アルドノア・ゼロ mico spei EPISODE.05
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アルドノア・ゼロ mico spei EPISODE.05

 

 

『スレインさまは姫さまが目覚められたら何をして差し上げたいですか?』

 水槽の中で眠り続ける姫を見上げながら少女は尋ねた。

『アセイラム姫殿下の喜ぶことをして差し上げたいのですが……具体的なことはちょっとわかりませんね。エデルリッゾさんの方が姫さまの喜ぶことをお詳しいと思います』

 少年が困り顔を浮かべながら返答する。少女は少年へと向き直りながら微笑んだ。

『スレインさまが笑顔を見せてくだされば姫さまは何よりも喜ぶと思いますよ』

『そう、でしょうか……僕は姫さまがこうなってしまった後、ずっと戦争に関わり続けています。それも主導している側です。姫さまの理想と最も掛け離れた人間ですよ』

 少年の表情が沈むのと同時に少女の顔も暗くなる。

『そっ、それは……でも、スレインさまのお立場上仕方ないことかと思います。スレインさまが戦って来られなければ、この機械はもうとっくに停められていたでしょうから』

 この機械に姫を入れ、命を救い、それを盾に少年少女たちを操ってきた伯爵の顔が2人の脳裏に思い浮かぶ。

 伯爵は最近戦死した。だが、彼の呪縛からは逃れられない。少年は伯爵の後を継いだが、それは伯爵のやって来たことを継承することで何とか最低限度認められるものだった。

 伯爵以上に強硬な態度で地球に望むことが少年には求められていた。それは、姫の望みとは正反対のものに違いなかった。

『それでも姫殿下は、たとえご自分のお命が失われようとも僕に戦争をしないで欲しかったと思うでしょうね。本当に、僕は……』

 少年は手のひらで水槽を一度叩いた。

『そうかもしれません。でも、その結果は私が嫌なんです。スレインさまだって嫌だから姫さまのご意志に歯向かってでも戦っておられるのでしょう』

 少年を見つめる少女の瞳には強い意志が見て取れた。その瞳は少年には眩し過ぎた。

『一番大切なモノのために命を賭けて反逆者になる。それも生き方の一つだと思います』

『…………そう、ですね』

 少年は軽く目を瞑った。少女の言葉はなかなかに胸に痛かった。

『……では、アセイラム姫殿下にプレゼントを贈るとしたら何が喜ばれるでしょうか?』

 少年は話題を変えてみた。少女は特に悩むことなく返答してみせた。

『鳥、だと思います。姫さまは地球に降りられてから、飛んでいる鳥を見るのが大層気に入っておられましたから』

『鳥はこの月面基地で飼うにはさすがに難しいですね。空を飛ばない鶏なら大丈夫でしょうが……う〜ん』

 少年が悩んでいると少女は次善策を出してくれた。

『では、お花だと思います。姫さまは地球に降りて様々な咲く花を見て心をぴょんぴょんさせておられましたので』

 少年の表情も明るくなる。

『花なら次の地球からの補給物資到着の際に運んでもらうことにしておきます。そうですね。アセイラム姫殿下がお目覚めになる頃には花でいっぱいの部屋を準備したいですね』

『それはきっと姫さまも喜んでくださると思います』

 少女は表情を輝かせた。少女もまた地球の花を恋しく思っているのが見て取れた。

『ええ。では、大至急準備を整えさせます』

 少年は少女の笑顔を見て、姫に花を贈るのは喜ばれるに違いないと確信を抱いた。

 

 

『レムリナ姫殿下はアセイラム姫殿下がお目覚めになられたら何をして差し上げますか?』

 皇女専用ルームの中、少年は第二皇女に質問してみた。

『その質問に意味はあるのですか?』

 姫は少年に疑いの瞳を向けた。少年の真意を探ろうとする瞳。

『アセイラム姫さまはいつか必ずお目覚めになられます。その時、レムリナさまがどう行動をお取りになられるのか僕はとても興味があります』

『スレインは残酷な質問をしますのね。女の子を虐めるのが趣味なの?』

 姫からキツい軽蔑の視線と言葉を送られて少年は焦った。

『決してそのような意図はありません。本当です』

 少年は焦っている。けれど、姫の疑いは根拠がないとは言えなかった。

『今現在私はスレインの指示に従ってお姉さまを演じているのです。お姉さまが目を覚まされた場合、用済みとなった私自身がどうなってしまうのか。それが一番心配です』

『僕が大恩あるレムリナ姫殿下を無碍に扱うような真似は絶対に致しません』

 少年は疑いを晴らすべく必死に首を横に振る。けれど、姫はまだ信じない。

『どうかしら? スレインはお姉さまのためだったらどんな馬鹿も無茶もしちゃうでしょ。私がお姉さまに危害を加えようとすれば絶対に排除されるって確信してるもの』

『姫殿下はお優しい方ですから、アセイラム姫殿下を害するようなことはしません』

 少年は姫に見透かされている。そんな気分に陥っていた。姫を害する気なんてないのに。

『じゃあ、その証拠にお姉さまではなく私と結婚して頂戴』

 姫はニヤニヤと意地悪い笑みを浮かべながらプロポーズしてきた。少年は焦った。

『いっ、一国の姫君が軽々しく結婚などと口走ってはなりません』

『一国の姫君と言われても、私の存在を知っている人なんてほとんどいないわ。お姉さまだって私のことを知らないんだもの』

 姫の瞳が伏せられる。

『貴方やエデルリッゾと違い私はお姉さまと一面識もないのよ。急に姉妹として振る舞うなんてできないわよ』

『アセイラム姫殿下はとてもお優しい方です。妹がいらっしゃるとお知りになればお喜びになってすぐに受け入れてくださいますよ』

 姫は顔を勢い良く上げた。

『スレインは私がお姉さまを恨んでないとでも思って?』

 姫はキツい瞳で少年を睨んでいる。怒りながらもその瞳には深い悲しみが満ちていた。

『申し訳ございません。僕は、レムリナ姫殿下にアセイラム姫殿下と親密になっていただきたいという自分の願望ばかり押し付けていました』

『やっぱり私は……スレインの妻としてお姉さまに自己紹介したいです』

 姫は拗ねた瞳で少年をみつめる。

『そのように仰られましても……』

『いつかスレインに力強くイエスと言わせてやるわ。覚悟しておきなさい。クスッ』

 姫は少年だけに見せる優しい笑顔を向けた。

『お手柔らかにお願いします』

 少年は小さく頭を下げた。

 

 

