AEGIS 第四話『合流』(3)
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AD三二七五年六月二四日午前三時四三分

 

 珍しく雪の降る日だった、それがルナの抱いていた最初の感想。

 あの日、仕事が忙しかった父が三日ぶりに帰ってきたからみんなで食事にでも行こう、そう言って家を出た。

 それが悲劇の始まりだとは思いもしなかった。

 そして、少し歩いたところで突然の閃光。

 そのたった一つの閃光が、家族を、思い出も、全て奪った。

 一瞬だったので何が起こったのかは覚えていない、それがあの事件での第二の感想。

 目が覚めたら、血の海があり、そして自分の左腕は重度の火傷を負っていた。

 これが俗に言う血のローレシアだった。

 それを再度体験した彼女の視界が、突然漆黒の闇に包まれた。

 そんな中で浮かび上がってくる何かがある。

 左半身に刻印を刻み、左腕が変貌し、瞳が赤くなっている、自分の分身。心の中に潜む『何か』だった。

『弱いままだな』

 それは、にやりと不気味な笑みを浮かべながら静かに言った。

「うるさい! 強くなるって決めたんだから! あれに囚われずに生きるって決めたんだから! あんたごときにとやかく言われる筋合いはない!」

 ルナは必死にそう言い返す。

『弱い存在に用はない』

 その言葉を言うと、急に、左手が軽くなった。ふと覗いてみると、無い。それと同時に、自分の存在が暗闇と同化していく。

『消えろ、そして楽になれ』

 光が差し込まなくなった瞬間、夢が覚めた。

「嫌ぁっ!」

 体を思いっきり起こす。心臓の音が張り裂けんばかりに自分の鼓膜を刺激している。

 一度、頭を振るった。何度か深呼吸して呼吸を整える。

 やっと、落ち着いた気がした。左腕を確認しても、特に異常は見受けられなかったし、暗闇ではなく、少し明るく電灯の付いた自分の部屋だった。

「夢か……。嫌な、夢ね……」

 ルナは額の汗を拭う。気づけば体中汗だくになっていた。そして、その時に彼女は涙も流していたことに気付いた。涙をぬぐった。

 腕にある火傷がまた疼いた。

 彼女はこういう悪夢によく襲われる。それは過去に固執しすぎている証であるかもしれないと、ルナは何処か感じていた。

 夢と正反対のことを感じてどうすると、一生懸命否定しようとするが、時間の無駄だと諦めた。

 その上、自分の中にはまた何か違う自分がいる。だから彼女は今更悪夢にうなされ、そしてそれに怯える。

 情けない、彼女は自分をそう思うことがある。

 その時、彼女はここでようやく風呂から上がった後そのまま寝てしまった事実に気づいた。

「いけない、風邪引いちゃう……」

 彼女はしょげた様子で寝間着に着替えようとするが、今更もう一度寝ようという気が起こらない。目が冴えてしまった。その上もう一度眠りについたらまたあの悪夢に魘される、そんな気がした。

 だから彼女は洗面所に放ってあったベクトーアの軍服とも思えるジャケットとスラックスを身につけ、軽く髪の毛をとかした。

 起きて溜まった仕事でも片付けよう、そういう方が、気が楽だった。

 そして四時間後、午前七時〇三分のこと。彼女は書類片手に大きな欠伸をしていた。

 低血圧の怠さが今更彼女を襲う。父も兄も抱えていた、いわば遺伝の持病みたいなものだった。

 そのクセ従姉妹であるレムは血圧が普通と来た。理不尽だと、何故か思うときがある。

 半分徹夜状態で仕事をしていて疲れている。その上自分の妹がコンダクターになった。それが普段の判断力を低下させているのだろう。

 そんな中、部屋に通信が入った。怜からだった。ベッドサイドにある通信パネルが彼の不機嫌そうな顔を示す。

 ルナは急いでベッドサイドへ向かった。

『あいつが目を覚ました。来たけりゃ来い。ただし俺を起こすな』

 その一言だけ言って通信は切れた。

「あ、ちょっと!」

 返そうと思ったらもう既に切られている。目の前のモニターは真っ黒だ。

 ルナは大きくため息を吐いた。

 レムの目は覚めたが、喜びの心境とはほど遠い。

 これから彼女はレムに彼女がコンダクターとなったことを言わなければならない。だが、それは同時に人であることのアイデンティティを捨てろと言っていることと同義語だ。

 出来る限りショックは抑えてやらなければならない。妹に対して最低でもこれくらいの気遣いをしてやるのが姉としての努めだと彼女は思う。

 だが、それがショックで本当に二度と立ち直れない状態に自分がしてしまったらどうする?

 そんな不安にも駆られたが、後々で分かったって、今分かったってそう変わらない。いずれレム自身が知らなければならないことだ。

 だから彼女は腹を決めた。

 正直に言おう、と。

 ルナはベッドから出て、部屋を出ると、レムのいる医務室へと重い足取りで向かった。

 叢雲の全長は実に五〇〇メートル近くある。そのうち三分の一は背部にあるジェネレーターユニット、残り三分の一は整備デッキや武装ユニットであるため、一般的な施設は残り三分の一ほどである。

 しかし、五〇〇メートルの三分の一というとそんなに距離がないように感じるがこの戦艦は何層にも重なっているため実際に居住ブロックから医務室へ向かうためにはエレベーターを二階分下って更に九〇メートル歩いた後にあるエレベーターに乗ってそれで一階下った先五〇メートルにやっとあるのだ。

