甘城ブリリアントパーク 仕事が手に付かないっ! 安達映子の章 |
甘城ブリリアントパーク 仕事が手に付かないっ! 安達映子の章
「クソッ! 安達映子さんが出演しているAVが気になって仕事が手に付かんっ!」
甘城ブリリアントパーク敷地内にある事務棟の事務室の中。支配人代行の可児江西也は書類に判子を押していた手を止めて苛立ちの衝動に駆られるままに金属製の机を叩いた。
現役高校生である西也にとって遊園地の支配人の仕事は過度にストレスを溜めるものだった。小規模な傾き掛けた遊園地とはいえ、アルバイトを含めれば100人以上が働く巨大な組織。資金難、人材不足、従業員の士気低下、各部署の利害の衝突などで問題は山積み。折衝して利害調整し発破をかけて回るだけでも1日が終わってしまう。
ラティファの神託により支配人代行に選ばれたものの、西也自身これまで何かの経営に関わったことはない。それでもかつて天才子役として芸能界に所属し大人たちの間で揉まれた経験、そして学年一の秀才の才能を発揮して何とか立て直しには成功してきている。そのこと自体、奇跡とも天才とも呼べる経営手腕を見せている。
けれど、その奇跡の代償は西也の心を確実に蝕んでいた。仕事で溜め込んでしまったストレスを発散する場を持たず、西也の思考は歪んだ方向に捌け口を求めてしまっている。
具体的に言えば、現役男子高校生らしく桃色な方向に思考がズレてしまうことが多い。溜まっていく仕事への不満が性欲へと転化されてしまっているのが今の西也の現状だった。
「彼女の芸名は何なのだ? どんな作品に出演していたんだっ!?」
息詰まる仕事からの逃避的反応として1人の年上美女の姿が脳裏に思い浮かんでくる。
安達映子。女子大生。
彼女は現在、この甘城ブリリアントパークでショーの司会進行役のお姉さんとしてアルバイト従事している。仕事態度は良好。舞台度胸もいい。容姿端麗のおっとり系美人。
だが、その前歴はAVに出演していたという。10本ほど。しかも楽しかったらしい。
知り合いの大学生の綺麗なお姉さんがAVに出演。
男子高校生の胸がときめかないはずがなかった。特に、重度のナルシストで俺さま思考の持ち主で友達も彼女もいない寂しい男である西也にとっては大きな衝撃だった。
「屋外プールで子どもたちに向かって溢れんばかりの優しい笑みを向けている水着姿の彼女が元AV嬢。気にならないわけがないだろうがっ!」
目を瞑って深く思索の世界に耽る。
清楚で可憐でいいところのお嬢さんにしか見えない映子。そんな彼女が一体どんな作品に出演していると言うのか?
清純なお嬢さまが脱いでみた的な企画作品だろうか?
それとも……。
「まさか、複数の男との乱交モノなんじゃ……」
淫乱とは一切無縁そうな彼女。でも、映子なら多人数が相手でも嫌な顔1つせずに全員に優しくご奉仕してくれるようなそんな雰囲気もある気がする。いや、むしろそんな感じが強くする。
実は高校時代にはクラスの男子全員と関係を持っていた。そんな過去まで勝手に捏造してしまう。そして、その際に自分がクラスメイトでなかったことが悔しくて堪らない。
「彼女が出演しているAVを、是非見てみたいっ!!」
西也は熱く拳を握りしめながら立ち上がった。青少年の魂が込められた願望だった。そしてストレスが極度に溜まっていることを物語っていた。
「…………可児江くん? 立ち上がって拳を握り締めてどうしたの?」
秘書役を務める千斗いすずが室内に戻ってきて首を傾げた。どうやら西也の恥ずかしい独り言は聞かれていなかったらしい。聞かれていたら確実にマスケット銃で撃たれていた。ギリギリセーフ。
「いや。事務仕事で体がなまっているんでちょっと各部門を見回って来ようと思ってな」
大げさに肩を回してみせる。
「…………そう」
いすずはどこか不信感を含んだ視線で西也を見ている。けれど、西也がとぼけ通すと諦めたように目を軽く瞑った。
「4時からは会議があるわ。それまでには戻ってきて」
「ああ。遅刻はせんさ」
西也はいすずから視察という名の休憩を勝ち取ることに成功した。
行きたいところはひとつ、だった。
甘城ブリリアントはバブル期に全国に無数に建てられた中規模遊園地の1つで歴史はそこそこ長い。キャストの中には数十年勤続している者もいる。
子ども騙しなアトラクションが多く客足は低調。だが、長い間不人気を続けてきてしまったことでそれに慣れてしまっている面もある。端的にいうと、キャストたちの士気はそう高くはない。必死に客を呼び込もうと創意工夫する熱意が見られない。
西也が視察に訪れることでキャストたちの弛んだ空気が一掃される。少なくともそれができるほどに達也は恐れられており認められてもいる。
「ゲストの前では常に笑顔。そして背筋を伸ばせ。受け答えは丁寧に元気良くだ」
西也は客商売の基本を述べながら巡回して歩いていく。AVへの煩悩が限界を超えて事務室に座っていられなくなったとは悟らせない働きぶりを見せる。
だが、その足は自然と安達映子が担当する屋外プール『スプラッシュ・オーシャン』へと向かっていた。
「夏場はプールが一番の集客スポットだからな。視察に熱が入るのも当然のことなのだ」
自分を熱心に納得させながら夏季限定の人気スポットへと足を踏み入れる。
屋外プールは親子連れを中心に賑いを見せている。園内の混雑は少なくとも西也が支配人代行に就任した当初にはなかった光景だった。
