Essentia Vol.13「桃源は二度滿つる」
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吉野太夫ゆかりの常照寺に辿り着いたのは、あれから半刻もすぎた頃だった。

市中から流れ着いた人々が、かき集めた家財道具を背負いながら途方もない顔をしてひしめき合っている。

千両箱を両腕に庇い疑心暗鬼になっている商人がいたり、初めて体験する火災のおそろしさに泣き続けるしかない子ども、家を失うかもしれないという不安から打ちひしがれる老人など、それぞれが抱える事情というものが顔色にありありと浮かんでいるのだ。

そんなふうに人でごった返す境内は、怒りや悲しみに代表される負の感情の坩堝と化していた。

 

戦火を切ったのが長州だということは知れ渡っていたが、幕軍の末端として参戦しているという立場もあり、傷つき疲れ果てた様子の彼らの中に混じっていくのは私としてもなかなか勇気のいることだった。

 

肚を決め人波をかき分けていくと、ただでさえ目を引くこの麻羽織が、振り返る人々の視線を釘づけにしていく。

物言わぬ人々のギョッとした表情が、進む先にいくつも並んでいた。

気後れした私に後ろ指をさすように、口さがない人々が厳しい批判を始め、それに便乗するかのように誰かの「壬生浪がおる」という叫びを皮切りに、人々は肩を寄せ合って慈悲のない目を向け始めたので、社殿までの道のりは彼らの憎悪を厭というほど浴びることとなった。

 

(火をつけたのは私たちだと思っているみたいだ)

 

悲しいことに今日まで支持を得られない新選組は、上洛の頃から言われ続けてきた「壬生浪」という呼称でいまだ蔑まれている。

呼び名はこの際置いておくにしても、事実を歪曲してまで私たちのせいにしたがる京者の偏見というのは、いささか度を越えているなと思うのだった。

 

だからと言って、こちらに非がないかというとそうでもない。私に落ち度があるのもまた事実だった。隊服で駆けつけるという無神経さは、本来なら慎むべきことなのだろう。もともとこの麻羽織は、池田屋での事件とともにおぞましい印象を与えすぎたのか、内外問わずに評判が悪いのだ。警戒されても文句はいえないのかもしれない。

それほどまでに浅葱の効果は絶大で、長州びいきである京の人々にとっては悪しきものの象徴となっていた。

 

「なんでまたこないなとこに…ホンマけったいなお人や。」

 

背後で、またひとつ声がした。

この騒ぎの中にあって、どこか調子のずれるのんびりとした口調だ。

悪口なら聞き慣れているからと相手にしなかった私も、すいっと肩を抜かれて面前に回り込まれたときには、その度胸に驚いて立ち止まるしかなかった。

正面きって何を言われるかと思いきや――

 

(あっ…)

 

軽やかに身を翻したその人は、一粒の汗も許さないというような爽やかさで微笑んでいる。

 

「あなたは確か…」

 

島原で一度見た顔だ。

お梅さんにまとわりつかれて困っていたところ、ちょうど往来の向こう側で((星|ひかり))さんとこの人が親しげに連れ添っているのが見えたのだ。

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「へえ。こない面と向かって話すんは、初めてどしたな。藍屋秋斉言います。」

 

星さんがお世話になっている藍屋の楼主だった。

優雅な身のこなしと品のある語り口は、私の真似できる芸当ではない。

 

「なんや、お務め放り出してお使いか何かやろか?」

 

悠然と笑みをたたえながら、さらっと皮肉めいたことを言う彼の目には、ありありとした猜疑心がこもっていた。

新選組が避難所まで押しかけてくれば、町民の顰蹙を買うことは目に見えている。現に、彼らの白い目が雄弁に物語っているではないか。

おそらく、彼は私の立場を案じているのだろう。

職務に準じるなら、今頃は天王山を目指していなければならない私だ。

 

「ええと…務めを放り出したわけではなくてですね…」

 

彼の指摘が的を得ているだけに、何をどう説明したらいいかがわからない。

しどろもどろになりながら返す言葉を選んでいると、扇子を持つ彼の手が気を揉むような仕草で揺れているのが見えた。

これだけ大胆な行動を起こしておきながら、目的をはっきりと告げられないのは、負い目があるものだと疑われても仕方がないし、相手に反論の隙を与えるようなものだからだ。

 

「ただでさええらい騒ぎになっとる言うのに、新選組が来たかて何事かとあらぬもんを考えてしまうんは仕様のないことでっしゃろ? 違いますか?」

 

「わかります。しかし、私は任務で来たのではなく、星さんに会いに来たんです。」

 

