない。先の先を取るぞ――かねてからの編成に従い、邀撃部隊はただちにトラック泊地を出発。敵予想進路を避けて横合いから敵機動部隊を衝け」
凛とした声で指示を出すのに、大和がうなずいてみせる。続けて長門は言った。
「邀撃部隊とタイミングを見計らって、迎撃本隊である連合艦隊も出撃する。編成予定の者はただちに出撃準備に入れ――大和、お前も伝達が済んだら、準備にかかれ」
その言葉に、大和は敬礼して応えてみせた。
「了解しました」
そんな大和に、長門は歩み寄って、ぽんと肩に手を乗せた。
「連合艦隊は水上打撃部隊での編成だ。わたしやお前の腕の見せ所だぞ――伝令役、すまないな。本来はお前に任せる仕事ではないんだが、あの大和が来ているということは、艦娘たちに知らせておきたくてな」
その言葉に、大和は、はにかんで答えた。
「ちょっと、みんなの視線がくすぐったいですけどね」
「それだけ、お前は皆の憧れだということだ――そうだ、そんなお前だからこそ、もうひとつ頼まれてくれないか」
「なんでしょうか?」
小首をかしげてみせる大和に、長門は言った。
「邀撃部隊に初陣の子がいただろう。彼女を励ましてやってくれ」
「わたしで――いいんですか?」
大和の問いに、長門はこくりとうなずいてみせる。
「ああ、わたしよりも、お前の方がより適任だろうと思う――彼女にとっては」
「わかりました。たしか、その子って……」
「防空駆逐艦の役目を担った、秋月だよ」
トラック泊地は、深海棲艦に対抗すべく人類が築いた反攻拠点のひとつである。
かつての戦いでも基地化されていたこの環礁は、深海棲艦との戦いが始まってから再び戦略要地としての価値が見出され、艦娘たちが補給や整備を行える施設を擁していた。
ここを失えば、人類側は確保した制海権は後退を余儀なくされ、中部海域まで進出していた前線は押し戻されることになる。
とはいえ、敵の大規模な攻撃に際して、いったん泊地を放棄すべきとの意見が出されたのも事実であり、帝都の大本営内部から鎮守府の提督も巻き込んで、積極派と撤収派が激しく対立したところは艦娘たちの知るところではない。
最終的に提督が下した判断は、トラック泊地防衛であり、そうと決まれば戦場に赴くのが艦娘の役目だ。
いままさに、トラック泊地から、六条の白い航跡が東へ向かって伸びていく。
敵に先んじてこれを強襲し、戦力を削り取ることを目的とした、邀撃部隊である。
前哨戦の対潜作戦とは違い、本格的に敵と最初にぶつかる彼女たちは、いわば一番槍であり、それがゆえに精鋭中の精鋭が選ばれているはずだった。
「とはいってもさあ、結局、露払いってことよねえ」
海面を滑らかに駆けながらも、不満げな声でその艦娘はぼやいた。
弓道着に似た衣装。腕に装備した飛行甲板の艤装。二つに結わえた銀の髪。
面立ちは快活さが先に立つものの、ともすれば感情が豊かにあらわれるのだろう。
航空母艦の瑞鶴(ずいかく)である。
「そんなことをいってはだめよ」
たおやかな声がそうたしなめる。長く伸ばした透けるような銀の髪は瑞鶴とお揃いだ。より落ち着いた印象を与えるのは、感情表現豊かな妹をもったがためであろうか――瑞鶴と並んで海を駆けるのは、姉の翔鶴(しょうかく)である。
「本隊が敵中枢を叩くための大事な役回りだもの。おろそかに考えてはいけないわ」
「でも翔鶴姉! わたしたち、いっつもこんな役回りじゃないの。一航戦の加賀さんは連合艦隊に加わる予定だっていうし、わたしたちに本隊まかせてもらっても――」
愚痴をこぼす瑞鶴に、翔鶴はくすりと微笑んでみせた。
「瑞鶴ったら、本当に加賀さんのことが好きなのね」
そう言われて、瑞鶴の顔が途端に真っ赤になる。
「そ、そんなことないし! 気にしてるだけだし!」
「はいはい、気になって仕方がないのよね」
翔鶴にたたみこまれて、瑞鶴は顔を真っ赤にして口をつぐんでしまう。
そんな彼女に、一同の先頭を行く艦娘が、陽気な声をかけた。
「ヘイ、瑞鶴! この編成は提督の発案と聞いていマス。ワタシたちが選ばれたのはちゃんと理由があってこそですネ!」
独特の訛りのあるイントネーション。巫女装束に似た服、潮風になびく長い栗色の髪。その艤装には大きな砲が装備されていて、ひとめで戦艦と分かる。ただの戦艦ではない。高速戦艦の金剛(こんごう)であった。
「そうです。お姉さまをはじめとするわたしたち金剛型の快速と、瑞鶴さんたちの速さがこの邀撃部隊には必要不可欠だとわたしの分析でも出た結論です」
