不思議系乙女少女と現実的乙女少女の日常 『雨の日のコンチェルト 5』 |
ヤカと華実が行ってから数十分。
リコはスケッチブックを放り投げ、自身もまた芝生に身を投げ出していた。今日は空が青い。
相変わらず、ハイキングコース入り口横の芝生にリコは居た。
なんというか、あまりにやる気が無くなってしまった。幼馴染であるヤカは、自覚があるかどうかは分からないが、その芸術的センスは素人目に見ても明らかである。反対に、自分は凡人レベルでしかない。頑張って描いても、クラスのお手本として飾られるには及ばない程度のレベル。
だから、まあ、なんというか。
別に焦って描かなくても良いかな、と思ったのだった。
実際はやる気が無いだけなのだと気が付いているが。家に帰って本を読みたい。
そんな事を考えていた時である。
突然、数メートル近くに男が現れた。瞬間移動でもしたかのように、突然だ。
短髪で、視た事の無い服を着ていた。
「……………………」
霊感豊かな(あまり有り難くは無いが)リコは、そうした現象によって心が動かされる事はあまり無い。そうそう、霊的なものが視えるわけでは無いとはいえ、それほど珍しい現象でも無いからだ。こういうものは無視しているに限る。未だ中学生に過ぎないリコは、そんな風に達観していた。
とはいえ、そういうものと眼があったとしても、何故か怯えた風に向こうから去ってしまうのだが。
だが、その男はなにもかも違った。
まず1つに、霊的な存在では無かった。少なくとも、その存在の全てが、生身の人間に考えられた。
そしてもう1つに、その男はリコと眼が合っても逃げ出す様な事はしなかった。むしろ、笑みすら浮かべていた。
ややくすんだ金髪に、色素の薄い眼…………碧眼。男は外国人だった。
「おや、君は…………誰だったかな」
「知り合いでは無いと思いますけど」
端整な顔立ちをした男だった。少年の様にも視えるし、老人の様にも視える。男の持つ雰囲気がそう視せているのだろう。何処と無く、捉えどころの無い印象を受ける。
「いや、私は君を見た事が有る。何処だったかな」
男は日本語がとても上手だった。勉強をしたからとか、長く日本に住んでいたからだとかでは無く、そもそもそれが母国語であるかの様な発音。
やがて、驚きに眼を開くと、
「ああ…………そうか。そうだった」
「え?」
「無礼な言葉遣いでした。お許しを。…………いえ、私の事は忘れて下さい。貴女の様な存在に関わるつもりは無かったのです」
忘れて欲しいも何も、今会ったばかりだ。恐らく2時間後には忘れているだろう。それくらい経つとお昼の時間だ。
というか、とんでもなく失礼な事をさらりと言われた様な気がした。
「何者ですか、貴方は」
それでも、リコがそう質問したのは、ほんわりとした気分をなんだか害された気持ちになったからで、このまま何処かへ行かれるのは少し悔しかったからだ。
男は少し困った様に首を傾げた。そもそも、忘れてくれと言ったばかりなのに、反する質問をされたのだから当然だ。
だが、男はさほど気にした様子も無く答えた。
「十戒を探す者です。あるいは、死に行く人間に選択肢を与える者」
リコにはなんの事か分からなかったし、なにより、男は気味の悪い存在だった。その外見よりも、ずっと気味の悪い存在だった。
そうですか、とリコが答えて視線を外すと、男は何処かへ去っていった。現れた時と同じ様に、突然に何処かへ去っていった。
ヤカは眼を覚ました。眼をゆっくりと開けていく。
全身が痛い。頭が呆けて状況を忘れるほどの苦痛では無いが。
崖から落ちたのだ。間抜けな落ち方だったと思う。遠くからその様を視ていたら、ぞっとしたかもしれないが。
華実は無事だろうか、と眼を完全に開ききる。すると、そこには顔を覗き込む華実の顔があった。
良かった。とりあえず無事な様だ。
「あー痛い痛い。凄く痛い。全身が凄く痛い」
そんな事を呟く。頭の裏側にとても柔らかい感触を覚える。頭がどうかしてしまったかと、一瞬寒気を覚えたが、どうやらその柔らかい感触の原因は華実の太股らしい。と、すると、ヤカは華実の膝枕の上で気絶していたようだ。
「ああ、良かった。気が付いたのね!」
