榛名小話 |
「榛名、金剛お姉様の代理で参りました。今日一日、よろしくお願いいたします!」
榛名は秘書艦室に入るなり、敬礼して、大きく溌剌とした声をあげた。秘書艦室で書類整理していた陽炎は、慌てて立ち上がり答礼する。二間続きとなっている隣の司令室にお茶を持って行って、丁度戻ってきた三日月も、その場で背筋を伸ばして答礼した。艦娘の身分自体に差異はないが、海軍という組織に組み込まれた段階で、艦娘には諸々の作戦行動に必要と思われる階級が、特例として付与されている。駆逐艦は概ね尉官となり、戦艦娘や空母艦娘は基本的に佐官になる。そして、艦隊司令官である桂澤が、一部将官並権限付与の大佐という海軍内の力関係の妥協の末の階級となっているため、基本的に大佐が艦娘の最高地位であると言える。もちろん旗艦を任されるとか、新任であるとかの理由により、同艦種でも幅があることは当然である。
普段であれば、陽炎も三日月もここまで格式張ることは無いが、あいにく司令官室には来客があった。榛名の明朗な声はしっかりと隣まで届いているだろう。陽炎と三日月の二人は、今日は来客があるからしっかりね、と朝から那珂に何度も釘を刺されていた。それ故の堅苦しさがあるが、秘書艦経験のほとんどない榛名は、それがここでの流儀なのだ、と捉えたらしい。元々の彼女の生真面目さも多分にあるのだろうが。
さて、鎮守府が本土と国民の防衛を担う重要な組織である以上、外部には漏らしていい情報と、いけない情報がある。これは、秘書艦を多く務める娘と、そうでない娘とで意外な程に認識の差がある。前者には、大淀や陸奥、鳥海といった秘書艦室の中枢から何かにつけて指導が入るのだが、そういう経験を持ち合わせなければ、普段通りざっくばらんに入室してくるし、当然あまり周囲に気を配らない傾向がある。もちろん今回の様な来客などの情報も持ち合わせていない。
榛名は経験的には、後者だが、陽炎と三日月の態度を見てから、陽炎が意味ありげに視線を司令室まで泳がせたことに気づいて、何となく察したようであった。小さく咳払いをしてから、陽炎の前までゆっくり歩いてくる。
「急なご連絡でしたが、金剛さんはどうされました?」
「少しご気分が優れなくて。大事を取って休養していただいています」
榛名は、三日月の言葉に返事をする。流石にお気に入りの茶葉が切れたから元気ありません、とは言えない。すると、三日月が空になったお盆の上で一瞬、指を三本示すのを見た。司令・副司令の他に三人いるということだろうか。
「そうですか。最近お忙しかったですから、ちょうどいい機会かも知れませんね」
かわって陽炎が返事をしたため、榛名の視線がそちらに移る。陽炎は手元でボールペンをさっと走らせた。ペン先を紙に当てずに、その軌道が、令、という字を形どる。榛名は小さく首肯した。つまり、軍令部からの来客、であるという二人のメッセージに気づいたのである。
その後、陽炎が苦笑しているところを見ると、どうやら金剛が業務を代わってもらった理由に偽りがあることに思い至ったようだ、と榛名には感じられた。だが、そういうことにしておいてくれるようなので、厚意に甘えることにする。
「はい……。お姉様は少々頑張りすぎるところがありますから」
「榛名さんも、そのきらいがありますよ。まぁ、私も人のこと言えませんけれども……」
陽炎は、人懐っこい笑みを浮かべながら、何も置かれていない机の前に行き、今日はここをお使いください、と言った。そして三日月が、彼女の腰から顎くらいまで高さのあるファイルの山を、おもむろにそこに乗せる。続いて、((折りたたみ式の情報端末|ノートパソコン))を机の上に乗せて、画面を開き、壁のコンセントから床を這わせて伸びている器具に何かを接続した。
陽炎が筆記用具やら電卓やら必要と考えられる品を、両手を広げたくらいの大きさのトレイに乗せて、設置すれば、あっという間に榛名の作業スペースが出来上がった。因みに、三日月が情報端末を取り出した段階で、榛名が視線を泳がし始めたので、陽炎はみるみる顔色を暗くしていった。
「こ、こんぴゅーたーですか……」
「はい。今は電子機器無しにはどうにも」
榛名のぼそりと言った言葉に、三日月はにこやかに笑いながら、端末を立ち上げる。
「喫緊の課題は、今までの紙媒体の電子化です。中央の方は既に移行していますから、こちらも急ぐ必要があります。司令部の情報はこの本部棟のサーバに置かれることになります。ここの情報だけは、本部棟の((閉鎖環境|イントラネット))上のみでアクセスできますが、認証は艦娘のIDと、IDカード、生体認証の三つが必要です」
