Aufrecht Vol.11 「走馬燈」 |
「こっぴどくやられたみてぇだな。」
行商帰りのその人は、日野に立ち寄っても無愛想な挨拶をするだけで、荷を担いだまま牛込へと直行するのを常としていた。そんな工合だから、着くのはだいたい夕刻になる。彼がどこからやってくるのか興味があり、一度だけ道場を飛び出して調べに行ったことがあったが、そのときは偶然を装って帰路をともに歩いたりした。お互いに照れくさかったのもある。迎えに行く方も、来られる方も、なんとなく面映ゆい気持ちになるのだ。そうして二人並んで道場に帰ると、待ち構えていた近藤さんが「弟を持つってのもいいもんだろ?」と満面の笑みで茶化していたのを思い出す。そのとき決まり悪そうに顔を伏せた土方さんが、なんだか微笑ましくって印象的だった。
悪天候や諸事情で遅くなるときは、みんなが寝てしまってから到着することもあった。そういうときの土方さんは、老先生の居室に堂々と入っていき何食わぬ顔で寝床に就く。家人に気心が知れているとはいえ、なかなか図々しいと思う。
ある日、見兼ねた近藤さんがこんな提案を持ち出し、半ばたしなめるように言った。
「日野で一泊してからの方がゆっくりできていいんじゃねえのか?」
すると、彼はむすっと不貞腐れてこう答えるのだ。
「姉さんにあれこれ訊かれるのが面倒なんだよ。」
思春期などとうに過ぎているというのに、世話を焼きたがる母親を煙たがるみたいに彼は言う。近藤さんは近藤さんで、また別の発想をするものだから、彼の遍歴に華を添えるだけだった。
「ははァん…色男は肩身が狭いってわけか。」
「ま、そういうこった。」
あくまでそういうことにしておきたいらしい。その方が楽なのだろう。彼は、縛りつけられることを何よりも嫌がった。気ままに薬を売り歩き、男やもめの気楽さに慣れてしまっているのだ。舞い込む縁談はことごとく断り、所帯を持つ気など一向になく、他所の土地で一夜かぎりの火遊びをしたり、遊女の情けを当てにして吉原なんぞに潜り込んだりしているのだ。本当は何から逃げたいのか大人は見当がついていたらしいけれど、いくら本人が抗って見せてもそれは時間の問題だと思われていた。それを認めたくがない故に、大刀に見立てた木刀を彼はいつも持ち歩いているのだ。
(土方さんはだらしのない人なんだ)
大人たちがそう言っているのを聞いて、いつしか私の脳にもそれが定着していった。言葉そのものを思考が受け止めているというだけで、別に軽蔑する気持ちなんて起きなかったし、だらしがないというよりも、むしろ変わった人だなというイメージの方が先行していた。
江戸は土着の民の方が少ないくらいで、地方からやってくる武士や商人の方が圧倒的に多い。価値観の異なる人々が暮らしているということは、その分だけ事情もさまざまだということだ。
土方さんは多摩の産だけど、彼にだって人とは違った考え方があって当然だと思う。それを知るのは、もっと先の話になるけれど。
「べつに土方さんをまっていたわけじゃありません。ひとりになりたくて、気づいたらここにいただけです。どうぞおかまいなく。」
亀岡八幡宮の石段に座り込んで、市谷御門をまたぐ人の流れを目で追っていた。境内を挟んだ向こう側には、尾張の立派なお屋敷がある。この地区は大名旗本が塀を連ねているため、それ相応の身なりをした武士の姿も珍しくはない。そんな中、塗りのはげた葛籠を背に、「くすり」と書かれた幟を掲げ、土方さんは寸分の迷いも見せずにこちらへ向かってくる。
「今度は何やらかしたんだ?」
「人ぎきのわるいこといわないでください。わたしはただ、ためしたかっただけです。」
「試す? 何をだ?」