金剛の後を引き取って、眼鏡をきらりと光らせながら言った艦娘は、姉妹艦の霧島(きりしま)である。肩でふっつりと切った短い黒髪が、姉の金剛とは別種の快活さを感じさせる。
「そうデース! 敵と正面からぶつかるなんてフールですネ! わたしたちは敵を見つけ次第、ぐーっと回り込んで、側面から襲いかかりマース! 風のように素早く迫って、深海棲艦の空母を沈めるだけ沈めて、風のように去っていくデース!」
「ええ、それでこその高速編成、それでこそのわたしたち。いわば、選りすぐりです」
人差し指を立てて力説する金剛に、霧島がうなずいてみせる。
そんな二人に、苦笑交じりの声がかけられる。
「はは、そんなメンツに選ばれて、うちは光栄ってことかいな」
二つに結わえた茶色の髪。トレードマークのサンバイザー。小柄な身体の脇には巻物を広げてできた飛行甲板。かざす指には紫の炎と「勅令」の文字。
軽空母の龍驤(りゅうじょう)である。いままさに艦載機を展開中であった。
「うち、そんなに瑞鶴はんたちほど足が速いわけやないけどなあ」
龍驤の声は、ぼやきというほどでもなかったが――
――それでも、先輩に何か声をかけたくて、彼女は口を開いた。
「龍驤さんは、索敵の名人だとうかがっています! あの北方編成では提督の窮地を救ったとも! きっと、その腕を買われてのことですよ!」
その声は自分でも思いがけないほどはずんでいた。
彼女――秋月の言葉に、龍驤をはじめ、金剛たちも瑞鶴たちも一斉にこちらを向く。
皆の視線を集めて、秋月は思わず顔が赤くなるのを感じた。
何か自分はおかしなことを言ったのだろうか。それとも、尊敬する先輩達の会話に新参者が割り込むのは無礼だったろうか。そう思った矢先。
ぷっと龍驤が吹き出し、続いて、からからと笑い出した。
「あははは、あかん、秋月はん、それは褒めすぎや。こそばしゅうてかなわん」
龍驤に続いて、他の艦娘たちもくすくすと笑い出す。
「秋月は素直な良い子デスネー」
金剛が笑いながら言うと、翔鶴が続いて、
「あなただって、その腕を買われてここに加わっているんですよ?」
そう言って、ふっと目を細めてを浮かべて秋月を見つめた。
「艦隊防空の腕前、期待してますからね?」
翔鶴の言葉に、秋月はしゃきっと背筋を伸ばした。
すうとひと呼吸すると、胸元に手を置いて、きっぱりとした声で、
「はい、お任せください! 敵の艦載機は皆さんには近づけさせませんから!」
そう、言いきってみせた。
秋月の言葉に、金剛が親指を立ててみせ、霧島が眼鏡を直してそのレンズをきらりと光らせる。翔鶴と瑞鶴はというと、お互いに顔を見合わせて、口元をほころばせる。
龍驤は、苦笑を浮かべながら、秋月に向かって言った。
「気持ちは分かるけどな。もうちょい肩の力抜いたほうがええで?」
「そうでしょうか……そんなふうに見えますか」
「まあ気合が入ってないよりはええけどな――」
不思議そうに問い返す秋月の顔を見て、龍驤はやれやれとかぶりを振った。
「――秋月はん、今回が初出撃やろ?」
そう言われて、秋月は思わずうつむいてしまった。
言われるとおりだ。
秋月にとって、実戦は今回が初めてなのだ。
自分の練度はかなりのものだという自信はある。
実際、そうでなくては、この邀撃部隊に採用されなかっただろう。
だが、普段の鎮守府の作戦において、敵の機動部隊とまともにぶつかる機会は少ない。艦載機の消耗を提督が避けているためだ。空母陣の練成はどうしても訓練が主となる。
秋月が普通の駆逐艦であれば問題はなかったろう。
だが、自分は、艦隊防空に特化した駆逐艦なのだ。守るべき味方艦隊と、押し寄せてくる敵艦載機、その両方がいてこそようやく真価を発揮する。
演習で何度も同じ艦娘どうしで実戦さながらの訓練を重ねてきた。その自負はある。
ただ、それでも、龍驤の言う通り、本当の実戦投入は今回が初めてなのだ。
秋月は、きゅっと歯をかみ締めた。
そうしないと、また身体が震えてきそうだった。
だいじょうぶ。自分ならきっとできる。
怖いわけじゃない。これは気が昂ぶっているだけだ。
数呼吸の間に、そう思い直し、秋月はきりとした眼差しで言った。
「たしかに初陣ですが、敵に遅れをとるつもりはありません――皆さんの頭上は、わたしがきっと守ってみせます」
秋月の言葉に、龍驤は何か言いたげではあったが、ふうと息をついて、
「そっか。それなら、まあ、がんばりや」
それだけ言って、展開している艦載機の方に思念を向けたのか、黙ってしまった。
彼女の横顔を見て、秋月は心中にもやもやした雲が立ち込めるように思えた。
龍驤は自分と同じ艦隊なのが不満なのだろうか?
