かごめ
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 馴染みの古道具屋からの帰り道、無聊を慰めるといえば聞こえはいいが、単なる気まぐれでいつもとは趣向を変え、バス通りを避けて帰路を選んでみた。

 田舎道は国道を外れると店屋どころか民家さえたちまちまばらになる。刈り取りの終わった後の田畑を横目に歩いていると頭上で鳴いている烏くらいしか目新しいもの、耳新しいものがなくなってしまう。閉口だったのは、雨上がりであちこちがぬかるんでいて、泥はねが靴ばかりかズボンにまで付着することだ。

 山がちの間道をとぼとぼ行くと、そのうち石段が下っているのが見えてきた。昔の参道の名残りで、既に旧社古刹の類は併合されるかして跡形もないのに、麓へと続く石組みだけは残されている。以後もそれなりに生活道として使われていたのだろうが、近くを舗装され、幅広く、なにより緩やかな国道が走ってしまえば旧習なんてたやすくすたれてしまう。

 そのくらい一段一段が高く急な石段だった。おまけに傾斜がついていて体が前のめりになるし、あちこちが崩れて足をとられそうになることも多い。両側が山肌なおかげで薄暗く、気持ちも陰鬱になってくる。いい加減自分の選択の誤りを後悔してはいたものの、意地の方が強く後戻りをすることなど考えもつかなかった。

 雨に濡れて滑りそうになる石段を、きかない踏ん張りだけをたよりに、へっぴり腰で下っていくと、ちょうど中腹あたりで、ひと息つけるほどの広さの確保された石畳の場に出た。

 数分と経っていないというのに、安定した足場に降り立つと、強い安堵感がわいてきて、ほっと人心地つくことができた。

 片側には地蔵を祀った小さなお堂がある。古びてはいるものの、辛うじて人の手が入っているらしく、荒れ果てたという様子ではない。それでも参拝者は多くはないのだろう。お供えの花もすっかりしおれて、色が落ちて葉は枯れてしまっている。

 あまりにも鄙びた様子が、なんとなく心を動かしたのだろうか。普段ならそんなことをしないのに、気づけばお堂に向かって手を合わせていた。

「熱心なのね」

 不意にそんな声を掛けられて、大きく体が震えた。

「あら、びっくりさせちゃったかしら」

 ふり返った先に彼女はいた。

 鬱蒼と林立する色づきはじめたぶなの、その参道にほど近い一本の根元、下草にまぎれて、一個の首が転がっていた。

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 新聞やテレビを通して見知ってはいたものの、艦娘、それも首だけの、を近くにするのは初めての経験だった。

「ごめんなさいね、人が通りかかるのがひさしぶりで、うれしくなっちゃって」

 軽巡洋艦龍田と名乗った彼女は、屈託ない笑みを顔全体に浮かべて、おっとりした声を弾ませつつ詫びてきた。

 まっすぐに立っていたら土の中に埋もれているという可能性も考えられた。けれども、龍田さんは右の頬を下にして倒れていて、しっかりと首の切断面をあらわにしている。幸いつむじをややこちらに向けているおかげで、なまなましい傷痕を見ずにすんでいた。かわりに生え際からつややかに流れる藍色の髪が目に入ってしかたなかった。

 人形のよう、とは形容しづらい血色のよい肌が、かえってその分雨のあとの砂利の多い山の斜面にさらされているのは目にするにしのびなかったが、幸い髪が下敷きになっているため泥水に直に触れることは避けられているようだった。

