【序章】
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【勇者の旅立ち】

 

ふたつの道があり、

互いに別の道を進んでも、

 

片方が極端な道を選ばなければ、

ふたりとも同じように前へ進む。

 

 

 

■■■■■

 

暖かくしかしまだ風が冷たいそんな日に、戦士がひとり森に入った。

戦士とはいえ体躯は小柄、歩幅も小さく背も低い。騎士団の末席、まだ見習いの小さな子供。

そんな子供がひとりで、深い森の中を歩いていた。身の丈に合わない大きな籠を抱えながら、危なっかしい足取りで。

その小さな戦士の名前をタンタと言う。

 

タンタは辺りを見渡しながら、もうちょっと先かなと足を早めた。魔術団の友人の依頼でいくつかの薬草を採りに来たのだが、場所がいまいちわからない。

「欲しい薬草が欲しいのだけれど、森の奥だから危なくて取りに行けない」と困っていた友人に「任せてよ、オレなら獣が出ても勝てるから」と大見得をきったはいいが、さすが森、そこら中に何かしらが生えている。

どの草が、頼まれた薬草だろうか。

キョロキョロしながら彷徨い歩き、右を見ては首を傾げ、左を見ては首をひねった。

渡されたメモには採取してくる草の特徴が描かれているのだが、右の地面に生えた草も、左の地面に生えた草も、どちらもその特徴と一致しているように見える。

 

「…こっちかな?」

 

当たり外れの二択ならば当たる可能性は1/2。ならば賭けてみるのも手か。渡されたメモと睨めっこして、じっくり見比べ思い悩み、一か八かと摘み取った。

片っ端から伐採し当たりも外れも両方を持って帰れば良いのだろうが、採りすぎちゃ駄目だと再三言われた身としてはそれも出来ない。当たりを選んで摘み取る必要があった。

四苦八苦しながらもなんとかタンタは薬草らしき草を集め、籠の中に放り込む。依頼品が摘み取れていますように。

 

ちまちま草を詰め込んで籠の中がいっぱいになってきたところで、タンタはこれくらいかな、と首を傾けた。普段以上に頭と目を酷使し、疲労を覚えたタンタは手頃な岩に腰を下ろしひと息つく。横に置いた籠からは、青臭さと土臭さが漂っていた。

タンタがふうと達成感を含めた息を吐けば、聞こえてくるのは木々の間を縫って進む風の音と、鳥や獣の鳴き声のみ。平和だなあと空を見上げ、少し休んだら帰ろうとタンタは軽く伸びをした。

 

「…ん?」

 

突然ざわりと背筋が震え、言いようのない心地悪さがタンタの身を襲う。

急に空気が変わった。

先ほどまでざわめいていた木々が押し黙り、賑やかに演奏していた小鳥の気配が消えている。突然無音の世界に放り出され、タンタは少し戸惑いながらも身につけた剣に手を添えた。

何か、が、いる。

一瞬にして森の時を止めた、何か、が。

 

警戒を強めるタンタの背後で、

パキンと、枝の折れる音がした。

 

振り向けばそこにいたのは黒い人影。

人影だと思う。姿形は人だったから。

ただどうにも人だと判断下せない。

発する気配が人ではなかったからだ。

 

黒い炎に似た兜を身に付けた、騎士のような形をした人らしいナニカ。

それは虚な瞳で、真っ直ぐタンタを見据えている。

 

剣を構えつつタンタが休んでいた岩から離れ黒い彼から距離をとると、黒い彼はタンタを追うようにまた一歩足を動かした。

なんか狙われている気がするのだが、何故だろうか。草取りすぎたから怒っているのだろうか。

それはないとタンタは己の考えを否定する。この森は、国で管理するこの地に生きる者たちの共有財産。狩り尽くさない限りは、いくらでも収穫してよい場所。独占しないならば暴れないならば、いくらでも住んでて良い自由な森。

じゃあ、彼はこの森に住みついている人だろうかと考えたタンタだったがそれは当の本人が否定した。

「オレはずっと闇に生きてきた」と。

呟くような声で、何かを確認するかのようにそう呟いた黒い彼は、彼のように真っ黒な剣を振り上げる。

 

「黒き魂、獄炎のさだめと共に」

 

低くく暗く、それでいて熱い音を鳴らして、黒い彼はその剣をタンタに向けて振り下ろす。

ひゅんと熱気を纏わせた刃が己に落ちてくるのをみたタンタは、慌てて後ろに飛び退いた。突然襲われて驚きはしたが、タンタは訓練を積んでいる王国の騎士。

愚直に振り下ろされるだけの剣ならば、避けることは簡単だった。タンタの目の前を空間を、彼の持つ真っ黒い刃が切り裂いていく。

黒く熱を発しているような、火のように燃える炎の剣。

うわ、とタンタは顔を引きつらせた。

恐らく自分はこの剣に掠っただけでも、致命傷になり得るだろう、と。

火は苦手なんだよなと黒い彼を見やれば、ゆらりとまた剣を振り上げていた。

 

「っ!」

 

危機感を感じ、タンタが必死に跳ねれば身体の真横を熱風が流れる。黒い炎がチリとタンタのマントを焦がしていった。

マントであろうと傷付けた事実に黒い彼は微笑う。

うっすらと笑ったその顔からは、感情が感じられない。それがなおさら彼の不気味さを際立てていた。

 

体格も威力も恐らくあちらの方が上。相性も悪い。あとなんか怖い。

正しい判断としては逃げの一手なのだろうが、炎気を纏った彼をここに置いて逃げだすのは悪手だと思う。なんせこの場は燃えそうなものばかりの森の中。

下手に逃げ怒りを買い、相手が剣を振り回せばこの森全てが焼き消える。それは避けるべきだ。この森に住む生き物はたくさんいるのだから。

逃げちゃダメだし、さすがに倒せないだろうし、どうしたものか。

自分が攻撃したとしても、例え必殺技であったとしても、彼に対しては絶対に決定打にならないだろうし。

ううむと悩みながらもタンタは彼の攻撃を避け続けた。妙に真っ直ぐな剣撃は避け易く一打も喰らうことはなかったが、いつまでもこうしているわけにもいかない。

勝手に岩とかに頭ぶつけて倒れてくれないかなと期待したが、流石にそれは可能性が低いだろう。

 

「ん?」

 

ひょいとまた剣を避けたタンタは違和感を感じた。

なんとなくだが、さっきよりも剣撃が遅い。まあそうだろう、誰だってブンブンと剣を振り回し続ければ疲れもする。

チャンスかも、とタンタは笑った。

「倒す」のは多分無理だ。しかし「行動不能」にするくらいなら、自分でも出来るかもしれない。

よしとタンタは剣を握り直し、隙を窺い地面を蹴った。黒い彼へ向かって、ではなく、近くにあった岩に向かって。

その岩を足場に黒い彼より高く跳ぶ。タンタは身軽さが売りだ、これくらいの高さなら越えられるだろう。

タンタはぽんと黒い彼を飛び越し、そのまま重力に引かれ地面に向けて落ちていく。そう、丁度彼の背中が視界に入る場所へと。

見落ちゆくままに見えたのは彼の無防備な後頭部。そこを狙って剣の柄がぶつかるように思い切り振りかぶった。

刃で斬りかかるよりは、殴った方が昏倒させられるだろうと考えて。兜が邪魔だがこっちは重力が味方だ。ギリギリ衝撃が入るだろう。

この速さならもう避けられない、作戦成功だと思ったその瞬間に、彼はぐるんと顔を回した。

タンタの視界にあった無防備な後頭部が、無機質な表情の虚な顔に変わる。

白い戦士と黒い彼の視線が、ガッチリ重なった。

背面だったなら当てられたかもしれない攻撃が、外れるもしくは弾かれる。その可能性が上がった事実に気付き、タンタは「げっ」と慌てたような音を漏らしたが、剣は止められず彼に向かっていく。

 

避けられるだろうと思った。

剣で弾かれるだろうと思った。

最悪、黒い炎の剣で切り裂かれると思った。

なんせタンタは空中にいて、防御も回避も出来ないのだから。

 

しかし、あからさまに自身に危害が加えられようとしているのが見えるだろうに、黒い彼はピクリとも動かない。ただぼんやりとタンタを見つめていた。

そんな彼の態度に混乱するタンタの意思とは関係なく、重力に引かれ剣は真っ直ぐ落ちていく。剣の柄が落ちた先は彼の兜。

厳密には、兜のど真ん中に付いていた変な赤い宝玉にガツンと当たった。

その衝撃で宝玉は彼の兜から外れ、てんてんてんと地に転がっていく。

それと同時にタンタもぽてんと地面に落下した。

着地失敗の痛みに悲鳴を上げたが、タンタはそんな場合じゃないと痛みに耐えつつ上体を起こす。相手はたかが兜の装飾が外れただけ。無防備な姿を晒したら、きっとすぐさま切り捨てられる。

と、思った。が、

 

ただ宝玉が外れただけ。それだけのはずなのに。

兜から赤い宝玉が無くなった黒い彼は何故か、電池が切れたオモチャのように動きを止めていた。

 

あれ?とタンタが戸惑う間にも、黒い彼はカランと剣を落として崩れるように膝をつく。

俯き固まる彼から黒いモヤが立ち上って、彼の姿を覆い隠していった。よくわからない彼の変化にタンタが呆気にとられていると、黒いモヤは薄れていく。

モヤが消えると同時に、先程までタンタと死闘を繰り広げた黒い青年の姿は掻き消えて、代わりにその場には小さな少年が残されていた。

地面に倒れている少年は、黒い彼と姿形は似ていたが、纏う雰囲気は別の人。黒い姿から炎のように赤い姿となった小さな彼は、目を瞑ったままピクリとも動かない。

大人が子供になって、黒いのが赤くなった。一部始終を目の前で見ていたタンタは混乱しながらも痛む身体を引きずって、倒れている赤い少年に近寄ってみる。

 

「…君、…えーっと、大丈夫?生きてる?」

 

やや警戒しつつちょいちょいと背を突いた。それに反応してか、赤い少年はもぞりと動き出す。

あ、生きてた。

タンタが安堵していると、赤い少年は閉じた目を開き、視線を動かした後不可解そうな表情を浮かべる。怠そうに身体を起こしながら赤い少年は「ここどこ…?」と小さく掠れた声を出した。