『ハークライトは地球との戦争が終わったら何かしてみたいことがありますか?』

 少年は副官に尋ねた。

『戦後処理に謀殺されることになると思いますが』

 味も素っ気もない答えが返ってきてしまった。

『そういうことではなく、例えば地球に行って何がしたいとかそういうことです』

『そう仰られましても、これと言って浮かびませんね。地球のどこに行きたいとも、何が欲しいとかもありませんし』 

 副官は物欲自体少なかった。

『ああ。ですが、ヴァースの上流階層専用区画を両親と一緒に歩けたらな良いなとは思います。きっと喜びますので』

 本人というより第三階層出身者の共通の夢が語られた。そんな部下が好ましく思えた。

『親孝行したいというのは素敵なことだと思います』

『私がこうしてスレインさまにお仕えできるのも両親のおかげですので』

 少年は軽く目を瞑った。

『ご両親を大切にしてあげてくださいね』

『お気遣いありがとうございます』

 副官は深く頭を下げた。

『スレインさまは戦争が終わったらしてみたいことはありますか?』

 同じ質問を今度は副官からされてしまった。少年は考える。

『僕も戦後になったら何をしたいのか考えたことがなかったですね』

 少年は未来の自分をまるで考えていなかったことを思い出す。

『ですが、ハークライトさんのお話を参考にすれば……父の墓を地球に建てられたらなとは思います』

『トロイヤード博士のお墓ですか』

『ええ。ヴァースでは色々ありまして、結局は墓を立てることもきちんと弔うこともできませんでしたので』

 少年の父は皇帝の良き友だった。けれど、ヴァースと地球は敵対しており、地球人を正規に埋葬することはできなかった。そして、身寄りを失い全ての財産も地位も失ったスレインに独力で父を弔う能力はなかった。

『父は研究のために母や故郷さえ捨ててしまうような人でした。なので弔いなど望まないかもしれませんが』

『きっと博士もお喜びになりますよ』

 少年は少しだけ表情を明るくした。

『そうですね。そのためにもまず、生きて戦後を迎えなければなりませんね』

『スレインさまが創る世界を1日も早く見たいです』

『僕にそんな野望はありませんよ』

 少年にとって久しぶりに父親のことを思い出す日となった。

 

 

 敬愛する第一皇女が撃たれて以来絶望の日々だと思っていた。

 けれどこの2年間、少年はかつてないほど良縁に恵まれ優しさに包まれて過ごしてきた。

 少年は今になってそれを理解していた。

 

 

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「……スレインさま……スレインさまッ…………スレインさまッ!!……」

 暗い闇の中で自分の名前を呼ぶ男性の声が聞こえた。それも、とても必死に連呼している。けれど、それは、とてもおかしなことだった。

 激闘の果てにカタフラクトごと爆破して自分は既に死んだはずだった。死んだ人間が生きている人間の声を感知できるはずがない。

幽霊になったという線もある。だが、超科学が発達したヴァースで幽霊という非科学的な存在であることを認めるのは変な話だった。

何はともあれこの声の正体を確かめる必要があった。自分がどうなってしまったのか確かめるためにも。

目を開く。その瞬間、明るい光が彼の全身を包み込んだ。

 

(…………ここは……)

 目が覚めたら溶液の中に浮いていた。初めての体験に思考が追いつかない。けれど、白衣を着た数名の医師や研究者が動き回っているのを見て何となく状況が読み込めてきた。水槽の外側には副官であるハークライトがしがみついて泣いている。

 現状は大体予測できた。タルシスを撃墜された後、友軍に救出されて揚陸城か近くの航宙艦に収容され生命維持装置に入れられているに違いなかった。

(しかし、あの爆発でよく助かったな……)

 スレインの駆るタルシスはハークライト騎乗のハーシェルの誤射を受けて爆発した。月面上での出来事であり生き延びる可能性は万に一つもないはずだった。

(そうか。宇宙服か)

 視線を下げると赤く塗装された宇宙服が目に入ってきた。

 ヴァース軍ではほとんど使用されたことがない宇宙活動用の気密服。それを出撃時に着用していたことで機体の爆発という事態に遭っても死なずに済んだのだと気が付く。

 スレインに宇宙服の着用を進言したのはハークライトだった。

(ハークライトには感謝だな。だが、とりあえず今がいつなのか。戦争がどうなったのか知りたい)

 生命維持装置に入っていると本人はどれだけの時間が経過しているのかわからない。アセイラム姫のように2年間眠りっ放しということもある。

 視界の隅に軍服のままの負傷兵の姿が見える。撃墜されてからまださして時間が経っていないことは予測できたものの、早く容器の外に出て情報収集がしたかった。

 だが、スレインの目が開いたことに医師団は気づいていない。溶液の中に浮かぶ体は同じ座標で漂うだけで指1本動いてくれない。溶液の流れで体を固定されているらしかった。声を発しようにもマスクがピッタリと掛けられておりそれさえ上手くできない。

 目ぐらいしか自由に動かせない体でどう自分が意識を取り戻したことを知らせるか。

(リスクを伴うが仕方ない。やるかっ)

スレインの出した答え。それは息をわざと止めてみせ各種モニターに異常を知らせることだった。わざと体調不良を引き起こすことで自分に注目を向けることに成功した。ハークライトたちが自分を見ながら騒ぎ出したのを見てホッとした。

 

 

「それでは僕が撃墜されてからまだ10時間余りしか経っていないのですね」

 装置から出たスレインは医師の養生の勧めを振りきって全身に包帯を巻いた上で軍服に着替えた。そしてハークライトから話を報告を受けていた。

 ベッドに腰掛けるスレインに対してハークライトは土下座するような姿勢で床に両手を突いていた。

「はい。地球との停戦協定成立まで後5時間ほど残している状況です」

「5時間……」

 スレインは自分の体の状態を直接手で触れながら眺めてみた。ヴァースのアルドノアを利用した超医療テクノロジーにより表面的にはだいぶ回復したようにも見える。

けれど医師の見立てではスレインは今も危険な状態であり、生命維持装置に後丸1日入らなければ命の保証はないという話だった。

 だが、今のスレインに療養という選択肢はなかった。地球軍との戦争はいよいよ大詰めでこの数時間の行動次第でヴァースのこれから数年、数十年のあり方が決まってしまう。

 そして何よりスレインが撃ってしまった少女は今も生命維持装置に入らずに重傷の身で耐えている。自分だけ療養する気にはなれなかった。

 