プールの中に鎮座する海賊船を利用したステージではショーが終わりを告げたところのようだった。ステージを離れた子どもたちが笑顔でプールに飛び込んで行く様子が見えた。
「ショーは成功だったようだな」
西也は大きく頷いて手応えを掴んでいた。『スプラッシュ・オーシャン』は西也の分析によればこのパークで唯一他の大型遊園地にも引けをとらない集客能力と満足度を提供できる部門となっている。
プールの設備自体は大したことない。だが、客を満足させるためのキャストが充実している。海賊鉄ひげとその部下をタダ働きさせることができ、彼らの海賊船を丸ごと手に入れられた。おかげでショーは本格的でかつバリエーションに富んだものを提供できる。
そして、そのショーの司会進行を担当しているのが安達映子だった。
鉄ひげたちがこのパークを本気で襲撃してきた時に映子はただ1人最後まで動じなかった。司会のお姉さんをやり遂げた。その舞台度胸を西也も高く評価している。
実際、西也はプール部門を中心に集客率増加を画策している。入場者数ノルマ達成のための切り札なのは間違いなかった。
ショー後の客の去り際を満足気に眺めていると映子が西也に気が付いた。彼女は子どもたちに手を振りながら西也の元へと小走りでやってきた。
「支配人代行。こんにちは〜」
どこかショーのお姉さんの響きを感じさせる声を出しながら映子は頭を下げた。頭を下げた際に赤いビキニ水着と白いパーカーにガードされている胸の盛り上がりが西也に見えてしまった。
思わずドキッと胸が高鳴り紅潮する西也。桃色方面に思考が行きがちな少年にとって、生映子の半裸は刺激が強すぎた。
「こっ、こんにちは、です……」
映子と目を合わせられない。喋り方もぎこちなくなってしまう。支配人代行として接せられない。彼女がAVに出演していたという経歴をどうしても強烈に意識してしまう。
気分転換のために事務室を離れたのに、映子本人に会ってしまったのでは逆効果だった。
「今日は視察ですか?」
身長差があるので映子に上目遣いに覗き込まれているような感じになる。モテない男子高校生には強烈過ぎる美女の眼差し。
「えっ、ええ。まあ」
大学生だと言うのに、年下にも見える無垢な笑顔を向けてくる映子に西也は心が欠片も落ち着けない。
こんな可愛らしい人が本当にAVに?
貞淑そうな容姿と豊富な性体験。そのギャップに恋愛経験もない意外と純情な高校生はどう対処したら良いのかわからない。
「その、子どもたちの反応を、見ていると、ショーが大成功しているのが、よくわかります……」
必要以上に気を使って丁寧に喋ってしまう。他のキャストに対しては年上相手でも断固とした口調で命令していると言うのに。
「はいっ。子どもたちに喜んでもらえてとっても幸せです♪」
表情に花を咲かせる映子。嫌味も媚もない澄んだ笑みを浮かべている。
こんな綺麗な人に相手してもらえる男は幸せなんだろうな。
映子の相手をしたAV男優たちに嫉妬の感情が湧き出る。
映子に恋しているのとは少し違うとは思っている。けれど、この綺麗な女性がAVに出ていたと思いながら眺めてしまうとドキドキが止まらない。
そして、ムッツリとはいえ、健全な男子高校生。彼女の艶姿が映し出された作品をぜひとも拝見したかった。
「……本人に直接聞いてみるか? 彼女なら大らかにDVDごとプレゼントしてくれそうな気もする」
腹の中で色々と溜まっていく一方なので、いっそのこと本人に聞いてしまいたくなる。けれど、すぐに首を横に振る。
「否。断じて否。出演していたAV作品を教えてくださいなんて、セクハラでパワハラで変態の所業以外の何物でもない」
達也は自分の考えていることにゾッとした。
西也はこのパークの支配人代行。映子はアルバイト従業員。地位を利用して彼女の過去を探ろうとすればできなくはない。けれど、それは上司失格で人間失格な行為に違いなかった。そもそも西也にそんな質問をする勇気はないのだが。
「どうかされましたか?」
「いえ。スプラッシュ・オーシャンがある限りこのパークは安泰だって思っただけです」
「そう言っていただけると、仕事をする上で励みになります」
嬉しそうな表情を見せる映子。こんないい表情をさせられたら、もうAVに関して尋ねることなんてできない。
「閉園まで、このプールは任せましたよ」
西也はこの場から撤退することにした。
「はいっ」
再び映子がお辞儀して胸とその谷間が西也の目にくっきりと映ってしまう。
自制したはずのAV作品に関する質問が頭の中に湧き上がってしまう。
「……気分転換、失敗だな」
会議の時間も近いので西也は事務棟へと戻ることにした。
「何を悩んでいるフモ?」
会議終了後、西也は会議室を最後に出たところで会議に参加していたモッフルに声を掛けられた。西也は厄介な奴に声を掛けられてしまったと内心で舌打ちした。
「別に悩んでなどいないぞ」
威厳に満ちた冷たい声で返す。けれど、長年この遊園地で人気キャストして勤め、多くの人間を観察してきたモッフルにそんな虚勢は通じない。
「嘘だフモ。今日のお前は会議の仕切りにキレがなかったフモ。みんな戸惑っていたフモ」
「俺にだって上手く取り仕切れん時ぐらいある」
モッフルは少し悔しそうな表情を浮かべた。
「今のこのパークの支配人代行はお前なんだフモ。みんな、可児江を頼りにしてるんだフモ。だからお前がしっかりしてくれないとボクたちはみんな困るんだフモ」
普段は喧嘩上等なモッフルらしくない殊勝な態度だった。素直な心配をされてしまうと西也の方が対応に困ってしまう。殴り合いを仕掛けられた方がまだ気が楽だった。
