DarkandRed 〜 朝のこない夜のなか 六章
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六章 殺害者は、20代女性

 

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「申し訳ありません。こんな時間を指定することになってしまって」

「いえ、俺は全然その、構いませんよ。夜って言っても、まだ七時ですし」

「手短に終わらせるつもりではありますが、あなたは暗い中を帰らなければならないことになるので、それはこの街ではリスクを伴うことでしょう。それを踏まえた上での謝罪ですよ」

「ああ、なるほど……。しばらくここを離れていたので、その感覚がマヒしていました」

「おめでたいことで」

「……結構、饒舌なんですね。エスピレオさん」

「あなたはマコトの知り合いなのでしょう?私にその時の記憶はありませんが、マコトの客は私の客です。全く話さない訳にはいきません」

 シゾノがミナミと出会って二週間が経っていた。言うまでもなくそれは、スウェーとの戦いが一週間後に迫っていることを意味する。

 そんな折、気になる手紙が来た。差出人は“長峰雄也”という名前であり、シゾノは知らなかったが、マコトの入院している病院を知りたいという、思わず気になる内容が認められていた。彼はマコトが現在はあの事務所(現在が廃墟であることは自らの目で確認したそうだ)いるのではなく病院に入院している、という情報は得たそうだが、その入院先は誰もがまるで口止めをされているように「知らない」の一点張りだったので、遂に相棒である彼女に情報を求めたのだった。

 シゾノの役目は、マコトを守り抜くことでもある。危険な相手に入院先を教える訳にはいかないが、彼女の部屋にやって来たユウヤ少年は、元々はこの街にいたとは思えないほど垢抜けた、人好きしそうな顔の人物だった。

 それだけで信頼する訳にはいかないが、いかにもマコトの知り合いらしい風貌と性格をしているように思える。

「一応俺、事務所にいたんですけどね。エスピレオさんは寝ていましたが」

「寝ていたのでは仕方ありません。私は眠っている時に開く瞳を持ってはいませんから」

「意外と冗談、言うんですね」

「……人を珍獣か何かのように観察するのはやめてもらえますか?」

「あっ、ごめんなさい……」

「冗談です。私の話し方はそこまで真に迫っていますか?」

「割りと、そうですけども」

「それは失礼しました。どうにも軽口を飛ばすようなことはできない人間なようで」

 さすがのユウヤ少年も、シゾノがどういう仕事をするのかは知っている。彼女のような人間がウェットに富んだジョークを量産することを得意としていたら、それはそれで恐ろしいし、軽い恐怖を抱いたことだろう。

「ところで、その女の子はもしかして娘さんですか?初めて見る子ですが」

「……さっさと本題に入らなくてもよいのですか?……後、私としてはあなたの想像力と一般的な常識力について疑問を抱かずにはいられません。彼女は五歳、もしも私の実子であれば、私は十五歳で出産をしていることになります。五年前の私は今よりいくらかまともな人間だったので、行きずりの男性と子を作るような爛れ乱れた生活はしていませんでしたよ」

「は、はは、そうですよね。じゃあ預かっている子なんですか」

「一応はそういうことです。名前はミナミということになっています。それは良いのですがユウヤさん。私に常識などについて心配されるということは、どれだけ屈辱的なことかわかっていますか?」

「い、いやあ。俺も大概な生き方をしてきましたから。イヤミみたいですけど、いわゆるおぼっちゃまみたいな育ち方をして、そこからいきなり貧民に落とされたんです。一般常識なんてとてもないですよ」

「自虐がお好きなのですか?」

「いえ、そんなには」

 ミナミは行儀よく一人がけのソファに座り、二人のやりとりをそれなりに楽しそうに見ている。

 対人での依頼の受諾は視野に入れられていないため、シゾノの部屋にはかつての事務所のように大きなソファはなく、一人がけの小さなものが二つあるだけだ。本当は一つでもよかったのに、わざわざもう一つ用意したのは、マコトを意識したからだった。

 今はその内の一つをミナミ、そしてもう一つをシゾノが使用しているため、ユウヤは立たされていた。フローリングの床にはじゅうたんも何も敷かれていないため、そこに直接座る訳にもいかない。

「ともかく、ミナミは賢い子ですので、邪魔にはなりません。話を進めましょう。これ以上、無駄に時間を消費するのは私も好みませんから」

「そうですね。いい加減に。……それで、マコトさんの入院しているのは」

「場所を知らせることはできます。ですが、それにどんな意味があるのですか?あの病院はお金さえ払えば全てを病院側でしてくれるようなところです。着替えやらなにやらの世話は必要ありませんし、マコトのことですから、既にあちらでも友人を作っていますよ。あるいは、知人が同じように入院しているかもしれません。あなたが行ったところで、大した貢献はできないかと」

 先ほどまでの、ぎこちないながらも友好的な話し方から一転、彼女の話し方には抜身の刃のような冷たさがあり、言外に行くなと命令している。忠告や提言ではなく、強制力を持った抑止をしようとしているのだ。

「別に、そういうのがしたいんじゃないんです。むしろ、俺なんかが今更訪ねて行ったところで、迷惑なだけですよね」

「ええ、そうでしょう。ではこのまま帰りますか?」

「いえ。困るんです、それは。まずはこの街を出たはずの俺が、どうしてまたここに来たのか、その理由から話さないと」

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 数日前に自殺者が出た。

 その病院に関する噂はそればかりで、当初はその自殺者である少女とは……と暗い想像をしてしまっていたが、よくよく聞くとどうやらそうではないらしい。そもそも、自殺などあればさすがにシゾノにも連絡が行っているはずだ。

