Essentia Vol.1「ゆびさきのぬくもりを」 |
昼休みの校庭で、子どもたちのはしゃぐ声がする。
食事は済ませたのだろうか。
ふとそんなことが気になって視線を飛ばすと、ひときわ背の低い男子が器用にボールを操りながら、横合いから飛び込んできた人影を颯爽とかわしていくのが見えた。
勝負を挑むような目――それは若さの象徴だ。
彼の独走を止めようと、進行方向に人が群がっていく。
ディフェンスを引きつけておいて、これ見よがしに技とスピードを駆使する少年は、
歩兵のように自分目がけて突進してくる男の子たちをすり抜け、最後の砦に向かって力強く右足を蹴り上げた。
ボールは回転しながらネットの中を暴れ回り、やがて動力を失ったようにコロコロと地面を這っていった。
とたんに歓声が上がる。
「ついあの年頃を思い出します。懐かしいなぁ・・・」
視線を戻しながら微笑を浮かべると、目の前の人は思わずといったように肥えた体を浅く仰け反らせた。
「あなたならまだお若いでしょうに。私があの年頃だったのなんて、かれこれ30年も前ですよ。懐古しようにも、とっくに色褪せてしまってます。」
ただの謙遜なのかと思ったのだけど、ちょっと寂しそうに笑う口もとから、嘘偽りない気持ちが滲み出ているような気がした。
(やっぱり、時代が変わると人の考え方も変わるんだな)
あの頃に比べると、生きているうちに体験することが増えた気がする。
若いうちに半世紀分の経験をした気になるのは、この時代が豊かさを超え、ありとあらゆることが満載になっているためだ。人間の脳は容量のうちのわずか5%ほどしか使用されていないというけれど、その5%に収めきるためにはこの世界はあまりにも膨大すぎやしないだろうか。
退屈しないのはいいことだけど、良いことも悪いことも自分が結論を出す前に通り過ぎていき、新しい問題が隙間なく列をなしていくのだから、どんなことも律儀にこなしていたらいずれ限界を迎え、破綻してしまうのではないか。
そんなこと自分が心配しても詮無いことだとは思うが、目に映る世界は日を追うごとにどんどん加速しているような気がした。とにかく、平成の人たちは気忙しい。毎日をいかに首尾よくやり過ごすかということだけ考えているから、大切な記憶も心に留めておけないのだ。もったいない。
「それは残念だなぁ。若い頃に体験したかけがえのない思い出や、ほろ苦い記憶は、どんなに年月が経っても色褪せないものだと思っていました。」
私とこの人が信じているものとの間には、隔たりがあるようだ。自分がこの時代の人間ではなかったことを考えれば、意見のすれ違いなど[[rb:根 > もと]]からあって当然なのだ。その点は理解しているつもりなのだけど、いかんせん頑固なものだから最初のうちはなぜそのような考えに行き着くのだろうかとしきりに首をひねった憶えがある。
この時代の人々は、誰もが似たような負い目を感じているらしいということは、年齢を重ねていくうちに少しずつわかるようになってきた。
おぼろげで形のないものよりは、数値で表せるものや、目に見える実感の方を尊重する時代だ。
「年をとるというのは、そんなものです。」
「んー・・・でも、やっぱり寂しいですね。」
私は今一度視線を移し、校庭で笑い合う彼らの姿に目を細めた。
おもむろに席を立った先生は、窓際へ寄って同じように彼らを眺めている。
「若いって素晴らしいことだよ。なんでもできるっていう自信がみなぎってる頃だもんね。」
おそらく彼らは意識してはいないのだろうけど、命の躍動感というのは、この世のすべてを総動員しても太刀打ちできない力強さがあると私は確信している。
それは、知覚できる世界で唯一味わうことのできる奇跡だ。
(命が日々削られていくのは事実だけど)
(それでも、命とともに育む人の思いは不滅だと思いたい)
ありのままの自分を受け入れ、楽しむ姿は、命を最大限に発揮する表現だと気づいている人間はどのくらいいるだろう。
命の炎をきらめかせ、喜びを享受する若者の姿が私は好きだ。
それは、私が人生を一歩先に進んでいるからではない。
一度、終焉を見たからだ。
臨終は独りで迎えた。
最期を看とってくれる人はいなかった。
仮に誰かが見守ってくれていたとしても、私にはそれを感知するだけの五体六感をとうに失っていた。
かろうじて眼球だけが動いていたような気がするけど、もう天井の梁すら分からないほど視界がおぼろげだった。
別に視力が衰えていたわけではない。見ようとする気力がとうに失われていただけだ。
