甘ブリ番外編 西也には血の繋がらない妹がいるらしい |
甘ブリ番外編 西也には血の繋がらない妹がいるらしい
「可児江くんには早紀という名前の中学3年生の血の繋がらない妹がいるのよ」
晴天が続いている1月中旬のある平日の午後3時。メープル城のテラスでは、休憩時間を利用してラティファ主催の女子会が催されていた。その席で千斗いすずは身辺報告書に書いてあった可児江西也の個人情報を何気なく漏らしてみた。
いすずにとってそのリークは特に深い意味があるものではなかった。西也が話題になっていたので、自分が知る彼の情報をネタに添えてみただけだった。
可児江のプライベート情報に関して本人の了承も得ずに話してしまったことをまずかったかなと少し思うぐらいだった。
西也本人の口から妹に関する話は出たことがない。最初の接触を図る前に探偵社の調査を通じていすずが一方的に極秘裏に知っていた久武早紀という少女の存在。
だが、いすずのちょっとしたリークは、彼女の思惑を超えて大きな衝撃を女子会の参加者たちにもたらすことになってしまった。
「そうですか。わたしに義妹がいたのですね……」
最初に反応を示したのはメープルランド第一王女のラティファ・フルーランザだった。ラティファは木製のお盆を持つ両腕をわなわなと震わせていた。
「中学3年生ということは15歳。呪いが解けたわたしと同じ年齢ですね。同い年の義妹とどう接して仲良くしていけばいいのか……わたし、気になります」
いつも笑みを絶やさない美しい姫が珍しく真剣な思案顔だった。
「あの。何故、可児江くんに妹がいるという話から、ラティファさまに義妹がいるという流れになるのでしょうか?」
いすずの質問に対してラティファは全身を赤く染めて俯いて恥ずかしがった。
「だって、可児江さまの妹ということは……その、わたしにとっても将来の妹。ということですから……ポッ」
ラティファの控えめながらも大胆な爆弾発言。その隠し切れない宣戦布告はライバルたちを一斉に刺激した。
「その早紀という子は姫さまの義妹ではありません。椎菜の義妹なんでしゅ。早紀ちゃんは椎菜がお義姉さんとして可愛がるのでしゅよ」
続いて意見を述べたのはパークのアルバイトキャスト中城椎菜だった。椎菜は特徴のツインテールを激しく振り回しながらラティファの言葉の含意を否定する。
けれど、心優しいラティファ姫も今回ばかりは譲らなかった。
「椎菜さんの場合は、椎菜さんが早紀さんの妹になるのではないですか?」
「違いましゅっ! 椎菜はこう見えても16歳。早紀ちゃんよりも姫さまよりもお姉さんなんですっ!」
どう見ても小学生にしか見えない外見で椎菜は熱く語る。
「まあまあ。そう熱くならないでください。早紀ちゃんのことはみんなが頭に入れておけばいいことですから」
「そうです。この場で私たちが早紀さんの所有権を争うことは無意味です」
年齢が上のミュースとコボリーが冷静な対応を呼び掛ける。
「……ミュースもコボリーもその早紀って子が自分の妹になるって思ってるくせに優等生ぶっちゃって」
ボソッと場を燃焼させに掛かるサーラマ。ミュースもコボリーも顔を赤くして俯いてしまった。
「何なの、この状況は?」
いすずは何故、平和だった女子会の雰囲気がこうも荒々しくなってしまったのか。その原因を考えてみることにした。
いすずが話題にしたのは西也の妹。それが何故、自分の義妹と話題がすり替わってしまったのか?