こんな新人では艦隊の守りは預けられないというのだろうか?
そう考えていると、つい、と瑞鶴が自分のそばに寄せてきた。
「――ちょっと心配性なだけ。あなたは、あなたにできる戦いをしなさい」
朗らかな声でそう言われて、秋月は立ち込めた雲が晴れていく気がした。
「ありがとうございます――だいじょうぶです。やれます」
「そういえば、出撃前に大和さんから声をかけられていたわね」
瑞鶴の言葉に、秋月はうなずいた。
「はい、『邀撃部隊の守りの要は、この秋月だ』と言ってくださいました」
自分で言ってみて、思い返すと、萎えそうになった自信がみるみる勢いを取り戻していくのが感じられた。大和の言葉、あの声を思い返すだけで、胸が高鳴った。
「そんなふうに言って頂けるなんて、望外の栄誉です。大和さんの期待に応えられるように、精一杯頑張らせて頂きます!」
「――大和さんからは、それだけ?」
瑞鶴が首をかしげてみせる。
そこで秋月は、励まし以外にもうひとつ言葉をもらっていたのを思い出した。
「ええと……記憶に囚われないように、と。『あなたはあなたであって、あの秋月そのものではないのだから』と、そう言ってました」
大和の言葉を思い出しながら、秋月は自分でも怪訝な顔になるのを感じた。
「なんのことなのか、よく分からないのですが……」
「そう、大和さんが――そうね、あの人らしいアドバイスだわ」
「アドバイス……なんですか?」
秋月は眉をひそめてみせると、つとめて明るい声で瑞鶴に言った。
「でも、わたしはかつてと同じように、瑞鶴さんの空を守る役目を任せられて、とてもうれしいです――だから、今回の戦いも、おまかせください」
半分は自分を勇気づけるための、半分は瑞鶴に安心してもらうための言葉だった。
それが届いたのか、あるいは届かなかったのか――瑞鶴は一瞬だけ表情を翳らせると、次の瞬間には笑みを浮かべて、秋月の肩にぽんと手を置いて、言った。
「……うん、ぴんと来ないなら、いまはそのほうがいいかも」
「えっ?」
「なんでもない。がんばろうね」
瑞鶴がそう言った矢先。
「――敵影見ゆ!」
艦載機に思念を集中させていた龍驤が緊張した声をあげた。
「進路前方、十時の方角に敵機動部隊を発見! こりゃ、えらい数や!」
「進路維持しての接触予定は?」
霧島の問いに龍驤が答える。
「三十分後の模様!」
その言葉に、瑞鶴と翔鶴がきりと顔を引き締め、金剛がにやりとしてみせた。
「見つけたらこっちのものデース。全艦隊、面舵ですネ!」
金剛が高らかに声をあげ、ばっと右手をかざした。
「敵の左側面から仕掛けマース! 主機全速、見つかる前にアタック開始ネ!」
その号令に、秋月も続く。
鼓動が速くなるのをを感じつつ、瑞鶴たちを守るように輪形陣の端に就く。
だいじょうぶ。ちゃんとやれる。がんばれる。
何度も、何度も、自分にそう言い聞かせながら。
「邀撃部隊が敵と接触した」
長門からのその報告に、大和は思わず息を呑んだ。
驚くことではない。むしろ接触してもらわないと困る。
だが、敵である深海棲艦を実際に発見したとなると、やはり緊張感は走る。
大和はトラック泊地の湾内を見回した。
二個部隊、合計十二人の艦娘。連合艦隊である。
「全艦隊、抜錨準備! 本隊も出撃するぞ!」
長門の号令に、艦娘たちがうなずく。
大和も、その巨大な艤装をひととおり、点検して、きりと顔を引き締めた。
東の方角に顔を向け、その水平線の彼方を見つめながら、大和はふと秋月のことを思い出していた。
表面上は、元気な声、明るい顔。
だが、その表情はわずかにこわばり、艤装もかすかに震えていた。
それを、大和は見逃さなかった。
初陣を前にして、どう満足のいく言葉をかけられるだろうか。大和が秋月にかけた言葉は、自身の経験もふまえて、考えた上での言葉だったが、それでもきちんと伝えられたかどうか。艦娘が初陣の際に体験するあの感覚は、結局のところは体験してみないと分からないものなのだ。
願わくば――邀撃部隊の艦娘たちが、あの子を支えてくれますように。
大和は、そう思わずにはいられなかった。
その頃、秋月たちは戦闘の真っ只中にいた。
最初に接触したピケットラインの水雷戦隊をまたたく間に蹴散らし、一同は第二陣の敵機動部隊へと急襲をかけていた。
「速攻デース! 敵の空母をできるだけ叩くネ!」
金剛の号令に皆が続く。
瑞鶴、翔鶴、龍驤が艦載機を放ち、無数の猛禽となって敵艦隊に襲い掛かる。
「―――――ッ」
秋月は、緊張で息が詰まる思いがした。対空電探が敵の艦載機を捉えている。