土方さんは、好奇の目を隠そうともしなかった。背負っていた葛籠を慣れた手つきで地面へと降ろし、私と同じようにして石段の隅に腰を下ろす。葛籠には傘の下に丸と書いてあり、ところどころ塗りが剥げていた。相当の年季物と思われるが、実際はどうなのかわからない。たぶん、彼の扱いがぞんざいなだけだ。何せ、これを背負って道場破りをするのが趣味なのだから。彼にとっては地方の道場破りが主たる目的で、ついでに家伝薬を捌いてくるというのを好んで繰り返していた。
何代にも渡って受け継がれたように見える葛籠は、知らない土地へ行ってもお客さんの信用を勝ち得るのだという。その葛籠の角が、鳥の糞を下敷きにしていることに、土方さんはまったく気づいていなかった。野鳩の糞かもしれない。牛込界隈には野生の鳥だけではなく、人の手によって飼育されている鳥も多かった。下屋敷あたりでは、御家人などが副業のために育てていたりするから、鳥のおしゃべりが聞こえない日はないのだ。
何の感情もなくその糞を見つめていると、どこからともなくチチチと細い啼声がした。仲間を呼んでいるみたいに頼りなくて、なんだか物憂い気分になる。
「道場にまつってある刀が、どれほどすごいきれあじなのか知りたかっただけです…」
むきになって左手を突き出し、押し広げた手のひらから縦中央に裂かれたごく浅い傷を見せつける。すると、土方さんは食い入るように見つめた後で、口をへの字に曲げ腕組みをし始めた。人生の先輩として、ここは何か言ってやらなけりゃいかんというような意気込みを感じる。
「お前なぁ…無闇に触ったりする奴があるかよ。そりゃ、近藤さんも怒るはずだ。」
近藤さんが叱りつけている様子が見えるのか、どこともない空間に目を向けて彼は苦笑を洩らす。
「なぜです? 刀にきょうみを持つことは、わるいことじゃないでしょう? わたしだって、もとは武士の子です。げんぷくしたら、父上のかたみを持ちあるくつもりでいます。」
父上が遺してくれた刀は銘刀なんかじゃない。無名の刀だった。それでも、私にしてみたら大事な形見だった。沖田家の伝統にならい、元服と同時に受け継ぐことになっている。私は、ひそかにその日を心待ちにしているのだ。父上の刀を譲り受けるその日までに、私は真剣の重さに慣れておこうと思っていたし、大刀の扱いにも通じておきたかったのだ。事前準備のための試みを知ってか知らずか、近藤さんはものすごい剣幕で叱りつけたのだった。叱るだけにとどまらず、すさまじい鉄拳が一発、私の顔目がけて飛んできた。その衝撃は言うに及ばず、宙を跳ね、板目を転げ回るという派手な一幕となった。今もなお、左の頬は痺れている。
「餓鬼だな。刀は玩具じゃねえ。そんな安っぽいもんだったら、世の中の大半が刀提げてらァ。」
小馬鹿にするよう言うけれど、彼の指は腫れた頬を慰めるかのように優しく、女の人のように繊細で真綿のようなあたたかさがあった。今まで一度だってこんなふうにしてくれたことがなかったから、私はもうそれだけで胸がいっぱいになってしまい、彼の言う言葉の意味なんてほとんど考えもしなかった。目ではなく、鼻に涙が滲んでくる。
「土方さんも近藤先生とおなじだ。すぐにわたしを子どもあつかいしたがる。木刀だって振れるようになったのに。」
親指の根で鼻を押し上げながら、垂れる涙をグズグズと拭う。そうやって抗議をしている最中も、なぜかまぶしいものでも見るみたいに彼は目を細めていた。
「事実、まだ子どもだろうが。お前は、刀の持つ意味を理解してない。」
「それなら知ってます。刀は身をまもるためのものです。それから、罪人をさばくためのもの。刑場でみました。一刀で首をおとしちゃうんだもの。」
武士には「斬り捨て御免」という特権がある。実際に現場を見たことはなかったけれど、武士は生まれながらにして特権階級であり、野心家であれば一度は夢見る職業だった。幼心にも羨望は募り、圧倒され、憧れは日増しに強まっていく。刀は強さの象徴だった。