 楽観的、というのも死者の生まれた病院で不謹慎だが、やや安心しながら受け付けを済ませ、十二階に上がったユウヤは知らされていた部屋をノックしたが、どうにも誰もいない。午後一時から四時までは面会時間であり、この時間には入院者が確実にいるはずなのだが、彼女はリハビリを熱心にしているという。しばらく廊下をさまよい、少女の姿を探した。

 その中でまた、マコトの情報を集める。入院患者は男性が大半で、女性は目立つことだろう。すぐに情報は集まり、彼女がいくルートもなんとなく掴めたが、何分広い病院だ。おまけに廊下は入り組み、ちょっとした迷路と化している。一度道を覚えればなんのことのない迷宮だろうが、案内もなく、目当ての人物も移動している今は、途方もない作業をしている気になって来ていた。

 二十分は歩いただろうか。迷いながらの歩みだったので心身ともに疲れ果て、とぼとぼと再びマコトの病室の戸を叩く。すると、今度は応答があった。入れ違いになっていたのか、と苦笑と溜め息を同時にする。

『はーい、誰か知り合いの人?勝手に入っちゃっていいよ』

 そう言っている顔を想像できる話し方は、なんともマコトらしいもので、思わずにやけてしまう。怪我をして少ししおらしくしているかと思いきや、全くの平常運転らしい。その方がわかりやすくて好ましかった。

「こんにちは。一応俺、ユウヤなんですけど、覚えてくれてますか?」

「おー、あのユウヤくん?あの、貧乏臭くて、本当に臭くて、女々しかった!」

「……散々な言われようだなぁ、反論できないけど」

「わーわー、本当にユウヤくんじゃん!こんにちは」

 ベッドに横たわるのではなく、松葉杖を手に持ちながら壁に体を預け、窓の外を見ていたマコトは、器用に振り返ると懐かしい人物との再会に笑顔を見せる。さすがに少し弱々しく見えるが、パジャマに包まれた肢体の魅力は相変わらずで、活動的な美人という言葉がよく似合う。オレンジの髪は少し伸びていて、ロングに近い長さとなっていた。

「こんにちは。ええと、恥ずかしながら、帰って来てしまいました」

「まさか、あたしのお見舞いのため、とか馬鹿なことを言わないよね。もう皆、君のことを忘れてるだろうし、ここでひと暴れしに来たの?」

「うーん、そういう感じと言っておけばいいかな。ともかく、俺はマコトちゃんに会いに来たんだ」

「は、はー、そうなんだ。ところでやっぱりあんたのその呼び方さ、強烈に恥ずかしいんだけど」

「ええっ、でも俺の中ではマコトちゃんはマコトちゃんだからなぁ」

「まあ、そんな呼び方とかにこだわらないけどさ。慣れればいいんだし。でも、どうしてここが?まさかシゾ……エンピレオ。いやもうシゾノでいいか。あの子から聞き出したの?」

「一応、仕事という形なら教えてくれたんだ。多分、あれだけの情報に対して、恐ろしくブラックな価格設定だったけど」

 マコトのイメージの中の彼はカネに困っていたが、今はそうではないのだろう。そうでなければ、カネを毟り取られた後で頭をかいて見せることはできない。――もう彼を送り出してひと月にもなる。確かな時間が流れ、彼の事情も変わったのだと想像してみると、なんだか感慨深かった。マコトが入院し、友人を得、失った間に他の人々も様々な経験をしている。

「そっか。でも、本当に懐かしいね。元気してた?あたしは骨をめちゃくちゃ折ったけど、今はかなり治ってるし退院も見えて来てるよ」

「俺は元気。あの後、なんとか稼ぎ口を見つけて、しばらくお金を貯めたんだ。……それからまた、戻って来た」

「どうして?まさかマフィアになって、効率的に稼ぎたくなった、なんて言わないよね。それは成長じゃなく、後退でしかないよ」

「大丈夫、そんなんじゃないんだ。それよりも、マコトちゃんに会いたかった」

「……ちょっと待って。英語が苦手なら、日本語で話そ?あんたのその言い分、繋がりがめちゃくちゃだから!絶対どっかで文法ミスってるよっ」

「いや、これで間違ってない。俺はマコトちゃんに会うために、こうしてまた戻って来たんだ」

 それは世間一般が語るところの、“愛の告白”と同義だった。今までゴトウ以外の親しい男性はおらず、同じく男っ気のないシゾノしか話し相手のなかったマコトであったとしても、その言葉には反応せざるを得なかった。急に熱病が発症したかのように体が熱くなり、足元がおぼつかなくなる。

「ちょ、ちょっと待って。あたし、そういう冗談ってよくないと思うんだけど、今なら許してあげよう。うそ、だよね?」

「本気で、俺はマコトちゃんに会いたいから戻って来た。そうして、できるならば一緒に暮らしたい」

 マコトのまだ治りきっていない足は、再び砕けた。前のめりに倒れ、冷たい床に体を付けることができればまだ良かったのに、妙にキレのいい瞬発力を見せたユウヤはその体を太い腕で支える。