こちらの艦戦がある程度は防いでくれるだろうが、それでも突破してくる敵はいるだろう。そのときこそ、自分の出番といえた。
敵ピケットラインでの戦いは、空母陣のアウトレンジ攻撃と、戦艦の遠距離射撃で近づく前に勝負がついてしまい、秋月が体験する前に戦闘は終わってしまっていた。
だが、今回は違う。敵部隊はこちらに気づき、ある程度は迎撃の態勢を整えている。
秋月は海面を駆け、展開する瑞鶴たちの前に出た。
艤装の連装高角砲を構える。
蒼い空にぽつぽつと黒い点が現れ、瞬く間にその数が増えていく。
こちらの艦戦を突破した敵の艦載機だ。
秋月は、それをきっとにらみつけ、高角砲の狙いをつけた。
訓練のときと同じ。いや、あの訓練に比べれば、まだ与しやすい。
すう、と息を吸って、吐き出すのと同時に、秋月は砲撃を開始した。
連装砲が何度も何度も火を噴き、空に爆炎の華を咲かせる。
それに巻き込まれた敵艦載機が、一機、また一機と落ちていく。
弾幕が空を覆い、守りの壁となって敵艦載機を近づけさせない。
「――へえ、やるじゃないの」
瑞鶴が、そう感嘆の声をあげるのを、秋月は耳にした。
戦闘の高揚感もあって、その賞賛がなんともおもはゆい。
実戦とは、こんなものなのか――そのようにさえ、思える。
訓練どおりやれば、こんなもの、簡単じゃないか。
大和は何を懸念していたのだろう。龍驤は何を心配していたのだろう。
自分だって艦娘なのだ。かつての戦いの記憶を受け継いでいるのだ。
いまの戦いでだって、きっとうまくやれる。
「あのときのようには、いかせないんだもの――!」
我知らず、そんな言葉が口をついて出ていた。
あのとき? あのときとは、なんだ?
自分でも、不思議に思ったその時。
「――えっ!?」
秋月の対空電探が信じられないものを捉えた。
誤認かと思ったが、訓練で叩き込まれた動作が、すかさず声をあげさせた。
「二時の方角より敵艦載機接近! 新手です! 数は――いまの三倍!?」
自分の報告に、艦隊の皆の顔に緊張が走る。
瑞鶴と翔鶴がすかさず弓をつがえ、艦載機を繰り出す。
だが、秋月が目を向けると――見る見る間に蒼い空に雲霞の群れが広がり、こちらへ襲い掛かってくるのが見えた。
「三式弾装填! 防空戦闘準備ネ!」
金剛が声をあげる。焦りこそないものの、張り詰めた声。
秋月も向き直り、高角砲を構えなおした。
瑞鶴たちの艦載機が雲霞の群れへと飛び込んでいく。だが。
「来るッ」
艦戦たちの奮戦もむなしく、雲霞の群れが覆わんばかりに迫ってくる。
秋月は、連装砲で弾幕を張った。いくつもの爆炎が空に咲き、敵を叩き落す。
だが――それでも間に合わない。
瑞鶴たちが弧の字に回避機動をとり、敵艦載機をかわそうとする。
その航跡にいくつもの水柱があがるのを見て、秋月は歯噛みした。
弾幕が薄い――もっと、もっと、壁のように!
そうして、空を見上げたそのとき――スローモーションのように、それは見えた。
敵艦載機の一群が、翔鶴へ向けて急降下していく。
「――――ッ!」
秋月が声にならない声をあげ、高角砲を放つ。
一機落とし、二機落とし――それでも敵は来る。
奇妙な既視感があった。初めての実戦で、初めての状況なのに、おぼえのある感覚。
その時、痛みと共に、秋月の脳裏に何かの映像がまたたいた。
一瞬だけよぎった光景は、深い苦しみと、後悔を伴っていて、襲い掛かった。
秋月はぐっと目を閉じた。痛みをこらえるための咄嗟の行動だった。
だが、それが――誤りだった。
我に返り、再び目を見開いたそのとき。
敵艦載機が爆弾を落とす様が――そして翔鶴が避けようとしたその進路上に、もうひとつ爆弾が投下されるのが、はっきり見えた。
息を呑んだ次の瞬間、爆炎が翔鶴を包みこむ。
「翔鶴姉!」
瑞鶴の必死の声が響く。
この光景は――どこかで見た光景だ。秋月は呆然と、そう思った。
脳裏にいくつもの映像が瞬く。
マリアナ沖海戦。機動部隊を守っての大規模な海戦。
かつての戦いで、そこでも自分は空の守りを任され、そして。
――瑞鶴以外を守りきれなかったのだ。
身体の熱が瞬く間に凍てつく気がした。
喉に鉛でも押し込まれたように息ができない。
炎上していく艦の最期と、眼前の翔鶴が重なって見えて。
そこから、波のように記憶が押し寄せてきた。
その波に飲まれ、秋月が呆然としたまま飲まれそうになったそのとき。
――誰かが、自分の背中を思い切りはたいた。
「あほか! しっかりせいや!」
