DarkandRed 〜 朝のこない夜のなか 三章 |
三章 被害者は、10代女性
1
普通、ゴトウ事務所のような団体に属さないフリーの殺し屋の事務所は、中立として扱われている。
そのため、ギャング同士の抗争に巻き込まれることはなく、彼等が個人的な恨みから攻め込んでくることもまずない。たとえ彼女等に痛い目に遭わされたとしても、カネさえ払えば今度は自分の味方になることを知っているからだ。そもそも、並の人間を送り込んだところで返り討ちに遭ってしまう。本気で相手をするにしても、リスクに対しリターンが少な過ぎる。そのため、狙うことはないはずだった。
ただし、ここ最近は幾度となく刺客が送り込まれている。いずれも、少数精鋭という言葉が似合う実力者ばかりだ。いずれもシゾノが一人で射殺しているが、マコトが一人でいるところを狙われたとすれば、どうなるかはわからない相手しかいない。
そして、刺客が来るのはいずれも夜間。シゾノは夜に殺しの仕事をすることができなくなった。すると、昼間の内に仕事をしなければならない。そうなると、夜にはもう眠ってしまっている。さすがのトリガーハッピーの殺戮者も、寝起き頭では狙いも定まらない。従来通りに昼間は寝させるようにすると、引き受けられる仕事の量は更に減った。マコトが一人で昼間にこなせる仕事しか出来ない。
そうなって来ると、黄金期に事務所が勝ち得た名声、信頼も色褪せてくる。自然と依頼人の数自体が減り、しかも少ない仕事の依頼の中から、更に仕事を選ぶことになってしまう。大口の殺人の仕事は出来なくなり、小さな仕事をやっても収入は少ない。……緩やかに、しかし着実に、事務所の経営は傾き始めた。
「……シゾノ。夜の仕事、やってくれない?」
ゴトウの死後、ひと月が経っている。当時は真冬だったが、少しずつ寒さは和らぎ、春が近付いていた。
「できません。数日おきに送り込まれているのは、セザール・ファミリーの構成員。……スウェーの配下と考えるのが順当です。彼女は次に、あなたを殺そうとしている」
「そうかな?あたしが思うに、本気であたしの命は狙ってはいないよ。だって、本気で殺したいなら昼間でもいつでも、もっと大人数で潰しにかかればいい。それなのに、夜間に時間帯を限定して、必ず少数。どうにも、シゾノが対処できるギリギリの数を送り込んで来ている。狙いはあたしなんかじゃなく、ウチ自体だよ。社会的に、経済的に潰そうとしている」
「夜間、私をこの事務所に縛り付け、仕事をさせない。そのために彼女は捨て石をしていると。……確かに、このままではジリ貧、敵の優秀な兵士を全員殺す前に、私達の方が破滅しそうですね」
顔色一つ変えず、むしろ楽しげに言う。その姿を見て、マコトはいっそ清々しい気持ちになった。
シゾノという人間は、自分の仕事が崩壊することに恐怖も、不満も、絶望もない。たとえ彼女に殺しの仕事が来なくなったとしても、それで一向に構わないと考えている。そうなれば、かつてのように自由に人を殺すようになるだけだ。殺したい時にトリガーを引き、眠りたい時に眠る。食べたければ、やはり人を殺すだろう。武器がなくなったとしても、この街ならばいくらでも殺した相手から奪える。
ただこの街に一人、狂気の殺人者が解き放たれるようになるだけだ。シゾノの方に一切の不都合はない。だからこそ、焦ることはない。むしろ、そうなった方が幸せだと考えているのだ。
一方、マコトはとても冷静ではいられない。彼女は刀と同じように、自分の手にも血糊を染み込ませている。しかし、狂人ではない。殺人だけを生きがいに生きていくことはできない。何かしらの仕事がいる。それは今までなら、事務所を開いていることで得ることができた。逆に、それがなくなれば彼女にできる仕事はない。今から適当な組織に属すとしても難しいだろう。
フリーのなんでも屋をやり過ぎたがゆえに、忠誠心というものを持っていないと誰もが考えている。自分の組織よりも高い月給を払うと言われれば、簡単に寝返るかもしれない人間を迎え入れることなどできないに違いない。
シゾノがどう考えているかに関わらず、彼女はこの事務所を守らなければならない。そのためには、自分が狙われるリスクなど、リスクの内にも入らない。ただ逃げ回れば、それだけで解決する瑣末な問題だ。
「だから、お願い。もちろん、向こうはシゾノに仕事をされたら困るから、あたしを狙うと思う。けど、なんとか逃げ延びてみせる。だから、働いて」
「一つ、条件を付けましょうか」
「なに?」
「仕事は二人で行います。あなたを一人になどできない。それに、二人ですれば仕事も早く片付くでしょう。その分、多くの仕事をこなせます」