「久武早紀を妹にするには、彼女を養子に招き入れるのが最もポピュラー。でも、久武家に家庭内暴力があるとも経済的に困窮しているという話もない。養子縁組はないわね」
現在の久武家は西也の実父と再婚した妻、その娘である早紀の3名で構成されている。西也は新家庭ができて数ヶ月もしない内に家を出て、父の妹である久武藍珠の元で暮らすようになった。仮に養子縁組の話が出るのなら、不安定な地位にある西也のはずだった。
「彼女の母親が自分の父親と再婚することでも義妹とすることも可能。でも、その可能性はないわね」
いすずは2人の年少組を見た。
椎菜は消防士だった父を5年前に亡くしている。
ラティファの場合、父親はメープルランドの国王。離婚再婚などという話が簡単に通るわけがない。従って、親同士の再婚もありえない。
別の可能性を考える。後、考えられるのは……。
「可児江くんは将来私と結婚するのだから久武早紀は私の義妹になる。何故ラティファさまたちの義妹になるのか欠片も理解できないわ」
大きく大きく首を捻る。大声での独り言に女子会参加者たちの尖った視線が一斉にいすずへと向けられる。けれど、彼女は平然とそれを受け流す。少なくとも態度の上では。
千斗いすず。彼女もまた豪の者だった。
「西也くんと早紀ちゃんはどんな仲なのかしら?」
険悪になり掛けた雰囲気を元に戻そうとしたのは大学生アルバイトキャストの安達映子だった。映子ののほほんとした表情がいすずへと向けられる。
いすずは小さく咳払いをすると自身の知る西也・早紀兄妹の仲に関する情報を晒した。
「私は早紀という子を直接見たわけではないのだけど。報告書によると、可児江くんと早紀さんの仲はそこそこ良好で、可児江くんも妹さんにはわりと優しくしているそうよ」
女子会参加者の間に再び緊張が走る。
「それって、いつの報告書でしゅか?」
椎菜が恐る恐る手を挙げて質問した。
「私が初めて可児江くんに接触する前に受け取ったものだから……去年の4月末段階ね」
「あの、やたら高圧的で人を容赦なく見下していた時点の可児江さんが優しくしていた女あの子なんですか……あっ」
ミュースは慌てて口を閉じた。可児江に対する失言だと思ったのだろう。
けれど、彼女の言いたいことはよくわかった。
「可児江さまは早紀さんをよほど特別視していた。というわけですね」
ラティファの言葉を否定する者は誰もいなかった。そしてラティファの言葉は更なる推測を呼び起こした。
「つまり、西也くんは妹さんが好き、なのね」
映子の楽しげな一言は場に再び緊張感をもたらした。
「あ〜。可児江くんって妹大好き人間、シスコンだったんだね〜。よしっ、早速拡散しよう〜」
サーラマがスマホを弄って不穏な書き込みを始める。だが、それを止める者はいない。いすずの報告を通して明らかにされた『西也=妹好き』という情報をどう処理するかで頭がいっぱいだった。
「つまり、西也お兄さまの妹になれれば、早紀さんを義妹にできる。そういうことですね」
答えを誰よりも先駆けて口にしたのはラティファだった。
「ラティファさま……可児江くんの呼び方が急に変わっていますが?」
いすずの指摘にラティファは再び頬を赤らめた。
「わたしは以前から可児江さまのことをお兄さまのようにお慕いしておりました。でも、血の繋がりはありませんので……わたしは、結婚できる方の妹です」
イヤンイヤンと腰をくねらす姫殿下に何と言えば良いのかいすずにはわからない。
「椎菜も前から西也お兄ちゃんのことをお兄ちゃんだって思っていたんでしゅ。でも、椎菜は欲張りさんなので、その内に妹のままじゃ我慢できなくなるのです」
「中城さん。貴方もなの……」
年少組は早速妹キャラに転身を図った。見事な切り替えの速さだった。
けれど、妹キャラへの転身は西也より年下だからこそできること。そうでないメンバーにとっては悩みどころだった。
「私は、妹っぽいキャラにはなれても妹にはなれないかなあ。可児江さんより年上だし」
落ち込んだ表情を見せるミュース。対してコボリーは目を輝かせている。
「私は見ての通りのちっぱいのロリ体型です。合法ロリとして兄チャマの妹になるのも悪くありません。チェキです」
右手をチョキを横にした構えで目の前に当ててポーズを取るコボリー。コスプレ感覚でやる気満々だった。