視界に映り込む光と影。まぶしいか暗いかというよりも、そのゆらぎは音に近かった。これは、私が剣客だった頃の名残だろう。
あやふやになった視界の中に、不純物など一切混じっていないかのような研ぎすまされた光だけがゆれ動いていて、それが彼女の励ます声にとてもよく似ていたことだけははっきりと憶えている。
(つないだ手を離してしまったのに、あなたは最期まで私を励ましてくれるんですね)
わずかばかりの力を奮い立たせ、私が最期にしてみせたことは、ただ涙を浮かべることだった。
瞼の裏に彼女と過ごした歳月が駆け巡る。
(あなたが好きだ)
(もう一度あなたに会いたい)
(あなたを抱きしめて眠りたい)
(手を・・・)
――手を離さなければよかった
心を突き破るような思いの後で、私の命はその一言により尽きてしまったらしい。
慶応四年から大きく飛び超えた平成の世。
私は救命士になった。
なぜそれを選んだかと言えば、命に添いたかったからという理由以外にはない。
慶応年間の私は「労咳」という胸の病で死んだけど、平成ではそれで死ぬようなことは稀になった。
西洋医学が急進の一途をたどり、昔は不治の病と言われたものも、今日では画期的な治療法で助かる命が増えたという。
これだけ医学や科学が発展した現代でも治らない病が存在するというのだから、どんなに西洋医学が優れていようが、この先も不治の病がなくなることはないだろう。
それは理論的にも仕方のないことだとは思うけど、志半ばで死んでいく若い命を見つめていると、やはり居たたまれない気持ちになるのだった。
救いたくても救えない命はあるだろう。でも、できうるかぎり、若い命の炎を守りたいと思うのだ。
(命を奪ってきた私だからこそ、今生は命を救う側に回りたい)
本当は良順先生のような医者になりたかったのだが、21歳にさかのぼって平成の総決算を強いられた私では到底無理な話であった。
とにかくやることが多すぎた。世の中の仕組みにしてもそうだし、何より人の思想ががらりと変わってしまったのにはついていけなかった。天保年間の江戸に生まれ、馴染んできた習慣や当然のこととして教えられた人としての道。立っていた地面を一瞬にしてひっくり返され、私は激しく混乱していた。かつて京を震撼させた新選組一番隊組長の私でも、こちらでは赤子も同然。
体は立派な大人であるのに中身はまるで稚児というのは、ちぐはぐな錠前と鍵の関係に似て、諦めること自体が先立ってしまう。
だからといって、回りだした時の歯車が止まってくれようはずもない。どこかに逃げたかったけれど、一体どこに逃げればいいのかもわからなかった。気づいたら、そこには私の居場所が出来上がっていたからだ。
私を取り囲む名も知らぬ人々は、今までもこれからもずっと私がそこに居続けることを疑ったりしない。でも、私には初めから用意されていた場所が、果たして現実なのかそうではないのかの判断もつかないのだ。当然、現実逃避したくなる。
だけど、目の前の事象から逃げようとしても、私を庇護してくれる場所などどこにも存在せず、自分が四半刻前ほど前に死んだという時間を周囲に訴えたとしても、誰一人として信じようとはしない。それどころか、必死に紡ぐ言葉のひとつひとつが笑い飛ばされてしまう。
見知らぬ世界に落とされて、誰一人として味方のいない自分は一体何者なのかと思った。
(もしかして、悪い夢でも見ているのか?)
だとしても、長い。ひどく長すぎる。
早く目覚めろ。自分にそう念じてみるが、一向に目覚める気配はなかった。
日々をどうにかやり過ごす傍らで、いつも江戸のことを思った。
上の姉に手を引かれながら、暮れなずむ茜色に向かい畦道を歩いたこと。
洟が凍りそうなほどきんと冷えた冬の晩に、近藤さんの煎餅布団に潜り込んで一緒に眠ったりした。
試衛館に住み着いた仲間たちと縁日へ出かけたこともあったし、行商帰りの土方さんには飴をもらった。
黒船と毛唐。新しい将軍様。安政の大獄と井伊大老の暗殺。尊攘と天誅組。江戸に集まる浪人たち。
伝通院から中山道の旅。浪士組のいざこざ。清河さんの陰謀。
初めて見る京は一見華やかそうに見えたけど、剣士である自分の勘がそれを肯定しなかった。いつの時代も帝都には魔物が棲むと言い伝えられているけれど、命を張ってそれを自分に証明することになるとは露ほども思わなかった。
京都守護職と新選組。運命はますます加速していく。
そして、私には無縁だと思っていた島原で、あのひとに出逢ったんだ。
――私、未来から来たんです
――やっぱり、信じてはもらえませんか?