「……そう来ますか、シゾノ先生」
ソファに腰かけたまま、白髮の殺人者は淡々と言い……満足げにマコトを見上げた。彼女は狂人だが、頭自体はいい。むしろ、だからこそ今のようになったのか。マコトは反論できなくなり、溜め息をつくしかなかった。
「もうどの道、あなたが管理しなければならないほど、この事務所の収益は多くはないでしょう?昼間の作業で十分ではありませんか」
「悔しいけど、確かにね。じゃあ、そういうことにしますか。……にしても、どうしてあそこに恨みを買っちゃったかな。むしろ、協力ばっかりしてたのに。あそこは払いもいいし、規模が大きいから信頼もできる。いいお客様だったんだけどな」
ゴトウ時代のことだが、この街の裏を実質的に支配しているマフィア。セザール一家は主としてシゾノが担当するような仕事を、幾度となく依頼して来ていた。自身の手元に優秀な殺し屋はいるのにも関わらず、外部の人間を用いたのは仲間の消耗を防ぐ意味と、反対に仲間を必要以上に育て、増長させ、反乱などを起こさせないようにする、という意味があったようだ。
そういった努力の甲斐あってか、件のファミリーはその巨大さ、個々人の能力の割には内部の分裂などもなく、一枚岩による支配を実現している。この時代、この街においては物語のような話だ。
そんな組織が、突如としてゴトウを殺して事務所を実質的に麻痺させ、代理で事務所を存続させようとしたマコトの自由を奪い、収入すら締め上げている。考えるまでもなく、これはマフィアによる“制裁”だ。そのようなことをする理由は見当たらないのに、なぜ?
人違いということはあり得ない。あの夜、マコトは確かにスウェーの姿を見ていた。自分と同年代の、しかし、人間離れした殺人能力の持ち主である少女は、彼女の他にいない。
「考えて結論が出ないのであれば、行動し続けるしかありません。あがくだけあがいて、もしもにっちもさっちもいかなくなれば、ここは一つ、ファミリーをこちらが襲撃するというのはどうですか?向こうの本拠地にいる人間を、片端からひき肉にしていくんです」
「そんなことしたら、もうシゾノ、こっちに戻って来れなくなるんじゃない?あんまりに楽し過ぎて」
「いいじゃないですか、それも。私はそんな幸福の中に死ねるのなら、満足ですよ」
シゾノに冗談はない。真剣に考えていることなのだ。マコトもそれがわかっているから、笑いながら薄ら寒いものを感じている。きっと、本当に彼女はそんな無茶をして、死んでしまう。彼女に生きて欲しいと願うのならば、そうなる状況を作り上げてはいけない。
闇の中にいても、絶妙なバランス感覚を持っていたゴトウに比べると、マコトの能力は大きく劣っている。いや、そもそも上手くやっていく素養などない。それでも、自分と自分の姉を守りたければ、大芝居を打つ他はない。自分の能力以上に、自分を優秀に見せるために全ての人間を騙す。嘘をつくことも、マコトは苦手だが――。
「まあいいや。それじゃ、大口の殺しの依頼も受けて来ますか。そう都合よく、来てくれればいいけどね……」
既に信用は失われた後だ。名声などというものは、そういつまでも効力を発揮しない。だが、それでも依頼は来た。シゾノがいるのは、この事務所だけだからだ。狂った優秀な殺戮者は、闇の中にもただ一人しかいない。
2
「一つ、あなたに聞いてみたいことがありました」
夜。二人は珍しく並んで夜の街を歩いていた。二人が同じ仕事に就いたのは、少なくとも環境が一変してからは初めてのことである。そもそも以前からして、二人がかりで挑まなければならない仕事はまずなかったので、マコトはどこか落ち着かない気分だった。シゾノと話すのはおかしなことではないのに、妙な緊張感のようなものがある。
「どうしたの、急に改まって。いつでも聞いてくれればいいのに」
「いえ。マコトがこうして殺しの仕事をするのも、久し振りのことでしょう?緊張をしているようだったので、それを解すための雑談です」
「雑談なんかで緊張を解さなきゃいけないんだから、因果な商売だよね、本当」
彼女は腰に刀を帯びており、背中には小太刀が背負われている。やはり拳銃も持って来てはいるが、今夜はこれ以上がない銃の専門家がいる。彼女が発砲する機会は絶対にないだろう。
こうして刀で完全武装をすること自体、マコトにとっては懐かしく思える体験だった。彼女がする昼間の仕事は、探す範囲が危険な場所にも及ぶだけで、実質は探偵業と同じだ。刀を持ちはするが、それが抜かれることはないはず。ということで小太刀までは持っていなかった。二振りの刀で身を固めた姿は中々に威圧的で、ただ人捜しをするだけでも何かと便利なのかもしれないが、あえてそれを避けた。驚くべきことに、彼女ほどの“専門家”が物騒な出で立ちを避けたのだった。