「ハークライト。僕はこれより母艦に戻りレムリナ陛下に謁見を賜ります」

 自分が重傷の身となったことで、同じく重傷の身となっているレムリナ、そして眠り続けるアセイラム姫のことがより気になった。異常なまでの焦燥感さえ覚えている。

「そのお体で航宙艦の座乗されるのは無茶です」

 ハークライトは難色を示す。けれど、スレインは譲らなかった。

「とても嫌な予感がするんです。今すぐにでも母艦に戻らないといけないんです」

 戦争はまだすんなりと終わりを告げてはくれない。それを感じずにはいられない。

「ですが、勘だけでスレインさまのお命を危険に晒すわけには……」

「不幸なことを的中させることに関しては僕の勘はヴァースの超科学並だと思いますよ」

「そうは仰られましても……」

 ハークライトはそれでも首を縦に振ろうとしない。スレインは大きく息を吸い込んだ。

「革命政府首班として命じる。私はこれよりレムリナ皇帝陛下に謁見を賜る。準備を即時せよ」

「…………仰せのままに」

 ハークライトは片膝をついて命令を受諾する。

「ですが、出立前に私の処分と後任をお決めください」

 副官は自らの首を差し出すように深く頭を垂れた。

「処分? 後任?」

 スレインにはハークライトが何の話をしているのかわからない。

「私がタルシスを撃ってスレインさまに瀕死の重傷を負わせたことへの処罰です」

 スレインは数時間前の戦闘中のことを思い出してみる。界塚伊奈帆の乗るスレイプニールを撃破してからの記憶が全くと言っていいほど欠如している。宿敵伊奈帆を倒したことで緊張感を切らして茫然自失となっていたのだと推測する。

「両軍入り乱れての激戦の最中、無人誘導兵器の照準が多少狂ったとしてもそれは仕方がないこと。罪に問うことではないでしょう」

 ハークライトは首を静かに横に振った。

「ただの誤射、では説明が付かないと思っております」

「というと?」

 ハークライトは全身を震わせながら己の罪を告白し始めた。

「タルシスが爆破する前、スレインさまは自我を失った状態でアセイラム姫殿下のお名前を何度も何度も連呼しておられました」

「僕が、姫の名を……」

 ありそうな話だった。いや、むしろ自分が何のために伊奈帆と戦ってきたのか思えば当然とさえ言えた。

「私はそのことに一瞬の激昂を覚えました。ヴァース全星を率いる身でありながらその自覚に欠けていると不遜にも考えてしまったのです」

「不遜、ではないでしょう。逆の立場であれば僕もカッとなっていたと思いますよ」

スレインは慰めではなく本気でそう思っていた。指導者としての自覚に欠けていると。そしてその認識はある一つの決断をもたらした。

「そして激昂と同時に放たれた砲撃がタルシスに命中しました。これでは私がスレインさまを狙って撃ったのと何ら変わりません」

ハークライトは床に頭を擦り付けた。

「…………仮にそうだとして、あなたはどんな処分が妥当だと思いますか?」

「ヴァース最高指導者に弓を引く。死罪以外にはあり得ないかと」

スレインは大きく息を吸い込んだ。

「僕はつい最近エデルリッゾさんに酷く叱られたんですよ」

「あの、一体何の話をしていらっしゃるのでしょうか? 今は、私の処分を……」

「極悪人の僕がレムリナ陛下を撃って重傷を負わせたぐらいで自分の死を願うのは職務放棄の身勝手な偽善だと。その通り、なのだと思います」

ハークライトの顔が上がってスレインを見つめる。その表情は驚きに満ちていた。

「たかが僕を撃ったぐらいで死ぬなど、この僕が許しません」

「しかし、それでは示しが…………」

「死罪に相当する重い任務を課す」

「はっ。敵中への単騎突入でもなんなりと」

ハークライトは少し嬉しそうな表情を見せた。そんな彼にスレインは厳かに告げた。

「僕が戻るまで革命政権の首班の地位を預ける。地球との交渉並びに内政強化に努めよ」

「しかし、それは……」

ハークライトの表情が再び引き攣る。

「二度は言わない。僕が留守の間、ヴァースを頼んだぞ」

スレインは立ち上がる。ハークライトは何か言いたそうな顔を見せていたが結局は押し黙って深く頭を下げた。

ゆっくりと進み医療ルームを出る手前でスレインは振り返り首班に命じた副官に告げた。

「僕が生きているということは……界塚伊奈帆もきっと生きているに違いありません。僕たちの戦いはまだ終わっていないんです」

ハークライトは更に深く頭を下げた。言いたいことを全て押し込めて耐えているのが容易に見て取れた。

「ハークライト。貴方は僕には勿体無い過ぎた部下でした……ありがとう、ございました」

 スレインは顔を前方へと戻すと部屋を出て行った。涙が込み上げて溢れないようにするのに必死だった。

 

 

 

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 揚陸城を高速輸送艇で飛び立ったスレインは2時間ほど離れた宙域に潜伏している自身の母艦へと戻った。

 けれど、艦が視認できる距離に近付くに連れてスレインの顔に緊張が走っていった。

「母艦のアルドノアドライブが停止している?」

 艦艇のアルドノアドライブが停止してステルス迷彩が解けている。地球軍が警戒を向けないであろう宙域とはいえ、あまりにも無防備にその姿を晒していた。

「艦との通信を繋げっ!」

 通信手を大声で怒鳴る。

「それが……先ほどから何度も試みているのですが、30分ほど前から音信不通です」

「馬鹿者っ! 何故もっと早く言わないっ!」

「もっ、申し訳ありません」

 事態が想定よりも逼迫したものであると認識を改める。

「レムリナ陛下、エデルリッゾさん、アセイラム姫殿下。どうかご無事で」

 母艦への帰還が遅れた我が身を呪いながら拳を握り締める。

「この輸送艇には護衛用にステイギスUが1機積まれていたな?」

「はい」

「私が出る。付近に敵が潜んでいるかもしれない。艦までの航路を切り開く」

「ですが、スレインさま。そのお体でカタフラクトを操縦なさるのは……」

「輸送艇ごと落とされてしまっては意味がない。出るぞ」

 スレインは格納庫に移動し、部下の自重を求める声を振りきって量産型カタフラクトに乗り込む。

 狭いシートに座った瞬間に全身に鈍い痛みが走る。医師の語る通りにスレインの体は絶対安静が必要な状況だった。けれど、そんなことに構っていられなかった。

「スレイン、ステイギスU……出るぞ」

 母艦の現状を知るために輸送艇を先行してスレインはカタフラクトを出撃させた。

 