幕軍は血眼になって残党狩りをしていた。

それだけに、命からがら逃げ延びた人たちにとっては、戦の後始末でさえ傍迷惑な話であり、これ以上禍を増やすというのなら容赦はしないと目で訴える者が多い。面と向かって言葉にはしないが、無言の圧力をこれでもかというほど感じるのだ。

そこへきて、幕軍の手先??正確には会津の子分である私のような者が現れたのだから、おのずと神経が高ぶってしまうのも無理はない。

 

「せやったら、なおさらや。あんさんの都合でしか物を見いひんようなら、反発は強うなりますえ。わては新選組を悪う言うつもりはあらしまへんのやけど、周りに波及する結果いうもんも考えてほしい言うてますのんや。」

 

正論過ぎて言葉もなかった。

藍屋さんは自分の店の評判が落ちるようなことを、抱えている女郎にはさせられないと思っているに違いないし、京に住まう者の一代表として私をきつく批判したのだろう。

言ってしまえば、この京の一大事に、自分の((妓|おんな))が心配だからと私情を挟む男のどこに誠意があるというのだろうか。端から見れば軽率であり、短絡的でしかない行為だ。

その他人から見れば浅はかだと思われる行為を、私はしようとしていた。

 

(無我夢中で気がつかなかったな)

 

親切心から生まれた藍屋さんの忠告は、素直にありがたく思う。

しかし、この機を逃してしまえば、いつ星さんに会えるかわからないのもまた事実だった。

 

(星さんに会いたい)

(彼女に会うなら、今しかないんだ)

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彼の言うことは少しの濁りもなく正しいけれど、だからと言ってこのまま素直に聞き入れられる話でもないのだ。今日のこのきっかけを落としてしまえば、たぶん私は星さんをとり戻せないだろう。私の直感がしたたかにそう訴えている。だったら、このまま引き退がるわけにはいかないだろう。

 

「大変身勝手なのを承知で、彼女に会わせてはもらえないでしょうか? この通りです。」

 

ろくな事情も話さずに、ただ会わせろというだけではどうにも心苦しいものがある。言葉で語れない分は、頭を下げることでしか表現の隙間を埋めることはできない。日頃から彼女の面倒を見てくれている人だ。その人をないがしろにしてまで会おうという気にはなれなかった。

 

(了承してくれるといいのだけれど)

 

ただでさえ、無理なお願いをしているのだ。それに加え、藍屋さんや星さんの体面も難しいところだった。丁重にならざるをえない。

そのことは彼も薄々気づいているらしく、とり直したように語調が柔らかなものに一変していった。

 

「片がついてからでも遅うないんと違いますか? 星さんは逃げへんよって。」

 

「私は星さんを迎えに来たんです。だから、今じゃないと駄目なんです。」

 

「迎え? それはまたどないな意味やろか? まさか駆け落ちでもするつもりなん? せやったら、なおさら会わすわけにはいかへんなぁ。」

 

一旦穏やかな表情にはなったものの、「迎え」と聞いた彼の表情は厳しいものに様変わりしていた。

意図的に語彙を用いたのはなぜかといえば、それ以外の表現を選ぶ気になれなかったというのが本音であり、他人に言わせればつまらない意地でもある。

 

(他人には馬鹿げていても、私にとっては譲れない言葉だ)

 

信念を発するのに、あえて言葉を使う必要はないのかもしれない。しかし、適切でない言葉を使うのは私の意地が許さなかったのだ。

未来からやってきた私にとっては「再会」というよりも、「迎え」という方が正しい響きを持っていて、それだけに信念を方向づける意味合いは強い。

 

「あなたに断りもなく彼女を攫うようなことはしません。ただ、彼女に会って今までの誤解をとり払いたいだけなんです。私はひどいことを言ってしまったから…二度と傷つけないと約束するために…」

 

もう一度彼女をつかまえられたなら、二度と離したりしないと心に決め、正面からぶつかり合うように彼の目を見つめた。

 

「沖田はんやってんな。あの娘を二度と立ち直れへんほどに、ボロボロにしたんは。」

 

とっくに知っていたというような顔をして、声の温度を下げながら彼は私を見咎めた。

娘の成長を見守ってきた親のような瞳で。

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「やっぱり…私には会う資格がないんでしょうか?」

 

会わせないと突っぱねられても、頑として居座る覚悟だった。

ただし、彼の立場や心情を思うと、それを誇示するだけの無神経さがなかったというだけで。

 

「正直言うて会わせたァない。ようやっと落ち着きはったんや。これ以上介入してほしくないんよ。」

 