「おっ、と危ない。リハビリで疲れたのなら、そろそろ横に……」

「あんたのせいだからね!?」

「え、ええっ。俺、何か……言ったけど、そこまで動揺するものかな、普通」

「あんたが普通を語るな!それから、あたしに普通を求めるなっ。こちとら、入院生活で色々と繊細になってるんだよ、珍しくっ」

 苦しい嘘だったが、ユウヤは簡単に騙せてしまい、ただ申し訳なさそうにしながらベッドに彼女を寝かせる。

 ――異性に純粋な好意を寄せられたのは、全く初の経験だった。今までも人に好かれはしたが、遥か年上ばかりであり、彼らの不純さははっきりとわかる。それに比べ、このユウヤの言動、そして行動は……むちゃくちゃなほどに純粋で真っ直ぐだ。どうしてこの街を出たのに、わざわざ女一人のために戻って来るのか。ここにいる限り、そう幸せな生き方はできないのに違いないというのに。

「君さ、あたしが好きなの?」

「その人ともっと話してみたいと思って、一緒に暮らしたいと思って、できることならば守ってあげたい。そう思うことが、恋とか愛とかって呼ぶのなら、そういうことになるな」

「……臭いよ、君」

「え!?こ、このタイミングでそんなこと……そ、そんなに臭いかな」

 慌てて袖を鼻に当て、くんくんと匂いを嗅ぐ。しかし、決して強い臭気はないだろう。彼はずいぶんとマコトを探し回っていたので、少しは汗の臭いがあるかもしれないが。

「はぁ。ユウヤくん、あんたって人は本当に犬みたいだね。今は捨て犬どころか、変にあたしのこと好いちゃったでっかい犬だけど。臭いっていうのは、言ってることがクサいって意味。そういう何かのドラマみたいなセリフさ、実際に言われてみて、あたしがどう思うかとか考えないの?」

「いや……思ったことを言っただけだったし」

「うわぁ、天然さんだ。せめて養殖ものであって欲しかったけど、ここまで全部が芝居だったら気持ち悪いし、それで当然かな。初めて会った時もそう思ったけどさ、めんどくさい人だよ、あんたって人は」

 溜め息をし、自らの手を握りしめる。足よりも腕の方が軽傷であったため、こちらはもう完全に治っていると言っていい。リハビリも済んでおり、もう問題なく自由に動かすことができる。

「で、君はどうするの?あたしに会って、それで満足して一旦自分の街に帰る?どうせまだ時間はかかるんだし」

「いや、もうこっちのマンションは決めてあるから、完全にこっちに移り住むよ。それで、毎日お見舞いに通う」

「……ストーカーってことで殴ってもいい?」

「そ、それは勘弁っ。でもさ、シゾノさんはそんなの必要ないって言ってたけど、俺みたいのでもいれば、寂しくないんじゃないかな、って。ここは個室だし、テレビなんてずっと見ててもアレだろうし、こういうとこのってカードか何かで見る、有料のなんだから」

「はぁ。足であたしの好感を稼ぐって寸法?スマートじゃないし、なんかあざといなぁ」

「い、いや、そういうのじゃなく、むしろ俺のエゴって言うか。単純にマコトちゃんと一緒にいたら楽しいだろうな、っていう打算があって……あっ」

「あーあ、打算とか言っちゃったよ、この人。本当に嘘がつけないし、馬鹿な人だね。ユウヤくんって」

 一人で墓穴を掘るユウヤをマコトは笑い飛ばし、涙が出るほど激しく笑った。……エリノラの死を経験して以来、初めての大笑いだっただろう。彼女との時間は楽しく、ユウヤとのそれでは代用できないが、それでもマコトは笑うことができた。

「でも、馬鹿でもなんというか、俺もこういうこと思ったのは初めてで」

「あたしと結婚したくなった?それとも、子どもを産ませたくなった?」

「いや、単純に家族になれたらいい、と思った」

「欲がないなぁ、男のくせに。そこは多少のセクハラは目を瞑ったのに。でも、それもユウヤくんらしさなんだろうね。

 いいよ、明日からも飽きるまで面会に来たら?時間を決めておいてくれたら、その時間には外に出ないようにしとくよ。それでいい?」

「もちろん!けど、どうして急にそんな」

「あんたを助けてあげた時と同じ。あたしに得は何一つとしてないけど、可哀想な捨て犬を無視して、挙句の果てに死なせたら寝覚めが悪いでしょ?だから、老婆心から助けてあげた、と。ついでにその可哀想な捨て犬ちゃんであたしの気持ちもまぎれるなら、それなりに価値があるし。

 ほら、そういうことだから、早く何か話してよ。君の武勇伝でもなんでも、面白そうなのならなんでもいいよ。気が向いたらあたしも何か話してあげるし、ほら。早く」

「あ、うん、えっと――」

 

 こうして、ユウヤは自身が愛する人の病室へと通い始めた。

 マコトは変わらず、つれない態度だったが、会話の中で笑うことは何度もある。その中で好意が寄せられているようなことはない、ということがユウヤにはわかっていたが、それでも満足している自身の心に彼は気付いていた。初めて持った恋心は、今、驚くほど素早く、十分に満たされていくのだった。

 一週間が経つ頃には、シゾノに間を取り持ってもらったことすら忘れて、ただただ彼の頭の中にはマコトがいて、本人は認めたがらなかったが、マコトの中でもユウヤの存在は無視できない“人間”となっていた。

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「ミナミ。あなたに話さなければならないことがあります。落ち着いて聞いてくれますか」

