真・恋姫†無双 〜夏氏春秋伝〜 第八十七話
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五胡が撤退して四半刻、戦場となっていた平原にはまだ魏軍、馬軍共に留まったままであった。

 

双方とも自軍の被害状況や物資の消費状況を確認しており、丁度今、どちらもそれを終えたところ。

 

そのタイミングで各軍の幹部たちは再び一所に集まった。

 

「さて。先程は時間も無かったとあって大した挨拶も出来なかったわね。

 

 改めて、馬休、馬岱。貴女達二人がこちらの要請を受けてくれたこと、再度感謝するわ」

 

そう華琳が口火を切って、両者の会談が始まった。

 

魏軍側は華琳を始め、一刀、春蘭、秋蘭、桂花、月、詠、恋、梅と将全て、計9人が出てきている。

 

一方で馬軍は馬休と馬岱の2人だけ。

 

聞けば、将と言える立場は馬軍においては馬家の者しかいないそうだ。

 

2人の間では、主に頭を使う仕事は馬休が引き受けることが通例のようで。

 

「そんな……こちらこそありがとうございました、曹操さん。それに北郷さんも。

 

 おかげで無事五胡も撃退出来ましたし、これで母さまにも顔向けできそうです」

 

この場でも主な対応は馬休が取るようであった。

 

「ちょっといいかしら?

 

 いくら何でもあれだけの数の五胡を相手にして、その数の普通の騎馬部隊だけじゃ撃退は無茶ってものじゃない?

 

 西涼の兵は今そんなに人手が足りていないの?」

 

「いえ、そういうわけではありませんが……

 

 母さまも、こちらの五胡の軍がこれだけの規模だと分かっていれば、それなりの兵は出します。

 

 ですが、今回は別の場所でより大きな五胡の動きがあるらしいとの情報が入っていまして。

 

 母さまと翠姉さん――すいません、馬超姉さんのことです――2人は残ってそちらに備えているのです。

 

 それと合わせて兵も大半はそちらに残し、ここに連れてきたのは残りの更に一部になります」

 

「あの数でただの囮部隊……なわけは無いわよね……

 

 ってことは、五胡に偽の情報を掴まされた……?

 

 ボクが知ってる五胡は力と数に明かせて押してくるだけの奴らだったはずなんだけど……」

 

「私たちもそう記憶しています。だからこそ、そういった対応を取ったわけでして……

 

 これからは認識を改めなければならないかも知れません」

 

桂花が、詠が、各々の疑問を問い、馬休が己の分かる範囲で答える。

 

色々な意味で漢王朝の中でも特殊な立場にある西涼の地。

 

そして内陸にいれば、いかな黒衣隊と言えど入手しにくい五胡の情報。

 

軍師の立場としてはそれこそ根掘り葉掘り聞きたいところではあったのだろう。

 

だが、2人ともそれだけで問いは切り上げる。この場における優先順位では、それは低いものであったからだ。

 

次に言葉を発したのは一刀。取り急ぎ確認したいことがあったが故である。

 

「馬休さん、馬岱さん。一先ず確認だけしておきたいのですが。

 

 今回の戦は――――」

 

「あ、あの!発言を遮ってしまって申し訳ないのですが、北郷さん、宜しければ敬語は無しでお願いできますか?」

 

「いえ、ですが……」

 

「先程の北郷さんの戦い振りを見て、確信しました。耳にした噂は真実なのだと。

 

 天の御遣いの肩書きに恥じない、見事な武。感服いたしました。

 

 そんな北郷さんに敬語を使われては、こちらが委縮してしまいます」

 

「あ〜、確かに。蒲公英もその方がいいかな〜?

 

 お兄さんの武、凄まじかったよね!呂布さんも!まるでおば様みたいだったよ!」

 

馬休も馬岱も、冗談で言っているわけでは無い様子。尤も、この状況、今のタイミングでそんな冗談を言うようではどうしようもないのだが。

 

一刀も2人にそうまで言われてまで頑なに敬語で接する必要性はあまり感じないので。

 

「ん……分かった。それじゃあ、普通に接させてもらうよ、馬休さん、馬岱さん」

 

そう、承諾の意を示した。

 

仕切り直しにコホンと軽く咳をついてから、一刀は再び中断された先ほどの内容を問い直す。

 

「今回の戦、転戦の予定はあったのかな?

 

 それとも、五胡が攻めてきた情報が入ったのはこの一ヶ所だけ?」

 

「五胡の情報があったのはここだけです。私たちが出る前は、ですけれど。

 

 この後私たちは母さま――馬騰のところへと帰ることになります」

 

この馬休の返答を聞き、いの一番に反応を示したのは問うた一刀では無く華琳であった。

 

「あら?それなら丁度良かったわ。私達も馬騰に用があってここまで来ているのよ。

 

 馬休、馬岱。貴女達に私達と馬騰との面会の取り付けをお願い出来ないかしら?」

 

「母さまに用が?それはどういう……

 

 あ、面会の方は特に問題はありません。

 

 というよりも、私の方からもお時間があるならばこの度のお礼も兼ねて招待したいと考えていましたので。

 

 お任せください」

 

「ならば貴女にお願いするわ、馬休。これで想定以上に円滑に事が運べそうで何よりね。

 

 それと、私達の用向きはその時にでも纏めて話すわ。何より、主な相手は馬騰になるのだしね。

 

 貴女はそれで構わないかしら?」

 

「あ、はい、勿論です。と申しますよりも、こちらの方が申し訳ありません。

 

 君主同士のお話し合いに一介の将が口を挟もうとするなど、過ぎたことでした」

 

馬休はババッと頭を下げ、華琳に対して承諾と謝罪を同時に口にする。

 

一方でそれを受ける華琳は別段気分を害した様子も無く、至って普段通りなのであった。

 

厳粛に進んでいると思われた会談は、しかし直後に思わぬ空気感へと変貌する。

 

その発端となったのは馬岱であった。

 

「何々〜?お兄さん達、おば様に会いに来たんだ〜?

 

 一応これ、部隊なんだよね?それも凄い強さ!

 

 もしかしてもしかして、おば様と戦でも始めちゃう気?」

 

「まさか。さすがにそれは無いよ、とだけ言っておこうか。

 

 華琳が言わないと決めたのに、他が勝手に漏らすわけにもいかないしな」

 

「ちぇ〜っ。まっ、しょうがないか〜」

 

「ちょっ、ちょっと、蒲公英!こういう時くらいは空気読んでっ!