振り向くと、龍驤が寄せてきて、自分の背に平手打ちを当てていた。
「ほうけとる場合か! はよ艦載機を追い払わんかい! それがあんたの仕事やろ!」
龍驤にそう言われ、秋月はようやく我に返った。
爆炎の中から、瑞鶴が翔鶴を抱きかかえて水上を駆けるのが見える。
その頭上に敵艦載機。それを目にして、秋月がぎりと奥歯をかみ締めた。
これ以上はやらせない。その決意で、高角砲を何度も放つ。
そうして、戦いに意識を集中させようとしてなお――
秋月の脳裏からは、かつての戦いの記憶がちらついて離れなかった。
「フムム、やはり一筋縄ではいきませんネ」
金剛が難しい顔でそう言った。霧島が無言でうなずいてみせる。
新手の艦載機に手間取っている間に、交戦していた敵部隊は取り逃がしてしまった。
友軍の救援が目的だったのだろう、そのタイミングで新手の艦載機も引き上げた。
敵の只中とはいえ、いまはぽっかりと空いた凪の時間だった。
「翔鶴姉、だいじょうぶ?」
瑞鶴の言葉に、翔鶴は煤だらけながらも微笑んでみせた。
「ええ、あなたがすぐに駆けつけてきてくれたおかげよ」
そう言ってはいるものの、翔鶴の損傷は目に見えてひどかった。
特に航空母艦の命といえる飛行甲板が痛手を受けている。
「これじゃあ、開幕の航空攻撃は出せても第二次攻撃ができない……」
瑞鶴が悔しそうにつぶやく。
「なによ、あの新手は! もっと落とせていれば、翔鶴姉だって――」
瑞鶴の言葉に、秋月はびくりと肩をすくめた。
自分を名指しした言葉ではない。それでも、責められているように感じた。
実際、あのタイミングで翔鶴を守れたのは自分だったろう。
だが、間に合わなかった。
あの時、自分を襲ったあの感覚がなければ、守りきれたかもしれない。
あれはなんだったのか――ひととき戦闘は止んだ今でも、あの感覚はまだ心の中から引かず、淀んで渦巻いているように感じられた。
ふと気づくと――手が震えていた。
ずっと、武者震いだと思っていた。そう、思おうとしていた。
だが、あの感覚に襲われた今なら、はっきりと感じられる。
怖いのだ。守りきれないのではないか、救えないのではないか、ということが。
かつての戦いの、あの時と同じように。
「――うちらが最初に相手にしとったのが、たぶん軽母ヌ級が二体ってとこやな」
龍驤が、淡々と戦況分析をする声が聞こえていた。
「新手の方ははっきりせんけど、あの数からして空母ヲ級が二体か、ひょっとすると三体やな。戦力から考えて、たぶん新手の方が敵部隊の中枢と違うか」
その言葉に霧島がうなずいてみせる。
「ええ。おっしゃる通りだと思います。敵中枢を叩ければ、この深海棲艦の機動部隊は混乱し、本隊が突入するのも容易になるでしょう」
「ちょっと待って!」
瑞鶴が険しい顔で声をあげる。
「先に軽母ヌ級の部隊を叩くべきじゃないの? さっきの戦いで相手もダメージを受けているから、追撃をかければ殲滅するのは容易なはずよ」
「敵中枢に速攻を仕掛ければ、敵部隊全体を混乱させられます。先ほどの部隊にこだわる必要はないかと」
霧島が眼鏡を直しながらの言葉に、瑞鶴はかぶりを振ってみせた。
「ううん、たぶん敵の中枢部隊と、あの軽母の部隊は連携している。中枢に攻撃を仕掛けたら、背後から軽母の部隊の攻撃を受けるんじゃないかしら。それなら、先に戦力を削ってから敵中枢に仕掛けた方が――」
「その場合、中枢部隊が別の護衛部隊を呼び寄せることになるんと違うかな」
龍驤が眉をひそめて言った。
「こうして話している間にも、敵は集結しているかもしれん。中枢に素早く仕掛けて一撃を加えるか、それとも軽母の部隊を討って離脱するか、ってとこやな」
「――考えるまでもありませんネ」
それまで黙って皆の意見を聞いていた金剛が口を開いた。
「敵のヘッドを叩くべきデース。わたしたちはそのために来たのですカラ」
「でも金剛さん!」
瑞鶴がたまらず声をあげた。
「挟み撃ちの危険に遭うかもしれないのよ? 翔鶴姉が本調子じゃないのに……」
「あー。ええかな?」
龍驤が手を挙げて、言った。
「開幕の航空戦には翔鶴はんは参加できるはずや。飛ばした艦載機は瑞鶴はんか、うちが引き取ったらええ。最初の制空権さえなんとかできれば、あとは戦艦のお二人の火力でどうにかなるんと違うかな。少なくとも、正面の相手は」
「そりゃそうだけど、わたしが問題にしてるのはそれだけじゃなくて」
まなじりを吊り上げる瑞鶴に、龍驤は渋い顔をしながら、手を振ってみせた。
