チートでチートな三国志・そして恋姫†無双
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第60話 物事の裏の意図を見抜く

 

 

 

 

「支配者になる、ですか?」

 

「街で服を売って税金を納めて生活するのか。それともここで皆を支配していくのか、その違いです。」

 

「俺らは理解して、そういう考え方、要するに“物事の裏の意図を見抜く”ことができなければいけないけど、正直、普通に暮らしている民衆だったら、それができるのは必ずしも幸せなことではないと思う。」

 

世の中、自分の力ではどうすることもできない理不尽なことはたくさんある。年齢や出自、あるいは親の資産など、考え始めればキリがないだろう。そういうものは知ってしまえばこそ腹が立つもので、知らずに過ごしていれば腹が立つこともないし、そういうものだと思っていられる。

 

 

「私が、貧しい子を救いたいと思ったのはいけないことだったのでしょうか……?」

 

「いや、仮に俺が天和の立場でも、失敗したときのことまで考えてそうした。ただ、そこで救えた時点で身の振り方を深く考えるべきだった。といっても後の祭りだから、そのあとどうなったのか教えて。」

 

「はい。すると、村の病人やその家族から、自分や家族を診てほしいと頼まれました。私はできる限りのことをしました。いかに医術があろうとも、雨水をたまに飲むだけで食事は数日に一度、木の根だけといったような人をそれだけで治すのは不可能です。親のいない子供たちは連帯感があるので、何人かで看病をしながら、誰かは魚やウサギ、ネズミ、あるいは木の実などをとって食べることもできましたし、川まで水を取りに行くこともできました。

 

しかしそれすらできない人もいますし、埋葬もしていない遺骨があったりする家もあります。とにかくまずは死者を一カ所に集めて埋葬することから始めました。そのあとで少しずつ食事を与えてわたしの医術をつかうことで村から大半の病気は消えました。」

 

皆は平然と聞いているし、俺も聞くのは慣れたけれど、これが現実だ。そこまでする余裕は最近までなかったけれど、中国全土で死亡原因の統計を取れば、1位はおそらく餓死。もちろん病死の中の栄養失調からくるものもあるから、それを含めてだけれど、まず間違いない。2位は病死。特に村で10人単位の死人が出ると悲惨なことになる。そもそも死人を埋めることができないから、家の中なり道なりで死んだその体が腐り、虫がわいて病気を呼ぶ。その死体を川に捨てれば最悪で、場合によってはその水を飲んでいる下流にまで感染症が広がり、全滅する。そしてようやく3位に戦死がくる。もしかしたら、北の方では3位に凍死がくるかもしれない。

 

 

俺たちの地域で死者が少ないのは、栄養状態がほかの地域と比べると格段にいいことに加えて死者はすぐに埋めているからだろう。ただそれだけのことがとても大きな差になってしまうのだ。

 

旅や遠征で俺がこれまでいったほかの街では、体型のいい人は本当に珍しかった。大半は骨と皮だけ。あるいは申し訳程度に肉がある。たまに太めの人はいるけど、筋肉質の人はゼロ。デブもおそらく俺が最初に襲われた賊とほか数人くらいだろう。理由は純粋に食糧不足。少ない稼ぎの中から税金を出せば、買えるものなどごくわずかだ。そこでイナゴなどの害虫が発生して米や麦をやられると、それはほぼ死亡宣告に等しかった。

 

「私は治療した人から多額の報酬はもらいませんでした。治療がうまくいったときに患者さんやその家族が心から喜んで、私に感謝してくれるのがとても嬉しかったからです。払うお金がない人からは一切とりませんでした。

 

村といっても、もちろん完全に閉鎖されているわけではなく、外から商人などが来て交流があります。その方たちから、自分の村へ来てほしい、もっと外部のために役立ててほしいという要望をもらいました。ここに残ることも考えましたが、困っている人がいることを考えれば行きたかった。2人も了承してくれたので行くことにしました。」

 

「残ればここまでひどくはならなかったかもしれませんね……。」

 

「桃香様と水晶さんを足して2で割ったような性格ですから仕方ないでしょう。困っている人がいれば救いたい。自分の技術、能力を提供するのは惜しまない。対価にはたいして興味がない。これでは……。」

 

椿と福莱の惜しむ?言葉。性格はそんなに簡単に変わるものではないからなあ……。

 

 

「そこでもほぼ同じです。治して感謝されるのがとても嬉しかった。貧富の差にかかわらず、治れば喜んでくれます。」

 

「一ついいですか?