「それは、迷惑を掛けて済まなかったな……」
たどたどしく答えるしかない。
「で、何に悩んでいるんだフモ?」
肩に手を乗せられてしまった。普段ならウザいと手を払いのけるところ。だが今日は普通に心配されてしまっているのでそれもままならない。
「さあ、話してみるんだフモ。話せば楽になることもあるんだフモ」
人のいい人生の先輩みたいな態度で接してくるモッフルに違和感を覚えながらも話してみることにする。AVの知識はどう考えてもモッフルの方が上だったから。
「……実は、安達映子さんが出演しているAVのことがどうしても気になってしまってな。それで仕事が手につかんのだ」
西也が悩みの種をもらした瞬間、モッフルはニヤリと微笑んだ。それはどう贔屓目に見ても悪魔の笑みだった。それを見て西也は相談する相手を間違えたことを悟った。けれど、いまさら後の祭りだった。
「ほっほぉ〜♪ 可児江く〜んも男の子だったというわけフモね〜♪」
モッフルはバシンバシンと気軽に背中を叩いてくる。それは親しみを込めてというよりいいおもちゃをみつけた興奮だった。
それがわかっているからこそ西也としては早くこの対話を打ち切らなければならなかった。恥ずかしい暴露をしてしまった分は元を取らないといけないと打算を働かせながら。
「そう言えばお前はトリケンに聞いて映子さんのAV出演時の芸名と出演作を知っていたな。さっさと教えろ。俺にいつものスマートさを取り戻して欲しければ。さあ、早くっ!」
達也は自分の調子の悪さを担保に情報開示を迫る。だが、モッフルも伊達に人生長くは生きていない。もっともらしい理由を述べながら拒否しに掛かった。
「プライバシーに関わることだから教えるわけにはいかないんだフム」
「トリケンに写真を送って調べさせた奴の言うことか!」
「あの後にプライバシーの重要さに気付いたんだフモ。女性のプライベートな情報は教えられないフモ」
西也は大きく舌打ちしながらモッフルを睨む。
「チッ! ならばティラミーかマカロン、トリケン辺りに聞けばいいだけのことだ。貴様にもう用はない」
これ以上イジられるのは危険だった。何をされるかわかったもんじゃない。だが、こんな美味しい状況をそのまま逃すモッフルではなかった。
「フッ。同志たちには既に連絡済みだフモ。ティラミーたちが口を割ることは決してないフモよ」
黒い笑みを浮かべるモッフル。西也の青春の悩みを増大させる気満々なのが見て取れる。
「ならば、支配人代行の権力を使ってでも口を割らせるまでっ! 俺の双肩にはこのパークの未来が掛かっているのだ!」
西也は自分でもよくわからないハイテンションになりながら拳を握り締める。
「おっと……そんな権力に物を言わせる行動を取ってしまっていいんだフモ?」
「どういうことだ?」
モッフルは再びニヤソと笑ってみせた。その瞳は西也の後ろ、こちらに向かって歩いてくるいすずへと向けられている。どうやら彼女は戻らない西也を迎えに来たようだった。
「いすずにちょっと聞きたいことがあるフモ」
「何かしら?」
クールビューティーの美少女は髪を払いながら少しだけ面倒くさそうに答えた。
「AV情報を他人を通じて嗅ぎ回っている男をどう思うフモ?」
「死ねばいいと思うわ」
即答だった。
「そんな男が近くにいたらどうするフモ?」
「即射殺するわ」
即答過ぎた。西也の全身から嫌な汗が流れ落ちる。
ティラミーやマカロン辺りに脅しを掛ければ、きっとその情報はすぐにいすずの耳に入るに違いない。そうなったら、確実に死ぬ。西也の脳裏に明確に死の文字が浮かび上がる。
「可児江はボクともう少し打ち合わせをしてから事務室に戻るフモ」
「そう。わかったわ」
いすずは特に疑いを抱くでもなく立ち去っていった。けれど、いすずが去った後も西也の胸の動悸が収まることはなかった。
「ボクの言った意味、わかったフモね?」
余裕の表情、馬鹿にした目を見せるモッフル。ネズミもどきの言いたいことは先ほどのいすずの言葉でわかり過ぎるほどわかった。下手に嗅ぎ回れば死ぬ。それは理解した。だが、それでは問題が解決しない。
「映子さんの出演作が判明しない限り俺は悩み続ける。その果てに待つのはお前たちの失職だぞ」
甘城ブリリアントパークの経営は綱渡りという表現でさえ生ぬるいほどに深刻だった。西也の強気でキャストたちはまだ大丈夫という気分で働けている。が、それも彼次第で瞬く間に崩壊しかねない。いつ倒産してもおかしくないのがこのパークだった。
「そんなことわかってるフモ」
「ならば映子さんの出演作を教えろ」
西也はモッフルを睨んだ。だが、モッフルは動じない。
「断るフモ」
「なら、閉園だ」
「小僧はせっかちフモね」
瞳を細めるモッフル。パクリと言われることを何より嫌う妖精はとても恐ろしい助言を述べた。
「他人に聞けないのなら、安達映子本人に聞いて確かめればいいじゃないかフモ」
「…………俺に変態になれと言うのか?」
睨む西也に対してモッフルは澄んだ瞳で答えてみせた。
「映子ちゃんにプライベートな情報が聞けるぐらい親しくなればいいんだフモ」
モッフルの提案は西也にとってはとても複雑な気分になった。
「…………お前の提案は確かに悪くない。合法的で合理的判断だと言えよう。だが、俺は自慢じゃないが友達の1人もいないぞ。映子さんと親しい仲になるのは不可能だろう」
西也の弱点として人付き合いの悪さがある。それも極度と言って良いほどの。映子とプライベートなしかも敏感な情報を聞き出せるほど親しくなれる自信はなかった。
