甘ブリバレンタイン 病床とチョコケーキ(ラティファ)
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甘ブリバレンタイン 病床とチョコケーキ(ラティファ)

 

「こんな大切な日に、体調を崩してしまうなんて……」

 2月14日のバレンタインデー。メープル王国第一王女ラティファ・フルーランザは天蓋付きのベッドからの見慣れた光景に気を落ち込ませていた。

 体調を崩してしまい立ち上がることもままならない。バレンタインデーを週末を迎えてパークは最高潮に忙しいというのに支配人として情けなく思う。それ以上にひとりの少女として辛かった。病床の身で思い返してしまうのは昨夜の出来事。

 ラティファは昨夜、フードコートの厨房を借りてチョコレート作りに励んでいた。去年の内からレシピを考えていた特製チョコレートケーキを意中の少年のために作っていた。

 チョコと特製はちみつ入りのケーキの生地を焼き終えてこれから創意工夫の見せ所のトッピングに掛かろうとした瞬間だった。急に目の前が暗くなって体に力が入らなくなった。エプロンにドレス姿の少女が床に崩れ落ちる音が鳴り響く。ラティファの意識はそこで途絶えた。

 気が付けばメープル城の自室のベッドの上で寝ていた。結局、チョコケーキは作りかけのままで終わってしまった。

 ラティファの体は今でも呪いに掛かっている。パークの営業が好調でアニムスの供給量が豊富なために呪いによって体が酷く蝕まれていないだけ。それでも稀に体調不良に陥る時がある。今回もまたそうだった。

「せっかく可児江さまに美味しいケーキをいただいて欲しかったのに……」

 バレンタインデーに西也に最高の手製チョコレートケーキを贈る。それはラティファにとってずっと暖めてきたささやかな夢だった。

 西也がケーキを食べて微笑んでくれる。その光景を想像するだけで幸せになれた。

 そんな幸せがこの体調不良のせいで手から零れていってしまった。

 

 

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「ラティファ。具合はどうだフモ?」

 モッフルがラティファの枕元へとやってきた。ブラっと立ち寄った体裁を取っている。けれど、その体裁が相当な無理の上に成り立っているものなのはすぐにわかった。

「……お忙しい中をわざわざ来て頂いてすみません、おじさま」

 寝ている状態で頭を下げられないので代わりに目を伏せる。

 モッフルはこのパークの一番の人気キャスト。客入りの多い週末ともなれば開園から閉園まで休む暇もなく園内を動き回っている。

 そのモッフルがわざわざメープル城まで足を運んだ。往復だけでも20分以上は時間を取られる。見舞い時間も考えればモッフル自身にも他のキャストにも相当な迷惑が掛かっていることが容易に読み取れる。見舞いに来てもらったのに落ち込んでしまう。

「…………ボクにとってはパークの営業よりもラティファの方が大事なんだフモ。だから申し訳なく思う必要は全然ないんだフモ」

 モッフルはラティファの額を優しく撫でた。その手の心地はとても良かった。安心した。けれど、だからこそ申し訳無さが抜けない。

「で、ですが……」

「今のパークは昔とは違うフモ。ボク以外のメンバーがみんな活き活きとして働いている。ボクが少し抜けたぐらいでどうにかなるほど軟じゃないんだフモ」

 モッフルは誇らしそうに語った。

「そうですね。今はみなさん、一生懸命に、そして楽しく働いていらっしゃいますよね」

「………………あの小僧のおかげなのは間違いないフモ」

 モッフルはそっぽを向いた。照れているらしい。

 西也の支配人代行就任を最も嫌っていたのはモッフルだった。そのモッフルが西也の功績を認めている。それはラティファにとって嬉しいことだった。

「はい。可児江さまはこのパークの救世主。わたしにとっては命の恩人です」

 ラティファは楽しげに声を上げた。実際、西也がいなければこのパークは去年の8月段階で廃園していた。アニムス欠乏で今頃ラティファは消えていたかもしれない。だから西也は命の恩人というのは間違った解釈ではない。けれど、正しいとも言えなかった。

「ラティファにとってアイツは命の恩人で括っていいんだフモか?」

 モッフルの問い掛けにラティファの顔が熱を持つ。

「命の恩人、というだけではありません。可児江さまはわたしにとって……とても特別な男性です」

 全身が熱い。体調不良を引き起こしている微熱よりも遥かに熱い熱と想いがラティファの体を駆け巡っている。西也のことを想うと体の熱が冷めやらない。『恋焦がれる』とはよくできた言葉だと姫少女は想った。

