艦これファンジンSS vol.45 「彼女の思い、応える想い」
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 水底の濃密な闇の中から海面へ向かうと、光のカーテンが立ち込めてくる。

 徐々に周囲が明るい紺碧に移り変わっていくこの瞬間が彼女は好きだった。

 海中に差し込む光が少女の姿を海中に浮かび上がらせる。

 橙色にも近い明るい茶色の髪。あどけなくも、つんと澄ました顔立ち。

 彼女の肢体は群青色の水着に包まれていて、身体の線があらわになっている。水着の上から羽織っているセーラー服に似たシャツもぴったりとフィットしていた。

 足をゆったりと動かすだけで、素晴らしい速度で彼女は海中を進んでいく。その速度は単に泳ぎなれているからというだけでは説明のつかない。しかも、彼女は無骨な魚雷を抱えているのだ。およそ人間業ではない。 

 それもそのはず――彼女は見た目どおりのただの女の子ではない。

 海にあっては無類の戦士。人類の藩屏たる戦力の一員なのだ。

 艦娘。人類の脅威である深海棲艦に対抗しえる唯一の存在。

 少女の手には白い丸型の石が握られていた。しっかと掴んで海面へと急ぐ。

 と、彼女は背後から何者かが急に近づいてくるのを感知した。

 音だけで相手が何者かは判別できる。だが、振り返らずにはいられなかった。

 ――蒼灰色の人影が彼女の後ろから迫ってくる。

 彼女は眉をひそめて、自身も速度を上げた。だが、人影は振り切れない。

 海面までもう少し、というところで人影が抜いていく。

 そいつが通り過ぎる刹那、垣間見えた白い顔に自慢げな表情はなかったか。

 きっと勝ち誇っていたに違いない、と彼女は内心でむかっ腹を立てていた。

 海面へと急ぐ。紺碧の海中が光で満ちていく。

 いつもなら喜びに満ちた光景だが、あいつが待ってると思うと癪にさわる。

 本当に――あのドイツ艦娘が来てから、面白くないこと続きなのだ。

 潜水艦、「伊五十八(い・ごじゅうはち)」。愛称は「ゴーヤ」。

 それが彼女の艦娘としての名前である。

 

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 「深海棲艦」という存在がいつから世界の海に現れたのか、いまでは詳しく知るものはない。それは突如、人類世界に出現し、七つの海を蹂躙していった。シーレーンを寸断されなすすべもないように見えた人類に現れた希望にして、唯一の対抗手段。

 それが「艦娘」である。かつての戦争を戦いぬいた艦の記憶を持ち、独特の艤装を身にまとい、深海棲艦を討つ少女たち。

 友情の形も様々である、出会うなりすぐに意気投合することもあれば、当初は正反対の感情から始まるものもある。第一印象で感じた反感はささやかなものであればあるほど、本人にとっては無視できないほど大きいのも確かなのだった。

 

 海面を破ってゴーヤは大気の中に顔を出した。

 ぷはっと息を吸うと胸いっぱいに新鮮な酸素が満ちていく。

 たとえようのない開放感。ゴーヤは艦娘でも特殊な「潜水艦娘」であり、その活動の舞台は海中である。そこが普通の艦娘とは異なる点であり、彼女は息を止めたまま何時間も潜っていられることができた。訓練程度の「息止め」であれば軽いものだ。

 それでも、酸素に肺に取り込み、血液を入れ替えていく感覚は格別のものだ。

 もっともその感動も、少し距離を置いて海面に顔を出すあいつがいることを考えると、素直に楽しめなかった。

「はい、二番目はゴーヤ。また一番手はユーちゃんだね」

 快活な声がかけられる。ボートに乗ってストップウォッチを手にしているのは、茶色の髪に良く灼けた小麦色の肌の艦娘。素朴な顔立ちがかえって印象的な美人に見える。潜水艦娘のまとめ役――伊四〇一(い・よんまるいち)だ。愛称は「しおい」である。

 しおいの言葉にゴーヤはチッと舌打ちして、くだんの一番手の顔を見た。

 青白い光を帯びた金髪、透けるように白い肌。華奢な身体は指の先からつま先まで全身くまなく蒼灰色のボディスーツに包まれており、素肌が見えているのは顔だけという徹底ぶり。頭にも略帽をかぶっていて厳重に身を守っていた。