「ハッ。逃げ出すんフモか?」
それは明らかな挑発の声。モッフルは焚きつけるつもりなのだと西也にもよくわかっている。けれど、同時にその挑発を無視できないこともまた理解していた。
「お前が映子ちゃんと仲良くならなければストレスは解消されないまま。動員は達成できずに閉園となり、ここのキャストの大半がアニムス切れで遅かれ早かれ消滅してしまうのはお前もわかっているはずだフモ」
「そ、それは……わかっている」
顔を歪めながら頷いてみせる西也。メープルランドの住民は人々から忘れ去られると存在が消失してしまう。遊園地がなくなるとはキャストたちが人々の前に姿を現す機会を失ってしまうことを意味する。それは消滅へのカウントダウンに違いなかった。
「ラティファもいすずも遅かれ早かれ消えてしまうかもしれないフモよ。それでもお前は友達を作れないと逃げるのフモか?」
「ラティファといすずが……消える!?」
西也とてその可能性を考えてなかったわけではない。だが、実際にそれを口にされてしまうと緊張感が桁違いになる。自分の行っていることが経営再建という次元を超えて人の命がかかったものであることを強く意識する。
「そんなこと冗談ではないっ! 俺にそのような無様で不幸なエンディングは似合わないっ!!」
西也の声に勢いと張りが戻っていた。
「俺は映子さんと仲良くなってAVの情報を聞き出しこのパークを、そしてラティファたちを救ってみせるっ!!」
西也は大声で宣言していた。自分でも信じられない大声だった。モッフルはその宣言を聞いて澄み過ぎて胡散臭さ漂う笑みを浮かべて西也を応援した。
「映子ちゃんはとってもいい子なんだフモ。可児江が誠心誠意アプローチを続ければきっと親しくなれるフモ」
澄んだ瞳の悪魔は横を向いて呟いた。
「……小僧が映子ちゃんとくっつけばパークは安泰。そして、ラティファに群がる邪魔なオスを排除できる。一石二鳥なんだフモ」
目を光らせて黒いことを吐いている。だが、燃え上がってしまっている西也は気が付かない。
「さあ、ここに新聞勧誘員を脅して奪った深夜上映映画のチケットが2枚あるんだフモ。今夜早速映子ちゃんを誘ってみるんだフモ」
モッフルに映画の前売券を2枚強引に握らされる。チケットを眺める。
「俺が……映子さんを、デートに、誘う?」
西也にはデート経験がない。より正確には、いすずに銃で脅されてここに2人で来たことはある。だが、それを西也はデートと認めていない。デートとはもっと自由意志に基づくものだと乙女チックな主張を抱いている。そんな西也にとって年上の美女を映画に誘うのは大き過ぎる関門だった。
「偉そうに宣言しておきながら早速怖気づいたのか、小僧だフモ?」
「何だとっ!!」
安い挑発に乗ってしまう西也。むしろ自分から乗っていた。この難解なミッションをこなすには第三者の後押しがどうしても必要だった。それがたとえ悪魔の後押しであっても。
「ラティファやいすずを救うと言っておきながら、女1人映画に誘えない。ラティファはこんなチキン野郎にパークの再建を任せてしまったばかりに……可哀想なんだフモ」
モッフルの目から零れ落ちる雫。その左手にはキャップが外された目薬。
「やってやるっ! やってやるさっ! 必ずや、映子さんと親密になってAVに関する情報を聞き出してやるっ!」
チケットを握りしめながら西也は燃えていた。
「そう、それでいいんだフモ。計画通りだフモ…………映子ちゃんがこの小僧のモノになるのは惜しいでフモが、これもラティファのためだフモ」
モッフルはとても楽しそうだった。
「さあ、後は一工夫して小僧を後に退けなくしてやるんだフモ」
悪魔は黒い策士の表情を浮かべていた。
日没と共に遊園地は営業が終わり、各部門も本日の業務を終えて退勤時間となった。
普段は夜遅くまで事務室に残っている西也も今日は早めに退勤することにした。より正確には早めに仕事を終えて映子を誘おうと考えていた。
「可児江くん。ちょっといいかしら?」
机の上を整理しているといすずが声を掛けてきた。
「どうした?」
「モッフル卿が今日、マカロンたちと一緒に飲み会をやるから私たちも一緒にどうかと誘ってきたのだけど。可児江くんも参加する?」
いすずの話を聞いて西也はピンときた。モッフルに試されているのだと。映子をちゃんと誘えるか、それとも臆病風に吹かれて飲み会に来てしまうか見極められているのだと。
「悪いな。これから俺は人と会う用事があるんでパスだ」
いすずに、そしてその背後に潜んでいるに違いないモッフルに告げる。俺の意志は固いのだと。
「可児江くんが……アフター5に人と会う用事?」
クールビューティーが目を丸くして驚いている。その驚きぶりが西也には悲しかった。
「俺が夜に人と会うのがそんなに不思議か?」
「だって可児江くん、友達いないでしょ」
いすずの指摘はごく当然の事実を告げる口ぶりだった。
「そういう悲しい事実を堂々と指摘するなっ!」
グサッとくる一言が突き付けられる。そして、自分の発言に自信を得たいすずは疑惑の念を深める。
「可児江くん。誰と会うつもりなの?」
不審者を見る瞳が西也を見つめ込んでくる。まるで容疑者を疑う捜査官のよう。西也はとても心苦しくて切ない想いで胸がいっぱいになった。
「誰だっていいだろ……千斗には関係ない」
素直には返答しない。というか、映子とは何も約束を取り付けていない。ない約束は語れない。けれど、西也の秘匿しようとする態度はいすずの疑心を更に深めたようだった。