「正にそれです。私は私が狂い、複雑な感情を持つことができなくなっていることを知っています。つまり、人間を殺すことに罪悪は感じず、一切の疑問を抱かない。“相手の立場に立つ”なんてことをしようと思っても、私にその想像力はもう欠落しているんです。
ですが、マコトはそうじゃありません。どうやって自分の中で折り合いを付け、人を殺しているんですか?……いいえ、今のあなたはもう、人を殺せないのかもしれません。最近、感じます。あなたはどんどん普通の少女に近付いていっている。同業者の臭いが薄れているんです」
「……まさか。あたしはシゾノよりも小さい頃から、刀を握ってるんだよ。人を殺すことは今でも楽しいと思ってないけど、義務感から折り合いを付けてる。殺さなきゃあたしが殺される。殺す仕事をしなきゃ、あたしが飢え死にする。だから、人を殺す。
何度も言ってるけど、弱肉強食の原則に従ってるだけだよ。人の社会……少なくとも表の社会では、弱肉強食は起こりづらくなってて、自然淘汰もなくすような仕組みがある。けど、あたし達が生きるのは動物の世界だ。殺すことが生きることなんだから、そりゃあどんな納得できない殺しだって、するよ。あたしはまだ死にたくないもん」
真剣な熱を持った目で言うマコトを、シゾノはぞっとするほど静かな目で見ている。彼女のこの正義感とも呼べる情熱は、以前から変わらないものだ。それを語る彼女の姿も、以前から変わっていないように見える。
「シゾノは、あたしがこの話をすると、いつも何も言ってくれないよね。……奇麗事って思う?」
「汚れた世界に、奇麗事がありますか?あなたの話には、私が口を出す余地がない。だから黙っているだけです。……しかし、マコト。やはりあなたはもう、殺しをするべきではないと思います。今思えば、兄さまはあなたのために亡くなったのかとすら思えます。あの方の存在が、あなたが事務所にいる理由だったのでしょう?私がそうであったように」
シゾノは人の気持ちになれない。それは本人がついさっき語ったことだ。それが今、現実に形となった。
反射的にマコトの腰の刀が抜かれる。夜の闇の中でも、わずかな星明かりを映して輝く刃には、シゾノの白い肌と髪とが映り込んでいる。
「シゾノ。いくらあんたでも、許せないことはある。兄ぃはセザールに。スウェーに殺された。理不尽な死だったんだ。そこに他の意味なんてない。あたしはあいつ等を殺さないといけない」
「マコト。今の自分の顔が、わかりますか?」
「醜い顔だろうね。あんたを本気で殺そうとしている。あたしの姉になってくれた、あんたを……」
「違いますよ。あなたは今も、あなたの顔でいます。私の妹の、マコトの顔です。殺人者の顔には、もうなれません」
反論はない。かつての自分なら、刀を抜くだけでは済まなかったに違いない。そのまま歯止めが利かず、シゾノに斬りかかっていた。彼女が避けられないはずはないと信頼しているから、信頼して殺しにいけたはずだ。だが、それができない。刀を抜いて威嚇するだけなら、文化包丁で強盗をしようとする素人と同じだ。……それが、マコトにはわかっている。
「どうかあなたは、そのままただの人であってください。もう一度、こちら側に来る必要はありません。
私は、もう何も失いようがありません。命すら、存在していないも同然です。あなたが血に汚れる代わりに、全身に血と臓物と糞尿とを浴びましょう。もちろん、仇討ちも私がします。私があなたを守ります。全ての痛みと恐れの傘になり、あなたを助けます」
彼女は、狂っていた。それでも、彼女はマコトの姉でいようとする。血と狂気の中で、マコトのことを忘れてもおかしくはない。少なくともマコトは、そのことを責めようとは思っていないのに。彼女は今宵もマコトのことを抱きしめ、頭を撫で、頬に頬を当てる。最後に、そこにキスをする。
「……シゾノ。あたしはきっと、あんたにいっぱい迷惑をかけると思う。足手まといにしかならないし、怪我をさせることにもなるだろうし、死なせるかもしれない。けど、いいの?」
「私はあなたの盾です。盾はいつか壊れます。しかし、自身が壊れることを恐れ、主の腕から逃れようとする盾があるでしょうか。私は、あなたのためにだけ存在し続けますよ」
やはり、彼女は正気じゃない。涙を流しながらマコトは、彼女のためにも泣いた。彼女は、シゾノの過去を知らない。シゾノも、彼女の過去を知らない。どうして互いにこうなってしまったのか、知らなかったし、知ろうとするつもりもなかった。