 ドイツ艦娘のU-511(ゆー・ごいちいち)。愛称は「ユー」と呼ばれている。

 しおいに褒められてユーはかすかに口の端を持ち上げた。

「たまたまです……いつも見つけるのはでっちの方が早いです……」

 ユーがゴーヤの方を見ながら言う。遠慮しがちな恥じらいのまなざし。

 ゴーヤは眉をしかめた。どうしてこの艦娘は毎度ながら顔にヴェールでもかかったような感情表現をするのだ。得意げにするならもっと誇らしく振舞えばいいのに。

 というか、「でっち」とは何だ。「でっち」とは。

 いつになったらユーは自分の名前をきちんとと呼んでくれるのか。

 考えれば考えるほど胸がざわつく。どうにかこうにかゴーヤが内心の苛立ちを押さえ込んでいると、ほどなく他の潜水艦娘たちが海面に顔を出した。

「わあ、二人ともすごいのね。また抜かれちゃった」

「記録更新しているんじゃないの? すごいわね」

「ええ。ユーちゃんが来てからゴーヤの成績上がってますね」

 彼女たちが口々にさえずるのを、ぽんぽんと手をたたいてしおいが制する。

「はいはい、見つける速さも重要だけど、何を持ってきたかも大事。みんな見せてね」

 しおいの言葉に、ゴーヤたちは携えてきた石を掲げた。

 色とりどりの様々な形の石。

 ゴーヤは、ユーが掲げたそれを目にして、またもや頬をひくつかせた。

 黒い星型の石。一番得点の高い「しるし」だ。

「はーい、記録したよ――見つけてきた石もユーちゃんが一番だね」

 その言葉に、ゴーヤを除く潜水艦娘たちが拍手してみせる。

 ユーが目を細めて賞賛を受けているのを、ゴーヤは頬をふくらませて見ていた。

 波に揺られながらはにかむユーの顔はにくたらしいほど綺麗だった。思わずゴーヤは彼女の頬をつねりたくなる衝動に駆られた。笑うときはもっと気持ちよく笑うものだ。

 どこか遠慮するような笑みをされては二番手に甘んじた自分の立場がない。

「――ふん! 潜水艦には素潜りの時間も大事でち! 次は潜りっこ勝負でち!」

 ゴーヤが指をつきつけて言うと、ユーは目を丸くしながらもうなずいた。

「しおい、ちゃんと測ってね! それじゃあ、いくでちよ!」

 気合充分で高らかにゴーヤが声を上げ、水面下に身を沈めようとした時、

「……待って、でっち。潜るならしおいの合図で……」

 ユーが恐る恐るといった様子で声をかけてくる。

 ゴーヤはじろりと彼女をにらみつけた。

 にらまれたユーは顔をうつむけ、指の先と先をちょんちょんと突き合わせている。

「……わかったでち。しおい、合図を頼むでち――あとひとつ言っておくでち」

 声に不機嫌さを隠さないまま、ゴーヤはユーに言い放った。

「わたしは『ゴーヤ』でち! 『でっち』なんて呼ぶなでち!」

 言われたユーは口をもごもごしたまま、何か言いたそうであったが――

 ゴーヤはつんと顔をそむけてユーの反論を無言で封殺した。

 

 なぜユーのことがこんなに気に食わないのか、当のゴーヤにもよく分からない。

 あえて言うなら行動のいちいちが、風貌の隅々が、気に入らない。

 そもそも潜水艦娘はタフであるべきだ――ゴーヤはそう思っている。

 海中に何時間も潜んで敵を待つのは想像以上に心身を消耗する。

 そのためだろうか、鎮守府の潜水艦娘たちは、いずれも背は小柄でも体つきはしっかりしている者が揃っている。ひ弱な体では任務に耐え切れないのだ。

 だが、ユーは折れそうなほど身体が細く、びっくりするほど肌は白い。ちゃんと食事は取っているのか、血は足りているのか、心配してしまうほどだ。

 そんな華奢な身体のくせに、いざ海中に身を投じれば、ゴーヤを上回る能力を発揮するのがユーだった。運動性能も速力も素晴らしいスペックを披露してみせる。その事実を目の当たりにするたびに、「潜水艦娘はまずタフであるべき」という自分の思いが笑われているような気がするのだ。

 ドイツから持ってきたボディスーツを彼女が後生大事に着込んでいるのも、澄ましているようで気に入らない。ゴーヤたちが着ている水着は大本営指定のもので、いわゆるスクール水着によく似ている。これが潜水艦娘の制服であるべきなのに、ユーは「肌を出すのはイヤだ」と言わんばかりにボディスーツに身を包んでいる。そのことがいかにも自分の殻にこもっているようで、ゴーヤは隔意を感じてしまうのだ。

 なにより自分を「でっち」と呼ぶのはどうしたことか。

 他の潜水艦娘に対してはは愛称できちんと呼ぶのに、ゴーヤだけはユーが決めた名前で呼ばれるのだ。何度も訂正してみせてもまったく治る気配がない。

 線の細さも、肌の白さも、気にさわって仕方がない。

 いかにもはかないユーの美貌は、健康美が自慢のゴーヤとは似ても似つかない。

 癪に障ることだが――どっちが美人かといえば、ユーに軍配があがるだろう。

 並んだときに分かる、自分より高い鼻。

 その事実を確認するたびに、ゴーヤは胸がざわざわして仕方がないのだ。

 ゆえに、事あるごとにゴーヤが不快感を表すのは、もはや日常の光景になっていた。

 

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 夕食時。訓練を終えてすっかり空腹になったゴーヤたちは食堂に来ていた。