 

医療行為を行う人の信用は決して高くはありません。むしろ胡散臭いというのが大半の評価です。それなのにどうして……?」

 

 

「治しているから。結局、信用が低いのって単純に治らないからなんだと思う。身も蓋もない言い方だけど、『元気になれ!』って一日に千回叫ぼうが、神様に千回祈っても、それだけじゃ絶対に病気は治らない。仮にそれで治った人がいるとするのなら、それは病人がその行為に感謝して発奮して治っただけ。いわゆる“病は気から”ってやつだ。

 

あるいは治し方に問題があって、たとえばこの足のこのあたりに小指の先くらいのこぶがあります。それが原因なので刀で開いて切って治しましょうとか言うから信用を失うんだ。正直、俺でも拒否する。」

 

麻酔なし、輸血設備なしで腫瘍除去の手術なんて死んでもごめんだ。昔、プロ棋士で、全身麻酔をすると脳に影響して弱くなる可能性があるからと言って麻酔をやらずに手術を受けた人がいるらしいけれど、俺にそんな度胸はない。

 

「たとえばだけど、愛紗が桃香、鈴々と3人一緒に村で暮らしているとする。そのときに村で病気が流行って桃香もそれにかかってしまった。毎日看病しているけれど、よくなる気配は全くない。桃香はずっとその状態が続いている。そんなときに同じ病気の村人は一人、また一人と死んでいったらどんな気持ちになる? 焦るし、何をしてでも治してあげたいと思うでしょ?

 

 

そこで、『どうせ治せないだろう』と軽く思っていた人が病気を治してくれたら、その人には絶大な信頼と感謝が残ると思わない?

 

そのへん、ものすごく単純な考えをしてしまうもので、この人なら治してくれるだろうと思って頼んだのに拒否されたり失敗されると、希望は絶望と怒りと無力感に変わるし、逆に治せないとあきらめていたものが治れば絶望と怒りと無力感は希望に変わる。

 

ただそれだけの話なんだ。医者は信用できないけれど、この人ならば信頼できる、と思うようになる。ましてや自分や自分の大切な人を救ってもらえればなおさらだ。天和はひたすらその積み重ねで信頼を得ていったんだ。」

 

ある種の“つりばし効果”とでも言えるのだろうか。通常とは違う状況にあるからこそ、余計に相手のことを信用しやすくなる。ましてや“命”を救ってもらったから。

 

“女が暴漢に襲われたところを、別の男に救われるとその助けられた男に好意を抱いたり惚れたりする”ということに近いのかもしれない。

 

「今の一刀さんの言葉に一つ付け加えることがあるとすれば、できないものはできないと言うことかもしれません。他の方は、『できる』と言うものの、結果は『できない』なので信用を失う結果になってしまうようですが、私は『できない』あるいは『一時的に目を覚ます奇跡がおこるかも』と言うので……。」

 

 

「天和さんでも治せない病気があるのですか?」

 

「私は万能でもないですし、神様でもないので治せない病気はたくさんあります。特に急性疾患は厳しいです。

 

たとえばですが、突如として桶一杯くらいの血を吐かれたりするとお手上げです。おなかの中に穴が開いてしまう病気なのですが、そこまで吐かれると打つ手はありません。だいたい同じ量をもう一回吐いてそのまま意識がなくなり、3回目で死に至ります。吐いた量が少しならまだなんとかなることもありますけれど……。

 

あとは胸の強烈な痛みから気を失ってしまった場合です。こちらは奇跡が起こることもたまにありますが、非常に厳しいです。対処法も限られるので……。」

 

「対処法?」

 

「横にならせて胸をひたすら全力で押し続けます。だいたい、60数える間に100回押します。正直、非力な私にはとても厳しいです。連続で3人起きると何ともしようがありません。私が一人、地和ちゃんたちが2人で1人が限界なので……。ありがたくないことに連続で起きることも多いんです。」