だが、シゾノは撃鉄を起こした。まもなくマズルフラッシュに夜の闇が照らされ、死の嵐が吹き荒れる。決して彼女は、台風の目などではない。飛び交う弾丸は、一定以上の精度を持ってシゾノを追従している。少しでも回避が遅れれば、瞬く間に彼女の小柄な体は破壊される。比喩などではなく、大口径銃の威力はそれほどのものだ。
しかも彼女は、マコトをも庇いながら躍る。マコトも抜刀し、銃弾と敵の奇襲を警戒している。だが、その動きは素人レベルと呼ぶほど酷くはないにしても、ひと月前の姿とは比べることなどできない。たとえ至近で発砲されたとしても、彼女はそれに反応して回避するか、銃弾を刀で叩き切ることすらやってのけた。もちろん、刀が悪くなるので使い捨てになっていたが、またすぐに敵のナイフなどを奪い、死体の山を築き上げていた。
それだというのに、今の彼女はシゾノなくしては生きられないか弱い少女でしかない。古くから彼女を知る者が見れば、別人としか思えないだろう。だが、シゾノはそれをも受け入れる。
背中にマコトを背負うように戦場を立ち回り、次々と銃を使い捨てていく。全ての銃を使い果たせば、敵の死体から武器を巻き上げ、弾切れまで撃ち続けると、また死体から回収。ハンデを感じさせない戦いぶりに、段々と敵側は戦意を失いつつあった。まだ人数では相手が圧倒しているというのに、明らかに火線が減っている。だが、逃げ出す敵にもシゾノは発砲する。果敢に銃を握る敵にもシゾノは発砲する。
依頼内容は敵勢力の全滅だ。たとえ武器を捨て、命乞いをされてもその頭を撃ち抜く。アーミージャケットは赤黒く染まり、白い足と頬も赤く汚れていく。敵は意味がないと知りながらも、地に頭を擦り付け始めたからだ。そんな相手を、至近距離から撃っていく。古い時代の処刑人が、斧かギロチンで首を刈り取っていくのと同じ要領だ。武器が変われど、殺人の本質は変わっていない。
銃声はいつまでも止まず、戦場には血と肉の他に、空薬莢と弾丸が雪のように積もっている。光沢を放つそれに人の血が絡まり付く様子は、ひどく背徳的なものだとマコトは思った。かつて彼女も多くの戦いを経験したが、シゾノの戦いは特別だ。本当にただ、殺戮のみが行われている。戦いと呼んでいいのか?疑問に思いはするが、不思議とシゾノ自身への恐怖は少なかった。
最後の一発――。銃弾は放たれ、命中するというよりも、相手の体の深いところへと吸い込まれていく。体から銃弾が飛び出している映像を巻き戻して見ているのだと考えると、驚くほどすんなりと納得出来てしまうほどの精度だ。血糊が盛大に宙へと舞い、落ちて、完全な静寂がやって来た。生物はシゾノとマコトの他にはいない。
「さて、帰りましょう」
「うん……。お疲れ様」
「疲れてはいません。それより、マコトは大丈夫ですか」
「あたしは何も疲れることも、危ないこともなかったから、心配には及ばないよ」
白い月明かりの下、白い肌を赤く汚した少女がいく。その姿は暴虐の悪魔か、殺戮の天使か。本人はどちらとも思っていない。彼女は己がただの狂った殺人者であり、それ以上ではないと考えていた。
3
事務所に戻ろうとも、そこに待つ人間はいない。
今となっては当たり前のことだったが、今夜は違っていた。邂逅を望まれつつも、今この場で出会うことを望まれてはいない、一人の少女が殺人者達を迎えた。
黒のポニーテールの、暴力者だった。シゾノは人を殺し、愉しむが、彼女は殺しよりも他人に恐怖を与え、支配することを望む。そして、他人が苦しむことを至上の喜びと感じる。純粋な殺人者と、どちらが邪悪なのか。――少なくとも彼女自身は、どちらも最悪に邪悪な人間だと自覚していた。
「こんばんは、お二人様。今夜はおでかけだったんですね」
「誰かが余計なことばっかりしてくれるから、二人で仲良くデートに行ってたんだよ。その仕上げに、あんたもヤッとく?」
「あっはっは、遠慮しておきます。こんなところで戦うなんて、あんまりに可哀相過ぎるでしょう?どうせ死ぬなら、もっといい場所の方が魂とかなんとかも救われるってもんです。教会だとか、霊園だとか。もっとも、ゴミはゴミらしくゴミ山で倒れてもいいと思いますが」
「自分をゴミだと理解しているなんて、中々に物分かりがいいゴミじゃん」
「嫌な冗談はやめてください。ゴミはあなた方ですよ」
マコトとスウェーは、正面から笑みを含みつつ向き合った。シゾノはそれに感心がないように目を背けている。事実、彼女にとってこの手の茶番は不快でしかない。殺し合いができるなら、すぐにする。しないのなら、早く事務所で眠りたいところだった。