 母艦までの短い道中、敵の攻撃を受けることも敵影を発見することもなかった。

「月面の揚陸城、このステイギスにしても稼働していることからアルドノアは健在。何故、この艦のドライブだけが停止している?」

 状況が掴めずに不安が募る。拳銃に弾を篭め直しながら艦へと近付いていく。艦の後部に位置しているカタフラクトの発着ハッチは開いたままになっていた。

 再度通信を呼び掛けてみるが艦からの返信はない。アルドノアドライブが停止して設備が麻痺しているようだった。

 仕方なくスレインは単身で拳銃を片手に艦内へと突入した。

 格納庫内は薄暗かった。アルドノアドライブに依存していない最低限度の照明と生命維持用の空気循環装置や暖房装置だけが細々と稼働している。

「戦闘の跡がない。なのに、艦内に誰もいない。一体どういうことなんだ?」

 わけがわからないまま艦内を駆けながら探索する。全身がズキズキと痛むが構っていられない。

「レムリナ陛下っ、エデルリッゾさん。一体どこですか?」

 大きな声を挙げながら艦内を走り回る。だが、扉がロックされた状態でアルドノアが停止したのか入れない区画も多い。執務室やレムリナ用ルームなどには入れたものの少女皇帝も侍女少女の姿もなかった。

「後残るは……アセイラム姫殿下のいるあの部屋だけか」

 レムリナを撃ってしまって以来近付かないようにしていた、アセイラム姫の眠る生命維持装置が置かれた予備格納庫へと足を向ける。拳銃の安全装置を外しながらいつでも撃てる体勢を取る。全速力で来た道を戻っていった。

 

 幸いにして格納庫の扉は人ひとり分十分に通れる隙間が開いていた。中はかなり暗く外からは内部の様子がうかがい知れない。

「…………誰か、いる」

 スレインはこれまでの部屋と違い微かな物音、人間の気配のようなものを感じていた。

 敵との遭遇の可能性に緊張感を覚えながら突入態勢に入る。

「うグッ!?」

 突如全身から電流を流されたような激痛が走り回る。あやうく倒れてしまいそうになる。だが、そんな痛みにも構っている暇はなかった。

「エデルリッゾさんかレムリナ陛下が人質に取られている可能性も十分にある」

 銃を構えて中へと突入する。大切な者のために躊躇はしていられない。

 踏み込んだ瞬間、ブーツから微かな足音が鳴ってしまった。室内の奥にいる人物もそれに気が付いたようでスレインの側へと振り返る。

 だがその動作でスレインは倉庫内にいる人物のおおよその位置を掴んだ。その人物に銃口を向けながらスレインは大声で叫んだ。

「動くなっ!!」

 警告を発せられた人物はその後身動き一つしなかった。周囲に他に誰か潜んでいないか探りながら慎重に暗がりの中を近付いていく。

 3mの距離まで近づいたところで、目の前に立っているのが誰なのかようやくハッキリとわかった。

 軍艦内部には似つかわしくない小柄な少女。表情はまだよくは見えないもののシルエットだけで十分だった。

「エデルリッゾさんでしたか。ご無事だったのですね」

 スレインは更に周囲を見回して他に人影がないのを確認するとゆっくりと銃を下ろした。

「早速で悪いのですが、この艦で何が起きたのか教えてくださいませんか?」

 少女の顔を覗き込む。すると、少女は俯きながら大粒の涙を流し肩を震わせていることに気が付いた。

「泣いて……一体、何があったのですか!?」

 焦るスレインに対してエデルリッゾはゆっくりと顔を上げた。そして右手に持っていた拳銃を自分の頭に突き付けた。

「スレインさま……死んで……お詫びを致します」

 エデルリッゾは泣きながら右手に握った拳銃の引き金を引いた。

 

 

 

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「拳銃は安全装置を解除しないと弾は出ませんよ」

 エデルリッゾが引き金を引こうとしたその瞬間にスレインは少女から拳銃を強引に取り上げた。暴発防止用の安全装置は作動したままだった。

 そしてすぐに確かめる。ヴァース皇家の紋章が入った装飾艶やかな拳銃には1発も弾が篭められていなかった。この銃を渡した人間の悪趣味ぶりとその意図が伺えた。

「何故、こんなことを?」

 エデルリッゾは無言のまま振り返った。

「えっ?」

 立ち位置的に考えてエデルリッゾの後ろにはアセイラム姫が眠る生命維持装置があるはずだった。なのに、その装置がとても暗い。存在を今まで忘れてしまっていたぐらいに全くの闇に閉ざされていた。それはすなわち、生命維持装置が停止していることを意味した。

 スレインは慌てて水槽へと駆け寄った。

「アセイラム姫さまが…………いない?」

 暗い中で目を凝らして水槽の中を見てもアセイラム姫の姿がない。溶液も抜かれている。生命維持装置はもぬけの殻になっていた。

「一体、何があったんですかっ!? アセイラム姫はどうなされたのですかっ!?!?」

 エデルリッゾへと再び振り返りながら大きな声が出た。わけがわからな過ぎた。

「……………………姫さまは装置から出され、界塚伊奈帆さんとそのお姉さんの手により連れて行かれました」

 掠れるような声。涙を流し続ける少女の瞳からは生気が消えていた。

「なっ!?!?」

 スレインの息が詰まる。衝撃は大き過ぎた。緊張感で一時的に忘れていた激痛が再び体中を駆け巡る。今度の痛みには耐えられないほどに大きかった。

「界塚伊奈帆が……ここに、来たのですか?」

 脂汗を大量に掻きながら胸を抑え尋ねるスレイン。エデルリッゾは小さく頷いてみせた。

「衛兵は、何をしていたのですかっ!?」

 伊奈帆が、地球軍がこの艦に攻めてきたのに艦内で戦いが生じた痕跡が一切ない。それどころか兵士の姿が1人も見えない。

「………………この艦のみなさんは、全員ブリーフィングルームに集まってもらったところでアルドノアドライブが停止。一箇所に閉じ込められています。だから、ここへは来られませんでした」

 ブリーフィングルームへと続く区画は閉鎖されておりスレインも近付けなかった。誰もいない理由としては合っている。けれど、腑に落ちないことが多い。

「全員が、ブリーフィングルームに?」

 宇宙での、しかも戦闘宙域からそう離れていない宙域での航行時にブリッジ要員や各所要員が0になるということは艦の運行システム上あり得ない。

 もしそんなことが可能であるなら。それは、艦の指揮系統を超越した存在の命令に違いなかった。そしてそんなことが可能な超越的存在がこの艦には1名いた。

「レムリナ陛下は何故艦内を無力化してアルドノアドライブを切ったのですかっ!?」

 犯人はレムリナ以外には考えられなかった。けれど、エデルリッゾは首を静かに横に振った。

「確かにレムリナ陛下にはこの艦のクルーのみなさんを一つの部屋に集めていただきました。ですが、その計画を立てたのも、この艦のアルドノアドライブを実際に停止させたのも…………全てはこの私です」

