ミステリ【Joker's】:第5章 |
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桜の花弁が、夕焼けの空に舞っている。
校内に生徒は一人も残っていない。
静かなコンクリートのこの建物の中の職員達だけが、青ざめた顔で遽しく動作していた。
――三階にある理科室の真ぐ隣。
生物研究室と呼ばれている四角の空間で、死んだ魚の目をした男は、紫色の罅割れた唇を開いた。
「僕の何を疑っているんですか?」
「疑っているのではありません」
静かな口調で、その男に向かい合っている長髪の男が答えた。隣には背の高い美人、葉後留衣と所轄の担当刑事が座っている。
「只、事実を確認したいだけです。あなたは上野麻季さんと交際していましたか?」
三対の目が、目前の生物教師、山本充を見つめている。
「ええ、ええ――交際は――付き合ってはいました。でも彼女が――自殺した原因は僕じゃない――」
「では、その理由をご存知ですか?」
「いいえ、分かりません。僕の前では彼女は――とても元気だった。とても――笑顔が可愛らしくて、僕は――その笑顔が好きだったんです」
脅えた様に小刻みに震える右手を口元に当てながら、山本充はそう言い終えると、もう一方の手で眼鏡を外し、顔を両手で覆って見せた。
痩せて骨ばった色白の身体を、白衣で包んでいる。
黒目がちな小さな目に薄い唇。
黒くて油っぽい髪は整えられる事も無く、両目を覆うが如く垂れ下がっている。
「彼女は最近、何かに悩んでいる様子はありませんでしたか?」
長髪の男、暗武整は尚も無単調に質問を続けた。
「無かった。ありませんでした。だから僕はこんなに苦しんでいるんじゃないですか」
「あなたと彼女の交際を、誰かに話しましたか?」
「いえ。いいえ。誰にも言っていません。二人だけの秘密だった――」
「そうですか――。では、彼女は誰かに恨まれている様子はありましたか?」
「そ、それはどういう意味ですか? 彼女は殺されたんですか?」
「いいえ、そうではありません。彼女が恨まれるような事、またはイジメに遭っている様子、何でも結構です。彼女が何か、悩んでいる様子はありませんでしたか?」
「そ――そういう事はありません。多分――そういう悩みは無かったかと思います。悩んでいる様子は無かった。ありませんでした」
山本充が去った後、留衣は溜め息をつきながら髪をかき上げた。
「――どう思う?」
「そーだな」
整は鼻を擦りながら答えた。
「恐らく、何かを隠しているか嘘をついている」
「じゃあ、あいつが犯人ですか? 本当に殺しなんですか?」
担当刑事が厳しい顔で口を挟んだ。納得がいかない様子だ。
「そうねえ。山本充が犯人かどうかは別にして、殺人か自殺か、に答えるなら、うちの事務所の結論は殺人、ね」
留衣はにっこり笑って刑事に言った。
刑事はあからさまに口元を歪めた。
「あいつを犯人と――決め付けるにはまだ早い」
整は背もたれに寄りかかり、天井に目をやった。
三人の頭上には蛍光灯が三つ、決まり良く一列に並んでいる。
「あの男の監視は必要だわ」
「出来ませんよ。ウチは人員が足りないんだ。殺しかどうか判らん事件に、人は割けませんよ」
刑事はイライラと留衣に言葉を返した。そして、ムッとしたまま煙草を口にする。
「あら、ここは禁煙なのよ。そんなにイライラしないで頂戴。あなた、カルシウム不足なんじゃないの?」
刑事の口から煙草をすっと取り上げ、まだにこにことしながら留衣が続けた。
「困ったわねー。ウチで見張るしかなさそうよ、整」
「お前やれよ。担当だろ?」
整は透かさず言った。
「まあ、あんた。か弱い女性に一人で張り込みしろっていうの?」
「なァーにがか弱い女性だよ。俺ぁぜってーやんねーぞ」
留衣が自分に仕事を押し付けるだろうと素早く察知した整は、頑なに言い放った。
「その必要はありませんよ」
声が響いた。
滑舌の良い、はきはきとした声だ。
今し方、山本充が閉めたばかりのドアが開いて、一人の小柄な女性が入って来た。彼女はきびきびとドアを閉めて部屋に入り、堂々と此方を向いた。
髪は短い。凛々しい眉に大きな目がしっかり開いている。皺一つ無い黒いスーツにネクタイを結び、男装の井出達だ。
「チッ」
所轄刑事は途端、更に機嫌を悪くして舌打ちをした。
彼女はそれを見ぬふりで、留衣と整の前に立った。
「ウチの捜査員が張り込みますので、ご心配無く」
「あれ? サリーちゃんじゃん。この事件、本庁に回ったのか?」
「殺しの確定もしていないのに、何故本庁が動くんですかね?」
この場にいる誰とも目を合わせる事をせず、所轄刑事はイライラと言った。
「綛谷が――監察医の綛谷先生が殺人だと仰ったそうですから」
『サリーちゃん』と呼ばれたこの女性は、くるりと振り返ると、早口で所轄刑事に向かって言った。