「うん。どうしたの?」

 夕暮れ。シゾノが一番頭の冴えた話をすることができるのは、この時刻なのかもしれない。それより早ければ頭がぼんやりとしていて、これより遅ければ殺人の仕事がしたくてうずうずとしてしまう。事実、ユウヤ少年と話していた時に少し意地悪くなってしまっていたのは、それが理由だった。

「そう遠くない内に、マコトという私の友人がここにやって来ます。いえ、正しくは帰って来るのですが、前とは住居が違いますし、あなたにしてみれば異邦人ですからね。でも、マコトはきっとあなたとも仲良くしてくれますし、あなたも私以上に好きになる、そんな気がしています。彼女は生活リズムもまともですし、どうぞ彼女と仲良く、楽しくしていってください」

「おねえちゃんは、その人がきたら、いなくなっちゃうの?」

「さて、どうでしょう。私もそろそろ、小さな子の世話には疲れて来ましたしね。マコトに全てを押し付けてしまいましょうか」

「うそばっかり」

「嘘だと気付いていても、それを言わない。それが大人ですよ」

「わたしはこどもだもん」

 ミナミは頬を軽く膨らます。

 出会った頃の彼女は感情表現の少ない、賢く静かな子どもだった。だからこそシゾノは自分の過去と重ね合わせたのだったが、子どもの成長と保護者の性格は関係ないのか、彼女はシゾノとは別の成長を果たしていた。やはり大人しいが感情表現は豊かで、誰に似たのか少し強情なところがある。下手をしたら聞かん坊になりそうで、厄介かもしれないほどだ。

「そうですね。私はいなくなりはしませんが、彼女が来たら、否応なしに彼女とよく遊ぶことになりますから、その覚悟をしておいてもらいたい、ということです。いいですね?」

「うん、わかった」

「いい子です。本当にあなたは賢いですね。立派な人になれますよ。……では、いってきます」

「きょうははやいね?」

「色々とありまして。それでは」

「うん、ばいばい」

 シゾノは黒のアーミーコート姿で、夕暮れの街へと繰り出した。

 ミナミは馬鹿な子どもではない。知識はないかもしれないが、想像力を働かす力は大人にも決して劣ってはおらず、感じ取ることができた。彼女は口に出してはっきりと言うことはなかったが、シゾノが、もう帰らないのであろうということを。

 その予測を裏付ける事実もある。二日前、彼女は一つの鍵を預かっていた。大切なものが入ってあるという、タンスの一番上の引き出しを開けるための鍵を。どうしようもなくなった時、その引き出しを開けてみろという話だったが、それはつまり、彼女が一人残された時に違いない。

 どうしてシゾノが自らの最期を知っているのかはわからない。ただ、彼女が殺しを生業としていることは知っている。それも、とびきりの熟練の殺し屋であり、何百、何千人と殺して来たのであろう、ということも。ならば、直感で危険かどうかはわかることなのかもしれない。それなのに、彼女は何も言わずにいつも通り、出て行った。不安や恐怖をミナミに打ち明けることもなく、一人。孤独で。

 あるいは今、ミナミが家を飛び出して行けばまだ間に合い、彼女を自殺にも等しい戦いに向かわせることを止められたのかもしれない。それなのに、ミナミは部屋を出なかった。そうしてはいけないと、シゾノに言われるまでもなく思ったからだ。ここから先にあるのは、シゾノが望んだことだ。彼女が恐ろしくも優しい大人であることは、ミナミも今までの生活で知っている。

 意味もなく死にに行き、ミナミや、これから来るというマコトを残していくことはしない。彼女はきちんと考えている。考えているがゆえに、死ぬのだ。……なら、それを止めるのはかえってよくないことだ。ミナミは少しの内に、それほどのことを考え付いていた。それに、もう急いでも間に合いはしない。後は眠るしかない。

 今まで、ミナミが寝て起きた時には、必ず隣にシゾノが眠っていた。彼女の眠りは深く、その気になればいくらでもいたずらができたが、遂にそうすることはなかった。今になってそれがもったいなかったと感じる。一度ぐらいは、本気でシゾノに怒られてみたかった。いや、ちょっとしたいたずらぐらいでは、彼女は笑って許したのだろうか。

 シゾノはいつも優しくミナミのことを包み込んでいた。抱き心地は、銃器のせいで悪かったが、その心はいつも柔らかかったことを覚えている。多くの人間は彼女を狂人と呼び恐怖するが、ミナミにとっては狂った人でも、恐ろしい人でもなく、いいお姉ちゃんだった。

 確かに彼女は、多くの人の死の上に立っていたのだろう。多くの業にまみれ、白い肌は何ガロンという血に汚れ、彼女の存在と死は同義のようなものになり、生きる理不尽として人々に扱われ、呪いを一身に受けていたのだろう。死ぬべき人間だったのかもしれない。

 それでも。それでも、ミナミは彼女に生きていて欲しいと願った。彼女が生きて、何事もなかったかのように帰って来て寝ている。その光景が自分の目の前に広がることを、心から望んだ。

 たとえ、それが叶わなかったとしても、今夜の彼女は希望を抱いて床に就いた。

 明日の朝、シゾノにどんないたずらをしようか、などとも考えながら。

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「人払いはしています。そこまで時間がかかるとは思いませんが、夜明けまで闖入者を心配することなくやれますよ」

「想定外の人は来なくても、面白くもないあなたの部下は配置されているのでは?今日はあなただけを殺す気でいますから、ザコ相手に無駄弾を撃って、興を削がれたくはないのですが」