「しかし、こちらにはこちらで思惑がある訳で、それに反したことをされると、いささか以上に面倒なのですが」
「簡単にイレギュラーなことをされる程度の思惑なら、その完成度が低いんだよ。あたし達も馬鹿じゃないんだから、それを見越してもっとマシな作戦を立てたら?」
「全くです。あなたの頭の中にはゴミしか詰まっていないと考えたのですが、動物並みの知能は備えているようで。じゃあ、こうしましょうか」
ブラックのスーツに身を包んだマフィア、スウェーは常に指出しの革手袋をしている。そこから露出されている人差し指と親指を組み合わせたかと思うと、それが打ち鳴らされる。快い音が夜の空間に広がっていく中で、何事かを感じ取ったシゾノは、二人の間に割り込んだ。すぐに拳銃をスウェーに向ける。
だが、その音は襲撃の開始の合図などではなかった。代わりに、スウェーが後ろに背負っていたビルが爆発、炎上する。当然、一階の二人の事務所部分は念入りに爆破され、瞬く間に赤へ染め上げられた。火の手は隣接するビルに、そして道路上に燃え広がり、夜の空が炎の色に照らし出される。
「これであなた達に帰る場所はありません。もっとも、こちらとしてもあなた方の拠点がわからなくなるので、あまりスマートとは言えない行動な気もしますがね。ただ、マフィアは舐められたら終わりな訳です。それはあなた方を相手にしていたとしても、同じですよ。私達は圧倒的な強者なんです。あなた方のような、バケツの中を泳ぐだけで満足している、醜いイボガエルではない」
「へぇ、ずいぶんとベラベラ好き放題言ってるけどさ、言いたいことはそれぐらい?」
「ほう。何かあなたから言うことでも?」
「あたしの名前を知らないの?」
「――インフェルノ、ですよね。今はただくすぶり続ける、惨めな炎ですが」
「確かにね。今までのあたしは正直、腑抜けだった。さっきの仕事も、誰一人として殺せなかった。あたしは多分もう、人を殺せないと思う」
「そうでしょう。あなたの炎は今や、タバコのそれよりも小さい」
「けどね、あんたは今、馬鹿なことをした。今なら多分、あんたぐらいは殺せるよ」
暴力者は苦笑する。彼女は自身とマコトの実力差をよくわかっている。あの場でマコトは、誰一人として手にかけることが出来なかった。誰もが実力者だったので当然ではあるが、そんな部下達すらまともに相手取ることが出来なかったマコトの刃が、スウェーに届くことは絶対にない。そう確信している。
「その心は?憎しみや復讐心を燃やしたところで、そうして得た力は弱者の力ですよ。瞬間的には強く、激しくとも、いつかは打ち砕かれる弱い力です」
「事務所が燃えている。短い時間だったけど、あそこはあたしとシゾノと、今はいない兄貴の思い出の場所だ。そこが燃えている。あたしの地獄の炎をまた燃やしてくれたのは、あんた自身だ」
「思い出の場所、ですか。あなたにもそんなセンチメンタルな情緒があったんですね。それで、やはり私が憎いと。いいですよ、試してみても。炎に呑み込まれるのはどちらなのか、はっきりさせましょうか」
マコトの反応を待たず、スウェーが飛び出して来る。ボクサーさながらの身のこなしは、銃撃戦に慣れた人間が追い切れるものではない。そこもまたスウェーの強さを揺るぎないものにしている。だが、マコトはシゾノを下がらせると、思い切り身をかがめ、彼女自身も前に出た。刀はどちらも抜いていない、丸腰である。
「動きがまるで素人ですよ。私と正面から殴り合えるとでも?」
突進して来たスウェーは、防御やジャブのような消極的な戦法は取らない。相手が反応する前にストレートを放つ。低い姿勢を取っているマコトの顔面を、正確に撃ち抜こうとするパンチだ。少女が放ったものではあるが、その一撃は下手な銃撃よりも重い。しかもマコトも走っているため、その威力は更に高まる。結果的に、回避など出来る状況ではない――そう見えたが、マコトは突然、転んだように上体を落とした。足は地面をこすっており、つまりスライディングをしている形になっている。
さすがにここまで見を低くされると、ストレートは空を切る。そして、構え直す前にマコトは小太刀を抜きスウェーの胴体に向けて切り上げていた。ボクシングが苦手とする、足元からの攻撃だ。しかも相手は刃。手で受けることが出来ない以上、避けるしかない。そこで彼女が披露したのは、コードネーム通りの回避。つまり上体を大きく反らせる、スウェーだった。だが、人の拳のリーチを拡張する武器である刃物は、その回避の上から浅く彼女の腹を切り裂く。確かに通った血の線は、一拍遅れて血液を吐き出させる。