「それから暗武さん。私はサリーちゃんではありません。((雨凪紗吏弥|あまなぎさりや))です」
今度は忙しく整の方に向き直ると、また早口で付け加えた。
『本庁』と言うのは警視庁の事である。
この『雨凪紗吏弥』という女性は、その警視庁捜査一課の刑事である。
『捜査一課』というのは、主に殺人事件や誘拐事件などを担当する日本最大の凶悪犯罪捜査部内で、その捜査員全てはスカウトにより構成されている。所謂エリート集団だ。
警察署管轄の所轄は、本来はこの別組織であるはずの警視庁に目と鼻の先で使われる。所轄の人間にとっては警視庁の人間は言わば『目の上のたん瘤』なのである。故に、この所轄担当刑事は、紗吏弥が現れたのが気にいらないのだ。
「サリーちゃんが来たって事は、この事件は殺人に切り替わったって事なのかしら?」
「いいえ、まだ疑い、です。断定では無いんですが、綛谷の鶴の一声で上も動かざるを得なかったんですよね」
サリーちゃんという呼び名について、注意する事を諦めた女刑事は、相変わらず早口で言った。
「格先生は何でも出来ちゃうね」
「当然でしょ。格が解決した事件が一体幾つあると思ってんのよ。あんたもそれ位の働きをして欲しいものだわよ。まったく」
腕を組んだまま椅子に座っている留衣は、にこにことしている。
「ちょっとちょっとー。俺だって結構解決してるぜ?」
「格の解決率の方が上なのよ」
「おいおい、そりゃ『死体屋』と『予想屋』の性質の違いだっつーの」
整は立ち上がると、苦笑いで留衣を見下ろした。
「ああ。確かにそうですね。『検死』と『プロファイリング』は全く性質の異なる物ですから」
紗吏弥が二人の会話に割り込んだ。
「さすが同業。サリーちゃん、話が分かるね」
「そうですか先輩? 確かにあなたはFBIでも評判の分析官でしたから」
「そりゃどーも」
「ちょっと。元FBI同士の庇い合いはそれ位にしてよ。そんな事より捜査会議なんじゃないの?」
「あ。そうでした。七時から捜査会議があります。皆さん本部に戻って下さい。あなたも」
蚊帳の外だった所轄刑事は、ムッとしながら立ち上がった。
「あなた、じゃありませんよ。雨凪刑事。私は元木勝也(もときかつや)です。以後お見知り置きを」
男刑事は嫌味っぽく紗吏弥に言い放つと、ヒステリックに上着を羽織って部屋から出て行った。
「それは失礼。元木刑事」
紗吏弥は早口でにっこりした。
「気にする事ないわよサリーちゃん。彼、とーってもカルシウム不足なの」
留衣はさっき取り上げた煙草を見ながら笑っている。
「俺らの事も気に食わないみたいね。あいつ」
「あなた達は、現場の所轄にとっても、本庁の捜査員にとっても『目の上のたん瘤』ですよ」
「あらあら。はっきり言うのねェ」
紗吏弥の言葉に、留衣がカラカラと笑った。
「事実ですから」
紗吏弥もにこにことした。
「私以外の捜査官の話ですが」
留衣は組んでいた手を解き、判っているわよと言いながら、紗吏弥の頭を撫でた。
「オイオイ。やたら女の子に触るなよ。セクハラになるぞ。お前男なんだからよ」
「もう一度言ってみなさい。あんたのそのご自慢の髪と髭、一本残らず剃り上げてやるからね」
「はははは。そりゃこえー」
そう言って、上着を持って部屋を出て行こうとする整を、紗吏弥が止めた。
「何処に行くんですか? 本部に行くなら私の車で」
「サリーちゃん。俺は、この事件の担当じゃねーから会議はパス」
「そんな。一緒に来て下さい」
「何で? 同事件にプロファイラーは二人いらないだろ? サリーちゃんがいるならいいじゃん。帰らせてくれよー」
「いいえ。あなたは事件を把握しています。私はまだしていない。あなたの見解を会議でお聞きしたいんです。お願いします」
必死な顔で頼み込む紗吏弥に、整は満更でも無い様子で眉を吊り上げ頭を掻いた。
「――ん? そう? まあ、そこまでサリーちゃんが言うなら」
「あらあら。さすが心理分析官ね。サリーちゃん」
「それ程でも」
紗吏弥もまた、にっこりと笑った。
説明 | ||
【Joker's】絞首台の執行人 小説版です。 犯罪心理?物というか ミステリ崩れ(笑)な小説です; 私立犯罪事務所所属の ハッカー:来 プロファイラー:整 監察医:格 所長:留衣 の4人が犯罪に立ち向かう?話です。 序章:http://www.tinami.com/view/21442 1章:http://www.tinami.com/view/21694 2章:http://www.tinami.com/view/22026 3章:http://www.tinami.com/view/691608 4章:hhttp://www.tinami.com/view/691614 WEB用に読みやすく改行しています。 |
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