「あぃ、気が付きましたよっと」
身体を起こして、自身に異常が無いか確かめる。とはいえ、どうやっても素人。外傷の有無しか確認できない。内蔵が傷ついていたらどうしようも無いが、特に気分が悪いという事も無い。
特に裂傷、捻挫、骨折はしていない様だ。体が痛むのは身体を地面に打ち付けたからだろうと判断した。
「華実さんよぅ、あんたも無茶するねぃ」
「ごめんなさい…………まさか、落ちるとは思わなかったの」
ヤカは上を見上げる。薄暗い。それは天を覆う雲のせいでは無く、森林が空を隠しているからだ。崖の高さは目算で10メートル程度だった様な気がする。上から落ちて無事だったのは木に引っかかったせいか。
崖の端からは数メートル離れており、2人と共に落ちたのだろう、折れた細い木々が散乱していた。
「死に掛けの狸を助けようとして、自分が死んでたら世話無いよぅ」
全く、と溜め息を付いて立ち上がる。
「ほんとにごめんなさい。今度は絶対に迷惑かけないから」
「………………」
行為自体に危機感を覚えて欲しいものだ、と思ったが口には出さなかった。
ヤカは首を捻った。なんだろう、華実の言動には刹那的なものを感じる。そこに過剰な美意識は感じないが。どちらかというと、理性的な印象を持っていたのだが。
まあいぃ、と思考を閉じる。
「どうしよっかぁ。ここで助けを待つのが得策かねぃ」
「どうかしら…………あの場所に私達が居た事は、誰も知らないと思うし」
「隠れ家的な場所ったもんねぃ。ああ…………失敗したなぁ。あ。まあ、リコなら見つけれるかもねぃ。勘が良いし」
「勘? そんな抽象的なもの、随分と信頼してるのね。まあ、ヤカさんらしいけど」
それは嫌味では無かっただろう。単純な感想。だが、その言葉にもヤカは少し引っかかりを覚えた。
「いやいや、ほんとに勘が鋭くってねぃ」
とはいえ、今話し合うべきはそんな事では無い。
「…………リコさんに限らず、すぐに見つけてくれるかしら」
「うぅん、集合時間にならないと、私達が居ない事は伝わらないからなぁ。…………私って、どれくらい気絶してたの? ていうか、今更だけど、華実は大丈夫なのかぃ?」
「ふふ、私は大丈夫よ。だって、ヤカさんが下になってくれたんだもの。ありがとう」
「いやいや………………」
なんとなく気恥ずかしい。華実に言わせると、その行為は立派なものらしいし、確かにそうなのだろう。だが、面と向かって礼を言われるほどの事をしたとも思えない。
「5分くらいかしら、ヤカさんが気を失ってたのは」
「あ、そんな短かったんだ」
「正確には分からないけど、そんなものだと思うわ。…………30分も気絶されてたら、心細くて泣いてたかも」
眼を細めて、冗談っぽく笑う。本当に冗談だろうか。
華実の無くシーンというものは実に想像し難かったが、イメージしてみるとそう悪いものでも無かった。今度、是非泣いてもらおう。
「5分かぁ。さっきは昼くらいだったけど…………そうだ、携帯は持って無いのかぃ?」
そもそも、こういう状況で思いつくのは携帯での連絡ではあるが、ヤカはリュックの中に置いてきている。なので、その存在を元から意識の外へ移していた。
「ああ…………持って来てないのよ、私。だって、禁止でしょう? 持ってくるの」
「真面目だねぇ。そんなの守ってる人、少ないよぅ?」
「そうね。…………まあ、今の私には必要無いかなって」
「はぇ? どういう意味ですかぃ」
「気持ちの整理を付けるには、面と向かって話さないと」
「…………うん、良くわかんないや」
「うん。私も」
華の様な微笑みは、しかし、ささやかな風でも消えてしまいそうな弱々しさがある様に視えた。
「…………告白すると、薬が無いの」
驚いて華実の顔を視る。
「リュックの中に入ってるの。どうしよう」
そこで、ようやく思い出した。華実は体が弱いのだ。普通に生活している分には問題が無かった気がする。しかし、薬を飲んでいる所は何度か眼にした事がある
「そ、それが無いとやっぱり…………まずい、よねぃ?」
「他人に言うのは初めてだけど……………………発作が起こって死ぬかも?」
「冗談…………じゃあ無い、のかねぃ」