城の近くの森だとタンタが答えると、赤い少年はぼんやりしながら「…なん、で?だって、オレ…」と困ったように周囲を見渡す。なんで、と何度も何度も呟く赤い少年を不思議に思いタンタは「君は、あー、えーっと、えーっと、…何?」と問い掛けた。

 

「オレ、は、バーン」

 

それだけ紡ぐと少年は再度パタリと倒れ伏し、そのまま動かなくなった。タンタが慌てて少年を揺すると反応はないが弱々しいがきちんと呼吸はしている。気を失っただけのようだ。

バーンってのはこの子の名前かな?と動かなくなった少年を前に、タンタは困ったように首を傾げた。

黒くて大きい時に襲われはしたし、この赤くて小さいバーンが危険なものである可能性は高い。しかし黒かったときとは違い、今の赤いバーンは意思疎通が図れる。

 

「…連れてってみようか…」

 

森の中に放置するのも後味悪いし、とタンタは気絶しているバーンを担ぎあげた。サイズ的に多少足を引きずるが仕方ない。意識の無い人を持ち運ぶのも、普段以上に重たく感じる。

それでもなんとかタンタはバーンを連れて、森の中を歩き始めた。城まで遠いがなんとかするしかない。バーンの足をズリズリと引きずりながら、疲労からかちょっと力が抜けて何度か滑り落としながらもタンタは城に向かって歩いた。

おかげで何度か地面に叩きつけてしまったが諦める。あとで謝るから許して。とはいえそれでも起きないものだからもしや死んだのかと若干ハラハラしたのだが、一応呼吸はしていたよしオッケーセーフ。

何度か休み、何度か担ぎ直し、ぜいぜいと息荒く苦戦しながらも、タンタはゆっくりと城へと戻った。小鳥が唄い木々が囁く賑やかな森を背に受けながら。

 

■■■■■

 

 

「で、頼んだ薬草を忘れた、と」

 

「だからごめんって言ってるだろ」

 

城の中の小さな部屋の前で、タンタと薬草を依頼した魔法使いのジヨンがきゅっきゅと窓を拭いていた。暇を持て余すかのように雑談しながら。

あのあとタンタはなんとか城に辿り着き、門番に「迷子見つけた」と伝え、己の上司である隊長のバルトを呼んで来てもらう。バーンは黒かった時騎士っぽい様相だったので、騎士間に顔見知りの多いバルトならば見覚えがあるかもしれないと思ったからだ。

タンタの背中で気絶しているバーンを見た門番は、慌ててバーンを担ぎ上げ詰所の宿直室に運び込んだ。まあ迷子が気絶していたら普通は心配するか。

目を覚さないバーンに外傷がないかチェックした門番は「この子頭を強く打った形跡があるな、あと全身に無数の軽い打ち身と切り傷」と心配そうな表情を浮かべる。あ、殴りつけたのも落としたのも犯人オレですごめんね。

犯人だと名乗る気はないためタンタは表情を変えず一応心の中で謝罪し素知らぬ顔でバルトを待っていると、バンと大きな音を立てて詰所の扉が開いた。隊長のお出ましのようだ、早い。

走って来たのかバルトは肩で息をしており、厳しい目付きで何かを探している。と、探し物、つまりはタンタを見つけたらしいバルトは「タンタ!…は、……無事か」と大声で名を呼びつつ安堵したように息を吐いた。

どうも、報告された「気絶した子供」のことをタンタだと思ったらしい。どこでそんな誤解が生まれたのかよくわからないが、元気ですよオレは。重いものもったから疲れてるけど。

とりあえず、と気絶したバーンをバルトに見せた。どこの子か知りませんかとタンタが聞いてみたが、バルトは首を振る。

 

「城や城下町の子ではないな」

 

ここらでは見たことがないらしい。王国は領土が広いから、城下町以外にも町や村が多い。気質的に王国領土のどこかの子ではあると思うが、とバルトは首を傾けた。

気絶もしているし軽度だが怪我もしているからと城の中で保護しておくかと、バルトはバーンをひょいと持ち上げる。門番に何かしら伝えたあと礼を言い、バルトはタンタと共に城内へと入って行った。

城の廊下でバーンの名前を伝えると、名前的に煉獄近くの村の子供だろうかと難しい顔をされる。煉獄、あああの「行くな近づくな近寄るな危ないし熱いぞ」と言われた場所、とタンタは相槌を打った。

 

「ああ、行くなよ?」

 

言われなくても多分一生行かない気がするとタンタは頭を掻く。熱いのは好きじゃない。任務で行けとか言われたら駄々を捏ねる自信がある。

そうこうしているうちに、部屋の前に辿り着いた。バーンを抱えているためバルトの手は空いていない。タンタは軽く背伸びをして、バルトの代わりに部屋のドアを開く。

部屋のベッドにバーンを寝かせると、ふうとバルトが息を吐いた。

 

「さて、この子はどこで見つけたんだ?」

 

城近くの森だと素直に答え、タンタはついさっき起こったよくわからない出来事を全てバルトに語る。出会ったときは真っ黒で隊長くらい大きかったこと、額にあった赤黒い宝玉のこと、それを外したら小っさくなったこと。

 

「…あとはー…。あ、小さくなったときに『ここはどこ、なんで』って言ったから、なんであそこにいたのかわかってなかったカンジ…、かな?…あ、そんな感じです」

 

城近くの森だと知らなかったようだから、バルトの言う通りバーンは城下町から遠い場所に家があるのかもしれない。なら何故あそこでフラフラしてたのかが不明だが。

そう伝えるとバルトは、物凄く視線を鋭くさせ死ぬほど難しい表情となった。タンタたち見習いを叱るときとは違う、仕事で面倒臭い案件を任された時の顔。

なんかオレ変なこと言っちゃったかなとタンタが不思議に思い声を出そうとした時、ノックの音が部屋に響いた。タンタは少し驚いたが、バルトはいまだ難しい顔でピクリとも動かない。

仕方ないかとタンタが扉を開ければそこにいたのはジヨン。どうやら先程バルトが門番に伝えたのはこれのようで、バーン用の回復薬を持ってきてくれたらしい。

 

「お薬と救急箱のお届けですー…、…あの…?」

 

怖い顔で固まったままのバルトを見て、ジヨンはタンタに顔を向けた。「またなんか怒らせたの?」と小声で聞いて来たので「今回は違うよ?」とタンタは首を振る。

とても不信な目を向けられたのでタンタが少し頬を膨らませると「日頃の行いって大事だよね」と溜息を吐かれた。どういう意味さ。

そう入口でごちゃごちゃしていると、ようやく再起動したバルトがジヨンに気付き礼を言いつつ届け物を受け取った。

 

「では手当てをする、…あとは私が対応するからもういいぞ」

 

そう言ってバルトはタンタたちを部屋の外へ放り出した。バタンと扉が閉じられる。

え、これでお役御免?それはちょっと困るな。そう考えたタンタはコンコン扉を叩きながら「手当て手伝いますー開けて隊長開けてー隊長たいちょーたーいちょーあーけてー!」と部屋をノックし続けた。

横で見ていたジヨンが何やってんのコイツと言わんばかりに引いていたが、気にしてる場合じゃない。コンコンという音がコココココココココと連打に変わり、バルトを呼ぶ声がじわじわ喧しくなって来た頃、カチャリとノブが回されゆっくり扉が開いた。

わあ、とても怒った顔だあ。

怪我人の手当て中だ喧しい手伝いの必要はないと怒鳴られ、暇なら窓でも拭いてろと言われてしまい、目を覚ましたら呼ぶから大人しくしてろとバルトが折れて再度扉は閉じられる。静かになった扉の前でタンタはむうと頬を膨らませた。

次やったら多分拳が飛んでくるなこれ。

仕方ないと言われた通りに布を取り出して、近くの足場を引き寄せて、タンタは窓を磨き始めた。

「キミたまにすごく素直だよね」とジヨンが呆れつつ、付き合ってくれるのか足場に飛び乗り一緒に窓を磨き始める。オレはいつも素直な良い子ですよ。

肩を並べて窓を擦っているとジヨンは「で、頼んだ薬草は?」と首を傾げた。「やくそう」とタンタは口に出し、ようやく頼まれ物を忘れたと思い出す。

 

「あー!森に置いてきた!」

 

「…キミ基本的に抜けてるよね、時々しっかりするのにさ」

 

呆れたように言いながら、ジヨンは軽く欠伸をした。犬型の獣人であるジヨンは、言葉とは裏腹に感情が行為にダイレクトで出る。本人は無意識のようだが。

なんかあったみたいだし仕方ないかと言ってはくれているが、彼の欠伸は少しだけイライラしているサイン。プラスして多少不安がっている。

 

「……だから、ごめんって…。落ち着いたら取りに行ってくるよ」

 

それに気付いたタンタは目を逸らしながらもう一度謝罪した。忙しくなりそうならいいよ他の人に頼むと、ジヨンはいまだ閉じたままの扉に目を向ける。

「よく見えなかったけど、怪我人拾ったんでしょ?」と首を傾げた。手伝いはいらないと隊長は言っていたけど、キミのことだから気になって暇さえあれば構いに行くだろうしと、溜息を漏らしてジヨンは窓を拭く手を再開する。

それはそうだがここまで信頼が無いのは流石にムカつくなとむうと少し膨れ、タンタは「ちゃんと!取りに!行くから!」と宣言して再度窓に向き直った。キュキュキュと力強く窓を拭けば、磨きすぎてタンタの前の1枚だけが異様にピカピカしはじめている。

ここまで真面目にタンタが掃除をしたことなどあっただろうか、いやない。しかし、いまだに向かいの部屋からバルトは出てこない。妙に時間掛かってるなと、タンタはチラチラ扉に目を向けた。確かに結構な頻度で滑り落としはしたが、そこまで重傷化はしていないと思ったのだが。

これはまたノックの連打をするべきかとタンタが扉を睨み付けると、

 

「…お前、磨きすぎだろう?」

 

ようやく扉が開いてバルトが姿を現した。出てきたバルトは、1枚だけ異様にピカピカしているのも目立つなと多少呆れた声でタンタの磨いた窓に目を向ける。

慌ててタンタが駆け寄れば、バルトはタンタの頭を撫でて「起きたぞ」と軽く指で部屋の中を示した。元気そうではあるから話し相手になってやってくれとバルトは少し焦ったような声を出す。