「わかっとるわかっとる、背後の備えやろ。そっちも敵の空襲さえしのげれば、なんとかいけるんやないの?」
「その通りだけど……何か、考えがあるの?」
怪訝そうな瑞鶴に、龍驤はにっと笑ってみせた。
その笑顔のまま、龍驤が秋月の方を向いてみせる。
視線を向けられて、思い悩むのに浸っていた秋月は、びくりと身体を震わせた。
「まあな、うちにちょっと策があるねん」
龍驤の顔は笑っていたが、秋月を見るその目は真剣そのものだった。
艦載機の群れが蒼空へと消えていく。
瑞鶴、翔鶴、そして龍驤が放った艦載機だ。
艦隊に先駆けて空襲を行い、可能であれば制空権を握る。
ただ、龍驤が放った艦載機がおよそ半分の数だった。
減ったわけではない。残したのだ。
「ほな、金剛はん、瑞鶴はん、ご武運を」
龍驤がぴしっと敬礼をしてみせるのに、秋月も揃って敬礼する。
二人に見送られて、金剛たち四人が進んでいく。
その航跡を見送りながら、ややあって、龍驤が大きくため息をついた。
「うちが提案しといてなんやけど、この状況、まんまソロモン海やなあ」
そう言うと、龍驤は秋月に顔を向けて、訊ねてきた。
「第二次ソロモン海戦、あんた知っとるか」
問われて、秋月は答えに窮した。かつての戦いの名前だとは分かる。
だが、詳細までは覚えているわけではない。
自分が受け継いだ記憶の中にあれば、話は別なのだが。
黙りこくってしまった秋月を見て、龍驤は特に気を悪くした様子もなく、
「まあ、なにからなにまで覚えておられんわな。あの頃は、いっぱい戦闘があって、いくつもの船が沈んで、たくさんの人が死んだんや。それこそ、数え上げるのも面倒になるぐらい、たくさん、な」
龍驤が巻物をしゅるりと広げる。巻物は飛行甲板になって、龍驤の傍らに浮かんだ。
「ソロモン海はな、うちが沈んだ戦いや。まあ、うちというか、うちの元になった艦の方やな。囮部隊として、軽空母のうちが一隻だけと、あと駆逐艦がいくつかつけられたんやけど――」
龍驤はきゅっと握りこぶしをかかげてみせると、ぽんと開いてみせた。
「敵の空母部隊にカモにされて、空襲にあって、どぼん、や」
龍驤の言葉は飄々としていた。いわば自分の最期を語っているようなものなのに。
なぜ、こんな話をこの人はするのか、秋月は不思議でならなかったが、次いで龍驤が自分の顔に向けた目を見て、その理由がわかった気がした。
彼女の目は、深く黒々としていて、一度ならず深淵を覗いた色をしていた。
「あんた、戦闘中に見えてしもたんやな?」
その声は責めるでもなく、怒るでもなく――淡々として、どこか優しかった。
「うちもな、初めての戦闘といわず、その後でも何度も見た。かつての自分の最期の光景をな。遂げられなかった思い、救えなかった命の重み、そういったもんがいっぺんに押し寄せてくるあの感覚をな」
「龍驤さんも、ですか――?」
「ああ。うちだけやない、実戦を経験した艦娘はみんなそうや」
そう言いながら、龍驤は式神の紙を手にした。残り艦載機はすべて艦戦だ。
「本来やったらな、もっと軽い作戦で『慣らし』をするのが普通なんや。ちょっとずつ体験させて、艦娘に記憶への耐性がつくようにする――もっとも、それが決まったのも、ここ最近の話ではあるんやけどな」
龍驤が式神をついっと滑らせる。
飛行甲板の上を滑空した紙は、またたくまに艦載機に転じて飛び立っていく。
「ただ、あんたの場合はいろいろタイミングが悪くて、そういうのがないまま、いきなりこんな大舞台が初陣や。まあ、なんというかな。分かっとったけど、前もって口で言ってもぴんとこんやろし、気合入ってるところにあんまり水差すのもどうかと思ったけど」
龍驤が、ふっと目を細めた。
「――大変やったね」
秋月を見るその眼差しは、いたわりに満ちていた。
そんな視線を向けられて、秋月はじわりと目に涙がにじむのを感じた。
龍驤は、初陣の自分の腕前を疑っていたのでなかったのだ。
ただ、艦娘なら誰もが経験する、あの記憶の波のことを心配していたのだ。
彼女だけではない。大和も言っていた。瑞鶴もたぶん気にかけていた。
分かっていなかったのは自分だけ。いまとなっては、会敵前に自信満々に守って見せると胸を張ったことが恥ずかしくて仕方がない。こんなものを抱えながら、艦娘は戦わねばならないのか――そう考えると、秋月は我知らず、涙交じりで言っていた。
「わたし――戦えるんでしょうか」
「何を言うてるん。戦ってもらわんと困る。でないと、うちもあんたもお陀仏やで」
龍驤が最後の式神を放った。艦載機の群れが、二人の頭上を旋回する。
