タイムマシン開発史
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 元始、時計は太陽でありました。

 日が昇り目が覚めるのが朝、見上げるほど高くなったら昼、大地の向こう側に去ったら夜。これが『1日』でした。大体の時間は影だけが知っていました。

 夜には月が太陽の代わりをしていました。影は分かりづらいけれど、月は満ち欠けで『1月』を教えてくれました。

 そして満月を12回ぐらい繰り返すと、夜空の星は一巡り。これでやっと『1年』ができました。

 人々は月日の移り変わりという事象を理解しました。しかし、なぜそうなるのか理屈はわかりませんでした。須くそうなっているとしか言えなかったのです。だから人はそこに物語を見出し、触れられない、分からないものに神という意味を与えました。

 多くの人々はそれで納得しました。けれど、中にはそうではない人間がいました。後に科学者と呼ばれる少し変わった人々です。彼らの手によって、物語の世界は徐々に人の知識の中に還されていくのでした。

 ある者は太陽が作る影と棒の角度から、ある者は月食から、そしてあるものは実際に海の果てを目指して、地球の大きさと形を求めました。

 そして、ニコラウス・コペルニクスが地動説を発表した少し後、ガリレオ・ガリレイが望遠鏡を夜空に向けた時、地球が動いていることが分かってしまったのです。

 やがて常識となっていくのですけれど、頑固な人達が認めるまでには400年近くかかりました。頑固というより意地ですね。

 またガリレオが発見した振り子の等時性は、その後に時計へと応用され、より正確に『秒』を刻み始めます。 地球が動くことは分かりました。しかし、太陽の周りを回る丸い地球の上で、なぜ人間が振り落とされないのか分かりませんでした。

 その答えを数学的に示したのが、アイザック・ニュートンです。彼はリンゴの落下から、万有引力を発見し、それを数式で表して見せたのです。数学嫌いの人は、この人を恨みましょうね。

 この数学と物理学の本格的な融合をもって、科学は理論と実用の両輪で飛躍を遂げていきます。

 そして、科学の進歩は人々の想像を大いに刺激しました。

 19世紀も半ば頃、ジュール・ヴェルヌの手によって、月世界への旅行物語が書かれます。後にサイエンス・フィクションと呼ばれる小説の登場です。

 星空の理を伝えていた物語が、科学によって説明される側へと回った瞬間でもありました。

 それからすぐ後に、H・G・ウェルズが小説『タイムマシン』を執筆したのも、ある種の歴史的必然だったのかもしれません。

 物語による科学への圧倒的な侵攻が始まってしまうのか? いえ、違います。

 1905年、アルバート・アインシュタインにより特殊相対性理論が発表されました。これにより時間の流れ方は決して一定ではないことが示されたのです。『タイムマシン』の発表から僅か9年後の事でした。

 その後に発表された一般相対性理論と合わせて、様々な議論を呼びました。未だに相対性理論は間違っていると主張する人はいますね。

 しかし、相対性理論なんて持ちださなくても『時計の遅れ』がはっきりとした問題になっていきます。当時は『一日の8400分の一』を『一秒』と定義していたのですけれど、観測や理論の発展で地球の自転周期が長期的に遅くなっている事が分かったのです。

 精密さを増していった科学と社会において、秒の定義が年々変わるようでは困りました。

 そこで登場したのが、原子時計です。なんと誤差は数千万年に一秒の精度です。この精密な時計は、相対性理論における時間の遅れも観測しました。本当に凄い時計ですね。一家に一台欲しいぐらいです。

 飽くなき科学への渇望は世界を大きく変えていきます。それはまた物語が予見した未来への挑戦でもありました。

 月への旅行、機械じかけの労働者、生命の創造、光ほどに速い通信網、そして莫大なエネルギーを作り出す発電所。

 悲しいこともいっぱいあったけれど、概ね人類を豊かにしました。

 キリストが生まれてから二千年と少し、新たなミレニアムに入ってその進歩はさらに加速していきました。人間って本当に貪欲ですね。

 月には数千人規模の基地が完成し、並行して軌道エレベーターが天高くそびえ立ちました。そこからさらに遠くへと、火星への調査船が飛び立ち始めました。量子コンピューターが実現し、ロボットは知性と呼べるほどの演算力を獲得しました。クローン技術は太古の種を復活させ、人間の平均寿命を伸ばしました。あまねく普及した高速インターネットは世界を同時にアップデートするようになりました。核融合と宇宙空間からのマイクロ波送電は電力の憂鬱から人類を解き放ちました。超高性能のマイクロカメラは人間の透明化だって実現しましたね。