 けれども、すると、今度は髪の汚れるのが気になってきた。

「そんなにおびえなくてもいいわよ」

 声をかけられてまたもわれに返った。

「おびえる……ですか?」

「だって、ずっとわたしの方を見てるのに、目を合わせないじゃない。違うの?」

 髪の色をもっと深くした龍田さんの瞳は虹彩がなく、瞬きもせずになにもかも見透かすようにじっとこちらを見つめていた。

 髪や頬に見惚れていたと正直にいうのもばつが悪く、とっさに口をついたいいわけは、

「いえ、体はどうしたのかな、と……」

 われながらデリカシーもなければ、気もきかないせりふだった。

「体?」

「え、ええ。だって、こんな首だけで、綺麗なまま、ここまで来れるわけないじゃないですが。泥もほとんどついてないし、草の葉の汁にも汚れてない、綺麗なままで」

「ありがとう」

 くすくすと笑うと、すぐ傍らのきんぽうげのものらしい葉がそよと揺れ、「ああ、やっぱりいるんだ」、おかしな話だが、そんなことを意識した。

「はい?」

 しかし、どうして自分がお礼をいわれ、あまつさえ笑われているのかわからず、問い返してしまった。

「だって、あなた、驚いたりするでもなく怖がるわけでもなく、まず褒めてくれたんだもの。おかしくてえ」

 考えてみれば目の前に首がひとつ転がっているという光景は、かなり無気味なはずだったが、しかし、龍田さんがころころと笑えば笑うほどに、さらに麗しさは増すよう思え、おののく気持ちは一向わいてこない。

「す、すいません。つい」

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「謝ることないわよ。あはははは。ああ、おかしい」

 あまりに屈託なく笑う様は、まだ少女の容色をたたえ、まったく天真爛漫なほがらかさを振りまいていた。それでも少々笑いすぎたらしい、瞼にたたえられた涙は、そのまま拭うこともできず、右目からは頬を伝ったが、左目からあふれた分については鼻の付け根を通り長くきらきらと輝く軌跡を描いていた。

「やだ。やっぱり腕がないと不便ねえ」

 龍田さんはそんな自身の状態もたまらないらしく、一層笑いを募らせた。

 だが、見ていると、その姿がどうにも不憫でならない。

「え? あら」

 朱色の、近くで目にすると意外と厚ぼったい肉感的な唇から、驚きの声があがる。

 自分でも知らぬ間に、隠しから取り出したハンカチを頬に当てていた。拭うのではなく、涙に押し当てて布に水気を吸い取らせるように、他の部分には触れずにできるだけ力をこめないことを心掛けて。

 龍田さんの頬はハンカチ越しにでもわかるほどにやわらかく、そして温かだった。

「ありがとう」

 時間をかけて涙を除くと、龍田さんはもう声をたてず、それでも柔和な笑みを顔いっぱいに浮かべていた。

「ねえ、お礼ついでに、もうひとつお願いしてもいいかしら」

 おかしな理屈ではあったが、それを気にかけさせない魔力のようなものが、龍田さんの笑みにはこめられていた。

 

 水の流れた跡か風食か、はたまた地滑りでもあったのかはわからないが、参道は山間のやや落ち窪んだところを削って整えられていた。特にこの石段のあたりは左右の山肌の傾斜が厳しく、ただでさえ分け入るのに骨が折られるというのに、さらにおまけが腕の中に鎮座していた。

「ごめんなさいね、無理いっちゃって」

「いいえ。このくらい。なんてこと。ありませんから」

 強がりはだれの目にも明らかで、左の手で深い藪をかき分けかき分け、根をしっかり張っている木に体重をあずけて踏ん張りつつ、道のないところを一歩一歩確かめながら上っていく。肩で息をしながら小脇に抱えた龍田さんの首を揺すぶったりしないよう細心の配慮をして。

「それより、龍田さんは、大丈夫ですか。枝が目に、かかったり、していませんか?」

「心配しないで。これでも軍人さんですもの」

 あえぎあえぎようやくふりしぼる声と間延びした声の、どうにもかみ合わない会話が、草を踏み分ける音の合間に響く。

 龍田さんの体が斜面のすぐ上にあると聞き、自ら願い出て探索することにしたのだった。

「けど、いったい、どうして、こんな山の中に、海軍さんが」

「内緒。だって、それをいっちゃったら、軍人じゃないじゃない」

 いかにもいたずらっぽい口調ではあったが、どことなく有無をいわせない調子があり、その話はそれきりになってしまった。

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 不安定な斜面を慣れぬ足で踏み進み、草葉に蓄えられた露をかぶって汗とないまぜになると、短時間でもすっかり全身濡れねずみになってしまった。