「これは一航戦の二人から聞いた話やけどな。前に提督がこんなこと言うたらしい――かつての艦の記憶を受け継いでいて、それが心の土台になっていたとしても、君たちは艦娘であって、かつての艦とは別の存在だ、てな」
「別の存在……」
「そうや。うちらは艦娘。同じ名前を持っていても、運命まで同じになるわけやない。そこは自分の頑張りでどうにかできる。記憶の波に呑まれてしまうのも、それを上手く乗り切って戦う意志に変えるのも、すべて自分次第や。せやからな」
龍驤は、秋月の肩をぽんとたたいた。
「シチュエーション的にはソロモン海とそっくりやけど、うちはここを二度目の墓場にする気はないで。なんといっても、あのときはおらんかった防空駆逐艦の秋月はんが味方についておるんやからな」
肩に置かれた手の重みが――何倍にもなって、信頼への重みになって、感じられた。
秋月は、目にあふれた涙を手の甲でぐっとぬぐった。
ひと呼吸おいて、ぱしんと自分の頬をはたき、龍驤に向き直り、笑ってみせた。
「はい、秋月におまかせください!」
「よし、ええ顔になった!」
龍驤がにかっと笑い返してみせたその時。
秋月の対空電探が、敵艦載機を捉えた。
「敵機、来ます! 接触は六十秒後!」
「了解や! ええか、追い払うだけでかまへん! 敵の艦載機を退けたら、すぐに瑞鶴はんたちと合流するんやからな!」
「はいっ!」
秋月は返事を返し、雲霞の群れが現れるだろう、空の彼方をにらみつけた。
「全砲門、ファイヤー!」
「距離、速度、よし、撃ちかたはじめ!」
金剛と霧島がそろって主砲を撃つ。
放たれた砲弾は、しかし、ヲ級をはずれて水柱を立てるにとどまった。
「シット! 狙いが定まらないデスネ!」
金剛が歯噛みするのに、霧島がうなずいてみせる。
「敵の艦載機が多すぎて、照準が乱れているんです!」
霧島の悔しそうな声に、金剛が舌打ちして、ついと背後を振り返った。
後ろでは、瑞鶴が懸命に艦載機を打ち上げている。
だが、翔鶴が第二次攻撃できない状況では、敵が空母ヲ級三隻なのに対して、こちらは実質その半分でしかない。序盤でなんとか航空優勢にもちこんだが、その後でじりじりと押し返されているのが現状だった。
(秋月と龍驤は無事でショウカ)
金剛はふと、そう思った。背後から敵の空襲がないということは、彼女たちが防いでくれている証拠だといえたが、実際の戦況がどうかは想像するしかない。
かぶりを振って、金剛が心配事を追い出そうとしたその矢先。
「お姉さま! 敵機が!」
霧島の悲鳴にも似た声に、金剛はハッと顔をあげた。
あらたにヲ級から飛び立ったのだろう、艦載機の一群がこちらへ突っ込んでくる。
(三式弾――間に合わないデスカ!?)
咄嗟の判断で艤装を盾に身をかばおうとした、次の瞬間。
「こんのおぉぉぉぉぉ!」
背後から海面をすさまじい速度で駆ける音と共に、裂帛の気合の声が聞こえた。
高角砲が連続して砲撃を放つ音がそれに続く。
金剛が目を向けると、主機を全開にした秋月が後方から滑り込んできて、弧の字の機動を描きながら、敵艦載機を撃ち落す様が視界に映った。
「遅れてすみません! 秋月、合流します!」
「秋月! 無事だったの!?」
瑞鶴が声をあげるのに、秋月は戦意に満ちた声で返した。
「はい、問題ありません。これから艦隊防空に入ります!」
「いやー、秋月はんは無事やけどな。うちはノーカンで頼むで」
遅れて、服をボロボロの煤だらけにした龍驤が海面を駆けてきた。
「軽母部隊の艦載機は追い払ったから、ちょっとは時間を稼げたはずや」
「オーケー! 他の敵部隊が駆けつけるまでが勝負ですネ!」
金剛がきりと表情を引き締め、号令をかける。
「霧島は右翼の、ワタシは左翼のヲ級を狙うネ! 秋月、敵艦載機を近づけさせないでくだサイ! ワタシ達がねらいをつける間だけで良いデース!」
その言葉に、秋月はうなずいた。
射撃体勢に入る金剛たちの、さらに前に出る。
ヲ級の随伴艦が狙ってくる砲撃をかわしながら、高角砲を立て続けに放つ。
押し寄せる雲霞の群れ。
その光景に、かつての戦いの記憶がダブる。
記憶の波が、数々の感情と共に押し寄せてくるのを――秋月は懸命にこらえた。
慣れてくれば、この波に乗るようにして、自分の糧にできるのかもしれない。
だが、いまは、波に押し流されないように必死に立つことが精一杯だった。
たぶん、それでいいのだ。自分にできることを、最大限の力でやる。