 そうそう肝心なことを忘れていました。原子時計よりも正確な光格子時計が実用化され、その精度は脅威の100億年に1秒の誤差となったことです。

 そして、2077年。H・G・ウェルズがタイムマシンを書いてから181年後の事です。アメリカの学術雑誌に一本の数学の論文が掲載されました。

 日本語にすると『ラマヌジャン空間におけるヤマウチ・フィッシャーバーグ方程式の解』という、門外漢にも何のことやらさっぱり分からない題名がつけられていました。事実、マイナーな方程式のさらにマイナーな解空間の話です。ほとんどの数学者は序文を一読しただけで、その先には興味を持ちませんでした。

 その論文の重要性が知られるようになったのは、発表から3年後の2080年になってからでした。

 著者であるブルーノ・バックマンが、招かれた日本の大学の夏期セミナーで自身の論文の証明を行った時です。セミナー最終日に一人の若い研究員がバックマンのもとを訪れ言いました。

「その特殊解を用いれば、タイムマシンを論理的に証明できるかもしれません」

 田野という素粒子物理の研究者でした。彼は研究に行き詰まり、気分転換にセミナーを受講していました。バックマンの証明方法を聞くうちに、自身の研究分野で問題となっていた理論に応用でき、さらにその先へと踏み込めると考えたのです。

「なるほど、それは実に興味深い話だ。ところで君は年間何件のタイムマシンが特許として申請されているか知っているかな? およそ100件だ。もちろん受理されたものはこれまで一つもない」

 バックマンは田野の言葉を真剣には受け取りませんでした。七〇年の人生のほとんどを研究にささげてきたバックマンは、若手研究者が大口を叩くことがよくあると知っていました。

「では、その一例目になりましょう」

 しかし田野は引き下がりませんでした。バックマンが母国に帰った後もしつこく連絡を取り続け、遂には共同研究の了解をもぎ取ったのです。

 適当に相手をしてやろう、私にはもっと重要な研究がある。バックマンはそう考えていました。しかし、実際に研究が始まると、田野の研究者としての魅力にバックマンは惹きつけられていきました。

「一線を退こうとしていた私に、タノは遥か彼方の水平線を見せてくれた」

 田野の溢れ出るアイディアに、バックマンの老獪とも言えるテクニックが加わり、研究は目指していた大海の先へと進みました。

 四年後の2084年、ついに二人は『局所的時空遡行の可能性』という論文を発表しました。そこには限定的ながら、時間を遡る事が可能であると明確に記されていました。

 厳正な査読を経た上で専門誌に掲載された学術論文です。これは世界中のありとあらゆる科学者、そして一般の人を巻き込んだ大論争へと発展しました。

 

 ある物理学者曰く、

「このモデルにはまだ不正確な部分がある。証明だけを理由にタイムマシンを論じるのは不毛だ。建設中の新しいLHCで実験を重ねる必要がある」

 

 ある数学者曰く、

「確かに証明の大筋はあっているようだ。しかし、用いた補題のいくつかはまだシャープにできる。そこに取り組むのも重要だ」

 

 ある哲学者曰く、

「まず過去なるものが本質的に存在するのでしょうか? 我々の脳内では常に思考が発生し、その連続性が自我と認識されています。自我から切り離された過去というのは無限に発散する可能性に過ぎず、それが本当に自分の過去だと証明できるのでしょうか」

 

 ある生物学者曰く、

「素晴らしい発見だ。ぜひとも過去の世界から恐竜を持ち帰って貰いたい。むしろ、私が被験者となって白亜紀後期に行ってみたいね。なんなら片道だって構わないよ」

 

 ある経済学者曰く、

「もし株価などの資産価値を過去に伝えれることができるのならば、デリバティブの概念が大きく変わります。各種資産の流動性が著しく損なわれる可能性があります。しかし、優良企業についてはその信頼性が高く評価されることにもなるので、健全な競争が加速するかもしれません。物資の移動ができるとするなら、先物ならぬ『過去物』などという投資が成立する可能性もあります」

 

 ある宗教家曰く、

「過去への遡行などすでに我が教祖様が達成している。今は十三次元への旅の真っ最中だ。信じられないというなら、この『黄金十字の理』を読むといい。そこにこれから起こる全てが書かれている」