 厨房で振舞ってもらったおかずとごはんをトレイに載せて、席に着く。

 ゴーヤが座ると、ユーが隣にすっと寄ってきた。

「……あの……いいですか……?」

 おずおずとユーが声をかけてくる。

 ゴーヤは顔をしかめると、ぷいとそっぽを向いた。

 戸惑い気味に座席とゴーヤを見比べるユーに他の潜水艦娘が言う。

「座りなよ、そこ空いてるんでしょう」

「すっかりなつかれてますね、ゴーヤったら」

「ごはんは一緒に食べると美味しいのねー」

 最後にしおいが引き取って、あっけらかんとした声で言った。

「みんな構わないってさ。座っていいよ、ユーちゃん」

 しおいの言葉にユーがこくりとうなずき、席につく。

 ゴーヤはぶーたれた表情のまま、ぼそりとつぶやいた。

「わたしは『いい』なんて言ってないでち……」

「ゴーヤ? なんだってー?」

 声は明るく、表情は笑顔で――しかし目は笑っていないまま、しおいが言う。

 視線で射すくめられたゴーヤは口をつぐむと、横目でじろとユーを見て、

「……なんでもないでち」

 小さく、つぶやいた。

 それを聞いたユーが微笑むと、ゴーヤのトレイをまじまじと見つめてきた。

 小皿のひとつを見つめながら、ユーが小さな声で訊ねてくる。

「……でっち、ひとつ聞いていいですか?」

「だーかーらー、『でっち』じゃないでち!」

 噛み付いてみせるとユーがしゅんとしょげて身をすくめる。

「ごめんなさい」

「わかればいいでち。それで、なんでち?」

「この赤いしおしおしたの、なに? プフラウメ?」

「ぷふ……なんて言ったでち?」

 怪訝な顔をしてみせるゴーヤに答えたのはしおいである。

「ドイツ語で『すもも』のことだよ」

「すもも……まあプラムには似てるでち」

「デザートなの? 食べてる人いっぱいだけど、甘いの……?」

 ユーのあどけない問いに、ゴーヤはにやりと暗い笑みを浮かべてみせた。

「美味しいでち。これを食べたら一発で疲労回復でち。元気の源でち」

 ゴーヤの言葉に心なしかユーが目をきらきらさせる。

 彼女の表情を見て、ゴーヤはふふんと鼻で笑ってみせた。

「でもドイツ娘にはちょっと口に合わないかもでちねー。ドイツはドイツらしくキャベツの酢漬けでも食べていればいいでち」

 ゴーヤの嘲笑に、ユーが眉をひそめた。ややあって彼女はぽつりと言った。

「食べられます……食べてみたいです」

 かかった。ゴーヤはこっそりにたあと笑うと、「それ」をひとつ指でつまんだ。

「じゃあ、試してみるでち」

 差し出した「赤いしおしお」をユーが興味深そうに受け取る。

「……ありがとう」

「ひと口でいくでち。かじるなんて礼儀に反するでち」

「ちょっと、ゴーヤ? それはつらくない?」

「しおいは黙っているでち。食べたいって言ったのはこいつでち」

 ゴーヤはぴしゃりと言ってみせると、ユーに向かってうなずいた。

 ユーもこくりとうなずく。そして大きく口を開けると、

「……はくっ」

 意を決した様子で「赤いしおしお」を口中に放り込んだ。そして、

「〜〜〜〜〜〜!!」

 やはり、というべきであろう。ユーは目を白黒させて口を押さえた。

 見たことのないほど引きつった表情の彼女を見て、ゴーヤは笑った。

「ざんねーん。それは梅干しでち! しょっからいでち!」

 勝ち誇った声で言うゴーヤだが、次の瞬間、

「えい」

 間抜けに開いていたゴーヤの口に梅干が押し込まれた。

「〜〜〜〜んぶあ!?」

 突然に味覚を襲った塩味と酸味にゴーヤが顔をしかめた。

 下手人はしおいである。にこにこしながらゴーヤを見つめて言う。

「はい、これでユーちゃんとお揃い」

「――――!!」

 文句のひとつも言い返したいゴーヤだったが、梅干し効果で顔がきゅーんとすぼまってそれどころではなかった。と、つんつんと自分の肩をつつく者がいる。

 振り向くと、ユーも同じくきゅーんとすぼまった表情を浮かべていた。

 目元に涙を浮かべながら、ユーがこくこくとうなずいてみせる。

 なんだ。なにがいいたいのか。

 まさか「同じ顔をしてるね」と言いたいのか。

 ゴーヤはふるふるとかぶりを振ってみせたが、ユーはこくこくとうなずいてみせる。

 手も横に振ってみたが、どう捉えたのかユーはその手を握ってみせた。

 梅干しを口中に含んだまま無言でパントマイムを演じていた二人を見て、しおいがふっと笑んで言ってみせた。

「うん、いいかもしれない。あの人の班分けもなかなか考えてるじゃない」

「……な、なんのことでち……」

 梅干しを飲み込み、お茶を飲んで塩気を追い払ったゴーヤが訊ねる。

 しおいはゴーヤとユーをかわるがわる見つめると、うなずいてみせた。

「今度、海外艦娘の交流会をかねて球技大会やるの。発案は提督で、班分け考えたのは艦隊総旗艦の長門(ながと)さん。種目はビーチバレーだって」

 ひと呼吸置いて、しおいは付け加えた。

「もちろん、二人一組で参加だよ」

 しおいの言葉にゴーヤはすごくいやな予感がした。

「まさか……その二人って……」

「うん、潜水艦組からはゴーヤとユーちゃんだよ」

 相変わらずあっけらかんとしたしおいの声。

 聞いた瞬間、ゴーヤはひきっと顔をひきつらせた。

 ユーはと言えば、まだ梅干しを口に含んだまま、固まっていた。

 

「……提督もろくなことを考えないでち」

 明けて翌日。ゴーヤは砂浜に張られたネットを目の前にして毒づいた。

 事あるごとになにがしかイベントがあるのは鎮守府では珍しくない。お祭り騒ぎになる催しごとは、新旧の艦娘が互いに交流し、絆を深め合い、仲間として団結力を高める良い機会だ。そして、今回は海外艦娘が来たことから、とりわけ彼女たちとの融和を図ろうという意図は、下っ端の潜水艦娘であるゴーヤにも分かる。

 問題は――自分のかたわらにたたずむ蒼灰色の人影を横目で見て、ゴーヤはため息をついた――なぜこともあろうに自分とユーがペアを組まねばならないのか、だ。

 班分けは長門の発案ということで、実は今朝がたゴーヤは彼女に直訴してきた。

 とはいえ、相手は威風堂々たる艦隊総旗艦だ。下っ端のゴーヤは声をかけてみるのが精一杯だった。振り向いた長門はゴーヤの様子をまじまじと見つめると、得心したようにうなずいてみせた。そして、ぽんとゴーヤの肩を叩くと、一言、

「仲良きことは美しきかな」

 短くそう言っただけで、悠然と去ってしまった。

 何も言えなかったが、長門の態度でゴーヤにも察することはできた。

 この機会にユーとうまくやれ、と。そういうことなのだろう。

 そして長門の耳に注進申し上げた人物がいたとしたら、一人しかいない。

「――じゃあ、レシーブの練習するよ。二人ともいい?」

 しおいがボールをたずさえながら何食わぬ顔で声をかける。

 ゴーヤはじとりと彼女をにらみつけたが、当のしおいはそ知らぬ顔だ。

 まあ、決まったことは仕方ない。問題はユーだ。

 潜水艦娘は普段から水着だが、それはユーも同じ。陸の上でも彼女はボディスーツを着込んでいた。全身にぴったりと張り付いた装備は水中では無駄な抵抗をなくし、抜群の機動性を保証してくれるものだろうが――こと陸の上にあってはうごきづらそうだった。

