主従が別れて降りるとき 〜戦国恋姫 成長物語〜 |
3話 千砂(3)
千砂と妲己は拘束されこそしなかったものの、無抵抗で、強制的に武田の本拠地へ向かわされていた。もちろん、2人に行き先など告げる馬場信房ではない。
本拠地である躑躅ヶ崎館へ向かうと、そこには
「お館様!」
「春日、こういうやり方、ダメ」
武田晴信が居た。元々は妹が影武者として評定の間で待っていて、降り立った二人の実力を測るつもりだったのだが、晴信は馬場信房の性格を考えてやり方を変えたのだった。反対する皆を押し切って。
不意に、晴信と千砂の目が合った。それだけで晴信は何となく理解した。この人物は自分の理解を超えたところにいる、と。千砂もまた、“お館様”と呼ばれたこの少女こそ武田晴信だろうと思い、また、ここに彼女がいることはこの“春日”という将にとって想定外なのだと理解し、晴信の目に面白みを感じた。孤独とも、孤高とも違う、しかしそこに“危うさ”はない。そんな目をしていた。
「光璃」
「お館様!?」
突如、そう言って自分の真名を教えた晴信だった。
「私は武田晴信。光璃が私の真名。そう呼んで。それと……。春日が無礼を働いて申し訳ありませんでした」
再び口を開き、晴信は千砂と妲己に頭を下げた。
「光璃? 真名? まあそのことは気にしていませんから大丈夫ですよ」
千砂は一つ予定が狂ったことを確信した。“無理矢理”連行されたことを上手く使い、話が自分たち優位に進むようにするつもりだったのだが、それが使えなくなった、と。その上、頭を下げられた現状では自分たちのほうが晴信より上座にきてしまうことになり、それは非常によくないことだと思っていた。この少女の場合、自分は一歩後ろに引き、見守りつつ支えるのが一番よさそうだと思っていたからである。ただ、自分のいた世界に彼女と同じ瞳をした人物は老若男女問わずいなかった。だからこそ、この光璃という少女を慎重に見極めて動く必要があるとも考えていた。
「真名を知らないの?」
「ええ」
「真名、女性にのみ存在する二つ名。天界にはないの?」
真名、などというものがあるというのは千砂はもちろん妲己も初耳であった。女性にのみ存在する、ということは自分たちにも真名をつけなくてはいけないのか、後に聞く必要があると考えた。それと同時に、晴信が“天界”と言ったことで、やはり道化の役割をも求めてきたか、ということを判断したのだった。それを、喧伝されない今のうちに上手く打ち消す必要があると確信してもいた。
「私のいたところにはありません。“天界”ではなく“異世界”です」
「異世界?」
「ええ。天界とは神の住まう地。私は皆さんと同じです。“ここではない、どこか”ですよ」
「“ここではない、どこか”……」
“天人”ではなく、ここにいる者たちと同じ人間であるということをきちんと伝えた千砂であった。それでも自分たちに利用価値があると考えるかどうか、それがもう一つの重要なことであったが、それは自分が思うどの方法を使うにしろ、たやすく証明できるだろうと考えていた。少なくとも晴信はすでに登用することを決めているだろうとさえ思っていた。
「放逐すべきです!」
「春日、うるさい」
「な……」
“天人”としてまつりあげられないのであれば利用価値はないと、一般的な思考の人物ならば考えるだろうと思っていた。しかし、天人であることは巧妙に訂正して、まつりあげられないようにしなければいけないものであるというのが千砂の認識だった。
「豚肉を手に入れて厨房を貸して頂けますか? それで判断できると思います」
「わかった」
どうせなら、この世界の「食」事情の一端を知っておこう、そう思って料理で攻めることにした千砂である。そんな事情から厨房へ立った千砂は水に感動していた。
「水がこれほど美味しいとは……」
「それって凄いことなの?」
「日本料理は“水の料理”と言われるほど水に神経を使います。数十万の浄水器をつけたり、井戸水を運んできたりするほどです。特に東京の水は話になりませんので。京都の水も美味しいですが、これはその上をいく。凄いです。残念ながら今回はメインで使いはしませんが」