傷付けられたスウェーは、反射的に拳ではなく足が出る。マコトは不安定な体勢のため、簡単につま先を自身の傷と同じ場所。すなわち腹に食い込ませ、そのまま体を持ち上げ、今度こそ拳を叩き込む。が、その前には刃が突き出された。止まらないストレートは、小太刀の刃をへし折る。が、その刃は彼女の利き腕である右手の拳を赤に染めた。
「この……ゴミが!この私に一度のみならず、二度も血を流させるなんて」
それまでは涼しかった瞳が血走る。だが、ここで冷静さを失っているようならば、彼女は少しばかりボクシングができる三下でしかなかっただろう。すぐに体勢を立て直し、マコトの懐へと飛び込む。小太刀を失った今、間合いの長過ぎる刀を至近距離で使うことはできない。後は殴り放題の状況が完成する。
両手を使えない以上、パンチを放つ速度は必然的に落ちる。更に血を流しているため、威力が落ち、持久力も奪い取られていた。それでも、至近戦におけるマコトはまともな反撃が出来ない。左手で臓物に響く一撃を放ち、切れた右手で柔らかい顔を殴って自らの血を擦り付けていく。今の状況なら、シゾノが割って入ることも出来ない。彼女に限って誤射はないが、マコトを盾にされるのはわかりきっているからだ。
遂に体力が切れる寸前まで殴り続け、マコトは口から吐いた血反吐と、拳によって付けられた傷からの出血にまみれて地に付した。ボクシングで言うならば、最終ラウンドまで戦った末、ノックアウトされた選手といったところか。いや、この状態はそれよりも酷い。
「ふぅ。少しは気が済みましたが、殺しはしていませんよ。ここでこれを殺せば、今度は私があなたに殺されますからね」
「安心してください。あなたはもう十分にやり過ぎましたよ。ここで殺します」
「ははっ、それは困った。いえ、しかし本当に想定外でしたよ。馬鹿で実力もない、口ばっかりのお子様に傷を負わされるだなんて。まあそれはいいです。この分だと、数週間は歩くことはできないはずです。二人きりで決着を付けるとしましょう。日取りはいつがお好みで?」
「だから、今と言っているではありませんか。何度も言わせないでください」
銃撃。眉間を完璧に狙ったそれを、スウェーはすんでのところで避ける。すぐにマコトのぐったりとした体を掴み、自らの前に掲げた。
「もうまもなく、部下が来るはずなのですが、遅いですね。それまでは、どうです?もう少し、このゴミを痛め付けておきましょうか。もう意識はありませんが、恐怖は体にも刻み付けることが出来ます。拳ではなく、こんなものを使うというのも――中々に楽しいでしょう」
取り出されたのは、長く、太い釘……彼女達の母国にある呪いの儀式でも使われるような、五寸釘だ。
「私ほどではないですが、あなたも狂っていますね。少なくとも、正常な思考の中から、そのような嗜好が生まれて来るとは思えませんよ」
「あはっ、いいシャレですね。私、そういうのは中々に好きです。でも、これはシャレではないので、まずは一本、どこに打ち込みましょうか。相当に血も流しているんで、下手なところを刺すと本当に死んじゃいますよ。でもまあ、どうせもう私はズラからせてもらいますから、殺しちゃってもいいかな。場所を決めるのが面倒なので、ここは一つ、ランダムに宙へ投げて、刺さるべきところに刺さってもらいましょう」
言い切らない内に、五本の釘が放り投げられる。瞬間、シゾノの銃弾が全てを遠くへ弾き飛ばした。
「いーい動きですね。でも、あんまりに数が少なくて、あなたにとってはスリル不足だったかな?じゃあ、次はどうしましょう。装弾数の倍ぐらい、適当に投げてみますか。そーら、ビリヤードみたいに弾いた釘で別の釘も弾かないと、この子が剣山みたいになっちゃいますよ?」
放たれた釘の数は十本以上。頭から足の先まで、まんべんなく落下しようとしている。だが、シゾノは三発の弾丸を放つだけでその全てを蹴散らした。更に、弾かれた二本はスウェーの顔に向けてダーツの矢のように飛ぶ。指で二本とも掴まえられたが、彼女は目に見えて不快そうに舌打ちをした。
「本当、あなたは憤りを覚えるほど優秀です。一体、どんな人生を送ればそうなれるのですか?」
「相方はあなたに対し、そんなことを言っていましたよ。ですから、きっとあなたと同じような人生なのでしょう。普通に人を殺し、殺し続けて来ました」
更に銃撃。今度の狙いは、今にも倒壊しそうな燃え盛るビルに対してだった。ゴトウ事務所の上の階に掲げられていた、テナント募集の看板が今にも落ちそうになっている。そこに当たった弾丸の威力で、いよいよ鉄板が落下を始めた。それを察知したスウェーは、もちろん逃げ出す。マコトの体を抱きかかえる余裕なんてあるはずもない。
