遠い景色 |
縁側に座ってキンキンに冷やしたスイカを頬張る。それはある種の幸せ、うま味を再確認するための作業であり、夏という至極当然の状況を認識するための作業だ。ついでに種も飛ばしておく。
田舎、という言葉がすっぽり当てはまるこの町は、村に近いイメージを持っている。というか俺が越してくる三日前までは村だったそうだ。つい最近となりの町と合併したそうだ。ただそれでもまだ村のままなのだぁ、と思いながら、二口、三口と粗食していく。
「どうだい健二。この村は」
後ろから麦茶を持って祖母ちゃんがやってくる。お礼を言って麦茶の注がれたコップを受け取り喉を潤す。強烈な冷たさが喉を通過していき、体中に行き渡る。
「村じゃなくて町だよ、祖母ちゃん」
「変わらんよ。名前が変わろうがなんだろうが、この村は私たちの村さね」
そうだろうな、と思う。祖母ちゃんはこの町―――村で生まれて、この村で育った。そしてこの村で祖父ちゃんと出逢い、結婚して、父さんを産んだ。村を出たのは父さんと母さんの結婚式と、俺が産まれた時に神奈川へ来たときくらいだ。祖母ちゃんの、そういった故郷に対する愛着というのは良く理解できているつもりだ。
「それで、健二。もう慣れたかい」
この村には。先ほどの質問だ。俺は縁側から窺えるお隣のアサガオの群れを眺めながら、どうだろう、と曖昧な返事を返す。
「まぁ、まだ越してきて三日だからね。すぐ慣れろとは言わないよ」
祖母ちゃんは優しく微笑み、空になった皿とコップをお盆に載せて奥へと引っ込んだ。俺は手に残ったスイカの残りを全て頬張り、あてつけのように種をばら撒いた。
「祖母ちゃん、俺ちょっと出かけてくるよ」
縁側から直接サンダルを履いて外へと出る。祖母ちゃんはただ、あいよ、とだけ答えた。どこに出かけるのかは問わない。問うてくるほど、この町には娯楽はない。小さい子ならば山へ赴き虫取りにでも興じるところだろうが、生憎俺にはそんなものに対する興味は既にないのだ。
ポケットの中の財布と携帯を確認して道路へと出る。右も左も田んぼと古い民家に囲まれている。空の真ん中では太陽が我が物顔で暑さと紫外線を振りまいている。その暑さに眩暈のようなモノを覚えながら、さてどこにいくかと思案をめぐらせる。めぐらせるほどの選択肢など、もとよりないのだが。
とりあえず俺は駅へと向かった。一応電車という交通手段は通っているのだが、来るのは朝に一回と夕方に一回。その駅もだいぶ廃れていて、時折券売機の動作も怪しくなる。果ては駅員の姿でさえ時折見えなくなり、電車だって来ないときもある。でもこの電車を使わないと隣町まで行くことが出来ない。
目的の駅まで、俺は田んぼのあぜ道を延々と歩くことになる。田んぼには稲が植えられ、一面中が緑に覆われる。これが秋になれば黄金色に変わるのだろう。俺は都会暮らしが長いため、こういう風景はとても新鮮なのだ。
駅に着くまでの道の中間あたりに、使えるかどうか怪しい公衆電話がある。その公衆電話には「××反対!」「この村を汚すな!」といった張り物がされている。子どもの頃、よく夏休みになるとこの町に遊びに来て祖父ちゃんに話してもらった。何でも、ダムの埋め立てやら、工場の建設やら・・・そういったことがあったらしいのだ。子どもながらの興味本位での詮索であり、そういった記憶もだいぶ薄れてしまっているのだが。
目の前から五人ほどの子どもたちが虫取り網を持ってかけてくる。路肩によってそれを回避する。一瞬目に留まった虫かごの中には、立派な角を持ったカブトムシと、これまた立派な鋏をもったクワガタムシが蠢いていた。俺はそれらに対し、格好良いとも、強そうなどいう感想は抱かなかった。ただ彼らが、何故あんなものを平気で手に取ることが出来るのか、それが不思議でならなかった。昔どこかの本で、昆虫とは宇宙からきた生命体なのではないか、というのが書いてあった。別にそういう言葉に踊らされているわけではない。でも不思議なのだ。何であの頃はああいうモノには興味を持って接し、触れることが出来るのに、今ぐらいになると毛嫌いというか、気味悪がってしまうのは。それが成長と呼ぶものなのかどうかは分からない。もしそうだったとしたら、それはとても哀しいことなのではないだろうか。そう思うと、何故だろう。彼らが羨ましく感じる。