 

「あー…私はバーンの食事を取りに行ってくるから…、」

 

「はーい」

 

「…大丈夫なんですか?」

 

バルトの申し出にタンタは食い気味な返事をし、ジヨンは警戒したような声をぶつけた。苦笑しながらバルトはジヨンの頭も撫で「危険性はない」と言い切る。

それでも少し厳しい顔のままのジヨンに「なら、なにかおかしな動きをしたら氷漬けにしていい」と許可を出した。

ジヨンは杖を持ち上げながら良い返事で答え、バルトは「よろしく」と廊下の向こうへ消えて行く。残されたふたりは言われた通りカチャリと扉を開け、バーンのいる部屋へと入った。

 

タンタたちが部屋へ入れば、ベッドの上で身を起こしていたバーンが一瞬びくっと反応し、ほっとした表情を浮かべる。不思議な態度にふたりが顔を見合わせれば、バーンは少し困った顔で「…あの怖い人は?」と呟いた。

怖い人とは、バルトのことだろうか。タンタがそう問うと、バーンはこくりと頷いて毛布をぎゅっと握り締めた。

目を覚ましたら睨まれただの、戸惑ってたら厳しく問い詰められただの、怖くて声が出なくなりオロオロしたらぷいと出て行っただの。

小さな少年は涙目でぽつぽつと語りだす。バルトの威圧感に屈したらしい。うんまあ、目覚めたら知らない場所で、知らない大人が見下ろしており、それが自分を睨み付けて、知らない事柄を問い詰めて来たら、だいたいの子供は泣くと思う。

納得しながらタンタは「…隊長は厳しい人だけど、怖、…い人だな、うん。怯えるのも当然では?」とついジヨンに同意を求めた。ノーコメントを貫くジヨンは「せめてフォローしてあげなよ…」と溜息を吐く。

ええ…?とタンタは心底難しい顔をして「…えーとえーとえーと、ただ単に眼光鋭く姿勢がいいだけなんだけどそのせいで大きく感じるし、ゆっくり低い声で話すから圧迫感があるし、自分にも他人にも厳しいから言い方がキツい…?」だと語れば、ジヨンに「フォロー…?」と首を傾げられた。あ、バーンが「怯えた己が悪いのだろうが目上っぽい人に対して容赦なさすぎでは…?」と呆気にとられている。

まあ多分悪い人じゃないと思うから大丈夫だと思うよ!とタンタは少し愉快そうに笑った。一応世話係の先輩騎士なんだから「悪い人じゃない」って言い切ってあげなよ、とジヨンは何度目かの溜息を吐く。

 

「ああいうののね、世話を毎日やってる人だから、ちょっと怖く感じたかもしれないけど。キミに対して怒ったりはしてなかったと思うよ、安心してね」

 

見かねたジヨンがフォローを入れると、バーンは理解したとばかりに深く深く頷いた。なんだよオレが問題児みたいじゃないか。

心外だと膨れるタンタは、先程のバルトの様子を思い出す。部屋から出てきたバルトは、少し焦ったように、そして微妙に困った顔をしていた。

なにかあったのかと不思議に思っていたが「いつもの見習いたちに接する調子で対応したら、少年を怯えさせてしまった」と気付き、居た堪れなくなって出てきただけのようだ。だからタンタたちに後を任せたのだろう。同じくらい年頃であるタンタたちならばバーンの恐怖感を緩和できるだろうと。

隊長も失敗とかするんだな、と少し楽しそうに笑うタンタに、バーンとジヨンは不思議そうに首を傾げた。そのお揃いの行動を見て、タンタは再度嬉しそうに笑う。

バーンも緊張が取れ、ジヨンも警戒心が解け、なんとなく落ち着いて来たようだ。立ち話もなんだからと、タンタとジヨンは部屋を見渡したがこの部屋にある椅子は大人用のものしかない、というかバーンの乗るベッドも大人用なせいかちょっと高いから大人用の椅子じゃないと顔が見えない。

「まあここ使うの大人だけだもんなー」とタンタはズリズリと大きな椅子を運ぶ。見習いが入っちゃいけない部屋なんざ、この城にごまんとある。結構な期間城に住んでいるが、いまだに間取りを把握していない。

タンタはなんとかふたつの椅子を運び終え、その上に飛び乗った。足がつかないとブラブラ足を振る。

ジヨンもなんとかもうひとつの椅子の上に乗ったのを見計らって、タンタはバーンに声を掛けた。

 

「えっと、バーン、でいいんだよな?」

 

「うん…あれ? …オレ名前言ったっけ?」

 

不思議そうな表情で首を傾げるバーンに、タンタは「森で名乗っただろ?」と笑う。まああの時は様子がおかしかったから覚えていないのも仕方ないかもしれない。

タンタはそう思ったのだが。

 

「………、森?」

 

目をパチクリさせながら、バーンが聞き返してきた。やはり自分が森にいたことすら、覚えていないらしい。

「オレは、町の外れにある塔に入って、それで…」と戸惑ったように語る。そのままバーンは「森なんかに行ったことない」と困ったように眉を下げた。というかそもそも城の近くに来ることすら稀だったようだ。

町の外れの塔、とタンタは小さく繰り返す。確かにこの辺で塔なんか聞いたことないなあと首を傾げた。あれかな、昔隊長が他の大人と「大陸の端にあるあれは、」だの「管理するにも遠いから、」だの「近くの町に協力を、」だの「変な気配がすると魔術師が、」だの相談してたやつかな。

塔というのがそのことを指しているならば、バーンは大陸の端の方の町出身。この城からはかなり離れた場所だ。というか隊長たちが話し合うレベルの変な場所で遊んでたとか、バーンは割とヤンチャなのでは?

塔なんて変なとこに何で行ったの?とタンタが聞くと、バーンは少し恥ずかしそうに「新しい遊び場を探してて」と答えた。詳しく聞くとバーンは火の気質がかなり高いらしい。

気を抜くと周囲を燃やす可能性があるため、燃えやすい場所には極力近づかないようしているようだ。原っぱで遊んでいても割と高頻度で草を燃やす。

「まだ上手く出来なくて」とバーンは真っ赤になりつつ指を絡ませた。そのため、放置されている塔ならうっかり火を漏らしても燃えないだろうと目星をつけ、新しい遊び場所になるかと入り込んだらしい。

 

「あと、その、塔は古いから、ちょっと不気味で、みんな気になるけどなんか怖いから、オレが入って怖いもんなんかなかったぞー、って」

 

証明しようとしたとバーンは目を泳がせた。

ちょっとした肝試し感覚だったんだろうなとタンタは察し、それをやりたくなる気持ちも理解する。わかるー、新しい遊び場発見とみんなが怖がるとこに特攻はロマンだよね、仲間内で勇者扱いされるからやりたくなるよね、わかるー。

この城真面目なやつ多いからそのロマンを理解してくれなくてつまんないんだよね、わっかるー。知らない道や見たことない場所を見つけ出すの楽しいよね超わかるー。

探検イイよねと同意するとバーンはパァと表情を明るくさせ「だよな!」と嬉しそうな声を上げた。あ、真面目なジヨンさんには同意を求めてませんからその顔やめて。

アカン子を見るような目をやめて。

 

「…なんか、お城のひとって真面目そうな怖いひとばっかだと思ってたけど、オマエみたいなのもいるんだな」

 

バーンはへらりと微笑んだ。タンタはつい思わず口を引くつかせる。

いやわかるよ褒めてるというか好意的な発言なのはわかるよ?ただちょっとなんとなく引っかかるだけで。はいそこのジヨンさんは「こいつは特殊な馬鹿だから他の城の人たちと一緒にすんな」って顔するのやめて。

お城にも面白いやついるんだな、と楽しそうな声のバーンに「オレは真面目ですよ?」と反論すると、バーンはちらりとジヨンに視線を向けた。その視線を受けてジヨンは「残念ながら」と言いたげに首をプルプル振り、その反応を見てバーンは「だよな?」と満足げに頷いた。

視線だけで会話出来るほど仲良くなれたようで何よりです。

もうとタンタは頬を膨らましつつもバーンに声を掛けた。「塔に入ろうとしたところまでは覚えてる、ってことは、それ以降は覚えてないの?」と質問すると、バーンは少し悩むように目を瞑り「入ろうとしたじゃなくて、確か一応中に入った、はず」と困った顔を作る。

 

「塔の中に入って…、うわ真っ暗とか思って、えーっと、」

 

記憶を絞り出すようにバーンは唸りながら手をワキワキと動かした。「こう、ああそうだ、このくらいの大きさの変な…、硬くて丸いなんかを拾って、」とそこまで喋ってバーンはピタリと止まる。

しばらく固まったあとバーンは、それ以降は思い出せないとへんにょり力尽きた。思い出せないというか、それ以降を思い出そうとするとこの部屋で目覚めた記憶に繋がるらしい。

塔に入って何かを拾った後から、目覚めるまでの記憶だけがポッカリ抜けているようだ。拾った何かが怪しいなとタンタはどんな物だったのかとバーンに問う。

うーん、とバーンは「確か赤色?それとも黒かな。薄暗くてよくわかんなかったけど」と悩みつつこのくらいの大きさで、と手で丸を作った。それが微かに光った、らしい。

 

「だから気付いて、拾った、んだと思う、けど」

 

バーンの話を聞いてタンタは引っ掛かりを覚えた。赤だか黒だかで、手の平に乗るくらいの大きさで、丸くて硬い。

そんな感じの代物を、タンタはついさっき森の中で見た記憶があった。思い切り殴り付け吹っ飛ばした代物。

もしやバーンの拾った怪しい何かとは、黒いバーンが額に付けていたあの宝玉のことだろうか。「頭に付けてたあれ?」とタンタが問えばバーンは何の話だろうかと不思議そうに首を傾げ、己の頭に手を伸ばした。

ああいや今は付いてないと謝罪し、近くに置いてあったメモ帳を引き寄せペンを走らせる。確かこんな感じだったと、タンタはあの時真正面で見た宝玉を紙に書き写した。

 

「えーと、…そのなんか変なのってこんな感じ?」

 