「まさか……エア友達っ!?」
「違うっ!!」
いすずにぼっちキャラの典型例のように思われていることを知って泣きたくなる。
「じゃあ、誰なの? 素直に言いなさい」
気のせいかいすずの口調は怒っているように聞こえる。何故怒っているのか西也には理由がよくわからないが。
「お前にそれを知らせる義務も義理もない」
「どうしても、言えないと言うの?」
「話すことは何もない」
「何よ、その言い方は?」
西也が拒むほどにいすずの表情は怒気をはらんだものになっていく。一触即発の事態になりそうなそんな時だった。
「いすずちゃんには話せない。それはすなわち、女と会うからに決っているんだロン」
緊張した空気をぶち壊すように中に入ってきたのはマカロンだった。マカロンは西也を見ながらやたらニヤニヤしている。ウザいとは思ったが、空気を壊すのには丁度良かった。
「いやぁ〜退勤後にデートとはぁ、可児江くんもやりますなぁ〜ロン」
「………………うるさいぞ、お前」
ゲスな表情を浮かべる羊を睨みつける。肯定も否定もしない。この手の輩に正直に受け答えしても面倒なことにしかならない。
一方でいすずはマカロンと西也の会話を聞いて怒りで赤くなっていた顔を一瞬にして青ざめさせていた。
「…………可児江くんは、これから、女の人と、会うの?」
声がやたら震えていた。唇が紫に変色している。歯がカチカチ音を鳴らしている。
「…………そうだが」
西也は少し考えた末に、会う相手が誰なのか具体的に知られなければいいだろうという結論に落ち着いた。その方がいすずも早く退散してくれそうだった。
「…………2人きり、で?」
「…………ああ」
今夜の目的を考えれば、多人数で会うより2人で会った方が良かった。第三者の前で出演していたAVについて教えてくださいと質問するのは変態過ぎる。
「…………それは、私と飲みに行くより、大事な用事、なのかしら?」
いすずの全身はガタガタと音を立てながら震えていた。
「そうだ」
キッパリと答えてみせる。
西也の今夜の用事には甘城ブリリアントパークの未来。そしていすずやラティファたちの命が懸かっている。モッフルの罠であるしょうもない飲み会と比べるまでもなかった。
「…………そう」
いすずは今にも倒れてしまいそうな不安定な足取りで西也の横をすり抜けていく。
「私、今日は、すぐに、寮に帰る、わ……」
いすずはマカロンに断りの言葉を告げると、波の上でも漂っているかのように左右に大きく揺れながら事務室を出て行った。
「ボクは離婚した妻から娘の親権を取り戻すのにいっぱいいっぱいだってのにコイツらは青春しやがって……ペッ、だロン」
マカロンは廊下に唾を吐きながらやさぐれていた。
「千斗のヤツ、風邪か?」
西也にはいすずの体調不良の原因がよく理解できなかった。
事務棟を出る。
「時間を食っちまったが、映子さんはまだいるよな?」
腕時計で時間を気にしながら屋外プールがある方を見る。『スプラッシュ・オーシャン』は水の管理があるので、他の部署より終業がどうしても遅くなる。映子がまだいてくれることを期待するしかない。
「あっ。可児江さま〜?」
少女のおっとりした、それでいて朗らかな声が西也の耳に届いた。
「ラティファか。こっちに来るとは珍しいな」
振り返るとピンク地のヒラヒラドレス姿の支配人ラティファ・フルーランザがにこやかな笑みを浮かべながら歩いてくる。そして、その隣にはモッフルの姿もあった。
「…………モッフルめ。直接仕掛けてくるとはな」
西也はラティファの登場が決して偶然などではなく、モッフルの試験第2段であることにすぐに気付いた。
モッフルはラティファを通して何か仕掛けてくる。西也は警戒を強めた。
「あの……可児江さま。この後、お時間空いていますでしょうか?」
ラティファはわずかに頬を赤らめ恥ずかしがりながら西也に暇か尋ねてきた。
早速来たか。西也は予想通りの展開に横目でモッフルを睨む。
「もし、お時間ありましたら……わたくしの部屋でご一緒に夕食などいかがでしょうか?」
ラティファがわずかに赤く照れた表情を浮かべながら上目遣いに西也の顔を覗き込む。
西也としては、純真な少女を騙すような形で試験に巻き込むモッフルが腹立たしい。何と返答すべきか頭の中で思索を巡らす。一方でラティファは西也が何も言わないので焦り始めていた。
「あっ、あのっ。2人でお食事と言っても変な意味なんて全然ないんです。デートとか、可児江さまと2人きりで時間を過ごしたいとかそんなではなくてっ。可児江さまに日頃の感謝を形にしてお伝えしたくて。それだけなんですっ」
ラティファにしてはやけに饒舌に言い訳している。とても珍しいことだった。と、思っていたら今度は急に真っ赤になって俯いてしまった。
「…………も、もちろん、可児江さまがデート。ということにしたいのなら、わたくしは一向に構いませんが……その、その方がむしろ嬉しいのですが……」
落ち着かないラティファを見ていると、彼女をけしかけた黒幕への不満が募っていく。何はともあれ、ラティファには西也の固い決意を告げなければならなかった。
「悪いがラティファ。俺は今日、夕食の先約があるんだ」
心の中でラティファを救うために。そう付け加える。
だが、申し出を断られた少女は、自分が拒絶されたのだと誤解してしまった。悲しみに満ちた今にも泣きそうな表情で西也を見上げる。
「……そうですよね。可児江さまほどの人気者ともなれば、お食事のお誘いは引く手数多ですよね」
嫌味かっ!