 

 す、すみません、曹操さん、北郷さん!」

 

馬岱は天真爛漫というべきか強かさを持っているというべきか。

 

あわよくば一刀の口滑りを期待したような問い掛けを投げ掛けてきた。

 

直後の馬岱の言葉や馬休の叱責から察するに、後者のようである。

 

「別に構わないわ。この場でその態度と質問、そしてその意図。むしろ、気に入ったくらいよ」

 

こんな場であっても人材コレクターの一面を遺憾無く発揮する華琳。

 

が、直後にはその微笑も消し、真面目な表情をもってこう告げていた。

 

「けれど、今はそんなことで時間を取っている場合などでは無いわ。

 

 双方目的地が同じなのであれば、この場では重要な点のみ話し合い、残りは途上で行うとしましょう。

 

 桂花、詠。そうすることに問題はあるかしら?」

 

「一般兵に聞かれてはまずいことのみ優先して処理しておけば問題は無いかと。

 

 取り急ぎ、部隊の被害状況及び物資の残存状況の確認をしておけば」

 

「あ、ここを発つのは少しだけ待ってもらってもいい?

 

 一応周囲に五胡が潜んでいないか、隊の兵に探らせているの。

 

 洛陽から連れてきたボク仕込みの兵だから、その手の任務はそつなくこなしてくれるわ」

 

「なるほど。では桂花の言う通り報告を行いながら詠の手配した兵が戻ってくるのを待つとしましょう」

 

即断即決。華琳は瞬く間に次の動きを決めてしまった。

 

馬軍に確認を取ってもこちらも反論は無かったようで。

 

そこから暫くの間、互いの軍の状態確認をし。

 

更に空いたままの時間では、助けてもらった礼を込めて、という馬休と馬岱を皮切りに真名の交換までもが行われたのであった。

 

その上で若干残った時間はあり、そこで蒲公英の自由奔放さが爆発した。

 

具体的には赤兎とアルに触れ合いを求めたのである。

 

初めこそそれを諌めようとしていた鶸も、魏軍側が止める素振りも見せないことを見るや、ソワソワとしだして。

 

結局苦笑気味に鶸にもそれを勧め、2人は残り時間一杯2頭との触れ合いを楽しんでいたのだった。

 

 

 

詠の兵が帰隊したのはそれから約半刻後。

 

それによってここはもう問題無しと判断され、2つの部隊は一体となって進路を北へと取るのであった。

 

 

 

 

 

 

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「はいやーっ!はいっ!はいっ!!

 

 あははははっ!速い速いっ!!」

 

「ちょっと、蒲公英!あなたの馬じゃないんだから、あんまりしちゃ――」

 

「だ〜いじょうぶだって!この子だって走りたがってるんだしっ!」

 

「ちょっ……もう……」

 

目的の街へと向かう途上、馬上の人となってはしゃぐはつい先ほど同道することとなった蒲公英と鶸。

 

その二人が跨るのは彼女たちの馬――では無かった。

 

鶸がアルに、そしてなんと蒲公英が赤兎に、それぞれ跨っている。

 

何故このようなことになっているかと言うと。一言で済ますならば、蒲公英のごり押しの結果である。

 

先程の待ち時間、二頭と少しの間触れ合った二人は、と言うよりは主に蒲公英がだが、当然のように乗りたいと言い出した。

 

遊ばせている場合では無いし、そんな時間も無い、と当初は拒否していた一刀たちであったが、とある案を出されると仕方が無く受け入れるしか無かった。

 

尤も、決定打となったのは華琳の一言である。

 

「別に好きにさせたら良いのではなくて?本人たちがその任をわざわざ自分たちで受け持つと言ってくれているのだし」

 

許可のような放任のような、そんな一言ではあったが、この言質を盾に蒲公英に迫られてしまえば、もう逃げ場は無かったのだ。

 

結果、現在のこの状況である。

 

つまり、『五胡残党等警戒の為の先行偵察』の任を蒲公英と鶸が引き受け。

 

桂花の判断で赤兎たちが暴走等した際の対応役として一刀と恋まで同行し。

 

それぞれの馬を交換した上で4人は2部隊から遥かに先行して平原を疾駆していた。

 

蒲公英は大はしゃぎで、鶸も蒲公英への叱り事を口にしながらも、内心では楽しんでいる様子で。

 

一通りそこらを気の行くままに疾駆させてから、二人に比べてややゆっくりなペースで馬を走らせていた一刀と恋に並走し始めた。

 

「それにしても驚いたな……アルはそうでも無いんだが、赤兎は人の好き嫌いがかなり激しいんだ。

 

 魏国内では恋だけだな。赤兎に触れられるのも赤兎に懐かれているのも」

 

「え〜っ?それはお兄さん達が赤兎ちゃんの気持ちを理解してあげられてないだけなんじゃないの〜?

 

 蒲公英には一目見ただけでピ〜ン!ときたよ?」

 

「そういうもんなのか。恋からちょっと聞いてはいたが、俺にはどうやら難しいみたいだな」

 

流石は馬と共に生きる西涼の民、とでも言うべきなのであろう。

 

一刀が感心した内容をふと漏らせば、蒲公英はそれは普通のことだと返してくる。

 

口にこそ出していないが、表情を見るに鶸も蒲公英同様の意見を持っているようだ。

 

その鶸がアルの鬣を優しく撫でながら、ふと一刀に問い掛けた。

 

「それにしても、一刀さん、これだけの良馬は西涼でも中々見ないですよ。

 

 毛並みも最高級ですし……毛艶にしても、もっと輝かせてあげられますよ、この子。

 

 この子たちはどちらで見つけられたのですか?」

 

「いや、アル達は俺たちが見つけてきたってわけじゃないんだ。

 

 白たち――協と弁から、洛陽を発つ際に貰い受けてね」

 

「へ、陛下からですかっ?!」

 

「えぇっ?!ちょっ、嘘ぉっ?!」

 

鶸も蒲公英も予想外が過ぎる回答に度肝を抜かれてしまう。

 

二人とも例の噂を耳にしたことくらいはあるだろう。そこから色々と邪推もしているかもしれない。

 

だが、色々な推測・妄想のその中に。一刀たちが協たちと非常に親密な関係を築いているだろうというものは皆無に等しかった。

 

それ故に、どちらも思わず目を?いてしまうほどに驚いたのであった。

 

「そこまで驚くような――――ことか。うん……そりゃそうか。俺にとっちゃ、天皇陛下から直々に、ってレベルの話だもんなぁ」

 

途中まで言いかけて、ボソリと訂正する。

 

それから軽く咳払いを一つし、一刀は言い直した上で続けた。

 

「驚くのも仕方無いだろうが、事実なんだよ。

 

 ま、それもこれも月や詠が協たちといい関係を結んだ上で善政を敷いていたからこそ、なんだけどな」

 

「へぇ〜、月ちゃんが。でも、じゃあなんでお兄さんまで?」

 

「ん〜……それはまあ、色々な理由があっての結果なんだろうけど……」

 

一刀がどう答えようかと悩んで間を空けると、その回答を知りたいと瞳でジッと訴えかけてくる蒲公英と鶸。

 