「えっと、えっと……」
榛名はメモをすることも忘れて、頭を抑える。ちらりと、陽炎の方に視線をやると、陽炎はわずかに首肯する。ああ、すごいな、と榛名は思った。陽炎さんはわかるのね、と。そして、次の瞬間には別の思いが頭をよぎった。
(ああ、そうか。今のは軍令部に対して、流していい、或いは流すべき情報なんですね)
榛名は席に着いて、画面をぼんやりと眺めた。画面を通り越したむこう側、奥の司令室では、司令と来客がなにやら会話している。無論、会話の内容まではわからない。そういえば、司令が元々海軍省、内閣幕下の出自であるとは聞いたことがあった。艦娘を扱うという、今の海軍の中では、最も注目され、最も潤沢な予算を確保し、そして事実最も実績を上げる組織に対して、歯がゆい気持ちを抱えている者が大勢いるのは想像に難くない。
そして目の前の鎮守府運営に関する情報の山である。
情報の保管方法には、ある程度の指針があるのだろうが、実際には運用する側で柔軟に対応せざるを得ないところがある。特に、この鎮守府という、軍内部であっても独自性の強い組織においては、ありとあらゆる処において自主性を確保されている。そのため、外部からは完全なブラックボックスとなっているのである。それは軍令部に対しても同様である。これは鎮守府創設に当たって、どうしても必要と判断され、そのために様々な手法を用いて勝ち取った、いわば司令官の意地であるとも取れる。跋扈する深海棲艦に対抗し得るのが艦娘だけである以上、その行動の制限をできる限り取り除くべきであるということであろう。
しかし、当然のことながら、上部組織が完全に統制権を放棄しているわけでもないし、そのつもりも更々ないだろう。今回のように接触を試み、或いは脅しをかけ、手綱を握ろうとしてくる。それは軍令部であったり、財務畑であったり、内閣府であったりする。それらを躱し、なだめ、時には密かにつぶす司令官には、相応の政治的なセンスが求められるのだろう、と考えて榛名はうめいた。いつもはどっしりと構え、秘書艦達の他愛無いおしゃべりに耳を傾けたり、報告に来た作戦旗艦を労ったり、時には仕事を抜け出して食堂でのんびりお茶を飲んでいたりする司令の姿とは似つかわしくない姿だが、それがひいては自分達のためであるということに誇らしい思いもする。
榛名は、三日月の咳払いに反応して、二度三度頭を振って余計な考えを振り払うと、パソコンの画面を凝視する。IDを入力してください、と表示されている。真っ黒な背景に白い字が浮かび上がっているだけの、とても単純な構成である。ここで使うシステムのほとんどが、ひどく飾り気のない画面であることに、榛名は思い至った。自分にはよくわからないが、何らかの理由があるのだろう。
榛名は、両手の人差し指でキーボードに果敢に挑む。おぼつかない指運びで自らのID番号の入力を終える。因みにID自体はカードに格納されているものとは異なる独自の数字の羅列である。これは着任時に振り払われる。司令への着任報告の後に隣の秘書艦室に移り、通知されるのが慣例である。因みに、これを暗記できるまでは、秘書艦室から出ることはできない。そして、その時には、陸奥、大淀、鳥海の三人のうちの二人が立ち会う。なお、三人のうち誰かは羅刹の如き眼光を宿し、また違う誰かは阿修羅の覇気を宿して鎮座し、最後の一人はいつものようにニコニコ笑っているのが常である。この重圧下でIDを二度と忘れないように脳裏に刻み込むことが、艦娘の最初の試練となっている。
一発で正しいIDが通ると、IDカードの認証を求められる。これには、即座に反応して、有線のカードリーダーにかざす。続いて、付属の機器に片手を置いてしばし待つ。あとは機械が勝手にやってくれるというのだから、すごいものである。
「認証されました」
嬉しそうに声を上げる榛名に、陽炎が笑顔を見せた。少なくとも、何をどう操作すればいいのかはわかってるだけありがたい、とでも言わんばかりに。
艦娘として、鎮守府に所属するようになると、この手の研修も相当な時間行われる。本当であれば、艦娘一人一人にスタッフが付随すればいいのだが、現状では実現の見込みはない。それは悪化する財政にも依るし、あまり関わる人を増やしたくない、とい各部署共通の考えにも依るところである。後者については、この特殊な組織の長である桂澤にしても同様であるらしい。彼女にとって、軍という組織は味方であり敵でもあるようだ、と籍を置いて長い艦娘達にはなんとなく察しがついている。
