広島市の原爆・・・。について |
広島市の原爆・・・。について書きます。
広島市の原爆の時代はちょうどうちの死んだおばあさんが31歳の時のことでした。まだおばあさんが全然若かったころです。
よく分らないけどものすごい被害だったようで、しかも何よりも広島はうちのおばあさんが暮らしていたエリアだったからよく御無事でとしかいいようがない感じですね。無事だっただけでも何より・・・そんな感じだと思います。
●広島原爆について
原爆投下の背景と経緯
詳細は「日本への原子爆弾投下」を参照
亡命物理学者のレオ・シラードの原爆開発提言などを受け、1942年6月、ルーズベルト大統領の指示でマンハッタン計画が開始された。1944年9月、ルーズベルト大統領とイギリスのチャーチル首相の間でハイドパーク覚書が交わされ、日本に対して原爆を使用することが決定された。1945年4月には第1回目標選定委員会が開催され、原爆投下目標の選定が始まった。
原爆投下命令
1945年7月25日、トルーマン大統領が原爆投下の指令を承認し、ハンディ陸軍参謀総長代理からスパーツ陸軍戦略航空軍司令官(戦略航空隊総指揮官)に原爆投下が指令された。
(wkipedeiaより)
その他にも東京大震災がありました。おばあさんが10歳の時なので、これはあまりおばあさんの素行には関係ないかもですね。あの時もこの間の東北大震災と同じで津波や地面の液状化などの被害が遭ったようです。
●東京大震災について
1923年(大正12年)9月1日11時58分32秒(日本時間)
190万人が被災、10万5千人余が死亡あるいは行方不明になったとされる(犠牲者のほとんどは東京府と神奈川県が占めている)。建物被害においては全壊が10万9千余棟、全焼が21万2000余棟である。東京の火災被害が中心に報じられているが、被害の中心は震源断層のある神奈川県内で、振動による建物の倒壊のほか、液状化による地盤沈下、崖崩れ、沿岸部では津波による被害が発生した。
(wkipediaより)
また、おばあさんが39歳の時に日本各地で空襲がありました。空襲は現在でも無差別殺人だと言われています。―私の母がまだ学生の時だと思います―うちの母の名前には一応Mがありますが、やはりというべきか結婚した父の名前にはHがついていました―(マンハッタン計画書の謎に挑む・・・みたいな)―そして私が生まれて私が高校を出て初めての会社でできた会社内の友達の中の超不良の友達の名前は死んだおばあさんと同じYOSHIKOでした。その人の彼氏は暴走族で、当時集会にも出た事がありました―斡旋の際親族に似ている不良をわざと近づけるって絶対にあると思います―油断をするからでしょう―
●空襲について
日本本土空襲(にっぽんほんどくうしゅう)は、第二次世界大戦期に連合国軍が日本各都市に対して行った爆撃である。1944年(昭和19年)末から本格的な戦略爆撃となり、長期間の大規模な無差別爆撃も実施された。日本本土の初空襲は1942年(昭和17年)4月18日のドーリットル空襲。
(wkipediaより)
●空襲の方法
攻撃は、ボーイングB-29に代表される戦略爆撃機による爆撃のみならず、英米の機動部隊艦載機や硫黄島などから飛来する機体による爆撃や機銃掃射というかたちでも行われた。また、航空戦力によってだけではなく、沿岸部の都市では艦砲射撃によっても攻撃されたところもある。
米軍の戦時情報局は、戦況の正確な情報を持たない一般日本国民に対して「リーフレット心理作戦」を実行した。宣伝ビラをB29から撒くという方法で工作は行われ、米軍は1945年2月から終戦まで計460万部のビラを投下した。
(wkipediaより)
うちのおじいさんはotoichiっていう名前だったんだけど、随分頑張ってお嬢様育ちのおばあさんと頑張っていたみたいだけど結局最後は過労死しちゃって本当に悲惨だなと思います。過労死の具体的な原因は、早朝の牛乳配達ではないかと親族の間では言われています。
おばあさんとおじいさんの暮らすうち―おばあさん方の生家―は大きくて部屋が一つが殆ど10畳以上ありました。特に小さい時よく遊びに行っていたので、今よりもずっと部屋が広くて大きく見えました。
母は、おばあさんが生きていた頃は結構悪口を言っていましたが、『宝塚が好きでいつもよく見に行っていてフラフラしていた』など・・・。妹もあまりおばあさんのことは褒めていませんでした。ぼやいてばかりで、昔の友達から手紙が来てそれを読んでいると突然大声でおいおい泣きだしたりして周囲を唖然とさせていたので、そういう態度をダラシナイだとかはしたないと思う人はとても嫌なようでした。
また私が田舎に遊びに行った時に帰る時泣きながらハンカチを手に持ってそれを頭の上で振りながら追いかけて来たことが今でも髣髴と脳裏に蘇ってきます。―とても涙もろい感じのお婆さんでした―
ただ、おばあさんが死んだ後は、家族や親戚の間で殆どおばあさんの話題はなくなってしまって、私だけがたまにこういう風に思い出して、こんな風にこういうところに書いている、そんな状態だと思います。
また、今思い出したけどおばあさんは普通に目をパッチリと開けているととても可愛らしいつぶらな瞳だったんですけど、時々眉間に眉を寄せて目を細めることがありその時はとても神経質そうな表情をしていました。
おばあさんに関しては、今でも本当に懐かしく色んなことが思い出されます。
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