その綺麗ごとや能書きを全て本当に見せ続けるためには・・・。について |
その綺麗ごとや能書きを全て本当に見せ続けるためには・・・。について書きます。
その綺麗ごとや能書きを全て本当に見せ続けるためには、最初から最後には遊ぶ相手を殺すくらいの気持ちがないと無理だと思います。
だから、自分をいつも神様だと思っていたりそう信じ込んでいるような人々が私は嫌なのです。その人にもよりますが、本当に純粋な意味での部分でたとえばあの伝統的な宗教美術が有名でロマンとメルヘン神秘の世界のキリスト教のカトリックは私は大好きだし、心の奥底で信仰してもいます。が、決してだからと言ってその思想に溺れきってしまって常識的な判断力や神様だったらしてはいけないということの線引きに非常に神経質になり過ぎてしまって、もしも罪を犯した場合は証拠隠滅に命をかけるなんて芸当は図太くてずぼらで無神経な私には到底できそうもありません。そして、現にそういうことは考えたこともしたこともありません。
でも、勉強してみてよく分ったけど、そういうことに命をかけている人は意外に多いんですね。たいがいそれは、男性のようですけど。
男性ほど遊び好きな人種もいませんが同時に綺麗ごとや能書きが好きでそれを死ぬ気で守りたがる生き物もいないと思います。私はやはり女性なので、到底できない、考えられないし、実際に絶対に実行できない芸当だと思います。つまり、どうしてもそれらの男性達とは同じ気持ちにはなれない、という意味です。
みっともなくて薄汚い部分もあるから人間だと思うので、またそういった部分はやはり身内でないと簡単には許すことはできないのはよく分りますが、そもそも、最初から、もしばれたら絶対に許されないことをしたいとも思わないので、そういう発想がないので、私がここで書いている、綺麗ごとや能書きは大好きだけどどうしても、信用を失うような内容の遊び方が一向に辞められないそういうある団体の男性心理がどうしてもよく分りません。理解できないのです。
ここでいう、もしばれたら絶対に許されないことというのは、特定の人物を大勢で廻す計画のことです。接客業で働くことや割り切りで遊ぶことは意味していません。ただ、今までずっと真面目だったのにみんなであの手この手で陥れて接客業に向かわすという意味は多少含まれています。
また、同時に死後も会いたいという猟奇趣味もまったく理解できません。それは単にサド・猟奇趣味でしかありません。異常性愛だと思います。また私はイライラさせられるとすごく短気な方なので、一度その宗教は入る気がないと言ってもしつこいとやはり毛嫌いする傾向があるので、しつこいタイプは元来合わない方だと思っています。
さらにもっと理解できないのは、片思いを諦められなくて集団でお金を出し合って片思いの相手を殺害して死後会いたがると言う実に悍ましいサド・猟奇趣味です。不慮の事故だったということももちろんあるとは思いますが、―断られたのでついカッとしてなど―その後何も蘇生させて、いつまでたってもお墓に眠らせてあげないという異常性にはちょっとついていけません。そうやって断るという言う目に遭うんだぞというような異常な気の惹き方や脅し方も大嫌いでとても不快感を感じています。
マジ、本当に他にやり方がないのか?!と思います。
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