 かなり億劫である。それが余計にルナの気を重くする。

 だが、歩き出してしまったのだからもうしょうがない。後戻りなど、出来やしない。

 それが一番わかっているのは彼女だ。現実は真摯に受け止めなければならない。それが今までの人生で学んだことだった。

 そして長い通路を伝って医務室に着いてみると、そこにはレムがベッドを背もたれに起きあがっていた。

「あ、姉ちゃん、おはよ」

 レムはいつもと変わらない表情をしていた。いつものあどけなさの残る明るい表情。そして朝から無駄に元気よさそうな血色のいい表情をしている。

 それがルナには痛かった。ため息をついた後、レムのベッドの横にいすを用意して座った。

 何から話していいものか悩む。

 だが言わなくてはならない。口の中の唾を飲み込み、一大決心の元、レムに話を持ちかけた。

「レム……その……」

「私の背中に生えたあれのことっしょ?」

 あっさり言ってのけたことが、逆にルナには怖かった。

「あれは……」

「知ってるよ。発症したんしょ?」

 あっさりと言い当てられた。しかもその言葉の言い方には吹っ切れた間すら感じられる。

 さすがにルナもこればかりは予測できなかった。

 こういうのに限ってどうして予知能力出てくれないのか、と今更嘆く。

「なんで……そこまでわかるの?!」

「夢に出て来た」

「は?」

 ルナは当然聞き返した。

 その後、レムは夢の中の一部始終をルナに話した。

 随分とまた興味を啜られる話だった。アイオーンの殲滅をアイオーン自ら頼んできたのだ。これ程傑作なことがあるかと、笑い転げそうになった。

 聞き慣れないアイオーンの名『セラフィム』、そしてプログラムというやたら機械的な言語の意味合いは何なのか、考えども答えは何一つ浮かばない。

 そして、そんな考えている最中でもレムはいつもの調子を崩さない。ルナはふとそんな様子のレムに聞いてみた。

「それはいいとして、いいの? コンダクターに目覚めたってことは、人であるってことを捨てるって言う意味合いもあるのよ?」

 ルナの一言にもレムはいつもの態度を崩さなかった。

「別にいいよ。これ自体、一種の戒めだと考えれば」

「戒め?」

「人間に対する戒めってこと。たぶん神様からの。ゴッドか、デウスか、ヤーヴェか、アッラーか。ま、どれも同じ神だけどさ」

 レムはアイオーンが一種の神なのではないかと考えていたらしい。

 アイオーンの言葉の意味合いは古代語で天使を意味している。先ほど出現したのはアイオーンだ。要するに神の尖兵がやってきて自分に対して罰を与えたとそう考えたようだ。

 そう思うからこそ、彼女は気が楽でいられるのだろう。

 もう呆れるほか無かった。学校の理系の成績はとてつもなくいいクセに、神とか非現実的な物は割といても不思議ではないと考える傾向が、レムにはあった。

「神、ねぇ……。いるんだったら嫌な神ね、それも」

「だろーね。それにさ、さっきの話に戻るけど、やっぱどうあろうと私は私だもん。能力が発症したって、どうあったって」

 どうせ自分の中にもう一つ何かが有ろうと自分が確立されていることに変わりはなく、そして、自分が自分であることは不変の物。

 そんな風に割り切れるのはレムの心が強いからだとルナは感じ取った。

「強いのね、あなたは」

「そんなに私は強くはないよ。今を生きることだけで私精一杯だもん。他のことなんか考えてたら頭が変になりそうだよ」

 ここでようやくレムは少しだけ影を見せた。実際にショックがないと言えば嘘になるのだろう。

「お母さんが死んだときに思ったんだ、もっと明るく考えてれば、お母さんも死ななかったんじゃないかな、ってね。多分、それが今の私を決定づけたんだと思う」

 今まで見たことのない程、深い影をレムは落とした。

 ルナは母という物を知らない。自分が生まれてすぐに死んだらしい。そして、レムは四歳まで母と一緒だったが、その母は死んでいる。

 誰もが心に傷を負っている。傷を負っていない人間などいやしないのだ。

「って、私はなんでまたこんな話を朝っぱらからしてんだろ。バカか私は!」

 急に切り返した。普段の明るい表情になる。特に無理矢理やっているという様子もない。

 だからルナにはそんなレムが羨ましい。簡単に割り切れる思いや何もかもに向けられるポジティブな感情。それが欲しいと何度も願った。

 だが、そう簡単に性格を変えればいいと言うものではない。ルナは決して、他人をいたわる優しさという名の美徳を捨てるべきではないのだ。

「そう言えば姉ちゃん、顔色悪いよ? どしたの?」

 レムにかえって励まされている自分がいた。そんな自分を余計に情けなく思った。

「なんでもない……なんでも……ない……」

 ルナは自らの拳を、強く握った。少しだけ、視界がかすんだ。

 泣いていることに、気付いた。

 血のローレシア以来、いや、子供の時から自分は物事をネガティブな方向にばかり考えてしまう時があった。

 しかしそれをレムは感じ取ったのか「朝から暗い気分にさせんなぁ! 何度言わせりゃわかるんじゃぁ!」と、大声で怒鳴ると同時に、思いっきりルナの頭に手刀を与えた。それはもうルナの頭がめり込まんばかりに、だ。