色は流石に付けられなかったが、形としてはこんなもんだろう。バーンがそれを見て少し悩んだ末頷くと、ジヨンもその紙を覗き込んできた。

「石というより宝石みたいだね」とジヨンが言えば「ああ、だから光ったのか」とバーンは納得したように手をポンと叩く。宝石ってピカピカしてるやつだよな、とバーンは笑うが宝石は自然発光するものだっただろうか。

まあそういう宝石もあるのかもしれない、実際魔力を込めた宝石は光る。確か魔法使いの杖とか、武器の補助に使われているはずだ。

ただ、あれは宝石ではあるが普通の宝石と違い魔力を通し貯められる性質があって、魔石と呼ばれ区別されていたような。

 

(あれは、どうしたかな。

たしかバーンから外れたときに、どっかに転がっていったような)

 

拾ってくればよかったなあと、タンタは少しばかり後悔した。バーンの異変はあれが原因である可能性が高い。

それが森の中に放置されているというのは少しばかりヤバイ気がする。探してみようかとタンタは考えるが、しかしあの森でどこにいったかわからないものを探すのは骨が折れそうだ。

むむむと難しい顔で唸るタンタにふたりが不思議そうに声をかけるが、タンタは曖昧に言葉を濁した。ヤバそうなものをうっかり森の中に落として放置しましたーとか言ったらまた馬鹿にされそうだ。

誤魔化そうとタンタが口を開いたそのとき、カチャリと扉が開く音が響く。3人がそちらに目を向けると、そこには盆を手にしたバルトが立っていた。

バーンの食事の用意が出来たらしい。暖かそうな湯気と柔らかい香りに惹かれたのか、バーンの腹が小さく鳴った。

 

「粥だ。食うといい」

 

腹を鳴らしたことが恥ずかしかったのか、バーンは多少赤くなりながらこくりと頷く。そんなバーンを見て、バルトはスライド式の机を引っ張り出し盆をその上に置いた。

食事をするならば自分たちは邪魔かなとタンタが漏らせば、バーンから縋るような目を向けられる。どうやらバルトとふたりきりにはなりたくないらしい。わかる。

タンタがバルトに視線で問えば「構わん」といった目で返された。バルトとしてもふたりきりになるのは気が引けるようだ。ならばとタンタはバルトに強請る。

 

「たいちょー、オレたちにもなんかちょーだい」

 

食事をとるバーンを見て、タンタも腹が減ってきたらしい。足をパタパタさせて催促するタンタをジヨンは諌めたが、タンタは聞き入れずごはんくださいと雛鳥のように口を開いた。

「お前なあ…」と呆れたように息を吐いたものの、バルトはひょいと果物を取り出しふたりの手に乗せる。わぁい、世の中ゴネ得。

差し出された果物を嬉しそうに受け取り、タンタは果物をマントで軽く拭ってからかぶり付く。シャク、といい音が部屋に響いた。

すぐさま食いついたタンタに再度呆れたようなため息を漏らしたが、渡された以上食べない方が失礼だと思い、ジヨンもペコリと頭を下げて果物をひとくち口に含む。

 

「あ、そうだ、」

 

口に物を含みながら喋ろうとしたタンタを見て、バルトがジロリと厳しい視線を浴びせた。バルトの眼差しは「必要最低限のマナーは守れ」と物語っており、同時に「喰いながら喋るな」と叱っている。

慌ててタンタは口の中に入っているものを?み砕き、慌てて飲み込んだ。無理をして飲み込んだせいか少し喉に詰まったが、ふうと息を吐き出して、タンタはバルトに顔を向ける。

 

「バーンは悪いヤツじゃないし、…このまま騎士団に入れるのダメですか?」

 

唐突なタンタの提案に、バルトもジヨンも、当のバーンでさえ目を丸くする。オレはチャンバラごっこぐらいしかしたことないし、騎士団になんてと戸惑ったような声を漏らすバーンに対し「ダメ?イヤ?」とタンタは笑顔を向けた。

また妙なこと言い出したよこいつと呆れたような表情のジヨンと、思案するようなバルト。そんなふたりを尻目にタンタは笑顔のままバーンを見る。

このバーンは悪いヤツじゃない、それは事実だと思う。タンタはオロオロしているバーンを観察した。それでも、またああなる可能性はゼロではない。

 

(…なら、様子見と監視で、目の届くところにいたほうがいい)

 

それは黒いバーンと直接対峙した、このタンタだからわかること。あの黒いバーンのこのバーンは、恐らく資質の根っこは同じ。火の素質が高いってレベルじゃない、他の人間とは一線引いた火炎の力。

正道を極めれば彼は恐らく騎士すら超える。

それとは逆に、邪道を極めれば彼は恐らく全てを黒く燃やし尽くす。あの時、タンタと対峙した時のように。

資質が異常に高い、現に今バーンは火の力の制御が上手く出来ていない状態なのだ。そんなレベルの子供を野放しにしておくのは危険だろう。だったら王国で囲ってしまったほうが安全なはずだ。

たとえ何か起こったとしても、こちらには魔術師も騎士も数多い。どうにか対処できるだろう。

そして彼が正道を進んでくれるのならば、王国のために動いてくれるのならば、非凡な才能が味方であるのならば、その利は非常に大きくなる。

 

「ね?オレも友だち増えたら嬉しいし、バーンも制御の勉強できるよ!だから一緒に遊ぼう!」

 

疑いも理由も危険視している事実も、何もかもを隠しつつ、タンタは3人に向けて再度笑顔を向けた。「遊ぼう」という建前を表に出して。

タンタの提案にジヨンもバーンも戸惑っているが、唯一バルトは「当人が良いならば構わない」と思案しながら言葉を紡いた。バルトの視線の先にはバーンがいる。

ああそういえば、バーンは目が覚めたときバルトに問い詰められたと言っていた。バルトもバーンの危険性と、それを乗り越えたときの利を天秤に賭けたのかもしれない。

危険かもしれないモノならば手元に置いて監視すべきだ、と。

利があるものならば傍において鍛えるべきだ、と。

恐らく同じ理由と結論に至っているのだが、浮かべる表情は真逆。ニコニコしているタンタと厳しい表情のバルトに挟まれ、バーンはオロオロしながらこう言った。

 

「…いいなら、入る」

 

バーンとしても未だ制御出来ない己の火の力をコントロールが出来るようになるならば、拒む理由もない。今の状態ならば習うことすら難しいその制御法も、騎士団であるならばそれを得意にしている者の手で学べるのだから。

 

こうしてバーンは騎士団に入団することになった。

 

入団直後は慣れぬ城生活にオロオロしていたバーンだったが、騎士団に馴染むたびに素を出すようになり、制御も完璧どころか「これ剣に火の力纏わせたら強くね?」と己の戦い方を作り上げる。

その戦い方と、戦士として身に付けた鎧の様相を見てタンタは一瞬驚くのだが、何食わぬ顔で彼に付き合った。

 

平和な時代、平穏な時期。

それももうすぐ終わりを告げる。

何故今赤黒い宝玉が目覚めたのか。

何故強い資質の者が生まれたのか。

それらは全て繋がっていた。

後にダークマターと呼ばれるこの赤黒い宝玉は、世界の異変に反応し少し動いただけ。

後に勇者と呼ばれる彼らは、世界の異変に反応し生まれただけ。

 

そう、

魔王という名の異変に反応しただけに過ぎない。

 

 

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バーン入団の騒ぎも収まり、彼がゆっくりと城生活に馴染んできた頃。北のアシリア地方から少年がひとり、王国を訪ねてきた。

少しばかり興奮した様子の彼はどうやら北の国の王子らしく、以前、バーンの騒ぎよりも前にタンタが進言した通りに魔術の勉強に来たようだ。

「色々調整するのに時間が掛かってしまって」と王子は微笑み、ようやく来れたと嬉しそうにタンタの手を握る。「良かったな」とタンタも笑い、以前聞いた要望通りに魔術団へと連れて行った。

そのまま数日。王子は見習いたちの勉強に混ざり、暇が出来たら魔術団へと通い、来賓用の部屋で寝泊りしている。食事とはいうと「あの、ワガママかもしれませんが、あの、みなさんと一緒に、食べたい、です」とモジモジしながら言うものだから、見習いたちに混ざって摂るようになった。

似た時期に見習いたちと混ざったためか、歳も同じで新入り同士の王子はバーンと一緒にいることが多い。そのおかげが、バーンがなんとなくマナーやルールを身に付けたのは嬉しい誤算だった。

まあ当人は「何食ってどう生きたらああなんの?」と親しげに接してくる他国の王族に対し、もの凄く戸惑っていたが。木登りとかしたことないって、いつもどうやって遊んでんだ?と不思議がっていた。

王子は毎日楽しそうに過ごしていたが、どうやら満足いった結果を得られたようだ。名残惜しげに、けれどもニコニコと微笑みながら帰国の日を迎える。

「魔術や武術もですが、他にも色々と大切なことを学べました」と感謝の意を込めてタンタやバーンと握手し、船へと乗り込んでいった。

彼だけではない。王国へは入れ替わり立ち代り人が訪れ、賑やかな声の絶えない日はなかった。

 

賑やかで平和な日常。

明日もまた同じような日が続くのだと誰もが思っていた。

 

 

しかしその日常は容易く崩される。

魔王ムウスの登場によって。

 

■■■

 

どこから現れたのかわからない。

何故王国を襲うのかわからない。

しかしながら魔王は現れるや否や、城を破壊し街を破壊し大陸全てを破壊し始めた。

目的は己の強さの誇示だろうか。強さを誇示しこの大陸の支配でも企んでいるのだろうか。

それとも他に目的があったのか、それは誰にもわからなかった。

 

魔王が腕を一振りするだけで、木々は倒され地面は抉られ、辺りは燃やされ灰と化す。

王国の兵士たちは魔王に立ち向かうが、圧倒的な力を持つ魔王相手に真っ当な対抗など出来るはずもなく。

ただただ死傷者の山を築き上げていった。

被害が出たのは王国だけではなく、大陸全土に広がっていく。

 

暴れるだけ暴れて、魔王は満足したのか高笑いを残して何処かへ去っていく。

王国に残されたのは僅かな数の生き残りと、辺りに広がる焼け野原。

絢爛豪華な白いお城は、燃えて汚れて灰色に染まり、所々に赤い血が張り付くただの瓦礫に変わっていた。

崩れ去った王国に呆然と佇む生き残りたちの各々多様な表情は、総じて絶望の色に染まっている。

それはまあそうだろう、突然全てが壊されて全てを失ったのだから。

 

