恋に堕ちたら |
この気持ちが恋だと気付いた時には既に手遅れだった。
天使ーー。
言わずと知れた、神の使い。無垢や純粋という言葉が誂えた様に相応しい、聖なる存在。
他ならぬ俺自身も天使である。
天使は地上の生物とは異なり、オスとメスの性交によって生まれてくるのではなく、天使として生み出されるものである。
故に、俺は自分が天使である事を自然に受け入れていた。地上の生物の上に立つ者である自覚も、神の言葉に素直に従う事にも抵抗はなかった。
天使は美しい存在だ。
その肌は滑らかで、透明感を持っている。その頭髪は艶やかで、風にそよぐ度に芳しい香りを漂わせる。その瞳は海よりも深く、銀河を内包しているかの様な煌めきを放っている。背には、白鳩よりも純白な翼が生えている。
人間がどれだけ血と汗を流しても、神が自ら造り上げた芸術品には勝る事はない。
あいつは、天使の中でも、一際美しい男だった。
あいつとは、同じ使命を受けて、共に働く、人間でいうところの同僚だった。
天使の仕事も、多種あるが、俺達の仕事は不貞を働く輩を罰する事だった。
あいつと共に時間を過ごすうちに、俺は自分の心が変化している事に気付いた。
あいつの顔を見る度に、体が火照る。あいつの声を聞く度に、こそばゆさを感じる。あいつに触られると、逃げたくなる。あいつのいない時は、あいつに会ったら何を話すか考えている。
それが恋だと気付いた俺は、自分の気持ちを否定しようとした。
それは受け入れてはいけない感情だった。
我らが神は、同性愛を禁止している。つまりは罪と定義している。
天使は清い存在だ。一点の穢れさえ許されない。
俺は自分に言い聞かせた。これは気の迷いだ。そんな下らない感情は忘れてしまえ。俺は全ての生物の上に立つ、上位の存在、天使だ。
そんな風に、自分の感情を打ち消そうとする程に、俺の中のあいつの存在が特別になっていくのを知った。生い茂る蔓に絡めとられる様だった。
きっとこれは逃れられない気持ちだ。俺はこの恋を受け入れた。だが、それには大き過ぎる代償が伴う事を、まだ知らなかった。
目覚めたら、俺の翼は黒く変色していた。烏よりも黒い。闇に染められた様に。
即座に俺は理解した。だが、納得は出来なかった。
これは堕天だ。
神に逆らった者に下る、烙印だ。
堕天した者は、天界にいる事が出来ない。罪人と等しいからだ。
罰が与えられた事は理解出来る。俺はあいつに対する感情を受け入れた。
だが、その気持ちが天使にとって罪である事は自覚していた。だから、誰にも打ち明ける事はなかった。
だとすれば、可能性は一つだけ。我らが全能の神に掌握されていたとしか思えない。
全知全能の神は、一天使の恋心さえも知り尽くしているというのか。
ふざけるな。
だとすれば、どうして恋心など作ったのか。神は人を試した。楽園に罪の果実を植えた。それと同じだというのか。天使を試すために、想ってはいけない感情を与えたのか。
どちらしろ、もう天界にはいられない。
あいつにも、もう会えないかもしれない。
行く当てもなく彷徨いながら、心の落とし所を探した。
今や俺は堕天使だ。天界に住まうあいつに会う事は出来ない。それなのに、恋焦がれているなんて、救いようがない。白馬の王子様を待ち侘びる少女と変わらない。
自嘲の笑みを浮かべる俺に、声をかける者がいた。春の息吹を思わせる、柔らかく甘い声だった。聞き間違えようがない。誰よりも、愛しいその声を。
他ならぬ、あいつが、目の前にいた。
天界を離れ、どこに行くとも知れない俺を追いかけてきたのか。
湧き出た感情は、喜びでも怒りでもなかった。辛かった。断ち切ろうと迷いが、躊躇いが、再び俺の足を絡めとる。
今すぐこの場を去るべきなのに、あいつに、悲しげな目をするお前に、触れたいと思ってしまうじゃないか。
「誰のせいでこうなったと思ってるんだ」なんて無責任な事は言えそうにない。
そんな顔をさせてしまった事が俺の罪なのかもしれない。
自らの罪を認めた俺は、今や罪の象徴となった黒い翼を千切り落とした。
この痛みは、お前と決別するために必要な覚悟だ。
俺の奇怪な行動に、目を見開き、愕然とする目の前の天使に、別れを告げて、俺は地の底に堕ちた。
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同性愛。天使。 | ||
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