 彼女は悶絶して頭を抱える。

 痛い。言葉にならない意味不明の言語が口から迸っているのを少ししてからルナは検知した。

 そして復帰後「な、何すんのよ?! はげたらどうするの?! 若ハゲなんて美少女にあるまじきステータスじゃない!」と怒鳴りつけた。

「暗い気分吹っ飛ばすにはこれくらいするのがいいっしょ? つか、美少女? 姉ちゃん、言ってること痛い」

「あう……今のはやっぱしまずかったか……」

 一度頭を抱えたが、すぐに立ち直った。

「っていうか、さっきのもう少し加減ってもん考えてよ! あたし寝てないのよ?!」

「んなもん知ったこっちゃな〜いも〜ん」

 レムの言っていることの方が正しい。故にルナはついにカチンと来た。ここで彼女はレムが病人であるにも関わらずコブラツイストをかける。

「姉の言葉には従うの! 妹ってーのは姉に対し絶対服従! 目上の人の意見には従うべし! これ世の中の常識! わかった?! ん?!」

 なんかどう考えても大概がルナの中だけの常識であるようにしか思えない。

 その間にもレムの表情が苦悶に満ちていく。というより、蒼い。

「ぐ……ぐるじ……」

 レムはルナの手をばんばん叩く。

「ギブ?」

「ギブアップ!」

 ルナがレムを離す。その表情は、不敵に笑っているようだった。

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 まったく、なんて姉だと、レムは心底感じていた。

 異様に暗かったかと思えば、すぐに復活してあろうことか病人である自分にコブラツイストを掛けてくるとはなんたる姉だろう、とも思った。

 玲曰く、どうも倒れていたのはコンダクターの能力負荷が掛かりすぎたことと、失血による貧血が原因らしい。今は回復し、点滴も外してある。

 医務室の扉が開いた。誰かビタミン剤でも処方してもらいに来たのかと思ったが、開いた瞬間に、心臓のうなりが止まらなくなった。

 村正が、いる。

 侵入されたのか。一瞬、レムはそう思い、「村正?!」と、声を上げて驚いた。

 だが、よくよく見てみれば腕は義手だし、髪の毛は逆立っていないし、左頬には顔半分を覆わんばかりに巨大な十字傷がある。

「そいつたぁ別人だ。俺は鋼なんて呼ばれてる」

 鋼は静かに言うが、言葉の端々に殺気立った印象がある。何があったのかについては、聞こうという気は起きなかった。

「あ、なんだ。あんたが鋼?」

「で、てめぇが、フレーズヴェルグの義理の妹とやらか?」

「ありゃ、聞いたんだ。外ではソードダンサーとかサイバネティクスピクシーとか呼ばれてたりするんだよ、私は」

「ソードダンサーなんざぁ聞いたことねぇぞ。後者は傭兵の間でもかなり有名だがな」

 ソードダンサーは彼女の自称だ。聞いたことがないのも無理はないかもしれない。

「ま、そんなもんだろうね。本名はレミニセンス・c・ホーヒュニング。ちなみにcはconcequenceの略。だから正式名称はレミニセンス・コンセクエンス・ホーヒュニングとなるわけさ」

「……あんだって?」

 確かに長いがミドルネームまで完璧に言った場合、彼女の本名はこうなる。

 鋼も聞き返して当然だ。長すぎる。そのおかげで彼女にも悩みとして長すぎるが故にフルネームを空で言える友人の少なさという点があった。

 しかも大概の連中が一度で名前を覚えてくれない。そのことはレムもわかっているからか「ま、長いと思うよ、自分でもさ」と軽く答えただけだった。

「そう言えばあなたの名前なんて言うの?」

 ルナが聞いてきた。どうもこの姉は好奇心が旺盛すぎる。

「俺か? どうせすぐに消える。教える必要はねぇだろ」

 鋼の言い分はもっともだ。傭兵であるが故に、雇われる人間に情を移す必要など存在しない。逆に名前など教えられれば情が移る一方だ。

 だが、ルナは例え傭兵だろうが一兵卒であろうが、一つでも名を覚え、語り合おうとする。それはルナの美徳でもあると、レムは考えていた。

「ちょっと、今の態度は結構気にくわないわね。喧嘩売ろうってんなら買ってもいいわよ」

 ルナが立ち上がり、腕を鳴らす。流石にああいわれると彼女の方としても頭に来るのだろう。

「やろうってんなら俺ぁここでも構わねぇぜ」

 鋼とルナは、互いに身構える。そして、一度互いに少しかかんだ瞬間、医療班班長質の扉が蹴破られた。

「るせぇんだよ、ピーチクパーチク! 俺様が睡眠できねぇだろうが、このボケ!」

 案の定、玲が出てきた。殺気の度合いが並ではない。趣味の睡眠を妨害されたことが相当彼としては癪に障るようだ。

 しかし、それと同時に鋼の表情が唖然としていた。どうも医者の憤怒にだけ、唖然とした表情ではなかった。

 そんな鋼から出た言葉は、ただ一言。

「てめぇ、華狼でくたばったんじゃ……?」

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 唖然とした。鋼からしてみれば、何故この男がまだ生きているのか、さっぱりわからない。

 軍需関係の雑誌で読んだことがあったが、ベクトーアには玲・神龍なる怪しげなナノマシン工学の第一人者がいるという。

 恐らく彼がそうなのだろうと思ったが、しかし、今の口調、叫び方、何より静かに巡らせている闘気は、明らかに昔、自分に義肢を付け、両刃刀技術を教え込んだジェイス・アルチェミスツそのものだった。名を偽ろうとも、こういう生来の覇気だけは偽ることは難しい。

 元々アルチェミスツ家は文武両道を志し、紅神を常に力の象徴として祭り上げてきた創世記から続く華狼の名門である。

 その嫡男である彼は昔、『ジェノサイダー』なる異名を持ち戦線を転々としていた。そんな中で、重傷を負った鋼は彼に拾われたのだ。

 何故拾ったのか、それについては教えてくれなかった。

 そして数え年で一四になった秋、何を思ったのか、玲-ジェイスは鋼に紅神を引き渡した。独り立ちしろと、その時に彼は言った。

 本当に持って行くべきなのかは、迷わなかった。あの当時、自分にはあのゲリラの村で惨劇を繰り広げたあの男を殺すことしか考えていなかったからだ。しかし、年を取るにつれ、自分のやったことが本当に正しかったのか、疑問に感じ始めた。

 紅神を貰ってから三年後に、ジェイスが死罪になったと耳にしたが、それと同時にたった一日で脱獄した後、数ヶ月後にあろうことか研究中だった医療用ナノマシンを取引材料にベクトーアに亡命したという噂も耳にした。