「さぁ、どうでしょう」
薄い笑みを浮かべて、彼女は言った。
何故そんな事をそこまで冷静に言えるのか。澄んだ眼差しが、ヤカを貫いた。思いの他に無機質なその一撃は、状況の危うさを実感させた。
…………ヤカの背筋が、冷たくなった。
結局、歩いて山を抜ける事となった。救助を待つのは、時間面から考えて、得策で無い事が明らかになったからだ。
華実が服用している薬とやらが、一体どんな薬であるのかはわからないが…………それが無い事による彼女へのダメージは相当なものだろう。発作が起こって死ぬ、というのは冗談では無いかもしれないらしい。あの後に問い詰めたら、はぐらかさずに話してくれた。
薬を服用していても発作の可能性はある。発作は虚血性心疾患に分類される病気に酷似しているが、詳細は不明らしい。
血を吐くかもしれないけど、引かないでね、と言われた。華実はあくまでも軽い態度を崩さなかったが、それが逆に恐ろしかった。
タイムリミット付き。しかも、何処へ進めば山を抜けられるのかは分からない。これまでに山で遭難した事は無かったし、遭難時のマニュアル等も当然の如く知らないのでかなり厳しい。
「聞いていぃ?」
「なに?」
「そんな大切な薬、どうしてリュックになんかに入れといたのかねぃ。ちょいと軽率過ぎやしないかぃ」
「うーん…………どうしてかしら」
華実は一度息を付いて、
「何時もは、肌身離さず持ってるのに、今日はどうして…………」
それは、半ば独り言のようだった。
「ねえ、ヤカさん」
「なんだぃ?」
「生きながら死ぬ事と、死にながら生きる事って、どっちが詰まらないのかしら」
「はぁ? それって、不死について聞いてきた事と関係有るの?」
「まあ…………有ると言えば有る、かな」
ヤカは溜め息を付いた。
余裕があるのは良いことだが、華実は少し余裕過ぎやしないだろうか。自分の体が危ないのだ。薬が無いと駄目ならば、もう少し焦っても良さそうなものだ。
「うぅん、正直、質問の意味が分からないや。矛盾に対しての哲学的問いかけとかなら、リコが大好きだよ?」
その答えに、華実はヤカの知らないタイプの表情を作った。喜びでも怒りでも悲しみでも無く、あるいは諦めでも無い。その表情を知らないだけに、華実の感情を推し量る事は出来ない。
だが、何処かサッパリとした…………あるいは単にサバサバとした風に感じた。
そして、分からないなら良いの、と言った。
「ふぅん…………まあ良いよ。…………っと、こんな事話してる場合じゃあ無いよぅ? 早く行こう」
「あ、そういえば…………」
歩き始めようとしたヤカの腕を捕まえて、華実は言った。
「あの狸…………どうなったのかしら」
「あぁ、確かに」
正直、ヤカとしてはどうでも良かったが。2人の不注意が大きかったとはいえ、狸は崖から転がり落ちた原因とも言える。
だが。
華実は、崖から落ちてでもあの狸を助けたいと思ったのだ。そう考えるならば、あの狸の事が気になってしまうのは仕方が無いだろう。
「どっかに逃げたのかぃねぃ」
と、辺りを見回すが、何処にも姿は見えない。
………………と、いう風を装って、ヤカは華実の手を引いた。
「きっと、大丈夫だよ」
「そ、そうかしら」
急にどうしたの、と華実は言いたそうだったが、ヤカはグイグイとその手を引っ張っていく。
華実からは見えない位置に、狸の死骸らしきものが転がっていた。ピクリとも動かず、本来緑色で有るべき筈の草木に、赤が混じっているのが視えた。
それを、華実に見せてはいけない様な気がした。
何か、彼女にとって大事なものが抜け落ちて行ってしまいそうで、怖かったのだ。
ヤカの長い黒髪が、上下の動きに合わせて揺れ動く。華実のウェーブがかった髪が、さらにその波を際立たせる。
2人は何処へ辿り着くとも知れずに、その乾いた足音だけが空へと溶けた。
説明 | ||
崖の上から落ちたヤカと華実。 一方その頃、リコは不気味な男との出会いを果たしていた。 華実には時間の制限があった。 それは、緩やかに迫り来る死へのカウントダウンだった。 |
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