 それでもどうにか龍田さんに教えられるまま捜索を続けて、目的のものを発見にこぎつけることができた。

 ひときわ大きなくぬぎに、龍田さんの体はもたれかかっていた。ちょうどうろが開いているらしく、そこに腰をおさめていかにも小休止でもしているようだ。かたわらにかけられた大きな薙刀がいかにもな雰囲気をたたえてもいる。

 たしかに首がない。正確にいうなら首から上が失われている。長くほっそりとした喉のなかばからすっぱりいかれている。それにしても、刀剣のことはとんと詳しくないが、よほどの腕で、業物をもって一刀両断されたらしい。首の淵はまったく皮がささくれだっていないし、中の血管や神経、頚椎などもへしゃげたところが見当たらない。なにより血が一滴もたれていないのが不思議でならなかった。

 これだけの傷だ、あたりが血の海となっていてもおかしくなかっただろうところが、周囲は深い緑に覆われて、血の気は色はおろか草いきれをおす鉄臭ささえ感じなかった。

 だからこそ龍田さんの体をしげしげ観察するゆとりが持てたのだろう。

 微動だにしない龍田さんの肉体は、軍人といういかめしい職業に似ず、全体にまるみを帯び、それでいてしなやかさをそなえた、ネコ科の大型動物を思わせる風格をそなえていた。

 今にも動きだしそうな。そう思ったのも、あながち恐怖によるためばかりではなかった。龍田さんは黒いビロード地でできているような軍服を着用していて、腕はほぼすべて覆い隠していたが、反面下半身は膝上でスカートが途切れ、生の脚が露わに投げ出されていた。

 その脚は死斑などが浮かびもせず、鬱血した雰囲気もなく、生前そのままの、腕の中にいる龍田さんの顔と同じ色をしていた。にもかかわらず、足の先には既に蔦がからみつきつつある。

「それでどうすればいいんです?」

 いわれるがままに探し当てはしたものの、この体を見つけてからのことはまったく聞かされていなかった。

「おぶっていって、は勘弁してくださいよ」

 見下ろせば石段がわずかに枝の間から視界に入ったものの、思っていた以上に傾斜がきつく、まともに立った姿勢で下ることができるかも疑わしいほどだった。

「そうだわ、電探」

 だが、龍田さんが口にしたのは、まるで想像もしなかった言葉だった。

「はい?」

「電探なの。いつもわたし頭に浮かべていたんだけど。今はないでしょう」

「浮かべて?」

 いわんとするところはよくわからないが、たしかに龍田さんは頭になにもかぶせてはいない。

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「いっしょに転がってきたようには見えなかったから、近くにあると思うのだけど。あら」

 首が自由にならないから、大きめの眼をぐりぐりと動かしているのが、かすかにこちらの腕に伝わってきていたが、それが不意に止まった。

「ねえ、アレ、そうじゃないかな」

 そういわれても、電探というものがどういう形をしているのだか知らなくては見当のつけようもない。龍田さんの目玉の位置を観察しておおよその場所にあたりをつけて目を凝らしてみる。

「そうそう、もうちょっと奥よ」

 何度かの失敗の後、なんとか方向はつきとめたらしいが、いまだに龍田さんの御所望品は見当たらない。足場の悪い斜面で、右で龍田さんの頭を抱え、左で手近の木の幹をつかんでできるだけ首を伸ばしてピントを合わせようと努める。

『でも、方向はともかくとして、他人の視点の前後なんて見当がつくのかな』

 ふとそんな疑問が頭をよぎったと同時に、目の前に影がよぎった。なにかと考えるよりも、戸惑いは体を伝わり、浮石でもあったのだろうか支えとなっていた足が大きく揺らいだ。