 

 ある芸術家曰く

「タイムマシンなど馬鹿らしい。芸術家はその瞬間の自身の情動と世界そのものを切り取ってきた。それは塗り替わる自己を肯定し続ける、あるいは否定し続ける行為である。故にタイムマシンなど、そこに確かに自分がいたという自己への内省を阻害する要因でしか無い。……が、もし私を乗せてくれると言うなら、是非レオナルド・ダ・ヴィンチに会わせてくれ」

 

 ある会社経営者曰く、

「我が社は現在、訴訟の準備を進めています。バックマン氏とタノ氏が、我が社が保持している特許を侵害している可能性があるからです」

 

 あるミュージシャン曰く、

「過去に戻れるようになるんだってな。だったら俺はあの日に戻ってキングを救いに行くぜ。あっ? キングが誰だって? キング・オブ・ポップはMJに決まってんだろ!」

 

 あるタクシー運転手曰く

「タイムマシン? そんなもんがあるなら、昔の俺に結婚を考えなおすように言うよ。それから馬券だ、馬券! 去年の皐月賞でトウカイハオウに全財産かけてやるよ」

 

 あるSF作家曰く、

「未来の自分からアイディアを盗むことが可能になるな。これで締め切りに怯える必要がなくなるんじゃないか。おっ、そうだ! 過去からやってきた自分と、作品のアイディアを奪い合う物語なんてどうだろうか? 最後にその作品自体がパラドックスで、ぐちゃぐちゃになるんだ悪く無いだろ? 誰か既に書いてるかもしれんがまあ良い。兎にも角にも目の前の締め切りだ。これなら後半は適当な事を書いてもなんとかなるぞ!」

 

 ちなみに理論が発表された次の年の日本では、タイムマシンを題材にしたドラマが全世界で241本も制作されました。

 こうして、大勢の人々が騒ぐだけ騒ぎましたが、結論はひとつでした。

 

 理論が出来ているというのなら実際にやってみろ。

 

 バックマンと田野はこの要請に応えるべく、実用化に必要な理論の構築に入りました。多くの科学者がこの魅力的な題材に取り憑かれたように関わっていきました。

 切り拓かれた新天地は広大な理論をその内側に持っていました。例えば二人とは別のグループがタイムマシンの研究から、大統一理論の4つの力に新たに時間斥力という概念を加えた『超統一場理論』を完成させました。これにより、タイムパラドックスについての研究が本格的に始まりました。他にも量子コンピュータのさらなる発展形として、時空子(クロノス)コンピュータなどが提唱されるようになりました。

 派手な成果が学術会を賑わす中で、バックマンと田野の研究グループはひたすら基礎理論を積み上げていきました。

 タイムマシンブームが完全に下火になった2095年、二人の研究グループは『タイムマシンの作り方』と銘打った一連の報告書を発表しました。

 そこには大型ハドロン衝突型加速器を超えた、総延長200キロに及ぶ超大型クロノス衝突型加速器の計画が書かれていました。

 ありとあらゆる国や企業がこの計画に飛びつきました。しかし莫大な予算がかかる計画の全てを一国、一社で賄えるわけもありませんでした。国連が調整に入り、有史以来初めてとなる全ての国々が参加する一大プロジェクト『クロノス計画』が発足することになりました。

 バックマンと田野はプロジェクトの中心で指揮を取りながら、研究を続けました。

 最初の10年で、報告書の検証が全て終わり、間違いがないことが確認されました。また、超大型クロノス衝突型加速器の建造が開始されました。

 次の10年は、トラブルの連続でした。タイムマシンにより世界が崩壊すると信じたテロリストが建造中の加速器の一部を占拠する事件が起きました。またかねてより懸念されていた石油採掘量の減少が、世界経済を失速させ計画資金の一部凍結を招きました。これらは1万人に及ぶ研究者が協力し合い解決しました。

 しかし、どうしようもないこともありました。

 人に与えられた時間です。

 2112年9月3日、加速器の完成を見届けるようにしてブルーノ・バックマンが亡くなりました。田野や仲間たちに見守られながら、彼は最後に言いました。

「私は一足先に宇宙の始まりから終わりまで見てくるが、君たちはタイムマシンでゆっくりと追ってきなさい」

 享年98歳、移植手術や機械化を拒否しての老衰でした。

 田野がバックマンに代わって総責任者となり、プロジェクトは進んでいきました。

 次の10年は停滞でした。加速器は完成しましたが、思うような成果が上がってきません。そうなると、年間で少国家並みの予算を食いつぶすクロノス計画に批判が出始めました。