 所在なげにたたずみ、心なしかふらついている彼女を見て、ゴーヤは眉をしかめた。

「ほら、そんなんじゃボールを受け止められないでち。膝をまげて、腰を落として、重心を下げる――こうでち。見ておくでち、ドイツ娘」

 不安げな表情のユーにうなずくと、ゴーヤは構えてみせた。

「いくよ!」

 しおいが声をあげ、サーブを打ってくる。

 潜水艦娘随一の体力の持ち主が放つボールは鋭い放物線を描いて飛んできた。

 ユーが思わず息を呑む目の前で――ゴーヤはすかさず砂浜を蹴った。

 構えた腕でボールを受け止める。

 勢いを殺されたボールがぽーんと宙に上がり、ややあって砂浜に落ちた。

 ゴーヤの動きを見守っていたユーが目を丸くしている。

 彼女の様子に少し優越感をくすぐられて、ゴーヤは得意げに言った。

「ほら、簡単でち――レシーブは基本中の基本でち」

 言われて、ユーが構えてみせる。見よう見まねでゴーヤと同じ姿勢をとってみせるものの、脚がぷるぷると震えている。

 ゴーヤはため息をついた。陸にあがったらユーは全然だめなのではなかろうか。

「……そんな動きにくそうなの着てるからでち。脱いだらいいでち」

 そう言ってみたものの、当のユーはかぶりを振るばかり。

 肩をすくめて、ゴーヤはそっとユーの後ろに回った。

「――それじゃあ、次いくよ!」

 しおいが声をかける。ユーがこくりとうなずいた。

 バシッと鋭い音をさせてサーブが放たれる。

 ユーはのたくたと動いて、ボールを受け止めようとし――腕ではなく、胸で受け止めてしまった。

「……くうっ……」

 小さく悲鳴をあげて、ユーが後ろに倒れこみそうになる。

 地面に倒れこむ、すんでのところでユーの身体をゴーヤは抱きとめた。

「気をつけるでち」

「……フェアツァイウング……」

「こういうときは『ありがとう』というのが礼儀でち」

「……ダンケ……」

「むぐ、ま、まあ、それでもいいでち」

 ユーを立たせてやると、ゴーヤは彼女の目の前でまた構えてみせた。

「重心は低く、でも足は軽くとっておくでち。素早くステップで受け止めるでち。あとサーブは打った直後から軌道を読んでおくと受け止めやすいでち」

 解説してみせるゴーヤに、ユーが目をきらきらさせている。

 なんという顔をしているのだ、こいつは。ゴーヤはいぶかしんだ。

「……戦艦や重巡の艦娘には勝てないでち。でも駆逐艦相手には負けられないでち。潜水艦娘の意地を見せるためにはお前には頑張ってもらわないといけないでち」

 きりと表情を締めて言うゴーヤに、ユーはこくりとうなずいた。

「ゴーヤ、どうする? 二人で合わせてみる?」

 しおいが声をあげて訊ねてくるのに、ゴーヤは答えた。

「ううん、しばらく交互に受け止めるでち。ドイツ娘がレシーブをちゃんとできるようになるまで繰り返すでち」

 声をあげるゴーヤにしおいがうなずいてみせる。

 ボールを手にとる彼女を見ながら、ゴーヤは不敵な笑みを浮かべた。

「見ておくでち、ドイツ娘! 夕方までに半人前くらいにはなるでち!」

 しおいのボールはたしかに鋭い。

 だが、深海棲艦の水雷戦隊が投じる爆雷の雨に比べれば何ほどのことがあろうか。

 サーブが放たれる。自分を見守るユーを横目でちらと見て、ゴーヤは身構えた。

 

 西の空が蜂蜜色に彩られ、日が水平線に沈もうとしている。

 ゴーヤとユーは揃って砂浜に大の字になって寝転がっていた。

 群青色の水着も蒼灰色のボディスーツも砂まみれだ。

「……今日のところはこれで勘弁してやるでち……」

 ぜえぜえと息をあげながら言うゴーヤに、

「……明日も、あるよね……」

 と、同じく息を切らしながらユーが答える。

 予想以上の成果だと言っていいだろう。当初はユーがレシーブに慣れてくれればという腹積もりだったが、思ったよりも粘り強く食いついてくる彼女の上達はなかなかのものがあった。結局、今日は二人でレシーブを合わせてみるところまでやることができた。

「二人ともそんなとこで寝てたら風邪ひくよー。じゃ、先に上がるから」

 サーブ役をつとめていたしおいが軽い口調で言う。彼女も相当動いたはずだが、息をわずかにはずませている以外、体力の消耗を感じさせる様子はない。

「……しおい、元気だね……」

「潜水艦娘ではしおいのバイタリティはダントツでち」

「……でも、でっちだってすごいと思う」

「だから『でっち』と呼ぶなでち」

 お約束のツッコミを入れてから、ゴーヤはごろんと顔を向けた。

 頬を朱に染めて、大きく息をするユーの顔が目に入る。

 どこか満ち足りた表情の彼女を見て、ゴーヤは訊ねた。

「なんでお前はそんなに頑張るでち? ドイツ娘」

 ゴーヤの問いに、ユーがころんと顔を向ける。

「仲良くなりたいから」

 ユーは短く、そして迷いのない調子で言った。

「仲良く? わたしはそんな気さらさら――」

 言いさしたゴーヤの言葉を、ユーがさえぎった。

「――ユーと張り合ってくれるのは、でっちだけだから……他の子は親切にしてくれるけど、どこかお客さん扱いだから……でも、でっちは違うもの。いつも競ってくれる。一生懸命にぶつかってきてくれる……それがうれしい」

 ユーがいつものように儚げな笑みを浮かべた。その青い瞳がかすかに揺れている。

 そんな彼女を見て、ゴーヤは不意に自分の頬が急に熱くなってくるのを感じた。

 なんだ、なんだというのだ。このドイツ娘は何を言わんとしているのだ。

 ゴーヤはふいと顔をそむけると、身を起こした。このままユーと顔を合わせていたら、なにかよろしくないことになりそうな気がしたのだ。

「さあ、立つでち。帰ってシャワーでも浴びた方がいいでち」

「……そうだね……」

 よろよろとユーが立ち上がる。ボディスーツに包んだ身体がふらついている。

 ゴーヤは顔をしかめた。

「お前、だいじょうぶでち?」

「……ション……」

 母国の言葉で小さく言ったユーが、おぼつかない足取りで歩き出す。

 支えた方がいいだろうか。ゴーヤはそう思い、だが、ほんのわずか逡巡した。

 そのためらった数瞬のことだった。

 ユーが砂浜に足を取られ――ネットのポールに寄りかかり。

 そして、ビリッという嫌な音がした。

 どこをどうひっかけたのか、ユーのボディスーツが裂けている。

「う、動くなでち!」

 とっさに声をかけたゴーヤに、

「……え?」

 ユーが振り返り、また大きくビリビリッという音がした。

 そこで初めてユーも事態に気づいた。

 大きく腰と腹部が裂けたボディスーツ。そこから白い肌があらわになっている。

 ユーが目を丸くし、口に手をあて、ふるふると震えだした。

 そのままぺたんと砂浜に座り込んでしまう。

 彼女の目が潤み、ほどなく涙がぽろぽろとこぼれだす。

「どうしよう……どうしよう……」

 おろおろと言いながら、やがてユーは顔を手で覆って泣き始めた。

「ああっ、泣くなでち、落ち着くでち」

 ゴーヤが駆け寄り声をかけるも、ユーは一向に泣き止まなかった。

 