 廃墟には既に黒髪のマフィアがいた。顔を合わせるやいなや、言葉を交わし合う。

「それは、もちろん。私も人を使ってあなたに勝っても、名声は得られませんからね。きちんと一対一でやりましょう。勝つだけの工作はして来ましたから」

「工作」

「はい、工作です。卑怯だなんて思わないでくださいね?私はこの身一つを武器としていますので、どう頑張ってもあなたには勝てそうにないんですよ。銃を捨ててくれるというのなら、正々堂々とやれるのですが」

「勝つための工夫をすることを卑怯だとは思いません。罠が張られているならば、それごとあなたを殺します。それだけです」

「あははっ、いいですね、さすがです。それでは、そろそろ初めますか」

 コートから飛び出した大口径拳銃が、スウェーの頭を吹き飛ばした。シゾノの動物的な感覚は研ぎ澄まされている。微妙な身長と声の違い、そして何よりもまとっている雰囲気の違いに最初から気付いていた。これは影武者だ。あるいは彼女もある程度の能力は持つ優秀な兵士だったのかもしれないが、あまりにも動きが遅い。

 死体が地面に倒れ伏す前に彼女は走り、一瞬後に炸裂した地面を見届ける。狙撃だ。部下は配置していないと言った直後から、遠方に狙撃者がいることが判明したが、そのことを卑怯だとは思わない。それよりも早く本物を見つけ、それを狙撃の盾にするのが先決だ。スウェーさえ見つけてしまえば、誤射を避けて狙撃は少なくともその頻度を落とす。

 二発目の弾丸が後方で地面を削る。狙撃による暗殺も経験して来た彼女は、対狙撃戦闘も熟知している。できるならば狙撃手を始末したいが、容易にそれができるだろうか。夜闇の戦場を走り、狙撃手のいるビルを発見する。手持ちの火器の中に応戦できるものがない訳ではないが、その隙を狙われるのは好ましくないし、ビルを登るのも手間だ。狙撃場所を確認するのに留め、標的を尚も探す。

 最初の影武者以降、敵は現れなかった。そうして心理的に揺さぶりをかけ、焦燥するか、油断したところを狙うというのだろう。どちらも、殺人だけを考えているシゾノには期待できない心の動きだが、今回はそもそも彼女の行動原理が復讐という、極めて人間臭いものだ。情に流されての行動だからこそ、有効だと考えたのだろう。

 この読みは全くの外れでもなく、シゾノ早く仇敵を血祭りに上げたい、その一心で探索を行っている。焦りは確実にあり、だからこそ動きもより機敏になっている。つまり、それだけ体力を余計に消耗していた。

 路地裏に入る。完全に狙撃が届く距離ではなくなっており、せっかくの“工作”の意味がなくなるような場所での戦いを、あのスウェーが望んでいるとは考え難かったが、あらゆる可能性を想定して銃口を影の奥へと向ける。やはり空振り。また大通りへ。黒のコートは闇の中で見つけづらいとはいえ、こんなにも見通しのよいところではすぐに見つかるはずだ。スウェーに自分の存在を知らせるためにも、あえて少し眺めに大通りに姿を晒す。

 別の路地に入る。また空振りに終わって戻る。また少し進んで路地裏へ。繰り返しの中で感覚が鈍くなって来たのを、シゾノは感じていた。銃を持つ彼女は機械的な印象を受けるが、戦闘状態にある時はすなわち興奮状態だ。アドレナリンが分泌されており、それにより超人的な殺人を行っている。だが、それもまともな戦闘がないままでいれば萎えてしまい、再びスイッチを入れるには集中が必要になる。すなわち、索敵だ。しかし、そのために必要な集中力が削がれてきている。

 幾度となく空振りを繰り返し、もしや今夜はこれまでで、後日に仕切り直しをするのではないだろうか、とすら思えた時。思った以上にすんなりと標的は姿を正面から現した。今度は本物だと、シルエットを見ただけでわかる。あの影武者とは比べ物にならないほど、純粋な殺気を持っている。シゾノの持つそれと似ているようで、完全な狂人でないという点で少し違う。狡猾さのある知的な殺意だ。

「ご苦労様です。あなたはどれぐらい汗を流されましたか?私は今まで、優雅にお茶をいただいていたのですが」

「いいウォーミングアップでしたよ。ただ、トリガーを引いていない人差し指だけが鈍っているので、そちらを慣らすために協力してくれませんか」

 発砲。同時に身をかがめたスウェーが飛び込んで来る。ボクシングというよりは、プロレスのラリアットを決めようとするように腕を構えた突進だ。そういった感想を抱いたのは正しいのだろう。彼女の武術はボクシングを中心に、あらゆる格闘技の要素を盛り込んでいる。

 至近距離に来るまでの間、三発の弾丸が発射され、いずれも回避される。見てから避けることなど不可能であるはずだから、全て予想して身をかがめ、そらし、急停止をかけて避けたのだ。そして遂にパンチの届く距離。飛び退いて小口径拳銃に持ち替えたシゾノに、更に一歩肉薄しながらストレート。重い一撃だが、当たらない。むしろシゾノの蹴りが放たれたが、こちらもやはりステップで回避する。