「………………最近は思うことがあるフモ」

 モッフルはラティファに背を向けながら独り言のように語った。

「何を、ですか?」

「もしあの小僧にこのパークとラティファの全てを背負う覚悟があるのなら……支配人の地位を正式に譲り渡してやってもいいんじゃないかって」

「そっ、それは、つまり……」

 ラティファの表情がパッと輝く。同時に顔が赤く染まっていく。

「病人相手に長居し過ぎたんだフモ」

 モッフルはラティファの問いに答えることなくベッドから離れていく。

「ラティファさえ望めば幸せは意外と近くにあるんだフモ。頑張るんだフモ」

 叔父はそれだけ述べると寝室を去っていった。

「ありがとうございます、おじさま」

 ラティファは心が軽くなっていることを感じていた。

 

 

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 時刻は午後3時を迎えていた。ラティファの体調は起き上がれる程度には回復していた。けれど、起き上がると怒られそうなので大人しく寝ている。

「可児江さまに贈るチョコケーキ……」

 気力に余裕が生じると、どうしても昨夜のことを考えてしまう。作りかけのまま放置してしまったケーキのことを。

「わたしの気持ちが可児江さまに届くことって……本当にあるんでしょうか?」

 西也を慕っている女性が多いことはラティファも重々承知している。恋のライバルたちはバレンタインを機に積極的に動いてくるに違いなかった。

 そんな中、自分はチョコも渡すことができず一目顔を見ることさえもできない。自分が情けなくて仕方がない。そして、今日中に西也が誰かと結ばれてしまうのではないかと想像すると怖くて仕方がない。

「可児江さまの声が聞きたいです。お顔を拝見したいです……」

 弱気になるラティファ。

「…………俺だ。入っても良いか?」

 その声をはじめは幻聴ではないかと疑った。弱った心が生み出した都合の良い妄想が声となって聞こえたのではないかと。

「ラティファ……寝てるのか?」

 けれど、その幻聴は消えてくれなかった。

「おっ、起きてます。どうぞ」

 慌てて返事をしながら上半身を起こして手で髪を整える。鏡が近くになくて勘を頼りに必死に寝ぐせを取る。西也にみっともない姿を見せたくはなかった。

「起こしちゃった、か?」

 目の前に立っているのはどう見ても可児江西也本人だった。ラティファの生み出した幻影でも幻聴でもなかった。ラティファが強く会いたいと思っていた人物が目の前にいた。

「い、いいえ。しばらく前に目が覚めましてそれからは起きていました」

 西也が目の前にいる。それは少女の心にとって何よりの特効薬となった。気分が自分で目に見えて良くなっていく。けれど、思慮深い少女は考えずにいられなかった。

「あの……お仕事お忙しいのでは?」

 聞くまでもない質問だった。自分に代わり支配人代行を務める西也はモッフルよりも忙しい環境にいる。時間の余裕なんて1分もないのは明白だった。

「ここまで来られてよろしかったのでしょうか?」

 西也を困らせるだけの質問に違いないことはラティファ自身がよく知っていた。ラティファが体調を崩さなければ西也はここに足を運ぶことはなかった。モッフルと同様に無理やり時間を作り出してここまで来たのは間違いなかった。

「たまたまメープル城に用があったからな。そのついでに上まで寄っただけさ」

 西也は自分の来訪がラティファの負担にならないように気を使っている。こういう言い方をすること自体、暗に相当な無理をしてここに来たことを物語っていることに西也は気が付いていない。

「それに、モッフルからこれを持って行くように頼まれたんだ」

 西也はテーブルの上に置いていた白い大きな箱を見た。

「おじさまが、ですか?」

「ああ。ここに来る前にモッフルが慌てて飛んできてこれを渡していった」

 ラティファは箱をジッと見る。モッフルがここに運んできそうなものに心当たりはなかった。

「可児江さま。立ち上がりますので、少し肩をお貸しいただけますか?」

「俺が持ってくるからラティファは寝ていろ」

 西也に立ち上がることに反対されてしまい、仕方なくベッドまで運んできてもらう。

 ラティファはベッドの上に正座して西也に運んでもらった箱を膝の上に乗せる。

「あまり重いわけではないようですが、一体、何でしょうね?」

 不思議がりながら箱を開ける。

 その中に入っていたのは──

 

 

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「チョコレートケーキ? 何でモッフルがラティファにチョコを渡すんだ? ファミチョコってやつか?」

 西也はモッフルに託された物がチョコレートが生地に含まれたパウンドケーキであることを疑問に抱いていた。トッピングなどは施されておらず、店の売り物にしては作りかけのような印象を与えている。