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「わるかったわね、うちの子が迷惑かけて」

 ゴーヤよりたっぷり頭ひとつ以上は背の高い艦娘は、そう言った。

 冴え冴えとした金髪、硬質の美貌、醒めたまなざし。そして黒と灰を配した衣装。

 ドイツ艦娘のリーダー役をつとめるビスマルクであった。

「ユーが取り乱すなんてめったにないんだけど」

 彼女の腕の中では、ユーが寝息を立てて抱かれていた。泣き疲れてしまったのだ。

「……こいつのコンディションをちゃんと見れなかったわたしのせいでち」

 ゴーヤは小さな声で言った。にぎったこぶしをきゅっと握る。

 あの後。結局、泣き止まないユーをなだめすかして、ゴーヤは彼女をおんぶして寮まで連れて行くことになった。帰りの道すがら、ユーは母国語でずっとなにやらつぶやいていた。ゴーヤは簡単なドイツ語しか分からない。だからユーが何を言っているのか理解できなかったが、それでも悲嘆にくれていることは理解できた。

「それにしても困ったわね。この子の潜水服が破れちゃうなんて」

 ビスマルクはユーを見つめるまなざしにかすかに憂いの色を浮かべた。

「……たかが服でち。代えぐらいないのでちか?」

 ゴーヤの問いに、ビスマルクはかぶりを振ってみせた。

「ほとんど身ひとつで極東に来たわたしたちだもの。余分な荷物は運べなかったわ。それでもこの子はいくつか予備を持ってきていたのだけれど、ここに配属する前にあなたたちの上層部――そう、大本営と言ったわね。そこの研究者に取り上げられてしまったの」

「それじゃあ、こいつの水着は――」

「ええ、この一着きりしかないわ」

 ビスマルクは寝ているユーの頭を優しく撫でながら、言った。

「でも、この子が手元に残した水着は、欧州から着てきたものだったから……きっと思い入れもあったんでしょうね。なんだかんだでユーはことあるごとに故郷の思い出を話していたから、これを着ていると落ち着いたのかもしれないわ」

 そう話すビスマルクの声はどこか乾いていて、それだけにゴーヤはユーの境遇を改めて考えざるをえなかった。ドイツ艦娘がなぜ極東までやってきたのか知る艦娘は少ない。

 それでも、同じく深海棲艦の脅威に対抗しているはずの欧州から、貴重な戦力である艦娘を割いてよこしてくるのはよくよくの事情あってのことだろう。

 そして、その「事情」というのが艦娘にとって良きこととは限らないのだ。

 ゴーヤは唇を噛んだ。

 あの遠慮がちな微笑みの影で、ユーは何を思っていたのだろう。

 梅干しを見て「すもものお菓子か」と問うたのは、あるいは故郷に似たようなものがあったからかもしれない。それとも、異郷でなんとか食に慣れようと努力していたのか。

「――ところで、あなたが伊五十八ね。ユーからよく話は聞いてるわ」

 唐突にビスマルクに言われて、ゴーヤは目を丸くした。

「へっ、こいつがわたしのことを……?」

「なんとなく故郷の友人を思い出すんですって。ちょっと変な口調が似てるって言ってたわ。名前で呼ぶと恥ずかしいから、ついつい違うふうに呼んでしまう、と」

 ビスマルクはすうっと目を細めてゴーヤを見つめた。

「そうね……顔立ちにもどことなく面影があるかしら。不思議ね。遠く離れた極東の地でユーの友人に良く似た子を見つけるなんて」

 ゴーヤは大きく息を吸い、そして止めた。口をへの字に結ぶ。

 心の中がさわさわして落ち着かない。何かをこらえていないと、胸の奥から何かがせりあがってきて溢れてしまいそうだった。

 なんだ。なんなのだ、この感情は。

 ゴーヤはかぶりを振った。

 自分の気持ちに戸惑うよりも、いまはなすべきことがあった。

「ビスマルクさん、ひとつ教えてほしいことがあるでち」

 きりと表情を引き締め、ゴーヤは目の前の麗人に訊ねた。

 

 翌朝。総員起こしのラッパが鳴る鎮守府を、ゴーヤは駆けていた。

 通常、艦娘は艦種ごとに寮の建物を分けている。だが、海外から来た艦娘については、出身国ごとに固まって寝起きしていた。ドイツ艦娘も鎮守府のはずれの建物ひとつを借りて共同生活をしている。黒赤黄の三色旗を常に掲げているドイツ寮は、一部の艦娘からは「いつからあそこはドイツの領地になったのか」と眉をひそめる向きもある。

 そのドイツ寮に向かって、ゴーヤは荷物を抱えて駆けていた。

 息をはずませ、玄関までたどり着く。ゴーヤはドアノッカーを叩いた。

 ほどなく、寝巻き姿の艦娘が出てきた。駆逐艦娘の一人だ。朝早くに来た珍客に、眠気まじりながらも好奇の目を向けてくる彼女に、ゴーヤは言った。

「潜水艦のドイツ娘はいるでちか?」

 うなずく彼女が「アイネンモメント、ビッテ」とけだるげに言い、奥へ引っ込む。

 ゴーヤはふんすと鼻で息をつくと、玄関先で尋ね人が来るのを待った。

 寮の玄関にかけられた時計がカチコチと時を刻む音が流れる。

 どれくらい待っただろうか――ややあって、視界の端に白い人影が映った。

 白い顔。まばゆい金髪。そして全身をくるむ真っ白いシーツ。

 ユーがおどおどしながら、こちらを窺っている。

 彼女の姿を見て、ゴーヤはほうと息を呑んだ。

 普段が蒼灰色のボディスーツ姿なだけに、白いシーツで身をくるんだユーはまた違う印象だった。飾り気のないシーツなのに、窓から入る朝日を受けて、ところどころまばらに光るのがレース飾りに見える。はかない美貌ともあいまって、ドレスアップしたかのようにゴーヤには見えた。

 いや、見とれている場合ではない――そう思い、ゴーヤはぶんぶんとかぶりを振った。見とれる? 誰が、誰に? 胸の奥に湧いた疑問を押し込めて、さわさわと落ち着かない気持ちをどうにか静めて――ゴーヤはユーに向かって、にかっと笑ってみせた。