 スレインは急激に体から力が抜け落ちていくのを感じた。

「それは、つまり……」

 エデルリッゾは涙が枯れないその瞳でスレインを見上げた。

「レムリナ陛下から託されたアルドノアドライブの起動権を使ってこの艦を停止させ、アセイラム姫さまを伊奈帆さんに引き渡したのはこの私なんです」

 エデルリッゾの告白を聞いてそれ以上立っていられなくなった。膝から崩れ落ちる。暗かった周囲がますます暗くなる。スレインの瞳にはもうほとんど何も映っていない。

「……………………そう、ですか」

 エデルリッゾに対して怒りを撒き散らすべき場面だった。なのに怒りが湧き出てこない。代わりに胸中が冷たく苦しい圧迫感で満たされる。内側から潰されていく感覚が支配する。

 少女に問い詰めるべきことは幾らでもあるはずだった。けれど、何も浮かんでこない。

「そう、です、よね……」

 エデルリッゾはアセイラム姫の守護役としてスレインを不適格だと判断した。アセイラム姫のことを最も親身になって想っている少女がそう判断した。スレインが最も信頼している少女がそう判断した。それ以上の説明はもう不要だった。

「僕じゃ、駄目、ですよね……」

 全身に力が入らない。心がどこまでも深く落ち込んでいく。

 

「…………スレインさま。私を、撃ってください」

 頭の上からエデルリッゾの弱々しい声が聞こえた。顔を上げる。少女はまだ泣いていた。

「何故、僕がエデルリッゾさんを撃たなければならないのですか?」

 アセイラム姫の世話を一任して構わないとスレインが任じている少女が決めたこと。罰云々を言うのなら、エデルリッゾを失望させた自分にこそ責任がある。スレインは本気でそう考えている。

 今のスレインは内罰へと心が向けられており人を責める方向へは気が向かない。元々人を責めるのが苦手な優しい少年だった。偉くなるために非情の仮面を被ってきたものの、それを通し続けるには優し過ぎた。結局その仮面は少年の心を圧迫し続けた。そして、少年の心をポッキリと折った。

 スレインの心を折ったのはアセイラム姫でも界塚伊奈帆でもなかった。彼に唯一安らげる日常を提供してくれたエデルリッゾだった。

「…………私が、スレインさまのお優しい心を傷つけたから、です」

 エデルリッゾが罪の意識を持っているのはアセイラム姫を伊奈帆に渡した行動ではなかった。その結果としてスレインが苦しむことだった。

 スレインを苦しませたから。それが少女の死を願う理由だった。

 

「…………僕にエデルリッゾさんを撃つ理由はどこにもありません」

 激痛が走る身体に無理をさせながら立ち上がり直す。医師の診察は間違っていないようだった。けれど、今さらそれを気にする必要もない。

 目の前の心優しき少女は今日泣き顔しか見せてくれない。それが悲しかった。

「私は、スレインさまのお役に立ちたかったんです。なのに、無力で。そして、スレインさまの心の支えまで奪ってしまって。こんな不忠者……死んだ方がいいんですっ!」

 エデルリッゾは泣きながらスレインに抱きついてきた。彼女の体の感触にスレインの体が更なる悲鳴を上げていく。けれど少年は少女を引き剥がしたりはしなかった。

 銃を持っていない左手をエデルリッゾの背中へと回す。

「エデルリッゾさんもレムリナ姫殿下という替え玉を用いてアセイラム姫の評判を地の底に下げた極悪人でしょう。なら、軽々しく自分の死を願っては駄目ですよ」

 少女を優しく諭す。けれど、エデルリッゾから聞こえてきたのは反論の声だった。

「軽々しくではありません。私は以前からスレインさまのことをお慕い申し上げています」

 エデルリッゾは大きく目を見開いて自分の言葉に驚いていた。それから急に顔を俯かせてスレインから目を逸らした。

「心からお慕い申し上げているスレインさまのお役に立ちたかったのに邪魔をしました。傷つけました。そんな私を、私はどうしても許せないんですっ!」

 エデルリッゾは自分の額を何度もスレインに押し付けてきた。

「私はスレインさまのことを心から愛しています。なのに、なのにぃ……」

 少女に触れられている箇所がとても痛い。けれど、エデルリッゾの告白を聞いているこの胸の痛みはその比ではなかった。

「ほんと、僕は、今まで何をして来たんだろう……」

 痛む全身よりも先に胸の方が張り裂けそうだった。

 

 

 

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「…………僕はこれより界塚伊奈帆よりアセイラム姫殿下を再奪取しに向かいます」

 スレインはエデルリッゾを抱きしめたまま静かに告げた。

「…………はい」

 少女は何も返せなかった。スレインがそう言い出すのではないかと予測していた。少女が犯した罪を根本から無くしてしまうには姫を取り戻してしまうのが一番なのだから。

 そして、その計画が上手くいかない結末を迎えるであろうことも予測が付いている。スレインが瀕死の重傷を負っていることは連絡を受けている。出撃、そして戦闘などできる状態ではない。それはスレインも十分にわかっているはず。

 それでも再奪取を敢えて口にしたスレインの覚悟を思うと、エデルリッゾは何も言えなかった。

「それはそれとしてエデルリッゾさんにもこの艦内のアルドノアドライブを勝手に停止させたことへの罰を受けていただきます」

「…………はい」

 エデルリッゾは俯かせていた顔を上げた。スレインの優しい瞳が彼女を迎えた。

「どんな過酷な処罰でも謹んでお受けします」

「その言葉に二言はありませんね?」

「もちろんです」

 戸惑いのない声で答えた。スレインの沙汰であるならどんなことでも受け入れられる。その覚悟に嘘はなかった。

「そうですか。わかりました」

 スレインは少女の答えを聞くと、何の予告もなしにエデルリッゾの唇を奪った。

「ほえっ?」

 あまりにも唐突過ぎる初めてのキスに少女は目を瞑ることも忘れて呆然とスレインを見つめていた。

 スレインが唇を押し付けて離してくれないのでそれがキスだとはわかっている。けれど、何故突然キスされたのか理由がわからない。

 そして生まれて初めてのキスを、初恋の少年に突如されてしまった驚きが彼女の頭の中を真っ白にしていた。

 唐突に始まった長いキスが終わり、スレインの唇が、顔が離れていく。スレインの唇にわずかに自分の唾液が付着して透明な糸となっている。とても淫靡に思えて仕方なかった。

 

