銀杏
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 鎮守府の一角のイチョウ並木は見事に色づいている。ここは元々海軍基地の一角であり、植えられたのも相当前のことらしい。だが、今現在ここに務める者達には知る人もいないし、わざわざ調べようとする者もいない。

 不知火は、午後一の打ち合わせを終えて、秘書艦室を退室した。ふぅ、と深呼吸をして、かすかなあのイチョウの果実独特の香りに気づいた。夏の暑さが懐かしく感じられる程の最近の気候である。昨今の節電要請もあり、窓を開け放しているのだろう。司令部のある建物、艦娘の間では通称本部棟と呼ばれているが、ここの窓からはイチョウ並木はほとんど見えない。だが、海から吹き込む風に乗ってくるため、ここに務める者には毎年毎年巡ってくる風物詩になっている。

 不知火は本部棟を出て、寮に向かうことなく、あの鮮烈な香りの強くなる方へと、足を向けた。この後の彼女の予定は、夕食まで何もない。寮で読みかけの小説を読んでもいいのだが、少し散歩をすることに決めた。というのも、同室の陽炎が、谷風を伴って、竹箒を担いで歩いて行くのを会議への出掛けにちらりと見たからである。この二人の辞書には、読書の秋や藝術の秋などという言葉は恐らくないだろう。スポーツの秋はあり得るかもしれないが、何と言っても食欲の秋に勝るものはない。イチョウの実の香りと、食欲おう盛な少女達、そして竹箒。不知火の頭で結びついたこれらの事象から、陽炎達が外れることはない、と彼女は確信していた。

 運動場の周囲を囲む土手に、そのイチョウ並木はある。丁度駆逐艦寮と工廠や船渠をつなぐルートのうちの一つになるため、不知火にも、もちろん他の艦娘にも、馴染みの深い道である。朝方の雨によって一面に敷き詰められていた黄色は、綺麗さっぱり無くなっており、やや風情に欠けるものの、木々がはらりはらりと舞いちらせる葉が、もう冬を、ひいては年の暮れを呼び寄せているように思われる。

 二人は、大きなポリ袋に詰めたイチョウの葉をリヤカーに載せて、一息ついていた。

「せいが出ますね」

「あ、不知火、会議終わったんだ」

「こっちもようやく片がついたところだよ」

 二人は大きく手を振って、不知火を呼びよせる。

「会議と言っても、確認だけですから。それにしても、わざわざご苦労様ですね」

「まぁ、暇を持て余してると、こう体を動かした方がね」

「そうそう。それに目的はそれだけじゃないしね」

 二人はタイミングを見計らったかのように、ポリ袋一杯になったイチョウの果実を掲げてみせる。不知火は、一歩下がってハンカチで口元を抑えた。

「陽炎、それを、どうするつもりですか!?」

「ん? 処理してギンナンだけ取るけど?」

 よもやこのまま寮の部屋に持ち込むのではないか、との不知火の心配をよそに、陽炎は涼しい顔で答える。

「処理というのは……」

「ああ、大丈夫大丈夫。ちゃあんとやるから」

「ねー。結構簡単だから」

 谷風の返事に、陽炎は少年の様な笑みを浮かべて相づちを打つ。

「じゃあ、そっちは任せたよ。谷風さんは、こっちを処分してくるから」

「うん、よろしくね」

 谷風がポリ袋入りの落ち葉を満載したリヤカーを引っ張っていく。にこやかな笑顔で手を振る陽炎から、いつもより一歩離れて、不知火も手を振った。もう慣れたというか嗅覚が麻痺した陽炎は気にしていないのだろうが、彼女の作業用の手袋や長靴からも強烈に臭うのである。

「さて、じゃあ、こっちもやっつけようかしら」

 陽炎が笑顔のままくるりと振り返ると、不知火がぎょっとして一歩離れる。両手に持ったポリ袋のうちの一つを、ん、と言って不知火の方に差し出してくる。不知火が顔をしかめてると、諦めて両手で持って歩き始めた。

「いや、まあ、くさいのはわかるんだけどさ」

「あいにく、不知火は誰かさんのように変な仏心で、自滅したくはありません」

「はいはい。でも、いざギンナンになったら、喜び勇んで食べるのよね」

「当然です。食い散らかしてやります」

「いや、少しは遠慮しなさいよ。磯風が二人になったら困るわ」

 その言葉を契機に、陽炎はしばし沈黙する。当然だろう、と不知火は思った。今も、磯風をはじめ多くの仲間達が作戦に出ている。一頃よりも優勢に回ったとはいえ、常に死と隣り合わせでいることには変わりない。むしろ、自分達が陸にいることがもどかしいものだ。

「どうしました?」

「ううん、なんでもない」

 陽炎は頭を振って、また笑顔を見せる。

「それより、何がいいかしらね。やっぱり茶碗蒸し? ああ、でも先ずはそのまま炒って食べる方がいいわよね」

「そうですね。やはり炒ってから塩をぱらり、でいくのが良いでしょう」

「そうなると、こっちも欲しくなるわね」

 陽炎が、手でお猪口を傾ける動作をする。

「あいにくですが、そちらは遠慮します」

「あんたも飲める口だったら良かったのにねぇ」

「それは仕方ありません。体質ですから。ただ、お酒を酌み交わすというのは、見てるだけよりは参加できた方がいいな、とは思いますが」

「嗜好は酒飲みのそれなのにね。燗つけるのも上手だし」

「嗜好については、お酒に合うものはご飯に合うものと相場が決まっています。お燗に関しては、離れないで温度を監視していればいいだけですから、誰でもできるでしょう」

「それが結構できないもんなんだって。全く飲まないのにうまく燗できるってのは、はっきり言って理解の範疇を越えるわ」

「飲む人を見ていればわかりますよ」

 不知火は、ニッと笑う。

「美味しい時の陽炎の顔はすぐわかりますし、あとはおかげさまで経験を多く積みましたからね」

「もう、本当に頼りになるんだから」

 陽炎が勢いよく飛びつくと、不知火は声にならない悲鳴を上げた。ただ、そのかすかな悲鳴も、彼女のことをよく知る者が聞けば、何も嫌なことだけではない、と判断したことだろう。

説明
第13回 #かげぬい版深夜の真剣創作60分一本勝負 :9/6(日)23:00?「秋の味覚」
に参加。都合により1時間早めてます。

かげぬいはお酒の飲める年齢です。
谷風はちょっとだけ顔を出します。
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