「おはようでち。良いもの持ってきたでち」

 ゴーヤの言葉に、ユーがそろりそろりと歩み寄ってくる。

 間近で見るユーの目元は、少し腫れていた。また夜に泣いていたのだろう。そう思うとゴーヤはちくりと胸が痛んだ。

「お前にプレゼントでち! これでまた練習するでち!」

 なるべく明るい声で言って、ゴーヤはユーに包みを押しつけた。

 ユーが包みを受け取り、中をあらためる。ゴーヤが持ってきたものを見て、ユーが目を丸くしてみせた。

「これ……着るの?」

 戸惑い気味の問いに、ゴーヤは大きくうなずいてみせた。

 ユーは顔をうつむけた。瞳が揺れている。ドイツ語でなにやらぶつぶつ言っているが、ゴーヤには聞き取れなかった。

 だが、それはいい。最初から彼女にかける言葉を決まっていたのだ。

 ゴーヤは手を伸ばすと、ユーの肩を両手でつかんだ。

 突然のことに「ふえ」と声をあげる彼女をじっと見つめて、ゴーヤは言った。

「ドイツ娘――じゃなくて……ユーちゃん」

 その呼びかけに、ユーが目を見開いた。

「ユーちゃんの頑張りは一緒に競ってきたわたしが一番知っているでち。ユーちゃんがすごく泳ぎが上手なことも、身体が細いくせに頑張り屋なところも、よく知っているでち。そんなユーちゃんの力は、水着ひとつだめになったくらいでどうこうなるもんじゃないでち――このゴーヤがうけあうでち」

 肩をつかんだ手に力が入る。自分で言って恥ずかしいし、癪だ――ライバルの良いところを面と向かって当の本人に話して聞かせるだなんて。

 それでも、とゴーヤは思う。

 ユーが悲嘆にくれていて良いわけがない。

 それなら、できる限りのことをするまでだ。

「着てみるでち。サイズはビスマルクさんに聞いたでち。酒保で拝み倒して手に入れてきたものでち。きっと似合うでち――お前の一番のライバルの、このゴーヤの見立てが間違っているはずはないのでち!」

 ゴーヤはきっぱりと言い切った。

 ああ、彼女が立ち直るのなら、どんな言葉でもかけよう。

 ――揺れるユーの瞳が、ゴーヤの言葉を受けてかすかに輝いたように見えた。

 こくりとユーがうなずき、「アイネンモメント」と小さくつぶやく。

 包みを抱えて、彼女は近くの部屋のひとつへと引っ込んでいった。

 

-5ページ-

 

 いっそ白に近い、きらめく金髪。

 抜けるような色白の肌。

 色素の薄い青い瞳。

 それだけに、群青色の水着は彼女によく映える。

 華奢な体にぴったりと張りついた制式水着は、予想以上の出来栄えだった。

「――良く似合っているでち!」

 ゴーヤは満面の笑みを浮かべて、びしっと親指を立ててみせた。

 当のユーは水着の前を手で隠しながら、少し目を伏せていた。

「……似合ってる? 本当に? おかしくない?」

 立て続けの問いかけに、ゴーヤはうんうんとうなずいた。

「見違えたでち。前よりもずっとアクティブな感じがするでち」

「……落ち着かない、です。手足をこんなに出してるなんて……」

 ユーがもじもじと体を動かす。

 そんな彼女を見て、またゴーヤは胸がさわさわとするのを感じた。

 まただ。ユーを見てると、いつも落ち着かない。

 いつもなら意地悪のひとつも言って、自分の気を紛らわせるところだが――しかし、いまはそういうことをしている時でもない。

「着ているうちに慣れるでち。ユーちゃんは、その、あの……」

 かけるべき言葉は分かっている。しかし、喉の奥につかえて言えない。

 言ったが最後、胸のざわめきに呑まれそうな、そんな気がした。

 言葉に詰まるゴーヤを救ったのは、ユーの微笑みだった。

「ダンケ……でっち」

 いつものはかない微笑みも、着ているものを変えるとまた違って見えた。

 ふわとした霞のような印象にひとつ芯が入ったかのように見える。

 ゴーヤはうなずいて、言った。

「もう泣かないでち? 練習行けるでち?」

 その問いに、ユーがこくりとうなずく。

 応答と決意の表情を彼女に見てとって、ゴーヤはユーの肩をぽんとたたいた。

「それじゃあ、また頑張るでち! 大会で潜水艦娘の意地を見せてやるでち!」

 

-6ページ-

 

『あー、マイクチェック、ワン、ツー……鎮守府に集う艦娘の皆さん、ついにこの日がやってきました! 梅雨も明けて本格的に夏到来! 待ちに待ったビーチバレー大会当日となりました! 実況はわたくし、この霧島(きりしま)が務めさせていただきます。解説は提督をお招きしております――ささ、提督、一言どうぞ』

『こほん……鎮守府も新しい艦娘が増え、一段と賑やかになってきた。スポーツは国境を越えて心の交流を図れるものだと思っている。今回は特に海外艦娘との交流を考えて班分けが行われている。この日のために共に練習に励み、絆を培ってきたことだろう。勝敗に関係なく、存分に身体を動かしてほしい』

『はい、提督のお言葉、ありがとうございます。なにやら良い感じのことをおっしゃられていますが、ずばり本心はどうなんですか?』

『――砂浜と水着、最ッ高ォォォォォォ!』

『……包み隠さない本音、重ねてありがとうございます――ああっ、皆さん、物を実況席に向かって投げないでください。提督はともかくわたしにまで当たります』

『……俺、生きてて良かった……』

『はいはい、お気持ちはよーく分かりましたので……長門さん、殴るなら大会終了後にしてください。解説がいなくなるときついので――えー、それでは試合開始です!』

 

 トーナメントカードを見て、ゴーヤは顔を引きつらせていた。

 くじ運と言えばそれまでだが、よりによってこの対戦なのか。

「ヘイ! 潜水艦娘相手だからって遠慮はしないデス! ライオンはラビットを狩るにも全力でかかるもの。戦艦のパワーを見せてやるデース!」

 やる気満々で手のひらに拳を打ち付けて見せたのは、栗色の髪の艦娘。赤いビキニに身を包んだ肢体はすらりと引き締まっていて、駄肉などみじんもない。普段の鍛錬で引き絞られた身体は太陽の光にまばゆく輝き、まるでダイヤモンドのようだった。