それは訓練で教わった通りのことであり――初陣の自分は訓練どおりにやれれば、それできっと最大限の戦果をあげることができるはずなのだから。
「ファイヤー!!」
金剛の声と共に、戦艦二隻の主砲が火を噴く。
放たれた砲弾があやまたずヲ級に命中し、その体がかしいで波間に沈むのが見えた。
残るヲ級は一体。
その一体は、仲間が狙われている隙に回頭し、ここから離れようとしていた。
「逃がすわけにはいかないネ! 次弾装填急ぐデース!」
金剛の声に焦りの色が滲む。
秋月は懸命に艦載機を撃ち落としながら、逃れようとするヲ級を見た。
ここまで来て、取り逃がすなんて――
秋月が歯噛みした、そのとき。
『――射撃諸元を送ってください』
凛とした、華のある声が通信回線に入ってきた。
聞き覚えのある声。出撃前に、自分を励ましてくれた、あの人だ。
「大和さん!」
『わたしの主砲で超遠距離射撃を行います。皆さんの頑張り、無駄にはしません』
その言葉に、秋月は思わず声を弾ませた。
「はい――敵ヲ級の位置、いま送ります!」
ほどなく。
海原に轟音が響き渡り、放たれた砲弾は、驚異的な精度で敵ヲ級を爆炎に包んだ。
連合艦隊が輪形陣を組んで、ゆったりと水平線の向こうから現れてくる。
その威容を、秋月たちは敬礼で出迎えた。
旗艦の長門が、そして、巨大な艤装の大和が、連合艦隊の中に見える。
「皆、よくやってくれた――金剛と霧島は後続の支援艦隊へ。それ以外の者は後方に下がって損傷をなおしてもらってくれ」
長門はねぎらいの声をかけつつも、こう続けた。
「われわれ本隊はこれから敵機動部隊の殲滅に移る。だが、敵戦力がこれだけとは思えない。第二派の戦力が残されているとみるべきだろう――秋月」
「は、はい!」
急に名前を呼ばれて、秋月はぴんと背を伸ばした。
「追撃戦ではお前も戦闘に参加してもらう。泊地で補給を受けたらそのまま待機し、再出撃の合図を待て」
「了解しました」
敬礼して応える秋月に、長門はゆっくりとうなずいてみせる。
その横から、大和が秋月の顔を見て、心配そうに訊ねてくる。
「わたしのアドバイス、役に立ちましたか?」
その問いに、秋月は返答に詰まった。
アドバイスの意味がわかったのは、失敗してしまった後のことだ。
事前に理解できていれば、もっとうまく立ち回れたかもしれない。
しばし考えて――秋月は、正直に答えることにした。
「大和さんだけじゃありませんでした」
そう、気遣ってくれたのは、一人ではない。
「龍驤さんも、瑞鶴さんも、違う形で、わたしに教えてくれました。役に立てられたかどうかは、自信がありません。でも――」
「でも?」
小首をかしげてみせる大和に、秋月はできるかぎりの笑顔で応えた。
「――でも、わたしは艦娘として、ちゃんと戦っていけると思います」
記憶に呑まれずに。
記憶に立ち向かい、いつかは受け止めて糧とするために。
一歩ずつ、進んでいこう。
それが、自分にできる精一杯なのだから。
秋月の答えに、大和は微笑んでみせた。
「初陣、頑張りましたね。無事に生き残って、おめでとう」
大和だけではない。龍驤が、瑞鶴が、長門が――邀撃部隊と連合艦隊の皆が。
自分に向けて笑みを見せてくれている。
それは初めての実戦をくぐりぬけた艦娘に対する仲間達の祝福であり。
秋月にとっては、以後ずっと忘れることのない勲章となったのであった。
〔了〕
説明 | ||
ぴょんぴょんして書いた。やっぱり反省していない。 というわけで、なんとかこの週末に間に合いました、 艦これファンジンSS vol.25をお送りいたします。 冬イベントのトラック泊地空襲を舞台にしたうえで、 そこでMVPものの活躍だった秋月さんを主人公に据えたいと思って、 今回のエピソードを書きました。 それだけではなくて、秋月さんはずっと演習で育てていたので、 実戦は本当にこの冬イベントが初めてだったんですよね。 そんなことから「初陣に臨む艦娘」というものをテーマにしようと思い立ちました。 作中の邀撃部隊の編成は実際にE-2で出撃させた編成ですが、 ヲ級三隻にはてこずったなあ…… さて、いつものお約束として、 艦これファンジンSS「うちの鎮守府」シリーズは どの話も単体でお楽しみいただけるように気を遣っております。 本エピソードもそのままお読みいただけますし、気になったら ぜひ他のエピソードもつまみぐいしてみてくださいませ。 それでは皆様、ご笑覧ください。 |
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