「スレインさま。今のは、その、一体…………?」

 キスが済むと恥ずかしくてスレインの顔がまともに見られなかった。

「今のが僕かたエデルリッゾさんに与えた罰です」

 上から解説が聞こえてきた。ただ、その説明はエデルリッゾには納得できなかった。

「罰に、なりません」

「えっ?」

 顔を上げてスレインを見つめながら少女は頬を赤らめた。

「スレインさまからのキスが私にとって罰になるはずがないじゃないですかっ!!」

 今の少女の胸の中を駆け巡っているのは、スレインにキスされたことへの嬉しさ、幸福感だった。それはエデルリッゾが考える罰とは正反対のものだった。

「私は今、こんなにも幸せな気持ちに包まれてしまっているんです。こんなの、罰じゃありませんっ!!」

「…………エデルリッゾさんのその気持ち、罰に使ってしまうことを許してください」

「えっ?」

 言葉の意味がわからずに呆けていると倉庫の中に車椅子が入ってくる音がした。

「レムリナ陛下っ」

入ってきた人物はエデルリッゾと共謀してアセイラム姫を逃したレムリナに間違いなかった。

 

 どうしてここへ来たのかとは訊けない。エデルリッゾとスレインの様子を見に来たに違いないのだから。

「お邪魔だったかしら?」

 レムリナはキスシーンを目撃したことを臭わせながらエデルリッゾたちへと近付いてきた。間近で見ると、暗いながらもレムリナの体調もまた悪化していることが見て取れた。

 絶対安静を強く言われていた身であるにも関わらず、レムリナは艦の無力化のために奔走してくれた。その無理が祟って具合が一段と悪くなったのは間違いなかった。

 レムリナの体調を悪化させたのは間違いなく自分。けれど、少女皇帝はエデルリッゾを特に気にすることなくスレインに語り掛けた。

「いたいけな少女の唇を、しかもファーストキスを強引に奪うなんて。スレインは酷い男ですね」

「はい。僕は極悪人ですから」

 スレインは首を縦に振ってみせた。エデルリッゾは違うと声を大にして言いたかった。けれど、罪の意識が作用して2人の会話に口を挟めない。

「私の可愛い妹分に不埒な真似を働いた貴方に重い罰を与えます」

「なんなりと」

 スレインは膝をついて敬礼姿勢を取った。

「現時刻をもってスレイン・ザーツバルム・トロイヤードの革命政府首班の任を解きます。どこへなりとも好きに立ち去りなさい」

「そんな……」

 エデルリッゾは目眩を覚えた。少女が望んできた戦いの果てのスレインが統治する平和な世。それが、本当にごくアッサリと吹き飛んでなくなってしまおうとしていた。

「陛下のご勅令、謹んでお受け申し上げます」

 スレインは何ら抵抗を示すことなく解任を受け入れた。政治があまり好きでない少女が漠然と思い描いていた夢が崩れ去っていく。

「そして、これは自分の足で立つこともできない無力で馬鹿な小娘からのお願いです。私を貴方の向かう場所にお伴させてください」

 レムリナは車椅子から身を乗り出してスレインに抱きついた。

 エデルリッゾの瞳には目の前で展開されている光景が現実なのか夢なのか区別が付かなかった。ただ、何にせよ、2人が遠いところに行ってしまおうとしていることだけは明確に感じられた。

 何か言って2人を引き止めないといけない。自分がすべきことはわかっている。なのに、声が出せない。

 スレインの言っていた罰とは何なのか。理解したくないのにわかってしまう。キスを交わしてしまったせいで、強く繋がってしまったせいで少年がやろうとしていることを反対できなくなっている。

 好きな男の行動を止められない。それは確かに残酷な罰だった。

「ディオスクリアVのアルドノア起動は完了していますか?」

「もちろんよ。私が起動させた最後のアルドノアだもの。腕によりをかけてやったわ」

 スレインとレムリナの会話はどこか楽しそうにさえ聞こえた。2人は未来のない船出を計画しているというのに。

「それじゃあ、僕と一緒に来てくださいますか…………レムリナ」

 スレインはレムリナに向かって銃を捨てた右手を伸ばした。

「…………はい。スレイン」

 レムリナはスレインの手を握り返した。

 スレインが一緒に連れて行く相手に選んだのはレムリナ。エデルリッゾは死地には連れて行ってくれない。

 それは、これまでの流れから予想できたこと。

 けれど、少女は。それをただ受け入れたくはなかった。

「私は、おふたりのことを諦めたりしませんからっ!」

 私も連れて行ってくれとは言えなかった。けれど、何も言わずに今生の別れなんてできなかった。

「私は、レムリナ陛下に負けたつもりはありません。それに、スレインさまには唇を奪われた責任をまだ取っていただいてもおりません。だから、おふたりとの関係がこれっきりだなんて認めませんからっ!」

 スレインとレムリナの視線が少女へと向けられた。とても優しい瞳をしていた。

「おふたりが宇宙のどこに隠れようと探し出して三角関係の決着をハッキリ付けたいと思います。だから、私はおふたりのことを絶対に、諦めませんから。だから、さよならは言いません。行ってらっしゃい、だけです」

 述べきるとエデルリッゾは崩れ落ちた。涙が止まらなかった。これまでずっとずっと泣き続けたはずなのに。それでも涙が止まることはなかった。

「「ありがとう。行ってきます」」

 スレインとレムリナの声が上から聞こえた。顔を上げる。暗いはずの室内なのに2人の顔がハッキリ見えた。とても幸せそうな笑顔だった。

 エデルリッゾもスレインたちに倣って笑おうとした。けれど、泣きすぎて顔の筋肉が言うことを聞いてくれない。自分がどんな表情をしているのかわからないまま格納庫を出て行く2人を見送ったのだった。

 

 

-6ページ-

 

 

「さすがは変形機構有りの高機動型カタフラクト。これなら界塚伊奈帆に追い付くのも可能かもしれない」

「……でもこの機体、ほとんど武器を積んでいないんでしょ。地球軍と戦えないんじゃないの」

「アセイラム姫を無事に奪還するには機体ごと鹵獲するしかありません。下手な兵装は機体を傷付けてしまいますから必要ありません」

 スレインは膝の上にレムリナを乗せながら新型カタフラクトを駆って伊奈帆たちの元を目指す。大型のカタフラクトではあるが、飛行形態を持つディオスクリアVはタルシスよりも遥かに高速度で宇宙を駆け抜けていく。

 

 ディオスクリアVは先代ザーツバルム伯爵が愛馬としたディオスクリアUの改良版。だが、どのカタフラクトよりも多くの武装を積むこの機体は調整が大変難しく、実のところはまだ未完成状態だった。

分離する腕、機銃などを除くと武器はほとんど実装されていない。けれど変形機能は既に搭載されており、スレインにとってはそれで十分だった。

 

 タルシスを上回る機動力を持つディオスクリアVはその分搭乗者の体に負担が掛かる。スレインは激痛に耐え目を霞ませながらも速度を落とすことなく伊奈帆を追っていく。

 そして、機体から受ける負荷はレムリナの体も確実に蝕んでいた。

「……お姉さまを見つけるのなら早めにお願いするわ。この機体、いつ止まってしまうかわからないから」

 レムリナの顔には冷や汗が浮かんでいる。その服の腹部からはうっすらと血が滲んでいる。傷口がまた開いているようだった。

 レムリナの命が危ないのはスレインも重々承知している。けれど、今さら機体を止めて引き返すこともできない。もうそういう状況ではない。レムリナもスレインも、重傷を負った身で無理をし過ぎていた。