その様子はどうしてか、かつての洛陽にて”天の国”の話をせがんだ”あの二人”に重なって見えたのだった。

 

(片や将、片や皇帝……でも、一皮むけばそこにあるのは年相応に好奇心に顔を輝かせる少女の姿、か……

 

 全く、そう考えれば、改めて随分な世界だよなぁ……)

 

突然、フッと一刀が笑みを作る。

 

蒲公英と鶸には当然その意味など分かりはしない。頭上に疑問符を作るばかりである。

 

「っと、悪い悪い。で……そうそう、協が俺にまで馬を贈ってくれた理由だったな。

 

 ま、一言で言えば、協も弁も、皇帝だとかそういったものである前に、一人の”人間”だった。そういうことだよ」

 

「ん?んん??よく分かんないよ〜!どういうこと、鶸ちゃん?!」

 

「わ、私にも分からないよぉ。えっと、一刀さん、その……」

 

「あ、これ以上詳しく知りたいんなら本人に直接聞いてくれ。

 

 さすがに俺も詳しい理由なんて知らないからな」

 

「えぇっ?!」

 

「ちぇ〜っ!」

 

思わぬお預けを食らってしまった鶸と蒲公英はそれぞれの表現で落胆を示す。

 

が、直後には全く異なる表情に取って代わっていた。

 

「でも……こうして話していると、一刀さんが本当に特別な人なんだと改めて思います」

 

「あ、それは蒲公英も思うよ。

 

 何ていうか、お兄さんってやっぱり、大陸の人間じゃ無い!って感じなんだよねぇ」

 

しみじみとした様子でそう呟く。

 

それにどう答えるかな、と頭を捻っていると、思わぬところから同意の声が返ってきた。

 

「……一刀は、天の国の人。強いし、賢い」

 

「おぉ〜!強いのはさっきの五胡ので分かるけど、やっぱり賢いんだ〜!

 

 ってことは、予言通り?」

 

「……予言?」

 

「え?恋さんはご存知ないんですか?

 

 あの『天の御遣いは類稀なる武と知を以て大陸に平和を齎しめん』という……」

 

「……知らない。でも、きっと一刀なら――」

 

「あ〜、はいはい!お話はその辺で!

 

 名目だった先行偵察もここら辺りまで見ておいたら問題無いだろう。そろそろ本隊に戻るぞ〜」

 

自ら望み、進んで神輿になったとは言え、改まった場などでなくこうして目の前で肩書きを湛えられるのは如何な一刀と言えども照れくさいもの。

 

そこで一刀は恋の言葉を遮るように手を叩いて三人に呼びかけた。

 

返事は三者三様ではあったが、皆ちゃんと聞き分けてくれている。

 

その辺りはきちんと任務をこなす軍人なのであった。

 

幸いにもこの中断と馬の進路転換の間により、先ほどの話はそのまま流される。

 

色々な意味で満足気な鶸と蒲公英を伴って一刀と恋が本隊に帰隊したのはそれから四半刻後のことであった。

 

 

 

 

 

 

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「…………あっ、見えました!あそこが今私たちが拠点としている街です!」

 

鶸たちと合流してから数日。

 

一刀たちは鶸と蒲公英の先導の下、ようやく馬騰の坐す街へと辿り着こうとしていた。

 

「そうか。ありがとう、鶸、蒲公英。おかげで予定よりも随分早まったよ。

 

 さて、それじゃあ俺も一度華琳のところまで戻ってこれからの流れの再確認といこう」

 

「蒲公英たちはどうしよっか、鶸ちゃん?」

 

「えっと……一刀さん、街に入るのを遅らせるのでしたら、速度を落とすか部隊を止めるかしますけど」

 

「いや、ここからの詳細はもうこれまでに詰めたからな。ちょっとした確認だけだから大丈夫だよ」

 

「そうですか、分かりました。ではこのまま部隊を進めることにします」

 

「ああ。最後まで頼ってしまってすまないが、先導頼んだ、鶸、蒲公英」

 

「はい、お任せを」 「まっかせて〜♪」

 

部隊の先頭を鶸と蒲公英の二人に任せ、一刀は言葉通りに部隊中央へと向かう。

 

華琳の側には戦闘の時から護衛役を継続している春蘭と梅がいた。

 

一刀は二人にも挨拶しながら、本題を華琳に告げる。

 

「華琳、目的地が見えた。街での行動は全て予定通りでいいのか?」

 

「ええ、構わないわ。どちらにしても、部隊の現状を考えればそうさせるのが最善でしょう?」

 

「最善というより、それしか出来ない、だけどな」

 

言って一刀は軽く溜め息を吐く。

 

二人が話している内容は街に着いてから、部隊をどうしておくかについて。

 

許昌を出立して暫くの内はいくつかの案が出てはいた。

 

しかし、今はただ一つの決定を除き、全てが却下されている。

 

その決定の内容は、『華琳を始めとする馬騰への面会人員以外は街の外にて待機しておくこと』。

 

これではそもそも部隊を少数精鋭にて固めた理由、”万一の馬騰との戦闘に備えての人選”という部分が意味を為さないと思うかも知れない。

 

だが、一刀たちにとってはこれが”最善”なのであった。

 

理由は単純なもので、五胡との戦闘によって部隊の備品の大半を消費してしまったが故。

 

戦闘をするともなれば、当然装備が揃っていなければ話にもならない。

 

それが無いのであれば、部隊の存在によって刺激を与えないようにすることが最優先だ。

 

華琳と一刀が共に至った結論だった。

 

「行くのは華琳を含めて将の9人、で良かったな?」

 

「ええ、そうよ。部隊の方は心配しなくても大丈夫かしら?」

 

「その辺りは俺や月たちの調練を信頼してくれ。

 

 元々が月のところの精鋭部隊の兵たちなんだ。こっちにきて日が浅くとも練度はバッチリだよ」

 

「そう。ならば街に着いたらすぐに行動に移しましょう。

 

 誰か兵を呼んで他の皆にもそう伝えておいてくれるかしら?」

 

「了解。俺はまた先頭に戻っておく。何かあったら伝令を寄越してくれ」

 

華琳との最後の打ち合わせはこれで終了。

 

実に簡潔であるが、それだけにこれまでの間にしっかりと詰めていて、互いの頭の中に同一の計画があることを示していた。

 

華琳にも言った通り、一刀は近場の兵に皆への伝令を頼むと部隊の先頭へと戻る。

 

「鶸、蒲公英。街に着いたらすぐに馬騰さんに面会の話を通してもらえるか?」

 

「はい、分かりました」

 

「すぐでいいの?なんなら蒲公英が街を案内するよ?」

 

「いや、提案はありがたいが、すぐでいい。

 

 この部隊にいる皆があんまり長く許昌を空けるのは好ましくないんでね」

 