花代で揚げる客の立場であったなら、こんなにはっきりとした物言いはしなかったに違いない。楼主ともなれば、客あしらいには慣れているはずだからだ。

それなのに、藍屋さんは今後の行く末を決めるような真剣さで、まっすぐに私を見つめている。

嫌な動悸が走った。

 

「沖田はんは自分の立場いうもんを分かってはるんと違いますか? 星さんを悲しませるようなことが、これから先もぎょうさんおますやろうに。ほんでも、彼女に会うんなら相応の覚悟いうもんが必要や。わてがあんさんやったら、まず会わへんね。あの娘をホンマに思うてはるんだったら、どうするんが一番ええんか分かるはずや。」

 

彼と同じことを考えて、彼女を一度手放した。そうするのが何よりの道だと信じて。

でも、それが間違いだったと気づいたときには命が終わっていた。

愛する人と想いを繋ぎ合わせるためには、命があってこそだと気づいた今、その正論を受け入れるわけにはいかなかった。

たとえ、他人の目に明らかなあやまちだと映っても、私はこの信念を曲げるわけにはいかないのだ。

帰ってきたという意味を見失わないためにも。

 

「藍屋さんの言うことは全部正しい。でも、私は一度した後悔を繰り返すほど愚かじゃない。彼女はどこです?」

 

もう他人に気兼ねすることなんてないんじゃないか。

彼女の後見人だからと、首を窄めて弱腰になる必要もないはずだ。

 

(だって、今度こそ彼女のために生きようと誓ったんだから)

(そのために戻ってきたんだ)

 

求める心に逆らわず、溢れる想いをそのままに、素直な気持ちで彼女に打ち明けようと思った。

私は、二度と君を失ったりしない、と。

 

「わてが首を縦に振らんでも、星さんはずっと沖田はんに気づいとったよ。」

 

「え?」

 

苦笑いを浮かべる視線の先には、火災の後遺症すら吹き飛ばしてしまうような、天色の清々しさが際立っていた。本堂手前の香炉脇に佇む彼女の姿は、周りの風景から抜け出たように何事にもとらわれない純真さを放っている。

小さい唇を引き結び、泪をこぼさないようにと懸命に耐えている姿は、私の胸を激しく波立たせ揺さぶった。

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「星さん!」

 

そう叫ぶのと同時に駆け出していた。

泪に潤む瞳が、またたいた拍子にきらりと揺れる。

 

(泣かないで)

 

あと一歩のところまで近づいて、じれったさに手を伸ばす。引き寄せられるようにして彼女の体が傾いていき、指先がふれ合ってぬくもりが絡みついた。

体の中心に歓喜の波が押し寄せては、押し拡げるようにすべての感覚を攫っていく。

受け入れられているという喜びが、いっそうあたたかい。

 

(あんなひどいことを言った私を受け入れてくれるんですね)

 

震える胸に彼女を引き寄せて、存在を確かめるように強く抱きしめた。

しなやかな指先が、肩が、息遣いが、私に抱かれて小さく震えている。

華奢だけれども柔らかい体の輪郭が、恋焦がす熱とともに淡く溶け合い、隙間なく重なっていった。

 

「沖田さんっ…どうして?…もう会わないって…沖田さん…会えなくても平気だって…」

 

掻き毟られるほどの喘ぎを、突き破りそうな痛みの中心に覚える。

何年ぶりかに聴く愛おしい人の声は、嗚咽を含みたどたどしくつっかえながらも、何とか声を引き出そうと一生懸命だった。

 

狂えるほど愛おしい。

今はただ、何と引き換えにしても、彼女がほしかった。

 

「私がどうかしていたんです。謝ります。本当にすみませんでした。どうか…」

 

(許してほしい)

 

自然とそんな言葉が出かかって、罪悪感とともに呑み込んだ。

 

彼女のこめかみに唇を押し当てて、一言一句に懺悔の思いを込めていく。

時を翔けてまで探し求めた私の切願が、彼女に届くようにと気持ちを込めながら。

すると、彼女は拒むように額をすりつけて、駄々をこねる子どもみたいにふりふりと首を動かしている。

 

「…っ…いまさら遅いよ…」

 

開かずの扉を必死に叩くように、彼女の拳が胸を突く。いったん開きかけたはずの心が力を失い、青褪めたように小さく弱くなりやがて固まってしまった。こわばる唇からは何も発することができない。

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(そんな…間に合わなかったっていうのか?)