何もかもを失って、太刀打ち出来ない相手が現れて、見える未来は真っ黒け。今生き延びたとしても、必死に復興したとしても、またいつ襲われるかわからない。

不安と絶望と憎悪と。王国を襲ったのはそんな淀んだ風だった。

死んだほうがマシかもしれない、楽になれるなら。

ふとそう考える人も出てきたのだが、そんな中でも甘ったれがいるもので、彼らは泣きながらこう言った。

「死んだ方がマシだろうが、死ぬのは怖い」

だから彼らは動いた。

生きるために死なないために。

死の恐怖から逃れるために。

死にたくないから命をかけて抵抗しようと。

死なないように死にものぐるいで生きようと。

死んでも平和な日常を取り戻そうと。

矛盾しかないその願いを、多くの人がさも当然のように想った。

 

そうして彼らは思い思いに動き出す。

「勇者」が旅立ったのも、この時期だ。

今はまだ小さな戦士。

それでも、仲間を探して力を求めて、彼は世界を歩み始めた。

 

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時というものは、それぞれによってそれぞれの速さで流れるもの。

今でも変わらずあるものもあれば、あっという間に変わるものもある。

 

未だ王国は魔王襲撃の傷跡が癒えてはいない。それでも、王国やその近辺の国や街はあの時生まれた想いのままに、ひとりの女王を中心に立て、ゆっくりと着実にひとつの国へと結束していった。

以前に比べれば質素だが立派な城を建築し、以前と比べると数は少ないが多くの生き残りを内包し、以前と比べてごちゃごちゃしたが大きく広い領土を得る。

ああ、喜ばしいこともあった。あの時生き残った幾人かの見習いが成長したのだ。

魔王出現をきっかけに暴漢暴徒が増え始め治安が若干悪くなったのだが、結束が強まった騎士団は見習いも交えてこれを鎮圧。皆が早く普段の生活に戻れるようにと積極的に復興を行い、騎士団は寝る間を惜しんで働いた。

それによって見習いたちはグングン成長し、青年となり力をつけた彼らは新たな装束に身を包む。

それでも浮かれたり驕ったりはせず、元見習いの新たな騎士たちは変わらず王国のために動き続けた。彼らの活躍で、彼らを慕って王国に協力する者も増えていく。皮肉かな、魔王の襲撃によって崩れた王国は、魔王の襲撃のおかげで以前よりも結束し力を付けた。

それは同時に、魔王に対する戦力がある程度育ったことを意味している。ある意味、王国の強さは魔王が生み出し育てたと言えなくはない。…実際言ったら睨まれるだろうが。

 

「…なんか感慨深いなあ」

 

魔王の襲撃を経験したタンタは、クフリンと名を変え過去の自分に区切りを付けた。もう子供ではないと。自由な見習いではないと。

白く新しい鎧は自分にピッタリで、くるりと回れば外れることなく己の身に追従する。くるくる回るクフリンを見て、時を同じく成長した元見習いの金色の騎士アーサーは「機嫌が良いな」と呆れたように笑った。

 

「鎧が綺麗なのなんて今くらいしかないだろう?」

 

アーサーに己の行為を笑われ、多少不機嫌そうな口調でクフリンが言う。なんせ見習い時分の白い鎧は、魔王襲撃の時から使い続けた結果、白さがほとんど失われていたのだから。

洗っても落ちない汚れと、修繕も難しいほどの傷。頑張った勲章だと言われはしたが、少し見窄らしいと悩んでいたところだった。まあ、恐らくこの鎧も同じ道を辿る気がするのだが。

そう、成長したとしてもクフリンたちのすることは変わらない。王国を護り、民を護り、仲間を護る。それに誇りを持っていた。

もう二度とあんな目にあうのは御免だと、己の鎧がボロボロになろうとも俺は王国を守ると、彼は厳しい表情で言う。

そんなクフリンに柔らかく笑いかけながら、アーサーは無茶はしすぎるなとクフリンの肩を叩いた。

 

「それよりそろそろ後輩たちの訓練の時間だろう?いいのか?」

 

「…ああもうそんな時間か」

 

壁に掛けてある時計を見ながら、クフリンは少しばかり憂鬱そうな声を漏らす。

彼ら、見習いから昇格したばかりの騎士たちは、見習い戦士たちの訓練監督に回されていた。鎧や武器を新調したからその具合を見るために、そして「他人に物事を教示する 」ということを学ぶために。

己が理解していないことを他人に教えるのは難しい。また物事を理解していない人間にそのことを理解させるということは、さらに難しい。

ただ教本に書かれたことを伝えるだけでは、理解とは程遠く意味がない。ただ教わっただけの知識が身につくわけないのだから。

剣の振り方ひとつとっても、ただ文字を追わせるだけで敵と戦えるはずがない。ひとりひとりに合った剣の扱い方を実践で教える必要があった。

見習い時代よりも勉強している気がするとクフリンは愚痴る。教える側に立って、ああ隊長は凄かったのだなと身に染みた。よくもまあ、あの個性的な見習いたち全員の面倒みていてくれたものだ。

遠い目をしているクフリンの気持ちを知ってか知らずか、アーサーはポンとクフリンの背を押す。

 

「いいから早く行け。また隊長にどやされるぞ」

 

アーサーの言葉にクフリンはピクリと身体を跳ねさせる。いまだにバルトのことを示唆されると反射的に慌てるこの身体が恨めしあい。どうにも、成長したのだとしても、クフリンはバルトに全く頭が上がらなかった。

バルト本人は「見習い卒業したし、もう一人前だな」とスパッと割り切って、普通に仕事を任せ普通に接してくる。しかしクフリンはバルトを前にすると、見習い時にこってり絞られた記憶が浮かび上がり見習い気分に戻ってしまうのだ。

実際今でも上司なのは変わらないのだから、頭が上がらないのは間違いではないのだが、名前を呼ばれると真っ先に「叱られる」と身構えてしまう。なんであの人なんか新人騎士に用事あるときまず俺に声掛けてくるんだ。

とはいえ、元々バルトがやっていた見習いの世話を任されたのだから、クフリンとしては愚図っていられるわけもなく慌てて部屋を飛び出した。

 

部屋に残されたアーサーは、バタバタしながら出ていったクフリンを見送り少し笑う。あいつは気付いているのだろうか、と。

バルトそっくりに育っていることを。仲間を守り、後輩を育て、慕われる騎士になっていることを。

クフリン本人はバルトを少し苦手としているようだが、やることなすことバルトの後追いなのは気付いているのだろうか。

唯一違うところといえば、敵を見かけたら無闇矢鱈に特攻しないところくらいだなと、アーサーは己の仕事に手を伸ばした。

方や仲間を守るために己が特攻し、方や仲間を守るために己が壁になる。目的は同じなのに行動が真逆なのが面白いなと所在なさげにアーサーはペンをクルクル回した。

まあ隊長は味方を守りつつ特攻するからハタから見ていてハラハラするのだが、とアーサーは溜息を吐く。なんであの人は今でも自分たちを守ろうとするのか。自分たちはもう見習いじゃなく一人前なのだから割り切ってくれ背中任せてくれ。

竜のブレスすら己で全て受け持った時は本当に驚いたやめてくれ司令官。司令官が前に出てどうするんだ、率先して攻撃を受け止めてどうするんだ、率先して前線で暴れてどうするんだ。

クフリンのように守りに集中するか、私のように攻撃に集中するか、どっちかにしてくれ。

そう、私たちのように、とアーサーはふと窓に目を向けた。

 

「ああそうだ。あいつが守ってくれるのだから、私が槍になればいい」

 

本当に隊長は凄いなと、アーサーはクフリンと同じことを思う。自分たちがふたりでなんとか成すことを、ひとりで全て終わらせてしまうのだから。

そこら辺は本当に尊敬するのだが、特攻癖だけはいただけないとアーサーは笑った。あの人にとっては仲間は守るもの、と染み付いてしまっているのだろうと頬を掻く。守りたいから庇った上で特攻するのだろうあの人は。

私たちのように役割を分担すれば負担は減るだろうに。だって仲間は信頼するものなのだから。

アーサーはクフリンを信頼している。クフリンなら何があっても必ず守ってくれると。見習い時代からの仲なのだからそれは当然だ。クフリンの性格はよく知っている。

 

「…つまり、守りをクフリンに任せて、私は捨て身で攻勢に出ても良いんじゃないか?」

 

アーサーは不意に思い付き、ポンと手を打ち鳴らす。そうだな、今度その方向で考えてみよう。そっちのが合理的だ。あいつは盾、ならば私は槍。

まあ恐らく確実にクフリンから「捨て身とか何考えてんだ馬鹿!」と死ぬほど怒られる気もするのだが。ま、そうなったらこう返そう。

「君が、絶対に守ってくれるのだろう?」と。

 

いい考えだとクスクス笑うアーサーは気付かない。

バルトの「仲間を護るために己が壁になる」という気質をクフリンが継いだのと同じように、バルトの「仲間を護るために己が特攻する」という気質を受け継いだことに。

ずっと見ていたずっと憧れていたずっと背中を追っていた。そんな先輩騎士に追いつこうとしているのは、クフリンだけではなく、己もそうだということに。

 

■■■

 

さてそれはそれとして、部屋から飛び出したクフリンは大急ぎで訓練場所に向かっていた。指導する立場の者が遅刻するなどあってはならない。

とはいえあからさまに急いで来た姿を見せるのもよくはないからと、訓練場所に着く直前でクフリンは足を止め息を整えた。おかしなところはないかと己で身を確認したあと、訓練場に足を踏み入れる。

そこに待つのはバーンを筆頭にした小さな戦士たち。ちまちましながらも一生懸命に剣を振っていた。クフリンが来たことに気付いた彼らは、キラキラした目で寄ってくる。

 

「タンタ…じゃない、クフリン来た!今日は何するの?」

 

「デカいー、ムカつくー」

 

クフリンの周りに集まって、笑いながらペシペシ鎧を叩く見習いのチビ戦士たち。ついこの間までクフリンもこちらに混ざっていたのにとチビ戦士たちはからかい半分賞賛半分、あとちょっとの嫉妬を混ぜて纏わり付いてきた。おいそこ髪引っ張るな痛い。

