雪風とじゃんけんと 後編 |
「いい? じゃんけんってのはね、代理戦争なのよ」
初風の言葉に、雪風は心底自分の不運を呪った。磯風は、初風の至極ご機嫌な笑顔を見た瞬間に寮を出て行った。彼女は、間違いなく正しい選択をしたのだろう、と雪風は尊敬の思いで磯風の後ろ姿をぼんやりと眺めていた。天津風も時津風も遠征中で、浦風谷風浜風も今夜は鎮守府にはいない。四駆の面々は地獄の様な演習ラッシュに放り込まれている。上の三人はいつものように司令部に缶詰だ。秋雲は危険を察知しているのか、今日は見ていない。というか、他の駆逐艦の面々も今夜はいやに少ない。多分、昼間の追いかけっこを見たり聞いたりで、色々と噂が広まっているのだろう……。
「勝敗を決するのは、三つの選択肢のどれにすべてを賭けるか、その選択のみ。シンプルでいいわね」
「そ、そうですね……」
雪風が消え入りそうな声であいづちを打つ。初風は満足げに頷くと、言葉を続ける。
「そう。そして勝者は敗者に対して絶対的な立場に立ち、敗者は勝者の思うがままになる。ここはとても重要ね」
「えっと……」
「いい、雪風。私はまだ勝負に勝っていない。そもそも勝負はこれから始まる」
「そ、そうですね……」
「もし私が勝ったら、はおいといて」
初風が何か箱の様なものを脇にどける仕草をする。
「雪風が勝者となったら、私に色々命令できるわけよ? 楽しくない?」
雪風が初風にそんな命令なぞしよう日には、氷のように冷たい視線で心臓をえぐられます、と雪風は声を大にして言いたかった。だが、もうそれが何になるわけでもなし。雪風は諦めていた。雪風が勝とうが負けようが、どうあってもいい方に転ぶことは無さげだ。ならばもう何も期待はすまい。
「え?と、つまり……じゃんけんで王様ゲームをするという……」
「は? そこまで言ってないでしょう」
「え? でも、さっきの言い方からすると……」
「やだもう、雪風ったら。何させるつもりなのよ?」
「そ、そうでしたか?、雪風早とちり」
「じゃんけんって言ったら野球拳でしょうが!!」
「あ、あれですよね、野球拳って言ったら、負けた方がストリップしていく」
「あんたも大概変な知識ついてるわね……」
初風の呆れた様な声が何やらおかしくて、雪風が笑みをこぼした。すると、初風は拳をぎゅっと握りしめて、その拳を天高く突き上げた。雪風が呆気にとられて見ていると、そのままベッドに倒れ込んで、布団に何度となく打ち付けて始める。
「あ、あの?……初風さん……」
「はっ! しまった。つい……」
わざとらしく咳払いをして、初風は改めて雪風を見た。
「いい? わざわざ人払いしたんだから、本気でやるわよ!」
初風が再び拳を握りしめた。その瞳は戦場のそれであり、その言葉には重々しさすら感じられた。本気も本気、まぎれもなく本気だ。もし傍に人がいれば、やだ、何でこの人野球拳でこんなに本気になってるの、と声を潜めそうなくらい初風は本気の様相を呈している。雪風も、初風の目を見て、心を決めた。何であれ、本気で臨む人には本気で付き合う。それこそ人の道ではないのか。雪風は大きく息を吸って、そして吐いた。
「うわー、やっぱり無理ですー」
さすがにことがことなので、雪風は恥ずかしさのあまり大きく取り乱して、部屋を飛び出した。そしてすぐ初風に捕まって、ずるずると部屋に引きずり込まれて行く。
「あうあうあう?」
雪風は部屋中を見渡して、いつぞや磯風が置いていった茶色い瓶に目を止めた。そして、瓶をひったくると、ぐいっとあおり、ごくりと咽を鳴らした。
「あ、こら、そんなに急に飲んだら」
「シラフではできません!! 雪風にだって覚悟はありますが、それとこれとは話が違いまふ」
「あ、まぁ、はい」
雪風の怒号に気圧されて、初風の勢いが削がれた。これはひょっとして沙汰止みになるかも、と雪風が熱くなった喉の奥で期待を膨らませていると、初風は雪風の瓶をひったくって、雪風のように瓶に口をつけてゴクリゴクリとウイスキーを飲んだ。