今の状況に対して後悔はない。ただ、スレインにはどうしても気になることがあった。

「もし、レムリナが僕と宇宙で最期を共にすることになったら……ヴァースはこれからどうなるのでしょうね?」

 政治指導者にはハークライトがいる。けれど、アルドノアがなければヴァースはとても延命できない。自分で政治体制を壊してしまった星の未来が気に掛かった。

「……私がおじいさまから継承したアルドノアの全権は、生命維持装置から出した際に眠っているお姉さまに一方的に譲渡しておきました。今、私の力で動いているのはこの機体だけです」

「そう、なんですか」

 腕の中のレムリナは小さく頷いた。

「お姉さまも意識はともかく体の方はピンピンしてるみたいですからすぐに亡くなられるという事態はないはずです。ヴァースも何とかなるでしょう」

「今の話を知っている方は?」

「……スレイン以外にはエデルリッゾだけです」

 スレインは霞む瞳でゆっくりと荒くなってしまう息を吐き出した。

「なら、地球連合政府と軍にはレムリナが生きたまま行方不明と思わせた方が得ですね。そうすれば、界塚伊奈帆がアセイラム姫を政治から切り離して市井に紛れさせられる確率も高くなる」

 レムリナはスレインの話を聞いて小さく笑った。

「……貴方はあの黒髪の彼からお姉さまを取り戻すためにこの機体を駆っているのではないの?」

「そう言えば、そうでした」

 スレインも笑って返した。

 

「レムリナは界塚伊奈帆に会ったのですね」

「……あの艦でお姉さまを渡す出迎えができたのは私とエデルリッゾだけでしたから」

「界塚伊奈帆はどんな男だと思いますか?」

 レムリナから見て伊奈帆はどんな人物に見えるのか。とても気になった。

「……貴方そっくりのお姉さま馬鹿ね」

 レムリナの手がスレインに触れる。とても冷たい手。血の巡りが悪くなっていることを容易に連想させる指。けれど、その評定はどこか楽しそうだった。

「……とても理知的な雰囲気を匂わせてはいたけれど……たった1機のカタフラクトでヴァースの軍艦まで乗り込んできたのよ。スレインと同じでお姉さまのこととなると他のことが何も見えなくなる馬鹿よ。間違いないわ」

「僕と界塚伊奈帆が同じ…………プッ。アッハッハ」

 スレインはおかしくて堪らなかった。

「僕がこの世界で一番憎いと思い続けてきた奴と同じだなんて。アハハハ」

「……スレイン?」

「いえ。世界の憎しみなんて、案外こんなものかもしれないと思いまして。そっか、僕が界塚伊奈帆と同じ……」

 体中が痛くて痺れて堪らないのに少しだけ気分が良かった。

 

 それから10分ほどしてディスクリアVのセンサーが宇宙空間を飛行する物体を察知した。戦場から遠く離れた地点を単独で移動するそれは如何にも怪しかった。

「アセイラム姫を発見しました」

 スレインは飛行物体を地球軍の量産型カタフラクトアレイオンと判断した。

「…………そう」

 レムリナの反応は薄い。呼吸が荒くなるのに反比例して体が冷たくなっている。服から滲んでいる赤もどんどん鮮明になってきている。

「もう少しだけ……頑張ってください」

 スレインは機体を加速させて緑色のアレイオンへと近付いていく。そして、ディオスクリアVと比べれば止まって見える低速で動いている地球軍カタフラクトに……レーザービームを放った。

「聞こえるか、界塚伊奈帆」

 スレインの放ったレーザービームはアレイオンとの通信を強引に開くことに成功した。

『君は月面で既に戦死したと思ったんだがな、スレイン・トロイヤード』

 つい先程機体を爆破されて死に掛けたはずなのに伊奈帆の声はピンピンしていた。

「それはこちらの台詞だ」

 レムリナの表情を見る。血の気が引いている。そんな彼女を見るスレインの目も掠れて焦点が合わない。2人とも残された時間は多くなさそうだった。そして、余計な行動、例えば鹵獲のための脅しなどを取っている余裕はもうなく、直線飛行がやっとだった。

「アセイラム姫をこちらに引き渡せ」

『それはできない。僕はヴァースの新皇帝に頼まれてセラムさんを護送している。ヴァースの一臣下に過ぎない君の命令を聞く謂れはない』

 シラッとレムリナを盾に使ってくる。やはり憎らしい男だとスレインは思った。

「アセイラム姫を通信に出せ」

『意識もないのに出られるはずがないだろう。それは君が一番よく知っているはずだ』

 レムリナの顔をもう1度見る。少女は弱々しい力でスレインの手を握り返してきた。

「それでも替われ。レムリナ陛下からアセイラム姫殿下にお話がある」

 スピーカーからガサガサと何かが動く音が聞こえてきた。

『どうぞ』

 素っ気ない声が遠く聞こえた。スレインはレムリナの体を抱えてスピーカーへと彼女の顔を寄せる。レムリナは頷いてみせた。

「…………こうしてお姉さまと直接会話をするのは初めてですね。もっとも、今回も機体越しですが」

 意識がないアセイラムからは当然のことながら反応が返ってこない。けれど、レムリナは満足そうな表情を浮かべていた。

「私にとってお姉さまは憧れの存在でした。明るくて優しくて気高くて聡明で美しくて元気で人気者で。私にない物を全て持っておられました。そんなお姉さまは私にとって誇りで生きていく上での希望で……そして、憎かった」

 スレインは操縦桿から手を離した。レムリナの体を支えるのに全力を尽くさなければならなかった。

「とはいえ、私もお姉さまの姿をお借りして好き放題させていただいたので、今さら恨み言を申せる立場ではありません。代わりにこの場で一言御礼申し上げさせていただきます」

 レムリナの声が段々と夢心地で聞こえるようになってきた。限界がもうそこまで近付いてきている。でも、まだ全てを手放してしまうわけにはいかなかった。必死に意識を手繰り寄せる。

「私は、お姉さまの身代わりとなることでスレインと出会うことができました。スレインと出会えたおかげで私は彼を、人を愛せるようになりました。私が人生で最も満ち足りた時間を送れたのはお姉さまが私をスレインと引き合わせてくれたおかげです。本当に、ありがとうございました」

 スレインはレムリナを抱きしめたまま足でブレーキを掛けた。縮まっていたアレイオンとの距離が再び開いていく。

「素敵な言葉でしたよ……レムリナ」

 レムリナから返事はなかった。ただ満足そうな表情で目を瞑っていた。

 そして、スレインも本当に限界を迎えていた。

「おい、界塚伊奈帆」

 怒ったように声を出す。実際、怒っているのかもしれない。何に怒っているのか霞む意識でもう整理できないが。

『何だ?』 

「アセイラム姫を不幸にしたら。ただじゃ済まさんからな」

『君に言われるまでもない』

 スレインはアレイオンとの通信を切ると、一斉に逆噴射を掛けて後退し始めた。アレイオンが全センサーからロストするのを見届けると静かに目を閉じた。

 

 地球軍のセンサーがディオスクリアVを捕捉することは二度となかった。

 

 

?