鶸がなるほど、と頷く。

 

華琳は勿論のこと、天の御遣いとして知られる一刀、筆頭武官の春蘭・秋蘭姉妹や軍師筆頭の桂花。

 

改めて考えればこれは錚々たるメンバーなのだ。

 

普段から頭を使う役割にある鶸にはそれがすぐに分かったのだった。

 

 

 

 

 

「それでは皆さん、申し訳ありませんが少しの間こちらでお待ちください。

 

 母さまとはすぐに話を付けてきますので」

 

「ええ、分かったわ。よろしくね、鶸」

 

予告通り、鶸は街に着いてすぐ一刀たちを案内してくれた。

 

その道中で、一刀はいくつも感心することに遭遇していた。

 

例えば、街の人々は鶸や蒲公英の姿を目にすると気楽に声を掛けてきていた。

 

鶸たちが将であるとか、そういった気負いは民たちに無い様子。

 

或いは将の威厳が無い、とこの光景を見て言う者があるかも知れない。

 

だが、一刀としてはこの『親しみやすい上層部』というものは、理想とするイメージ像でもあった。

 

現に一刀は魏においてそのような立ち位置を作ろうとしている。

 

如何せん大層な肩書きがあるせいで難しいところがあるのだが、それでも順調に進んでいた。

 

そんな一刀の理想の一つの完成の型を目にしたようであったのだ。

 

その他にも、王朝内外の各地の商人の行き来が多い西涼だからなのか、露天商を含む商売人への対応の整備がよく整えられている。

 

そういった色々な人が混じり合う一方で、それが原因で起こりそうな諍いは少し目にした限りではほとんど見られない。

 

尤も、これに関しては偶々そんな時間帯に通れただけかも知れず、一概にそうとは言えないのだが、それでも街の警備にあたる兵たちの様子からそれを感じたのであった。

 

他の皆もそうやって西涼の街並みを眺めながら、やがて鶸たちに先導されて街の中心、城へと至る。

 

門兵は鶸たちの顔パスで難なく通過――して議場にでも行こうとしていたところで、鶸が兵に呼び止められた。

 

兵曰く、馬騰は今馬超や馬鉄と共に調練に勤しんでいるとのこと。

 

そんなわけで、一刀たちは鶸に指示された通り、城門前付近にて待機中なのである。

 

馬騰との面会も近いとあって、空気は既に厳かなもの。こういったことには春蘭も役職上場慣れしたもので、非常に落ち着いた筆頭武官らしさを十二分に醸し出していた。

 

無駄な会話も挟まれる事無く幾分かの時間が過ぎ。

 

やがて鶸が小走りに駆け寄ってくる姿が目に入った。

 

「皆さん、母さま達の調練がまだ少し掛かるようでして。

 

 調練場でもいいのならすぐに応対してやれる、と母さまは言っていたのですが……」

 

「馬騰と直接話せるのであればそれで十分よ。鶸、案内なさい」

 

「ですよね。なので母さまの調練が終わり次第謁見の間にて――って、えぇっ?!よ、よろしいのですかっ?!」

 

「構わないと言っているでしょう?

 

 こちらとしても馬騰と早く話が出来るに越したことは無いのだもの」

 

「わ、分かりました。では皆さん、こちらへ……」

 

華琳の言葉を聞いても未だ驚きが抜けきらないままの鶸の先導で、一刀たちは馬騰のいる調練場を目指し、歩き始めた。

 

途中までは来た道を戻り、ある一点で横に逸れ、その後も幾度か曲がった後。ようやく新たな目的地、馬家の調練場へと到着した。

 

道中で得物をどうすべきか鶸に尋ねたところ、馬騰たちの側も調練直後とあって得物を所持しているのだから、そのままで良い、とのことらしい。

 

大雑把と捉えるべきか大物と捉えるべきか。兎にも角にも、色々と特殊な状況ではあれ、馬騰との対面の目前にまで来たのは事実。

 

遂にこの時が来たか。

 

一刀は心中でひっそりとつぶやく。

 

一刀自身が実際に目にした”化け物”・孫堅。

 

そんな彼女と同列に語られ、協や弁からの信頼も厚い人物たる馬騰。

 

以前は秋蘭や桂花の下、大陸各地を飛び回っていた一刀も、西涼のこんな奥地までは足を延ばしておらず、馬騰と相対するどころか目にするのも今回が初めてなのである。

 

緊張感に包まれる中、鶸に従って華琳を先頭に9人が静かに入場する。

 

そして、目に入る。馬騰の姿が。

 

一目見て、一刀は息を呑んだ。

 

馬超や鶸、蒲公英と同系列で、しかし彼女達より装飾が多めな服装だとか、馬家の血らしき太目の眉だとか、娘たちにも引けを取らない若々しい美しさだとか、そんなことにはほとんど意識が行かない。

 

一刀の目は馬騰の姿全体を、意識はその醸し出すオーラとも呼べるほどの雰囲気を、それぞれ捉えて離さない。否、離せない。

 

”純然たる武人”。そんな言葉が自然と一刀の脳裏に浮かんでいた。

 

意識を馬騰の方へ持っていかれても、足だけは機械的に動かしていた一刀。

 

だがそれも、華琳を見つめていた馬騰の視線が一刀に移り、何かを見極めんとするが如く細められると、止まってしまう。

 

幸いにして止まった位置は鶸が導いてくれた一刀たちがいるべき地点。

 

地点に到着したから止まったのか、委縮して止まったのか、一刀自身にも分からないほど馬騰の雰囲気に呑まれてしまっていたのである。

 

そんな一刀の意識を現実へと引き戻したのは、いつの間にか絶句していた様子の馬超の叫び声だった。

 

「お前……夏候恩、じゃねぇかよ……っ!それじゃあやっぱり、あん時はあたし等を騙してたってのか?!」

 

「…………あ……馬超さん……っと……」

 

これではいけない、と二度三度頭を振り、一刀は気を入れ直す。

 

キッと表情も作り直し、まずは馬超に返答しようと決めた。

 

「ある意味その通りです、馬超さん。ただ、これだけはご理解頂きたい。

 

 私は決して悪意を持って皆さんを騙したわけではありません」

 

「そんなこと――――」

 

「待ちな、翠。そんなくだらないことで時間を使うんじゃないよ」

 

信じられるか、とでも続けようとしたのだろうか。

 

しかし、馬超の言葉は馬騰によって遮られてしまった。

 

馬騰は再び華琳に視線を戻すと口を開く。

 

「あんたが曹孟徳だね。どうやらうちの娘と姪が世話になったみたいだね。礼を言うよ」

 

「その必要はないわ。五胡にこの地を攻められて困るのは私たちも同じなのだから。当然のことよ」

 

「そうかい。ならこの話はこれで終わりにさせてもらって早速本題に入ろうと思うが?」

 