「……地味なコボリーまで妹の座を狙うなんて……」
状況はいすずにとって予想外の方向へと向かっている。
可児江に妹がいることを知らせただけのはずだった。どんな妹なのか想像して盛り上がれば十分だった。なのに現状は、西也に妹と認められた人物が彼と結婚することができるという流れになってしまっている。そして、西也がシスコンであるという意見に反論する材料は何もない。ラティファには特に優しいことから、年下の女を気に掛けるタイプなのは間違いなかった。
「私も妹キャラになるべきなのよね……」
いすずは自分が口に出したことが無理難題であることをよく自覚していた。
いすずと西也は同級生。単純に年齢的な問題からも妹を名乗るのは無理がある。
また、いすずはスタイルの面なら超高校級であることは自覚している。妹キャラというとロリをどうしても連想してしまうのでやはり似合わない。
スタイル面を無視しても、世に溢れている妹キャラと自分をどうしても重ねることができない。明るく健気なお兄ちゃん大好きっ子。そんな自分をどう頑張ってもイメージできない。
教官に習って訓練でも積めば話は別かもしれない。軍人としての学習能力ならある。けれど、コミュ障で愛想の悪い自分がそう簡単に会得できるとは思えなかった。
「すいませ〜ん。遅くなりました」
伴藤美衣乃が遅れて女子会へとやってきた。息を切らしている。ティラミーのアトラクションのアシスタントが長引いてここまで走ってきたからだった。
そんな美衣乃を見ながら映子はポンっと手を叩いた。
「お兄ちゃんを持つ妹の登場ね〜♪」
映子の言葉にいすずを含めたみんなのギラギラした瞳が一斉に美衣乃へと向けられる。
「えっ? 何? 何ですか……?」
事情を知らない美衣乃はドン引きしている。肉食獣に目を付けられた草食獣みたいな震え方になってしまっている。
「伴藤さん。妹の心構えを私に教えなさい」
「何で鉄砲を構えたままわけのわからないことを訊いてくるんですか?」
美衣乃の震えは根拠のあるものだった。いすずの銃の引き金がとても軽いものであるのはもうよく知っている。
「今ね〜みんなで妹になるのが流行しているのよ〜。それで現役女子高生妹の美衣乃ちゃんに〜その心得を聞いてみたいのよ〜」
映子がおっとりした声で事情を説明する。AV出演経歴のある彼女の声には人に安らぎを与える効果がある。いすずたちに睨まれてブルブル震えていた美衣乃も怯えがなくなった。
「確かに、あたしには血の繋がらないお兄ちゃんがいますけど。でも妹として何か特別なことはしてないので教えられることなんて何もないんですが……」
怯えがなくても美衣乃にとって答えられる質問ではなかった。けれど、答えられないと述べた美衣乃の返答にいすずたちは大きな興味を抱いてしまった。
「伴藤さん。貴方はあの、ブリーフ姿にストッキングを頭に被ったお兄さんとは血が繋がってないの?」
「昔はあんな変ではなかったんですけど……血の繋がりで言えば、あたしとお兄ちゃんには血の繋がりはありません。伴藤家は色々と複雑な事情を抱えてまして……」
美衣乃は俯いてしまう。パークで美衣乃は自分の家の事情を話したことがない。
スーパービジネスマン一家の億万長者から一転して貧乏アパート暮らしへ。父の失職と病気による家族の崩壊。そして、美衣乃の呪いとしか表現できない流血事件の大量発生。
伴藤家を次々と襲った悲劇により、父は病に倒れ、母は家を出ていき、血の繋がらない兄は狂気に侵された。現在まともなのは美衣乃ひとり。その美衣乃とて流血沙汰が日常茶飯時になっている。
だが、そんな重過ぎる伴藤家の不幸にいすずたちの注目は向かなかった。
「血の繋がらない健気で可愛い女子高生妹。そんな存在が世の中に実在していたなんて……」
「すごいのでしゅ。ラノベのヒロインみたいなのです」
みんな、美衣乃が血の繋がらない兄を持っていることに驚いていた。
そして間もなく大量の質問を浴びせられた。
「お兄さんを起こす時はどうしているの?」
「普通、ですけど……」
「朝ご飯は誰が作っているのでしゅか?」
「朝、と言わずに全食あたしが作ってます。もちろん、お兄ちゃんの分も」
「お兄さんに着替えを見られてしまうなんてことは?」
「……うちは狭くて、その、自分の個室さえないので。着替えを見たり見られたりはわりとしょっちゅうです……」