西也はそうツッコミを入れようと思ったが止めた。世間に疎いお嬢さまなラティファなら本当に西也がプライベートで人気者と思っている可能性も否定できなかった。
「とにかく、今日は先約があるんだ。食事はまたの機会にでも……」
「先約って、誰と食事に行く気なんだ色男〜フモ?」
さっさと切り抜けてしまおうと思ったらモッフルが横槍を入れてきた。
モッフルは誰と会うつもりなのか知っているのにこの言い草。事態を面白がってニヤニヤしている表情に腹が立って仕方がない。
「もしかしてぇ〜〜女の子と2人きりで食事に行こうってんじゃないのかフモ〜?」
しかもモッフル自ら爆弾を投下してきた。「違うっ!」と否定すれば、西也の根性のなさとラティファへの愛のなさを馬鹿にするに違いなかった。
「ああっ、そうだよ。俺はある女性と2人で食事と映画に行くつもりなんだよっ!」
モッフルに屈するわけにはいかなかった。それが西也の思惑とは全くかけ離れた方向に話を転がしてしまうとは知らずに。
「かっ、可児江さまには……夜に2人きりで食事をなさる、そういう女性が、いらっしゃるのですね……?」
ラティファの声は激しく震えていた。体も激しく震えている。先ほどのいすずと同じ反応を見せている。
「ラティファ?」
彼女の様子がおかしいことはすぐにわかった。けれど、モッフルが見ている手前、今さら発言を覆せない。
「ああ。いる。夕食を共にし、映画を見たい女性がな」
「そっ、それは、どなたなのでしょうか……? わたし、気になります……」
ラティファの全身の震えが更に大きくなる。眼の焦点も合っていないように見える。体が丈夫ではない彼女のこと。風邪を引いてしまったのではないかと心配になる。
だが、それはそれとして西也が誰と食事しようとしているのか具体的に教えるわけにはいかなかった。ラティファの隣のネズミもどきがAVに関することを清純な少女に吹き込まないとも限らない。ラティファが汚れてしまう。
「済まないがプライベートに関わることなので教えるわけにはいかない」
西也の返答を聞いて目に見えてラティファの表情が暗くなる。
「わたくしは可児江さまにとってプライベートなお話をお聞きして良いような仲ではないのでしょうか……そうですよね。わたしなんか……」
「いや、そんな大層な話ではなくてだな」
ラティファが自虐モードに入ってしまったので慌てて止めようとする。だが、モッフルはラティファの肩を抱いて西也の言葉を遮った。
「可児江くんは大人の女とのデートに忙しくて、ラティファみたいなお子ちゃまに構っている暇はないんだフモ。コイツのことはさっさと全部忘れてメープル城に帰るフモ」
「貴様ぁっ! なんていい方しやがるんだ!」
モッフルを激しく睨む。だが、優位に立つモッフルは余裕の笑みを改めて浮かべた。
「じゃあ、今から会う相手はラティファより子どもだフモか? 小学生フモか?」
「…………ラティファより大人の女性だよ」
誘導尋問されていることを自覚しながら答える。
西也はラティファの正確な年齢は知らない。けれど、その見た目は西也より年下。中学生ぐらいにしか見えない。映子とどちらが大人かと言われれば答えは決まっていた。
「そっ、そうなのですね。やはり可児江さまは大人の女性の方が……うううっ」
ラティファは俯いてしまった。そんな彼女の頭をモッフルは優しく撫でた。
「そういうことだフモ。可児江くんは男の子だからエロい欲望を満たせる大人の女にしか興味がないんだフモ。さあ、ラティファ。頭の中はエロでいっぱいなゲス男にはさっさと見切りを付けて帰るんだフモ」
「あのネズミもどき……好き勝手言いやがって」
モッフルの言い方では西也は完璧に悪者になっている。けれど、何も事情を知らないラティファが西也に断られてしまったのも事実。反論したくてもなかなかできない。
「それでは可児江さま……失礼致します…………うううっ」
先ほどのいすずと同じようにラティファは大きく体を揺らしながらモッフルと共に去っていった。
「いすずといいラティファといい、どうして俺が他の女と一緒に食事をすると言うとあんなにショックを受けるんだ?」
西也にはまったくもって謎だった。
西也は『スプラッシュ・オーシャン』を管理している地下機械室へとやってきた。
既に7時を過ぎ、他の部署の者はほぼ全員帰宅している。けれど、この屋外プールの地下施設だけはまだキャストが忙しく動いていた。
「あっ。可児江先輩。こんばんはです」
最近新しくキャストの1人となった、西也の高校の1年後輩のツインテール少女中城椎菜が声を掛けてきた。上がり症の椎菜はその愛らしい容姿を活かすことなく裏方として働いている。この夏の間は屋外プールの保守点検を補佐するのが主な仕事になっている。
「遅くまで精が出るな」
辺りをさり気なく見回す。視界の中には映子が入って来ない。椎菜がいるので多分帰ってはいないはずだが、どこにいるのかわからない。
「実は夕方から排水施設の調子がちょっと悪くなっちゃって。それで、レンチくんさんとゲンジュウロウさんたちと一緒に見ていたんですよ」
「『スプラッシュ・オーシャン』が営業中止になったらこのパークは終わりだ。不調はどうなったんだ?」
「みなさんの頑張りのおかげでついさっき正常復帰したところです」