「ええ、構わないわ」

 

華琳とこうして対峙する馬騰には、純粋なる武人の第一印象はそのままに、中々どうして為政者としての覇気も随分と感じられる。

 

長年西涼を治めてきたが故か、はたまた元来馬騰の持つポテンシャルか。

 

後天性、先天性のどちらにせよ、華琳に匹敵するカリスマ性を感じられたのは孫堅に続きこれで2人目であった。

 

「曹操、あんたはあたいに話があるそうだね?それは”例の噂”に関連することなのかい?」

 

馬騰が早速華琳に斬り込む。

 

”例の噂”。即ち、協や弁の身柄について、民の間に流した噂のこと。

 

ここ最近の大きな噂はそれくらいしかあらず、華琳も馬騰の言わんとするところを理解出来ていた。

 

俄かに場は緊張感が増していく。

 

その変わり行く空気をものともせず、華琳は平時と変わらぬ様子で口を開いた。

 

「取り方次第ではそうとも言えるわね。けれど、本題の核としては関係の無いことよ」

 

「ほぅ?ならば、あんたの話ってのは、一体何なんだい?」

 

馬騰の促しに対し、華琳は軽く一息吐いてから、堂々とした佇まいから威厳たっぷりに馬騰に向かってこう告げた。

 

「馬寿成。貴女のその類稀な才を見込んでの要請よ。

 

 我が麾下に加わり、大陸平定、天下泰平の世の実現に力を貸しなさい」

 

途端、周囲がザワッと沸く。

 

その内容に驚いた馬一族の面々は勿論、いきなりズバリと核心だけ告げた華琳に対して魏の面々ですら驚いたのである。

 

そんなざわめきに包まれる中、真っ先に言葉を発したのは先ほど制されたばかりの馬超であった。

 

「おい、曹操!お前、陛下のことについて説明するどころか、よりにもよって母さんに対して配下になれ、だって?!

 

 いくらなんでも礼儀知らずが過ぎるんじゃないのか?!」

 

「あら、そうかしら?でも確かに、何の用意も無くこう言い出せば、貴女の言う通りかも知れないわね、馬超。

 

 ならば……一刀、例のものを」

 

「はぁ……ったく、華琳。普通の順序で言えば、まずこっちだろう……」

 

溜め息を吐きつつも、一刀は協から預かった文を懐から取り出して進み出る。

 

と、その動きに警戒を最大限にまで引き上げた馬超と、更にもう一人、桃色の服の娘が一刀に前に立ちはだかった。

 

「待て、夏候恩、いや、北郷!お前が何をする気か知らんが、これ以上母さんには近づけさせない!」

 

「ごめんね〜。でも、これでいてお母さんもちゃんとした君主だからね。

 

 さすがに無警戒に近づかせるわけにはいかないかな〜?」

 

鶸たちから聞いていた話から察するに、この桃色の服の娘は馬騰の三女、馬鉄なのだろう。

 

一見、ほんわかムードを続けているように見えて、その実戦闘態勢だけはしっかりと整っている。

 

華琳の言葉に衝撃を受けた直後であっても、こうしてきちんと一刀の行動に対応が出来ている辺り、彼女もまたこの外史の”将”たる人物なのだと伺えた。

 

「馬超さん、馬鉄さん。こちらに敵意は無い。

 

 ご覧の通り、俺は馬騰さんに協からの文を渡しに来ているだけだ」

 

そう言って一刀は片手に文を持ち両手を上げる。

 

そのポーズの意味が通じるかどうかはともかくとして、手に持つものが文であることは一目瞭然となるだろう。

 

一刀の手のそれを馬超と馬鉄も確かに確認した。それでもなお、どうすべきか思案している様子だったが、またも馬騰の鶴の一声が。

 

「翠、蒼。北郷をよく見な。

 

 今のあいつにゃ、敵意なんて微塵も感じないよ。隠しているわけでもないね。

 

 ありゃ、本気で文を渡そうとしているだけさね。だから、そこあけてやりな」

 

「……母さんがそう言うなら」

 

「は〜い、お母さん」

 

渋々ではあるものの、二人が退いたことでようやく一刀は馬騰に文を渡すことが出来た。

 

そのまま静かに元の場所まで下がる。ちなみに、その間馬超は勿論のこと、馬鉄もジッと一刀の動きを寸分たりとも見逃すまいと見つめていたのだが、一刀は敢えて気付かない振りをした。

 

そんな娘たちの反応がある一方で、馬騰は文に目を落として文字を追っている。

 

それを読み終えると無言のままに真意を問うような視線を華琳、一刀の二人に向けてきた。

 

華琳は余裕すら見せる微笑をもって。一刀はただ真面目な表情を作って。馬騰の瞳を見つめ返す。

 

と、馬騰がフッと笑み、言葉を発さんと口を開く。

 

俄かに一刀の心中には緊張が走る。今回の案件がどう転ぶにせよ、ここが正念場。ここで今後の流れが決まる。

 

「確かに……これは陛下の直筆ではあるようだねぇ。

 

 あたいの役柄上、陛下の勅を記した文を頂いたことは幾度もあるからそれは分かる。

 

 だが……一つだけ、どうにも得心がいかないねぇ……」

 

文から上げた馬騰の視線は今、話ながら一刀や華琳の反応を見逃さんとばかりに固定されていた。

 

「仮に例の噂が真実であり、陛下があんたら真に協力しているのだとしようか。

 

 陛下が直々にあたいを魏に協力させたいと思い、この文をしたためた……なるほど、筋は通っている。

 

 だがねぇ……本気でそうしたいのであれば、玉璽の印は押すもんじゃあないかい?

 

 それとも何かい?これは勅では無く陛下からの真の”お願い”である、とそういう暗示なのかい?」

 

馬騰のこの解釈をそういうものとして通しておくべきか、瞬間一刀は悩む。

 

だが結局、馬騰の洞察力や推察力が判然としていない今、そのような欺瞞は危険なだけだと判断した。

 

「そういうわけではありません。そうですね…………

 

 これは他言無用でお願いしたいのですが、馬騰殿及びその一族の方々の口の堅さを信用し、お話しします。

 

 我々は洛陽より協たちを救い出したことは知っているものと思います。ですが、その時に彼女達の持ち物全てにまではさすがに気が回せませんでして。

 

 結論を言いますと、洛陽にて玉璽は失われてしまった、と。そういうことだそうです」

 

「それを陛下が?」

 

「はい」

 

「………………はっ!はははっ、なるほどねぇ……」

 

馬騰は真意を確かめんと発言した一刀の瞳を睨め付け、そして笑い出した。

 

こうなると逆に一刀の方が馬騰の考えが読めない。

 

下手な発言で墓穴を掘らぬよう、一刀は静かに馬騰の次の言葉を待つ。

 

馬騰は短い一言の後、沈黙。再びの黙考に入った様子。

 

焦れず、馬騰の決断を待っていると、ようやく考えがまとまったのであろう、馬騰が口を開いた。

 

「陛下からの手紙、これは確かに直筆だ。

 

 文字が震えているなんてことも無い。脅されて、なんてことも無いだろう。

 

 玉璽の印が無いのは、まぁ、結局はあんたのいう事を信じるか否かでしか無いから除外しようか。

 

 …………あたいも陛下の為人をよく知っている。だからこそ言うが、陛下は恐らく、本心からあんたに頼っているんだろうねぇ、北郷」

 

「頼ってくれている、のでしょうかね?