 

-7ページ-

 

エピローグ

 

 

 地球連合とヴァース新政権の間に終戦協定が締結されて1年余りが過ぎていた。

 エデルリッゾは侍女を辞め、ヴァースの中規模都市の集合住宅の一区画で慎ましく暮らしていた。

「この辺りも地球産の物が増えましたね」

 窓の外の景色を見ながら感慨に浸る。ヴァースでは以前とは比較にならないほど一般庶民たちにも地球産の物資が行き渡るようになっていた。水だけで育てられる花が飾られている家もところどころに見られる。

 これらはハークライトの交渉術とスレイン・レムリナが貴族制を打倒した成果だった。

 ハークライトは停戦成立時の地球上の占領地域の返還、アルドノアドライブを現在稼働している分を除いては全て凍結することを盾に地球から資源の安定供給を迫った。

 地球連合にしてみても、領土の返還とアルドノアの増産停止は安全保障の都合上最も好ましいことだった。そしてヴァースの民が実際に欲している物資の量は地球という資源の塊から見ればごく微々たるものだった。ヴァースの人口は地球に比べて遥かに少ない。

 真実を知っているエデルリッゾから見れば、ハークライトの交渉の仕方はどこか詐欺っぽくも見えた。けれど、それで戦争が早期に終わるなら、ヴァースの暮らしが良くなるのなら悪いことだとは思わなかった。

 

 物の行き来が頻繁になるに連れ、人の行き来も段々と増えてきた。最初は政府関係者かビジネス目的で往来する者しかいなかった。けれど、最近ではそれ以外の目的で互いの星を行き来する者も出始めている。

 ヴァースと地球の相互感情は今でも良くない。戦争が終わったことを両星の人々が圧倒的に支持しているのは確か。だが、それで相手を良く思うわけでもない。多くの犠牲を出した戦争のせいで互いに今でも憎み合っている。

 ただ、それでもそんな仲違いした両星の人々を仲良くさせようと思う奇特な人間は存在する。相手の星に興味を持つ人間は存在する。そんな人々が地球を訪れ、ヴァースを訪れるようになっている。

 アルドノアを搭載したヴァース軍の軍艦の多くは民間用に転用されヴァースと地球の間を往復して物と人を運んでいる。地球の船では火星に到着するまで時間が掛かり過ぎるのでアルドノアはどうしても必要だった。エデルリッゾが、スレインとレムリナが去った後にすぐ再稼働させた航宙艦も生活の安定と平和を運ぶために活躍している。

 

 

「あっ。伊奈帆さんからメールですね」

 ヴァースと地球の戦争が終結したことで解禁されたのが民間での通信のやり取りだった。エデルリッゾはデューカリオンのクルーだった者たちと時々電子メールのやり取りをしている。もっとも、彼女のように地球人に知り合いがいる者はほとんどいないのが現状だが。

「姫さま……ご自分の足で街を歩いて回れるようになったのですね」

 エデルリッゾが最も頻繁に連絡を取っているのは伊奈帆だった。その内容は大体アセイラム姫の現状報告に終始している。文面自体は味も素っ気もないものの、彼女にとっては一番大切な情報を提供してくれていた。

 

 アセイラム姫は伊奈帆に引き渡された後も眠り続けていた。地球軍に内緒で匿われていた彼女はデューカリオンが地球に降りると軍を除隊した耶賀頼の元へと引き取られていった。彼女には偽名と偽の登録証が与えられ、その当時世界中に溢れていた戦争孤児の負傷者として扱われた。

 そんな彼女は半年前になってようやく目を覚ました。けれど、あまりにも長い時間眠り続けていたので最初は自分が誰なのかも全くわからない状態だった。今でも記憶は10歳前後のことまでだけ覚えていて、その後は地球で目を覚ましてからのものとなっている。

 体力面でのリハビリもまた長期の時間を要していた。2年半眠り続けた体がわずか半年で1人で街中を自由に歩け回れるようになったのは奇跡だと耶賀頼は語っている。

 そしてそんなアセイラム姫に軍人を続けながら寄り添いサポートし続けているのが伊奈帆だった。

 

「それにしても、姫さまが私の姿形をしながら街を歩いているって……何か変な気分になりますね」

 アセイラム姫は外出をする際には正体が万が一にでもバレるのを防ぐために光学迷彩を使って別人に扮している。その別人というのがエデルリッゾだった。本人より若干大人びた見た目に変更が加えられているものの、メールの添付画像だけ見ればエデルリッゾが地球歩きしているようにしか見えない。それは何だかとてもおかしな光景だった。

「まあ、姿形をお借りしているのはこちらも同じなんですけどね」

 もう1度添付ファイルの画像を眺める。エデルリッゾの姿をしたアセイラム姫はとても楽しそうに笑っている。

 伊奈帆はハッキリとは書いていないが、アセイラム姫はおそらくエデルリッゾのことを覚えていない。姫が10歳のころにエデルリッゾは彼女と会ったことがないから。

 けれど、それでもアセイラム姫が自分で決めたという仮の姿がエデルリッゾだったことに繋がりを感じている。

「私も、もう1度地球に降り立ってみたいですね。そして姫さまにご挨拶したいです」

 ハークライトに頼めば少女の希望はすぐに叶えられる。けれど、今は手の掛かる居候が2人もいるので地球に遊びに行っている暇はなさそうだった。

「さて、お買い物に行ってきますか」

 エデルリッゾは立ち上がる。そして壁に掛けられている最近居候2人と撮った写真を指で撫でた。

 その写真には、右側にエデルリッゾ、中央に吊り目がちで頼りなさそうに見える界塚伊奈帆、左側に車椅子に乗った北欧美少女なセラムの3人が並んで楽しげに写っていた。

 

 

EPISODE.05 アルドノア・ゼロ

 

 了

 

 

 

 

 

 

 

説明
pixivで発表してきた15話からのifストーリー5話 完結編
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アルドノア・ゼロ

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