「ふっふふふ……。甘いわ! 場を制するのは勢いだって言うなら、こっちだって出力全開にするまでよ!」
「そうですか! そこまでして雪風と張り合いますか!!」
「そうよ! 絶対に負けないわよ!」
一気にボルテージが上がった二人は、狭い部屋の中を間合いを保つようにじりじりと円を描くように移動し、お互いを牽制し合う。初風の凍る様な視線と、雪風の燃える様な視線が、交錯した次の瞬間、二人は弾かれたように動いた。
「「じゃんけんぽん!」」
初風の繰りだした拳は、雪風の拳とぶつかり、あいことなった。二人は即座に身を翻し、くるりと一回転して、距離にして半歩程下がり、そこからまた一気に踏み込んだ。
「「あいこでしょ!」」
初風の掌が、雪風の拳を包み込んだ。愕然とする雪風に、初風は嬌声をあげる。
「あっははは! やったわ!」
「ぐっ。……でも、まだ……まだ負けません!」
雪風は座り込んで、さっと靴下を脱ぐと、また立ち上がった。そして不敵に笑う初風にぎらりとした瞳を向ける。
「「じゃんけんぽん!」」
前振りも何もかなぐり捨てて、お互いに相手を出し抜こうとするも、二人は全く同じタイミングで声を発し、そして手を振った。今度は初風のはさみに雪風の掌はあっけなく切り裂かれた。
「そんな!?」
「ふっ! 悪いわね」
「じゃんけんぽん!」
間髪入れずに雪風の拳が、初風の二本の指の間に押し込まれる。初風がたじろぐと、雪風はしたり顔で彼女を見上げた。
「悪いですね」
「やってくれるじゃない!」
初風も爛々とした瞳を一層際立たせて、背筋の凍る様な笑みを見せた。
「後悔させてやるわ!」
「航海ならいつもしてますから結構です」
初風が大きく足を踏み鳴らしてから、腰を低く落とした。そして、目にも留まらぬ早さで掌底を繰りだした。雪風が二本の指で受け止めると、掌に見えたそれは、初風の手袋のみで、彼女の固く握られた拳が、雪風のみぞおちの紙一枚分だけ隔てたところにあった。雪風がよろめいて、後ずさると、初風は続けざまに左の掌底で雪風の拳を押しのけ、一度引いてから、半身をひねって繰りだした右手の、必殺の刃が、雪風の掌をやすやすと引き裂き、雪風のカウンターストレートを、いともたやすくつかみ取った。
渾身の一撃が初風の掌に受け止められた雪風の顔に絶望の色が浮かぶ。今の戦闘で、雪風の手札は全て失われてしまったのだ。もともと手袋とスカートというアドバンテージを持っていた初風は、にやりと笑った。
「勝利の女神はこの初風に微笑んだわね!」
「そんな……。まさか、こんなに……」
「勝った! 勝ったわー!」
「静かになったわね……」
夕雲が自室のドアを開けて廊下を見た。
「ああ、終わったのかな」
長波も続けて廊下に顔を出す。突然の絶叫といい、どすんばたんという盛大な物音に、二人とも眉間に皺をよせている。
「さて、せっかくだから、少し折檻させてもらいましょうか」
「おいおい……。あまり派手にするなよ……」
夕雲が件の部屋の戸を、自身のIDカードをかざして解錠した。よく秘書艦をする彼女のセキュリティ権限は強い。
「さ?て、怖ーい鬼さんの登場よ?」
部屋の電灯をつけると、そこに広がっていたのは、蹴散らかされた炬燵に、散らばるみかん、そして脱ぎ捨てられた雪風の服と片方だけの手袋。
「なんだこりゃ?」
「なるほど、どうやらひとしきり済んでお風呂に行ったようね」
夕雲がどすんどすんと床を響かせ、部屋を出て行く。相当お冠なのは長波でなくてもわかるというものだ。
「おーい、もういいだろう。今夜はもううるさくならねえだろうし。って、おい、人の話を聞けって」
長波はあわてて夕雲の後を追った。
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無性に雪風とじゃんけん()をしたくなった初風さんのお話後編。 ちょっと初風さん暴走気味です。お気をつけて。 |
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