耳かき |
背後から朝実が両耳にイヤホンを挿し込んできた。沙代にとって初体験のカナル型は、妙な圧迫感のおかげで音楽どころじゃなかった。
朝実の部屋の時計の音も、窓の向こうの夕方いつもやかましいカラスの鳴き声も聞こえない。
「……どう?」
尋ねる声が遠い。そのくせ身体の中のどくどくといった音が大きく聞こえるし、一言で言うと、
「イヤホンが変」
早々にコードを引っ張って外した。
「曲の話だよもー」
「はっは」
イヤホンをベッドの上にぶん投げる。まだ耳が変な感じがする。
朝実はむくれながらイヤホンと音楽プレーヤーを片付けると、シロクマ?が描かれたクッションを抱きしめながらベッドに倒れ込んだ。沙代も朝実に背を向ける形でベッドに腰掛ける。そのまま朝実の腹とクッションを下敷きに倒れる。「ぐぇっ」ぁァ、まだ耳が変な感じがする。
「なんでイヤホン変えたん?」
「前のやつ壊れちゃったから。それでちょっと気になったからあのタイプにしてみたんだけど……なんかしっくりこなかったね」
「野郎それで私にもってかー」
「ぐええぇ曲も聴いてほしかったんだょおおぉ」
体重をかけたりグリグリしたりしてやった。
「……んー」
「んー?」
「耳がまだなんか変」
「痛いの?」
「んゃ」
「かゆい?」
「……んー……」
沙代の返事は周りから曖昧でわかりにくい生返事と言われることが多いが、付き合いの長さからか朝実には正しく伝わる。肯定と受け取った朝実はノシカカリサヨから抜け出した。
「はいな」
何かを取り出したと思ったら、ベッドに腰掛けて膝をポンと叩いた。
「なにさ」
「耳かくよ」
「ん」
朝実は手の中のそれ――耳かきをペン回しのように指で回す。あ、いや、回そうとして落とした。拾った。
おもむろに朝実の太腿の上に頭を乗せ、沙代の長い髪がベッドの上に散らばる。左耳が上になるように、二人が同じ方を見るように向かせると、手櫛して髪の中から小さな耳を出した。
かりかりと、耳掃除が始まる。
竹の感触が心地いい。リビングにあるプラスチック製の耳かきが痛くて我慢ならないということで、百円ショップで飾りが色違いなのをふたり揃えて買ったものだ。わざわざ耳かきなぞお揃いにしなくても……もっと、こう、可愛気のある小物とかをお揃いにすべきなのでは? 女子高生として?などと思う沙代であった。
沙代は手持ち無沙汰というわけでもなかったがなんとなく、先程朝実が抱いていたシロクマ?のクッションを手繰り寄せて適当にもてあそんだ。
よく見るとゴリラにも似てるような気がしてくる。ほんと、なんだろなこれ。
かりかり。
耳掃除の間、ふたりの間に特に会話はなく。
耳かきが耳から離れてからちょっと間を置いて、気持ちよさそうに細められていた沙代の目がパッと開かれた。
「ふーすんな」
気配を消して耳に近寄っていた朝実の顔がぴたりと停止し、残念そうに離れていった。こっそり耳に息を吹きかけようという魂胆だったらしい。だって以前やろうとしたら拒否られたから。
「じゃー反対の耳ー」
「んー」
くるっと寝返りをうつように沙代が反転する。勢い余って顔が朝実の腹に埋もれた。
「この向きは無理だってば」
「へいへい」
今の状態だとやりにくいらしいので、のそのそ。後頭部を朝実に向けて右耳を上に。耳たぶをつまんで遊ばれているのは目を瞑る。物理的にも目を瞑る。
「ふふふん、ふん、ふんふんふーん」
朝実はよく鼻唄が飛び出す。いつも大抵即興のすげえ変な曲になるのだが、今日のはまともだ。というか聞き覚えがある。
「ふふふーふーふーふーふーふふーん、ふーふーふーんふふふーん」
……ああ、さっき聴かせようとしていた曲か、と沙代は思い至った。
イヤホンのせいでそれどころではなかったが、こうして聴くと悪くない。原曲はもう少し格好良い系だった気もするが、朝実の脳天気な鼻唄の方が今はむしろ気――
「んん……」
――分がいい。
「終わったよー」
朝実の声に意識がはっきりする。今ちょっと寝ていたようだった。遠慮なく大口開けて欠伸をする。
「……朝実」
沙代が仰向けになると上から覗きこんでいた朝実と顔を合わせる形になった。
「なぁに?」
「ふーしたろ」
「してないよ」
露骨に顔を背けて否定する朝実。念の為にはっきりさせておくが、別に彼女は嘘が下手なわけではない。
「寝ている隙を狙ってとは卑怯な」
「だってー」
言いながらシロクマ?のクッションを手にとって顔を隠す朝実。
今度は微妙にトラのエッセンスも混じっているように見えてきた。何者なんだお前は。どうでもいいけど。
説明 | ||
カナル型イヤホンがまだ珍しかった頃の話。 | ||
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