「じゃあ、じゃあ、お兄さんが男を連れ込んで男同士で絡み合ってエッチなことをしている現場を見たとかは!?」
「お兄ちゃん、昔は女の子からモテたんですけど。どんどんおかしくなってからはあたしにばっかり執着しています。男を連れ込むって何ですか?」
いすず、椎菜、ミュース、コボリーと次々に質問を受けるがどうにも要領を得ない。何が聞きたいのかいまいちわからない。
「それではわたしから質問です。美衣乃さんはお兄さまのことが好きでいらっしゃいますか?」
ラティファから質問はわかり易かった。けれど、とても答えにくい質問でもあった。
「……えっと、まあ、おかしくさえなっていなければ、その、普通に好き、ですけど」
美衣乃としては家族として普通に好きと答えたつもりだった。けれど、いすずたちの反応は違った。
「やはり、妹は兄を愛するものなの? 二次元だけの話じゃなかったの?」
「椎菜がお母さんに見ることを禁じられている深夜アニメは真実だったのでしゅか?」
やたら大きな反応を見せている。何にそんなに反応しているのか美衣乃にはよくわからない。漫画の類はノータッチだった。
「それじゃあ、お兄さんは美衣乃ちゃんのことを愛していると思う?」
映子の質問も意図は明白だが答え難いものだった。
どうしてもしばらく考えてしまう。そして、いすずたちの期待の視線を浴びながら答えを示した。
「愛しているかいないか2択で答えるなら愛していると思います。おかしくなっちゃってからは、その、愛情というか、独占欲が歪んだ方向に向かっていると思いますが……」
兄との関係を考えると頭が痛くなる。美衣乃が流血事件によく巻き込まれるようになってから家族や親しかった人々がみんな悪い風に変わってしまった。やっぱり呪いとしか思えない変化が起きている。
もっとも、呪いのせいにするなんてただの現実逃避に過ぎないことはわかっている。だから、本気で考えているわけでもない。
美衣乃が葛藤していると、いすずたちは勝手に結論を出していた。
「やはり、お兄ちゃんは血の繋がらない妹を愛するのでしゅね」
「可児江くんもそうなのね。もうそうに決まったわ」
「ああっ。どうして私は可児江さんより年上に生まれてきちゃったのぉっ。こうなったら年上だけど可愛い系キャラを押すしかっ」
「合法ロリ妹作戦の決行です」
「西也お兄さまの妹になる。そして、妹からお嫁さんになる。これしか道はありません」
5人の美女たちは己の生き方を定めた。
「あの、みなさんは一体何を言っているのですか?」
いすずたちの考えが読めなくて焦る美衣乃。映子はのほほんとして答えた。
「みんな青春、してるのよ」
「青春、と言われても……」
美衣乃には結局、ラティファたちが何をしたいのかわからず終いだった。
この会議で最後まで一言も発しなかったシルフィーはひとり空中庭園で踊り続けていた。
「まさか、可児江くんが妹萌えのシスコンだったとは知らなかったわ……」
パークの営業終了後、女子寮の自室に戻ったいすずは今日の女子会の総括と今後の対策を練っていた。
西也がシスコンであると確信を抱いたラティファたちが即座に行動に移ってくるのは間違いない。いすずとしても今後の方針を即座に定めて実行する必要があった。
とはいえ、方針を定めようにも大きな問題があった。
「可児江くんが喜ぶ妹像ってどんなものかしら?」
いすずには西也の喜びそうな妹キャラに関する知識が不足していた。エリート軍人である彼女は深夜アニメやラノベを見ない。ネットを通じてひどく漠然とした妹ヒロインキャラについての知識はあるが、情報量に乏しく作戦には使えない。
そんなわけでいすずは妹について学ぶ必要があった。
「伴藤美衣乃は質問の最中『普通』という回答を好んで用いていたわね。つまり、“普通の妹”になれさえすれば、可児江くんは私にメロメロにできるわけね」
美衣乃との対話から得た分析を口にしてみる。エリート軍人として養ってきた観察眼は伊達ではない。いすずは早速インターネットで情報収集することにした。
「とりあえず今放送しているアニメの中で妹がヒロインである作品を検索してそのヒロインを参考にしてみましょう」
検索すること数分。
「『新妹魔王の契約者(テスタメント)』ね。題名に妹って書いてあるしこれにしましょう」