 それを頼りに、鋼は玲が生きていることを諦めなかった。

 そして、その男は唖然としながら自分の目の前にいた。

「あぁ? どうして知って……って、まさか、俺が紅神与えたあのガキか?!」

 声も同じだ。間違いなくこいつがジェイスだ。

 だが、なんだか異様に腹が立ってきた。考えてもみれば、言いたいことが山ほどある。

「よぅ、久しぶりだな、師匠さんよ」

 鋼は思いっきり玲の肩を叩いたが、玲の方は特に痛がる様子を見せていない。軽く触れても、衰えはしたが結構筋肉があるからだろう。

「俺としてはてめぇの顔はもう一生見たくなかったんだがなぁ。相も変わらずの脳みそ腐ったような面構えしやがって」

 玲は軽快に笑い飛ばすが、もう上っ面だけであることがバレバレだ。目が笑っていない。むしろ、目の前にいる獲物をどうやって殺すかと考えている獣の目である。

「はっはっは、俺もてめぇの面なんざぁ二度と見たかなかったぜ? いんや〜、こんなとこで会うたぁ人生ってわかんねぇもんだよなぁ、あぁ? 藪医者さんよぉ」

「そうだなぁ。ま、こっちとしてはいつでも殺せるタイミングが整っただけありがたいと見るべきなんだろうな、竹みてぇに空気しか入ってない空っぽのおつむしか持ってねぇクソガキ」

「ど、どしたの? つか、何があったの?」

 ルナが明らかに引いている。そしてこの一言に対して二人は強烈に殺気だった目でルナに向けると同時に、互いを指さした。

「この藪医者野郎、昔俺にナノインジェクション施されて病原体にかからねぇのいいことに飯にサルモネラ菌入れて実験しやがったんだよ!」

「このガキぁそれに恨みもって俺の武器ケースに有線爆弾仕掛けやがったんだよ!」

 そう大声で言うと、一度頭が冷静になった。すると玲が鋼の腕に目をやる。こういう時、彼は普段の悪い目つきが更に悪くなるということを、鋼は思い出した。

「アーマードフレーム随分ガタが来てんな」

 一瞬でアーマードフレームの調子を見抜いた。さすがに見る目は衰えていない。

「だがめんどくさい。野郎を入れるのはすんげぇやだ。特にてめぇだったらなおさらだ、つか帰れ」

 一瞬玲に期待した自分が、鋼にはアホらしく思えた。

「てめぇなぁ……。これてめぇの制作物なんだからてめぇで仕事やれってんだ、給料ドロボー」

 その後、一〇分近く交渉して金の力で無理矢理鋼はアーマードフレームを見てもらった。

 この時、病室にいたルナとレムは引いていたと言うことを知るものはいない。

 玲の部屋に入ってみると、その乱雑ぶりは見事としか言いようがなかった。

 カルテの山が有るかと思えば実はその中心部にあるのはエロ雑誌の山だったり、周囲にはその雑誌に付いてきたポスターが所狭しと並んでいる。

 だがそのクセにベッドの周囲だけは片付けられている。睡眠は昔も趣味だったが、相変わらずのようだ。

 更にこれまた昔の趣味であるタバコのコレクションも相変わらずだった。十年前に比べ、明らかに量が増えている。

「部屋片付けろよ」

 最初に出てきたのはこの言葉だった。実際、そうとしか言えないほど汚い。

「この雑然とした空気がいいんじゃねぇか」

 さっぱりわからなかった。これでナノマシン工学第一人者と言うから信じられない気分になる。

「さてと、調整してやる」

 玲は机の上の工具箱を開けた。中にはアーマードフレーム調整道具が全て入っている。

 が、なぜか爆薬やら大型ナイフ、挙げ句に小型のチェーンソーまで明らかに趣旨の違うアイテムまで入っていた。

 鋼はすかさず工具を掴む。

「てめ、これで俺を殺す気だろ!」

「ち、ばれたか。野郎の相手なんざぁしたかねぇからこうやっておどしときゃぁ普通ならすぐにビビって退散するんだがな……。しかもてめぇだったらなおさらだ」

 とんでもない男だと、心底鋼は思った。

言っていることは完璧にセクハラ、その上医者のくせして患者を救う気ほとんどなし(女性とよほどの重傷者除く)というのは昔から変わらない。こんなのがよく医療チームの班長なぞやっていける物である。

 しかし、お前が調整した奴だろと言うと、玲は一度舌打ちをしてから、鋼の手をメンテすると言った。

 鋼は腕の付け根にある接続ボルトの強制解除スイッチを押して義手の連結を解除する。

 彼はそれを片手で持ち上げ玲に渡した。

「はいよ」

 玲はそれを受け取ると更に義手を分解する。各関節部から人工筋肉の繊維が見えた。

「鋼、これかなり無茶しただろ?」

「しょーがねーだろ。戦場じゃそれくれぇあったりめぇなんだよ」

「そうはいうけどよぉ、ここまでガタ来ててよく生きてこれたもんだ……。このままくたばっちまえば良かった物を……」

 玲の毒舌にいちいち構っていたらこっちが疲れるということを鋼はようやく学習した。それ故に完全無視を決め込む。

 まさか鋼にこんな忍耐力があるとは思わなかった。

 相手してくれなくてつまらんからか玲は思い出したように鋼に聞いた。

「足の調整は?」

「一応問題はねぇが昨日フレーズヴェルグに乗られて一回壊れた。その後俺がパーツで無理矢理レストアした」

「……調整してやる。料金五割り増しだ」

 玲は思いっきり頭を抱えていた。

 一方の鋼はもっと深く頭を抱えていた。

 ただでさえ少なくなってきている金なのに先ほど機体の改造費支払わざるを得なくなってきているわ、自分のアーマードフレームの調整費用取られるわで踏んだり蹴ったりである。

 破産申告でも申請するかねぇ……。

 そんな風にも思った。

 しかしどこに申請する気だ、鋼よ。

 なお、修理は意外なほどスムーズに事が運び三十分で調整は終了、その後鋼は部屋から無理矢理追い出されたのだった。

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 レムは唸っていた。

 先程、ブラッドがブラスカと共に来た時に持ってきた物はよりにもよって雀卓だった。最初は難色を示していたルナも、『飯代賭けようぜ』というブラッドの一言にすぐ乗った。明後日が給料日だ。出来る限り飯代は使いたくなかったのだろう。

 ブラッド、ルナ、レム、ブラスカの四人で卓を囲んで既に勝負は五回目。だというのに、その賭けをやろうと言い出した張本人が物の見事に最下位である。そうは言っても、自分も割と尻貧に近いのだが。