 

 彼女たちは芯の強い娘たちです。私など、ちょっとした手助けしか出来ていないですよ」

 

「それに、曹操、北郷を通じてなのかも分からんが、あんたのこともそれなりに信頼しているようだね」

 

「私は私のやりたいようにやっているのだけれど。でも、陛下の信を得ているとあれば、それは喜ばしいことね」

 

一刀らしい、華琳らしい、それぞれの返答。

 

それを聞く馬騰の顔にも微笑が浮かぶ。

 

好感触だな。そう感じ、気を緩めかけた次の瞬間、一刀は冷水を浴びせられたようになった。

 

「確かにあたいは陛下の忠臣だ。直接文を頂いた以上、これに従うのが定石だろうね。

 

 だがね…………あたいは陛下の忠臣である前に”漢王朝の忠臣”なんだ。

 

 あたいが最も恩義を感じ、臣たることを誓ったのは劉宏様。勿論、漢王朝の、さね。

 

 いくら現陛下のご意志と言えど、この漢王朝を滅ぼすことに力を貸せと言われて、あたいは頭を縦には振れない。

 

 この馬寿成、最初で最後の我が儘を言わせてもらおう」

 

僅かに間を空ける。既に一刀は、否、魏の大半の者は嫌な予感で一杯だった。

 

「陛下が信を寄せるあんた達――特に北郷、あんただ。

 

 陛下のご決断が果たして正しかったのかどうか、あたいはあたいのやり方で見極めさせてもらうとしよう」

 

「……つまり、我々に敵対する、と?」

 

「はっ!よく分かってるじゃないか。

 

 全く、そういうこと、さねっ!!」

 

「っ?!…………かっ……はっ……!」

 

「一刀っ?!どうしたと言うのだっ?!」

 

「一刀!大丈夫なのか?!」

 

突然身体を折り、苦しみだした一刀。馬騰はただ返事をしただけである。語尾の強調くらいしか変わったところなど無かった。

 

心配する声を掛けながら、キッと馬騰を睨む春蘭と秋蘭。

 

普段は何事にも動じない華琳までもが、突然の出来事に目を?いていることが事態の異常さを際立たせている。

 

一刀の異変に突き動かされるようにして、咄嗟に恋は月を、梅は華琳を背後に背負う形を取った。

 

魏側の動きに対応するように、馬超を始めとした馬家の者達もまた、馬騰を庇うが如く動いていた。

 

俄かに場が騒然となり始める。

 

そんな中、一刀はたった今起こったことに慄然としていた。

 

たった一瞬。一秒にも満たないほんの一瞬の出来事だ。

 

馬騰は言葉を終えると同時に確かに闘気を飛ばしてきた――――はずだ。

 

その瞬間、一刀は、一刀の意識は、自身が斬られた、と強く”錯覚”した。

 

何が起こったのか、正確には分からない。ただ一つ言えること。それは、一刀は馬騰に気合のみで捻じ伏せられた、ということ。

 

「へぇ……やっぱり”出来る”ねぇ、北郷。

 

 あたいの”剣気”を受けてそうまで明確に反応した奴なんざ、月蓮の奴以来だよ。

 

 尤も、あいつにはあいつ自身の闘気で防がれちまったけどね。いや、剣気だったか?ま、どっちでもいいさね」

 

頭上に掛けられた馬騰の言葉に、一刀は再び、そして更なる戦慄を覚える。

 

闘う意志・気合を強く強く持つ者が、敵に相対した時に放つ威圧。それが”闘気”と呼ばれている。

 

その中に剣なりの得物が見えれば、それは”剣気”とも呼ばれるものになる。

 

己が得物に絶対の信頼と自信を持ち、その得物で敵を打ち倒さんと明確に且つ一層強いイメージを持つ。

 

それが引き金となって剣気を放つに至ることがある、と。一刀も話には聞いたことがある。

 

一刀の故国・日本にかつてあった武士の時代、そこには数多の剣気の使い手がいただとか。

 

それら闘気や剣気の存在程度ならば一刀も驚きはしない。

 

何より実際に一刀は恋の闘気を直に感じているのだ。一度目は虎牢関で敵として対峙した時に。二度目は劉備の魏領抜けの際、相手に対して放った時に。

 

つまり、一刀もそれらの存在を認めていると言えるのだ。

 

だが、話の中であっても、剣気をもって”斬りつけてくる”など、聞いたことも無い。

 

それも、現実に斬りつけられた時と変わらぬほどの痛みを錯覚させるほどの幻を伴うなど――――

 

「あ……有り得、ない……いくらこの世界でも、人間技とは、思えない……」

 

「はっ!褒め言葉とでも受け取っておこうかねぇ」

 

一触即発のような状態、しかも魏側が圧倒的に人数も多い。にも関わらず、馬騰はこのように余裕綽々な様子。

 

それにも一刀は得心がいっている。

 

ここに集う武将の中で、馬騰だけは明らかに別格。まさに次元が違うと言えるほどであると感じていた。

 

不幸中の幸いか、まだ誰一人として得物を抜いている者はいない。ただ、戦闘態勢だけは整っているために、安心は出来ない。

 

「華琳……交渉は完全に失敗した……

 

 ここはすぐに退がるべきだ」

 

唇を読まれないように顔は伏せたまま、小声で一刀は華琳に提言する。

 

そうしてからどうにか立ち上がり、一刀もまた華琳を、さらには他の皆をも庇うように、最前に出た。

 

「……ぁ……え、ええ、そうね……」

 

一刀に声を掛けられたことで華琳も我に返り、すぐに頭を回転させて一刀と同様の結論に至る。

 

危うい均衡が崩れないよう注意しながら華琳が魏の面々に退くことを命じようとしたその矢先。

 

恋がゆらりと一刀の隣まで、そのまま更に先へと進み出てきた。

 

何事かと問い掛けようとするも、恋の只ならぬ雰囲気に一刀の背に悪寒が走る。

 

「っ!恋!待て!」

 

「あんたら、そこ退いときな。あいつはまだ、あんたらの手に負える相手じゃあないよ」

 

一刀が恋を制止する声と馬騰が娘たちを自身の前から除けるために発した声は同時だった。

 