 シゾノにスウェーのような鋭さを持ったパンチはないが、身体能力は決して低くはなく、至近距離からの銃撃の威力はパンチを上回る。必然的にボクシングの試合をするかのような空気が出来上がった。ただし、スウェーの手はパンチンググローブではなく、指出しの革手袋に包まれている。当たる面積は小さいが、その気になればシゾノの手や足を掴み、そこから絞め技や投げ技に派生させることができる。それによってあまり思い切った攻撃を、シゾノに取らせなくしている上に、シゾノは拳銃を手放すことができない。

 火力で圧倒できる相手ならともかく、スウェーは身のこなしが軽い強敵だ。集中力が散ってしまう二丁拳銃や、両手で持つ軽機関銃、小銃の類も使えない。当然、スウェーには弾切れなどないのも、不利に拍車をかけていた。

「あなたとここまで近距離で戦えるなんて、思いもしませんでしたよ。この私の拳が、一度も当てられていないんですから、ねっ」

 拳が空を切る。一撃一撃が尋常ではない破壊力を持っていることは、風切の音から予想できる。が、既にシゾノはその拳の大半を見切っていた。確かにトリッキーな体術ではあるが、人間には必ず癖というものがある。基本の攻め方は決まっており、そのパターン崩しのため、思い出したかのように複雑な攻め方を織り交ぜるが、そういったイレギュラー要素への対応力が元々シゾノにはあり、基本のコンビネーションも覚えた今、見た目ほどには苦戦を演じている印象はシゾノにはない。

 とはいえ、一度も弾丸を当てられていないのはシゾノも同じであり、その攻めが単調になりがちなのも同様だ。得物が拳銃である以上、そもそもできるアクションが限られ過ぎている。どのタイミング、どの角度で撃ち込むのか、それだけがカスタマイズできる要素だ。スウェーもまた、その程度の変化には順応する力が備わっている。

 硬直状態となれば、やはり先に体力を消耗していたシゾノが不利となる。既に興奮しきっており、アドレナリンが激しい動きを更に加速させているのは感じている。拳銃は既に手の一部となり、弾丸は血液も同じだ。減っても補充できるのは本物の血とは違うが、撃ち過ぎると最終的に取り返しがつかないことになってしまう。

 左フックを皮肉にもスウェーバックで避け、大きくのけぞりながらの発砲。頭を狙ったものだったが、さすがに予想されている。次はレバーを狙った右だ。後ろにステップを踏み、身をよじる。再び発砲。威嚇目的のものだったが、無意識の内に照準を合わせていたのか、弾丸がスウェーの右脇腹をかすった。血液が飛び散り、スーツが浅く破れ飛ぶ。

「ちっ、わかっているでしょうが、まぐれですよ」

「まぐれでも傷は傷。次の狙うべきところが生まれました」

 忌々しげに舌打ちをするスウェーに対し、煽るように微笑する殺戮者。挑発のために言ったこととはいえ、彼女はやはり、この殺し合いを愉しんでいた。仇討ちのための聖戦のつもりでも、殺し合いは殺し合い、彼女を興奮させ狂わせるものに該当する。

 相手のストレートと刺し違えるかのような銃撃。どちらも空振りに終わったが、シゾノは素早く蹴り上げ、スウェーの傷口を狙う。回避される。また銃撃。同じく傷口を狙う。今度は大きく後ろに飛び退かれ、距離がリセットされた。そこにまた銃撃を加えた後、拳銃を投げ捨てた。相手に傷ができた以上、この威力の小さな弾しか撃てない銃で戦う必要はない。

 新たにコートの下から姿を現した得物は、最初の影武者の頭を一発で吹き飛ばした大口径だ。拳銃といえども反動が大きく、両手で撃たなければぶれるどころの騒ぎではなくなる。至近戦で決して使いやすい武器ではないが、挨拶代わりの一発はスウェーを威嚇するのに十分な威力があった。アスファルトで舗装された地面が、大きくえぐれて足を奪われかねない穴を作り出す。

「今度かすれば、確実に臓物を何割かいただくことになりますよ」

「はたして、それを私に当てられるのでしょうかね?」

「当たりますよ。私が当てるのではなく、あなたが当たるんです」

 飛び出しながらのブロウ。右肩を狙い、銃を叩き落とそうとする一撃だが、俊敏にシゾノは回避、更に発砲へと繋げるが、ボクシングのフットワークは大威力の弾丸をも避けきる。カウンターは再び右のパンチで、射撃直後の隙を狙った一撃は浅いながらも右腕を殴り抜ける。小さな衝撃に銃を握る手が握力を一時的に失い、取り落としそうになったところを、蹴り上げが襲った。彼女はボクサーではなく、格闘者だ。拳しか使わないというボクシングのルールは適用されてない。

 咄嗟に左手の甲で受けたが、銃は跳ね飛ばされる。しかも高速、高威力の蹴りはシゾノの手首に異音を叫ばせた。手の甲自体にはヒビが入り、手首は折れたことを彼女は感じた。コントロールを失った左手はだらり、と布か何かのように垂れ下がる。

「あははっ、そろそろ詰みですか?あの拳銃を捨てたのは、失敗だったんじゃないでしょうかね」

「失敗?本当にそう思いますか」

「だって、見るからに動きが鈍くなってるじゃないですか。そして、左手を失った。もうまともに撃てないんじゃないですか?そんな反動の大きい銃、あなたの細腕じゃ」

「細腕、ですか。それはどちらでしょう」

 動きの鈍ったシゾノを捉えるべく、スウェーは右ストレートを放つ。悪魔的な素早さの一撃は、少なからず痛みを感じているシゾノの反応速度では避けきれず、左の頬にめり込み、彼女を吹き飛ばした。恐らく、ヘッドギアを付けていたとしても、頭を激しく揺さぶられるほどのパンチだ。何の防具もない彼女は脳震盪を起こし、少なからず意識を失うに違いない。そう油断していたからだろう。