世の中がいよいよ不穏になってくると、押し込み強盗や辻斬りが横行する。悪事を働いた人間を裁くのにも、最終的には刀がものを言う。世間知らずの剣術小僧にとっては、恋い焦がれるのに等しいほどのときめきがあった。
「わざわざそんなのを見に行きやがったか…」
それを聞いた土方さんは、嫌なものを押しつけられたみたいに微妙な表情をしていた。それでも構わずに、私は見たものを誇らしげに語った。そうすれば、きっと一人前だと認めてくれるに違いないと思ったのだ。
「はい。やじうまがたくさんいましたけど、いちばん前で見られましたよ? あさえもんさんはおみごとです。すいこまれるようなきり口で…」
そのまま続けようとするのを押し切って、一番大事なことを告げるみたいに彼は顔を覗き込んできた。肩を掴んだその指は、さっきとは別人みたいに重みがあって力強い。その場が研ぎ澄まされたようにキンとなって、私は思わず身をこわばらせた。彼の目は凛として私をとらえ、絶えず清らかなものを注ぎ込んでくる。
「総司。あのな、お前は何か勘違いしている。刀は人殺しの道具なんかじゃねえぞ? ましてや、人を裁くための道具でもない。」
土方さんが話す言葉には、心の門扉を叩くような不思議な魅力が備わっていた。端的に言えばそれは説得力というやつなのかもしれないけれど、聴き手を納得させるのには、まず話し手の誠実さというのが第一条件になってくるはずだ。その人の意見にどれだけ共感するかは、生き様や人徳がかかわってくる。残念ながら、土方さんは誠実とは程遠い評価を受けているし、人の徳にあやかる方のタイプだった。
(もしかすると土方さんは、正直で頭のいい人なんじゃないのかなぁ?)
大人たちの目からするとだらしがないのかもしれないけど、彼らは土方さんの本質を理解したうえでそう言っているのだろうか。だらしなさなんてどこを探しても見つからないし、こんなにも精悍な人をだらしないと決めつけていいのだろうかと思った。
(わたしはちがうと思うな)
子どもに言っても解るわけがないと大抵の大人たちは甘く見ているが、土方さんは相手が子どもだろうと手を抜いたりはしなかった。誠意にあふれていた。本気で間違いを正そうとしてくれているし、自分が培ってきたものの中から教えようとしてくれているのだ。
子どもというのは大人が思うよりも敏感で、心は傷を作りやすく、その反面ではあらゆるものを吸収するやわらかさを持つが、大人がそれを意識していることはほとんどない。対峙する相手が大人であろうと、その正体をきちんと見抜いているのが子どもならではの観察力であり、純真だからこそなせる本能の一種だった。
(土方さんはだらしなくなんかないんじゃないのかなぁ?)
目の前にいるこの人がとても頼もしく感じられるのは、気のせいなんかじゃないんだろう。説明の良し悪しはともかく、真剣に向き合ってくれているこの人を見誤ってはいけないんだと思った。
自分の目と耳とで感じたことが本物で、本物の土方さんだけを心に留めておこうと決めたのがこの瞬間だった。
「おい。ちゃんと聞いてるのか?」
「ん〜…??」
土方さんを見直したと強く感じたのはいいけれど、彼の言っていることはいまいち頭に馴染んでいかなかった。子どもの私には早すぎたのだ。それでも根気よく説明しようとして、身をかがめた土方さんは声色をおだやかなものに変え、言葉のひとつひとつを丁寧に発し、そこに自分の信念を込めるかのように熱心だった。
「教えてやるから、よく聴いとけ。刀ってえのは、手前を証明するためのもんだ。誰かを斬り殺すためじゃねえ。結果そういうことになったとしても、結果の前に動機がある。…いや、道理と言った方が正しいか。」