 恐らくブラッドがこんなことをした一番の理由は大方趣味の女遊びが過ぎて金がないからだろうとは思ったが、ブラスカの方も付いてくると言うのは意外だった。

 ともなってくると、恐らくブラスカもまた、趣味の車に金を費やしすぎたのだろう。

 しかし本当にこれがこの日に作戦を控えた部隊の行動なのだろうか。それ以前にこの部隊に規則という物は無いのか。

 そしてレムは唸った末に、安牌だと思っていた五萬の牌を横に置いてリーチし、千点棒を置く。

 が、その瞬間ブラッドは「ロン」と言い放った。

「リーチ一発サンアンコー、後は、ドラ一か」

 ブラッドはにやりと不敵な笑みを浮かべていた。

「げ、やっちゃったか〜……」

 レムは苦い顔をしながら片手で頭を抱え、渋々とブラッドに点棒を渡した。

 その後再び全員が牌をかき混ぜる。やかましい音が病室に響いた。

「次手加減しないよ」

 レムのその言葉を後目にルナはほくそ笑んでいる。

 何かあるなと、レムはすぐ分かった。

 だが、とりあえず今の状況をどうにかするかと、静かに、牌を捨てる。

 そして、三巡目にブラッドが牌を捨てた直後、不敵に彼女は笑い「ロン! 見なさい、世にもレアな純正九蓮宝燈よ!」と、強く言いきり牌の列を倒した。

「何?!」

 全員が驚きを隠せず彼女の方を一斉に向く。彼女は意地悪そうな笑みを浮かべた。確かに見てみると役萬である。まさかイカサマかと思ったが、この女はいつもこういう時の運はいい。