 

遠い日にできた心のしこりが、爛れたみたいにじくじくと痛み出す。

静かだけどきっぱりとしたその拒絶は、刀剣のごとき斬れ味でそのしこりを刺し貫いた。

 

(彼女が言うのももっともだ)

(今さらこんなこと、勝手がすぎる)

 

どんなにあやまちを悔いたところで、過ぎ去ったあの夜の出来事は消し去ることができない。

柔らかい心が無数の棘をはらむことになったのも、すべてはあの夜の私が原因だ。

その張本人である自分が、こうも安々と許しを乞うなんて許されるものではない。

 

「そうですね。いまさら許してほしいだなんて、虫が良すぎるな…」

 

私は、安堵しかかっていた自分の浅はかさを恨んだ。

一時でも自分を受け入れてくれた彼女を知り、今までのすべてが許されたんだと愚かな錯覚を起こしてしまったのだ。

でも、そんなのは勝手に描いた甘い夢でしかない。

 

(言葉がこれほど重いとは…)

 

――私に会わなければ、沖田さんは幸せになれるの?

 

彼女の悲痛な叫び声が、今も脳裏にこだまする。

 

(あなたが隣にいてくれるからこそ、私は幸せになれるんだ)

 

それをいまさら望むなんて、すでに遅いのかもしれない。

 

「自己満足かもしれないけれど、謝ることはできた。だから…」

 

(もう、これっきりにします。)

 

そう言おうとして、声が出なかった。

あの夜と似た科白を繰り返さなければならない自分のことを、とても滑稽だと思ったし、救いようのないほど憐れだとも感じていた。

 

(玉砕するために戻ってきたのか…)

 

心が虚ろに漂う。

ところが、事はそれだけで終わらなかった。

 

もうおしまいなのかと離れかけた私の腕を、彼女は意固地になって引っ掴み、さらなる罪状を下すようにきつく締め上げたのだ。

精一杯眦をつり上げて、逃がすものかという目をしている。

この細い腕のどこにそんな力があるのかというぐらい、袖の上から力任せに握りしめて、怒りをぶつけるように揺さぶりをかけていく。

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「沖田さんの謝罪って、その程度のものだったの? もっとありったけの言葉でぶつかってきてよ! 必死にしがみついてくれなきゃ嫌っ…」

 

一瞬だけ自分の耳を疑った。

彼女に駆け引きなんて似合わない。

こんなとき私が土方さんだったなら、彼女を追いつめるような言葉は決して口にしなかったはずだ。

それに比べて私はなんだ。

彼女の素晴らしさを損なうようなことを平気で言わせてしまうなんて。

 

「まさか、そんなことはない。あなたに許してほしくて、どう謝ればいいのかとずっと考えてた。胸がかき毟られるほどの痛みに喘いできた。もし、謝罪を受け入れてくれるなら、私の一番大事なものを捨ててもいい。」

 

揺さぶりをかけられたから言ったのではない。最初からそのつもりで言ったのだ。

新選組の剣士としてのプライドを、彼女と引き換えに捨て去るつもりでいる。

それをすれば今後どうなるかというところまでは考えが及ばなかったけれど、労咳であるという事実が他の選択肢を済し崩しに奪っていくのなら、流れ着く岸辺は決まったようなものだ。

 

「一番大事なもの…? それって、新選組として命を使うことですよね?」

 

会津中将様を通して「新選組」を拝名した当時、「今すぐ新選組を抜けてほしい」と彼女は無茶な願いを口にして泪を浮かべていた。

あのときのことを今でも私は克明に記憶している。

いわば、数ある記憶の棘として今もなお刺さり続けているものだ。

今こそその願いに応えようというのが、かねてから私が考えていた未来の設計図だった。

 

「そうです。」

 

迷いなく肯定すれば、きっと彼女は喜んでくれるに違いない。そう思っていた。

でも、表情はいつまでも燻ったままだし、思案顔の彼女がしばらく口を開くことはなかった。

やがて、彼女は意を決したように手のひらを握り込め、万感の思いを込めるように否定の言葉を繰り出した。

 

「…そんなの駄目だよ。だって、沖田さんから新選組を奪ったら、目の前の光を奪うのと一緒じゃない…それに、近藤さんや土方さんだって困るよ。そんなのは私、望んでません!」

 

安堵する顔見たさに決断したことなのに、彼女はなおも畳みかけるように駄目押しを重ね、きれいな眉をギュウギュウに押し詰めていた。

まるで、自分のせいで誰かを傷つけてしまうとでもいうように、激しい否定の中に自己嫌悪のようなものを滲ませて私の決断を狂わせようとしているみたいだった。

 