狙いを定めたいすずは早速公式サイトから情報を集めることにする。そして、主人公の東城刃更(CV:中村悠一)の紹介を見て驚かされた。そこには彼の立ち絵とともにキャラクターの信条を表す一言が載せられていた。
『兄貴ってのはな! 世界を敵にしても妹を守ってやるもんなんだッ!』
「やはりシスコンである可児江くんも同じようにして、妹のためなら世界を敵に回す覚悟を固めているのね……」
世の中のシスコンを甘く見ていたことを痛感する。可児江西也争奪戦とはすなわち、彼の妹と認められた者が勝者であることを改めて認識し直す。
「一体どうすれば可児江くんに妹として認められるのかしら?」
今度は重点を妹ヒロインに変えて更なる調査に乗り出すことにする。その調査には鬼気迫るものがあった。
「トリケンっ! 新妹魔王の契約者のアニメのデータを今すぐ寄越しなさい。えっ? AVじゃないから持ってない? なら、知り合いから速攻譲り受けなさいっ!」
アニメを視聴し、原作、コミカライズと一夜で全読した。その結果、夜明け頃に一つの答えを得た。
「つまり……妹というのは、兄とのあらゆる接触をエッチなことに変換してしまえばいいのね。そして、エッチな兄を喜んで受け入れる……それが妹、なのね」
とにかくエロい。エロ過ぎるのが妹。
それがいすずの得た結論だった。
「可児江くんの妹になる。つまり、私にこんな破廉恥な真似をしろというの?」
朝起こしに行ってはパンツを見られて押し倒されて胸を揉まれる。食事を作る時は裸エプロンかそう見える服装。お風呂やトイレは踏み込まれるのがデフォ。それ以外にもエッチなお仕置き、トラブルは日常茶飯事。そしてそんなエッチ連発の兄を受け入れ愛する。
いすずが想定していた以上に妹の道は険しかった。潔癖症ないすずにこの道はあまりにも険し過ぎた。けれど──
「姫殿下や中城椎菜が妹になることを拒むとはとても思えない」
恋のライバルの中でも妹になることに特に積極的な2人の顔が思い浮かぶ。
年齢的に妹になり易い2人が本気を出したら?
部屋に起こしに来たラティファと椎菜を西也がベッドに押し倒して胸を揉んでいるシーンを想像してしまう。
「可児江くんっ! それは絵的に犯罪よっ!!」
ブラ要らずと心の中で密かに認識している2人のペッタンコな胸を揉むが如き行為を許せるはずがなかった。
いすずの中で犯罪を未然に防ぎたいという正義の炎が吹き荒れる。
「可児江くん……揉むのなら私の胸にしなさいっ!!」
いすずは時計へと振り返る。時刻は既に6時を数分回っていた。現時刻を確認していすずは焦った。
「ラティファさまたちに後れを取るわけにはいかないわっ!」
いすずは1分の睡眠も取らないまま、制服に着替えると西也の住むマンションに向かって全力疾走を始めたのだった。
午前6時半。5千mの自己ベストを大きく更新したいすずは最短タイムで西也の家に到着した。息を切らしながら彼女は玄関の戸が半開きになっていることに気付いた。
「やはりもう乗り込まれているというわけね」
恋のライバルたちの初動は早かった。いや、妹に対する理解がなかった分、いすずだけが乗り遅れた構図だった。それを理解するや否やいすずもまた断りなしに玄関の内へと飛び込んでいった。
西也の家にはかつて一度泊まったことがあるので間取りは頭に入っている。台所から料理をする音が聞こえた。既に誰かが活動している。けれど、そちらは一旦無視する。
いすずは本命である西也の部屋へとノックなしで入り込んだ。
「ラティファさま、中城さん……やはり、既に来ていたのね」
部屋の中にはラティファと椎菜が既に室内に入り込んでいた。けれど、2人は西也に押し倒されて胸を揉まれるという事態にはなっていなかった。
2人並んでベッドに寄り添いながら西也の寝顔を眺めていた。
「西也お兄さまの寝顔……可愛らしいです」
「普段は口うるさいお兄ちゃんも寝ている時は天使でしゅ」
ラティファたちはほこほこした表情で西也の見たまま動かない。起こすという本来の目的を忘れているようだった。
「チャンスっ!!」
いすずはラティファたちの隙に一発逆転のチャンスを見出した。
「可児江くんは私が起こして、私が彼の妹になるのよっ!!」
いすずはベッドに向かって走り幅跳びの要領で大きく飛んだ。