 早すぎるだろ。レムは呆れる他ない。

 そして、ブラッドの点棒は、ついに飛んだ。先程レムが渡した点棒も、ルナに持って行かれた。

 更にはチップまで消し飛んだ。大負けにも程があるくらい酷い。

「どーしてお前はここ一番で強いんだよ? 誰だよ、飯代賭けようって言ったの?」

 ブラッドの理不尽な問いに対し全員が『あんただよ』と一斉につっこみを入れた。

 一度集計すると、ブラッドの負けた点数がやはり桁違いだった。レムも相当やられたが、いくらなんでもブラッドのは酷すぎる。

 当然ブラッドの奢りが確定だ。

 頭を抱えているブラッドだが、ルナは更に追い打ちを掛けるようににんまりと笑っている。

 あれは当分の間集る時の顔だと、レムは知っていた。

 そんな時に、ふと班長室の扉が開き、鋼が辟易とした態度で出てきた。

 相当ふんだくられたなと、レムは感じた。案の定、鋼は溜め息を吐きながら玲に金を渡している。

 そして鋼が一度溜め息を吐くと、こちらを向いた。

「おめぇら、何やってんだ?」

「飯代賭けた麻雀や。ちなみに賭けしよう言うた本人がビリやで」

 ブラスカはにっと口を上げた後、ブラッドを親指で指した。

「じゃかあしい! 何で、なんで俺賭けやろうなんて言い出したんだ?! 甘いことに手ぇ染めるといつも変なことになりやがるんだよ、ちくしょー!」

 ブラッドは完全にヤケクソになっていた。その異様な暗さに全員が引きつる。

 しかしそんな中一人だけ冷静な人物がいる。

「飯代がやばいからでしょ? ほら、次行くわよ」

 ルナはやる気満々だ。これだけ勝てばそりゃやりたくなるだろう。

 しかしやろうとした瞬間にまた訪問者だ。アリスだった。

「いったいぜんたいあんたらは何やってんの?」

 開口一番、あきれ顔でアリスは言った。

「麻雀」

「んなもん見りゃわかるわよ。で、なんで?」

 ブラッド達は順を追って説明する。話を進めるごとにアリスの表情が呆れかえっていくのがわかった。

「あんたら、真の意味でバカね」

「悪かったな、バカでよぉ」

 ブラッドが切り返す。

「あたし曲がりなりにもバカじゃないわよ?」

「んなこと言ったら私だってバカじゃないよ〜、たぶん。一応IQ二四〇あるし」

 ルナとレムが立て続けに文句たれた。

 一応IQは高い。しかし、学校の成績はいいとは言えない。だからバカじゃないというのは多分でしかないのだ。だいたい頭の良さはIQだけで決まるものでもない。

「IQ二四〇?」

 鋼の一言にレムは一つ頷く。その後、鋼はじっとレムを見るやいなや、一言。

「こんなアホみたいなガキのどこにそんな頭が入ってンだ?」

 レムの額に青筋が立った気がした。

「阿呆はないでしょーが、バ〜カ」

 レムは左手の中指を立てて鋼を挑発する。

 鋼が額に青筋を浮かべた。どうやら相当来たらしい。

「今すぐ六浄豆腐作ってやるからそれの角に頭ぶつけて死ね、今すぐ死ね」

 いくらなんでも推定とはいえ当時齢二三の男がまだ当時一六歳の子供に本気で怒ってどうする。

 ちなみに六浄豆腐とはいわゆる『豆腐の角に頭をぶつけると死ぬ』とされているあの豆腐である。

 何故彼がこんな物を知っているのかは謎だ。

 だが、そんなことはどうでもいい。なんだか言動一つにも頭に来ている自分がいることにレムは気付く。

「痛むのイヤだろうから頸動脈一撃でばっさり切ってあげようか?」

「今すぐエアーズロックかグランドキャニオン連れてってやるからそっから飛び降りろ。今ならお得の供養とあの世への片道切符付きだ。料金はてめぇの保険金だ」

「腹切れ。介錯は私がやるからさ。ないしは市中引き回しでどうだろー?」

「それはてめぇが一人でやれ、ノータリンのクソガキ」

「うっさい、派手野郎。そのスカタンな髪の毛今すぐ手で引っこ抜いてあげようか?」

 その瞬間、ブチッと、何かが切れた音がした。

「このガキ……! 上等だ、コラ! 表出ろや! 怪我してよーが関係ねぇ、ぶっ殺す!」

 そう言われた瞬間、必死に抑えていた理性が飛んだ。

 気付けば、雀卓を思いっきりひっくり返し、鋼と対峙していた。ブラッドが「俺の麻雀セットがぁっ!」と喚く声が聞こえた気がしたが、無視した。

 体の調整とストレス解消にはもってこいだった。それで目の前にいるむかつく男をぼこれば問題なし、彼女の頭はそう言う結論に達したのだった。

 というよりもさっきコブラツイストをかけてきた姉への復讐の矛先が見事に鋼に向いた形となっただけだったが。

「なんだと! 人が下手に出てればいい気になりやがって! 上等じゃぁ! ヌッ頃す!」

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 もう呆れるほか無かった。

 小学生かと突っ込みたくなってくる低レベルな喧嘩と、互いに「ごめんなさい」を言わない意地の張り合い。何とも頑固だと、ルナは思った。

「あーあ、血気盛んねぇ、二人とも……」

「お前、こんな変な奴でいいのか、今回の任務……」

 ブラッドの一言にルナはこう切り返した。

「大丈夫よ。うちらみんな一言で言っちゃうと変人だから今更一人や二人増えたって別にねぇ」

 ブラッド達はもう何も言えなかった。

 しかし事も有ろうに鋼とレムは二人して病室で身構えている。

 が、ここで黙っておけるほどここの院長の心は広くない。玲はまたもドアを蹴破り病室に侵入してきた。

「てめぇらいい加減にしやがれ! こっちは寝不足だってーのにギャーギャー喚いてんじゃねぇってんだ、トンチキ共! これ以上暴れようってんならてめぇら揃ってこっから地上に放り投げっぞ!」

 玲はもう頭の血管がはち切れそうなくらい怒っていた。顔が憤怒に満ちている。

 これではいつ殺されるかわかったものではない。そう思ったルナは一目散に逃げたが、どうやら全員考えは一緒だったのか、みんな同じ方向に逃げてきた。

 しかし、こんなことで鋼とレムの気が収まるわけがなかった。そして、叢雲の中で決闘するという結論に二人はいたったようだ。

 この時から鋼とレムの犬猿の仲伝説が始まった。

 先程玲と殺気だった喧嘩をし、ルナとも喧嘩しそうになったにも関わらずすぐ喧嘩になる辺りで、鋼の学習能力の無さがよくわかる。

 しかし、出会ってからたった三〇分で喧嘩状態になるほど仲が悪くなると言うことはこの二人、元から相性良くなかったのだろうと、ルナは思った。

 同じチームには絶対に組み込めないと、溜め息を吐くばかりであった。

 結局話し合いの末に決闘場は整備デッキになったようだ。確かにあそこならばそれなりに広い。

 と、なってくれば報告に行かざるを得ない場所がある。

 この部隊のトップが鎮座しているブリッジだ。

 ブリッジに上がると、眼下には雲が一面に展開していた。一瞬綺麗だと思ったが、ブリッジ中央に位置する艦長席に座る男の表情は、まるで曇天の如く暗い。

 ロニキス・アンダーソン艦長は、聞いた瞬間に大きな溜め息を吐き、頭を少し抱えた。

「喧嘩か……。しかも傭兵と」

 また、溜め息を吐いた。

 齢は四七というが、どう見ても六〇前の老境にさしかかっているとしか思えないほど、疲れ切った表情をしている。

 四年前にこの部隊に来たが、理由は意味不明な左遷だったらしい。士官学校首席卒業というエリート街道まっしぐらで、四三にして中佐と、結構な昇進をしてきたが、愚連隊やら金食い虫やら昔から言われているルーン・ブレイドに配属されてから、彼の髪の毛は銀髪から白髪になっている苦労人、それが彼だった。

「やっぱ、ダメ、ですか?」

 ルナもさすがに引きつった笑みしか浮かべられなかった。ここで倒れられたらどうしようという不安でいっぱいだった。

 だったら報告するなよと言いたい。

 少し悩んだ後、結局ロニキスは許可した。ルナがぺこりと一つ頭を下げて下がっていく。

 ブリッジの扉を閉めた後、ルナもまたロニキスと同じように、大きく溜め息を吐いた。

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 何故、こんなに血気盛んなのが多いのだ。ロニキスは頭を抱えるほか無かった。

 意味不明の左遷でこの部隊に来たかと思えば、基本的に無法者ばかりでいつもヒヤヒヤさせられる。しかも今回の喧嘩の相手は傭兵と最年少のレムときた。

 実際、この部隊で戦をするのは面白いことこの上ない。軍人として、それは本懐であるといえる。実際、大規模な戦を素晴らしい部隊とやって大々的に勝利を飾りたいという、端から見てみれば好戦的この上ない衝動の一つは叶った。

 だがそれにしたって、この部隊の人員の無茶ぶりはどうにかならないものなのだろうかと、いつもロニキスは思っていた。

 気付けば、もう神経性胃炎まで抱えている。そして案の定、また胃が痛み出した。

「艦長、胃薬です」

 すぐ横にいた副長のロイド・ローヤー少佐が錠剤の胃薬を差し出す。

 ロイドはよく出来た副官であった。ルーン・ブレイドは子飼いで諜報部を持っているが、彼はその元締めである。下腹がかなり出ているが、時に無茶をやるのが、ロイドという男だった。

「すまんな……」

 ロニキスは胃薬を一気に飲んだ。水無しで飲めるこのタイプが、彼のお気に入りだった。

「艦長苦労してますね」

 若手ナビゲーターのハルウィトは心配そうに言うが、一方のオペレーターの一人であるライルは「そりゃあ、あのメンバーならなぁ。しょーがねーって」と笑いながら言ってのけた。

「喧嘩の模様、リアルタイムで流しますか。そーすりゃおもしれーし」

 日系三世であるナビゲーターの浩司はコンソールパネルをいじってデッキの模様を前面のモニターに映し出した。

 どうもこのブリッジにも、結構扱いに苦労する連中が多い。

 まぁ、たまの余興にはいいかと、ロニキスもまた、モニターを見つめることにした。

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 整備デッキは歓声に包まれている。周囲では賭場が発生し一万単位でレートが動いていた。そんな中で鋼とレムは互いに殺気だった目を向けあっている。