「そうか。それはよくやった。おかげでこのパークは延命したぞ」
椎菜の頭を撫でながら安堵の息を吐く。椎菜は顔を真っ赤に染めながら撫でられるままにしている。
「あっ、あの、ですね」
椎菜は小さな体で潤んだ瞳をしながら上目遣いに西也を見ている。
「どうした?」
「よっ、よっ、よろしければ……この後……」
「この後?」
「椎菜と……一緒に夕飯を食べに行きませんかぁ〜〜っ!?」
最後だけはやたら大きな声だった。
「マックにでも寄って行こうという話か?」
「そ、そうではなく。椎菜ももう高校生ですし……その、大人同士ってことで、雰囲気のいいお店に2人で……」
「大人同士?」
西也は椎菜を眺めた。身長は多分150cmに満たない。幼児体型。ベビーフェイス。髪型はツインテール。一部の客層から確実な支持を得られそうな外見。けれど、それは大人という単語とは対極にあるものだった。
「おっ、大人じゃなくてもいいですからっ! しっ、椎菜と一緒に、食事に行きましょうよぉ〜〜っ!!」
椎菜は再び大声で叫んだ。
「大声で叫ぶな。ここは声が響くんだ」
西也は頭を抑えながら苦言を呈する。ここはプールの地下だけあって空間の密封度が強固。声はよく反響してしまう。
「それで、先輩は、椎菜と、食事に行って、くれるんですか?」
たどたどしい口調とは逆に燃え上がるような瞳が西也を捉える。
「…………済まないが、今日はムリだ」
目を逸らしながら答えた。
「ええ〜〜っ!? 何でなんですかぁ? 可児江先輩、夕飯を一緒にする友達いなさそうなのにぃ……」
「……どうしてどいつもこいつも俺をぼっちキャラと決め付けるんだ。事実だけどな」
頭を抱える西也。けれど、泣きたいのは椎菜の方だった。
「誰とっ? 誰と食事に行くんですかぁ? まさか、エア友達ですかぁっ?」
「いすずと同じ意見かよ…………女だ、女。俺より年上の女性と2人で食事に行くんだよ」
2つの前例があるのでさっさと答えてしまうことにする。だが、西也のその配慮を欠いた返答は椎菜にいすずとラティファと同じ反応を引き起こしてしまった。
「あうぅっ!? やっぱり、可児江先輩は椎菜みたいなお子ちゃまじゃなくて、大人の女がいいんですね……」
「中城が何を言っているのかよくわからんのだが?」
「可児江先輩のおっぱい星人〜〜〜〜っ!! でも、負けましぇんから。アイシャルリタ〜〜ンですぅっ!!」
椎菜は泣きながら駆け去ってしまった。
「何なんだ、一体?」
そして西也はラノベ主人公の如く鉄の意志で鈍感を貫いた。
「椎菜ちゃんが泣きながら去っていきましたけど……どうかしたんですか?」
いつの間にか隣に私服に着替え終えた安達映子が立っていた。椎菜に気を取られて接近に気付かなかったらしい。
「えっと……まあ、思春期ゆえの情緒不安定というやつです。はい」
適当なことを言って誤魔化す。
「そうですよねぇ。椎菜ちゃんは高校生だもの。勉強にバイトに恋に、青春に大忙しだものねぇ」
映子は過去を懐かしむ表情で椎菜が去っていった方向を見ている。よくよく考えてみると椎菜と西也は1歳しか違わない。つまり、映子の目には椎菜も西也も同じ思春期の青春高校生に見えていることになる。それは何だか自分が子ども扱いされているようで西也には納得しがたいことだった。
「映子さんだって、2年前は俺たちと同じ高校生だったわけじゃないですか」
西也は映子が自分より大人であることを認めている。けれど、それを映子自身から暗に指摘されてしまうのは寂しかった。
「そうよねぇ。もう、遠い昔のことのように感じるけれど……セーラー服を着ていたころからまだ1、2年しか経っていないのよねぇ」
綺麗な長髪を払いながら物思いに耽る映子は、西也に大人の女を感じさせるのに十分な魅力を放っていた。
「…………あっ」
西也は映子の姿に目を奪われていた。
美しい女性なら、色香のある女性なら芸能界に属していた時にいくらでも見てきた。
どんな女性が大人っぽいのか。その基準は西也の中で綿密な尺度を持っている。そのはずだった。
けれど、西也が天才子役として活躍していたのは小学校の途中までのこと。子どもの目から見た第三者的な観点での魅力的な大人の女像が磨かれていっただけだった。
こうして西也本人が大人の女性の魅力に心奪われるのは初めてのことだった。
「その、映子さんは……とても綺麗な大人の女性、だと思います……」
どうしても映子を前にするとたどたどしい敬語調になってしまう。自分が年下の子どもであることを自覚してしまう。
「あら。ありがとう。家や大学内やここにいると大人として扱われることなんてほとんどないから。嬉しいです」
「い、いえ。本当のことを、言ったまでです……」
そしてまた無邪気な笑みが向けられて西也はペースが狂わされてしまう。大人なのか少女なのかよくわからない。
けれど、徹頭徹尾大人の女性であるよりも少女らしさを残してくれた方が西也にとっては魅力的だった。
西也自身、自分が大人であるとはまったく考えていない。だから自分が精一杯背伸びすれば届くと思える女性でないと恋愛対象としては見られない。その意味で映子は西也の恋愛対象としてピッタリだった。
「うん? 恋愛対象?」
西也は自分がおかしなことを考えているのに気が付いた。