「はっ! いすずさんっ!!」
「お兄ちゃんの妹の座は譲らないのでしゅっ!」
いすずの行動に気が付いてラティファと椎菜も慌ててベッドの上へと飛び乗る。その結果、3人の少女が寝ている西也の体の上に同時に伸し掛かることになった。
「ぶびゃあっ!?!?」
西也は奇妙な悲鳴を挙げながら目を開いた。苦痛に耐えながら目を開けると、3人の知り合いの少女が自分の体の上に乗っている見たことのない光景が広がっていた。
「何じゃそりゃあああああぁっ!?」
西也が感じたのは喜びではなく異常性。そして恐怖。拒絶反応で体が震える。だが、そんな西也の反応を見ながらもいすずたちは諦めなかった。
「西也お兄さま。おはようございます?」
「西也お兄ちゃん。おはようなのでしゅ?」
声にハートを含ませながら妹たちが兄に朝の挨拶をする。
「お兄さま? お兄ちゃん? 俺はお前らの兄になった覚えはないぞ」
西也はラティファたちの呼び方に警戒心を露わにした。「お兄ちゃん」と呼ばれて単純に喜ぶ輩ではなかった。人間不信の気が強いから。重くて動けないのでしかめ面で満面の笑みを浮かべる年下の少女たちを牽制した。
「私は可児江くんのことをにーにーなんて呼んであげないんだからねっ!」
「意味がわからんぞっ!」
恥ずかしがるいすずに絶叫で返す。とにかく落ち着かない。
「それでお前ら何をしに来た?」
ビビリながら少女たちに問う。
「西也お兄さまを起こしに参りました」
「椎菜たちを褒めて欲しいでしゅ」
「感謝してくれてもいいのよ」
キラキラした6つの瞳が向けられる。期待に満ちた少女の瞳。それは西也にかつてないプレッシャーを与えた。
「あ、ありが、とう」
震える声で形式的に礼を述べる。けれど、それが限界だった。
「礼は述べたからお前らもう家から出て行けっ!」
恐怖が大きな声となって出てしまう。人間関係にヘタレな西也には少女たちの裏に隠された愛情を見抜けなかった。
3人は顔を見合わせた。そして一斉に頷いてみせた。
「「「嫌です(でしゅ)(よ)」」」
いすずたちは断固拒否した。それどころか3人とも身を西也へとすり寄せて密着させてきた。3人の肌の柔らかい感触が西也を更に動揺させる。
「わたしは西也お兄さまの妹です。だから、ずっと一緒です。一生……ポッ」
「椎菜におはようのキス。してもいいのでしゅよ」
「まったく、朝からケダモノよね。でも、そんな可児江くんを受け入れられるのは妹であるこの私だけなんだけど」
「それがわけわからんと言っているのだぁ〜〜〜〜っ!!」
居心地の悪さが爆発して西也の火事場のクソ力が発動した。3人の少女を布団ごと持ち上げてベッドから放り投げる。
「「「きゃぁあああああああぁっ!?!?」」」
いすずたちから悲鳴が上がるものの西也は無視して自室から逃げ出した。
世話やきな妹にベッドに登られて起こされる。美少女アニメでは日常茶飯事なシチュエーションは俺さまキャラなわりにシャイな少年には耐えられなかった。
西也は自室をパジャマ姿のまま飛び出した。台所の方でフライパンがジュッと何かを焼いている音が聞こえた。慌てて方向転換して台所へと駆け込む。
「藍珠姉さんっ! 何故アイツらを勝手に家に上げたんだっ!」
叔母に一言文句を言わねば気が済まなかった。だが、怒り焦っていた西也は自分の迂闊さに気付けなかった。
藍珠が朝から台所に立つはずがない。だから、台所にいるのは彼女ではない。そんな単純な図式が見抜けなかった。
ただ愚痴りたくて台所へと無警戒に飛び込んでしまう。
「………………あっ」
台所の中の光景を見て西也は硬直した。
「おはようございます、兄チャマ。お目覚めはいかがですか?」
「おはようございます、兄さん。って、やっぱり私が言うとちょっと無理がありますよね。なんか、お水の付く商売みたいで。私、水の精霊ですけど」
台所の中で料理をしていたのはコボリーとミュースだった。だが、西也が硬直したのは予想外の2人に出くわしたからではなかった。
「おっ、お前ら。その、格好……」
震える手で2人を指差す。
「妹が料理を作る時は裸エプロンが常識ですよ、兄チャマ」
「私はちょっと恥ずかしいんですけど。でも、常識なら仕方ないかなって」