「どうき? どうり??」
子どもにとったら結果こそが最大の愉しみで、その過程に含まれる動機や道理というものは感覚として掴みにくい。
彼は社交性の高い人間ではあったけれど、子どもの扱いに関しては少し難点があったみたいで、噛み砕いた表現ができていなかった。大人との付き合いが多いせいか、子どもの目線に立った説明というのが苦手なんだと思う。土方さん自体が末っ子ということもあり、自分より年下の人間に対してどう接していいのかわからなかったのかもしれない。
「簡単に言うと理由だ。お前にもそのうち分かる。分かるまでは、二度と触ったりすんじゃねえぞ。近藤さんだけじゃなく、俺も許さねえからな。」
許さないという言葉は、使う人間によったら脅しにも近いけれど、土方さんの使うそれは血が通っていて親しみにあふれていた。
(どうしてかな…土方さんにそう言われると、言うことを聞いてしまいたくなるんだ)
まるで呪文にかけられたみたいに、自然と頭が頷きを返し、胸の中は爽快な青空に似て晴れやかに染まる。難しいことを押しつけられて、本当はモヤモヤとしているのが普通なのに、それすらないことに気づいて内心驚いていた。
「…よくわからないけど、わかりました。」
土方さんの言うように、わからないこともそのうちそのうちわかる日が来るんだと思うと、わくわくする気持ちが弾けそうになっていた。微笑みが、胸の内側から自然に湧いてくるような気がする。
(もっと土方さんとなかよしになりたいな)
土方さんが、同じ気持ちだという保証はない。しかし、少なくとも嫌われていないことだけは確かだった。表面では呆れたふりをしながらも、もっと甘やかすような行動に出たからだ。
「ったく…しょうがねえな。ほら。」
見計らったように差し出すのを見て、私はよりいっそう瞳を輝かせて飛び跳ねた。彼の手に握られているのは、近頃とみに見かけるようになった飴売りのお土産だ。細く割いた竹の先に、きらきらとした鯉のぼりがついている。鯉のぼりと言っても、こどもの日に見られるような伝統的なものではなく、鯉が天を目指して泳ぐ縁起物の姿をしていた。
「わぁ! 唐人飴! ありがとうございます!」
その手に飛びついてニッコリ笑うと、彼は気恥ずかしそうに手を離し、鯉が口の中に放り込まれるのを満足そうに眺めていた。
「やっぱり餓鬼だな。お前にはそいつが似合いだ。」
飴を頬張りながら、聞こえないふりをした。彼もまた、聞こえていなくても構わないという調子で小声だった。暮れなずむ空の下、おだやかな時が流れていく。
「ついて来い。一緒に帰ってやる。近藤さんの怒りも引いてる頃だろう。」
葛籠を背負い立ち上がった土方さんが、何の気なしに手を差し伸べてくる。迷わず自分の手を重ね、親しみを込めてキュッと握ってみせた。ボコボコした竹刀だこが、誰の目も届かない場所で努力の証をひっそりと主張している。大人も知らない彼の秘密を知った気がして、私はこっそり微笑みを浮かべていた。
「土方さん。いつかわたしと立ち合ってくださいね? やくそくですよ。」
・
・
・
やさしい色をした思い出がふっつりと途絶え、それっきり何も見えなくなっていた。
夢から醒めたみたいに、思考は何も映さない。ゆっくりと瞼を開けば、そこはもとの清水だった。ふと目線を仰げば、刀を振り上げている土方さんが見える。状況判断ができるほど冷静でいられるのは、時が止まったように感じられるからだ。
(筋道が立たなければ、刀を持つなと私に言いましたよね?)
(だったら、あなたはどんな理由で私を裁くというんです?)
(土方さんの言う道理ってなんです?)
法度こそが、彼の言う道理なんだろうか。
(答えはすぐにわかりますよね?)