(今の私にとっては、あなたこそが目の前の光だというのに)

 

「困ったな。何を引き換えにすれば、星さんに許してもらえるのか、とんと分からないや。」

 

女子の考えることは、素手で鰻を掴むより難しいと聞いていたけど、まさかこんなに難解だとは露ほども思わなかった。

彼女が負い目を感じなくて済むような究極の方法論など、機微に疎いこの私には到底見つかりっこない。私と彼女が心から納得できるような着地点などあるのだろうか。

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すると、彼女は痺れをきらしたように喉元を震わせ、どうしたことか泣き笑いの表情になった。

 

「あぁもう!! 沖田さんの野暮天!」

 

遠い日に聞いた懐かしい言葉で、星さんは私の腕を容赦なく叩き打つ。その拍子に、お互い言い争った「どんどん焼け」の光景が紅い帷を寛げながら煌々と甦っていった。

あのときと同様に、彼女の言い分は遠慮がない。それが、なんだかくすぐったいようで、うれしかった。

 

(やっぱり、星さんは星さんだ)

 

罵る口調すらも愛おしいと思えるのは、普段は気の優しい彼女が、本気の感情をぶつけてくれたうれしさがあったから。

想いを紡ぎ出す生きた言葉は、どんなにありきたりで拙くとも、私にとっては嘘偽りない真心に違いないのだから。

 

「あなたに面と向かってそう言われると、やっぱり傷つくなぁ。でも、それだけ私が愚か者だということでしょうね。」

 

「そうですよ。やっと気がついたんですか? 私だっていっぱい傷つきました。つらすぎて、おかしくなりそうなほど…」

 

泣き止んだと思ったら、また思い出したように泣き始める彼女を見て、その泪を止めないわけにはいかなかった。

ありったけの想いを込めて見上げる彼女の瞳。その目尻を指の背でそっと拭う。

 

「嫌いになりましたか?」

 

反論をしてほしくて、試すように囁いた。私は卑怯なのかもしれない。

ひどいことをしたという自覚がありながら、彼女を夢中にさせる男でありたいとひたすらに念じている自分がいる。

私にとっての彼女がそうであるように、他の誰を差し置いてでも彼女の一番になりたかった。

 

「…っ、ずるい! そんなのはずるいです! とっくに知ってるでしょう?」

 

拗ねたように頬を膨らませて、ひときわ純粋な瞳が私を見上げていた。

小さな硝子星の中に浮かぶのは、ただ一人私だけだ。

言をねだるように瞬きを忘れた瞳は、私が言うことの答えをとっくに知っているとでも言いたげに、強い覚悟を秘めている。

 

「星さん。あなたを迎えに来ました。もう一度、私を選んでくれますか?」

 

手を伸ばすのが怖いと思ったこともある。

心にとどめておけないほどの愛しさは、告げた瞬間から後戻りできないことを知っていた。

私の恋は臆病だ。

その臆病な恋から卒業しようと思う。

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「私はもうずっと前から沖田さんだけです。あなた以外の人との人生なんて考えられないもの。」

 

(私も、星さんと歩む人生以外は考えられない)

 

喜びで心が満たされていくのを感じた。こういうのを幸福というのだろうか。

延々と続いた私の人生に、二度も巡る幸せ。不可思議で贅沢な話だけど、喜びはもう隠しきれない。

ただ一点だけ気がかりなことが、ふと頭の片隅に浮上する。こんなときにかぎってそれは、私の喜びを盗むかのように暗い顔をぬるりと覗かせるのだ。

それは、私が一度死んでいること。

その事実を彼女に知らせなければならないと思った。

 

「私も同じ気持ちです。しかし、これからあなたと歩いていく前に、ひとつだけ、どうしても言わなければならないことがあります。」

 

そんなふうに前置きをし微笑をしまうと、心得たという彼女の笑顔は屈託がなかった。

 

「新選組が一番ということですよね? それなら私は…」

 

「いいえ。そうではなくて…」

 

以前の私ならば、迷わず肯定していたことだろう。

しかし、今の私は人生を一度終えた男だ。二度目に轍を踏むということはない。

意図して打ち消しの語句を強調すると、彼女は不審がって袖を掴む指に力を込めた。

揺れる瞳に不安は必要ないのだと教えるため、やわらかい頬を手のひらで包み額に触れるだけのくちづけをした。

彼女がくすぐったそうに微笑んだとき、私は意を決してこの言葉を伝えたのだった。

 

「実は私、未来からきたんです。」

 

説明
Essentia seriesのラストになります。
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艶が〜る,沖田総司,幕末,長編

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