「急に俯いてしまって、どうかしましたか?」
「いえ。何でもありませんっ!!」
心配する映子に、大きな声を出しながら何でもないことをアピールする。そんな西也は自分の挙動不審ぶりが先ほどのいすずやラティファ、椎菜と全く同じであることに気が付いていない。
「そう言えば支配人代行はどうしてこちらに? ゲンジュウロウさんと打ち合わせですか?」
西也は胸が一際高鳴るのを感じていた。いよいよ本題に入らなければならない。友達が作れないというある種のコミュ障である西也にとってデートのお誘いは難易度が高い。
でも、やらないわけにはいかなかった。
「それは、ですね……」
ラティファといすずの顔が思い浮かぶ。西也にとって大切な少女たちをアニムスの欠乏で失うなんて絶対に許容できなかった。西也は自分を激しく自分を奮い立たせた。
「実は……」
「実は?」
西也は映子の綺麗な瞳を見ながら精一杯の度胸を言葉に変えて爆発させた。
「これから俺と食事して映画に行きませんか?」
同姓の友達さえいない人間が異性を食事に誘う。可児江西也にとっては一世一代の大博打だった。
「えっと……」
映子はしばらくの間、キョトンとした表情で西也を見ていた。そのまま待つこと30秒。彼女は年上の女性らしい余裕を含んだ笑みを浮かべた。
「西也くんが私をデートに誘っている。そう解釈して良いのかしら?」
西也に対する呼び方が変わった。今までの支配人代行から西也くんへ。その変化のインパクトはぼっちで非モテな人生を歩んできた西也には圧倒的なものだった。何しろ年頃の女性に名前で呼ばれた経験なんてほとんどない。
「はっ、はい。是非、俺と一緒に食事に……」
年上の女性の放つ色香の前に西也はドキドキしっ放しだった。赤面し呼吸も乱れている。少年の緊張と動揺は映子にも伝わっていた。西也を見ながらクスっと笑っている。そんな映子の反応に西也はますます緊張と動揺の波が高まってしまう。
「う〜ん。どうしようかしら〜? 椎菜ちゃんたちに怒られちゃいそうな気もするし」
天井を見上げながらイタズラな笑みを浮かべる。
「どうして中城が怒るんですか?」
西也にはわけがわからない。映子をデートに誘うのと椎菜にどんな関連性があるのか。西也は仕事以外での想像力に欠如した部分がある。そしてラノベの主人公体質だった。
「……西也くんにはそれがわかるもっと素敵な男の子になってもらわないとねぇ」
映子は西也へと視線を向け直した。大人の女性。西也は再びそれを強く意識してアップアップになる。
「西也くんのデートのお誘い。喜んで受けさせてもらいますね」
映子は西也の手をそっと握り締めた。その瞬間、西也の表情が花開いた。
「本当ですかっ!!」
「はいっ」
躊躇いのない、けれど優しい声色の返答。
「やったっ!!」
西也は初めて女性がデートの誘いに承諾してくれたことに感動の渦に浸っている。
そして、デートを引き受けてくれた安達映子という女性に強く心惹かれていた。
この時点で西也は何のために安達映子をデートに誘ったのか忘れてしまっていた。
「それでは、出掛けましょうか……?」
緊張し過ぎてやたらぎこちなく尋ねる。
「そうしましょう?」
映子は西也の右腕を取りそのまま組む姿勢を取った。自信過剰なくせにその実とても初心な少年は大人の女性からの積極的なアクションに完璧に呆けてしまっている。
古い型のロボットのようにぎこちない動きで映子とともに出掛ける西也。自分で誘った生まれて初めてのデートに完璧に舞い上がってしまっていた。
それからの出来事を西也はほとんど記憶していない。
イタリアンレストランで食事して、深夜上映の映画を見た。それからタクシーで映子を自宅へと送り届けた。大まかな行動は覚えている。デートの最中、ずっと気分が高揚して幸せな気分に包まれていたことも覚えている。
けれど、具体的に何を喋ったのか、どう反応したのか全然覚えていない。ずっと映子を見ながら舞い上がっていた。そんななのでAVに関して聞けるはずもなかった。
「よしっ! 今日も遊園地にガンガンゲストを呼び込むぞ。みんな、気合を入れろっ!!」
それでも映子とのデート体験は西也にとってはとても良い気分転換になった。映子とAVを結び付けて考えることを積極的に拒否するようになった。そして気分が良くなったことで再び仕事に集中できるようになった。それによりパークの経営危機はひとまず過ぎ去った。
だが、西也と映子のデートは各所で波紋を巻き起こすことになった。
ティラミーやサーラマに現場を目撃され、速攻で写メを撮られてパーク関係者中にデートの事実が広がってしまった。
西也と映子が付き合っている。そう噂が流れるようになるまで時間は掛からなかった。
そして、西也と映子のデートという事態に対しそれまでは消極的な態度を取っていた少女たちが積極的なアプローチを仕掛けるようになった。
季節は夏。物語は大きく動き出す──
了
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pixivで発表した甘ブリ作品その1 | ||
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