クフリンは苦笑いしながら引っ付いてくるチビたちを剥がし、1番激しく叩いていたバーンの首根っこを掴む。やめろと叱れば不機嫌そうに頬を膨らませバーンが口を開いた。

 

「なんだよ先に騎士になったからって。オレもすぐ騎士になってやるからな!」

 

面白いくらい膨れたバーンを抱き抱え「頑張れよ」と頭を撫でれば、バーンはぷいとそっぽを向いてさらに風船のように膨れてしまった。

見習い期間が重なっていたとはいえ、バーンはクフリンたちとは違い途中入団だ。成長に少し差があるのは当然なのだが、バーンとしてはそれが面白くないらしい。

それでも撫でられていることを享受しているのだから、懐かれてはいるようだが。

 

「…そうだな。俺は属性系の攻撃が苦手だから、バーンが騎士になってくれれば助かるなあ」

 

そうクフリンが呟けば、バーンはきょとんとした顔を向けた。目を数度パチクリさせ、その後へらっと笑みを浮かべる。少しばかり得意げな、少しばかり嬉しそうな顔。

バーンのその顔を見てクフリンも笑った。やる気出てくれたかな、と。昔自分が隊長に「守り方が上手いな、助かる」と言われた時嬉しかったから真似をしてみたのだが。

確認するまでもなくバーンは明るい表情のままクフリンの腕からすり抜け、トンと地面に着地した。ぴしりとクフリンを指差し見上げ、バーンは大きな声で宣言する。

 

「すぐデッカくなってやるからな!」

 

反対の手に握られたバーンの剣はメラメラと燃えていた。制御出来るようになったとはいえ、相変わらず自分の気分と火炎が連動するらしい。

今回はやる気が満ち溢れているようだ。バーンの発した勢いの良い炎は剣だけに留まらず、地面に生えている草に燃え移った。草に燃え移った火を足で消しながらクフリンは「草燃やさなくなったらすぐだろうに」と笑う。

まだ未熟だぞと暗に言われたバーンは再度むすっとし、炎を抑えようと目を瞑った。するとすぐに炎気が弱まり、剣に纏った火も消えていく。

見ての通り風などとは違い、燃え草が無くなれば炎は容易く抑えられる。つまりバーンが落ち着けば火の制御は容易いのだが、問題はバーンが割と熱血な性格なせいで燃え草が幾らでも出てくるという点だろう。

ライバル心を抱けば燃え、悔しいと思えば燃え、勝ちたいと思えば燃え、やる気満々なときも燃える。

熱い性格を潰してしまうのは勿体無い。が、多少は冷静に周りを見れるように誘導すべきかと、クフリンはバーンの頭を軽く撫でた。

というか俺の周り特攻するやつ多すぎないか?特に、意外と言えば意外だがアーサーが思ったより攻撃特化だ。普段は冷静なくせに、いざ戦うとなると隊長みたく後先考えず特攻しやがる。なんでだ。

この間なんかぽつりと「…火力が足りないな…」とホザいたので驚いた。お前に必要なのは火力じゃない防御だ。なぜ防御を蔑ろにしてまで更に火力上げようとするんだ。

いらんこと考えてそうな友人を思い浮かべながら、わちゃわちゃしている見習いたちに目を向ける。

こいつらには防御の大切さを教えなくては。

重装騎士隊のクランなら相談に乗ってくれるかなと、溜息を吐いた。他の奴らに比べたらまだマシなアドバイスをくれるだろう。

どいつもこいつも特攻するのは何故なのか。

そこら辺も相談してみようかなとクフリンは、再度周囲を見渡した。

己の指導に従って、楽しげに訓練している小さな戦士たち。まだ体躯が育ちきっていない、まだ精神的にも幼い彼ら。にも関わらず、大人顔負けの動きを見せる子が数人いる。

バーンは元より他にも数人、かなりいい才能を持っているようだ。剣に限らないならば弩の使い手ドーシュという子、まだ保護したばかりだが大剣を好んで使うクロムという子もなかなかの腕前を見せていた。

 

(自信無くすよなあ…)

 

己があのくらいの頃、あそこまでの才覚を現せていただろうか。いや無かっただろうとクフリンは自ら反語する。クフリンは彼らと違い、属性に特化した技や種族に効果的な技もなく、特筆すべき特徴がない。 ただ剣を振るえるだけだ。

だから得意なことがない分、盾を大きくして皆を守ろうと思ったのだが、守りという点ならばクランの方が得意であるし。突飛したものがない身としては、将来有望な後輩たちを見ると些か気落ちする。

このままではすぐに追い抜かされてしまうだろうなとため息混じりに、クフリンはバーンたちに目を戻した。ちょうどバーンとクロムが手合わせを行うようだ。

バーンは火、クロムは熱の気質が高く気質も性格も似ているからかよく張り合っていたが、今日はどうやらお互い普段以上に燃えているらしい。熱気がクフリンのところに届くくらいだから、かなり熱くなっているようだ。

特にバーンが妙に張り切っているらしく、それに引っ張られてクロムも妙にチカラが入っている。

 

「…おっ、と」

 

ふたりの動きを眺めていたクフリンは、慌ててふたりを観戦していたドーシュの前に割り込み盾を構えた。すぐに盾の向こう側からガキンという金属がぶつかる音が聞こえ、焦げ臭い匂いが立ち込めてくる。

予想通り、暴走気味だったバーンとクロム、両者の剣がクフリンの盾にぶつかっていた。危なかった、間に合わなければドーシュに直撃していたなこれ。

 

「張り切るのはいいが、ちゃんと周りを見ないと駄目だぞ」

 

暴走気味だったふたりは我に返り、焦げ付いた盾の合間から覗く驚いた顔のドーシュに気付く。ふたりは困ったような表情でクフリンを見上げ口を開くが、クフリンはそれを制し「俺じゃないだろ」と苦笑しながらドーシュを前に出す。

「熱くなりすぎた、もっと気をつける」とバーンが頭を掻き、ついでに「焦げた…」と申し訳無さそうにクフリンの盾に触れた。

気にしなくて良いとクフリンはバーンの頭を撫で「守るための盾がピカピカしていたら不安になるだろう?汚れている程度が丁度良い」と、盾をコツンと叩く。

まあ身近に盾なんざしらねえと言わんばかりに防御に無関心な特攻する金色騎士がいるが黙っておく。基本戦術特攻なら盾いらないだろあの特攻馬鹿め。盾持ってんなら使えよ。なんでわざわざ持ち歩いてんだ。

なんとなく「戦闘中お前の盾が壊れたら渡すためだが?だからわざわざ同型にしたんだぞ?」と暗に言われている気がするが、気のせいだと思っとく。自分で使え。

 

「守る…」

 

「汚れてたら、ああちゃんと盾使って守ってもらえるんだな、と思うだろ。だから気にするなよ?」

 

まあちょっとだけ、ほんの少しだけ新品の盾が早々に汚れたショックはあるが、些細なことだ。

国を護ろうと心に決めたあの日から、クランに習い身に付けた技。仲間を守るための基本技。形になったのは最近だが、今回上手くかばえてよかったとクフリンは笑った。

ふうんと思案するように見つめてくるバーンにクフリンが首を傾げると、クロムが元気に手を挙げながら言う。

 

「それ俺も覚えたい!」

 

「クロムは武器が両手持ちの大剣だろ?盾を持てないじゃないか」

 

呆れたようにクフリンが言うと、クロムは胸を張って体で守る!と宣言した。

志は素晴らしいが、身を犠牲にすると宣言されても困るなとクフリンが頭をポンと撫で忠告すると、クロムは小首を傾げ「盾がないならオレが味方の盾になる」と笑った。違うそうじゃない。

 

「…クロムが怪我したら悲しむ人もたくさんいるだろう?仲間を守るならちゃんと対策を立てないと無理だ」

 

「んー、わかった。何すればいい?」

 

屈託のない笑顔で問うクロムにクフリンは言葉に詰まった。自分もそこまで詳しくない。

盾を持たずに盾になる方法か。ロボのように体が丈夫ならば多少は問題ないのだろうけれど。

「俺からだ丈夫!」とニコニコしているクロムは少し置いておくとして、クフリンは思考を回す。が、良い方法が浮かばない。

 

「クランに相談してみるよ。クランは重装騎士だから…」

 

覚えたいならクランに学ぶのが一番だろう。それを含めて相談しよう。相談事が増えたなすまないクラン。

その旨を話すとクロムは嬉しそうに笑顔を見せた。そんなクフリンとクロムを眺めながら、バーンはぽつりと言葉を漏らす。

 

「仲間を、護る」

 

そんな道を選んだふたりを眩しそうに見つめていた。バーンには己を守る技しかない。小さな盾では自分ひとりしか守れなかった。

仲間を護るために大きな盾に持ち替えたクフリンと、盾などに頼らず仲間を護ると宣言したクロム。自分は自分を守るのが精一杯だというのに。

仲間か、とバーンは己の手を見つめる。こんな小さな手では守れない。

「早く大人になりたいな」とバーンは小さく小さく呟いた。

 

■■■

 

多少のアクシデントがあったものの訓練は無事に終わり、小さな戦士たちの「ありがとうございました!」という声に見送られ、クフリンはその場を後にする。

相談事が増えたため早めにクランに会いに行きたいが、今の時間はまだ仕事中だろう。どうするかと悩みつつ、自然とクフリンの足は魔術団のほうへ向かった。

時を同じく成長した宮廷魔術師の元へ。

 

「やあ、いらっしゃい。珍しいね」

 

クフリンが魔術団の敷地内にある薬草園に顔を出せば、涼しげな目を向け宮廷魔導師のジョンガリが出迎える。ちょうど水やりをしていたのだろう、手にはジョウロを持っていた。

ジョンガリも成長に合わせて名前を変えたひとりだ。元はジヨンと名乗っていたが、よく読み方を間違えられるし変えて良いならば変えてしまおうと思ったようで今に至る。

何かあったのかと問うジョンガリに、クフリンは「時間が空いたから暇潰しに」と手をひらつかせた。

 

「……。そうか、いいハーブティーが手に入ったんだ。飲んでいくかい?」

 

クフリンの答えにふむと頷きジョンガリはジョウロを近くの台の上に置いた。同盟国から良いハーブを貰ったのだと語り、ついて来いと尾を揺らす。

誘われるがままにクフリンがとんと薬草園に入り込めば、土の香りと水の香りが優しく出迎えた。

 