土方さんが好きだった。されていることに反して、馬鹿みたいに心の底から敬愛している私がいる。たまに憎いと思うこともあったけど、なんだかんだできれいさっぱり忘れてしまう。どうあっても憎めない人なのだ。むしろ私という人間そのものが、彼のことを憎めないようにできているのかもしれない。出会ったときから、そういう体質だと思っていた。体質っていうのも変だけど、土方さんと私は存外相性がいいのだ。
こういう結末はまったく予想してなかったけれど、土方さんを怨めしいとも思わないし、自分のしていることを恥だとも思わない。
(思い残すことといえば、約束を守れなかったことかな…)
遺言のようなものを頭の中でしたためて、夏夜の湿っぽい空気を胸いっぱいに吸い込んだ。凪いだ風が急にやんで、時間が途切れたのかと諦めの気持ちが芽生えていく。うなじには薄ら寒い気配が漂っていた。
(ついに…)
死んだのか――
もはや手の打ちようもなくガックリうなだれると、首の先に重みがあることに気がついてハッとした。飛ばされたはずの首をもたげれは、目だけで怒気を発する土方さんが、血濁りのない刃を構えて見下ろしている。
「薄みっともねぇ真似はよせ。いつまで強情を張るつもりだ。立て。まだ脇差しが残ってる。脇差しが折れても鞘がある。鞘を失っても拳がある。隊士に檄を飛ばしていたろう? 偉そうに手前で言ったことだ。実践しろよ。」
説教を垂れる土方さんの顔は、いつの間にか副長のそれに戻っていた。やろうと思えばやれたはずなのに、なぜ寸前で考えを変えたんだろう。命が助かったことを安堵すべきなのに、私はやりきれない思いでいっぱいだった。
(土方さんは、どこまでも私をコケにする!)
そして、誰よりも私に甘いのだ。こんな人が鬼の副長だなんて、嘘っぽくて笑えると思わないか。私たちは、一体何を懸けて争っているのだろう。泣きたいような、怒鳴りたいような、そんなどっちつかずの感情に挟まれ、私はとうとう自分を見失っていた。
「強情なのはどっちです! そんなだから、山南さんは腹を斬らなければならなくなるんですよ!」
どうしてもっと自分を大事にしないんだろう。仲間のために、組のために、自分をとことん犠牲にして、どうしようもないことを張り合って、一体誰が喜ぶというのだろう。そんな意地の張り合いを誰が認めるものか。
「腹を斬るとはどういうことだ。山南はそういうつもりでいるのか?」
彼はさっきよりも遙かに動揺していた。決死の覚悟を決めた山南さんが、私にだけ打ち明けたのだと信じきっているようで、自分が知らされていなかったことにショックを受けているようだった。
「言ったでしょう? 私は一度死んでいると。私が死を待つまでの間、何人が命を落としたと思ってるんです?」
(土方さんが私だったらどうしただろう?)
山南さんが死んでしまうかもしれないと知ったとき、彼だったらどうやってそれを止めるんだろうか。まさか、見殺しにしたりはしないはずだ。
「おい…まさか、本気で言ってるのか? 山南は死ぬのか?」
現に、土方さんはさっきまでの覇気を失くしていた。そういうシナリオを作ったのは、自分の不始末だと顔に書いてある。態度では疎ましくしていても、心は試衛館時代のまま変わっていないんだと思った。なればこそ、考えを変えてもらわなければならない。彼の意思と態度次第では、未来を大きく変えられるのかもしれないのだ。
「残念ながら、今の状況ではそうなります。なぜなら、屯所を西本願寺に移すからですよ。」
「西本願寺に移転することと、あの人が切腹するのとどう関係があるってんだよ?」
核心を突いて出たつもりが、もっと彼を困惑させる結果となってしまった。もったいぶるなと言わんばかりに、答えを要求する眸が鋭さを増している。いつの間にか兼定は鞘に収まっていた。
「嫌だなァ。土方さんだって薄々分かってたんでしょう? 山南さんは移転に反対です。」
「手前の意見が通らないからって切腹するのかよ。そりゃあいくらなんでもめちゃくちゃだ。理由になってねぇよ。」
「反対すること自体が理由じゃありませんよ。我々がそれを強行することで、山南さんは脱走を図るんです。」
「……」