そうしてスウェーの身を守るものがなくなった一瞬、シゾノは発砲。足に弾丸が喰らいつき、血の花が散る。ただしその出どころはスウェーではなく、彼女の部下だった。思い出したように看板が地面に落下する音が響き、周囲に火の粉が撒き散らされる。マコトの体は、既にシゾノが引っ張ってビルから遠ざけていた。
「今夜は中々に良い夜でした。願わくは、あなたとの殺し合いの夜は、これ以上に愉しめるとよいですね?」
「私はあなたを殺せさえすれば、それで満足出来ます。あんまりに面倒な場を設定しないでもらえると嬉しいのですが」
部下に護られながら、スウェーは姿を消す。残った二発の弾丸でシゾノは、その内の二人の頭を打ち砕いておいた。反撃が一切なかったのは、まともにやりあっても勝てないと判断されたのか。
敵が他にいないことを確認した後、シゾノは自分よりも身長のあるマコトの体を抱えて行った。
4
マコトは眠り続け、シゾノはそれとは逆に一睡もしなかった。いつまでも起き続け、次なる襲撃に備える。病院を利用するのは危険だと考えたが、専門的な治療がなければ、マコトは歩くことすら叶わない体になる。そう直感したシゾノは、以前から利用していた病院へと彼女を入院させた。
もちろん、裏にも通じているので安く治療を受けられ、他人にもある程度は見つかりづらく、それでいて最先端の医療が受けられる。日常的に大怪我を負う危険性のあるシゾノ達にとっては実にありがたい場所だ。とはいえ、シゾノ自身は一度も利用したことがない。彼女は今まで、一度たりとも重症を負わなかった。
遂に一週間。シゾノもさすがに睡眠の欲求に抗えず、マコトの隣で眠りに就いていた。当然、マコトは彼女一人の個室で治療を受けている。そこには付き添い用の簡易ベッドを設置するスペースがあるので、シゾノは小さなベッドの上で珍しく大きな寝息と共に眠る。
精神が張り詰めていて、そもそもその精神も、通常の人間とは比べ物にならないほど鈍化していても、体に限界はある。マコトが一週間眠り続けたように、彼女もまたそう簡単には起きない。そんな印象を受ける睡眠だったが、翌朝には覚醒することとなった。遂に、マコトも目覚めたのである。
全身に包帯が巻かれ、両手両足をギプスで固定された彼女は、己の体すら満足には動かせず、ただ唯一狙われなかった――殺さないためだ――首だけを動かし、シゾノを見た。それから微笑む。顔、特に口もかなりの怪我を負っていたが、さすがに一週間もすれば話せる程度にはなる。
「おはよ、シゾノ」
「……おはようございます。もう、死んでしまうのではないかと。本気でそう思っていました」
「オーバーだなぁ。あいつは簡単には人を殺さないよ。何度だってぶちのめすために」
「そのようです。ですが、マコト。寝起きすぐで悪いですが、私はあなたを叱らなければ」
「わかってるよ。いくらでも怒っていい」
「では、遠慮なく」
シゾノの白く細い手が、マコトの頬に添えられる。何度も殴られたそこは、未だに腫れていて、その裏側にいくつもの裂傷があることは、あの夜に彼女が吐いた血まじりの唾液の量から想像できる。
「普通、私はあなたに同情するべきでしょう。それぐらいはわかります。確かに可哀想だとは思います。ですが、あなたはなるべくしてこうなった。人間としてはともかくとして、戦う者としては落第ものだと、わかっていますね」
「……わかってる。相手があいつじゃなくて、シゾノがいてくれなかったら、あたしは絶対に殺されてた」
「スウェーに向けて走り出したあの時から、このことは想像できていましたね?それでも、あなたは向かっていった」
シゾノは突飛な行動を取ったり、理性的な言動ができないような狂人ではない。ただし、いくらかの感情と想像力が欠落している。そのため、怒っていたとしてもその声は静かで、穏やかにすら聞こえる。しかし、それだけにマコトの心に直接触れているようで、決して嘘をつけない気にさせた。
「あの時は、ああするしかないと思った。たとえあたしが死ぬことになったとしても、あたしがあいつに傷を付けられるのは、あの時だけだと思ったから。――思った通りにあいつを斬り裂いて、あれだけの血を流させることができて、満足だよ。もう、後はシゾノに任せられる」
「彼女は戦うつもりで来ていなかった。ある種の不意打ちですね。そして、あの時のあなたは気が立っていたから、奇襲も成功した」