 鋼は武器ケースから両刃刀を出し、その剣先をレムに向けて挑発する。

 一方のレムはそれが挑発の手口だと知っている。そのためか彼女は至って冷静であるように振る舞い、愛用のジャケットを腰に巻いた。いつも彼女がこの船で過ごすときのスタイルである。

 だが、彼女の腸は相当煮えたぎっていた。

 なんて無礼で腹立つ野郎なんだ、死にくされ。

 レムは心の奥底で愚痴る。

「勝負は一本。どちらかが武器を落とした地点で負けだ」

 審判となっていたブラッドが言うと同時に歓声はより大きくなった。

 歓声はと言うと、「やれー!」「殺せ殺せ殺せぇ!」とかお約束の物が多い。

 しかしこれが本当に今日作戦を控えた部隊の行動なのだろうか? 今更疑問が湧いてきた。

 しかも喧嘩とはいえ使用する物は各々が用いている実剣そのものだ。木刀などもあるが、あれではまったく実戦での感覚が研ぎ澄まされないというのが、ルーン・ブレイドの伝統だった。

 実剣でやることで互いに手加減しない極限状態での勝負を行う。これこそ、ルーン・ブレイド流の演習なのである。

「おい、レム、武器」

 ブラッドはレムにBang the gongを投げつけた。

 彼女はそれを片手で掴んだ後、自分の腰に鞘を固定する。

「さぁ、暴れる時間だ。『叩き込む』よ」

 そう言った瞬間、それに呼応するようにBang the gongの鞘が展開し、そこに納められていた双剣が機械によって押し出される。

 レムはそれを片方順手、片方逆手の独特の構えで剣を抜き、構えた。双剣の名の通り、鋼に徹底的に太刀筋を叩き込む気で、自分はいる。

 一方の鋼も負けじと両刃刀を軽く一回転させ、再び刃先をレムに向けた。

「てめぇは俺が会った奴の中で二番目にむかつく奴だな」

 一番目が誰なのか気に掛かったが、レムにとってそんなことどうでもいい。一番だろうが二番だろうが、むかつく奴に認定されたことには変わりないのだから。

 そのため彼女も挑発でもってかえす。

「光栄だね、私もだよ。私の中であんたは人物好感度ランクぶっちぎり最下位に認定されました。おめでとうございます。私からの記念すべき賞品はただ一ぉつ! ヌッ頃す! レミニセンス・c・ホーヒュニング、推して参る!」

「来いよ、クソガキ。能書きゃぁいらねぇ、掛かってきやがれ!」

 鋼とレムの挑発のし合い後ドックの中を突如静かな緊張が支配する。

「じゃあ、行くぜ」

 ブラッドの声と同時に歓声が再び巻き起こり、二人は咆哮を上げながら互いに向け突進していく。

 最初に斬りに行ったのは鋼だ。牽制代わりに両刃刀を横に払う。レムはそれを持ち前の運動力でしゃがんで避けた。

 確かに彼女は子供でありそして女性である故筋力では圧倒的に鋼に劣る。

 だが、彼女には大人顔負けの運動力がある。恐らくその運動力としなやかさは鋼でも永久に手に入れることは出来ないであろう天性の物だ。

 だから彼女は受けではなく避けに徹し、隙をうかがって攻撃を与えるいわばカウンターを狙うこととした。実際あの両刃刀のリーチやパワーだけはどう考えても凌げない。

 しかし、それと同時に大振りであるため大きな隙も生まれることにレムはすぐ気付いた。避けるやいなやアッパーのような姿勢から剣を繰り出すが、鋼は少し体をのけぞらせることでそれを避ける。

 少し鋼が間合いをあけた。長大すぎる両刃刀は零距離戦闘では不向きだ。多少距離を置かない限り自分に攻撃が当たるだけである。

 へぇ、思ったよりわかってるじゃん。だが、甘いねぇ。

 レムは一度唇を舐めるやいなやすぐさま疾走する。

 そのさなか、彼女は左手の双剣を鋼に向けて投げつけた。鋼はそれを上空にはじく。

 掛かった。レムはにやりと、不敵に笑う。一瞬上へと向く視線。ならば、下はがら空きになる。

 そう思い、レムは一瞬の隙を突き、あえて剣ではなく肉弾戦を挑んだ。

 脇が甘い。そう踏んだ彼女は鋼の脇腹へと蹴りを入れる。

 だが、どうやら相手は甘くないらしい。読んでいたのか、鋼はすぐさまその蹴りを入れた足を義手で掴もうとする。

 レムは鋼に足を捕まれる前に一度足を薙ぎ払い、バック転を一回して瞬時に後方へ下がった。

 この数合の打ち合いで互いに想像していた以上に機動力があることが分かった。

 だからこそ相手にとって不足はない。それが二人の思いだった。

 二人とも自然と笑みがこぼれる。まるで刃を向け合うことが友情の表現であることを示しているかのように。

 両者とも少し離れ一度体勢を立て直す。

 その後再び両者が走り寄り、互いの剣を互いの相手に対して振りかぶった。互いの剣先が幾重も当たり、その度に音が鋭く響き渡る。

 五十七合。この後連続して起こった打ち合いはこの数だったと公式的な記録は示している。

 肩で自分は息をし出したが、鋼は信じがたいことにけろりとしている。この男は化け物かと、心底思った。それに彼女のBang the gongは二本で使うことを前提として開発されたシステムであるが故、ショートソードよりリーチが短い。それでもっと鋼に深く入り込もうと思い、斬りにいく。