 彼女が本来ならば気付き、逃れることができたはずの罠にかかってしまったのは。

 夜の闇が一瞬、オレンジ色の光に照らされた。

 黒を染め上げた光の正体は、小爆発だ。銃撃とは違う、爆薬が炸裂したために起きたもので、その爆心地は――他ならない、スウェーの右腕だった。

「……は?」

 炸裂する右腕。吹き飛び、失われる肘から下。残骸が遥か前方、皮肉にもシゾノが倒れた辺りに飛び散った後、思い出したように傷口からは血が落ち出した。最初は小さな打たせ湯のように、少し遅れて、滝のようにぼたぼたと鮮血が流れ落ちる。

「ふ、ふふっ……。ほら、あなたの細い腕は、そんなに小さな爆弾で吹き飛んでしまうほど弱いんです」

「……殴られた瞬間に、腕に爆弾を巻き付けた……?そして、倒れると同時にリモコンで起爆して……」

「ご名答。ちなみに、このリモコンは大きな振動も感知して起爆ができるんです。つまり、私が意識を失ったとしてもあなたの腕はなくなっていた、と。それから、これは手動でしか起爆できないんですが――」

 再度の爆発。今度も小規模のものだったが、スウェーの腕を弾き飛ばしたものより遥かに大きい。

 爆発したのは、かつてシゾノが捨てた拳銃。それは現在、スウェーの真後ろにある。背後からの爆風に煽られ、彼女は前のめりに倒れた。スーツの背中部分は完全に焼き破れ、真新しい火傷が皮膚を覆っている。

「あはは……、罠をしかけられたのは私の方だったと?私はあなたが来る前に罠をしかけたのに対し、あなたは闘いながら罠をしかけた」

「どちらが賢いだとか、正しいだとかはありません。巧みに罠をしかけ、はめた者が勝つだけです」

「それで、私は負けたと。あはは、完敗ですよ。殺してください、こんな惨めな姿を、長くは晒し続けないで……!」

「言われなくとも、死んでもらいます」

 大口径拳銃が、腰に向けて放たれる。一発、二発、そして三発。いずれも片手で撃ったものなので照準は大きくぶれたが、体は真っ二つに切断された。

 半死体の口からは血が溢れ出す。わざとそうしたのだった。

「ぐっ、ぶっ……。あ、はは……。きちく、だっ。あんたは、おにだ……」

「あなたが言いますか」

「いうよ……。あんたは、あたしいじょうのっ、おにだ……!」

「あなたもきっと、同じことをしていました。私とあなたは、似ていますからね。……それゆえに、殺し合わなければならない。あの人の弔い合戦なんて、副次的な理由。いえ、マコトのためについた嘘とすら言えます。私はあなたを殺したいから殺しに来た。それで、あなたは私を殺したいから、わざわざこの場をセッティングしたのでしょう?クレイジーだとは思いますが、私も狂っていますから、やはり私達は似ています」

 頭が吹き飛ぶ。三つに分断された死体は、道路を赤く、どこまでも赤く染め続ける。呪いのように。あるいは、鬼とも狂人とも死神とも呼ばれる殺人者を、祝福するように。

 戦いを終えた死の使いは、しかし、心と体を休めることはできなかった。素早く横に飛び退くが、その脇腹を弾丸がかすめていく。左腕の痛みで動きに一瞬の迷いが生まれたため、彼女は少しばかり脇腹の肉を失うこととなった。誰かがそうであったように、血がぼたぼたと流れ落ちる。

「と、ここで終わらせてもらえるとよかったのですが、よくもこんな人材を手に入れましたね?あなたよりも強いんじゃないですか」

「……あはは、確かにそうかもしれません。その子は、私の影武者というよりは、本物の影。私に成り代わって、色々な仕事をしてくれていたんですよ。それを左手の犠牲だけで、こんなにも惨たらしくのしてしまう。やっぱりエスピレオさん、あなたは最高の殺し屋です。最凶の人間です。いえ、怪物です。今度こそ、本物の私と戦いましょう!」

 遥か後方から現れたのは、狙撃銃を持った黒スーツの女だった。おそらくは最初の影武者の後の狙撃手なのだとわかる。スウェーといえば、その体術が何よりも目立つ。しかし、銃器に精通していないマフィアなどいるものだろうか。――いるかもしれない。だが、少なくともスウェーは一芸のみに秀でたマフィアではなく、殺しの術は思いつく限り学び、特にその中にはスナイパーライフルの扱い、というものがあった。

 電光石火の格闘戦をこなす一方で、同じく瞬間の集中力を必要とされる狙撃もまた、彼女が得意とする殺しの方法だったのだ。

「嫌と言っても、逃してはくれないようなので、戦うしかありませんね」

「嘘ばっかり。私を殺したくてここに来たんでしょう?」

「ええ、その通りです。ただ、いくら私でもお腹いっぱいになることぐらいはあるんですよ」

「たった二人を食っただけで、ですか」

「今夜は腹八分目の気分だったんです。ですが、満腹にならなければならないようで」

「あはっ、この私がたった二割の相手だと?」

「そのまま食べたらかさ高いかもしれませんが、ミンチにすればそれぐらいの分量です」

 シゾノは拳銃を投げ捨てる。今度はそこに爆薬を仕込んでいる訳ではなく、さすがにこれ以上この武器を運用するのが難しいと考えたためだった。左手はもう使い物にならない。これ以上、至近距離で戦うのも当然難しい。ならば、彼女が本来得意とするミドルレンジよりも相手を近付けさせない。そのために使う武器はもちろん、瞬間的な火力に優れる銃器だ。