 さらに別の大事件もおきました。

 外宇宙から意味のある電波が届いたのです。それはアレシボ・メッセージに返答するかのように、1680個の2進数から成っていました。2進数を40行42列に並び替えることで、素数と意味のある絵が現れました。

 我々はこの広い宇宙で孤独ではなかった。

 その事実が世界中を熱狂させました。小難しい理論を必要とするタイムマシンより、はるかに分かりやすい話でした。

 世界中で宇宙ブームが巻き起こりました。望遠鏡の販売総数は前年比で三倍になりました。五〇年ぶりに宇宙大作戦の新作ドラマが作られこれも大ヒットしました。

 いつまでも実現しないタイムマシンより宇宙探索を!

 人々の要請に応えるように、これ幸いとクロノス計画の予算が削減されました。

 なにより深刻だったのは優秀な科学者が次々と計画を去っていったことです。ある者は計画での実績を引っさげ宇宙開発へ、またある者は自国の大学や研究機関へ、ついには最盛期の二〇分の一ほどに減ってしまいました。

 タイムマシンなどやはり夢物語だ。

 そんな世間の批判を無視して、田野は残った仲間達と研究を続けました。予算がつかない分、加速器の稼働頻度が大幅に少なくなっています。それでも装置の改良や、実験手法の開発などを続けていきました。

 もっとも苦しい10年でした。

 ついには研究規模の大幅縮小と組織の再編が決定されました。これまで研究を続けてきた田野が責任者を外されることとなりました。

 2133年10月25日、再編前の最後となる公開実験が行われることになりました。

 実験室に隣接するプレスルームには、85の報道機関やフリーランスが集まりました。最盛期を考えれば半分以下の数です。しかも集まった記者のほとんどは、人類最大規模の実験の失敗と経済的損失の責任を田野にインタビューするためにきていました。

 プレスルームからはぶ厚い強化アクリルガラス越しに、タイムマシンの本体が見えます。巨大な円筒系を2つ十字につなげた形です。縦の円筒はビル10階分ほどあります。横の円筒は実験室を飛び出し、全長200キロに及ぶクロノス加速器に繋がっています。

 初めて装置を見たのであろうアナウンサーの一人は、あまりの大きさに目を見開いていました。

 午後9時開始の予定でしたが、観測用のカメラが故障し進行に遅れが発生しました。集まった一部の人々は、最後になってもこの有り様かと失望の表情を浮かべていました。

 結局、準備が整ったのは深夜0時を過ぎてからでした。

 その日は最後の公開実験ということで、所長の田野が自ら説明と諸注意を行いました。夜遅くに難しく長い説明です。半数の人間がうつらうつらとなっていました。

 深夜1時を過ぎ、ようやく実験が始まりました。

 実験の工程に関して田野が逐一説明を入れますが、ほとんどの記者はまともに聞いていませんでした。それよりも失敗した後、どうやって一番にコメントを取るかばかり考えていたの様です。

 プレスルームの大型モニタが、タイムマシンの内部映像に切り替わり、円筒の上部で落下を待つ直径5センチほどのボールが映しだされました。

「このボールが真空中を落下し、加速器で作り出した時空特異点を通過することで、過去へと移動します」

 最後の説明が終わり、カウントが始まりました。

 今まであくびを噛み殺していた記者たちも、この時ばかりは目を見開きモニタを見つめていました。

 カウントが0に達し、ボールが円筒形の中央を真っ直ぐに落下していきます。カメラもその姿をぴたりと追い掛けます。モニタに映る10桁あまりのカウンターが人の知覚を超えた猛烈な勢いで増えていきます。

