笑顔
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「陽炎の笑顔が見たい、と言ったら、笑いますか?」

 不知火の言葉に初風は目を瞬かせた。初風がたまたま一人食堂でお茶を飲んでいたら、ふらっと現れた不知火が彼女の向かいの席に、何も言わずに、腰を降ろした。愛想がないのはいつものこととして、何やら思い詰めた様相を呈している、と思った矢先の不知火の言葉である。

「笑顔、か……。そうね。笑わないわよ」

 正直な返答をすると、不知火は、そうですか、と呟いてから立ち上がる。そして軽く会釈してから、どこかへ行ってしまった。

「まためんどうくさいこと言い始めたのね」

 初風は肩にかかる髪を指ですきながら、頭を巡らせる。

 陽炎の笑顔、と不知火は言った。陽炎なら笑顔をいつも見せている。陽気なことを言って、くだらないことをして、居並ぶ誰とでも笑い合っている。

 不知火の言った笑顔の定義がわからないけれども、少なくともそういう発言をする以上、不知火は陽炎の笑顔を見ていない、ということらしい。

 なるほどね、と初風も頷く。

 陽炎のそれは、ある意味社交儀礼的なものなのだろう、と。少なくとも不知火が望む笑顔ではない。上っ面だけの微笑み。何処かの誰かさんも同じような感じだった。ぎこちなく、取り繕うかの様な微笑み。瞳の奥に垣間見える怜悧な光と、怯えの様な影とがないまぜになった複雑な感情。次々と浮かんでは消える様々な色の表情に、底知れぬ闇が見える。

 確かに陽炎もそうだ。いや、同じと言うと語弊がありそうだ。むしろもっと深いかもしれない。

 それに、あの娘とは全く異質の闇を抱えているようにも感じる。とても巧妙に隠そうとしている気もする。考えすぎかもしれないけれど。

 まぁ、私でもわかるくらいだから、毎日ずっと顔を突き合わせてたら、もっとわかるんでしょうね。まったく御愁傷様だわ。

 

「入るわよ」

「もう入ってるじゃない」

 ノックもせずに陽炎の部屋に入ると、彼女は丁度炬燵からもぞもぞと這い出してくるところだった。

「不知火が心配してる」

「は?」

 陽炎の間の抜けた顔が、初風にはひどく空々しく見えた。見方を変えるだけで、こうも違って見えるのか、と思う程に。意識しているのか、それとも無自覚なのか。そこまでは見通せないが、陽炎の演技めいた表情の変化に、初風の目が細くなる。

「ねぇ、前から思ってたことがあるから、ちょっと訊いてもいいかしら?」

「何よ、改まっちゃって」

「陽炎。貴女、本当に陽炎なの?」

「は?」

 陽炎が呆気にとられて目を丸くする。あまりにも唐突な問いに頭がついていっていないように見受けられるが、その水面下では既に様々な方法で発言の意図を探らんとする意思を、初風は感じた。

「よく意味が分からない」

「訊いてるこっちだって、意味なんて分からないわよ。ただね、あんたから感じる、陰気なもの、でいいかしら? それが何に端を発していて、陽炎という艦娘の中心にあるのか、それが知りたいの。わたしだって、うまく言葉ではいえないけれど、あんたが何か暗いものを、心のずっと深いところで抱えてるのは見えるのよ。それも、私達がそれぞれ抱えてるものとは随分違う、ご大層なものをね」

「仮にそうだとして、それを知ってどうすんの?」

 陽炎が抑揚のない声で言う。普段とは全く異なる雰囲気に、しかし初風は気圧されることなく、陽炎の目の前まで一歩踏み込む。

「どうもしないわよ。そんなすぐにどうにかできるわけないでしょう。ただ、長い目で見て、どうにかできそうなのかどうか、見極めさせてもらうわ」

「そんな、馬鹿みたいな物言いしないでよね」

 陽炎が笑った。どこか寂しげに瞳を伏せて。

「だったら、不知火にちゃんと笑顔で向き合いなさいよ。そう、笑顔よ。笑顔! できる? できないでしょう? できるんだったら、今ここでやってみなさいよ。評価してあげるから」

「初風あんた、なんだってそんなにかみついてくるのよ。さすがに土足で踏み込みすぎてない?」

「そんなことわかってるわよ。でも、もういい時期だと思ったから、言いにきてるわけ。いい時期って言うのはね、私達が抱えていたものを順繰り解きほぐして、苦しんで、納得して……。多分、次はあんたの番なのよ」

「……ああ、なるほどね」

 最後は消え入りそうな程小さくなった初風の言葉に、陽炎が困ったように頭を掻いた。そのまま、炬燵の天板に突っ伏してしまう。

「確かに、あんたの言う通りなのかもしれない。そうね……。色々あったもんね、今まで。確かにみんな成長して、時には、昔をなぞるようなこともあったし……。もし、やりなおしてる、というのなら、次は私の番なのかな……」

 陽炎は再び顔を上げた。

「あんたはどう思う?」

 陽炎の気軽い声に、答えはすぐ、初風の背後から聞こえた。

「不知火は、初風に賛成ですから」

「まぁ、そうよね。変だと思ったんだ。初風がわざわざこんなこと言いに来るなんて」

「ちょっと不知火、あんた、わたしをはめた?」

 陽炎の声をよそに、初風は勢いよく振り向いて、不知火に詰め寄る。

「すみません。不知火ではどうも、陽炎のところにずかずか踏み込むのに抵抗が」

「わたしはいいのかよ!」

「初風は、不知火よりも上手にやってくれると確信していました。そしてその通りになりました」

 珍しく不知火が笑顔を見せた。それも、優しげな、とびきりの笑顔を。

「……じゃあ、仕方ないわね……」

 初風は再び陽炎に振り返った。

「面白くないけど……。さっき言ったこと、言質はとったわよ」

「ああ、それでいいわよ。私も漠然と思ってたのよね、そろそろ腹をくくらないと、って……」

「では、陽炎……」

「うん。ああ、あんたには謝っておかないとね。色々心配かけてるから」

「それは、僚艦、不知火として……、いえ、私として当然のことです」

 不知火の言葉に、陽炎はニッと微笑んで、ありがとう、と言った。

「私だって、心の底から笑顔で、あんたの前にいたいからね」

 

説明
第23回 #かげぬい版深夜の真剣創作60分一本勝負
お題:「笑顔」

に則って作成。
陽炎の笑顔が見たい不知火と、ちょっと不知火の掌で踊ってしまった初風と、陽炎のお話(のはず)。
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