「材料は、豚肉と塩。だけ!?」
「ええ。あとは評定の間で待っていてください。魔法を見せてあげましょう」
そう告げて妲己を下がらせた千砂は、ずっと厨房の様子を見ていた少女に声をかけた。
「入りますか?」
「はい……」
「私は那岐沢千砂といいます。あなたは……?」
「内藤昌秀、です。何を作るのですか?」
「気になりますか?」
「はい。武田家の料理番として、変なものをいれたりしたら許しません!」
この少女から、否、光璃という真名を教えた晴信以外の武田家全体から多少以上に疑われているのだろう、千砂はそう思った。ただ、もうこの先が見えていると言っても過言ではなかったため、自分たちの価値を証明して疑いを晴らすのは大して難しいことではないと考えていた。
「切って、塩を振って、焼くだけですよ。見ても面白いものではないと思いますが……」
「え!?」
その通りだった。竈に火を入れ、切った豚肉に塩を振り、焼いてまた塩を振っただけ。ただし、一人分は2皿。1皿に1枚載っていた。
「運んで下さい」
「これは……?」
「お主、ふざけるのもいい加減にせんか! こんなもので何がわかると……!?」
「武田の弱点がわかります」
その一言で周囲は余計に騒がしくなった。“火に油を注いだ”とでもいうべきであろうか。
「食べる」
そう言うと2枚の豚肉を続けて食べた晴信だった。
「嘘……!?」
すぐさま、唖然とした表情に変わった。見た目は同じこの2枚の豚肉に、何がこれほどの味の違いをもたらしているのか、全くわからなかった。
「食べて、食べればわかる」
「見た目も切り口も全く同じ。こんなもの食べたところで……」
「心!? アイツいったい何したんだ!? 見てたんだろ!?」
「何も……。わからないの、この2枚の皿の違いが何によってもたらされたものなのか」
“塩振り三年”という言葉がある。塩の振り方を習得するのはそれだけ難しいということなのだが、千砂にとっては容易いことだった。2枚の豚肉の違いは塩加減である。馬場信房が言った“見た目も切り口も全く同じ”すら並みの料理人には再現不可能なのだが、それはあくまで塩以外の条件を均一にするためである。1枚目はかなり控えめに、2枚目は完璧に仕上げたのだ。断腸の思いで焼き加減こそかなり強めにしてあるが、それは“赤”い肉、いわゆる“レア”の焼き加減の肉を食べる習慣のないであろうこの世界に配慮してのことである。
「塩ですよ」
「塩!?」
「ここは山国で塩がとれない。それが武田の弱点になる。そう言いたいわけですね……」
そう呟いたのは武田信廉だった。塩だけでこれほど味が変わるということも驚きだったが、確かに指摘されたそれは弱点となりうるところだった。
「ええ」
「何か策はあるのか?」
「もちろん。いくつかあります」
皆がなるほど、と認める方向に向かっていっているのを感じた晴信は「わかった。千砂と貴妃を文官として登用する。異論のある者は居る?」と、採用をあっさり決めた。もっとも、晴信の腹は目が合ったときから決まっていたのだが。
「策はまた今度でいい。情勢など、調べなければならないことがたくさんある。手伝って」
「かしこまりました」
千砂は微笑んだ。これで情報に触れられれば、武田の内部掌握から他の勢力の情勢分析まで、手っ取り早くやることができる。それは非常においしいことなのだった。
「上手くいったわね」
「そうですね。ああ、そういえば一つ言い忘れていたことがありました。まだあなたにも秘密ですが、この世界へ来ることを決めた理由はもう一つあります」
最後に念話で妲己とそう話をした。もちろん、その理由はあの正体不明な“声”である。
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第1章 千砂(1) やはり章分けすることにしました。これでひとまず千砂の章は終わりです。 |
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