願いを込めるように、真剣な瞳で告げる彼女の言葉がよみがえった。
会いたい――
逸る胸の内に立ちはだかったのは、異国に連れてこられたかのような心細さと、勝手が分からないという苛立ちだ。
――明治、大正、昭和、平成・・・
――私はその平成から来たんです
彼女はこの平成のどこかにいる。その確信だけが私を支えていた。
今すぐにでも彼女を見つけたいのに、その方法が分からないのがもどかしい。
健やかな肉体を手に入れても、私は悲しいほどに無力だった。
(彼女もこんな悔しい思いを味わったのか)
彼女がどんな思いであの時代を生きていたか――前だけを見つめ懸命に生きていたあの瞳の強さを思うと、いくら無謀な挑戦であろうとも棄権するわけにはいかない。
立場が逆転しているのだと気づいたとき、矢も楯もたまらずに彼女を捜すことを決意した私は、またしてもそびえ立つ障壁に手も足も出せず、二度目の挫折を味わうことになるのだ。
総人口は約一億三千万人。東京都の人口、約千三百万人。
女子高生の数――不明。
(江戸の頃は、日本橋の混雑に驚いたものだけど、こっちの方が比較にならないほど多いな)
彼女を捜すことを始めたのはいいけれど、私にはその前に慥かにしなければならない試練が待ち受けていた。
それは、彼女の隣に並んでも恥ずかしくない男になること。
つまり、この時代に適応するために必要不可欠となる知識や日常動作を完璧にすることだった。
――沖田さんの病気を治すためだったら、どんなに辛いお稽古も苦になりませんでした
未来なら労咳を治せるかもしれない。
そう固く信じていた彼女は、私を未来へ連れて行くための「カメラ」を探すために、血の滲むような努力を続けて太夫にまでのぼりつめたのだ。
置屋での生活も、お座敷で披露するための芸事も、遊女として嗜むべきことのすべてに不慣れだったはずの彼女が、私への思いを証明するためにそうまでして意地を貫いたのだ。彼女の努力を前にして、私にはできないなどと言えるわけがない。むしろ、これほど苦労したのかと実感できるだけに、今更ながらほろりと涙腺が緩むのだった。
(今度は私が証明してみせる番だ)
意気込んでは見たものの、やはり不安の種は大きかった。
それこそ剣一筋に生きてきた私には、それ以外のことを学ぶというのがとても難しいことのように感じられるのだ。
いつか山南さんが言っていたのを思い出す。
――真の攘夷は日本の教育が鍵となるだろう
――身分や性別に関わりなく誰もが平等に教育を受けられる世の中になれば、この国は息を吹き返し、夷狄にも引けをとらないほど隆盛を極めるだろう
――夷狄と対等に張り合うには、学問を置いて他にはない
山南さんが熱く言って聞かせてくれた言葉を、当時の私が釈然としない気持ちで聞いていたのは言うまでもないが、それが、時代を超えた今になって身に沁みるようにこたえるのだった。
(山南さん。あなたの言っていた通りですね)
彼女のいるこの時代は、高等な教育を受けるのが当たり前の世の中になっていた。
どんな子どもにも教育を受ける権利が保障されていて、たとえ貧しい家庭であったとしても払えない束脩を要求することはない。
学ぶ意欲の分だけ、同じ質、同じ量の教育を受けられるのだ。
救命士になるために学業に勤しむ傍らで、一念天に通ずを胸に地道な努力を続けていく。
彼女の手がかりをつかむには根気よく調査を続けるしかないと思った私は、自治体で統括されている人別帳や学校に在籍している生徒名簿の開示を求めたのだけど、個人情報を保護するという名目により梨のつぶてであった。
そのため、彼女を捜すこと自体が手さぐりの状態になり、いつも振り出しに戻ってしまう有様であった。
(どこにいるんですか?)
陽の落ちた濃紺の空に向かい、どこにいるともわからない彼女に問い続ける。
たとえ一生かかってもいい。死ぬ前に必ず彼女を捜し出してみせる。
新たにそう誓いを立てた私であった。
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元ネタは「艶が〜る」です。 公式設定は4割踏襲。 |
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