2人は裸に白いエプロンを1枚巻いただけだった。シャイで女体に慣れていない西也にとってそれは刺激が強過ぎるファッションだった。裸よりも強烈なインパクトだった。
「きゃっ!? 油がっ」
フライパンの油が跳ねてミュースの体が大きく仰け反る。その際に大きな胸が激しく上下動して揺れた。ついでに一瞬ではあるがピンク色の先端が見えてしまった。
もう、限界過ぎた。
「うぼいほほいっhかえおいいいrひおひおぉっ!?!?」
言語になっているのかわからない謎の悲鳴を挙げながら西也は自宅から逃げ出した。パジャマで裸足のまま住宅街の中を駆け抜けていった。陸上選手を彷彿とさせるような綺麗なフォームだった。
そんな少年を窓から眺める5人の美女。
「思った以上ににーにーはシャイ過ぎたわ。これは妹に慣れる更なる特訓が必要ね」
ラティファたちは一斉に頷いた。
この日から美女たちの西也特訓が始まった。
「私たちの本当の戦いはこれからよっ!!」
「「「「おーっ!!」」」」
いすずたちは西也の妹になるために燃えに燃えていた。
彼女たちの本当の戦いはこれからだった。
打ち切りエンド
「…………映子さん。ちょっとよろしいでしょうか?」
西也は青ざめた表情で喫茶店に呼び出した映子へと話し掛けた。
「どうしたの、セイくん?」
普段から大人っぽい映子。今日はそれに加えて大きな包容力を感じる。
まるで姉と接しているかのような安らぎを覚える。西也は安堵感に包まれながら昨今感じている胸の苦しさを打ち明けた。
「実は、うちの女性キャストたちが妙な奇行に走り始めてしまってどうして良いのやら。お兄さまとかお兄ちゃんとか兄チャマとかにーにーとかもうわけがわかりません」
魔法の国のおかしな奇病でも蔓延しているんじゃないか?
西也にはそうとしか考えられない。そんな日々が続いて精神は摩耗し頭を抱えてしまっている。もう限界だった。
「大丈夫。映子お姉さんがセイくんの相談に乗ってあげるから。うふふ」
西也は映子に正面から抱きしめられた。大きな胸に顔を埋めるのは恥ずかしかったが、彼女の心臓の鼓動がとても安心させてくれた。
「はい。よろしくお願いします」
西也は目を閉じてこの居心地の良さにしばらく身を委ねることにした。
1年と3ヶ月後。
「そろそろ式の時間だから行こうか、映子さん。いや、映子」
「そうね。行きましょう、セイくん。ううん、あなた」
大学の医学部に合格した西也は入学と同時に映子とゴールインを果たすことになった。
「でもまさか、姉のように慕っていた映子とこうして結婚することになるとは思わなかったな」
「私は血の繋がらないお姉さんだから……結婚だってできるのよ」
感慨深い表情を浮かべる西也に対して真っ白いウェディングドレス姿の映子は茶目っ気たっぷりに笑ってみせた。
西也は最初、映子に姉として相談に乗ってもらっていた。けれど、2人きりで会って話をする機会が増えるに連れて彼女をひとりの女性として見る瞬間が増えていった。
そしていつしか2人は恋人同士となりやがて男女の深い仲へとなっていった。義理堅い西也はまだ高校生だったがプロポーズして映子はそれを受け入れた。それから西也が医者になることを条件に2人の結婚が認められることになった。そして医者になるための第一歩を踏み出すと同時に2人の婚姻となったのだった。
「あなたと結ばれて、私はとても幸せよ」
映子は優しい笑みを浮かべながら自身の下腹部をそっと撫でた。
2人の結婚が年齢的に見ればやたら早いのには理由がある。だがそれはここでは割愛する。強いて言うのならお腹が目立つ前に入籍と挙式をしたいというのが映子の希望だった。
「あなたが妹萌えじゃなかったことに感謝だわ…………計算通り、ね♪」
恋のライバルたちに打ち勝った勝因を挙げながら満面の笑みを浮かべる花嫁。大病院の院長の娘である彼女の計算は色々な意味で完璧だった。人生初の体験で、イケメンで将来有望株な夫をゲットするのに成功する結果をちゃんと残していた。
「俺は一度だって妹萌えだなんて言ったことはないのに。何でそんな誤解が生じたのか。さっ、2人で幸せになりに行くぞ」
「ええ、あ・な・た?」
映子は西也に手を取ってもらい、披露宴の会場へと向かって歩き出したのだった。
映子花嫁エンド ―完―
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