「ううん。あたしはむしろ冷静だったよ。だから、あいつをやれると思った。事務所が燃えてさ、色んなものが全部なくなったと思った時、急に気が楽になった。あたしはもう、兄ぃのことも忘れられるんじゃないか、と思うほど。だから、体が軽かった。即興であれだけ思い付いて、思った通りの成果が出せたんだ。もう一回やれって言われても、絶対無理。今のあたしには、あいつへの個人的な恨みもあるしね。この世紀の美少女を、ここまで痛め付けてくれるなんてさ」
「両手両足が折れていて、内蔵もいくつかは手術を必要としました。恐らく、体力は大きく落ちて、すぐに息が上がるようになっています。リハビリしても、決して以前のようにはならないと」
「それでいいよ。それで、いい」
少女の言葉には諦観の響きはなく、むしろ満足がある。
緩く目を瞑った彼女の口には笑顔があり、表情は安らかなものだ。自分の仕事はもうやりきった。そう確信しているのだ。
「マコト。あれから、スウェーは襲って来ません。こちらから仕掛けるのを待っているんでしょう。あなたの回復を待つ必要はありますか」
「いや、いい。あたしが歩けるようになるには、まだまだかかるでしょ?なら、シゾノに全部を任せるよ。シゾノなら、絶対にあいつをやってくれるって信じてるから。そうして、仇を討って」
「わかりました。今度は、兄さまと、マコトの分もありますね。必ず、血祭りに上げてみせましょう」
黒のアーミーコートの下には、今日も数えきれないほどの銃器が眠っているはずだ。病院に武器?と疑問になるかもしれないが、この病院に限ってはそれが許されている。つまりは、そういう病院なのだから。
逆に言えば、襲撃者も平気で武器を持ち込み、人を殺すことができる。少なくともシゾノが殺戮に出ている間、マコトを守るものはなくなるが――もう彼女は攻撃の対象から外されているようだし、マコトの顔には、死すら覚悟した風格があった。ただの一週間の睡眠の中で、それほどまでに彼女は成長していた。
今の彼女は悟りを開いた修行者のような境地で、目の前にある復讐劇を見つめていた。未だに、そもそもゴトウが殺害された理由は不明だ。しかし、今となってはその理由を求めることは考えていない。マコトが考えていないということは、シゾノも同様だ。彼女は、殺人しか見ていない。
ゴトウは殺された。動かしようのない真実があり、事務所自体がスウェー達の手により危機を迎えさせられ、遂には爆破もされた。あの夜の爆発、炎上によって多くの死傷者が出たことだろう。だが、それもきっと事故か何かで説明が付けられ、セザール・ファミリーの名が上がることは絶対にない。そもそも、警察こそがファミリーの手先のようなものだ。
スウェーを殺す理由は、その理不尽だけで十分だ。細かな事情など、あらゆる組織から独立したマコト達が知る必要はない。ただ、自分達が納得できるように動くだけだ。
「シゾノ。もう、ここには来なくていいよ。あたし達にもう帰る場所はないけどさ、適当なところで寝泊まりして、シゾノがいいと思ったタイミングで、スウェーをやって?いくら遅くなってもいい。あいつさえ死ねば、それでいいから」
「わかりました。あなたの怪我が完治するまでには全てを終えて、そして戻りましょう。ですから、あなたもくれぐれも元気で」
他人からすれば、恐ろしくあっけなくシゾノは病室を出て行く。多くの人々は、冷たい人間だと思うかもしれない。
だが、これこそがシゾノという人間が取る一般的な行動であり、マコトもそれを望んでいた。これから先、彼女はもうシゾノの足手まといになることしかできない。以前からそうだったが、まだ何かしらすることはあった。深くは考えられないシゾノの代わりに頭を使い、必要とあらば彼女の背中を守り、彼女が完全に正気を失わないように、話し相手となる。
……しかし、今となってはマコトの方が患者だ。事務所がないため、彼女のための仕事をセッティングしたり、コンビニで買えるもの以外の料理を作ったりしてやることもできない。それならばいっそ、彼女の負担を減らすために別れた方がいい。
マコトは自ら孤独を望み、シゾノもそれを承認した。
事務所の設立以来、共に過ごしていた二人の人生はここで一度、完全に別れることになる。あるいはそれは永遠の別れとなる可能性もあったが、二人とも不安を感じることはない。仮にそうなったところで、生き残った方は変わらず生きていくだろう。
それが、この街に生きる者らしい生き方だ。
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三章です。ようやく本番開始、といったところです | ||
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