魔術団に併設しているこの薬草園。

ここの薬草、元は1株のちいさな薬草だった。

いちいち森に採取しに行くのは手間だから、というか昔頼んだ薬草を森に置き去りにされたから。ならばいっそのこと王国内で育てた方が楽じゃないかとジヨンが考えたのがはじまりで。

根ごと採取してきた薬草を丁寧に世話し、栄養や水を変え、少しずつ少しずつ増やしていった薬草は最終的に増えに増え、今や立派な施設を建てるまでとなっている。

確かに薬草が敷地内で確保出来るというのは便利なのだが、採取くらいならいくらでも行くのにと施設内に蔓延る薬草群を眺めながらクフリンが言うとジョンガリは苦笑した。

 

「いや君たち騎士団が無茶な進軍したり己を顧みず前線に出たり力尽きるまで戦うから、早急に回復薬が必要だと思ったからね」

 

毎回森に採取に行こうとすると間に合わないんだよ、とジョンガリは苦言を漏らす。回復の素質を持つ生き物は少ないのだから無茶しないでほしいと、水を魔法で温めポットに入れる湯を沸かした。

それに関してはつくづくすまん、特攻魔がいるものでとクフリンが謝れば、ジョンガリは「まあ…落ち着いてきたとはいえあの時の被害は大きかったからね。君たちが無茶するのは仕方ないと割り切ってはいるよ」とお湯を注ぎ茶葉を蒸らす。

おかげで薬草から回復薬の精製に成功したし、その上位版であるエリクサー開発まで進んだとジョンガリは笑った。余ったやつはどこかに出荷しようかと軽口を叩きながら、ジョンガリはゆっくりと茶を注ぐ。

ほわんと良い香りをした茶がクフリンの鼻をくすぐった。

 

「さて、…何かあったかい?」

 

先程暇潰しに来たと伝えたつもりだったが、と差し出されたカップを受け取りながらクフリンが答えると、呆れたような眼差しでジョンガリは言う。

君が意味もなくこんなところまで来るはずないだろう、と。

魔力も属性技も持たないクフリンは魔術団に来る用事などほとんどない。「召喚は使えるのだから訓練すれば何かしら顕現すると可能性はあるのではないかな?」とジョンガリが指摘すると、クフリンは「俺、は使えないよ」と苦笑した。

それならば、資質がないと自覚しているにも関わらずわざわざ来たからには、何かしら理由があるはずだろう?とジョンガリは自分用に注いだ茶を啜る。

 

「大方、騎士団の皆には相談出来ない事柄の悩み事かな」

 

ジョンガリが首を傾げれば、クフリンは図星を刺されたようにギクリと身体を跳ねさせた。目を泳がせつつ「あー」とか「うー」とか誤魔化そうとしたようだが、結局じっと見つめてくるジョンガリに根負けしぽつりぽつりと語りだす。

才能溢れる後輩たちを見ていると自信がなくなってくるのだと。

魔術の才もなく剣もただ振るだけしか能がなく、必死に仲間も守ろうとしてもそれだけで。特技もなく地味。

以前騎士の仲間たちにそのことを軽く愚痴ったら「お前何言ってんの」とマトモに相手してもらえなかった。そう目を泳がせながら言えば、ジョンガリが笑いながら言葉を返す。

 

「騎士団の反応は正しい」

 

「君もそう言うのか…」

 

クフリンは悲しげに目を伏せた。ジョンガリのように、宮廷付きの魔導師に抜擢されるほどの才能がある奴にはわからない話だったか。

あからさまにいじけるクフリンをみて、ジョンガリはくぴりとカップに口をつける。

 

「…何を言ってほしいのかな?君は後輩に嫉妬してる心の狭い奴だと笑えば良いのか、それとも悩みをマトモに取り合わない仲間たちは冷たいねと慰めればよいのか、それとも」

 

君には君しか出来ない特技があるだろうと捻り出してわざわざ言葉にしてほしいのか。

ジョンガリが紡いだ単語たちにクフリンは「いや、違、…ぃゃ…えっと…」と困ったように狼狽しだした。己でもよくわからない感情にモヤモヤしているだけなのだから、何かを求めてはいないはず。

強いて言うならモヤモヤを取り除いてスッキリしたいだけ、のはず。ああしかし、彼らを見ていると自信を無くすのだから。

唸り始めたクフリンを見て、ジョンガリは「わかった一個一個処理していこう」と空になったカップに再度茶を注ぎながら、ジョンガリはゆっくり言葉を紡いだ。

 

嫉妬しているのならば望み通り笑ってあげるよ、それは当然の感情なのだからとジョンガリは茶をひと口啜る。

他人の才能に嫉妬するのに年齢は関係ない。

嫉妬するということは、言い換えればその才能を認めているということ。己がまだ未熟だと気付いているということ。

無駄に自信を持つ愚者ほどタチの悪いものはないのだから、だったら己は未熟だと素直に嫉妬してくれたほうマシ。

 

「つまりあれだ、誰しも持ちえる当然の感情なのだからそれにグズグズ悩む君は阿呆。さて次」

 

スパッと言い放たれ微妙な表情を浮かべるクフリンのカップに新しい茶を追加し、ジョンガリは「そういうことだからグダグダ言う君への騎士たちの反応は正しい。そもそも騎士団は特技を伸ばす方針だろうに、その特技に嫉妬してどうするつもりだね?子供の才能を潰す気かな?」と捲し立てられたのでクフリン慌てて否定する。

そんなことを考えているならば指導係なんて受け持っていない。

最後はそれだとジョンガリはカップから手を離し「指導係やっているんだろう?」と口を開いた。クフリンが頷くと、ジョンガリは「それが特技だろ」と事も無げに言う。

クフリンがぽかんと口を開けると、ジョンガリは「あの騎士団で、あの数の見習いを全員面倒みてるのは立派だと思うがね」と指をくるくる回した。

「君の指導で『防御』を重視する子が増えたと聞くよ。子供にちゃんと影響与えるってのは凄い事だろう?」とジョンガリは笑い、まだ足りないかなと首を傾ける。

 

「じゃあ、そうだな。君が嫉妬するくらい優秀な子たちが将来活躍したときに『彼らをここまで育てたのは自分だ』って言える、でどうだい?」

 

謙虚に言いたい派かな?なら『英雄を指導した』でもいい、とジョンガリは淡々と斜め上の解決策を提示した。

張り合うのではなく指導者の視点から見ればいいと。

混乱するクフリンにジョンガリは首を傾げながら、優秀な子の指導者になるチャンスなんか滅多にないのにそれを棒に降る意味がわからないと涼しい声で放つ。戸惑いながらクフリンが口を開いた。

 

「いや、…そういう話じゃ」

 

「黙ってろ。…君、昔から根本的に変なコンプレックス持ってるから自分を過小評価しがちだけどね、君以外の人たちは普通に君を評価してるよ?」

 

君のモヤモヤの正体、というか根っこは「自分より凄い人がたくさんいる。ならば特技もない自分は居場所が無い、騎士団いや王国から追い出されるのでは」という不安感だよ、とジョンガリは呆れたようにため息を吐く。そんなことあるわけないのにと。

「そもそも、評価の低い輩に指導係なんか任せないだろ」とジョンガリは茶請けの菓子を齧った。特に君はそういうの昔から慣れてて得意だったしと、菓子をクフリンにも勧める。

差し出された菓子に手を伸ばさずクフリンは「いや、うん、…うん。…そ、っか」と、もにょもにょ言葉を濁した。微妙に赤面した頬を誤魔化すようにクフリンはジョンガリに感謝の言葉を贈る。無駄に思い悩んでいた自分はやはりポンコツなのでは。

 

「や、実際私も体験したから似た感じかなと思っただけだよ」

 

ジョンガリの言葉にクフリンが首を傾げると「ちょっと前、といっても襲撃騒ぎの前だが…北からフロウが来ただろう?」とジョンガリは頭を掻いた。ふさふさした犬毛がゆるりと揺れる。

あの時のことはクフリンも覚えていた。昔おつかいに出掛けたときフロウを誘ったのは自分だし、いざ留学に来たとき彼を魔術団まで案内したのも自分なのだから。

フロウは水、ジョンガリは氷と微妙に系統が違ったが根っこは同じものだからと紹介した記憶がある。

それがどうかしたのかとクフリンが問うと、ジョンガリは当時を思い出したのか苦笑した。

 

「もう嫌になったよ。彼は教えれば教えるだけ吸収してね。基礎をあっさり身に付けたと思ったらさらに上位の水魔法まで習得の気配を見せて」

 

そこまでたどり着くのに自分はどれだけ時間がかかったと思っているんだと、ジョンガリは少し不機嫌そうにため息を吐いた。ああこれが嫉妬かと、宮廷魔導師とか言われて天狗になっていたと当時の思いを語る。

そんな気持ちのまま、フロウに対し「もう少し魔力と体力が増えれば、それが完全に習得出来ると思う」と言うのが精一杯だったのだが、その言葉に満足したのかフロウは機嫌良く帰っていったそうだ。

その態度も、帰り際の嬉しそうな言葉も、ジョンガリ的には、当時はジヨンだったが、妙にモヤっとして最後まで笑顔でいられたか己でも覚えていないらしい。

 

「それでしばらく、というか結構最近までモヤモヤしていたんだけどね。ついこの間彼がまた来たんだ」

 

「ああだから君なんか成長してからずっと謙虚というか妙に落ち着いてたのか。天狗にならないよう抑えてたんだな…って、え?フロウ来たか?」

 

フロウが王国を訪問したならばクフリンも知らされるだろうに、そんな記憶は全くない。クフリンが不思議そうな表情を作ると「個人的な理由で来たし、わざわざ大々的にする気は無かったみたいだ」とジョンガリは答えた。「自分はもう王子ではないから、大々的に前触れする立場にないと言われたよ」と悲しそうな目をしながら付け足して。

その言葉にクフリンも悲しげな顔となる。あちらの事情は大まかにだが把握していた。しかしフロウも大変な時期だろうに、王国を訪れた理由は何だろうか。

それを問うとジョンガリは苦笑しながら語り出す。

ほんの少し前、クフリンが指導係として任命されたあたりに、元王子、亡国の王子が訪ねてきた時のことを。

 