そして。

 

「…………お前、一刀、攻撃した。

 

 ……恋の、敵っ!!」

 

「恋っ!!」

 

馬騰の剣気によって、一刀の体は半ば金縛りのような状態にあり、完全に自由なのは発言機能のみ。

 

そうして辛うじて発された一刀の制止の声は、しかし恋には届かない。

 

恋は瞬時に得物を構え、猛スピードで馬騰に接近し、激烈の一撃を馬騰目掛けて――

 

「はぁん。悪くないね。だが……」

 

短く発された馬騰の言葉と、その直後に甲高い金属音。

 

恋の戟は振り下ろされたはずだった。ところが。

 

「…………え?」

 

恋にしては珍しく困惑の色に染まった声。

 

それも無理は無い。なぜなら、恋の手からはいともあっさりと戟が弾き飛ばされていたのだから。

 

「なっ?!あ、あれは……い、いや、そんなはず――――っ!恋!退けぇっ!!」

 

「まだまだ未熟だねぇ、呂奉先っ!!」

 

「っ?!……かはっ……」

 

戸惑いに身を固めた数瞬。そこに割り込められた馬騰の痛烈な一撃を、恋は避けることすら出来ず、もろに受けてしまったのだった。

 

圧倒的な馬騰の膂力によって中空へと高く飛ばされた恋。

 

気絶してしまったのだろう、その四肢は力なく身体に追随しているのみである。

 

「恋っ!!」

 

ようやく体の自由を取り戻し始めた一刀は、未だ動きの鈍い己の体に鞭打って駆け、恋をどうにか抱き留める。

 

「恋っ!しっかりしろ!恋っ!!」

 

推察通り、一刀の腕の中に納まった恋は、すっかり気絶してしまっていた。

 

一刀は恋に呼びかけつつ、傷の深さを探ろうとする。と、そこへ馬騰からの声が掛けられた。

 

「安心しな、北郷。斬っちゃいないよ。強く当てただけさね。

 

 だから、奉先を連れてさっさと消えな」

 

「……見逃してくれる、と言うのか?何故?」

 

「はっ!あんたにはあたしと鶸と蒲公英、三人も助けられているからね、今回はそれに免じてやろうってことさ。

 

 それに、さっきのはあんたらを試すためとは言え、こっちが先に剣気は放っちまってんだ。

 

 たった一人のたった一発くらい、どうってことは無いさね」

 

「そうか……分かった。ここは退かせてもらう。ただ――」

 

「ああ、あんたの言いたいことは大体分かるよ。

 

 だが、あたいは宣言を翻すつもりは毛頭無い。次、会う時は戦場だね。

 

 あんたの器、果たして陛下のご期待にきちんと添えるほどのものかどうか、しかとこの目で確かめさせてもらうとするよ……」

 

それ以上、双方の間には会話は無くなってしまった。

 

一刀はくるりと身を翻し、完全に馬騰に背を向ける。

 

ある意味で馬騰を完全に信頼した、無謀とも取れるその行動は、一刀の声無き宣言でもあった。

 

華琳に視線で合図を送って号を発してもらい、魏の面々は撤収を始める。

 

去り行く一刀の胸中には、ただ一言が深く刻み込まれていた。

 

いつか必ず証明して見せてやる、と。

 

 

 

 

 

 

-4ページ-

 

 

 

 

 

 

西涼を発ち、許昌へと向かう一団を包む空気は、重い。

 

主たる理由として、やはり華琳の様子、そして恋の状態にあるだろう。

 

華琳は己が目論見、目測がここまで大きく且つあっさりと外れてしまったことにショックを受けたか、俯いてはおらずとも、一言も発していない。

 

そして、恋は未だ気を失ったまま、一刀に抱きかかえられていた。

 

アルも背に乗る二人の様子を理解しているが如く、極力体を揺らさずに走行を続けている。

 

そのアルの隣には赤兎が主を心配するように並走していた。

 

誰も、何を言うべきかも分からず、それが沈黙に繋がって更に空気を重くしている。

 

いつもであればこんな時にそんな空気を切り裂かんと一刀が何かしら話題を提供したりするのだが、この日に限っては一刀もまた思考の海に沈んだまま帰ってきていなかった。

 

そんな空気のまま、実時間以上に長い半刻が過ぎた頃、ようやく隊の状況に変化が生じる時が来た。

 

「…………ぅ……ぁれ……?」

 

「恋!気が付いたか!」

 

僅かな身動ぎと微かな声に気付き、一刀が恋に声を掛ける。

 

その一刀の声に反応し、華琳と月を筆頭に将たちが続々と恋の様子を伺いに詰め寄ってきた。

 

皆が皆、口々に恋に心配の声を掛ける。

 

当初、ボーっとして現状を把握出来ていないようであったが、自信を抱きかかえる一刀を見、周囲のやけに静かな行軍の様子を見などしている内に次第に思い出してきた様子だった。

 

そして全てを把握した恋は、途切れ途切れの言葉をポツリと漏らす。

 

「…………恋、負け、た……?闘い、で……?」

 

「……あれは仕方が無いよ、恋。馬騰はまさに”化け物”だった」

 

一刀が恋を慰めるように、自身が感じたことを言葉にする。

 

だが、直後に恋の様子が少しおかしいことに気が付いた。

 

一刀の言葉を聞いている様子が無い。どころか震え、何かに怯えているようにも見える。

 

恋の口が動いているのを見て、それを聞き取ろうと耳を傾けようとした時には、恋の声は一刀にも聞こえる程度には大きくなっていた。

 

「……ゃ……ぃや……一刀、捨て、ないで…………」

 

「恋……?おい、恋、一体何を――」

 

「…………恋、もっと頑張る、から…………強くなって、一刀と月、守る、から……」

 

「っ」

 

恋のか細い声を聞き、一刀は理解した。

 

恋は未だに過去の呪縛に囚われたままだった。

 

月が恋の心の氷を溶かし、一刀が身に絡みついた鎖を解いた。それで恋は自由になったのだと、一刀も月も本心からそう思っていた。

 

だが、違ったのだ。

 

かつて、恋が”いっぱい考えて”出した答え。それは自身の価値はやはり武にしか無い、とでもいった感じであったのだろう。

 

事実、月に出会うまでの恋は、数多の主君からそう扱われてきたのだから。

 

その”唯一の価値”が、馬騰に対しての敗北により失われた、と。恋は今、そう感じてしまっているのかも知れない。

 

そこまで推察した瞬間、一刀の体は理屈など関係無く動いていた。

 

「恋っ!」

 

「っ?!…………かず、と……?」

 

ギュッと力強く恋を抱きしめる一刀。その行為により、恋は我に返ってきた。

 

その恋の耳元で、一刀は極力優しい、しかし力強さも保ったままの声で、恋の間違いを諭す。

 