だが、いくら教えようとも、この手の機器に全く触れようとしない艦娘も少なからずいるし、逆に三日月や弥生のように、あっという間に習熟してしまう者もいるから、世の中は面白いものである。ただ、電子機器の操作に長けている艦娘が、そちらの仕事に手一杯になって陸に釘付けにされてしまうという新しい問題も浮上してきている。実際三日月は最近、秘書艦室にこもってばかりで、演習くらいしか海上に出ていないはずである。
「それでは、このファイルの内容をバンバン打ち込んで行ってください。紙と画面の様式は一緒ですから、研修時のように操作すればできると思います。一つの書類が終わったら、ここの保存ボタンを押してください。次の書類に移る際は、新規ボタンです。わからないことがあれば随時どうぞ」
三日月が画面を見ながら、何かしら操作をしてから、榛名の元を離れた。
「はい、わかりました。……それにしても三日月さんはすごいですね」
「え?」
「榛名には難しいことを、さっとこなしてしまうんですから」
榛名の満面の笑みを見て、三日月も微笑む。
「ありがとうございます。恐縮です」
三日月の柔らかな笑顔を見て、秘書艦に抜擢されたのも彼女の能力だけではないのだろう、と榛名は思う。この少女は、見る者の心を、良い意味でも悪い意味でも緩ませる。そしてその幼くすら見える容姿と人懐こい笑顔に反して、中身は怜悧で、そして冷徹である。実際に司令官のお遣いで、外部との折衝をすることもあるというから、彼女からも相当な信頼を置かれているということだろう。それは陽炎についても同様であり、陸奥も大淀も鳥海も、概ね似た傾向が見て取れる。そう考えると、彼女達が秘書艦の中枢を担っていることにも納得できるし、翻って自身と姉妹達がいまいち司令の眼鏡に適わないということに、多少の無念さも感じざるを得ない。
ただ、腹芸ができない自分達は、それはそれで必要なのだ、と少し前に陸奥が言っていたことも思い出した。何の折だったか。確か戦艦寮の談話室で、彼女にしては珍しく、不機嫌そうに足を組んで、ソファにもたれるように座っていたのだった。たまたま居合わせた榛名が、お茶を淹れて、ご馳走したのだが、陸奥は最初意外そうな様子で目を大きく見開いていた。それから、ありがとうと言ってお茶をうけとって一口すすり、おいしい、といつもの様な笑みを見せた。今にして思えば、何処かと水面下で激しく衝突していたのだろう。その時に、誠意を見せたいということならば、提督は私よりも、長門や金剛、それに貴女を遣わすでしょうね、と言った陸奥は、今にして思えば少し寂しそうに笑ってはいなかったか。
ファイルを開いたまま、一文字も打つことなく手が止まっていた榛名は、また雑念にとらわれてしまった、と頭を振った。
両手で頬をパンパンっと叩く。心の中で、気合い! 入れて! 行きます! と姉の口癖をそらんじてから、入力作業に戻ろうとすると、陽炎が鮮やかな瑠璃色の茶碗を差し出した。中は澄んだ緑茶。
「リラックスしていきましょう。量は多いですけど、一つ一つは難しくありませんから」
「はい、ありがとうございます」
榛名は、程よく温かな、華やかな香りのお茶を、一口含んだ。一瞬だけわずかな苦みが立ち上がって消える。それは次にふわりと広がる甘みを引き立てる。口に入れる前にあれほど華めいていた香りは、鼻腔をくすぐってからすーっと引いていき、のどを潤した後は、味も香りも、水を飲んだ後の様に惜しげもなく去っていく。ああ、上手な淹れ方だな、と榛名は心から感心した。
「おいしい」
一瞬できらめいた艶やかな花火の様な芸当に、榛名は頭にいくつも浮かんだ言葉から、ただ一言を選んだ。陽炎は満足げに頷いた。
「司令から、ですからね」
陽炎はお盆を掲げたまま、笑顔を向ける。上等な茶葉、という意味だろう。
「淹れ方もとても丁寧で心が落ち着きます。ありがとうございます」
榛名の言葉か、それとも端正な笑みに艶が出たのか、陽炎は一瞬頬を赤くして、それから照れ隠しをするように背を向けてしまった。傍らでは、そんな二人のやりとりを、やはり茶碗を両手で持った三日月が、ニコニコと微笑みながら見ていた。
説明 | ||
はい。榛名は、秘書艦(データ入力要員)でも、多分、大丈夫です……。 うち鎮守府の秘書艦室をテーマに、少し鎮守府の立ち位置を掘り下げるために書きました。 |
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