駅は相変わらず廃れていた。券売機は意味不明な点滅を繰り返している。これでは今日切符を買うことは不可能だろう。元々利用者自体少ないのだ。若者の低下がそれを物語っている。当然だ。誰もこんな辺鄙なところで農作業に従事することなんてしないだろう。俺だってそう思う。畑だって田んぼだって、全てをこなしているのは全てが普通なら定年を迎える年の老人たちだ。俺と同じか、それ以上。それでも三十代や四十代の人なんて数える程しかいない。いるのは先ほどみたいな子どもたちだけだ。ここはそういう町だ。贅沢なんてないだろう。だから駅だって使わない。だから電車が来ないときだってある。
赤錆だらけのベンチに腰かけ、雑草に埋もれそうな線路に目を落とす。こうやっていれば時間を潰せるだろうか。いや、無理だろう。どうせすぐ飽きる。そういえば携帯がならないな。取り出して見れば、そこには圏外の二文字。まぁ当然か。こんなところだ。テレビだってあるほうが珍しい。ラジオで十分な場所なんだ。
することがないということがここまで退屈とは、改めて思い知る。やることが無ければ、祖母ちゃんの手伝いをすればいいのに、と思考は働くが、体は動こうとしない。視点はぼんやりと線路を見つめたまま固定されている。当分動きそうにない。俺は静かに目を閉じた。眠るのはいいだろう。この暑さでも、ここは日陰だ。何、暑けりゃ勝手に目を覚ます。そう高を括りまどろみの中に落ちた。
カナカナと蝉の鳴き声が聞こえ、それが目覚ましになった。目を開ければ景色は黄昏ていた。空気も朝と比べ寒さを孕んでいる。時計で時刻を確認する。見ればかなりの時間寝ていた。もう六時になろうとしていた。
あくびを一つして、ベンチから腰を持ち上げる。体中についた赤錆を払い落とし、駅構内に目を向ける。相変わらず人はいない。電車も来ていなかったようだ。ともすればここはかなり静かなところなんだろうな。寝るのにはもってこいだろう。俺は駅から出て、黄昏に映える田んぼの稲たちを見た。
緑を下地に、オレンジのグラデーションが掛かっている。それが当たり一面に広がっている。俺はその光景に、おおよそ見当のつかない黄金色の海を連想した。
それの光景は果たしてなんのか。しかしいやに綺麗な光景で、それは脳裏から離れない。何故だろう、と疑問に思い、そうかという答えに行き当たる。
これは俺が子どもの頃見た光景だ。あれは秋だった。あたり一面に、良く成った稲穂が揺らいでいた。それらは今と同じように黄昏に色づき、余計にその黄金色が映えていた。その中を俺は父さんに肩車されて駆けていた。まるで海を走っているようだった。
何故こんなことを思い出しのか、俺には良く分からなかった。ただ暫くの間そうして夢想した風景を投影していた。何かが、そこにある気がした。ある気がして、手が届きそうになって、そこではっと我に返る。蝉の鳴き声と、子どもたちの喧騒が遠くに聞こえた。
バイバーイと手を振り合い分かれる子どもたち。彼らはそうやって分かれて、そしてまた明日も出会い、遊びまわるのだろう。
羨ましい、そう思う自分がいることに気づいた。なんでそんなことを思ったのか。もしかしたら寝すぎのがいけなかったのかもしれない。さっきからあくびをかみ殺しているのに、どうにも涙が止まらない。
俺もそろそろ帰ろう。祖母ちゃんが心配するだろう。
まるで黄金にゆれる田んぼのあぜ道。そこを歩いていくのを、何故だか躊躇った。でもここをいかないと帰れない。
蝉の鳴き声と、子どもたちの喧騒。それらは遠くに響き、いつしかもう聞こえなくなった。残ったのは静かに揺れる稲たちの小波の音と、小さく漏れる俺の泣き声だけだった。
Fin
説明 | ||
オリジナル。私の通う高校は田んぼに囲まれていて、登下校の時には否応なく田んぼが視界を埋めるんです。なんとなくノスタルジックになってしまうんですよ、見てると。ある意味半分実体験です。 | ||
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