 よろめいて体が斜面を滑ったのと、なにかが首元を通り過ぎていったのはほぼ同時だった。

 いつのまに動きだしたのだろうか。龍田さんの体はすぐ傍らにまで忍び寄ってきていて、薙刀を、ちょうど先ほどまで首があったあたりに振り下ろしていた。

 熱い。首の左側に痛みというよりは、火箸でも押しつけられたような熱が伝わってきた。咄嗟に手をそえれば、ぬるりとした感覚が皮膚を通して伝わってくる。おそるおそる右手を開くと、そこにはべっとりと血が付着していた。空気にさらされて間もない鮮血は、薄紅のさらりとしたものだったが、それがみるみる体温と酸化によってどす黒い朱に変わっていく。

 そんなことを確認しながら、口はなにか悲鳴とも怒号とも絶叫ともつかないものをほとばしらせていた。逃げようにも足がもつれて転げ落ちることもできず、無様に斜面を一メートル足らずずり落ちたところで、木の根や草に阻まれて体は止まってしまった。

 万事休すかと、ぎゅっとつむっていたまぶたをおそるおそる開けてみると、ところが龍田さんの体は、薙刀を振るった後、その場に崩れこむように倒れ伏していた。

 なにがなんだかわからない。わからないついでに、首を切りつけられた驚きで、わからないうちに龍田さんの頭も放り投げてしまっていたことに気づいた。

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 出血こそ派手ではあったものの、傷自体は皮一枚裂いただけで、しばらくすると自然に止まってしまった。

 背後からいつまた襲いかかられるとも知れないおそれを抱きつつ、三歩下ってはふり返り二歩進んでは後ろを気にかけていると、何度も足を踏み外してはこけつまろびつして、元の参道にたどりついた頃には全身泥だらけになってしまっていた。

 結局体はあれから動きだすこともなく、木立ちの合い間に身を落ち着けて、山林の景観の一部になっていた。

 それは龍田さんの首も同様で、山肌を転がり落ちた首は、初めて見た時と同じ場所に同じ形で引っかかって止まっていた。

「こんにちは」

 違う点といえば、裏表くらい、つまり今度龍田さんはこちらに後頭部を向けていた。

「驚きましたよ。まさか首のない体が襲いかかってくるとは思いませんでした」

 龍田さんからはまったく返事がない。

「傷はどうってことありませんが、おかげで、ほら、襟元が血で真っ赤に染まってしまいました。これじゃ、まるで介錯でも受けたみたいです」

 なおも黙ったままで、すっかりつむじを曲げってしまったみたいだ。

 しかしこれでお別れというのもなんとも味気ない。これまでのいきさつですっかり龍田さんを気に入ってしまっていたのだ。

 もっともこのまま迂闊に首に触れれば噛みつかれてしまいそうだ。声もたてず、表情もうかがえないけれども、そう確信させる雰囲気がたしかに龍田さんからは漂っていた。

 少々困りかけたところで、ふと古道具屋での買い物が目に入った。地蔵堂にお参りをした際に地面に置いたきり、どさくさですっかり忘れてしまっていたのだ。

 なじみの古道具屋の主人にすすめられるままに買ったものだが、今の状況に合致していた。

「龍田さん」

 思わず自分の声が猫なで声になっていることを意識しないわけにはいかなかった。

 

 以来、龍田さんは、下宿の天井からぶらさがっている。

 古道具屋での買い物の鳥籠の中におさまって。

 観音開きの大袈裟な南京錠がついたアンティークの鳥籠で、黒い針金の奥の龍田さんは、前のような笑顔は見せてくれなくなったし、話しかけてもこたえてはくれないけれども、それでも頬をふくらませてむくれた顔はとても愛らしくて見ていて飽きない。

 それに、たまに部屋を空けて廊下などに出ていると、龍田さんの声が聞こえることがあった。だれと話しているのか、なにをいっているのかはわからないけれども、そんな時の声は決まって弾むように明るく朗らかなのだ。

 それを聞けるだけでも、古道具屋の主人のすすめに従った甲斐がある気がしてくる。

 

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