 夜の淀みながらも透き通った空気を、飛行機の発動機のような爆音がかき回す。その正体は、軽機関銃が分間五百発の速度で弾丸を吐き出す音だ。もちろん、本来ならば片手で楽々と撃てる銃ではない。体全体を使い、抱きしめながらの発砲だった。

 スウェーの身のこなしは、“彼女の影”とほぼ同等。とはいえ、弾幕の中を強引に突っ込んで来ることはできない。そうすれば、多少は流れ弾を食らうことになる。己の拳を武器とする彼女にとっては、腕に被弾しても、足に被弾しても戦闘行動に支障を来してしまうため、捨て身の攻撃はできなかった。

 また、狙撃銃を使うにしても、やはり弾幕の中の相手は分が悪い。シゾノの足は健在なため、遠くから撃とうとしても接近される危険性がある。

 そうなれば、狙うのは当然ながら弾切れの隙となる。軽機関銃はすぐに弾を吐かなくなり、致命的な隙が生まれた。そこに拳を携えたスウェーが迫る。そこでシゾノは機関銃を投げ捨て、新たにアサルトライフルを構え直した。その先端に備わる銃剣を突き出し、相手の突撃を抑制する。

 スウェーは背中に回していた狙撃銃を持ち直し、槍のように構えた。刃物を拳で受けてはならないことぐらい、彼女は了解している。そもそも、マコトの小太刀によって傷を負わされたことは記憶に新しい。そこであえて彼女は拳を捨て、銃による近接対決を決断した。

 銃の先端に固定された刃が、互いにぶつかり合う。片手で戦うシゾノに対し、両手が自由なスウェーが力を込めて殴りかかれば、あっという間に彼女の銃は吹き飛ばされてしまうような気がする。しかし、事実は異なる。彼女は相手の攻撃の勢いを逆に利用し、受け流してしまう。もしも片手が自由であれば、拳銃なりで追撃することすらできただろう。

 シゾノは銃の専門家だ。たとえ発砲をしない銃剣戦であったとしても、その技術は卓越している。小手先の技も、力任せの大技も、どちらも弾かれ、流され、逆に刃が己に迫って来る。長引けば長引くほど相手はこちらの動きに慣れ、切り返しの速度と精度が上がる。そして遂に浅く、シゾノの銃剣がスウェーの頬の皮と肉を削った。

 反射的に飛び退く彼女に対し、小銃が火を噴く。反射的に撃ったようなものだったというのに、その狙いはいやらしいほどに正しい。弾丸が右足の付け根を掠め取っていく。セミオートで発射される追撃の弾丸が更に左足を舐める。スーツと同じ黒色のスラックスが赤い色を帯びた。

「この……っ、狂犬がぁ」

 スウェーは銃剣をもぎ取り、再び狙撃銃と共に突撃する。小銃はマガジンを入れ替える必要があった。近づくスウェーをシゾノは弾を撃たず、銃剣を突き出した。喉を狙ったそれの軌道は、狙撃銃を横殴りにぶつけることで逸らされる。二丁の銃は地面へと転がり、スウェーは更に肉薄。拳ではなく、手にした銃剣が喉を掻き切る死神の鎌となる。

 シゾノの白い首に、赤色の線が刻まれた。遅れて、血が噴き出す。かつて彼女が流したことがないような、血のシャワーだった。

「あはっ……。や、やっちゃいましたよ。殴り殺せなかったのは心残りですけど、こんなにもあっけなく、私は……!」

 頸動脈を確かに断ち切った手応えがあった。出血の量も、とてもではないが助かるものだとは思えない。スウェー自身、あまりにも実感は薄かったが、彼女は勝利したのだった。煙を切ったかのような、気味の悪さはあったが……。

 直後、爆発。爆心地は――まだ何かあるかもしれない、そう危惧してシゾノの近くを離れた彼女の足元だった。そこには、何もない。シゾノが捨てた銃器にまた爆薬が仕掛けられているかもしれない。彼女は影の戦いぶりから得た反省を、きちんと己のために活かしていた。銃剣戦になった時は少し不安になりもしたが、彼女は順調に勝利の道を進んでいる。そして、そこからの離脱も無事に終わる。そう信じていた。

「死とは……あっけないのが普通です。あなたも、私も……こうして、夜明けと共にこの世から消える。明日にはもう、何も残りません。朝日は死人ではなく、未来を生きる人々のために」

 銃声。下半身を失った彼女の命を刈り取る、最後の弾丸が放たれた。

 スウェーは知る由もなかったが、新たにコートの中から取り出されたそれは、ゴトウが持っていた拳銃に他ならなかった。

「……さようなら」

 純白の髪が、自身の血によって赤く染められ、やがてそれは黒く固まっていった。

 かつての黒髪を取り戻したシゾノの死体は、横に転がるもう一つとよく似ていた。

説明
六章です。次の章で終わります
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長編 DarkandRed 

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