「恋、俺は以前、恋にこう言ったはずだ。『恋はもう自由なんだ』って。

 

 武の力量のみで恋が見られることなんて、もう無いんだ。

 

 落ち着いて周りを見てみろ。華琳でも月でも、他の誰かでもいい。誰か一人でも恋を切り捨てようとしている奴がいるか?」

 

一刀の言葉に促され、恋はゆっくりと見回す。

 

恋の目に映り込むのは、芯から自身を心配する瞳、瞳、瞳。

 

その中には一欠片とて侮蔑や嘲笑、嫌悪といったマイナスの感情は見当たらなかった。

 

恋の瞳が揺れる。今までに遭遇したことの無い事態なだけに、どう反応していいのかが分からないのだろうか。

 

なおも一刀は恋を抱きしめたまま、今度こそちゃんと伝わってくれと念じ、言葉を掛けた。

 

「以前にも言った通り、もしも恋の本心が戦から離れたいのであれば、誰もそれを咎めるつもりなんて無い。

 

 皆、それを受け入れ、恋に新たな、ぴったりの仕事を探してくれるだけの話になるだけさ。

 

 それでもまだ、”武”による貢献だけしか考えられないのだったら…………

 

 強くなろう、恋。一緒に。俺も恋も、まだまだやれることはある。まだまだ強くなれる余地はあるんだ。

 

 だから、恋。もう泣かないでくれ。

 

 何があろうと、恋は俺の、俺たちの、大切な”仲間”なんだから……」

 

「……………………ぅん」

 

聞き取れるか取れないか、本当に微かな声ではあったが、恋は確かに頷いてくれた。

 

「…………一刀」

 

「ん?どうした?」

 

「………………ありが、とう」

 

「……うん。今はゆっくり休め、恋」

 

「……ん」

 

一刀のこの言葉にようやく安心出来たのだろう、暫くの間安らぎを求めるように一刀にしがみついていた恋は、やがて静かに寝息を立て始めた。

 

周囲に集まった皆には一刀が軽く頷いて見せる。

 

皆、それで納得し、安心したようで、一様に安堵の溜め息を吐く。若干一名程、羨ましそうな安心したような複雑な表情であったが。

 

そんな皆の様子を見て一刀は最後にもう一度、心の中で恋に語り掛けていた。

 

(皆、これだけ恋という人間を好いてくれているんだぞ?

 

 だから、もっと自分に自信を持っていいんだからな……)

 

 

 

 

「ふぅ……皆、聞いてくれるかしら?」

 

恋が寝息を立て始めて暫く、突然華琳が皆に呼びかけた。

 

すわ、何事か、と皆一斉に華琳に振り向く。

 

全員の視線が集まったのを確認すると、華琳は一呼吸だけ置いてからこう宣言した。

 

「皆に謝罪するわ。特に、一刀、貴方に。

 

 どうやら私は、多少の変事はあろうとも今まで上手く行き過ぎていたことに知らず胡坐をかいてしまっていたみたいね。

 

 我が覇道を歩むに当たり、少しだけ方針を変更するわ。

 

 今後は”人の和”こそ重んじ、”天の時”はある程度疑って掛かることにしましょう。

 

 皆……今回は完全に私の失態だったけれど……まだ私についてきてくれるかしら?」

 

華琳のその言葉に返事は無かった。否、言葉にする必要も無い、と皆の瞳には明確に記されていたのだ。

 

自分たちは華琳だからこそ、いつまでも従い、ついてゆくだけだ、と。

 

「…………皆、ありがとう。

 

 ならば、まずはさっさと許昌に帰り、疲れを癒すとしましょう」

 

各々の胸中に様々な想いの影を落とし込んだ西涼における一幕は、こうして幕を下ろしたのであった。

 

説明
第八十七話の投稿です。


区切るタイミングを逃して……
こうなるのだったら前話をもう少し長くしとけば良かったかな?
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コメント
>>marumo様 夏候姉妹も桂花もその方向へと進ませなかったとなりますと、もう華琳のあの設定は抜いてしまってもいいかなぁ、と考え、こうなっておりますね。(ムカミ)
馬騰つえぇな!  恋可愛い持ち帰りたい。  しかし華琳は春蘭秋蘭食べれて無いって事は誰も食べてないのかな?(marumo )
>>心は永遠の中学二年生様 『強いる』という部分については次話にて少し補足を入れています。ただ頭ごなしに強いるわけでは無い、という程度ですけれど。ただ、上が決めたことだから、と盲目的に従うだけが”忠臣”では無い、と個人的に思っていますので、馬騰にはこういった行動を取ってもらいました。馬騰の査定の中に”戦闘”が入ってくるのは……まあ、元々の作品や外史の話の流れの(というか完全に作者の)都合です。見極めの為にただひたすら側に付いて回り、言葉を交わすだけで終わりまでいってしまうのでは、私の腕では盛り上がりどころを作れそうになかったので……そこは申し訳ありません(ムカミ)
馬騰の主張って最悪ですね…漢の終わりを望む皇帝の意思を理解しながら、「漢王朝の忠臣」って名乗りつつ、涼州に住む漢の民に「本当に得るものなんて欠片もない戦争」という負担を強いる、自己満足で戦争起こして何様のつもりなんでしょうね?(心は永遠の中学二年生)
>>如月様 ありがとうございます!一応作中の馬騰の台詞にも入れてあるのですが、今この場での早急な見極めと戦闘は見送ること、それと恋が攻撃したことに関して不問に伏すこと。これらによってチャラにした、といった感じです。(ムカミ)
初めて書かせてもらいます。 面白かったです。 馬騰つよいですね〜。 一つ質問なのですが、間接的にとはいえ馬騰は一刀に借りがあると思うんですが、その辺りってどうなんですか? (如月)
>>nao様 以前に少しだけ話したかと思いますが、(半分以上バレバレなのに)今まで伏せていた本外史におけるチート二人が孫堅と馬騰となっております。まあ、所謂ラスボスですね(ムカミ)
>>本郷 刃様 ありがとうございます!ただただ強いだけの恋も好きですが、挫折も経験した恋であればより高みへと到達出来るだろうと思いまして。書いていて少し不安でしたが、受け入れて頂けそうで何よりです(ムカミ)
>>アストラナガンXD様 翠にはそれほど礼儀知らずな行動は取らせていないつもりなのですが……まあ、今回は華琳の強硬策とその失敗を描きたかったので、翠には正論を言わせたつもりです(ムカミ)
交渉決裂か〜しかし恋がこうもあっさり負けるとは馬騰どれだけ強いんだよ^^;(nao)
恋の心の弱さが出てきましたね、原作でも他の外史でも中々無い描写なのでグッときました・・・(本郷 刃)
“礼”の無い輩ほど礼儀云々と喚く。(アストラナガンXD)
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