 戦艦娘の金剛(こんごう)である。

「テイトクー! 試合中のワタシから、目を離しちゃノーなんだからネ!」

 実況席に向かって投げキッスを送ってみせる彼女は情熱たっぷりだ。熱意と戦意がないまぜになって身体の中の主機で燃えているのが見える。

「……コンゴウ、一回戦から飛ばしすぎないでよ。イタリアの戦艦娘もいるのだから」

 冷ややかな声で相方に声をかけたのは、はたしてビスマルクである。

「――まさかユーたちと当たるなんてね。あなたたちの実力、見せてもらうわ」

 黒のハイレグに身を包んだビスマルクは、いつにも増してすらりと脚が長い。嫣然と微笑む顔には、余裕が満ち充ちていた。

 金剛とビスマルクの戦艦娘コンビ――そう、彼女たちがゴーヤたちの相手だ。

 ぎこちない動きで、ゴーヤは隣にたたずむユーに振り返った。

 青い制式水着もすっかり馴染んだ感のある彼女が、思ったよりも平静なのを見てとり――ゴーヤはほっと一息ついた。

(こいつがこんなに落ち着いているのに、わたしがうろたえちゃだめでち)

 心の中で思いなおし、ゴーヤはユーに向けて拳を突き出した。

「サーブ権はこっちからでち――行くでちよ」

 ユーがこくりとうなずき、ゴーヤの拳にこつんと自分の拳を打ち合わせる。

「ニー・イェドゥ・グッディーネン」

 決意を秘めた声で、ユーが短く言う。

 彼女の言葉を聞いて、ゴーヤはきりと表情を引き締めた。

「潜水艦娘の実力、みせてやるでち」

 語尾に重なるようにして、ホイッスルが鳴った。

 サーブ担当はゴーヤだ。しおいから手ほどきも受けた。

(たかが潜水艦娘だとあなどっていると痛い目を見るでち)

 ゴーヤはきりと表情を引き締めると、ボールを打った。

 空を切って相手の陣地へボールが吸い込まれていく。だが。

「スイート!」

 金剛が声をあげ、なんなくレシーブしてみせる。

 ビスマルクが軽くトスを上げる。宙に浮いたボールに向かって金剛が飛び、

「バーニングラァァァブ!」

 本来なら主砲斉射の時のかけ声を上げて、ボールを叩いた。

「――――ッ!」

 ゴーヤもユーも反応できなかったわけではない。

 だが、うなりを上げて空を切るボールはあまりに鋭かった。

 二人の間をすり抜けるように、ボールが砂浜に突き刺さる。

 ドスッという重い音は練習中には聞いたことのないたぐいのものだ。

 ホイッスルが鳴り響く。金剛とビスマルクがぱちんと手を合わせるのを見ながら、ゴーヤは汗をだらだらと流していた。よもや戦艦のスパイクがここまでのものとは。

 通常、潜水艦にとって戦艦はまともに当たることがない。

 実戦においてはむしろ鴨だ。対潜装備をもたない戦艦は格好の獲物だった。

 だが、ビーチバレーで同じ艦娘とはいえ、このような形で真正面から当たるとその力を改めて思い知らされる――時には深海棲艦と肉弾戦さえ行うのが戦艦だ。その強靭さは潜水艦ごときのかなうところではない。

 顔面蒼白になっていたゴーヤだったが、背中をつつく感触に気づいて振り向いた。

 ユーがいた。ゴーヤを見ていた。まっすぐに見ていた。

 彼女の顔に、恐れも迷いも浮かんでいない。まっすぐな戦意だけがそこにあった。

 ゴーヤは、うなずいてみせた。ユーもうなずく。

 そうして、ゴーヤは自分の頬をぴしゃんと叩き、相手チームに向き直った。

 サーブ権が移動する。相手チームはビスマルクが打つらしい。

 ビスマルクがこちらを見て、すっと目を細めた。

 そして、ぽんとサーブを打つ。

 ゆるやかな放物線を描いて飛んでくるボールは、まるで「くれてやる」とでも言わんばかりだった。

「この――ッ!」

 ゴーヤは歯噛みしながらレシーブした。

 相手がそれだけ見くびっているなら、目に物見せてくれる。

 ユーがトスを上げる。それにあわせて、ゴーヤは飛んだ。

「でち!」

 声をあげて、スパイクを打つ。死角を狙った一撃。

 だが、打った瞬間に金剛がにやりと笑むのが見えた。

(読まれていたでち!?)

 そう思う間に金剛がざっと距離をつめてレシーブする。

 ビスマルクがボールを捉えてトスを上げる。

 ゴーヤは身構えた――また、あの超弩級スパイクが飛んでくる。

「テイクディス!」

 金剛が砂浜を蹴り、渾身の力をこめてボールを打った。

 息を呑んでゴーヤは迎撃に入った。自分が受け止めねば、ユーではもたない。

 だが、ゴーヤをあざ笑うかのようにボールは高い軌道を描いて頭上を抜けた。

(後ろ!?)

 空を切る唸りにゴーヤが身をすくめた、その時。

「ヤー!」

 かけ声と共に、重い音がした。

 砂浜に刺さった音ではない。レシーブの音だ。

 見ると、ユーが受け止めていた――あのスパイクを。

 ボールが宙に上がる。すかさずゴーヤがトスを上げた。

 駆け寄ったユーが宙に跳び、ボールを打った。

 彼女の勢いは弱く、それだけにボールは意表をついて金剛たちの手前に落ちた。

 金剛もビスマルクも間に合わず。ぽすっとボールが砂浜に刺さる。

 ホイッスルが鳴ると同時に、観客席からわっと歓声があがった。

 ユーが息を弾ませながら、ゴーヤに振り向いてみせる。

 彼女は――笑顔を見せながら、うなずいてみせた。

「でっち……ううん、ゴーヤと一緒に頑張ったんだもん」

 初めて――名前で呼んでくれた。そのことにゴーヤは目を見張った。。

「あれだけ頑張ったんだから、ゴーヤもあきらめちゃだめ! ユーも頑張るから、ゴーヤも頑張って!」

 いつものはかなげな笑みはユーにはない。

 それはもっとまぶしくて、晴れやかで、そして綺麗だった。

 いつになく大きな声は凛としていて――それを聞いてゴーヤは気づいてしまった。

 