 

要するに心筋梗塞とかそういう急性の心疾患への心臓マッサージ、か? それを編み出してるのは本当にすごいな……。

 

「どうして連続で起きるのです?」

 

「多発するのは冬にお風呂に入るときなんです……。薪は貴重品で、それぞれやるのは不経済なので村で一カ所にわかしてまとめて入るので、そこから上がったあとに……。冬は体を洗うなとも言えませんし……。毎回その時期は本当に気が抜けませんでした。それの処置が終わった状態で他の患者さんが出たときに『疲れたのでもう今日は無理です』とも言えません。正式なやり方でやらないと効果がないばかりか胸の骨が折れてしまってどうしようもなくなるんです……。

 

それでも一時的に意識が回復すればいい、程度です。歩けるくらいまで戻ったのは数人しかいません。」

 

そういえば冬の寒暖差が悪いって言っていたなあ……。病気の原因が変わるわけではない、ということなのだろう。

 

「そういうものから比べれば、伝染病は治しやすいものも多いです。最低限、隔離してしまえばそれ以上は広がりません。」

 

「一つ聞きます。治療のときに、本名の“張角”は名乗っていたのですか?」

 

「いいえ。ただ一度だけ病気を治すだけの人を覚えてもらっても仕方がないので“桃髪”、あるいは“三姉妹”とでも覚えてくださいと言っていました。名乗ることも意思疎通の一環で、信頼関係を築くには大切なことですが、私の場合は継続的に診ることはできなかったので……。そういう意味も込めていました。後に、生まれ故郷の村は野盗に全滅させられたので、私の本名を知っているのは妹たちだけになってしまいました。あれを知ったときは本当に悲しかった。病気で苦しむ人を救っても、それだけで人の命は救えないのだと実感したのはあのときです。」

 

さすがに藍里も目の付け所が違う。天和からすれば当たり前の習慣だからいちいち語る必要のないことだったのだろうけど、俺たちからすれば重要なポイントであることは間違いない。質問はする側も優秀じゃないとダメなんだと改めて実感する。しかし、本当に奴らはやることがえげつない。汚いという程度ではない。

 

「それは本当に“野盗”の仕業なんだろうか?」

 

「わかりません。少なくとも現状で確認する手段はありません。ただ、私は違うと思います。背後に“本”を授けた人物か左慈がいる可能性は極めて高いと考えます。もちろん、本を授けた人物と左慈が同一人物の可能性は十分にあります。」

 

「え……?」

 

 

 

 

 

※さすがにそんな方がいるとは思えませんが、あらぬ誤解を招くのも嫌なのでさらっとやってしまった水晶の甲状腺疾患について多少の補足をしておきます。

 

少なくとも私の知る限り、現代日本において鍼灸治療に甲状腺疾患を治す医学的根拠はありません。主に甲状腺機能亢進症(バセドウ病)と甲状腺機能低下症(橋本病)と腫瘍に分かれますが、それぞれ専門的な血液検査などで確定診断をした後、投薬などの治療が続きます。 鍼灸ではなく内分泌内科、頭頸部外科の専門医にかかるべき疾患です。病院によっては単なる内科、耳鼻科になるところもあるとは思います。

 

いずれにせよ天和の技術はそれを超越しているということで・・・。

 

 

 

 

後書き

 

 

遅れ遅れで本当にすみません。この天和たちの話は本当に頭を使いまして・・・。

説明
第5章 “貞観の治



大変お待たせしました。多少の残虐(グロ)表現があります。ご注意ください。
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コメント
未奈兎様>いつも感想ありがとうございます! 感想の返信まで遅れてしまい申し訳ありません・・・。 そうなんですよね。「病気が治る」ただそれだけといえばそれだけなのですが、実際に病気にかかっている人からするときわめて大きな問題です。おっしゃるとおり、何時の時代も同じです。(山縣 理明)
待ってました!しかし治せない病気を治せる医者はそれだけで希望になるのは何時の時代も同じですな(未奈兎)
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