 だが、切り込んだ段階で気付いた。鋼にとってその距離は得意中の得意なのだ。

 鋼は勝利を確信したかのような不敵な笑みを浮かべながら、両刃刀を振った。

 目を閉じた。

 だが何故か、一向に剣が手から落ちる気配はない。

 何だと、目を開けると、あの翼が鋼の両刃刀を押さえ込んでいた。

 また発動したらしい。どういう周期で発動するのかまでは、よくわからない。

 最初に発動したときのような衝撃波は発生していないようだ。むしろ、整備員はヤケに羽に興味を持ったのか、一人がその羽に触れた。

 少し、くすぐったい。どうやら実体として存在しているようだ。

「熱っ!」

 だが、少ししてから整備兵からこの言葉が出た。羽自体がかなりの熱を持っている。ともなれば、この羽は冷却機関だと言うことだろう。

 実際、自分の体に今まで感じたこともないような気の流れを感じるが、同時にかなり熱い。その熱を逃すためにこれが付いているのだと、レムは感じた。

 そして、何故かふと思い出した。数少ない研究記録に寄ればコンダクターは発動した場合筋力その他が人間の限界を軽く超えるらしい。

 それが自分で試せるチャンスだ。そう思って彼女はブラスカの元による。

「ハルバード貸して〜」

「はぁ? おどれ何言うとんねん?」

 ブラスカはあきれ顔だったが、一度溜め息を吐いた後、「しゃーないのぉ。貸したる」と渋々ハルバードを渡した。

 レムはBang the gongを腰の鞘へと戻しハルバードを握る。

 するとレムは自分でも信じがたい事にそのハルバードを両手に持ち替え、頭上で何回も豪快に回転させた後一気に振りかぶって構えた。

 その瞬間、静寂に包まれていた会場から歓声が戻った。

「ち、厄介なモン取り出しやがって……!」

 鋼はさすがに焦った表情を浮かべている。これはチャンスだと、レムは思った。

 長柄武器は、父親であるガーフィ・k・ホーヒュニングがかつて最前線で戦っていたときの得物だった。自分が子供の頃、彼はよく庭で長柄武器の調練に励んでいた。

 レムも見よう見まねで始め、後に父親に稽古を付けて貰った。軍人になった今でも、それは変わらずに続けている。

 一度試しにと宙を斬るようにハルバードを振るって感触を確かめた。

「よし、いい感じ」

 レムは瞳を凛と輝かせ、眼前で構える鋼へと疾走した。

 が、早い。自分でも驚くほど早い。今まで扱えなかったハルバードを持っているにもかかわらず、普段の速度より明らかに早い。身が軽くなった印象すらある。

 先程に比べ大降りになるとはいえ、当たれば体にかなりのダメージを与えられる。

 一合、まずは突くが、鋼が両刃刀ではじいた。二合、返して一気に振りかぶるが、今度は回避され、距離を取られた。

 む、とレムは唸る。そう簡単には仕掛けてこないようだ。

「んなとこで、負けられねぇんだよ。てめぇみてぇなムカつくクソガキに負けるなんざぁ示しがつかねぇ」

 そう言って、鋼はもう一度両刃刀を回してから再び構え、レムに向かって疾走する。

 極めてどうでもいいプライドだが、面白い男だと、何故か思えた。

 互いに咆吼を挙げる。何回か、互いの位置が入れ替わっていたが、傷は負っていなかった。

 そして十回目の交差の時、鍔迫り合いが起きた。互いの剣劇を止めたのだ。

 だがその時、突如鋼の脇腹から血が出て、彼の表情が苦痛に満ちた。

 レムは斬ったのかと思ったが、鋼は一度舌打ちする。

「ったく、あの時の傷か。やべぇな、ここばかりは再生出来ねぇってのに……」

 血が、かなりの量に上っていた。だというのに、この男の力は一向に衰えない。何故だと、レムは思った。

 脇腹までアーマードフレームで覆われているという鋼の体。だが、ナノインジェクションでもこの部分の出血が止められないと言うことは、恐らくこの部分は細胞が完全に壊死しているのだろう。

 村正が鋼の体を貫こうとしたという話は、ルナから聞いた。恐らくその時に傷ついたのだろう。それが今になって開いた。ということだ。

 そんな状態でも、戦うことを諦めないこの男は、不屈なのだと心底思った。

 そんな状態の相手にトドメを刺しても、自分がむなしくなるだけだし、負けとしか思えなかった。

 だからレムはハルバードを置いた後、瞳を閉じて、翼を消した。まるで粉雪のように翼は消える。体の熱も、急速に冷めた印象があった。

 鋼はそれを見て、刃を収めたが、かなり辛いのか、息が上がっている。だが、未だに剣から手を離そうとはしていない。

 医療班がやってくるが、鋼は自らの足で医務室へ向かうようだ。

 思わず、レムもギョッとした。

「ちょ! それで大丈夫なの?」

「別段問題ねぇよ。それに、てめぇも元をただしゃ怪我人だ。ほっといて戦闘中に倒れられると迷惑だ。早めに医者にでもかかっとけ」

 そう言って鋼は医務室へと向かった。

 背後から見る彼の背中には、異様な悲壮感があった。誰にも触れられない哀しみが広がっている。触れてはいけないのだろうとも思う哀しみだった。

 ルナが興味を持つ理由が、なんとなく分かった気がした。

「で、実際に使ってみてどうだった?」

 ルナが近づいてきて聞いた。気付けば、賭場は既に解散し、各々が仕事に取りかかっている。ハルバードも、回収されていた。

「なんだかな〜、正直言ってさ、実感がやっと湧いたって感じ。あれだけ強大な力を自由に操れるんだからね。それと疲れる。たぶん、気を消費しているからだと思うけど」

 実際少ししてみると、疲れがどっと来た。相当の気を消耗するのだろう。

 それに、これに頼り続けたらダメ人間になる気がした。

「だからさ、そんなに使うのやめる。姉ちゃんと同条件でやってみたいんだ。自分だけってーの、なんか嚼じゃん」

 能力に頼ろうが、あくまでも個人で御する必要がある。大きすぎる力を御すには、より大きな力を、器たる自分が身につけねばならない。

 ならば、自分が強くなるしかないのだ。

 ルナもその言葉に答えて笑った。

「そっか。よし。一緒に強くなろう」

「うん」

 レムはただ一つその言葉で返した。

 少し、整備場の作業が性急になりつつある。

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ゼロとレム、バカ二人ここに極まる
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