 あれだけ華奢なのに、泳ぎが上手いのが羨ましかった。

 ボディスーツに身を包んだすらりとした肢体は、とてもしとやかで。

 はかなげな美しさは自分には望めないもので。

 そして、そんな彼女に「でっち」と呼ばれるのは、とてもくすぐったかった。

 それゆえに、胸がさわさわとして落ち着かなかったのだ。

 分かっていたのだ。

 ユーが自分を「でっち」と呼ぶときに、特別な親しみがこもっていることが。

 けれども、こんなにも綺麗な子に呼ばれるのはいかにも気恥ずかしかった。

 だから――ゴーヤはユーのことが、可愛さあまってなんとやらなのだ。

 

「よくぞ言ったでち! わたしたちの意地、みせてやるでち!」

 ゴーヤは大きく声をあげた。自分の声に、ユーがうなずく。

 ボールをたずさえ、ゴーヤはサーブ位置についた。

 潜水艦娘は普通の艦娘とは違う。

 水上にあって華々しい戦いを繰り広げるわけではない。

 暗い海中にずっと潜んで敵を待つ、忍耐の戦いだ。

 それだけに根性や精神的なタフさは他の艦娘よりも上だと自負している。

 かなわないかもしれない。太刀打ちできないかもしれない。

 それでも――相手が戦艦だろうと、自分たちは引くわけにはいかない。

 ここで踏ん張らねば、潜水艦娘がすたるというものだ。

 

-7ページ-

 

 試合終了のホイッスルが鳴り響き、コートに艦娘たちの歓声が満ちる。

 金剛とビスマルク、二人に握手したゴーヤは疲労困憊の身体でベンチに腰かけた。

 その隣にちょこんとユーが座った。手にはラムネの瓶をたずさえている。

「試合、負けちゃったね」

 ユーの声は、しかし、どこかうれしそうだった。

 ゴーヤが横目でちらと見ると、ラムネをあおって一口飲み、満足げな表情だ。

 と、ラムネの瓶がこちらに手渡される。

 受け取ったゴーヤも一口あおった。良く冷えた炭酸の甘味が喉を潤し、疲れた体に沁みこんでいくかのようだった。

「あれだけきりきり舞いさせれば充分でち」

 ゴーヤはにやりと笑みながら言った。

 確かに負けた。ただし一点差の負けだ。

 戦艦娘二人の猛攻にゴーヤもユーも執拗にくらいついて離さなかった。

 後半は相手が体格を使って右に左にと動いたので、彼女たちよりも小柄なゴーヤとユーは砂浜を駆け回ることになり、汗まみれ砂まみれになってしまったが、それでも相手の尻尾をつかんだまま、最後まで勝ち逃げを許さなかった。

 握手したときの金剛とビスマルクの笑みは、賞賛と感嘆で満ちていた。

「でも……できれば勝ちたかったでち」

 ゴーヤはぽつりと言って、ラムネをユーに差し出した。

 良い勝負をした。伯仲した試合だった。それでもやはり勝ちたかった。

 自分のためではなく、ユーのために。

 差し出したラムネの瓶をユーが受け取る。ユーが一口あおって、言う。

「でっちと一緒なら勝てるよ――来年は、きっと」

 ユーがまたラムネを差し出してくる。彼女の声は確信に満ちていた。

 自分を見つめるユーの視線は、まっすぐで、まぶしい。

 瓶を受け取ると、ゴーヤは一気にあおった。

 炭酸で押し流さないと、情にほだされてしまいそうだった。

「ふん! 来年も一緒とは限らないでち! もっと上手い子が来るかもでち!」

 ぷいと横を向いてみせるゴーヤに、

「そんなことない」

 ユーがくすくす笑いながら言った。

「ゴーヤのスパイクはすごいし、それに合わせられるのはユーだけだもん」

 ユーがそっとゴーヤの手に自分の手を重ねてくる。

 ゴーヤはしかめっ面をしながらも、しかし、ふりほどかなかった。

 代わりに出たのは憎まれ口だ。

「ふん、こんなことで懐くなでち。気安いでち」

 言いながらゴーヤはちらとユーの顔をうかがった。

 彼女の顔に、いつものはかなげな微笑みが浮かんでいる。

 ユーが、そっと自分に体重を預けてくる。

 ゴーヤは、自分の頬が火照るのを感じた。

 ――まったく、ほんとに、ありがた迷惑でち。

 

「二人ともおつかれさま。すごい試合だったね――ってあれ?」

 タオルを持ってゴーヤとユーの元へ来たしおいは目を丸くした。

 二人とも、お互いに体をもたれかけて、寝てしまっていた。

 手と手をそっと握り合わせながら、彼女たちは穏やかな寝息を立てていた。

 砂まみれになった青い水着は、夜空に星を散らしたかのよう。。

 しおいはくすりと笑むと、二人の頭にそっとタオルをかけてあげた。

 ユーが寝言を言い、ゴーヤがそれに寝言で応える。

 眠っていてなお――彼女は気恥ずかしそうだった。

 

〔了〕

説明
今回はなんと挿絵を描いてもらったのじゃよ。

というわけで艦これファンジンSS vol.45をお届けします。

もともとはpixivの某グループで「夏だからビーチバレーとかいいですね」と話していて、
いっちょスポーツもので書いてみようかなと思っていたところに、友人のIWAKO氏からこんな相談が。

IWAKO「艦これファンジンに挿絵を付けてみたいんだけど」
ち こ「ありがとうございます。でも艤装とか難しくない?」
IWAKO「それな……」
ち こ「……潜水艦ならスク水で済みますやん」
IWAKO「それだ!」

というわけで前々から書いてみたいと思っていた、ゴーヤ&ユーのエピソードに仕立ててみました。
わけても「ユーちゃんがろーちゃんに変わるきっかけ」というのは興味があったので、
そこにフォーカスも当ててみました。

なお、潜水艦娘の過去作としては、
vol.16「オリョールの群狼」(http://tinami.jp/fdg8)でしおいを主人公に、
vol.38「わたしのともだち」(http://tinami.jp/gqtn)でまるゆを主人公に、それぞれ書いておりますので、
良かったらどうぞ。


いつものお約束の文言として、
「うちの鎮守府」シリーズは単品でお楽しみいただけるように気を使っております。
本作からでもお読みいただけますし、
気になったら過去作のエピソードもお読みくださると幸いです。

それでは皆様、ご笑覧くださいませ。
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