■■

 

急に訪問してきたフロウは、城に到着してすぐジョンガリに会うため魔術団に向かった。昔よりも成長してはいたものの、当時の面影を残したままのフロウはすんなりと魔術団に案内されたらしい。当時の門番が存命でフロウのことを覚えていたのも幸いした。

門番は「彼の国が大変なことになったから、王国の魔術団に救援を求めに来たのだろう」と考えたようで、同時に宮廷魔導師のジョンガリにも連絡を入れたそうだ。

連絡を受けたジョンガリが慌てて彼を出迎えると、フロウは嬉しそうにウォータークラウンという上位の水魔法を披露した。

それは昔子供のころに、王国での勉強の最中習得一歩手前までいった技。

当時を思い出しジョンガリが感心と嫉妬の合間で右往左往していると、フロウは笑顔でこう言ったらしい。

『貴方の言葉のおかげで、貴方が魔術のコツを教えてくれたから、貴方が最後に後押ししてくれたから、諦めずこの魔法を習得出来ました。ありがとうございます』

と。

 

■■

 

「私は特別なことなどしていないのだけれどね」

 

どうやらフロウはそのためだけに、つまりわざわざ魔法習得の礼を言いに来ただけだったそうだ。国のことなど、己の状態など一切話さず、ただお礼を言いに。

むしろ逆に私が「大丈夫かい?」と聞いてしまったよ、とジョンガリは頬を掻く。まあ彼に「自分の国のことですから自分で全て終わらせたいんです」と言われてしまい、それ以上口出し出来なかったのだけれどねと苦笑した。

フロウは一応クフリンに挨拶しようとはしたと言う。昔の礼があるからと。しかしちょうどクフリンが緊張しながら後輩指導をしていたため、邪魔をしてはいけないだろうとそのまま帰ったらしい。

『ああ、彼が育てるならば、きっといい戦士が育ちますね』

そう微笑ましそうに笑いながら。

 

「それからかな、教えることが楽しくなったのは」

 

フロウは、あの人が教えてくれたのだから必ず習得出来る、あの人が太鼓判を押してくれたのだから成長すれば必ず習得出来る。そう信じて鍛錬を続け、それを成した。ジョンガリの言葉を糧に、ジョンガリの指導の元それを習得してみせた。

つまり、自分にとっては当たり前の事であろうとも、大したことない言葉であろうとも、人によってはその当たり前の事や何気ない言葉が役に立つこともあるのだと知ったんだ、とジョンガリは微笑む。

それに気付いた瞬間、無駄に嫉妬していた自分が馬鹿らしいとモヤが晴れた。まあ、おかげで冷静になるすべと調子に乗らないよう戒める心が手に入ったから、モヤモヤ期間は無駄だとは言い切れないけれど。

そして冷静に考えた結果「あの大技を扱える王子を自分が指導した」という事実を誇らしく思えるようになったらしい。

だから今はミミトシシを育てるのが楽しいかな、とジョンガリは微笑む。あの兄弟は魔法の素質がかなり高い、しかし彼らはそれを生かすすべを知らなかった。賢者だと自称しガムシャラに魔法を放つだけだ。

ならば私が導いてやろう、無駄なく得意なことを伸ばしつつさらに大きな魔法を撃てるように。彼らが私の指導を必要としてくれるのならば、それに応えたいと思った。

ああそうだ、私は私を必要としてくれる者のために生きたい。

そう考えるようになったよとジョンガリは笑った。

 

「うん、兄の方は火と熱、弟の方は水と氷の資質が高いから一度独立させるのも手かもしれないな」

 

今のままでは互いに依存してしまい、いざというときに困るだろうから。一度離して「ひとりでも大丈夫、相方は自分が守る」くらいの意識を持たせられたら成功かなと、そうジョンガリは小さなネズミの兄弟に思いを馳せる。

その顔は、見習いたちを指導しているときのクフリンの顔にそっくりだった。その子の資質に合わせて、その子の得意なことを、辛い苦しいとあまり思わないように工夫して、ちゃんとそれを習得出来るよう教え導こうとしている時と。

 

「シシは私が何とかできるが、ミミはあいつに任せようか。余計なことを教えないように忠告はするが」

 

くすりと笑ってジョンガリはひとりの黒い犬獣人の魔導師を思い浮かべる。あいつのことだからミミの才能に嫉妬して、聖堂に閉じこもり変な魔術の研究でもしそうだがとジョンガリは苦笑しながら、それでいて少し不安そうな顔で思った。

禁じられた魔術書を手に入れてから、あいつはどうにも様子が変だ。まあおかしなことになったら私が止めに行くがと、ジョンガリはポケットに入っている数字の書かれた小さな木板を撫でる。

禁じられた聖堂に入るための鍵。幼い時、ふたりで見つけた怪しげな場所。そして、あいつがひとりで没頭したいときに籠る場所。

そんな場所に入るための木板をジョンガリ持っているのは当人が幼いころ渡されたからだ。

『割符っていう敵味方を識別するための道具があるらしい。お前には特別にやるよ』そう言って笑いながら。

面倒なことにならなければ良いのだがと、ジョンガリは軽く空を見上げた。

急に遠い目をしたジョンガリに対し、クフリンが首を傾げればジョンガリは我に返り話を戻す。

 

「君も小さな見習いたちをとことん導いてやればいい。道を違えぬように」

 

魔王が現れてから、良くないものが蔓延しはじめたのだから、と。

いや、もしかしたら前々から存在していたのかもしれない。クフリンたちが気付いていなかっただけで。ただそれが、ようやく表に出てきただけで。

頑張って導いても、離れていってしまう人もいるだろう。手が届かない場所へと走り去る人もいるだろうし、最悪敵対する羽目になるかもしれない。

 

それでも「平和」を取り戻すため、彼らは前を向く。

怯えながら道を歩く必要のない世界を得るために。

故に導く、後を追う小さな見習いたちを。

 

クフリンは笑って頷いた。無駄に思い悩んで、いらぬ不安に心乱されている場合ではないのだから。自分は元より後輩たちも、きちんと前を向けるように自分が導く。

正義を抱えて前へ進む。

 

「そうだな、腐ってる場合じゃなかった。俺は仲間も王国も護るだけだ」

 

そう言ってクフリンは席を立った。見習いたちのために出来ることをしようと。そう考えたらいてもたってもいられない、まずはそうだな、クランに会いに行こう。

「やる気が出てくれて良かったよ」と笑うジョンガリに礼を言い騎士団へ戻ろうとしたクフリンだったが、薬草園の外から呼び止める声が掛けられた。

 

「おー、いたいた」

 

「ゲボルグ?」

 

真っ黒い鎧を身に纏った騎士がひょいと外からクフリンたちを覗き込む。珍しい来客にクフリンは呆けた顔を露わにした。

ゲボルグはあまり表を出歩かない。太陽は眩しいとよくわからないことを言いながら、基本的に昼間は地下にある部屋に篭っているし、夜はふらっとどこかに消える変な騎士。

たまに元気な時にクフリンに喧嘩をふっかけ、たまに誰も読めない古代の書類をさらりと訳すハルバードを持った妙な騎士。一応こんなのでも王国の騎士だ。

今日は珍しい客が多いと苦笑しながら、何か用かなとジョンガリが問えば、ゲボルグは「用があるのはそっちの白い方」とクフリンに指を向ける。

 

「俺?」

 

「バルトが呼んでたぞ」

 

ゲボルグはそれを言うためにわざわざ魔術団まで来たのだろうか。普段、クフリンが訪れることがほぼないこの場所に。クフリンを探しにピンポイントで。

そんなファインプレイ有り得るか?とジョンガリが不可解そうな表情を浮かべると、ゲボルグは誤魔化すように手をヒラヒラさせた。

「こいつのいるトコぐらい俺にはわかるさ」とフルフェイスの仮面の裏で笑みを浮かべる。

 

「なんでだよ…」

 

地味な奴発見センサーでも搭載しているのかとクフリンはまたネガティブな方向に落ちかけたが、駄目だと己で気付いて首を振った。そんなクフリンの兜をカンと叩き、ゲボルグは「お前はわかりやすいからな」と楽しそうに笑う。

心底嫌そうな表情を見せたクフリンを無視して、ゲボルグは「喧嘩売りたい相手の場所はいつ何時も把握しときたいだろ」とクフリンを引っ張った。このまま引きずっていくつもりらしい。

 

「やめろ馬鹿、暴れたいなら別の奴に喧嘩売れ」

 

「残念ながら喧嘩売りたいのはお前だけなんだよ、いつになったら本気で買うんだ?」

 

一生買わないとギャンギャン煩いふたりを見送り、ジョンガリはポットとカップを片付けはじめた。

まあ結局クフリンが折れて、いつも通り模擬戦は開催されるのだろう。手を抜くな本気出してこいっつってだろとゲボルグは不満を露わにするが。

ああ今日も夜中まで賑やかな1日になりそうだ。

そんな苦笑を漏らすジョンガリもふたりに続いて外に出て、穏やかな風に目を細めた。

まだまだ王国は、ささやかな平和を享受してよいのだろうとゆるやかに笑う。

それがほんの短い間なのだとしても。

 

 

 

next

 

 

 

■■■■■

 

そんなバタバタとした日々が続き、戦力が整ってきたころ、彼らは総力を挙げて魔王に挑む。

未来を担う若者たちは、望みの通り未来を築く。

まあ、まだ多少は騒ぎがあるようですけども。

 

しかしまあ、

いやはや、相も変わらず強固な場所だ。

騙るべきことがほとんど無い。

ひとつひとつを繋げても、繋がる部分はとても薄ら皆様のご想像にお任せしますときたものだ。

とても儚い場所ですね。

 

道は一切決まっていない。

決まっているのはただひとつ。

結果として彼らは魔王の弱体化に成功し、

一瞬の合間平和な時を取り戻すことだけ。

 

彼らは強固でそれでいて脆い。

それ故、

自分勝手に動く輩のせいですぐ崩れてしまいます。

 

道を辿る子

道を間違えた子

そもそも道を歩いていない子

 

ええ、そうですね

彼らの話はまたいつか。

 

 

説明
序章。続きもののようななにか。独自解釈、独自世界観。捏造耐性ある人向け【シリーズ完結】【改稿済み】
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