 一秒と少しで遂にボールが加速器との連結部に突入しました。やはりカメラの調子が悪かったのか、モニタの中央からボールが僅かにズレてしまいます。

 そして、そのまま連結部を通過。何事も無くボールは床に落下し、衝撃で少しだけ転がりました。

 やはりという失望のため息と、遂にという歓声が重なりました。

「2133年10月26日午前1時35分、タイムスリップ成功です!」

 賞賛の拍手を送る者、手を握りあう者、抱き合う者。喜びは大波となって、呆気にとられる記者たちを飲み込みました。

「あの、どういうことでしょうか?」

 勇気ある女性が手を上げると、記者たちを代表し尋ねました。

「どうもこうも、実験が成功したんです!」

「ボールがただ落下しただけにしか見えなかったのですが……」

「途中でボールが横に移動したのを見たでしょ! ああ、なんて素晴らしい日だ。今日は妻にバラを買って帰ろう」

 興奮のあまりまともな会話にならないようでした。

「私が説明しましょう」

 そこに現れたのが田野でした。自らの役目を全うするかのように記者たちに向かって喋り出しました。

「あのボールはおよそ166ナノ秒過去へ移動することに成功しました」

「過去ではなく、横に少し移動したようにしか見えませんでしたが」

 女性記者は疑わしそうに尋ねました。

「実際、ボールは移動したんですよ。なぜなら、地球は動いているからです」

「公転しているということでしょうか?」

 馬鹿にするなとでも言いたげに女性は聞き返しました。

「『現在の地球』は『過去の地球』に対して『前方』にいると考えられます。だから過去の同じ場所に送られたボールは、我々から見ると地球の進行方向に向かって一瞬で移動した様に見えるのです」

「……なるほど、分かりました」

 分かっていなそうな顔で女性記者は言いました。

「しかし、166ナノ秒と言われてもよくわからないのですが」

「オルソポジトロニウムが崩壊する時間が約142ナノ秒です」

「あー……、大変短い時間だということは分かりました。ではもう少し前、例えば1時間前に戻ることはできないのでしょうか」

 女性記者は食い下がりました。一般人が面白いと思える情報が欲しいのでしょう

「そうですね、では実際に計算をみてみましょう」

 田野は薄汚れた携帯端末を取り出すと、モニタを黒板代わりに計算式を書き始めた。

「そもそも、我々の天の川銀河そのものがほぼ等速運動をしています。近くの銀河系と比較しておよそ秒速600キロです。つまり、1秒前の地球は600キロ後方にいることになります。ですから、誤差10センチ以内で時間移動するには166ナノ秒しか許されませんでした。この誤差を取り払いましょう」

 まさに天文学的数字がつらつらとモニタに映し出されていく。

「まずは『1分』過去に戻るとするとおよそ3万6千キロ離れてしまいます。地球の直径が1万2千キロなので、すでに地球上を飛び出しまいます。『1時間』なら216万キロになります。月と地球が38万キロほどなので約五倍です。大丈夫、まだ火星には届きません。さらに『1日』で5184万キロの移動になります。地球と太陽間の3分の1程度です。これでようやく大接近時の火星までなら、あと少しといったところです」

 タイムマシンについて尋ねたはずが、何故か宇宙の距離の話になり記者たちはついていけませんでした。

「あの一応、聞きますが『1年』では?」

「およそ190億キロで、太陽圏外に出てしまいます。あの偉大なボイジャーが36年かけて移動した距離ですね」

 田野は嬉しそうに笑った。

「そうですか……」

 あまりの現実感のなさからか女性記者はモニタから視線を外しました。

「では博士は今後どのような研究を続けるのですか?」

「現在はあのボール程度の質量しか移動できませんが、もっと大きなものを送れるように目指します。人工衛星程度のサイズと形状が送れるようになれば、観測機器でタイムパラドックスについて検証することができると期待されています」

 田野がしゃべり終わるのを見計らったかのように、モニタの画面が、カメラの記録画像に切り替わります。

 そこには『未来から到着したボール』と『これから過去へ行くボール』の2つが確かに映っていました。

 

 これがタイムマシンが稼働した歴史的瞬間でした。残念ながら、このバックマン・田野式は実用には至りませんでした。しかし、ここで培われた理論や技術はその後の時空間物理学の発展とタイムマシン開発競争を促しました。

 さて、いよいよツアーも最後になります。現在主流となっているブランチ式タイムマシンが誕生した時へと向かいます。

 時空子時計の絶対時間を同期は済んでいますね。近傍宇宙となりパラドックス値が高くなります。いくらステルス装置があるからといっても、イギリスの時のようにリンゴの木に登ったりしないで下さい。歴史への影響は直接的には観測不可能です。こうしている今も変わってしまっているかもしれないのです。またその他の注意事項につきましても、現地の案内係の指示に必ず従って下さい。

 

 それでは良い旅を。

 

 

説明
2年前ぐらいに短編賞に応募した作品です。
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