言葉を失った土方さんは、自分の信じてきたものに刃を向けられるみたいに茫然としていた。これ以上続ければ、土方さんはもう自分を信じられなくなってしまうかもしれない。死んでいく仲間を羅列していくのは、彼にとっての悪夢でしかない。足枷にしかならない。思考を乱切りするのに等しいとわかっていたけれど、それでも私は土方さんの心に杭を打ちたかった。こうして私を生かしたように、仲間の誰も殺してほしくなかったのだ。
「藤堂さんも救えませんでした…それに…」
「もういい。やめてくれ。知りたくもない。」
土方さんは吐き気をこらえるように、口もとを手で覆っていた。抱えきれないものを一度に背負ったみたいに、整理のつけようがなく混乱しているように見える。
(土方さんだけが頼りなんです)
祈るような気持ちで見つめていると、土方さんはしっかりと私の目を見定め、解釈を裏返したようにビックリすることを言った。
「この俺を信じるってェのか?」
「―――― !!」
(信じていいのかって、逆に問うところでしょうに)
頭の中に反論が浮かんだけれど、好転反応を覆すなんて愚かな真似をするはずもない。その代わり、約束をとりつけるみたいに念には念を重ねた。
「山南さんのこと、助けてくれますよね? 死なせたりしませんよね?」
「約束はできない。だが、俺にも内省の余地はある。ただ、西本願寺は容保公の推挙もあるから、俺の一存ではないことは確かだ。そこをあの人に分かってもらいてぇ。」
信じがたいほどトントン拍子に話がまとまっていった。もしかすると、山南さんは死なずに済むかもしれない。
(あとは山南さん次第か)
土方さんが一歩退いたとき、山南さんがどんな反応をするのかにかかっていた。言いようによっては、山南さんも折れるかもしれないし、お互いが歩み寄るチャンスにつながるのかもしれないとも思う。
「よかった。いい方に転がればいいですけどね。」
ぬか喜びする私を目の端に据え、土方さんはあからさまに嫌な顔をしていた。彼としてみれば、相当なプレッシャーなんだろう。もちろん土方さんだけを当てにして、高みの見物をするつもりはない。私だって何かしかの役に立とうと心に決めている。
「さあな。で、この話はしたのか?」
誰に、とまでは言わなかったけど、言わなくても誰を指しているのかは明白だ。
「まさか! とてもじゃないけど言えませんよ。だって、どう考えても気が狂ってるとしか思われないでしょうが。」
山南さんに、余計な負担をかけるのは嫌だった。最初から話すつもりもなかったけど。
「同感だ。総司は気が狂れていやがる。まともに受け合ってやる阿呆は俺くれェのもんだ。」
冗談だか本気なのかわからないところが、土方さんらしくてホッとする。どうして信じる気になったのか、今は聞かないでおこうと思った。
「なんとでも。しかし、スッキリしたなぁ。憑き物がとれたみたいに。」
「俺に重荷を背負わせておいて、どの口が言いやがる。行くぞ。」
嫌味と同時にヒラリと身を返し、何も起きなかったかのように土方さんは歩き出す。空はもう白みがかっていた。まだ秋の始まりだから、夜はあっという間に過ぎていく。欄干にくっついて街を見下ろすと、太陽が東の地平線に手を伸ばしているのが見えた。あと小半刻もすれば、日の出が見られるだろう。
(この日のことを憶えておきたい)
土方さんと並んで、どうしても朝日が見たいと思った。そういう特別な時間を残しておけば、交わした約束も尊いものとして心に刻まれるだろうから。
「せっかくだから、暁光を拝んでから帰りましょうよ。」
誘ったのはいいけれど、土方さんはつれなくして足早になる。あの日と同じように、照れくさいのかもしれない。
「馬鹿言え。課題が山積みなんだ。とっとと帰ェるぞ。」
慌てて追いかけるけれど、追いつこうとするたびに速度を上げ、どんどん離されていく。
「ケチ!」
清水で朝陽を浴びるのは諦め、仕方なしに屯所へと戻る私であった。
説明 | ||
艶が(版権)沖田長編。試衛館時代の話なので、非公式の設定になっています。 | ||
総閲覧数 | 閲覧ユーザー | 支援 |
273 | 273 | 0 |
タグ | ||
艶が〜る,沖田総司,土方歳三,試衛館時代,長編 | ||
扇寿堂さんの作品一覧 |
MY メニュー |
ログイン
ログインするとコレクションと支援ができます。 |
(c)2018 - tinamini.com |