 けれど、そのケーキを見た瞬間にラティファは全てを理解した。それが何であるかを。

「おじさま……」

 モッフルのおせっかいに思わず目頭が熱くなる。

「どうした?」

「いえ。せっかくですからこのケーキを今頂きませんか?」

 満面の笑みを浮かべながら西也に尋ねる。

「今、か?」

「丁度3時のおやつに良いと思います」

「まあ、ラティファがそういうのなら少し頂くか」

「では、わたしに切り分けさせてください」

 西也に手伝ってもらいながら起き上がる。西也は自分でやると述べたがラティファは自分で準備をしたかった。

 ケーキを切り分け紅茶を準備する。西也と向い合って座る。

「どうぞ。召し上がってください」

「じゃあ、いただきます」

 西也がケーキを口に運ぶのを眺めながら胸を高鳴らせる。

「美味いな、これ」

 感想を尋ねる前に西也が味について述べてくれた。

「それは、良かったです」

 安堵するラティファを見て西也はこのチョコケーキの正体に気が付いたようだった。

「もしかしてこのケーキはラティファが作ったのか?」

「はい」

 西也に小さく頷いて返す。

「正確には生地の部分だけ作り終えたところで倒れてしまったので未完成品だったのですが。おじさまが気を利かせて運んでくださったのです」

「あのモッフルがなあ」

「はい。おじさまが……認めてくださったんです」

 ラティファの頬がわずかに赤くなった。

 

 ラティファは西也が手製のチョコケーキを幸せそうに眺めている。だが、その際に置き時計が視界に入ってきた。

「…………えっ?」

 いつの間にか時刻は4時を過ぎていた。お茶の準備をするのに思ったよりだいぶ時間を取られていた。結果的に西也を1時間以上引き止めてしまっていることになり、ラティファはゾッとした。

「わっ、私。お忙しい可児江さまをこんなにも長い間お引き止めしてしまって……も、申し訳ありません」

 深く頭を下げて詫びる。今頃事務棟は西也を探してパニックになっているのではないか。そんな想像まで働かせてしまう。

「ラティファが元気になってくれることがこのパークのみんなにとって、そして俺にとって何より重要なんだから問題はない」

 西也はラティファの心配をアッサリと否定してみせた。

「ですが……」

「俺がこのパークの支配人代行を引き受け続けているのは……結局のところ、ラティファ。お前がいるからなんだよ」

 西也の言葉に胸が高鳴った。恐る恐る顔を上げて西也の顔を見つめる。西也はいつになく優しい表情を浮かべていた。

「ラティファの命が掛かってると思えばさ……幾らでも頑張れるさ。東京都の最低時給なバイト料だろうが労働法適用から遥かに外れた労働待遇だろうが関係ないさ」

 おどけてみせる西也にラティファの口から小さく笑いが漏れる。支配人としては絶対に笑ってはいけない話を聞かされているのに場を盛り上げようとする西也の心遣いが嬉しかった。

「あまり詳しく覚えているわけじゃないが……俺はガキの頃にラティファに会っている。今思えばあれは俺の初恋だった」

 『初恋だった』という語りに少しだけ胸の痛みを覚える。ラティファは1年毎に記憶をリセットされてきたために、子どもだった西也と出会った時の記憶がない。

「あの、その初恋は……もう終わってしまったのでしょうか?」

 過去形で語られているのが嫌だった。

「結局あの後、俺はラティファと何年間も出会わなかったからな。あの初恋がどうなったのかは俺にもわからない。でもな」

 西也はラティファの白く細い手をそっと上から握り締めた。

「俺は何度でもラティファという子に惚れてしまうらしい。お前がいるから、俺はここの支配人代行になったし、今も代行を続けている。結局俺は好きな女のためにこのパークにいるんだよ」

 ラティファは嬉しさと恥ずかしさが限界を超えて危うく倒れてしまうところだった。西也に支えてもらってやっと倒れずにいる。ラティファはそのまま西也に体を預けた。

「西也さまにはこのパークの正式な支配人になっていただきたいというのが私の希望です。それには、その、わりと手の掛かる女の子の面倒を一生みてもらうことになるのですが……」

「アルバイトでこき使われている分は支配人の地位と可愛い嫁さんで補填してもらわないとわりに合わんな」

「はいっ」

 満面の笑みを浮かべるラティファ。

それは西也が甘城ブリリアントパークの正式な支配人に就任するしばらく前の出来事だった。

 

 

 了

 

 

 

 

 

説明
pixivで発表した甘ブリ作品その10
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甘城ブリリアントパーク

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